野の花 第32号 2019年1月発行
小さな群れよ、恐れるな。 あなたがたの父は 喜んで神の国をくださる。 ルカ十二・32 |
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A.T(徳島) |
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A.S(神奈川) |
A.S(香川) |
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I.M(徳島) |
I.T(神奈川) |
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A.T(香川) |
I.M(徳島) |
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O.H(徳島) |
O.N(徳島) |
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K.K(徳島) |
O.E(徳島) |
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K.T(大阪) |
K.M(徳島) |
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K.H(香川) |
K.I(東京) |
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K.H(徳島) |
K.A(福岡) |
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K.T(徳島) |
K.H(千葉) |
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K.N(福岡) |
K.M(徳島) |
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S.Y(徳島) |
K.J(徳島) |
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S.M(大阪) |
S.K(東京) |
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S.K(徳島) |
S.M(徳島) |
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S.K(徳島) |
T.Y(徳島) |
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S.H(徳島) |
T.H(岡山) |
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T.H(徳島) |
T.M(徳島) |
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T.Y(徳島) |
T.Y(京都) |
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T.R(徳島) |
T.K(宮城) |
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T.H(青森) |
T.A(千葉) |
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T.Y(徳島) |
T.M(千葉) |
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T.K(徳島) |
T.E(徳島) |
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T.K(徳島) |
N.S(徳島) |
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N.N(東京) |
B.K(徳島) |
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N.Y(大阪) |
N.H(徳島) |
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N.M(静岡) |
N.Y(徳島) |
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N.K(大阪) |
N.Y(北海道) |
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H.H(徳島) |
Y.G(福岡) |
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F.F(徳島) |
F.T(兵庫) |
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F.S(鹿児島) |
M.T(徳島) |
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M.K(愛媛) |
M.K(徳島) |
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M.J(茨城) |
M.K(兵庫) |
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M.K(愛媛) |
M.M(兵庫) |
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Y.A(山梨) |
Y.M(埼玉) |
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Y.E(徳島) |
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今回の「野の花」文集もまた多くの方々の信仰の心が現れた文章が集められ、その背後に主の導きとその御手の働きを感じます。 文は人なり、と言われてきたように、書かれた内容とその表現によってその人が表されています。 キリスト者が書いた文には、その人の単に人間的な考えや感情、心の動きにとどまるのでなく、その人のうちにおられるキリストが何らかの形で感じられるのです。 そして、そのキリストが読む人々の心に触れ、ときには主の御計画によって他者にも伝わっていきます。 それは今までに「野の花」によって何らかの新たな交流が生まれたり、そこで引用された文が思いがけないところで働くといったことによってじっさいに感じられてきました。 また、それは一人一人に対してなされた神様のわざの証しとなっています。キリスト教が世界に伝わっていく原動力となったのは、キリストの復活であり、その復活の証しをする、ということだったのです。(使徒言行録2の24~ 32) キリストを仰ぎつつ書かれた文を読むことは、縦と横の関係を新たにし、強めるというはたらきをしてくれます。 縦とは、私たちと神、キリストとの関係であり、横とは、書いた人たちとの心の交流、霊的な交わりです。 この「野の花」が、さらにそうした役割を果たし、主によって用いられますようにと願っています。 --------------------------------- 主はわが牧者なり われ乏しきことあらじ 主は、我をみどりの野に伏させ、 憩いのみぎわに伴ないたもう たとひ われ死の蔭の谷を歩むとも 災いをおそれじ なんじ我とともにいませばなり (旧約聖書 詩篇23より) |
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み言葉から
A.T |
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「キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。」 (ヘブライ9の28 口語訳)
「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」 (ヨハネ11の40 新改訳) 「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です。」 (ルカ10の16 新改訳)
集会で耳の聞こえない者にも手話でみ言葉が語られ神様に感謝しています。 的を射ているみことばは、神を信じる者にとって力となります。 礼拝で手話が用いられ多くの耳の聞こえない人がみ言葉を聞く事ができるように祈っています。 |
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箴言から学んだこと
A.S |
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通勤のときに音声で聖書を聴いています。箴言をよく聴いています。自分が過ちを犯すことから守ってくれているように思います。以下、印象に残ったものをいくつか紹介します。
「悪に報いたい、と言ってはならない。主に望みをおけ、主があなたを救ってくださる。」 (箴言20の22) 「痛手に先立つのは驕り。つまずきに先立つのは高慢な霊。」 (同16の18) 「名誉に先立つのを謙遜。」 (同15の33) 「神に従い正義を行うことはいけにえをささげるよりも主に喜ばれる。」 (同21の3) 「罪人らのことに心を燃やすことはない。日ごと、主を畏れることに心を燃やすがよい。」 (同23の17) 「弱者を憐れむ人は主に貸す人。その行いは必ず報いられる。」 (同19の17) 「忍耐は力の強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる。」 (同16の32) 日々移り変わるニュースやインターネットの記事よりも、このような普遍性が高い教えをいつも聴いていた方がよいなと思っています。
横浜市 |
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詩編46編「神は私の避けどころ」に思う A.S |
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10月14日の主日礼拝の講話は 詩編46編、主題は祈り合わせの重要性でした。吉村さんが神戸、高槻に伝道の旅に出て不在。留守中の吉村さんの講話は機器のトラブルで中止。参加された徳島聖書キリスト集会の皆さんが協力しあって礼拝を継続、豊かな礼拝となりました。祈り合わせの大切さを見せてくれ 沢山の実りあるものを戴きました。感謝です。 私は例によりスカイプで聞くだけの参加でした。いつものように礼拝が始まり緊張感が伝わります。子供集会が先行し 中川陽子さんと子供たちの会話…ブドウにまつわる話…最後にみことちゃんの祈りで締めくくられました。今日の主題にふさわしい祈りで締めくくられたと思います。心に残りました。 続いて 大人の集会となり、詩編46編の輪読、感話へと展開されました。この46編は つい先日9月6日家内と読み合わせました。その時の思いがあり印象的でした。それで皆さんの感話は実に身近に聞き取れたのです。 実は今年5月1日より1日4章目当てに聖書の通読をしていたのです。印象に残ったのは次の箇所です。 2節「神はわたしたちの避けどころ わたしたちの砦。苦難のとき、必ず そこにいまして 助けて下さる。」 8節「万軍の主はわたしたちと 共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。」 12節「万軍の主はわたしたちと 共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。」 2節、8節と12節(この繰り返しが特に)眼にとまり心に残りました。 沢山の方の感話の中にこの繰り返しの所を述べられた方がいました。同じ思いをしたのかなと 心惹かれました。 それに 3節と4節です。今年は異常に暑く自然災害が多発(岡山・広島・愛媛の洪水)山崩れ 北海道の地震、近未来の東南海地震…迫りくる苦難の時が迫る これを思うとき この3節・4節が眼にとまりました。 3節「わたしたちは決して恐れない 地が姿を変え 山々が揺らいで海の中に移るとも」 4節「海の水が騒ぎ、沸き返り その高ぶるさまに山々が震えるとも。」 定期預金のように いつかは必ず満期になりやって来る。テレビで見たように筆舌に尽くし難いその時が来る。絶望の淵、言い知れぬ暗黒がやって来る。詩編46編は私たちには神様がそこにいまして 「神様 助けてください」と願うとき その尊い御手が差し伸べて頂けるのだ。なんと心強いことか。 私は 罪深い身ながらこの聖句を読むとき 更なる信仰と祈りを主イエス様を通して天のお父様に捧げん。と祈ることでした。 高松 |
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主のみ声
I.M |
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わが心 見透かし悪霊 冬来たり 長き夜や 聖書繰る音 かすかなり 山路行く 一涼の風 すれ違い 夕焼けの 燃ゆるかなたに 主のみ声 幼な子や 指差す先に 夕陽燃ゆ 風光る 集いて祈る 二、三人 夏雲の 離れ離れに 走り行く 岩清水 一口飲みて 命湧く 秋天や 青一色の 空に延び 曼珠沙華 夕陽に染まり 色を増し 秋澄みて 青空に描く 白き雲 秋空や 高さを測る 幼き子 (いのちのさと職員) 徳島県 |
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かまきりと私とイエスさま
I.T |
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今年もプランターに、朝顔とふうせんかずらの種を蒔きました。両方共よく育ちましたが、朝顔はいつものように程なく枯れ、ふうせんかずらは切っても切ってもどんどん繁り、そのままにしている時、台風21号の余波の強風にふうせんかずらの支柱が曲がってしまいました。それで思いきって、繁ったふうせんをばっさり切り袋に詰めてふと見ると網の間に大きなかまきりがいるのです。どうやってここに来て住みついたのでしょう。二日程するとかまきりは支柱の上にじっとしたままでした。私は葉のある所に移してあげようと手をのばしたら、かまきりは落ちて見あたりません。そんな時電話で弟に「かまきりがいた」と言いますと、かまきりは高い枝の上にたまごを産むし益虫なんだと教わりました。私は悪いことをしてしまった、と後悔しました。かまきりの本性も知らず余計な手出しをしてしまった、と、そして他のことでも余計なことをしているかも知れないと心が痛みました。
そのあとも支柱の上、横の方、葉の間にとかまきりは移動していました。そんなある朝オスのかまきりが来て10糎位の距離で見合っています。どこから飛んできたのでしょう。4Fのベランダにメスのかまきりがいるってどうやって知ったのかととても不思議に思いました。神さまなんだなーと感動しました。2時間程あとで見に行きましたがオスのかまきりはいませんでした。食べられたのでしょうか。その後もかまきりはあちこち移動し、排水管にしがみついていました。そんな所へ行くと落ちるよ、と言いましたが、かまきりはじっとして、そのあとは又、元の支柱に戻りホッとしました。 でも又20日の朝排水管の方へ行こうとしています。前にだめだったから今度は行かないだろうと思っていましたが、そのあとどこへ行ったのか全く見当りません。たまごも見つからず、今も私の心の中に気がかりを残しています。そして―。 かまきりには人の言葉は通じない。かまきりになれば分かりあえる。でも私はかまきりになれない…。 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」(ヨハネ1の14)が頭をよぎりました。 神が人となってこの世に来てくださった。そして最後はひどい目にあわれ、その上十字架で死に私達の贖いとなってくださった。大きな大きな神さまのご愛、改めて量り知れない恵みの深さを思い巡らし呆然としていました。イエスさまは、あらゆる苦しみ悩みを通られたので弱い人苦しむ人に添えられるのだと。神様が送ってくださった一匹のかまきりから主の深い憐れみ、み言葉の恵みを今一度感謝をもって味あわせていただきました。 「主は恵み深く慈しみはとこしえに。」(詩篇100の5) |
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神様の導き
A.M |
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私はイエスキリスト様に導かれて 生きていくことができることに とても感謝しております。でも 時にふれ 折にふれて なくなった娘のことを思い 涙があふれてしまいます。吉村さんは「みちるさんは 安藤さん方の贖い人であったのですよ。」と言って、私たちの心を軽くして下さいました。それでもあれは神様はゆるしてくれないのでは…?想うのです。 私たちの生き方の自由を神様はご自分を制限してまで与えてくださっていると想うと、やはり私たちのかかわり方がまずかったのでは、と思い苦しみました。でも どんなに考えても行き着くところは 人間どうしたって完璧なことが出来ないのだという思いです。 〝じゃあどうすればこの生命 生きていけるのか…残された二人の孫は…〟と神様に呼びかけました。心が落ち着くにつれて、少し神様が見えてきました。 神様はこの大宇宙を作られた方だ。名もなき野の花・小さき虫・私たちの髪の毛の一本一本にも関わり、生きる喜びを与え、バランスよく全宇宙を動かしておられる。〝そうっだたのか。あの娘が逝ったのは神様のお許しがあったのだ。〟という思いに至りました。 娘の逝った後の孫育ては必死でしたが、現在兄はエンジニアとして社会人となり、妹は大学生となりました。今はそれぞれに離れて住むといろいろと気に係ることが多く心配ばかりしてしまう私でした。 そんな私に聖書を通読することを勧めてくれる友がいました。その方はもう27回も聖書を通読されたとの事 これこそ主がそなえてくれたのでないかと喜びました。 二人でこの一年間で旧・新約聖書を通読しよう、毎朝五時起床などの目標を立て、意志の力で読んでます。読むにつれ神様のみ言葉の真意がわからないところが沢山出てきます。その点はスカイプを通しての吉村さんの聖書講話に待つこととして続けています。 聖書通読後 孫たちのことは朝夕の神様への感謝の祈りの時名前を呼んでしっかり祈ります。その後はもう全て、神様が孫たちのそばで守り導いてくださっていることを信じることが出来るようになってまいりました。全幅の信頼です。感謝です。 それに神様は全能の方なのに 私たち人間が受け入れる部分だけを取り出して、人間の姿をしたイエスキリスト様をこの世にお遣わし下さったこと、そして人間の幸福のみを望んでいる神様は人間の罪をイエス様の十字架によって贖ってくださいました。それなのに神様は何より人間が自由であることを望まれ その選択力を私たちに与えてくださいました。私たちはそんなすごい神様に全幅の信頼をおき、より自由な意志の力で従って生きて行きたい、と思っております。 スカイプを通して、徳島聖書キリスト集会の皆さんの真摯なお姿にお会いできることは、今の私たちの何よりの支えとなっております。 高松市 |
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生きる
I.M |
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「いのちのさと」の夕拝で2006年6月から詩篇を学んでいます。月1回の学びで、何と一昔ちょっとになるではありませんか。時の流れの早さを毎年強く感じています。特に世の中の流れもめまぐるしいですけど、自分の年齢を思うとその速度は驚くばかりです。
神さまはこの地上に私をいつ迄置いて下さるのでしょうか。 余命が解って今迄できなかった事したい事を実現していく生き方。 いつもの通り、いつもやっている事を変わらず淡々とこなす生き方。私は果たしてどちらも選ぶのでしょうか。余命が解っていないからこそ〝今日〟という日を〝今〟という時を大切に生きる。それも神様が〝与えてくださっている命〟ということをいつも心に留めて日々を送るなら少しでも〝み心〟に叶った生き方ができるでしょうに。 私達は神さまの作品、神さまを倣って生きるように作られています。色々なことがある人生だけど、神さまへの道を知っていれば、神さまにお任せすれば〝今〟を〝今日〟を大切に生きていけます。 詩篇の作者も命をおびやかされる程、様々な試練に遭っても最終的には神さまを賛美しています。 私もそのように神さまを見上げて、残りの人生を歩んでいけたらと思います。 (いのちのさと職員) 徳島市 |
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祈り
O.Y |
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主の元へ行くまで信仰を。憐れみたまえ、主よ。
(徳島県鳴門市) |
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心に残るみ言葉
O.M |
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「人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4の4) 板野郡 |
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詩篇四十六篇より
K.K |
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神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。
苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。 わたしたちは決して恐れない。地が姿を変え、 山々が揺らいで海の中に移るとも 海の水が騒ぎ、沸き返り、 その高ぶるさまに山々が震えるとも。 大河とその流れは、神の都に喜びを与える。 いと高き神のいます聖所に。 神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。 夜明けとともに、神は助けをお与えになる。 すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。 神が御声を出されると、地は溶け去る。 万軍の主はわたしたちと共にいます。 ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。 主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。 主はこの地を圧倒される。 地の果てまで、戦いを断ち 弓を砕き槍を折り、 盾を焼き払われる。 『力を捨てよ、知れ、わたしは神。 国々にあがめられ、この地であがめられる。』 万軍の主はわたしたちと共にいます。 ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。」
災害が次々日本に、世界に起こる。社会情勢も混乱が続く。そして、自分自身も、起こってくる問題に思い煩う。不安や弱さを感じるからこそ、神様を仰ぐ。そこに力と希望がある。 神様は共におられる。助けてくださる。主の戦いなのだ。だから、静まって、自分の力を捨てよう。神は揺らぐことはない。主によって安らぎ主によって喜ぶ。詩篇が強く語りかけている。 徳島市 |
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真の友
O.E |
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「幸福なときには、真の友を見分けられない。
不幸なときには、だれが敵かはっきりする。 人が幸福なときには、敵はねたみ 不幸なときには、友でさえ離れていく。」 (シラ書12の8~9) 水曜集会の学びで教わった印象に残っている個所です。 人は幸福なときには、喜びもって楽しみの所に行くけど、重い病で苦しい時や、困難な状態に陥った時、私自身は何の力にもなれず、霊的に心で行くこと(祈り)すら忘れて、だんだん友から離れて友でなくなります。 しかし、苦しい時こそ近づいてくださるのはイエス様だけで真の友である。 イエス様はどんな時も離れないでいつもそばにいてくださいます。 離れずに友となってくださるようにしっかりと結ばれていたいと願っています。 「わたしの命じることを行うならばあなた方はわたしの友である。」 (ヨハネ15の14) 板野郡 |
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十字架を負って
K.T |
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今年93歳を迎え、いよいよ余命も残り少なく思っています。4月に施設に入りましてからは、ただただ神様にゆだねて祈ってきましたが、最近は読むこと、聴くこともままならぬ状態でお手紙など書こうと思ってもなかなかできません。申し訳なく思っています。徳島の兄弟姉妹はじめいつも多くの方に祈っていただき感謝です。
最後は 自分の居たい場所で終わりたいのですが、ままなりません。これからのひととき、ただ罪赦されたイエス様の十字架をいかにしょって行くかをいつも思っています。愛唱の讃美歌を載せていただきます。 讃美歌332番「主はいのちを、あたえませり」 1.主はいのちを あたえませり、 主は血しおを ながしませり。 その死によりてぞ われは生きぬ われ何をなして 主にむくいし。 3.主はゆるしと いつくしみと すくいをもて くだりませり。 ゆたけきたまもの 身にぞあまる ただ身とたまとを 献げまつらん。 (聞き取り・代筆 B.K) |
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一度も通ったことのない道
K.M |
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夕拝でヨシュア記三章一節から四節を学びました。学びにより神様から示されたみ言葉があります。
私の心の中の思い、きっと神様が守ってくださる。私の思いを神様が聞いて下さると信じていたのにいつも神様には届かない。 「一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道がわかる。」 イエス様を信じて進んで行く道がヨシュア記の学びによって示されました。 讃美歌21 463番 わが行くみち 1 わが行くみち いついかになるべきかはつゆ知らねど 主はみ心なし給わん (繰り返し)* 備えたもう主の道を踏みて行かん 一筋に 2 わが心よ強くあれ、人は変わり世は移れど 主はみ心なし給わん *繰り返し 3 荒海をも打ちひらき砂原にもマナを降らせ 主はみ心なし給わん *繰り返し (美容サロンルカ 美容師) 板野郡 |
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御言葉
K.H |
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一コリント十二章三節「ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも『イエスはのろわれよ。』と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』と言うことはできません。」
小豆島ルーテル教会は活会員五名で礼拝式出席者は二名です。責任牧師が奉仕の礼拝式は五名です。聖餐式もします。 少ない信者ですが町内に福音の風を吹かせています。 (小豆島福音ルーテル教会) 香川県 |
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聖句
K.I |
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「すべて神の僕たちよ、神を畏れる者たちよ、
小さな者も大きなものも、わたしたちの神をたたえよ。」 (ヨハネ黙示録19の5) 東京都 |
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心に残った賛美
K.H |
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神のみことばは(世界のさんび2の10番)
1 神のみことばは、暗い夜の光 どんな深い闇のなかにも希望と未来をしめす。 2 神のみことばは、闇夜に光る星 どんな恐れ不安の時も 癒やしと力与える。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは、知っています。」(ローマ8の28) お祈り有難うございます。賛美していると心が癒やされます。 |
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「神は愛なり」
K.A |
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司式は福岡聖書研究会の秀村弦一郎先生に、証人は作曲家の遠山博さんと徳島聖書キリスト集会の中川陽子さんにお願いしました。天神聖書集会の市村昭三先生からご祝辞をいただきました。徳島の集会の皆様からはお祝いにとても素敵な手作りの本の栞をたくさんいただき、心から感謝しております。中川さんからは、イスラエルのカナの地で買った貴重なワインをいただきました。
私は現在、四十一才で、一般的に言えば、かなり遅い結婚だと思います。つい最近まで、自分は一生結婚できないのではないかと、落ち込むこともしばしばありました。私の世代はいわゆるロスジェネ世代・就職氷河期世代で、非正規雇用の割合が著しく高く、未婚率も極めて高い世代です。私自身も、大学・専門学校等の非常勤講師で、決して収入は高くありません。また、ちょうど私が二十代の頃、妹が長期間入院し、医療費のためにわが家の経済状態が悪化し、妹の病死もあって、深い心の傷を家族や私自身が負っている間に、あっという間に歳月が流れてきたことがありました。はたして自分はもう一生涯結婚することはできないのではないか、あるいは仮に結婚するとしても、大勢の人がご列席くださるような結婚式を挙げることはできまいと思っていました。 ところが、今回、勤め先の学校のひとつがきっかけで、系列のウェディング関連の専門学校が全面的にバックアップしてくれることになりました。そのおかげで、海が見える大変素晴らしい、大勢を収容できるとてもきれいな結婚式場と披露宴会場を、無料で使わせていただくことができました。また、教育の一環として、そのウェディング関連の専門学校の学生たちが、二十数名ほど、何か月もかけて本当に全力で私たちの結婚式を手伝ってくれ、招待状の作成や映像やペーパーアイテム、当日のセッティングや司会進行やメイク、飲み物や食べ物をお客様に運ぶ配膳なども、全て無償でやってくれました。本当に有難いことでした。料理や引き出物等の実費がかかる分に関しても、ちょうどかかった費用の金額と同じだけを御祝儀でいただくことができ、まさに神様のおはからいだったと思います。 また、私の高校時代の英語の先生が、なんと妻の親戚で、結婚式にも来てくださり、卒業以来再会したことも、神様の深いおはからいを感じることでした。当時、若くて生意気盛りで反抗ばかりしていたことを申し訳なく思います。今思えば、本当に良い先生でした。その先生もクリスチャンで、私たちの結婚を喜んでくださいました。 これらのことを考えますと、主の並々ならぬ愛を感じずにはおられません。この世には神も仏もいるものかとかつては思ったこともありました。自分はこの世から捨てられた、用もない石やかわらやつぶてのようなものだと思ったこともありました。しかし、主ははかりしれない愛をそそいで、とるにたりない私に素晴らしい結婚式を挙げさせてくれました。何よりも、本当に良い妻を、私の知らないところで育み、引き合わせ、娶らせてくれました。妻はピアノ教室の先生をしているのですが、披露宴では、私の妹がかつて作曲した曲を演奏してくれました。私の両親も私も、どれほどうれしかったかはかりしれません。 結婚式では、今までの人生でそれぞれの時期に出会った、恩師・友人・教え子・親戚などの人々が出席してくれて、とても和やかで、まるで天国の宴を先どりしているような感覚になりました。 司式の秀村先生よりお話しいただいた、結婚というのは自分が決めたことではなく、神様が決めたことであり、二人で一つとなる新しい創造であるということを常に忘れず、二人で力を合わせて、少しでも主に恩返しができるように、日々の仕事や主日の礼拝に心をこめて生きていきたいと思います。 現在、福岡の集会では、私が二~三か月に一度、講話担当をさせていただいており、妻は讃美歌の奏楽をさせていただいております。これらの務めをしっかり果させていただく所存です。 これから先、さまざまな試練もあるかとは思いますが、結婚式の時にいただいた多くの方々の愛と、そして何よりも主イエス・キリストからの愛を、決して忘れずに歩んでいきたいと思います。「神は愛なり」(一ヨハネ四の十六)は真実だと、本当に思います。 |
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水曜集会の学びから
K.T |
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「知恵に深く思いを寄せる人、英知をもって理を究める人は、幸いだ。心の中で知恵の道を思い巡らし、知恵の秘密を深く考える人は、幸いだ。」 (シラ書14の20~21)
世にあふれている知恵は、華やかに見えますが、忘れられることが多いです。神様からの英知は、み言葉によって力を頂けるし、神様の御心はどうだろかと、思い起こすことができる。 災害、病気の苦しみ、心に持っている悩み、いじめ、家族の事、色々なことが、ありますが、「望みも消え行くまでに」の讃美にもあるように、生きる望みを失いそうになっても、神様からの恵みを数えてみると、住まいがあり、食べ物がありと、どんなに小さい恵みであっても、喜びと感謝をもって、祈りを捧げ、歩ませて下さいと、願い求め讃美していきたいです。
「望みも消え行くまでに」(新聖歌172番) 1、望みも消え行くまでに 世の嵐に悩むとき 数えてみよ 主の恵み 汝が心は 安きを得ん (折り返し) 数えよ主の恵み 数えよ主の恵み 数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み 2、主の賜いし十字架を 担いきれず 沈むとき 数えてみよ 主の恵み つぶやきなど 如何であらん 3、世の楽しみ 富 知識 汝が 心を誘うとき 数えてみよ 主の恵み 天つ国の 幸に酔わん 徳島市 |
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好きな讃美歌の一つ
K.H |
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讃美歌二十一の四九七番 (讃美歌三一三番) (UCHI NARU MIYA) とくに 三番 「主よ、さわがしき世の巷に、われをわすれて いそしむまも、 細きみこえを ききわけうるしずけきこころ あたえたまえ」
一番には「この世のつとめ いとせわしく、ひとのこえのみ しげきときに、 祈りにしばし のがれゆきて、われはきくなり 主のみこえを」とある。
この詩が作られたのは一九三〇年とのこと、今よりはるかにのんびりした暮らしをしていたはずであるが、現代のような時代にあってはなおさらのこと、ちょっとの時間でも「うちなる宮」に退いて心静かに祈りや内省の時を持つことの大切さを歌うたびに教えられる。 また、素朴で親しみやすく心に響くのは、讃美歌中では数少ない作詞(由木康)も作曲(津川圭一)もともに日本人ということのためもあるのではないかと感じている。 (千葉県) |
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海陽集会に参加して
K.N |
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私は「いのちの水」誌に、スカイプで徳島で行われている集会に参加できることを知り、何年か前から参加するようになりました。毎月第二火曜日の午前十時からの海陽集会に参加しています。距離的には遠く離れていても、御言葉の学びと讃美、祈りの時間を共有し養われてきました。また、お会いしたことのない兄弟姉妹との繋がりもでき、集会に参加することを、楽しみに待つようになりました。聖書講話を担当してくださる吉村孝雄さんは遠くから車を運転してこられ、聖書を解き明かしてくださいます。
この集会の名前はいつも集会の労をとって下さるS.K茂さんHさんの住んでいる海陽町から取ったものです。 最近参加した集会で1ペテロ2章の学びを書きたいと思います。 「だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、(1節)生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。(2節)」 一節の「偽り」について特に言及されました、日本は「偽り」に満ちている、それも、国の政治を司るトップの首相や官僚の言動から偽りが溢れ出ている。戦前も中国の人々を大量に殺戮して、それを喜び提灯行列をしたことや、日本のエゴイズムから中国を侵略したのに、解放するためとの偽善にすり替えて戦争を褒めたたえたことなどです。今「偽り」ということがどれほど混乱の原因であり、人の心を狂わせるものであるかを考えることができました。一方、人の心は自然に任せていると、この悪意、偽り、偽善、嫉妬、そしりが心の中に忍び込み占領してしまうのです。ペトロはこの悪いものをみな捨て去ってしまえと言っていますが、私にとって自力では捨て去ることは出来ません。次から次へと溢れてくるのです。 ではどうしたらいいのか、それは変わることのない神の生きた言葉、霊の乳を飲んで成長することだとペトロは道を指し示してくれます。 黒崎幸吉先生はこのことについて以下のように述べられています。 前章末尾に言えるごとく、彼らは神の言葉によりて新しく生まれしばかりの嬰児であれば、もっとも嬰児らしき生活を行うべきである。これは、棄つべきものと、取るべきものとがある、 棄つべきものは1章22節の兄弟愛を害するあらゆる邪念で、ペテロはその中の五種をここに掲げている。これらはいつも教会の一致を傷う悪徳で、最も嬰児らしからざる性質である。 而して切に慕い求めるべきものは、神の言葉の純粋な乳である。ペテロは単に新たな信仰に入りしもののみを嬰児と言うにあらず、キリスト者はその永遠の相より見れば終生嬰児であって、神の言葉の乳を慕いて生くるより外に無い。 このように言っておられます。そして、神の言葉の純粋なる乳は霊の発育を助け、終わりの日に完全に救わるるに至るのであるとの喜びに満ちた希望についても語っているのです。 これは私にとってそして、誰にとっても死活問題です、お金がないことが死活問題ではないことに気付かされました。 「この主のもとに来なさい」「私は生きたパンである」今も招いて下さる主の御言葉に養われる日々でありますようにと祈ります。 福岡市 |
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主の御恵み
K.M |
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「主は人の一歩一歩を定め
御旨にかなう道を備えてくださる。 人は倒れても、打ち捨てられるのではない。 主がその手をとらえていてくださる。」 (詩編37の23~24) |
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手話賛美
S.Y |
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ナシの会(難聴者と支援者の会)の定例会でいつも一人一人順番に近況報告をしています。
その会で私が今日は特に言うことはないかな?と思っていましたが「日曜日はいつもキリスト教の礼拝に行っています。」と話しました。すると隣に座っていた人が「私もキリスト教の礼拝に行っています。」と言ったのでびっくりしました。難聴者と支援者を合わせても20人足らずの小さな集まりなのに、すぐ隣にクリスチャンがいました。その方も中途失聴者です。キリスト教以外の集まりでクリスチャンに会ったのは初めてです。言わなければわからないままでした。 会の途中で筆談で「タイタニックの映画で歌っていた賛美歌を知っていますか?」と聞かれて「主よみもとに近づかん」と答えたらすごく感動して、会の後で二人で少しだけ賛美をしました。私が手話でしたら自分も手話でしたいと言っていました。 ある研修会の帰り、その方と二人でバスで帰ることになりバス停に行ったら、一時間もバスがなく 仕方がないので、徳島駅まで歩いて行くことになりました。私に「どんな賛美が好きですか?」と聞かれたので「歌いつつ歩まん」と答えたら、教えてと言われ歩きながら二人で手話賛美をしました。 それから一週間ぐらいして、その方から メールが来て手話賛美を教えてほしいと頼まれて行ったら、その方が行っている教会の牧師が来ていました。一緒に「歌いつつ歩まん」とか知っている賛美をしたり、簡単な手話もしたりしました。今は中止になりましたが、市民クリスマスで手話賛美を見てくれていました。牧師はずっと以前に、聴覚障がい者の方から手話を教えてもらったことがあるとのことで、手話、筆談でお交わりが続けられています。 何も良い行いが出来なくても、神様を信じていると言うだけで、このままで赦し導いて下さっているので感謝です。私自身 中途失聴になり、手話、手話賛美を教えていただき、周りの方々に支えられて導かれていることを改めて感謝です。 (中途失聴者) 徳島市 |
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「命の息」の重さ
K.J |
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「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。」 (ヨハネ3の16)
神様の多大な人間への愛なのだと判る。しかしこの聖句を読む時、心の中にストンと落ちて来ないものを感じていた。私の側の問題である。天地創造の人間を造られた時の事に思いを馳せた。 「主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2の7) 「人の生命は神より授けられたもので、神を知るも知らぬも人は皆神の中に生き、動き、存在することを示す。…命の息を吹き入れられて霊的生命を受け、神との交通に入るのである。」 (米田豊著 旧約聖書講解より) 人間に自由意志と判断力を与え、神様は唯一人とだけ一対一の関係で会話できる相手として選び造り、大きな大きな期待と喜びを持たれたに違いない。人の自由な発想を楽しみにされていたに違いない。人間の側からは、造られた神様への感謝と喜びに溢れていた事と思う。人間にだけ宇宙すべてを創られた神様と対話することが許されていたのである。 神様の命の息とは全ての支配権を持つ。 「主なる神は人に命じて言われた。『園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。』」 (創世記2の16~17) しかし人間は誘惑があったにしろ神様の命令を破ってしまった。神様の絶大なる期待を裏切ってしまったのである。被造物でありながら創造主の支配権を持ってしまい、神様への賛美も感謝も正しい判断も出来ず、無茶苦茶な存在となってしまった。その結果生きる目的を見失い、暗闇の世界を彷い歩く者、覇権に力を入れる者等 種々雑多な生き方が生まれた。神様が人に命の息を吹き入れられ霊的生命を授けられた事には大きな大きな責任が伴っていたのである。 「主は彼らの心に、ご自分への畏れを植え付けられた。彼らに、み業の偉大さを示すためであった。」(シラ書17の8) 人は神様に造られた者。忘れてならないのは、神様を崇めて生活するように造られていたのである。 神様からたった一つの命令を受けていたにもかかわらず、いとも簡単に誘惑にひっかかり、創造主の命令を捨ててしまった。 人は犯した罪の責任を果たせないでいる。 その罪が何であるかもわからないでいる。それでも神様は人を愛し慈しまれ、罪の為に破壊された創造の御業を完成させたいと思われた。その為に独り子イエス・キリストを世に送り、人間の罪をキリストに背負わされた。全く罪を持たないイエス・キリストによってのみ、それだからこそ人間の罪は贖われたのである。断絶していた神様と人との交流を成し遂げて下さったのである。罪の結果である死より復活され、今は聖霊を送って下さっているのである。 神様の前に人は愛しい相手なのである。 大切な存在なのである。 但し、決して忘れてならないのは、まず神様を、イエス・キリストを崇めて感謝し、喜び、賛美して生活せよ、その下で世の色々な事をせよ、と言われているのである。 神様への祈り、感謝、賛美、喜び等は私に関しては人間の義務であると決めた。義務を怠れば責任を感じる。種々雑多な日常からハッと我に返り、神様の方に向き直る回数を多く持ちたいと願っています。 徳島県 |
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マルコ福音書7章20~23節 聖書講話
S.M |
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「イエス様は言われました。『人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。』」
人を汚す源泉は、人の心です。「悪い思い」は、すべての悪い行いの源です。私たちは、イエス様によって心の目を開いていただき、自分の心の中には罪があること、神様の律法に不従順であることを自覚させていただかなければなりません。なぜなら、聖書に次のように書いてあるからです。 「律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。」(ガラテヤ2の16) 律法に書かれているすべてのことを絶えず守ることは人間には不可能だからです。心の中で、盗み、殺人、姦淫、ねたみ、傲慢、貪欲などの思いを抱いただけでも、律法に違反し、罪を犯すことになるからです。 ところで、イエス様は、あなたがたはしっかり目を開いて、神の律法を守るように自分で努力しなさいとは言われません。むしろ、私たちが、自分は律法を守ることができない罪深い存在であること、自分の心には常に悪があることを謙虚に認めることを求めておられます。イエス様は言われました。 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9の13) また、聖書に次の様に書かれています。 「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」(Ⅰヨハネ1の9) なぜなら、イエス・キリストは十字架にかかられ、私たちすべての罪をあがなってくださったからです。そのことによって、私たちの罪は完全に赦されました。 「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても、羊の毛のようになることができる。」(イザヤ1の18) 「お前たちの罪が緋のよう」とは、おそらく赤色に染めたものを色を抜いて白くすることが難しいことから、人間の罪の根深さを赤色で表し、「雪のように白くなる」とは、その罪が完全に清められた状態を白色で表現しているのでしょう。このように、旧約において、既に福音が語られています。 そして、神の霊、聖霊が私たちに注がれるとき、私たちの心は聖霊の力によって清められます。私たちは、自分の力では逃れることのできない罪人であると自覚し始めたときに、聖霊は私たちの内にあって既に働かれています。そして、イエス様を信じ受け入れたとき、聖霊が私たちの心を清められます。そして、聖霊が私たちの内にあって、私たちを新しい人間に生まれ変わらせられるのです。これらは、私たちが気づかないうちに進められることです。聖霊が内に働かれ、神様の律法を自然に守れるように生まれ変わらせてくださいます。 旧約聖書に次のように預言されています。 「わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める」(エゼキエル36の25) さらに、新約聖書に次のようにあります。 「罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。」(ローマ8の3~4)
神様の律法の中で、最も重要な掟は、「神様を愛し、人を愛すること」です。律法は愛です。聖書に次のようにあります。 「人を愛する者は律法を全うしているのです。『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」(ローマ13の8~10) そして、この隣人に対する愛は、私たちに聖霊によって神の愛が注がれて初めて、実行できるものです。 「霊(聖霊)の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」(ガラテヤ5の22~23) ですから、私たちは、いつもイエス様を信じて、聖霊の注ぎを祈り求めなければなりません。イエス様は求める者に聖霊の恵みを約束してくださっています。 「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」 (ルカ11の13) 「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じるものは、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」 (ヨハネ7の37~38) 「生きた水」とは聖霊です。私たちの内から「生きた水が川となって流れ出る」時、私たちは真実に人を愛することができるようになるのです。聖霊によって神様の愛を受けて、人を愛することができるようになるのです。 大阪府 |
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天国への昇り道
S.K |
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私の七十七年間の歩み。羅列してみますと大凡、次のようになります。 一九四一年二月一日に生れてより、学業は、小中高であります。経験いたしました職業は、①ラーメン店の出前持ち。②社員食堂の調理師(集団給食)。③食堂の自家営業。④任意団体の事務職員。⑤建築板金業(主に鉄板類の屋根葺きとそれに関わる加工)の「手元職人」(以前は、ブリキ屋とも呼ばれておりました)。 こうしました中でイエス様からお招きをいただきましたのは二十二歳のときでした。そして、この文集との出会いは、二〇一四年に吉村孝雄様の「いのちの水」誌に長い同信の友からの紹介で読者に導かれております。それ以来、今回は寄稿四度目になる恵みをいただきました。 今年度の私の深い感銘を受けました聖句を主に新共同訳聖書より四箇所挙げさせていただきました。 ①「そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。』」 (ルカ10の21前半) ②「彼は答えた。『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい。』とあります。イエスは言われた。『正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。』」(ルカ10の27~28) ③「ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。」 (ルカ11の41口語訳) 「正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。」 (同11の42中程) ④「わたしはとこしえにこのことを語り継ぎ ヤコブの神にほめ歌をささげます。『わたしは逆らう者の角をことごとく折り 従う者の角を高く上げる。』」(詩編75の10~11) 以上の聖句は、私の所属しております「永遠の日本八王子聖書研究会」での私の聖句暗唱に選びました中より抽出いたしました。 私のように罪深き愚かだった者にとりましては一生大事な聖句であります。天国に昇っていきますのになくてはならないことを示して下さって有り難いです。聖霊のお働きは年が増えるごとに豊かにして下さっていることを感じております。 私も入信して以来、天からの受け身で(聖書によって)生きれるようにして下さり感謝と賛美は増しております。(特に、昨年の病気の体験は大きいです。) 人生、七十七歳にして、イエス様が十字架に架けられその聖霊によって生きれるようにしてくださっておりますこと痛感しております。ですから、神様が私を安心して天国に昇れるようにして下さると信じることのできる福音は霊肉ともども「神様・イエス様・聖霊様」が必ず果たしてくださるお約束は本当にありがたいの一言であります。 立川幸町 |
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み言葉
S.K |
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「4、愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず。高ぶらない。5、礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。6、不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、7、すべてを望み、すべてを耐え30る。8、愛は決して滅びない。13、それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(一コリント13章4~8、13節)
このみ言葉は何時も目に付く処に貼り自戒の言葉として口ずさんでいます。 |
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み言葉
S.M |
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「神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。 わたしは決して動揺しない。
お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。 亡きものにしようとして一団となり 人を倒れる壁、崩れる石垣とし 人が身を起こせば、押し倒そうと謀る。 常に欺こうとして 口先で祝福し、腹の底で呪う。 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。 神にのみ、わたしは希望をおいている。 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。 わたしは動揺しない。
わたしの救いと栄えは神にかかっている。 力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。 民よ、どのような時にも神に信頼し 御前に心を注ぎ出せ。 神はわたしたちの避けどころ。
人の子らは空しいもの。 人の子らは欺くもの。 共に秤にかけても、息よりも軽い。 暴力に依存するな。 搾取を空しく誇るな。 力が力を生むことに心を奪われるな。
ひとつのことを神は語り ふたつのことをわたしは聞いた 力は神のものであり 慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と ひとりひとりに、その業に従って あなたは人間に報いをお与えになる、と。」 (詩編62の3~12) |
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聖句から
S.K |
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「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。」
(イザヤ43の4 新改訳) そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」 (マルコ12の33)(鍼灸師) 徳島県 |
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今年の出来事から
T.Y |
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2018年を振り返ってみると、印象的な個所として、マタイ24章6~7節となります。特に、6月から9月にかけ、地震、台風、豪雨と、災害が多かったこともあり、多くの犠牲者も出ました。
時々、余震と思われる、地震情報が入るので、心配もあります。1日も早い復興を祈りたいものです。以下に、聖書個所を入れておきます。 「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。」 |
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御言葉
S.H |
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「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。被造物は神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく〝霊〟の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」 (ローマ8の18~25) |
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感謝
T.Y |
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感謝
自分にとってうれしい事があれば、満面の笑と共に感謝の心が自然と涌いてくる。ところが何事もないのに感謝するのは難かしい。何事もないのは「当り前」と思っているからだ。(①)
でも、よくよく見てみれば「当り前」を支えているものが見えてくる。 マルコの種まきのたとえに(②) 〝あるものは良い地に落ち、のびて育って〟とあるが、 自分は良い種だから支えられるのは「当り前」と思っている。 支えている〝良い地〟のことをすっかり忘れている。 〝良い地〟は耕したり、水をやったり、雨、風、虫… 人間の力では想像できない位、様々なことがあるはずだ。 自分にとってはうれしくない事もある。 〝どんなことにも感謝〟の心を忘れませんように。(③) 引用①「いのちの水」誌六八六号 聖書における「感謝」 ②マルコ4の3~8 ③一テサロニケ5の18 |
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聖句2018
T.H |
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申命記8章2~9節「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。
人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。 あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。あなたの神、主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。それは、平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と密のある土地である。 不自由なくパンを食べることができ、何一つ欠けることのない土地であり、石は鉄を含み、山からは銅が採れる土地である。あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい。」 徳島県 |
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T.M イラスト | |
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せい書のお話
T.Y |
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ぼくは、せい書のお話で、「二ひきの魚と五つのパンのきせき」を 聞きました。
おおぜいの人のごはんがいるのに、ぼくのような子どもが、二ひきの魚と五つのパンしか持っていなかったので、みんながっかりしたそうです。でも、イエスさまが、かみさまにおねがいして、いのりをささげました。みんな、がっかりした人たちは、かみさまの力をしらなくて、でもイエスさまは、かみさまはなんでもできるとしんじていたのです。かみさまは、イエスさまのおいのりをきいてくれて、みんなが食べれました。そして、まだ食べ物が12このかごからこぼれるくらいあまりました。またお話を聞きたいです。 (小学校3年生 9さい) |
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三十六年振りの出会い、主の御祝福に感謝
T.Y |
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「あんたらは悪くない。向こうから突っ込んで来たんや。助けるのはこっちが先や。」聞き慣れない誰かの声だ。私は咄嗟に交通事故に遭ったことを察知した。消えつ戻りつする意識の中で手術台に乗せられた。その時見た電灯の明かりが、私が見た最後の光となった。
私はその時23歳。それから早40年が過ぎた。様々なことがあった。見えないことを受け留めるのに6年もかかった。ようやく、見えても見えなくても同じと思えるようになり、「私も結婚して子を産み育て幸せになりたい。」と思えるようになった。 そして、良き伴侶が与えられた。今、京都で27歳と30歳の息子に恵まれ、97歳の義父と暮らしている。義母は3年前にグループホームに入居し、専門のケアを受けながらのどかな日々を送っている。 私たちの結婚生活を傍らで見守り続けてくれた義母が80歳を過ぎた頃から認知症を発症した。小さな存在にされていた私を受け入れてくれた義母。今度は私が小さくされている義母を受け入れる番だ。もし、義母が私だったらと、考え関わったつもりだ。毎週木曜日に義母を囲む交わりを開いた。友達を招き、「讃美歌を歌う会」、「唱歌を歌う会」、「絵本の読み聞かせ、素話の語りを聞く会」等を開き、一緒にランチやお茶を楽しんだ。しかし、義母の介護が8年を過ぎた頃、私の頭に大きな円形脱毛症がいくつもできた。心身の健康を整え、保つために何かをする必要を感じた。昔学んだことのあったヨーガをしたいと思った。 日本のヨーガは京都が発生の地。きっと近くで習えると思った。なんとか見つけることができた。私が出会えたヨーガの先生は82歳の女性で、ハタヨーガ、一筋にこられた方だ。先生はすぐに我家に来てくださり、手取足取教えてくださった。その上、見えない私の不自由さを思い、「何かしてほしいことがあったら何でも言いなさい。私がここに来ている時はそのために目が見えているんやから。」と言われた。私はこの先生にのめりこみ、先生から免授されたヨーガを毎日するようになった。先生は高齢者の健康と生きがいを目指す団体の京都支部のヨーガサークルも指導されていた。いつの間にか私もそのヨーガにも参加するようになっていた。そこに行くと90歳を超えた耳の遠い男性Hさんが、いつも私のところに来て肩をたたいて「あんた、よう来たなあ」と声をかけて歓迎してくれた。 このヨーガサークルで私の拙い手記「音しずく」が先生の推薦で回し読みされた。すると、あのいつも私を歓迎してくれるHさんが「これは昔自分がその現場に行き遭って助けた娘だ。場所と日時が記録していたのと同じだ」と夫人にうちあけた。 夫人から先生に、そして、先生から私にそれが伝わってきた。 私は驚いた。すぐには信じられなかった。とにかく、Hさんと先生と私の3人で会った。Hさんは事故当日の話を詳しく話してくれた。 「夕方、宝塚と篠山を繋ぐ道路を車で走っていたら、突然後ろでものすごい大きな音がした。事故に違いないと思い、道を引き換えし、現場にかけつけた。自分は戦争や仕事の関係で負傷者の応急処置の仕方を身に着けている。このまま車の中に置いてはおけないと判断し、同乗の部下と3人であんたを車からおろし、道路脇の田んぼの畔に寝かせ、気道を確保した。どうしても空けられない仕事があった。通りすがりの車に病院への搬送を頼んで先を急いだ。あの時自分が病院に搬送できなかった事がいまだに悔やまれ、あの娘の幸せを毎日仏さんに手を合わせて拝んできた。これで胸のつかえがやっととれた。お礼なんか何も要らん。お礼したらあかんで。神さんにお礼を言うといたらそれでええねん。」 私はあの事故の時に聞いた声をはっきりと心に刻みつけてきたつもりだ。あの時のあの頼もしい声に違いないと思ったが、もう36年も過ぎてしまい、今となってはその確証はない。私は記憶をたどり何度も思い起こした。 確かにあの声だ。言われていることも事実だと。ただ、私の記憶では事故は夜と思い込んでいたが、よくよく振り返るとあの事故はHさんの言われた通り夕方だった。Hさんは本当に私をあの時に助けてくださった方だとの確証を得た。Hさんが私の幸せを祈ってくださっている真実の思いと、私もあの事故の時に助けてくださった方に一言お礼を言いたいという双方の思いが、ヨーガという空間の場で結びついたのだ。 この奇跡を人はどう思うのだろうか。人は私の失明を哀れと思う人もあるだろう。この失明が私にもたらしたものは忍耐強さであり、修練であり練達である。そして、神様を信じ愛する神様讃美の世界だ。 「感謝」を人生の鍵に持った私に与えられた大きな恵みの一つがこの奇跡の出会いであった。私は神様に更なる感謝を捧げ、この翁H氏と竹下の両親の健やかな老いの日々を祈っている。
「艱難をも喜んでいる。なぜなら、艱難は忍耐を産み出し、忍耐は練達を産みだし、練達は希望を産みだすことを知っているからである。そして、希望は失望に終わることはない。なぜなら私たちに賜わっている精霊によって神の愛が私たちの心に注がれているからである。」(ローマ5の3~5) |
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全能の神を信じること
T.R |
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主日礼拝での学びで、「どんなに人間の目に不可能とうつることがあっても、神は全能のお方だ。不可能はない。」というメッセージが心に残りました。
列王記 下 4章43節「エリシャは再び命じた。『人々に与えて食べさせなさい。主は言われる。『彼らは食べきれずに残す。』」』」とあります。エリシャは、主の言葉に完全に信頼して、このように言いました。神は応えて下さいました。言われた通りになったとあります。
完全に神さまに信頼して、全能のお方だとどんなときでも希望を持つ。神の道に添って、思いきった決断をしたとき、必ず道を備えてくださる。このことを信じていつも思って、生活していきたいです。 (徳島県鳴門市) |
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神様のみ言葉を中心にしていけますように!
T.K |
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主の御名が『聖』とされますように!
心は一つ どんなに近くにいたとしても、 互いが自分のことしか考えていないなら 心はバラバラ。 どんなに遠く離れていても、 わたしたちの心の中に相手がいて、 相手の心の中に私たちがいるなら、 わたしたちは一つです。 (心の深呼吸より)
日曜集会で第一週目は今、フィリピ書を学んでいます。先週の所はフィリピ4の1~7でした。 「主において常に喜びなさい」とすべての土台となる主イエス様にあって一つの集会の中で主にあって心を一つに合わせあうことは本当に大切なことだと改めて思いました。 そして、「どんなことでも思い煩うのはやめなさい。すべてのことにおいて、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和があなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」と書いてあってどんなことでも神様にもっていくならば神様にある本当の平安をいただける恵みに触れ、自分一人で色々考えても複雑になってしまったり、不安になってしまったりすることもしばしばありますが、忍耐強く憐み深い神様は、信仰から離れないで生きるように一人一人優しく見守って下さって、今も、その時々神様はみ言葉を思い起こさせて下さったり、霊的に実感させてくださっていることに、心から感謝します。 また、時々参加させて頂いているスカイプの夕拝では、今、ヨシュア記を教えて頂いていますが、その時に、ここでは契約の箱、神の言葉を神聖なものとして、一番にしていくならば、「一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道は分かる」と神様のみ言葉を前にして歩くならば道のないところにも道がひらけ不思議と離れたところで止まって悪の力が入らないようにされていることを学んで、日曜集会や夕拝によって、また、お祈りも、聖霊様によって私たちが神様のみ言葉を少しでも、わかるようにさせてくださっていて、み言葉によってこの世の悪の闇をせき止めていて下さるイエス様に神様に支えていただいて今があることに気づかせていただいて、希望が与えられました。こうして聖書を学ぶ機会を与えられて、力が与えられ、そのことを思って生活できることは喜びで感謝なことだと実感しました。 キリストの死によって救われたこと、キリストの真理こそがすべてを救うことができることを私もいつも思って生きたいと思いました。 そのことを、日々思って、最後までこの恵みにしっかり踏みとどまれるよう、主イエス様をしっかりと仰ぎ見て、同じ集会でも、遠く離れていてもお互いに主につながる兄弟姉妹と共に祈りあい天国まで導かれていきたいと願います。 (仙台市) |
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「イエスの証人」
T.H |
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敬愛する友は10年程前に「ガン」で亡くなった。小学校の教師生活最後の年だったようだ。奥様からの連絡が入り、弘前から東京へ向かった。彼との出会いは、東京の無教会今井館での「初心者連続聖書講座」であった。もう35年程前になる。私は讃美歌を忘れ、彼が自分の讃美歌を私の前にもかざして二人で歌った。帰途、「少し話しませんか」と彼のほうから、話しかけてきた。彼はある教会の信者だったが、疑問を感じて、今井館の連続講座に参加したのだった。矢内原忠雄の名前を知っていてその関わりで来たらしい。話好きで明るく透明感があった。そして内面は、奥様は「夫はガラスのような壊れやすい繊細な神経の持ち主でした。人の頼みは断らず自分があとで困るようになっても引き受ける人でした」と。養護教諭の始めのころ、パワハラに遭い、うつ病になり、奥様が気づかなければ危ないところだった、と本人から聞いた。
駅のホームでも話は続き、彼は向かい側のホームなのに私と一緒に私が乗る電車を待っていた。何を話したのか忘れたのだが、ただ一つ「天国(神の国)は本当にあるのですか」と私は問うた。「祈っている時、清らかなものが流れ込んでくるのを感じるのです。それならば、そのような世界がきっとあるのに違いない」と彼は言った。「天国(神の国)は本当に有るのかもしれない」、私はその時思った。奇妙な非日常的感覚だったろう。 私のキリスト教との具体的出会いはその最初に、言わば「天国(神の国)の証人」との出会いによって重しを置かれた、と言えなくもない。当時私は29歳だった。26歳の時に一冊の本(大塚久雄著)(*)によってキリスト教を知った。 (*)1907~1996 経済学者。内村鑑三から信仰を学ぶ。東京大学名誉教授。日本学術会議会員。岩波書店から著作集13巻が刊行。(編者注) それから3年あまり、ただ一人で聖書を読み、自己流で祈っていた。日記でその3年あまりを振り返ってみると、救いの力を求めて(信仰的、また世俗的)、マタイ福音書を繰り返し読んだようだが分かるはずもなく、自分の中だけでの自問自答の繰り返し。その中にあって、ポツンポツンと3回だけ短く連続講座の3人の講師の名前が記されている。郷里へ帰るべきか否かの決断を迫られていた、若者には有る「疾風怒涛の内面の時」。そのあふれる多量の感情的な言葉の奔流の中で、振り返りみれば、今につながっている小さな確かな流れがポツンポツンと離れ小島のように記載されていたのだとも言える。短くたんたんと。その中にただ一か所例外的にまとまった一文があった。 「5・13・木。私は大塚久雄の信仰を信じる。彼はイエスの証人である。 私は神の言を聞いたというA氏(連続講座の一人)の体験を事実だと思う。彼のその後の行動の結果は、その体験が事実であったことを証明しているように思う。 私は、Bさん(駅での彼である)の体験とそれからの類推による天国の確信を彼の言動によって事実であり、正確な推理であるように思う。以上の三人の人がイエスの証人であり、私が信仰を求めるに際して拠って立つ出発点であり、ほぼ信じ得る土台としての事実である。」 自分でも忘れていて全然思い出せなかったこの一文が示す規制力が、信仰に留まる命綱としての力を実際どれほど持ったのかは、今ではもう分からない。 私は連続講座終了後に、郷里青森の弘前に帰った。彼との交わりは短かった。数年して、東京に出る機会があり、思い切って彼の自宅を地図で確認しながらやっと辿りついた。彼の母は社宅の管理人をしていて、その社宅に彼も住んでいた。彼はネフローゼという病気で、大学を卒業してからなのか、療養生活を余儀なくされ、「思いがけなくよくなって」、それから教職の資格を取ったようだ。 玄関に出てきた彼はわたしの顔を思い出せなかった。わたしは別段がっかりもせず、名前を告げると、彼は驚き、それから大げさなほどに喜んでくれた。1時間あるいはもっと話しただろうか、話は尽きなかった。ふと、彼は言った。「実は、婚約者が来ていて母の部屋にいるのです。」私は驚き、はるばる訪ねてきた私のことを思って、長い時間婚約者を待たせていた彼のあいかわらずの優しさに感じ入った。二人は結婚して「ねぎ坊主タイムズ」と言う月刊報告を出してわたしにも送り続けてくれた。 ガンの発見は、医者がネフローゼに注意が行って遅れてしまったようだ。分かった時は末期だった。奥様の話によると、最後の卒業式には出たいということで、無理に登校してクラスの子供たちとワイワイ騒いで後、自宅に帰ってそのまま臥せってしまうことになったようだ。 亡くなる何日前だろう。電話が来て「最後までお付き合いください」と彼は言った。 (青森県弘前市) |
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恐れるな、主は共におられる
T.M |
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母は誤嚥性肺炎となり、絶飲食の十日を高熱と200近い脈拍が続くという人生最後の急坂を越えて天に召された。猛烈な台風24号が未明に通過した10月1日の晩に天に召された。最後の苦しい時を母一人にしないようにと昼夜交代で最後の十日を兄弟が見守り続けた。母の最後の苦しみを共に過ごす体験を通して、祈りと讃美が力になり平安を与えていただけることが深く心に残った。
祈りの力1 ―祈りの友からの祈りに感謝― 祈りの友が青のきれいなツユクサとアサガオの花の写真と共にお祈りをメールで送って下さった。私はその祈りの言葉を書き写して母の枕元に貼った。その言葉で、いつも祈りの心を持って母と過ごすことができ、遠くにあっても友が母のことを祈っていてくださることを感じることができた。 「みこころならば癒されますように 復活の主が、百合子さんのうちにいて下さいますように 平安に包まれていますように お祈りします」と。
祈りの力2 ―アーメンと言える幸せ―ー 母を何年も診続けてくれた鍼灸師のSさんはクリスチャンだった。施術の前に、いつも母の足下で「主の祈り」を献げ、そして自分の言葉で祈って下さった。病気の苦しみが襲い始めて言葉を失っていた母だったが、鍼灸師のSさんが主の祈りを「御国も、力も、栄光も、永遠にあなたのものです。」と祈り終えるとすかさず「アーメン」とはっきりした声で母は言えた。Sさんが自分の言葉で祈って下さった時も、「アーメン」とあまりにはっきりとしっかりした母の声に私はびっくりした。 苦しみの中にあっても、祈りにより聖霊が母の霊に力を与えてくださり、意識も声もはっきりさせ、「アーメン」と言えるようにしてくださった。私はその時、イエス様を神様と信じられたことの祝福を感じ、感謝の気持ちで一杯になった。
讃美の力 ―「主われを愛す」の讃美を通して― 誤燕性肺炎のため絶飲食となって八日目。言葉を掛けても、体力もなくなって返事も頷きも出来なくなり、ただ荒い呼吸で高熱に耐えている母だった。少しでも心が安まるようにと、私と妻と娘の3人は枕元で讃美歌を歌った。母が好きだった讃美歌を何曲も歌い続けたが、母は目をつぶり、荒い呼吸は変わらず横になっていた。それでも、聴覚は最後まで残り、母の耳と心に届いていることを信じて歌い続けた。そして、「主われを愛す」を歌っている時だった。それまで目をつぶり、横になっていた母が、目を開けた。頭を起こして、「主われを愛す」を歌う私達をじっと見つめている。力強い母の注視だった。苦しみの中にあっても母の心の底に讃美が届き、声に出しては歌えなくなっても心で私達と一緒に歌っていた。高熱と頻脈と荒い息の苦しみの中で、母は主イエス様に心の向きを変えることができていると思った。
恐れるな、主は共におられる 母が天に召された10月1日の未明には猛烈な台風24号が関東を通り過ぎていった。ちょうど台風が通過している真夜中に、私は母を側で見守り続けていた。その時台風で気圧が下がるためか、猛烈な風雨が窓ガラスを打つ不穏な物音のためか母は時々うなされた。あまりに苦しそうなうなり声なので、私は母の手を握り母の頭を優しくなでながら声を掛けた。「大丈夫だよ。一人じゃないよ。一緒にいるから安心して。イエス様も共にいてくれているよ」と繰り返し静かに耳元で語り続けた。 しばらくすると、母はうなるのを止め、顔も穏やかに「スースー」と静かな寝息をたてて寝ていた。体調がどんなに苦しく大変でも、家族に見守られていることや「イエス様が共にいてくださる」ことに気づく時、不安や恐れは消え失せて、心は平安で安心となり、落ち着いた気持ちになれるのだと思った。 死を前にして恐ろしさと不安、苦しみでイエス様を見失いかけても、祈りと讃美の力により心の向きをイエス様の方に変えることができる。「イエス様が共にいて下さること」を思い出して、心と霊は平安で満たされる。キリスト教の信仰を持てた幸せを感じている。 千葉県市 |
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心に残る聖句
T.Y |
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「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18の20)
(主婦) 徳島県 |
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「造り上げる」言葉
T.M |
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毎日何気なく使っている言葉。毎日人の批判や、愚痴ばかりでは、心が塞がれる。
世の中の暗い部分ばかりみてため息ついていると深くて暗い心に沈んでいく。 数年前に徳島日曜礼拝のスカイプ礼拝でコリント信徒への手紙を学んだ。その中の「造り上げる」という聖句を取り上げて詳しく説明して下さった時期があった。それ以来、その「造り上げる」という聖句を生活の中で、折々に思いおこす。発している言葉や行動が「造り上げる」ことになっているのだろうか、と。 自然の移り変わりの美しさ、神様が与えて下さった恵み、地上の別れがあっても天での再会があると信じられて言葉にする時に心に力が湧いてきて造り上げられたと感じられる。 何気なく発する自分の言葉が他の人も自分をも造りあげる言葉でありたいと思った。 昔、母が紙の端に聖句を書き、しおりにしてプレゼントしてくれた。「優しい舌は命の木である」(箴言15の4)と書いてあった。母の生きる姿勢だと思い、きっと私に足りないところだったと思う。 「口から出てくるものは、心から出てくるので人を汚す」(マタイ15の18)とあるように、心が清められますようにとの願いをお祈りしています。 千葉県 |
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大家さんと僕
T.K |
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「大家さんと僕」普通の本それも漫画ですが、読みながら引き込まれ、本当にほのぼの、じーんと心が温かくなりました。
作と画はお笑い芸人の矢部さん。矢部さんが87才の一人暮らし大家さん(女性)の家へ下宿するお話。大家さんは一階、矢部さんは2階、年齢も体力も生活サイクルも価値観も食べる物も遠く異なる二人が縁あって同じ屋根の下に暮らすことに。様々なハプニング(大家さんはハプニングとは感じていない)を経ながら次第に信頼を深め支え合う関係となり善い隣人関係を築いてゆきます。大家さんは小柄で上品、少女のような素直で純真な心を持った老婦人。「ごきげんよう」と穏やかな言葉で矢部さんを送り出してくれます。片や矢部さんもお笑い芸人としてはちょっと不器用(?)人を押しのけて前へ出るタイプではない優しい純粋な若者。最初は大家さんの言動に戸惑ったり反発したりするものの徐々に大家さんの純粋な率直さと優しさ可愛らしさに心動かされ距離を縮めてゆきます。 どちらが別人でも成り立たない二人の不思議な温かい交流が矢部さんの優しいタッチの絵でユーモラスに描かれ時にじーんとくる場面もあり最後まで一気に読ませてくれます。自然と笑顔になる作品です。 私も大家さんの二階に下宿したいと思いました。でもそうではなく私もこの大家さんのように愛をもって人に接したい、と思わされました 大家さんはこの夏亡くなられたそうです。 「大家さん、ありがとう。ごきげんよう」 |
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神様の約束
「一度も通ったことのない道を通るが行くべき道はわかる」 T.E |
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「契約の箱との間には約二千アンマの距離をとり、それ以上近寄ってはならない。そうすれば、これまで一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道は分かる。」(ヨシュア記3の4)
夕拝の学びで心に残ったこと。先頭には神の箱。 契約の箱には神のみ言葉が入っている。二千アンマは約九百メートルだそうだ。これだけの距離を離れて付いて行けとある。 この霊的な意味は新約に通じ、み言葉が聖とされるように、分けられるようにとの意味で距離をおいている。 この道とは神様への道。私たちがイエス様を信じたら行くべき道を聖霊が教えてくれる。 最も深い厳しい道を行ったのはイエス様。私たちも主が備えてくださる一度も通ったことのない道を信じてひとすじに天に向かって踏みしめて行きたい。 このみ言葉の学びから思い浮かぶ讃美がある。 私はどう進んでいったらいいかわからなくて途方にくれそうになることが起こる。でも、主の道はそこに主のご意志がなされるとあるのだから、ただただ主を信じ主が備えてくださる道を一筋に信じて生きていきたいと願い祈りをこめて讃美していきたい。
わが行く道 いついかに(新聖歌301番) 1 わが行く道いついかに なるべきかはつゆ知らねど 主は御心成し給わん (折り返し) 備え給う主の道を踏みて行かん一筋に 2 心猛くたゆまざれ 人は変わり世は移れど 主は御心成し給わん (折り返し) 3 荒海をもうち開き 砂漠にもマナを降らせ 主は御心 成し給わん (折り返し) (鍼治療院 天宝堂) 徳島市 |
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我が家に来た居住者
T.K |
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昨年から、夫が天に帰り、今年には愛犬が若死にした。私から離れて行くものばかりだった我が家に新しい居住者が来た。
我が家に絵画なる物は一枚もなかった。ましてや聖画などは、せいぜいカレンダーの聖画ぐらいだ。それが北海道に住むO画伯から戴いた、マタイ5章15~16節をモチーフにした絵画。それは集会をしている部屋にかけた。ともしびちゃんと名付けた。今の私に最も近しいのは、エルちゃんと名付けた。「入場」と題されたイエスが子ロバに乗ってエルサレムに入る絵画だ。そこにはとても力強いイエス様が描かれている。イエス様がとても力強いのです。何処に飾ろうかと思った時に、クリスチャンでない人が来て多くの時間を過ごすのはダイニングだ。そこに飾ろうと決めていたが、人にも私にもより目につく玄関に飾る事にした。そこには既に以前から夫の物である虎を掘った額がかかっていた。迷ったあげくエルちゃんと取り替えた。それがとても良かった。居間にある夫の絵に声などかけないけれど、玄関にかかったエルちゃんに、「散歩よ」とか「集会に行くよ」とか「買い物だよ」とか。「帰ったよ」とか声をかける。「フン。フン。」と言ってくれているように思うし、「ガンバレヨ」と声をかけてくれているように思う。やはり思い切って玄関にかけて良かった。人に言う前に私が力付けられている。この絵画に描かれているようなちいろばよりもっと小さい私でも神様が用いて下さいますように。 三枚目は創世記22章6節の箇所、「モリヤの山」と題された絵画。アブラハムがイサクを献げる為に登った山、そこは主が備えて下さる事を示されるので「イルエ」ちゃんと名付けた。集会の部屋にかけられたともしびちゃんはお引っ越ししてダイニングに。イルエちゃんを集会の部屋にかけよう。 三枚の絵画がそれぞれの部屋で神様が豊かに豊かに用いて下さいますように。 徳島県 |
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聖句
N.S |
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「主において常に喜びなさい。
重ねて言います。喜びなさい。 主はすぐ近くにおられます。 どんなことでも、思いわずらうのはやめなさい。 何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。(フィリピ4の4~6) |
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生きて働く神
N.N |
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その1 信友のAさんとの会話。「娘が鬱状態になって、やっていることといったら、ケイタイばかり。困ったものだと思っていたら、実はマザー・テレサの本や、生き方の本を探していたのだった。そして、わたしに、こんなことが書いてあった、と見せてくれた。」
私は、そのとき丁度手元にあった「心の貧しい人は幸い」の手製のカードを差し上げた。その内容を説明し、「娘さんは真実なものを求めていたから、神様に喜ばれて幸いです」と話すと、その友の目が大きく開いて「これ、わたしの言葉になった」と喜んだ。 その2 旧友のBさんは姑さんと不仲だった。姑さんがクリスチャン(教会)と知ってからキリスト教が嫌いになった。姑さんが息を引きとる前、Bさんに謝ったという。それでBさんはほっとしたという。死の間際に、クリスチャンの姑さんが先に謝ることが出来た。神様に赦されて穏やかに召されたのではないかと思う。 その3 熊本の大地震の時、テレビを見ていたら、救出された女性が「わたしはクリスチャンなので、聖書の箇所がいろいろ浮かんできた。」と語っていた。 極限状態の中でみことばが支えてくれた、という事だ。御言葉の力は凄い。それをマイクで語られた女性も凄い。 「弱い時にこそ強い。」(二コリント12の10) 八王子市 |
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み言葉
N.T |
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「父がわたしを愛されたように、わたしもあなた方を愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守りその愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。」
(ヨハネ15の9~10) 「人よ、何が善であり、主が何をおまえに求めておられるかは お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。」(ミカ書6の8) 徳島県 |
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一滴
N.Y |
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ひとりの悲しみの涙なんて
海の一滴より小さい それをキリストは じっと みつめてくださる 「イエス様の手」詩集第二十集(貝出久美子さん)より
ちょうどこの詩に出会ったころ、迷い出た一匹の羊を探しに行く羊飼い(マタイ十八章)のことを考えていました。日頃は数学を教えていますので、一は一でしかなく、たいていの場合、それ以上の特別な意味を持っていません。単位があることもまれです。たいていは量的な意味で扱って、九十九に比べて十分に小さいものと言えます。しかし「その一匹が迷い出たとすれば、…迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。…アーメン、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう」。と言われるところに、一が一気に出世している様子を、一の劇的な昇格を見るようです。神様の目には一は大きな意味を持つ、というよりも一の特別扱いされることを改めて考え味わっていました。「これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」なんという法外な恩寵!一の平凡さを思えば思うほど、驚きは増すばかりです。 先の「一滴」の詩に、同じインスピレーションがわきます。一滴の、なんと尊いことでしょう。大海の無数の水粒の中でそれよりも小さいような一滴がこれほどまでに見つめられるなんて! |
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いつも喜んでいなさい。
N.H |
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「いつも喜んでいなさい。」というみ言葉を日々の糧として歩んできました。
日常生活の中で喜べないことが多いからこそ、このみ言葉に従って、この人生を楽しく豊かに生きたいと願いました。 日ごとの出来事を主を通して受けると、すべてに意味があり一日一日が有意義なものに変えられます。意に沿わない事が起こっても、主が必ず、この局面を良きにしてくださると主を喜ぶと自分の中に神様のエネルギーが流れてきて、全て主にゆだねることができ、捕らわれから解放されます。 私たちは神様の目的に向かって、日々生成されていて、すべて神様の許可なしに起こる事はないのだと信じています。起こる事すべてに意味があるのだと分かってきました。様々な困難が起こってもその向こうに光が見えます。 見える、聞こえる、歩ける、指が動く、考えられる、笑える、声が出る…神様に創られている私たちは際限ない恵みをいただいています。 宇宙も地球もこの私も、秩序の中に保たれていて、持ち運ばれています。 自分はダメかもしれないと、自信を喪失する事も毎日ありますが、上を向くと、神様からの光が入ってきます。 倒れそうになる時、主がそばにいて励ましてくださいました。 すべてが主のものなので、主がご自由にされて当然です。でも私たちの主は、愛なので、愛ですべて取り扱ってくださいます。私以上に私の事も知っていて、お任せしても大丈夫なのです。罪を自ら引き受けて、私たちの罪を赦してくださる主は最高、最善に良きお方です。 この神様を信じて、これからも、「いつも喜んでいなさい」というみ言葉に従い、日々、喜び、感謝して生きていきたいです。(有限会社マンナ在宅支援ミルトス ケアマネージャー) 徳島県 |
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台風24号の被害に遭って
S>M |
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9月29日の深夜23時頃、台風24号の強風により、我が家は停電となった。ちょうどその日、清水区内に住む5人の兄弟が順番で100歳の母を介護し、我が家がその当番であった。母がトイレに行こうとベッドの横に立った瞬間に停電となり、一瞬の内に家中が真っ暗となった。余りのタイミングの良さに驚いた。トイレに通じる廊下にはセンサーで作動する懐中電灯が2つ置いてあるものの、人が近づかなければ点かないため、家の中は全て光を失った。「ちょっとこのまま待っていて、停電になったので懐中電灯を持ってくるから」母が心配しないよう冷静さを装い、ゆっくりと説明し、手探りして懐中電灯を確保し、母の元へ急いだ。ベッドの横で灯りをつけたものの、明かりの弱さにがっかり。母がトイレに行く度に懐中電灯を持って誘導しなければならないのか…今晩は寝られないと諦めた。それでもと気を取り直し、何とか灯りを確保しようと、電灯を天井に向け悪戦苦闘している最中、停電が復旧した。
朝起きて外に出れば、家の前の神社の小枝が散乱し、道路の上を埋め尽くした。朝食を済ませ、妻と二人でせっせと掃除をすると、八つのごみ袋に何とか納まった。車庫の自動車も、神社の葉がびっしりとばりつき、洗車しても中々きれいにならなかった。その原因は、偏西風に乗った駿河湾から吹いた風が、塩も運び、葉っぱが塩で付着したためだった。 この台風により、翌日の聖日礼拝を中止とした。東海道新幹線、在来線は運休、国道一号線バイパスは、海岸近くを走る由比・蒲原付近を中心に通行止めとなったためである。私の記憶では、台風による礼拝中止は初めてのことであった。 その後、台風に関連した情報が次々飛び込んできた。近所のミカン農家は、収穫間近の早生ミカンの皮が傷ついて商品価値が下がらないよう、急遽10人の人を頼み100本の早生ミカンの収穫作業を1日で済ませたとのこと。また全国ニュースで、浜松市を中心に静岡県全体で最大時70万弱の世帯が停電したこと、中部電力はOB職員の応援を頼んだものの浜松市を中心に復旧までに4日間を要したこと、信号機の停電により12件の人身事故、内、数名が入院したとのこと、等々。私の記憶では停電が4日間も続いたことはなく、光を失った生活は、想像できない多くの不便があったことを思うと、電力会社の日頃の停電防止対策の軟弱さに目を向けたくなるのは自然であろう。それほど電力会社の仕事は、国民生活に直結する大切な公務を担っていることを改めて認識していただきたいものである。 一週間後、停電に備え懐中電灯を少し増やさなければと思い立ち、電気店に足を運んだ。懐中電灯の棚は、選ぶ必要もない程に品数が少なく、早々、二点を手に入れた。ついでに電池式トランジスタラジオを求めたが品切れ状態で、「納品は半年後の来年4月です」と言われたが、注文し帰宅した。我が家の自然災害の備えの遅さをつくづく感じたと同時に、他の家庭の反応の速さに感心させられた。 電気製品があふれ便利になった今日、私たちは、その便利な日常生活に慣れきってしまい、ひとたび停電が発生すれば、如何に不便な生活に陥るか、改めて教えられた。光の世界から闇の世界へ突き落され、光のない世界が如何に恐ろしいものか、まざまざと実感させられた。 「シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」(ルカ13の4~5) このイエスの言葉は、自然災害に直面した人々だけでなく、全ての人々に向かって発せられている。対岸の災害ではない。誰もが同じ被害に遭うことを教えている。被災者の死や怪我、苦しみ、悲しみを自分のものとして受け止めなければいけない。明日は我が身である。 更に、近年の酷暑、集中豪雨、スーパー台風の発生と上陸する数の多さなどは、全て地球温暖化が原因と言われている。地球温暖化を防ぐため温室効果ガスの排出量を実質ゼロにするように削減目標を決めたパリ協定には、世界のほとんどの国々が参加している。そんな中、トランプ大統領率いるアメリカ合衆国のみが、昨年6月パリ協定から脱退した。アメリカ第一主義の選挙公約を貫き、自国利益を優先する姿勢は止まることを知らない。この考えは、イエス・キリストの真理に真っ向から反している。世界中の国々と共に歩まなければ、地球の未来はない。地球温暖化防止は待ったなしの世界各国共通の問題である。 今日、増大する自然災害は、神が我々人類に対する悔い改めの機会を与えている。自然災害の背後に、我々の悔い改めをじっと待っておられる神の愛が隠されていることを覚え生活したい。 (無職) 静岡市 |
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一年の恵み
N.Y |
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最近、利用者さんに「中川さんは福々しい顔して、幸せそうやなぁ」と言われました。そんな風に周りの人に見えていたなら嬉しいなぁと思いつつ、「はい、とっても幸せです」と答えました。何人かの人と、今までの人生でいつの時期が一番幸せだったかという話になると、迷わず「今」と言っています。神様がいつも共にいてくださるので、本当に幸せです。明るく幸せに過ごしていることで、出会った人にその喜びが伝わっていけば、より一層幸せな気分になります。
ある会合に一緒に出ている人がいました。その人は最初、私を見てしかめっ面でした。何もしてないのに何かにつけて怒った態度なので困りましたが、そのことも神様に委ねて感謝することにしました。ある時、聖書の言うとおりにするのが一番と思って、その人の為に祈りました。すると、次の会で会った時には私に対する態度が今までと180度変わっていて、あまりの変化に本当に驚きました。相手の人も明るく優しくなれた自分に嬉しそうに見えます。私もそのことが嬉しいです。神様、何でこんなに早く聞いてくださったのですか?以前は何年祈ってもなかなか状況が変わらないことが沢山あったのにと思わず尋ねました。でも、その昔の体験も、神様が私に与えてくださった大事な時期で、その経験があるから今の自分があって、今の仕事ができるのだと今ははっきり理解できて感謝しています。 今年は仕事の資格を取る為に研修を受けて、苦手なグループワークにも取り組まなければなりませんでした。小学生の時に躓いてから未だに苦手なグループワーク。それもこの年になったのだから、そろそろ神様と共に乗り越えなければいけません。今やらないと、いつできるようになるの?と思いながら、自分なりに頑張って、祈りながら神様と一緒に取り組むことができました。苦手なことも一つ一つ、神様に委ねて、感謝して。失敗したと思っても、また委ねて、そのことにも感謝して。そうして数カ月の研修が終わる頃には沢山の人と知り合って仲良くなれて、励ましあえました。「私の価値観はキリスト教」だと多くの場面で言うこともできました。ずっと課題だったことが、一つ乗り越えられて新しい自分に出会えたことは大きな喜びです。 また、今年は森祐理さんと行く「イスラエル歌の旅」にも参加できました。行く前に少し体調が悪かった時、こんなので参加できるかな?と祈っていたら「丈夫な人に医者はいらない。いるのは病人です。」というみ言葉が浮かんできて、弱いからこそイエス様に会いに行くのだと、安心して参加することができました。そこでも多くの人とイエス様を中心とした素晴らしい交流をすることができました。まるで生まれる前にいた天国に帰れたような気持がして、生き生きと過ごすことができました。3月にはその森祐理さんのコンサートを私たちの集会でも主催して行う予定となっており、私たちは今祈りつつその準備をしています。それらの一つ一つにも神様が共にいて働いてくださっています。このコンサートでも何か霊的に素晴らしいことが起こるに違いないと信じて感謝しています。 私たちに起こることは「快」ばかりではありません。いつも自分の思い通りの場所で思い通りのことができるわけではありません。解決しなければいけない問題は山積みで、嫌だったり、辛かったり、出来なかったり、間違ったり、弱かったり。でも、そんなただ中にイエス様が来てくださるように祈り、決して自分の力ではなく、一つ一つの出来事を通して乗り越えさせてくださるイエス様のお力を信じて、感謝するとき、イエス様が新しい力を与えてくださり、新しい自分に出会わせてくださるのです。そして人間の狭い小さい願いより、神様が備えてくださったことの方が、困難でも数倍意義ある幸せな道であると教えてくださいます。そんな時、何物にも代えがたい、深い幸せを感じることができます。一年間の神様の恵みに本当に感謝です。 (ケアマネジャー) |
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「この一年」
N.K |
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今年は 自然災害も含め、様々なことが降り起こった一年だった。
昨年末には 数年間介護のため帰省して寄り添っていた田舎の母が召され、何か空虚感を持ったまま数ヶ月を過ごした。また今年になって、全く予期していなかった車の事故、6月大阪をおそった地震、西日本豪雨、台風、北海道地震、経験の無いような災害と猛暑、重ねて7月には私の恩師も天に召された。家の修繕やそれに関わる予想外の経費、また田舎への何回かの往復、忙しい日々が続いた。 その中にあって主日の礼拝が変わらず守られたことは感謝なことだった。集会の中にも 日々、苦しみの中に生活しておられる姉妹も多い。私たちが聖書に学ぶということはどういうことなのか改めて考えさせられた一年だった。 み言葉に支えられながらも私たちはどうしてこのように心が動いてしまうのか、降りかかる災害はどんな意味を持つのか、悩むことも多くあった。すべてを神様に委ねる祈りをした後で、心が揺れ動いてしまうのは…?つくづく自分の信仰の弱さを思ってしまうのだった。 そんな中「いのちの水」誌9月号巻頭文に引き寄せられた。 「…それは、人間ではどうすることもできない、『ある力』によって災難に遭ったのだとあきらめることが多い。しかし、万物を神が創造し、いまも神がそうした万物を支え、導いている、しかもその神は愛であるならば、単に得体の知れない力によって偶然的に生じたと考えることはなくなる。そこには、大きな目で見るならば、必ず神の愛が背後に働いているということになる。…旧約聖書のヨブ記には、信仰深いヨブという人が突然にして家族や財産を奪われる災難に出会う。そしてそれを引き起こしたのはサタンだという。そのサタンに許可を与えたのは神であった。このヨブ記の記述から、考えられないような悲劇的な出来事も、サタンに許可を与えたのが神なのだ。それゆえ、その苦難も最終的には良きことにつながるようにと導かれていると信じ、受け止めることが期待されている。」(災害と神のご意志)より これを読んで 改めて苦難の意味を示され、この世界に生じることは、人間には計り知ることのできない神様の深い計画によってなっているということを思わされた。 こうした予想外の出来事の中で自分の罪を大いに示されることが多い。だからこそ、人間のまなざしを神様に向けさせるため、苦しみは、絶えず神様に向かわせるためのご計画だということを学んだ。そして、今 答えがわからなくても必ず神様が良い結果を示してくれると素直に信じること、そのことを知らされた。 私の田舎の先輩姉妹が 良き教師と慕われ、人生絶頂期の頃、白血病に倒れ、まだ幼い子供さんを残し天に召された。その時、姉妹が到達されたのは「神の絶対権」だった。自分の罪の赦しのためにはこうなってよかった、私はこれでやっとイエス様のもとに行くことができる、と神様のご意志と受け止め、晴れ晴れとした心境で証しされ 見舞いに来られる方々がむしろ励まされて帰るということがあった。こうした多くの信仰者を神様は起こされてきた。そして、今も尚、そうした信仰の証しに私たちは慰められる。 そうした信仰のほんの一端でも持たせていただきたい。そのためには、聖書を読み続けること、答えがわからなくても、単純に素直に信じ、祈り続けていくことが大切だと思っている。 「…決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」(ルカ13の5) 大阪府 |
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応えてくださった神様―瀬棚聖書集会での証し
N.Y |
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わたしは神棚のある家で、キリスト教とは無縁で育ちました。結婚して夫の両親からプレゼントされて初めて聖書を手にしました。結婚前にお二人から、うちはクリスチャンだから信仰をもってほしい、というようなことを言われました。キリスト教の事は何も知らない私は、現在の夫と何としても結婚したかったので、『はい、はい、わかりました。』という感じでした。
結婚して初めて参加した瀬棚聖書集会で、聖書講話の最中に居眠りをして講師の吉村さんに急に指名されて、びっくりして目を覚ましたことを思い出します。 「霊と聞いて何を連想しますか?」と聞かれ、キリスト教の事がちんぷんかんぷんな私は、「幽霊とか、怖い、感じ。」と答えました。今でもその時のことをはっきりと覚えているので、もしかしたら、その時に私の霊の目も覚めたのかなと思います。初めの頃は日々の生活でいつも神様、イエス様の事を感じ、思い、生活していたわけではありませんでしたが 聖書の話がよくわからなくても、夏の瀬棚聖書集会に参加するたびに居心地の良さと、参加後はいつも晴れやかな気持ちになっていました。 結婚して13年の間にもいろいろなことがありました。聖書にどのようなことが書かれているのかまだよく分からない時、聖書集会で不妊の女の話を知りました。その頃、私も子供が授からず、とても苦しくつらい時期でしたので、自分を重ねて聖書を読むようになりました。信じて祈れば神様はきっとかなえてくれると思い、祈り続けました。 不妊治療のため同じ病院に通っていた友達の事も祈りました。そしてその友達が妊娠することができた時には、本当にうれしくて、神様に心から感謝しました。しかし反面、羨ましい、そしてなぜ私には授からないのか、という気持ちがこみ上げてきました。 夫の友達や周りの人に次々と子供が出来た、生まれたという話を聞くたびに、落ち込み、悲しみ、そして夫への申し訳なさもいっぱいになり、自分を責めました。 「神様、どうか子供が出来ますように!」と祈り続けました。 残念ながら子供は授かりませんでしたが、その後、養子として息子を迎えることが出来ました。『神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共にそれに耐えられるよう逃れる道をも備えていてくださいます。』このみ言葉に救われました。 息子は私たちの子どもになるために生まれてきた、神様が誕生させてくれたと思っています。全ては神様が計画されたこと、神様は様々な形で時が来たら必ず救ってくださる、と確信できたことの一つでした。 三年前に体調を崩し、ガンだと分かり手術を受けました。色々な不安が押し寄せてきて、手術前も後も、眠れない日々がずっと続きました。その時は窓から星を見ながら祈ったり、聖書を読んだり、「いのちの水」誌を読み返したりしました。 「神様、助けてください」とただただ祈る毎日でした。手術室で麻酔をかけられる寸前まで祈り続けました。 夫をはじめ、家族、兄弟、友人、教会の方々、牧師夫妻、吉村さん、たくさんの方に祈って頂きました。この祈りの力に本当に支えられました。祈ることはどんな時でも、どんな状況でもできる、そして、祈りによって救われると確信しました。 吉村さんがお話の中で、「どんな苦しみ悲しみもそれはほかの人にはわからない、本人にしかわからない苦しみなのです。」と言われた時、それを聞いただけで救いを感じました。そしてその苦しみを神様だけはわかってくださる、流した涙の数も数えてくださっていると知った時、心の中の暗い部分に光がさすのを感じました。 月に一度友人たちと行っている家庭集会も、私にとって大きな力と癒しを与えてもらっています。そして大切な時間となっています。その集会で、吉村さんの講話を聞き、感話の時にいろいろな思いがあふれて涙を流すこともありました。 そんな時、多くを聞くことなく、私の心を察して、集会後すぐに、あるいは数日たってから、あるいは忘れたころに、皆が色々な形でみ言葉のメッセージや励ましの言葉などを与えてくれました。それからどんな時もそばにいて明るく支えてくれる夫、そして結婚してから出会った人たち、友達に本当に支えられています。この出会いの恵みと導きに心から感謝しています。 私の信仰の歩みはゆっくりですが、もっともっと聖書に書かれている事を知りたい、感じたい、信じて祈り伝えたい、という気持ちが大きくなり、吉村さん、牧師夫妻のお話のひと言ひと言を聞き逃さないように、との思いが強くなりました。そしてどんどん自分の中にみ言葉が入ってくるのを実感しました。聖霊の風が私にも吹いたのかなと思いました。 聖書をたくさん読むようになり、次に待っていたのは自分の罪の大きさをまざまざと気づかされ、落ち込むことでした。妬み、ひがみ、怒り、憎しみ、人に対して傷つける言葉を言ったり、態度をとったり、心の中で思ったり等… 自分を苦しめるものからの救いを求めていたのに、そこから自分の罪を知らされました。 聖書に書かれている罪、悪の力、そちら側にも自分がいる、そのことを思い知らされて苦しみました。しかし同時にその罪を許して下さる愛があることも聖書の中に繰り返し、繰り返し書いてあり、何度でも私に悔い改め、立ちかえるチャンスを与え続けてくださっています。 私のすべてが生まれる前から神様が計画されていたことで、様々な苦しみや大変だった事は、そこからの赦しと救いの喜びを与えられるため、そして同じ立場の人の気持ちを分かってあげられるという恵みにもなりました。私に対して、これは悪の仕業だと思えることが起こっても、その人の背景、背後にも苦しみがあるのかもしれない、だからその人が悪の力から救われるようにと、愛の祈りができるようになりたいです。 聖書には真実が書かれていて、そして私はそれを信じて、祈り、救われたということ、ただそれだけです。 イエス様が私の罪の為に十字架にかけられ、復活して私の罪が赦され、聖霊となってどんな時も共にいてくださる恵みに感謝です。こんなに愛され、赦され、救われているのにそれでも罪を犯してしまう弱い人間です。たぶん肉として生きているうちに罪なき者とはなれませんが、信じて祈り続けるものとして生きて、肉体が滅びたのちに、罪なき者に近づける日を楽しみに歩んでいきたいと思います。 |
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私のよりどころ
H.H |
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「しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。」(ユダの手紙20節)
「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。」(一コリント3の10~11) 今年も入院することなく、礼拝や家庭集会に参加が続けられました。主に守られ、毎日が過ごせたことを感謝します。 点滴治療を長年していると「点滴を毎週するようになったのはいつから?以前から血管は細かったけど、こんなに浮腫はひどくなかったよね。」という話になります。「毎週するようになったのは28歳の時からで、左腕の浮腫は33歳からです。」と説明していると、何年継続しているとか、浮腫の部位が増えてきたことのほうに気を取られてしまいます。しかし「病気を持っていても暗くならずに、いつも笑顔で明るいね。」と言ってくださるとき 神さまの大いなる恵みを実感します。 近くのかかりつけ医ご夫妻、見えにくい血管に悪戦苦闘してくださる看護師さん、母方の伯母など長く通院していることをよく知っている方たちがともに喜んでくださることに感謝です。この前も20年ぶりに逢った人に「2004年からキリスト教の集会に行っています。聖書を学び、賛美歌を歌っています。」と伝えました。かかりつけ医は吉村さんの同級生と知ってから、毎月「いのちの水」誌を届けていますので、奥さんと「礼拝には自転車でも行ける距離ですが、パソコンをカートの上に乗せて、徳島公園鷲の門前バス停まで20分ぐらい歩いて循環バスで田宮まで行っています。」という話もできました。 20歳代は仕事をしていました。退職して集会に導かれるまでは、「以前はパソコン入力の仕事を正社員でしていたのに。残業もしていたのに。」と働けないことで悩んだ時もありました。いまは通院(点滴と鍼治療)と集会参加おなじくらいの割合で身体にちょうどいい日程です。年末に集会の予定を書き点滴の日も決めます。近くの病院も大学病院も診察のときにスケジュールアプリを見ながら次の予定をこちらから伝えています。カレンダーに書き、母にも分かるように台所の壁に貼っています。 毎日ただ時間をつぶすため、暇つぶしのために何かをする。信仰を持っていなければ、何をして過ごしていただろうかと思います。以前に栄養の先生から「笑って前向きにいることが免疫力も上げる。」と聞いてから、なるべくクヨクヨと考えないようにしていました。しかしこの世のものだけでは、じきに飽きて結局36『持病が治らない。』という闇の思いばかりにとらわれていたと思います。心の平安を得るには、気持ちを反らすことより神さまにつながることが大事だと思います。 集会場に行って参加する。スカイプで参加する。礼拝CDを聞いて御言葉を受け取る。「いのちの水」誌や集会だよりなどにより御言葉に触れる。…体調により、年齢により、事情は変わっても 終わりの時まで、信仰をよりどころとして、イエスキリストを土台として御国への道を歩んで行きます。 (無職) 徳島市 |
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アブラハムは地図を知らなかった?
Y.G |
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若い日に独り旅でイランのペルセポリスに行ったことがあります。旧約聖書・エズラ記、ゼカリヤ書などにその名が出てくるペルシャのダレイオス大王が創った宮殿群などが残っている素晴らしい遺跡でした。イランの京都といわれるイスファハンからバスで行ったのですが、帰りにイスファハンの街をぶらぶら歩いていて迷子になってしまいました。何しろ読めないペルシャ文字しか目に入らないのですから。そこで街角にいた小父さんに駅に行く道を訊ねました。地図を見せて、「今いるのはここ、駅はここだけど、どっちにいけばいいのか?」と身振り手振りで。ところがこの小父さん、地図を裏返したり、上下ひっくり返したりするばかりで、埓があかないのです。人の良さそうな小父さんでしたが、暫くその様子を見ていて分かったことは、この小父さんは地図とは何かを知らないということでした。私たちは子供の頃から学んでいますから、地図の見方など知っていて当然なのですが、なんと、地図のない世界があるんですね。地図も人間が考え出したひとつの知恵(ノウハウ)でしょうが、それをもたない人も存在するのだ、ということは私にとってショックでした。通りかかった外国人観光客に教えて貰って無事帰ることはできましたが。
それでふと考えたのです。アブラハムが神様に召し出されてハランを出発したとき、「行き先も知らずに出発した(ヘブライ11の8)」とありますが、彼は地図を知っていただろうか、と。調べてみると地図の歴史は随分古いようですが、多分彼は知らなかったのではないでしょうか。イスファハンの小父さんのように、彼の世界は人から聞く情報(山の向こうに何々がある、とか)だけ、行き先のことは全くの白紙だったのではないでしょうか。私たちが旅先を地図で確認して出かけるのとは全く違った決心と覚悟、そして神様への信頼をもって出発したに違いありません。アブラハム出発の記事の深さに触れる思いがしたのです。 アブラハムが旅立ったのは七五歳とあります(創世記12の4)。後期高齢者の、或いは後期高齢者が近い読者の皆さん(斯く言う私もそうですが)、神様のお召しがあったらアブラハムに倣って怯むことなく新たな出発をしたいですね!……なに?これから旅立つ先は天国ですって?……うーむ、確かに地図はありませんねぇ 福岡市 |
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「能力(ちから)を奇跡の神に仰ぐ」
F.F |
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私の罪を許してくださるイエス・キリスト様を信じて多くの年月がたちますが、まだまだ私の内なるところに神様である聖霊を、お迎えできていないことを深く思います。このことに関しての記事を内村鑑三著「一日一生」十月十三日から紹介します。
「愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。」(ヨハネ第三書二) 奇跡を信じて、わたくしどもは大胆に大事にあたることができます。これによって、わたくしどもは自己の能力(ちから)を計らず、もし正義であり大道であると信じますれば、臆せず恐れず、その実行をもって自ら任ずることができます。 奇跡の神を信じて、不可能事はわたくしどもの念頭にまったくなくなります。わたくしどもはまず神意のあるところを探れば、それで問題は尽(つ)きるのであります。 あとは能力の問題であります。そうして能力は、わたくしどもはこれを奇跡の神に仰ぎます。世界の偉人とは、みなこの一種の「迷信」を持ったものであります。彼らはみな「神もし我とともにあらば、われ何をかなし得ざらんや」との奇跡の信仰をもって、彼らの大任を担(にな)うたものであります。 私は信仰の達人と自分で勝手に思っている人たちのことを思い出します。それらの方たちに共通するのは皆さん「祈りましょう」と言って、いつも、どのような時にもお祈りをして神様に能力(ちから)を頂き前に進んでいくことをしています。 自分に頼るのではなく常に神様にお願いをしてすべてのことをおゆだねしています。そのような人は迷いがないのでお顔を見ると迷いのない、さわやかであります。 私もそのような信仰を目指して歩みたいと思います。 徳島県 |
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カリン地方の旅
F.T |
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今年も終わりに近づいて来ました。2年前から準備をして来たネパールの旅が近づいて来ました。11月23日(金)の夜ネパールの「カトマンズ日本語聖書集会」に参加して全員で顔合わせがおこなわれ賛美の時を過ごします。
その翌日私はグループの方々と別れカリン地方出身のビムさんのガイドにより以前に栄養士として3年間働いたJOCS元ワーカーの角田さんの3名でルクラ(エベレスト街道の出発点)から南のカリン地方の旅に出かける予定です。 標高は2500m以上で決して楽な旅ではありませんが、長野県在住の「鳥羽先生ご夫妻」が長らくかかわられたこの地方に沢山の教会が誕生したのです。ガイドのビムさんもお二人により信仰を与えられた方です。ビムさんのガイドによりおよそ2週間近くの旅に出かけてきますが健康が守られ無事に帰ってくることが出来ますことを祈る日々です。 美しい自然に満ちたカリン地方の旅を楽しみにしております。 兵庫県 |
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教え子の死
F.S |
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去る10月9日、南九州病院の難病棟に入院していた私の教え子、K君が急逝しました。弱冠24歳でした。私の現役最後の赴任地、栗野小学校七年間の最初に出会った子です。と言っても私は担任ではなく、算数のTT教師でした。彼はその時小三でした。学級PTAで彼のお父さんに(既に離婚されていました)「K君は小児マヒなどではなく、私の友達と同じ筋ジスではと懸念します。一度診てもらった方がいいと思います」と申し上げました。懸念どおりでした。しかし、親子とも大きな葛藤があったのでしょう、小さいK君が故郷の肉親や友達から引き離されて、右記の病院へ入ったのは小五になってからでした。小四時代の彼は、体の不自由が見る見る増してきていましたので―何しろ筋ジスは進行性の病気、その中でも一番厳しい型だったのではないか、と今になって思わされます―大部分を少人数の特別支援学級で過ごしました。車椅子生活の彼は、階段などは仲間や教師の手が必要でしたが、電動リフトが整備され、本人も周りもいくらか心理的負担が軽減されました。しかし、運動会では、本人の強い希望で車椅子を使わないで「自分の足」で「走りたい」と言い、お父さんも私たち学校側も彼の意志を尊重して、彼は仲間と一緒に「かけっこ」に出場しました。彼はもはや二本の足で立てない体でした。距離を極端に短くし、両膝と両手に厚い厚いサポーターをして「四つんばいになって」走りきりました。「Kちゃん頑張れ、Kちゃん頑張れ」と、皆涙して応援しました。彼があくまで明るく気丈な事が、一層憐れに感じられた一コマでした。
ともかく、彼は小五から右記の病院へ入院し、付設の養護学校で小、中、高と学びました。いつも明るく、病棟内を車椅子であちこち動き回って誰彼となく話しかけ、時につきまとうので、一部には煙たがられる程でした。同じ年頃の病者や、話の合う仲間が一人でもいたらどんなに良かったかと思います。トラックや重機が好きで、元気な頃は工作や絵に励んで楽しそうでした。しかし、彼の一番の楽しみは、毎週日曜日、優しいお父さんが一日つき合ってくれる事、そして時々家に連れ帰ってくれる事でした。お父さんは、彼の入院後まもなく、病院近くに引っ越しされました。しかし、車椅子も手動から、じきに電動、それも高機能の電動になっていき、外の空気に触れる機会は極端に減っていきました。 昨年からしばしば心臓の働きが弱り、観察室に入れられる事が多く、かつその期間が長くなっていました。9月7日から、口からは水も入れてもらえない状況だったそうです。私が最後に会ったのは9月29日、毎月末実施しているS君との聖書の学びの日でした。呼びかけると目を開けますが、きついのかすぐ閉じます。口をぱくぱくさせるのですが、音は発しませんでした。何と言っているのか理解できません。「きついからしゃべらなくていいよ。目も閉じていなさい。心配しないで、すぐには帰らないから」、と言って30分程ベッドの横で過ごしました。途中、様子を見に来られた看護師が計器のデータを写しながら、K君の訴えを聞かれました。布団の下の足指がしびれて痛いので直して欲しいとの事でした。さっき、私にも同じ訴えをしていたのかもと恥ながら、わずかな動作もできない辛さを垣間見た思いでした。体重は30kgあったかどうか。…楽しみにしていた10月13日(土)の病棟の文化祭(内外でイベントあり)を前に、彼は天つ国に旅立ちました。本当に仰天しました、こんなに早く別れが来るとは。 葬儀は私の家の近くでありましたので、9日の通夜、10日の葬儀共に出席しました。家族葬で外部は3,4名の淋しいものでした。しかし、そんな事はどうでもよい事です。よくも最後まで明るく耐えたと思います。24歳の人生は短すぎますが、それは私たちの人間的肉的な考えで、私どもを造り支配しておられる霊と真の神様が、K君に、「もういいよ」と言って天国に引き上げてくださったのだと信じます。彼はもはや死も、悲しみも痛みもない世界に移され、魂は平安に包まれていることを信じます。自分では意識しなかった「神様に背負わされた十字架」を、愚痴らず明るく生きたK君を、愛なる神様は「よくやった」とねぎらってくださっているに違いありません。私には、盲目で生まれ21歳で召されたいとこ―8歳年上―がいました。普通の小、中学校にも行かなかったと思います。彼女も地上では何一つ「浮かばれない」人生でしたが、今は天国で安らいでいると信じます。 私たちは、この世的にどんなにみじめで辛くても、神様にいただいた命を喜び感謝して生きることができます。御子イエス・キリストの罪の贖い(十字架)と復活、再臨・永遠の生命の約束を信じ、主の御跡に従って生きれば! K君には伝えられなかった!もっと御言葉に励まされ導かれたい。 |
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学びより
M.T |
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ひとりの願いは視野が狭く 個人的なものになってしまう。2人3人と集まって祈る その深さ、広さ、豊かさを学びました。
十字架の形 縦は、神様と人の強いつながり そのつながりをもって、横の人と人のつながりをなしていく。そう生きていきたいと感じた一年でした。 徳島県 |
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学びを頂き
M.K |
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毎月、礼拝CDと「いのちの水」誌、「集会だより」を、8月には詩集を送って頂きました。この恵みを感謝します。ありがとうございます。今月の礼拝で「この小さきものに」の学びを頂きました。神様の前には、無に等しい小さき者を、この世で躓かせないように神様は命懸けで救って下さる。躓かないように目を覚ましていなさい。また 自分の弱さや罪によって他者を躓かせる事がないように。と教えて頂きました。日々、何気なく、自分が出した言葉を後悔することがあります。目を覚ましているつもりでも 心は深く眠っている事を思います。
「身を慎んで目を覚ましていなさい」(一ペテロ5の8)人間的なことばかり思っている心は眠っている心。目を覚ましている事は、生きている神をいつも思っている事。目を覚ましていると、感謝が出来る。祈りが生まれる。希望を持ち続ける事が出来る。と、礼拝で教えて頂きました。祈りも罪も分からず、眠り込んでいた魂に 神様は光と風を吹き込んで下さり 目を覚まさせて下さいました。 「主は その愛する者に眠っている時にも なくてはならぬものを与えられる」(詩編127の2) この小さき者を、躓かないように導いて下さる神様に感謝してお祈りします。 「私につながっていなさい。私もあなた方につながっている」 (ヨハネ15の5) (松山市) |
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聖句
M.K |
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「神は愛なり」 | |
病とみ言葉の励まし
M.J |
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数年前に私は長男が統合失調症だとお医者様から病名をお聞きしました。その時私は大変ショックで、もう子供の事はそろそろ卒業だろうと思っていたのが、自分がこの世で元気でいるうちは、長男への配慮や世話が続くだろうと覚悟し、悲痛な思いもしましたが、同時にこんな状態が与えられたのは、何か神様のみこころがあるに違いないという思いもありました。
それ以来、数年、長男の比較的落ち着いている期間と、とても悪くなり心配が続く期間が交互にきて、いろいろ心配をもちながら過ごしてきました。 親の健康が守られて面倒を見られる間はいいですが、親がいなくなる時のことを考え、息子が仮に一人になっても、福祉の助けなどを借りながら一人で生活できるだけのより良い心身の安定と、生活できる住まいの環境が整えられるようにと願いながら生活しています。 そんな中、聖書にある癒しの記事や、イエス様がいろんな病いの障碍者にかけられたみ言葉には、いろいろ励まされたり、考えさせられたりしています。 息子がこういう病気になったのは、過去の親としての言動に問題があったのではと自責の念をもつ者に、ヨハネ9の3の「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」のみ言葉は慰めです。 又、第2コリント12の9の「わたしの恵みはあなたに十分である。というのは、わたしの力は弱さのうちに完全に現わされるからである。」のみ言葉も慰めです。 又、悪霊に取りつかれたゲラサの人をイエス様が癒された場面(マルコ5の2~20)は、癒しの記事の中でも大変印象的で、このゲラサ人は、人里離れた墓場で足かせや鎖で縛られていましたが、それらをひきちぎり、自傷行為もあったこの人に、イエス様は「汚れた霊、この人から出て行け」と悪霊を追い出され、この人は正気に戻ったとあります。かわりに悪霊は豚の群れの中に入り、豚の群れは湖になだれ込んで溺れ死んだ為、豚を飼っていた人々がイエス様にその地方から出て行ってもらいたいと申しでています。イエス様は、その地の住民から苦情がでるのはわかっておられたでしょうが、悲惨さの中にいるゲラサ人を助ける方を選んで下さったことに、イエス様の深い憐みと愛を感じ慰められますし、心病める者に、周囲の者達が財や時間を捧げることが癒しに重要な意味を持っている事も敢えてくれているように思います。 又、私達が心病む人と接する時、いろんな問題が起こると思いますが、「病を憎んで人を憎まず」という事も心しないといけないだろうと思います。 又、新約聖書を読むと、病の癒しと罪人の悔い改めが同時並行的に描かれている個所が沢山あり、私達は、自分や家族の病の癒しを祈り求める時、罪の悔い改めもよく祈っていかねばと思わされます。 病は、癒しを祈り求めても癒されない場合もありますが、その場合も否定的な面だけを見るのでなく、病には肯定的な側面もあるのを教えられます。 先に引用しました第2コリント12の7~9には、思いあがらないようにという側面と、主の恵みは十分で、力は弱さの中にこそ十分に発揮されるのだということを知り体験する為という側面や、ヨハネ9の1~3のように、神の業がこの人に現れるためという側面を体験するということもあると思われ、祈りのうちにそういう体験をさせていただきたいものだと思います。 又、自分や家族がすぐには治らない病気になって初めて、人間の弱さや痛み、人間への思いやりや優しさ、憐れむ心をもつことの大切さを教えられてきて、イエス様の「わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28の20)のみ言葉に励まされて、自らも病や障碍を持つ人と生涯共に歩み、苦しみも共有していき、経験を分かち合い、祈りあおうとする時、そんな中にも「癒し」が作りだされていくのでないだろうかと思います。 茨城県 |
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マルタとマリア「必要な事はただ一つ」
M.K |
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この物語は教会でもよく取り上げられ、私も違う牧師の説教で何度か聞いた事があります。しかしどうもすっきりしませんでした。以前ある人が「野の花」に「マルタに同情して聖書を読んでしまう」と書かれていました。マルタのした行為はいわば主婦業の一つの様なものではないでしょうか? それは周りの人をとても幸せにする大切な行為です。
家事労働は無報酬の女性の仕事と古代より位置付けられ、黙ってすれば良い、特に評価なしと言った考えが、男女共に知らず知らずのうちに頭に刷り込まれています。「イエス様、あなたもそうなんですか?」と、主婦業を低く見られたようで、私もどうもすっきりしませんでした。 本当はマルタもイエス様の話をマリアと一緒に聞きたい、と思っていたのではないでしょうか?しかし家に来て頂いた皆さんに、少しばかりの「おもてなし」をしたいという気持ちが優先したのだと思います。マルタは自分の気持ちを抑えて食事の準備し、マリアは自分の気持ちに従いました。マルタは人の気持ちを大切にする素敵な大人の女性だと感じました。 もう少しでイエス様の話が終わりそうになり、皆さんに待たすことなく食事を出したと「イエス様、マリアにも手伝うように言って下さい」となったのではないでしょうか? ところがイエス様の返答は「マルタは多くの事を思い悩み、心を乱している。必要な事はただ一つ。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」と言われました。 私はイエス様が、マリアのした事の方が優れていると言われた様に、何となく感じられたのですが、そうではないと、吉村さんの講話を聴いていくうちに理解出来るようになりました。もしそうであるならば、イエス様は初めからマルタにも一緒に話を聞くように注意をされたはず。イエス様はマルタの行為を否定されたのではなく、マルタの心の状態を指摘されたのだと気付きました。キリスト教は doよりもbeなのだ。マルタはすぐにそれに気づきましたが、わたしはなかなか理解出来ませんでした。 信仰はイエス様の言葉を聞くことから始まります。ボランティア活動等、どんなに良い事をしていても「神様の言葉」持っていなければ、その行為が自分の自慢になったり、人から褒められたいと思ったり、又逆に、していない人をけなしたり、文句を言ったりするようになるのが、人間の弱さです。イエス様の言葉「神の国と神の義を求めなさい」は現実にはとても難しく、これは毎日祈り、聖霊様を頂いて「神様の言葉」をしっかり持たなければ、それによって「神様の平安」が自分の内に来るのだと解りました。 (神戸市中央区) |
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与える心と赦す心を持った人
M.K |
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エリザベス・エリオットとレイチェル・セイントいう人たちについて、ご存じの方も多いかと思いますが、「与える心と赦す心を持った人たち」だと知りました。
1956年1月、アメリカ人の宣教師5人が南米エクアドルのジャングルに住むアウカ族に福音を伝える為に、ジャングルの中に入って行きました。 しかし、彼らは間もなく消息を絶ち、福音を伝えようとしていたアウカ族に殺されたのです。アウカ族は、「外の世界の人々は、自分たちを食べようとしている肉食人種である。」と信じ、外部との一切の接触を断ち、自分たちの領域に近づく人々を殺していました。そのため、外部の人々は彼らを恐れていました。 しかし、後に、このアウカ族に福音を伝えようとする人々が現れたのです。それは、惨殺された宣教師たちの中のジム・エリオットの未亡人であるエリザベス・エリオットとネイト・セイントの姉であるレイチェル・セイントたちでした。彼女たちは、主のお導きにより、アウカ族出身でキリストを信じた最初の人であるダユマという女性との出会いをきかっけに、彼女たちを通して、アウカ族に福音が伝えられました。 夫を殺した相手を赦すということに、心の葛藤がなかったですか?と後にエリザベスさんは、何度も質問を受けたということですが、彼女は、夫ジムを殺した人々に憎しみはありませんでした。なぜなら、夫は生前、「アウカ族の人たちの為に死ぬ覚悟が出来ている。残された家族も自分たちの敵を祝福してください」と神に祈り続けた。と答えています。 アウカ族を赦す心を持ったエリザベスさんの祈りです。 主よ、あなたの聖なる御旨を知り、 そのすべてを行い得るように恵みを与えてください。 わたしの心を清め、思いをさぐり、 願いを正しく導いてください。 聖霊の力を受け、今日の働き、問題、 喜びのすべての中で 心からの賛美をささげ、単純に信頼し、すぐに従って、 わたしの人生を生きた聖なる供え物として ささげることができますように。 わたしの主、わたしのすべてであられる イエス・キリストの御名によって、アーメン。 レイチェルさんは、生涯アウカ族の村に居続け、ついにアウカ語の新約聖書を完成させ、その献書式にはアウカのすべての村、10の村からの代表が集うほどになりました。 そして、今、福音を受け入れたアウカ族の彼らは、教会において賛美と祈りと礼拝を神に捧げています。 「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12の24) わたしは、小さなことでくじけそうになり、愛を与える心も、赦す心も頭では理解できても、苦しくてたまらなくなり、イエスさまに助けてください。といつもお願いの祈りばかりになってしまいます。しかし、御心が行われますように、と主の祈りが聞かれることを信じ、日々祈っています。 松山市 |
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「あなたたちは静かにしていなさい」
M.M |
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ごく最近、大学病院の口腔外科で、歯茎を切開して、歯根嚢胞摘出と歯根端切除の手術を受けました。2~3ヶ月前に〝先生はスチューデントドクターですか〟とたずねた程若いドクターが私の担当医でした。簡単な手術でしたが、寝ている間に終わってほしいから、〝先生、全身麻酔してくださいね〟と希望したのに、却下され、局部麻酔で手術が始まりました。先輩のドクターが一つ一つ指示をされ、若いドクターが〝ハイ〟…〝ハイ〟…と返事をしながら、手術を進行していかれ、まるで実習みたいで、ちょっと不安を感じるような状況ではありましたが、不思議なくらい心が静かでした。
今年、私の心を捉えて離さないみ言葉があります。 「主があなたたちのために戦われる、あなたたちは静かにしていなさい」(出エジプト記14の14) 主がイスラエルの人々をエジプトから導き出され、前は海、後はエジプト軍という窮地に陥っていた時に、モーセがその状況を非常に恐れる人々に言った言葉です。 これは主日礼拝の時に引用されたみ言葉ですが、その瞬間に、辛い時にはイエス様が私の代わりに戦って下さっているのだ、私は静かに主の平安が訪れるのを待っていればいいのだという思いがすーっと心に入って来たのです。 私は数年前から〝全てを御手に委ねます。最善に導いてください。〟と祈れるようになっていましたが、それでも時として、不安が廻ったものです。でも、イエス様がこんな取るに足りない1個の存在の為にも戦ってくださることを知らされた時、本当に心から〝委ねます〟と祈ることができ、そしてその恵みを感謝せずにはいられませんでした。 手術中、いろいろな事を祈り、この若いドクターも不安なのではないだろうかと思い、その方のためにも祈っているうちに、時が過ぎ、いつの間にか先輩ドクターの声は聞こえなくなっていて、アイマスクを外された時、その姿はすでになく、〝きれいに嚢胞はとれましたよ〟と若いドクターが自信に満ちた表情で言われました。 お多福のように膨らんだ右の頬が熱っぽく、歯茎に結ばれた糸がチクチクして大きく開けることのできない口に、刻み食を運びながら、イエス様にすっかり委ねることができるようにしていただけたことを心から感謝したことです。 私たちは神様に養われ、私たちひとりひとりのためにイエス様が代わりに戦ってくださるほどの愛のうちにあることを強く思わされる出来事でした。 まさに〝アメイジング グレイス〟です。 |
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五島の椿
Y.A |
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野面積みの段々畑は放置畑野鹿の群れがじっと見ている
ひんやりと静けさ溜まる教会のステンドグラスが光をこぼす ノックして誰かが訪いくるかとも野崎岬の潮騒の音 板ばりの床は掃除の行き届き聖母子像に差す冬ひかり 「あやめどり」「小磯」「羽衣」「玉の浦」「春待椿」は五島の椿 粉雪の洗礼受けし墓石に赤い椿のひとつを供う あまりにも海が碧くてよみがえる波のうねりに『沈黙』のこと 東シナ海を夕焼け雲が押しやるをじっと見下ろす空海の像 断崖の白き灯台[悪人]のラストシーンの夕日が沈む 潮騒にもまれし丸き白き石幾つ五島の旅に拾いき 2017年「山梨県民文芸祭文化祭賞」 昨年二月、夫、娘とともに五島列島に旅をした。世界遺産になる前だったし季節が二月ということもあって、島は静かであった。島の津々浦々に四十棟も越える教会が聳えたっている。 キリスト教の五島列島への伝来は十六世紀末禁教令の弾圧の中で信仰を守ったキリシタン。明治維新以後禁教令が解かれ教会堂は次々と再建された。煉瓦造りの教会堂、手造りのステンドグラスからこぼれる光、どの聖堂も静謐と安らぎに満ちていた。そして現在も祈りや交流の場所として美しく保たれている。 しかし、人口の減少はこの島にとっても深刻な問題。中でもほとんど無人島に近い野崎島の野首教会は煉瓦造りの美しい建物で、海に向かって誇らかに立っている。堂内はひっそり静まり、この教会に携わった島民の祈りが聞こえてくるようだった。 この『五島の椿』、まさかの山梨県文芸祭の最優秀賞をいただいた。神さまからの大きなプレゼントをいただいた思いで感謝している。 山梨県 |
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「第三の書」―カイパア著「カルヴヰニズム」(上田丈夫訳、長崎書店)
Y.M |
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カイパアの「カルヴヰニズム」は、わたしにとって、大切さにおいて、第一の「聖書」、第二のカルヴァンの「キリスト教綱」に次ぐ、第三の、書物です。本書はオランダの首相で、神学者、牧師、自由大学の創立者、アブラハム・カイパアが1898年10月、招かれて渡米し、プリンストンにてStone-Lectureしたものを邦訳し、1932年に発行されたもので、当時、価格は2円50銭でした。わたしは、幻の名著として知られた本書を、学生時代の1963年頃、神田の友愛書房で見つけ、1,700円(約3日分のアルバイト賃金)を払って購入したことを覚えています。現在は新しい訳の本が聖山社から出版されています。訳者序には、カイパアが「惟ふに、宗教改革は宗教自体の、而して歴史と人類との転機であった。真理の軌道と良心の自由に於ける真実なる生活とへの復帰であった。故に我等は画期的なるものをルーテルに負うて居る。然しカルヴヰンに負うところは更に大である。此のカルヴヰニズムに就いて本書は明快に透徹して語る。而して「基督教の擁護のためには、原理に対するに原理を以てし、生活原理に対するに生活原理を以てすべきであるが故に、真正なるプロテスタントにとりては惟カルヴヰニズムの原理のみが、建設の為の唯一にして失望せしめざる礎石であることを確言する」と彼は言う、と書いています。カイパアとカルヴヰニズムとの接触は、大学卒業の間近き頃「カルヴヰン並びにラスコーの教会観」なる懸賞論文に応じたる時を最初とする。然し此の時は殆ど何等の感化をも受け取らなかった。彼は卒業し教職となった。彼の発足は或る農村教会への赴任であった。其の教会の会員中の一団は他の人々との信仰不一致により集会に出席しなかった。若き牧師カイパアは彼等を訪問し、出席すべく勧告した。農夫達は「汝の先任者は福音を説教せず、また福音にふさわしき生活をなさなかった」と答えた。カイパアが「汝等は然らば福音の真理を知れりや」と質せば、一瞬の躊躇もなく「然り」との言である。しかし彼等は謙遜に素朴に「若き牧師よ、何卒福音のみを語られよ。創造主なる神の主権と栄光の為のみの生活と献身とを語られよ」と願い求めた。彼は驚愕した。これこそ福音の本質であり、生活原理であり、しかも其の実現せられたる生活と信仰とは彼等の中に存して生きて居るではないか。これこそカルヴヰニズムであって、彼はそのカルヴヰニズムを見たのである。彼は従来カルヴヰニズムと言えば旧時代の神学的遺物に過ぎずと考えていた。然し神の言の上に立ち、霊的生活と実践の生活とに対する事実の力であるのがカルヴヰニズムであった(本書末尾のアブラハム・カイパア小伝より)。
カイパアは、本書で、生活原理としてのカルヴィニズムについて述べています。その中で、生活原理の出発点を対神関係の特殊なる解釈において見出すべきであると述べています。そして、対神関係の有神論の4つの立場を挙げています。①ペガニズム(異教主義)最も一般的形相は、それが被造物のうちに神を推測し、仮定し、礼拝する事実によって知られています。日本人の宗教の多くはこの立場に属していると考えられます。②イスラミズムは純然たる反ペガニズムを理想とし、被造物と神の間に如何なる接触をも認容しないことを特徴とする。マホメットとコーランとは歴史的名称である。③カソリシズムは法王・教職階級制が存しているが、教会は、可見的・有形的制度として、神と世界の中間に立つ。④カルヴィニズムはペガニズムの如く神を被造物の中に求めず、イスラミズムの如く神を被造物より孤立せしめず、又カソリシズムのなす如く神と被造物との間に仲保的存在を認めない、却ってその宣明するところは、神は被造物を超絶して高きにいますとはいえ、聖霊の神として被造物との直接的交わりに入り給うとの峻厳なる思想です。 対神関係の解釈が、全ての生活原理を支配するものであること。また、カルヴィニズムが神と人及び人と神との直接的交わりに対する根本的解釈を有していること。そして、この根本的解釈はカルヴィニズムが自ら工夫し案出して得たものではなく、神御自身がその選び給う人々の心に植え付けしものであるということです。カルヴィニズムは時を同じうして、全ての西欧諸国に勃興しました。現今、世界は全ての面で、混沌として、深い闇が覆っていますが、世界は何に之が救いを求め得るか?イエス・キリストの宗教の外にないことを思います。
「主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し あなたの慈しみに生きる人々があなたをたたえ あなたの主権の栄光を告げ 力強い御業について語りますように。 その力強い御業と栄光を 主権の輝きを、 人の子に示しますように。 あなたの主権はとこしえの主権 あなたの統治は代々に。」 (詩編145の10~13) さいたま市 |
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ニーバーの祈り
Y.E |
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ニーバーの次のいのりの言葉が 心に残っています。
神よ、変えることのできないものは それを受け入れる冷静さを 変えることのできるものは それを変える勇気を、そして 変えることのできないものと、 変えることのできるものを 見分ける知恵を与えたまえ。 小松島市 |
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あとがき | |
今回の「野の花」文集も、多くの方々が主にあって祈り、また考え、そして書かれた文が集められました。 そうした一人一人の方々に、そして、それらの原稿の受け取りやパソコンで作成されなかった一部の手書き原稿をテキストファイルにされた林晴美さん、また、それらのテキストファイルの原稿内容を印刷所に渡せるように、目次やタイトル、配列等々をレイアウト編集ソフトによって現在の形にされた貝出久美子さんたちにも感謝です。
風(pneuma)は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くか知らない。 霊(pneuma 神からの風)によって生まれる者も、みなそれと同じである。(ヨハネ3の8) このよく知られた個所で、風と訳されている原語も、霊と訳されている原語もともに同じで プネウマ(pneuma)です。 一つの節にある 同じ原語が、一つは風と訳され、もう一つは霊と訳されて、まったく異なるように思われがちですが、実は両方とも同じ原語であることからわかるように、通常は、「霊」とだけ訳される個所も、「風」という意味を含んでいるのです。 今回の「野の花」文集の最後に入れた内容ー徳島から遠く離れた山形県の鶴岡市の地域の新聞に、以前の「野の花」に引用された讃美歌の言葉が掲載されるということも、不思議な「風」のはたらきだと感じます。 神の言葉は、思いのままに吹くー私自身、その思いがけない天来の風に吹かれて、一冊の本のごく一部を古書店で立ち読みしたことで、キリストの真理に触れ、キリスト教者となったのでした。 十二使徒たちは、キリストが捕らえられ、処刑されてしまったときから、部屋でいるにも自分たちも捕らわれないかという恐れがあり、鍵をかけていた。しかし、そこに風のごとく、たしかにどこから来たのか分からない方法で、復活したキリストは部屋に入って来られた。 風がどんな細いすき間からでも入ってくるように、神の聖なる風(聖霊)もまた、どのように扉が閉じられていてもなお、神のご意志が働くときには、そこに入ってくる。 ここに記された多くの文章は、そうした聖なる風によってうながされて書かれたものと言えますが、さらに、 この文集に記された言葉が、風のように、読者の心に、またそれを越えて、他者の魂へと吹いてゆくようにと願っています。 ………………………………………………………… なお、「野の花」文集を追加希望される型は左記の吉村まで申込ください。 一部二百円(送料込)です。代金は、郵便振替または、二百円以下の切手でも可です。 |
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