野の花
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「野の花」は徳島聖書キリスト集会の文集です。
2005
(2005年1月15日発行)
紅梅
紅梅
(第二ページ)
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リストボタン内容・もくじリストボタン

リストボタンあたりまえ                       28
リストボタン幸いなるかな、悲しむ者      (29
リストボタンマナセの祈りによせて       (30
リストボタン作曲家の祈り            (33
リストボタン神との出会い人との出会い    (35
リストボタン主の存在               (36
リストボタン主よ                  (36
リストボタンわからないこと            (37
リストボタン神様の愛と力            (38
リストボタン良きものを下さる主        (38
リストボタン神中心の信仰とは         (39
リストボタン今していること            (40
リストボタンイエス様の御声           (41
リストボタンモミの木               (41
リストボタン讃美は祈り             (42
リストボタンホザナ                (43
リストボタン「我乏しきことあらじ」       (44

リストボタン俳句                   (45
リストボタン学びの中での感謝               45
リストボタンイエスがいるから           (46
リストボタンこの花のように            (48
リストボタンヨブ記とロマ書を学んで       (48
リストボタン私の好きな聖句            (49
リストボタンどこから「禁煙化」を始めるか    (49
リストボタン車中集会1年半をふりかえり    (51
リストボタン心に残った聖句                       52
リストボタンわたしは、○○である。       (52
リストボタンパッションを見て           (53
リストボタンこの一年間の歩み          (53
リストボタン聖書原典講読の会に参加して   (54
リストボタン定年になって与えられた恵み    (55
リストボタン神様のお導きを感じた時              56
リストボタンちょっとだけ                57
リストボタンあとがき                 (57



 

リストボタンあたりまえ   Z.Y

  私は十月半ばに乳がんを宣告され二十日に入院し、二十二日に手術をしました。
周りの人は心配していましたが、私は案外平気で神様のご計画は何処にあるのか、と 神様に委ねきっていました。
一ヶ月足らずの入院でしたが日々順調に回復して今では手術前とほぼ、変わりないように癒されました。友人たち皆様のお祈りのおかげです。ありがとうございました。
 その入院中にいろいろの本もいただき 「フウィリアム・バークレー」の日々の祈りや「西本誠一郎の聖書と旅した商人」や「井村和清の神のメガホン」を読み、その神のメガホンの中に「あたりまえ」と言う詩があって感動したので書かせてもらいます。
        
「あたりまえ」
 こんなすばらしいことを、皆はなぜ喜ばないのでしょう
 あたりまえであることを
お父さんがいる
 お母さんがいる
 手が二本あって、足が二本ある
 行きたいところへ自分で歩いてゆける
 手を伸ばせばなんでもとれる
 音が聞こえて 声が出る
 こんなしあわせはあるでしょうか
 しかし、だれもそれをよろこばない
 あたりまえだと笑ってすます
 食事がたべられる
 夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝が来る
 空気を胸いっぱいにすえる
 笑える、泣ける、叫ぶこともできる
 走り回れる
 みんなあたりまえのこと
 こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
 そのありがたさを知っているのは、それをなくした人たちだけ
 なぜでしょう
 あたりまえ

(塾講師)  徳島県

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リストボタン幸いなるかな、悲しむ者   T.Y

この世には、さまざまの悲しみがある。はなやかな世界のような裏に、いかに深い悲しみが流れているか、それは自分が何かの大きな出来事のために何によっても慰められられないような悲しみに突き落とされたときに始めて深く実感することであろう。
愛する人たちとの分かれの悲しみがある。その結ばれた状況が真実で深いほど、そのような人間との分かれは深い悲しみとなり、それは我が身を引き裂かれるような感じであろう。また愛する者が死んでしまったときはさらにその悲しみは深く、苦しみとなる。
また、何らかの原因によって、家族やかつて特別に親しかった者との離反や離別なども思い起こすたびにある種の痛みを伴うような悲しみとなる。
そして自分のからだが不治の病気のために次第に損なわれていくとき、しかもそれは回復することができないと知ったとき、日々死へと向かっていくのをありありと実感するとき、一日一日を慈しむような、そしてすべてが刻々と失われていくことへの深い悲しみがあふれてくるだろう。
また罪による悲しみがある。自分のかつての罪がどんなことにつながっていったのか、それを知らされるときに取り返しがつかないと感じる人もあるだろう。もしそのような愛のない言葉や振る舞いがなかったらまったく別のように状況は変わっていただろうに、と思われることをだれでもいくつか思い出すのではないだろうか。
自然の風物は、私たちのそうした悲しみにも共感してくれるようなところがある。孤独と悲しみに襲われるとき、大きな樹木の幹に静かに触れるとき、その無言の樹木からある種の慰めが伝わってくるようなこともある。
また、ただ光を放っているだけのような夜空の星たちも、私たちの悲しみが深いときその悲しみに共感してまたたいているようにも感じる。
自然は神の直接の被造物であるために、私たちの心が悲しみに沈むときにもその胸のうちに見えざる御手をのべて下さるように感じさせるところがある。
そうしたすべての悲しみにある人たちに対して、主イエスは、言われた。

ああ、幸いだ。悲しむ者は。
なんとなれば、その人たちは、(神から)励ましを受けるからだ。(マタイ福音書五・4

主イエスは、この地上のどんな深い悲しみにも、いかなる慰めをも拒むような絶望的な悲しみに対しても、いつもその前に静かに立っていて下さる。我がもとに来れ、と。
もし、その主イエスを心のうちに受け入れるとき、私たちは、その主イエスによって静かな港へと導かれ、平安を与えられる。

悲しみと罪のなかより
救われしこの身に
誘いの声も魂を揺すぶることえじ
いと静けき港に着き
われは今安らう
救い主イエスの手にある身はいとも安し(新聖歌二四八より)

主イエスは深い悲しみをわかるお方であった。その悲しみを身に負っておられたゆえ、実際にこの世にあらわれるはるか昔、数百年も昔から、「悲しみの人」と預言されていたのである。(イザヤ書五三・3
とらわれない目でみるとき、この世界は回復しがたい悲しみで満ちている。しかしその悲しみは主イエスとの結びつきが与えられたときから、右に引用した讃美のように喜びと平安への道が通じたのである。
新約聖書の最後の書である黙示録に記されているように、歴史の終末には、この世のあらゆる悲しみもまた終りを告げるのがわかる。

彼らの目の涙をすっかりぬぐいとって下さる。
もはや死もなく、悲しみも苦しみもない。(黙示録二一・4

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リストボタンマナセの祈りによせて  E.Y

 全能の主よ、
 我らの先祖
 アブラハム、イサク、ヤコブの神、
 彼らに連なり正しく歩んだ者たちの神よ、
 あなたは天と地と
   そのすべての装いを造られました。
 あなたは命じて海に境を設け、
 栄光ある恐るべき御名によって
   渕を閉ざし、封印を押されました。
 万物はあなたの力に震えおののいています。
 人はあなたの栄光の威厳に耐えられず、
 罪人への仮借なき御怒りは、
   人には忍びきれないのです。
 しかし、あなたの約束された慈しみは、
   計り知れず、究めることができません。
 あなたは、いと高き主、
 情けあつく、寛大で、慈愛にあふれ、
 人に下した災いを悔やまれる方。
 主よ、あなたは正しい者の神。
 しかしあなたは、正しい人々、
 罪を犯さなかったアブラハム、イサク、
   ヤコブにではなく、
 罪人のこのわたしに、回心の恵みを
   与えてくださいました。
 わたしの犯した罪は海辺の砂より多く、
 とがは増しました。主よ、増し加わりました。
 わたしは天の高みを仰ぎ見るには
   ふさわしくありません。
 多くの悪事を行ったからです。
 わたしは多くの鉄の枷で引き据えられ、
 罪のゆえに、頭をあげることができません。
 わたしには、安らぎがありません。
 あなたを怒らせ、
 御前に悪しきことを行い、
 忌まわしき像を立て、とがを重ねたからです。
 今、わたしは心のひざをかがめて
   あなたの憐れみを求めます。
 罪を犯しました。主よ、罪を犯しました。
 犯したとがを、わたしは認めます。
 あなたに乞い求めます。
 お赦しください。主よ、お赦しください。
 とがもろともにわたしを滅ぼさないでください。
 いつまでも怒りを続けて
   わたしに災いを下すことなく、
 罪に定めて、地の奥底に捨てないでください。
 主よ、あなたは悔い改める者の神だからです。
 あなたは善き御心を示してくださいます。
 ふさわしくないわたしを、深い慈しみをもって
   救ってくださるからです。
 わたしは生涯、絶えずあなたをたたえます。
 天のすべての軍勢は、あなたを賛美し、
 栄光はとこしえにあなたのものだからです。
   アーメン。

 最近、夕拝のテープを聴かせてもらっています。今は列王記を聴いています。歴史は複雑に入り組んでいるので、分かりづらいところがあります。三十五年位昔に主人と二人で主日の礼拝とは別の日に聖書の通読をする日を週に一度持っていました。ただ交代で読み進んだのか、短くコメントをしてもらったのか忘れてしまいましたが、創世記からヨハネ黙示録まで、何度か通読しました。聖書の知識のなかったわたしには、聖書の全体の姿がおぼろげながら解り、その後の聖書の学びにとってよかったと思っています。
その後、これもかなり以前のことになりますが礼拝で詳しく学びました。列王記にはイスラエルとユダの国の歴史が交互に書かれています。よく似た内容のことが書かれているうえに、よく似た名前が出てくるのでノートに年譜を作って講話を聴いたものでした。神さまの命令に忠実に従う王が国を治めるかと思うと、次には偶像を拝む王が神に逆らって起こります。国が滅されようとする時、預言者が現れ、正しい道を指し示します。けれども、預言者の言葉を聞き入れずにイスラエルはアッスリアに滅ぼされ、ユダもその後バビロンに滅ぼされます。
 昔列王記を学んでいた時、心に深く残ったことがありました。それが、初めに引用した「マナセの祈り」に関係することでした。
 マナセについては、列王記下二十一章に書かれています。「主の目に悪とされることをユダに行わせて罪を犯させた。彼はその罪を犯したばかりでなく、罪のない者の血を非常に多く流し、その血でエルサレムを端から端まで満たした。」(二十一・16)
 数々の悪を行ったマナセのことが、歴代誌下では、「彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり、祈り求めた。神はその祈りを聞き入れ願いをかなえられて、再び彼をエルサレムの自分の王国に戻された。こうしてマナセは主が神であることを知った。……(歴代誌三十三・12,13)と記されています。
 数々の悪を行っていたマナセが悔い改め、神のまえにへりくだったという記事を読み、心が震えるような気持ちになりました。「このマナセが、悔い改めた!」その時に、「マナセの祈り」のことを聞きました。わたしの持っていた聖書には、旧約と新約の正典しかはいっていなかったので接する機会がなかったのですが、新共同約聖書ができてからは、外典の入った聖書も手にすることができるようになり、マナセの祈りを読むことができました。たった一章ですが、大切な一章になりました。

 この「マナセの祈り」が、本当にマナセ自身のものなのか、それはわかりません。でも、歴代誌にマナセが悔い改めたことが書いてあるのですから、マナセは悔い改めたに違いありません。この祈りがそっくりマナセのものでないにしても、マナセの心を投影していると思います。
 マナセの悔い改めを知った時、すぐに浮かんできたのはイエス様が十字架上で死なれた時、イエス様の右と左の十字架にかけられていた犯罪人のことでした。一人は「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」とイエスをののしりました。すると、もう一人の方がたしなめて、「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ二十三・39~43)
 十字架刑を受けるくらいですから、この二人は数々の重罪を犯してきたのでしょう。でも、最期に臨んで、二人の運命は変わりました。イエス様の姿にメシアの姿を見た一人は、イエス様から、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われたのです。
 死の直前まで、人には悔い改める機会が与えられていることを知らされます。苦しまれているさなかでの犯罪人の信頼はイエスさまを殊に喜ばせたのではないでしょうか。この悔い改めた犯罪人の人生はどんなにか暗く、悲しいことの連続ではなかったかと思われます。心ならずも悪の道に入ったのか、進んで入ったのかわかりませんが、悲惨すぎる人生を帳消しにするようなイエス様からのお言葉でした。
  
 マナセの祈りはまたわたしの祈り(わたしたちの祈り)でもあります。
生まれつき優しい心根を持っているような人がいます。悪口をいったり、妬んだり、見栄を張ったりしないで、何事も良きように受け取れる人がいます。でも、「罪人のこのわたしに、回心の恵みを与えてくださいました。」と、わたしも言います。
それなのに日々罪を犯します。ただ主の御憐れみにすがるばかりです。

「心のひざをかがめて
    あなたの憐れみを求めます。」と祈るマナセのように、わたしも祈りたく思います。

(主婦) 小松島

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リストボタン作曲家の祈り   E.I

 宗教音楽が格別好きになって二十数年経つ。宗教音楽は欧米ではキリスト教音楽を指すが、クリスチャンが桁外れに少ない我が国でも、これに関しては欧米に倣わせている。実は私もキリスト教を知らないまま、崇高な音に惹かれてしょっちゅう聞いていた。しかし聖書を学び始めたとき痛いほど分かったのは、聖書を知らないで宗教音楽を聞いても、作曲家の意図するところは何も捉えていないのではないかということだった。そしてやっと気がつきました。これは作曲家の祈りなんだと。聴き手を感動させ、清らかな境地へと誘う宗教音楽は、作曲家の深い祈りによる神との霊的な交わりから生まれたのだ。
欧米の作曲家の大半が宗教音楽に多くの傑作を残している。その第一人者は大バッハだが、同時代のヘンデルもまた大家である。この時代、宮廷楽長の地位にあっては宗教音楽を書くのは当り前だったに違いないが、深い信仰に裏付けされた敬虔な神への賛美が、数々の名曲の原点だったことも確かである。これまでのめり込むばかりに聞いてはいたが、信仰が加わったことで私の音楽観は大きく変えられた。今の私には、宗教音楽は聖書の音楽編ともいえる。
近代ロシアの作曲家ストラヴィンスキーに《詩編交響曲》というのがあるが、これは彼がボストン交響楽団(BSО)の創立五十周年記念にと委嘱され、そのため彼は自身の宗教体験を通して、信仰をとり戻した時の感動を詩編に基づいて作曲したという。楽譜には次のような献辞が添えられていた。「神の栄光のため作曲され、BSОの創立五十周年に捧ぐ」。彼は詩編三九・1314と、四・2、3、4、それに一五〇全編を選んで三楽章で構成している。
荘厳な響きで始まる宗教的な旋律は、重厚さを漂わせながら第三楽章の「主をほめたたえよ」へと高まっていく。罪の告白、赦しへの感謝、神への賛美と自らの体験もこの詩に重ね信仰の喜びを、さらには限りない神の愛をかみしめたに違いない。
ドヴォルザークは、詩編一四九編を自国のチェコ語を使って作曲した。同胞の民のすべてに、より広く偉大なる神を示したいとの思いからではないだろうか。又、イスラエルの作曲家ツァイスルは《ヘブライのレクイエム》を残している。彼はオーストリアに住んでいたがナチスに追われ、パリからアメリカへと亡命。しかしそこで知らされたのは両親や親戚が収容所で殺されたという現実だった。「ユダヤ人には慰めと希望に満ちたレクイエムが必要だ。しかもそれはヘブライ語で歌うものでなければ」と考えた彼は、詩編九二編を自国民のためのレクイエムとして作曲している。フランスのオリヴィエ・メシアンは独創的な作風で特に注目されている作曲家で、《キリストの降誕》や《キリストの昇天》等の信仰に根ざした曲を数多く残している。又、最晩年に二三〇分もの大作オペラ《アッシジの聖フランシスコ》を書いた。
ここに挙げた作曲家のうちドヴォルザークの作品を除いては「現代音楽」と呼ばれている。第一次大戦以降生まれた作品の総称のようだが、「現代音楽」は何故か敬遠される傾向にある。しかし偏見を捨てると素晴らしい音楽の泉だ。なかでも聖域をここまで音楽表現し得たかと思われる作曲家がいる。エストニアからオーストリアに亡命したアルヴォ・ペルト。「その響きは最初の一音から聴き手を非日常の世界へ開放します。(略)私たちの鈍化し硬直した眼や耳では捕らえられなくなってしまった真理がここにあります。」これはCDのジャケットに書かれていた文章だが、この世のものとは思えないペルトの静寂な宇宙空間を的確に伝えているので使わせてもらった。とにかく恐ろしい程、身震いするほど美しい。ある音楽学者はいっている。「これは何という音楽だろう!このような曲を書ける人は自分から抜け出たことのある人に違いない。」他にも、祈りの音楽ばかりを書いているギア・カンツェリー、あるいはグレツキーといった、深い信仰から絞り出されたような曲を作る人もいる。
因みに、我が国でのキリスト教音楽としては村松禎三作曲のオペラ《沈黙》(原作・遠藤周作)で、音楽性から見ても日本のオペラの最高といっても過言でない。又、原嘉壽子作曲のオペラ《ペトロ岐部転び申さず候》は実在した切支丹、ペトロ岐部の生涯をオペラ化したものだ。ペトロ岐部は、徳川幕府の切支丹国外追放令によって、マカオに流されたが、インドのゴアに渡りそこからエルサレムを通ってローマに行った。勿論エルサレムに行った日本人の第一号である。彼はイエスが処刑されたあとに建てられた聖墳墓教会も訪れている。ローマは驚いた。迫害の日本を追われ行く先々のマカオやゴアでも歓迎されず、ついには単身、中近東を横断しあらゆる障害をのり越えてローマに辿り着いたペトロ岐部。ローマ教会はこの日本の神学生の熱意に圧倒されたのである。彼は司祭を叙階され当地に留まるよう説得されたが、日本の信徒を見殺しには出来ないと迫害の嵐の荒れ狂う日本に密かに戻り、東北に潜伏した。しかしこの時代の常で密告され捕えられる。厳しい拷問で知られる宙吊りにされたが彼の信仰は堅く、ついには腹の上で火を焚かれ殉教した。
宗教音楽の透徹な響きに深い祈りを感じるようになって、いつの頃からか自分の祈りを重ねるようになりました。元々ボキャブラリーが貧弱な私は、お祈りの度にそれを痛感するのですが、だから宗教音楽はそのまま私の祈りです。聖書を学ぶことで好きな音楽も神を仰ぎながら聞くという姿勢に変えられました。

(いけばな)  徳島市

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リストボタン神との出会い人との出会い   M.I

  私たち人間、動物、植物などあらゆる生き物は神様によって創造され、神様のみ手の中で生かされ、全ての物そして一人一人全ての人が神様から使命が与えられています。人との出会いも神様のご計画の上にあると思います。
集会の仲間であるTさん、Kさん、Nさん、そしてIさんと二十数年前知り合い、今神様を賛美する集いの中で一緒に歩ませていただいていることの不思議さを感じます。
 今又一人去年の秋より、神様に導かれるきっかけを作ってくださった恩人である人が三十年ぶりに徳島へ帰り、いのちのさとへボランティアとして関わって下さっています。
 それは三十数年前に遡ります。学生運動に矛盾を感じて徳島へ帰り、空しさを感じながら会社勤めをしていました。その時まだ女学生であったM・Oさんと知り合いました。Mさんは母親に連れられ六歳より教会へ通っており、彼女によって初めて聖書を見ました。又ピアノを習っており、その日弾いてくれた賛美歌の「あまつましみず」が自分の渇いた心を潤し何とも言えない暖かい気持ちになったことを覚えています。そのMさんと会を創ったのが今ある「いのちのさと」の出発点となりました。
 そのお陰で神様を知り、妻とも知り合うことになり、本当にいのちの恩人であり神様の恵みを感じられずにいられません。県外へ行ったMさんとはずっと交流は続いていましたが、帰って来て最初に言われた言葉があります。
「何事も全て自分一人で決め、勝手に進める無鉄砲な行動は行動力があるのではなく傲慢さだよ。傲慢は神様の敵だから。せめて奥さんには何事も相談するように。謙虚さこそ神様に愛されるから」と言われ、改めて神様に向き合う姿勢を反省させられました。ある意味では母のような存在です。
「誰でも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」   (マタイ二十三・12、ルカ十八・14、ルカ十四・11
 今は毎月第一木曜日と第三木曜日の一時半から三時半までコーラスの指導に来ていただき集会の人たちそして作業所の利用者と共に歌を通じて神様を賛美する時を持つことが出来、本当に感謝しています。今では利用者の大きな楽しみ、そして喜びの一つとなっています。
 この様に偶然に思われる人との出会いも、その奥には神様の深いご計画を感じずには居られません。
 「クリスマス 主に導かれし 出会いかな」       
そして求めればいつでも誰にでも神様を知ることが出来ることを確信します。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(マタイ七・7)
 今Mさんはどこの教会にも所属していません。今後集会に是非参加でき、学びの機会が与えられますことを願い祈っております。

(福祉作業所いのちのさと)  徳島市

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リストボタン主の存在   M.I

「すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(ルカ二十一・3233
今年は幾多の台風や地震が起きて災害の多い年であり、今もその被害で苦しんでいる人が沢山います。
災害による突然の災難や事故、病、死など、いつ災いがどのような形で襲ってくるかわかりません。
神様を知っている私たちはどんな時も主にある平安が与えられることの恵みを感謝します。
とはいえ、生身の私たち、少しの地震でもうろたえ、ちょっとした人の言葉で落ち込んだりと思い煩いは尽きません。
でも神様はどんな中にあってもいつも導き、守ってくださいます。
よこしまな考えや行動をとった時も神様を見上げるなら神様はそんな私たちを泥沼から引っ張り上げて下さいます。
何回も、何回も同じ過ちを起こしてしまう弱い人間ですけど、神様の憐れみの中で、計り知れない愛の深さの中で、光の方へと導いて下さい。

(福祉作業所いのちのさと)   徳島市

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リストボタン主よ   E.I

「主よ、あなたの慈しみは天に
あなたの真実は大空に満ちている」(詩篇三十六・6)

 東の空がうすい茜色に染まり、清らかな金色の光がうろこ状の雲を照らし出します。清々しい秋の朝。なんという一瞬。神の時という言葉が思わず浮かびます。空の雲や光の様子は一刻として同じではありませんが、その一瞬一瞬が「神の慈しみであり、また真実である」ことを、そこに見せてくれている思いがします。ことに、昨日、水曜日の集会で学んだ詩篇三十六編の六節から十節は、この日のわたしの心に、深い、神様の慈しみと真実への思いを刻んでくれました。
 或る日突然のように、今までわからなかったことがわかるように思える時があります。でもほんとうは、それは突然ではなく、長い長い間かかって、心や魂のなかに準備されて来た事ではないかとわたしには思えます。何によって?神の手によって。一瞬一瞬、「神の時」が動いていきます。そして一刻としてとどまることのない神の手が、慈しみと真実をもって、それを成して行くのではないでしょうか。これを知って初めて人間は、いいえわたしは、生きることの意味と充実を見出したように思います。
 「いかなる奇しき愛ぞ愛ぞ・・」という賛美の歌詞がありますが、私たちが住んでいる空間は、神の愛で充満していることに気づかされ、驚きます。しかし実際そうでなければ人間など、一瞬たりとも生きていられないのではないでしょうか。でも神様を知る以前のわたしは、空を見ても、山へ行っても海に行っても、何か不安で、無関係で、風景は隙間だらけに見えました。
若いころ、ある友人が「あらゆるものの角が全部、鋭く尖って見える」と言ったことがありましたが、その頃、わたしにもその意味がよくわかりました。人が神を知らぬ時、神を見失う時、そこには殺伐とした死の世界が広がっているだけです。
 しかし何と多くの人が、今もそんな世界をさ迷っているでしょう。そのことを思うと、思い当たる顔が一人、一人うかび、ほとんど息苦しくさえなります。わたしはごく最近(と言っていいかな?)、神を知らない世界から百八十度も転換させられた(まさにサセラレタ)ので、そのちがいがまざまざと見えます。そればかりか、光と闇とに分かれるその「ちがい」は、日を追うごとに、さらに大きくなっていくのです。これからも、たぶんとどまる事を知らぬほど・・・・
 そのことをどうやって伝えようか?伝えたい。自分だけ救われることはあり得ないから。
 そして更に十節ではこう歌われています。
「命の泉はあなたにあり
 あなたの光に、わたしは光を見る」
(命の泉 the source of all life. the fountain of life

(主婦)  徳島市

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リストボタンわからないこと   M.I

人には、わからないことが、多い。毎日「どうしてこうなるんだろう ?」と、思う事がよくある。
良い香りに出会うと、幸せな気分になる。実家の裏山にあるくちなしの花や、E姉から根のまま頂いて、大きく育ったジンジャーは特に心地良く感じる。イヤな臭いに遭うと、どうして?とイ
ヤな気持ちになる。そんな単純な事ばかりではないが、人にはわからない事がいっぱいある。
人の心も、これまた、常に変わる。秒ごとに変わるのかも?自分に対して人がどのように接しても、例えば褒めても、心が変わっても、少しでもほんの、少しでも、その人の為に祈っていけたらと願う。前進か、立ち止まっているのか、後退しているのか 。鈍い自分だが、心にかけていきたいと願っている。わからなくてもいいと最近そう思えるようになってきた。「待っている者は幸いです」。(ダニエル書一二・12

(施設職員)  徳島市

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リストボタン神様の愛と力  S.I
 
「神は、すばらしき御計らいをもって、私のゆくべき道を定めたもう。
 まじりなく聖き愛の心もて導きたもう。
 私に、その道は見えずとも
 神の御計らいは最善
 それが、神の愛の導きと知るとき、
 苦難のうちなる私を勇気づける。
 神よりの永遠の知恵は、わたしのゆく、一足ごとの歩みをさだめたもう。
 私に与えられるすべては最善そのもの。
 なぜ、私の道が困難をきわめるのか
 理解できずとも、私はまことに悟る。
 あなたは、ただ愛そのもの
 そして、御計らいは偉大にして神聖」(マザー・バジレア)

「十字架の言は、滅び行く者たちには愚かであるが、救いにあずかるわたしたちには神の力である」(Ⅰコリント一・18
 このたび四ヶ月間の闘病生活の中で日々主に自分の意志をゆだねることで神様の大きな愛と深い恵みを頂き御力を頂いたことを心から感謝します。神の御名を宣べ伝える御用が許される者として下さい。

(無職)  徳島市

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リストボタン良きものを下さる主  U.I

「あなたがたは、キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。」(コロサイ二・6~7)
 徳島聖書キリスト集会の兄弟姉妹のお仲間に入れていただいて、二十年余になりますが、なかなかキリスト者としての歩みはできません。今頃ようやく自分の罪が分かるようになりました。然しともすれば他者を裁き、明日のことを思い煩います。
 「主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知をこえる神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」 (フィリピ四・5~7)
 神様は、こんな私でも赦してくださり、御愛にみちたみ手の中にいかしてくださっております。
神様に、私が願い求めたものは頂けなかったとしても、神様は私の思いを超えたそれ以上の良きものをくださいました。人生の終わり近くなりました今、神さまの素晴らしいみわざを確信できましたことは私には大きな恵み、喜び、感謝であります。終わりの時までこの確信を失うことなく御もとに導いてくださいますようお祈りします。

徳島市

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リストボタン神中心の信仰とは   S.U

 信仰とは神のみ言葉を聞くことであり、聖書のみ言葉に聴従することであります。この世の欲に揺れ動く自分から、み言葉によって神に立ち帰ることであります。
 聖書は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことでも感謝しなさい」(テサロニケ五・16)と言われています。み言葉は力強く、簡潔で的確です。私のような者にも、何の疑問もなく文字どおり理解できるのですが、しかし、このみ言葉に対して、心の底から湧き上がるような喜びや感謝が生じないのはどうしてなのでしょう。私の信仰心が足りないのか、それとも真実な祈りができていないからでしょうか、わたしには分りません。
 私は今夏、はからずも近畿地区京都集会で、九十五才になられる老婦人の信仰告白をうかがいました。その二十分足らずの証言の中で、何度も自分中心の信仰という言葉を語られました。そして信仰とは如何に神様中心でなければならないかということを、彼女の体験から述べられたのでした。
 彼女は熱心な教会員として、常に地域社会に奉仕し、海外の社会福祉活動にも参加するという篤信家でありましたが、次第に倦怠を覚え疲労を感じるようになってまいりました。
そしていつのまにか教会にも足が遠のくようになったのです。
 たまたまその頃、会社勤めをしていた息子さんが脳梗塞で倒れ、一時は医師から死の宣告を受けるという絶望のどん底に落ち込みました。その時彼女は、息子さんと一緒に死ぬことまで思い詰めていられた様子です。
 十余年という歳月のタイムトンネルから、現実に戻ったそこには、病気も癒え元気を取り戻した彼であった。社会活動こそしていないが、読み書きに不自由なく、自立生活に復帰した彼女の息子さんでした。
 彼女はひたすら息子さんの再起を願って、必死に神様に祈り求めました。息子さんと共に死ぬことをもいとわない彼女の前には、も早自分という者はなく、ただひたすら神様に依り頼み祈り求めました。恐らく来る日も来る日も祈り続けたことでしょう。
 彼女がこれまで歩んできた信仰は、教会活動も社会奉仕も、自己を主体とした自分中心の信仰であったと告白されました。そして彼女は息子さんの病気という大きな試練に遭って翻然として神中心の信仰に立ち帰ることができたのです。自分中心の信仰には限界があり失望と挫折に終わる道でしょう。
 彼女は、再びこのような所に立つこともなく、これが最後でしょうと述懐しつつ、神様中心の信仰を高らかに賛美して壇を降りられたのでした。
 暁天の明星を仰ぎ見、また夕焼けの下繁茂する樹海を望みての大地での祈り、平安と安眠によって朝の目覚めを迎えた感謝の祈り、衣食住足りて平安をいただいた感謝と安眠を願う祈り、祈り祈られる午後三時の祈り、食前の祈り、この一つ一つの祈りがわたしの信仰の支えであり、霊的な糧であります。
 わたしはこの冒頭で、心から湧き上がるような信仰の喜びや感謝のないことを述べましたが、今回彼女の証言を聞いて、自分中心になりがちな自分の信仰を顧み、今更ながら「わたしについて来たいものは、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタイ一六・24)と言われたイエス様のみ言葉が、真理であり命であることが解りました。わたしにとって、正に喜びであり感謝であります。アーメン

(無職) 神戸市

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リストボタン今していること   T.E

 僕はいのちのさとに二十歳で来ました。今年三十七歳になります。
金、土、日、月曜日は牛の世話をしています。乳を搾っていのちのさとでビンに詰めて配達しています。水、木曜日はしいたけ、配達などを手伝っています。今は集会の中本さんに教えてもらって、いらない木でログハウスを建て、鈴木さんの家を壊しに行ってもらった木で販売所を福田さんと一緒に作っています。今年できたらよいと思います。
集会はいのちのさとと田宮、鈴木さん、奥住さん、戸川さんの所へ行っています。四国集会へ今年も行きました。 友達がたくさんできました。 イースターも参加して歌を唄いました。今年もクリスマス会に参加して石川さんと奥田さんが作ってくれたいのちのさとの歌を唄います。
今度全国集会へ行きたいと思います。友達ができて楽しいです。

徳島市

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リストボタンイエス様の御声  H.A

「あなたの今の苦しみは神様から与えられた試練です。あなたはすでに勝利しています」
 このささやきが耳もとで聞こえ、私はぱっと目が覚めました。九月二十三日の午前三時半でした。私の住み家である家に、建てられてから百年以上経っている古家の土蔵があり、台風十八号は大きな傷あとを残して去って行きました。
 人を介して修理業者を探したり、大へんな苦労でした。次々と起こって来る難題に私はすっかり気力をなくしてしまい、食欲もなく不眠状態になりました。
 そんな時、イエス様が私の枕許に来て下さり、耳もとでささやいて下さったのです。目がはっきりと覚め、起き上がった時「イエス様が来て下さった」と思いました。着替えをして、外に出ましたら、小雨が降っていました。午前四時には小雨だったのに、五時すぎに再び外に出たら、東の空がばらいろに染まって、晴れてきました。昨夜までの暗い落ちつかない気分はどこかに消え去り、自分でも信じられないほどの気力をとり戻し、賛美をしながら、朝の準備をすることができました。
 工事も順調にすすみ、土蔵もきれいに修復できました。集会の多くの方にメールや電話でお祈りをお願いし、励ましのお手紙を頂いたり、メールを頂いたり、本当に感謝でした。
 今までそれほどお話をしたことのない集会員のN兄がトラックで来て下さり、処分に困っていた山のような木の枝をすみやかに片付けて下さったのには、言葉に言いつくせない感謝です。
 イエス様は、孤立無援の私の悩み苦しみをこのように肩代わりして下さいました。本当にありがとうございました。
 職人さんたちの接待等でしばらく集会に出席することが出来なかったのですが、今は主日礼拝にかかさず出席出来る幸せを毎日曜日、感謝して、かみしめています。
(九月二十三日は、『祈りの友 』の四国グループ集会であったことを後日知りました。)

徳島市

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リストボタンモミの木   T.O

 川辺の小さな教会牧師は老いた女の人であった。モミの木を切ってきてくれないかといわれ、私の山へと向かった。途中、杉の木の林の中にモミの木の良いのが目に入り、切り倒してかついで帰った。枝にふられ大きすぎた気がした。よその木をことわりもなく切ったことに、少年の心を痛めていた。杉の下木だから、と言い訳をしながら教会のツリーを飾った。牧師さんはきれいに出来たと喜んでおられた。鐘やサンタなど作っていた。去年は旗やモールだけであったとのこと。それからは、ガヤの木で毎年ツリーを作ることにした。畑のほとりに四十センチのモミの木を見つけて、バケツに入れクリスマスを祝った。庭に降ろしたり毎年祝った。結婚の年に元の畑にもどした。今は、十メートル以上の大木になった。かかえて、手いっぱいの大木になり窯を見下ろしている。五十年でこんな大きな木になるものなのか、と疑う。今は孫にせがまれて山に行くが、ガヤの木や杉の木で飾っている。

 クリスマスは孫、女の子四人、友達たちで祝っています。イエス様の話しをしたり、アルタパンの紙芝居をしてやっています。アルタパンは四人目の博士で、イエスの後を追い、ついに死んで天国に入る話です。マタイ伝を主体にした話です。若いとき、教会で劇をしようとしたが、誰もセリフを覚えなくて出来なかったのですが、私の心には深く覚えていました。ある年、愛農地方集りを私の家で行いました。信仰者でない人が数名おりましたので、クリスマスについて話をしました。内村鑑三の「新しきクリスマス」を読んでいたので、天国、すなわち父と子、聖霊の喜び、今日、この中から新しい人が産声を上げたら地と天との喜びが新たな生命の誕生日となると語ったと思います。今一度、内村の作品集を読みました。「視よ、暗は地を覆い暗黒は諸の民を覆わん。然れど汝の上には主、照り出たまいてその栄光、汝の上にあらわるべし。」(イザヤ六十・2)
 来たりたもう栄光のクリスマスという。義の太陽とあるが、今年のクリスマスも明星の輝く平和なクリスマスでありますよう祈ります。

(陶工) 広島県

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リストボタン讃美は祈り   E.O

 主日礼拝の始まる前にその時にかなった讃美を選んで心静めるために讃美する日があります。
八月二十二日は新聖歌三一一番 「いかに恐るべき」を讃美しました。

 一 いかに恐るべき ことありとも  
   み翼の陰は 安らかなり     
   (折り返し)           
   愛の神は いかなる時にも
   頼るなが身 保護し給わん
 
 二 骨折り疲れて 沈む時も
   道に危うきの 潜む時も

 三 必要ことごと 備えられて   
   願い事ごとすべて 受け入れられん

この讃美は吉村兄が一週間も、遠い北海道や東北地方の知らない土地へ福音の伝道に行かれ主の働きを終え無事帰県できた感謝の祈りにふさわしい讃美であったと感じられました。それで私自身も祈りとなって心を込めて讃美することができました。
 又、「祈の友」の清家さんも朝ごと讃美を祈りとしていることを話されたし、礼拝の時も讃美は祈りであると言うことを教わっていたのですごく実感できたので、これからは祈れなくても讃美をもって(難聴者なので手話讃美)神様にお捧げしようと思います。 

(主婦)  徳島県

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リストボタンホザナ  K.K

ホザーナ、ホザーナ。
今年も徳島市民クリスマスで行われる手話讃美の練習が始まった。讃美曲の中の一つ、リビングプレイズ一九番「ホザナ」。両手を上に上げて左右に大きく振ってホザナを現す。
 「ホザナ」の原語の本来の意味は、「(主よ)今救って下さい!」という意味だと学んだ。明日ではなく。少し後からでもなく、主よ、今すぐに救って下さい。生きていることは一瞬一瞬が戦い。主が来てくださらなければ、敗北ばかりの戦いの中で、滅びに向かって生きていく。
両手をあげて、ホザナ。神様を思ってホザナ。心を込めて讃美する。
 帰り道、夕暮れの吉野川の土手を車で走る。ふと、一面にならんだススキたちが風を受けて、揺れている。ホザナ、ホザナと揺れている。
素直な心になりなさい。風を受けて歌いなさい。ススキがわたしに語りかける。

 稲穂の従順

久しぶりに稲刈りを手伝った。
稲穂が機械の中に取り込まれていって
どんどん
どんどん
刈り取られていく。
最後に残った一筋の稲穂たちが
きれいに一列に並んで、さやさやと立っている。
うすい黄緑色の葉と稲穂のうす黄色が
なんてきれいにそよいでいるのだろう。
一列に並んだ優しい天使たちは
置かれたところでじっと刈られるのを待っている。

み旨のままに、この地に蒔かれ
み旨のままに、光を受けて
み旨のままに、穂をつけた。
時が来て今刈られようとしている稲穂たちの
どこまでも従順な信仰。
自分の思いばかりが心を占めていたわたしに
美しい従順の姿を
何も言わずに示しながら
稲穂は静かに刈り取られていった。

(看護師)  徳島市

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リストボタン我乏しきことあらじ」  T.K

 僅か二十数坪ながら三十年代には小さくても文化住宅?であった我が家も、四十年に余る歳月とともに、リフォーム業者の標的となった。なるほど、この近辺にも新しい住宅がひしめいてきて、我が家の古さは目立つのだ。
 これを建てて下さったのはT.Sさん。百二歳までご健在で長い間徳島無教会のリーダーとして、私たちの先頭を歩まれた方、その方の六十歳代後半の作品である。限られた予算の中で精一杯を尽くして引き渡してくださったのが一九六三年十二月末、壁土の生乾きの家で正月を迎えたことは忘れられない。
 起工の節目は十月の初め、その日快晴。棟梁のSさんと母と私だけで、標以外に何もない敷地に佇まい、さりげなく始まった起工式だったが・・。初めに黙祷が捧げられ、聖書が朗読された。
 詩編二十三編 
「主はわが牧者、
 我乏しきことあらじ。
 主は我をみどりの野に伏させ
 いこいの水際にともないたまう。」
 二歳になったばかりの子どもを抱えて実家に戻り、長兄の厄介になってきた私が、自立のめどのもとに母と息子との三人で住まう地が定まり、そこに家の建築が始まろうとしていた。
「たとい、われ死の蔭の谷を歩むとも
禍災をおそれじ。汝我と共に在せばなり、
汝の笞、汝の杖我を慰む。」
神が共に在して下さるとの約束をいただいたという感銘がこの時胸にジーンときて、身がひきしまった。続いて杣友さんの祈り、心からアーメンを併せて終わった。簡潔で類のない祝福の起工式となった。以後、この二十三編は私の裡に止まり、この家も神の家でありたいと、願い続けたことだった。私にも特別の思いがあった。後に何度か手を加えたが、原型を損なうまいとして今日に及んでいる。神様が私に杣友さんを通して下さった記念碑なのだから。
 杣友さんのお考えはこうであった。建築に当たっていろいろ話し合ったが、I.SKさん、方丈記をご存じでしょうね」「住居に精力を注ぐことは愚かなことです。形あるものは何れ滅び去ります。」「私たちは決して滅びないものに傾注しなければなりません。」・・等々。私は万事を杣友さんに委ねて安んじ、意見の違う母をおさめたこともあった。
 それから十五年間、三人が肩を寄せ合って住まうに何不自由なく歳月が流れ、私たち母子に献身的にしてくれた母は次第に年を寄せ、息子はたくましく成長した。その過程のひとつひとつはただもうひたすらなたたかいであったが、耐えられぬ苦しみはなく、すべてが神の最善のお計らいの裡にあったことを思う。
 九十二歳になった母を天に送り、同じ年の春に息子を遊学させて急に淋しくなったが、仕事に忙殺されたことが幸いしてあとの年月も束の間だった気がする。家もまだ健在で私の必要を満たしてくれている。今年の何度かの台風に雨漏りさえ免れた。あと幾許か、風雪に耐えてくれるだろう。
 この詩は、ダビデが実子アブサロムの反逆にあい王位と生命の危機に瀕し、あてどのない遁走流浪のただ中で歌われた詩であると言われている。悲哀と孤独の極みの中で神の導きと護りに依りすがった「われ乏しきことあらじ」の思いは、いかに切々とした魂の叫びであったことか。
 さて、私には過ぎ去ったことに一片の悲愴感も嘆息も今はないが、罪の痛みは現在もとめどない。具体的な暮らしの足場をここに据えて四十余年になるが起工時の祈りに如何ほどそい得たか、みゆるし、いつくしみに果たして応えられたかどうか。住居は日と共に古び、肉体もまた古びてゆく。ああ、しかし、今にして湧き溢れる言葉は「我乏しきことあらじ」であり、「汝、我と共に在せばなり」と。ただただ感謝。

徳島市

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リストボタン俳句  S.K

 元旦の膳に残りし海老の貌。
 牧場に寝転びて見るいわし雲。
 流水岩の庭に苔生う秋湿り。
 やさしさの花のひとひら人偲ぶ。
 木洩れ日に本を開きて風眩し。
 トタン屋根一枚残さず大野分。

徳島市

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リストボタン学びの中での感謝   M.K

 「主よ、なぜ遠く離れて立ち苦難の時に隠れておられるのか。」(詩編十・1) 
 吉村さんのお話を聞きながら、色々な出来事を、思い出していました。困難な問題や暗くて、前が見えなかった私を、神様はみな覚えて、御心に留めてくださいました。大いなる奇跡を思いめぐらし、今の私のことを感謝する事が出来ました。

「立ち上がってください、主よ。神よ、御手を上げてください。
  貧しい人を忘れないでください。
 なぜ、逆らう者は神を侮り罰などはない、と心に思うのでしょう。
 あなたは必ず御覧になって御手に労苦と悩みをゆだねる人を顧みてくださいます。
不運な人はあなたにすべてをおまかせします。」(詩編十・1214
 この箇所が心に残り、神様をしっかり見つめ、また困難が襲ったときも、神様の力を信じゆだねて行くことができますようにと思いました。
 ルカ集会も皆さんと共に祝福を頂けたことを、感謝致します。
 これからも神様からの信仰を持って、共に歩んで行く事が出来ますように、これからもよろしくお願いします。

(美容師) 徳島県

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リストボタンイエスがいるから  Y.K

「イエスがいるから 明日は怖くない
イエスがいるから 恐れは消え
イエスがいるから 人生は素晴らしい
彼に全てを委ねた今は」

 私はこの病院(徳島大学病院)に入院して、ちょうど二十年になりました。すなわち人工呼吸器の装着歴も二十年になります。人工呼吸器が発明されてまだ八十年ほどだから、私は長期間の生存例かも知れません。最近、毎年のように人工呼吸器の医療事故で死者が出ているし、先日の新潟県中越地震で入院中の患者の人工呼吸器が外れて、亡くなったことも記憶に新しいところです。その意味では、私たち人工呼吸器の使用者は、生と死の狭間にいるといえます。私もつい最近外出中に、酸素ボンベの残量がゼロになって、窒息の寸前で、一歩違いで死に至っていたかもわからないといった経験をしました。
 さて、この二十年間の前半と後半の違いについて振り返ってみます。それは聖書を知る前と知ってからに分かれます。最初の十年間は何もするべきことがありませんでした。ただ新聞やテレビを漫然と眺めているだけで、退屈で死を考えるだけの文字通り死んだも同然の毎日でした。気管切開のために発声ができなくて、一日中押し黙ったまま、家族も含め誰との意志の疎通もできなくて、心は嵐が吹きまくっていました。友達も少なく、半年間誰も訪ねてくれる人もないということもありました。向上心も知識欲もなく、本を読みたいとか、何かを学びたいとか、糧になるものを探すということもなかったのです。暇で、淋しくて、孤独でしたが、ベッドに寝たままで、逃げて行くことはできません。声が出ないために、淋しいということすら表現できませんでした。まさに生ける屍でした。
 それと比べて後の十年は生活ががらっと変わりました。入院して十年も経つと自然と考え方も変えられて当たり前です。このままではいけないと思うようになりました。遅すぎたくらいですが、十年もかかってやっと自分自身の障害を受容できたのです。それが何によってかをこれから書きたいと思います。
 手紙を書きたいと思ったのがきっかけで、自分で使えるパソコンを探しました。首から下が完全に麻痺しているので、私に見合う装置を見つけ出すのには骨が折れましたが、なんとか見つかりました。そんな時たまたまパソコン用のCD-ROMを使って聖書が読めることを知りました。でもまだその頃はソフトが少なくて、読みたくても読めるCD-ROMは聖書しかなかったのです。暇にまかせて貪るように聖書を読みました。旧約聖書と新約聖書の違いも、カトリックとプロテスタントの違いも何もわからないままにです。むしろ私にとっては、キリスト教に対する知識が全然なかったことが幸いでした。聖書は文学書の一つであり、イエス・キリストはキリスト教の教祖だとしか思っていませんでした。
 ある時、ここの病院にご主人が入院していたクリスチャンのOさんと知り合い、病室を訪問してくれるようになり、また友人から徳島聖書キリスト集会のIさんからYさんを紹介されました。
障害者になって失ったことも多かったかわりに得たことも多いのです。ここでは全てを書き切れませんが、その最たるものは、多くの友です。それはイエス様に招かれた友による友の紹介に
よるものです。その人たちからいろんな話を聞かせてもらううちに、私のキリスト教への認識が変化し始めました。イエス様は私の重い罪のために、十字架に付けられて死んで下さったこと
クリスチャンはこの世の生を終えた後、キリストと同じ完全な形に変えられ、永遠の命を与えられること、など、福音が伝わってきました。私のような重度の障害者でもひとりひとりが神様から愛されていて、悲観して生きることはないとわかるようになりました。それまでの、「自分は生きていく価値のない者だ」という人生観が百八十度変わりました。私が病気をしたのはただ単に運が悪かっただけのことだと考えていましたが、それがそうではなく神様の必然だと思えるようになりました。神様の計画のうちに、私を病気や障害者にさせる必要があったと理解できました。私が生きているうちには、その理由はわからないでしょうが、私が御国に行ってイエス様と相まみえた時に、「ああ、こういうことだったのか」とやっと理解ができることでしょう。その希望もこの世をこれから生きる糧になります。
 そのために、イエス様を中心とした生活がしたいし、神様に喜ばれることをしたいのです。イエス様にすがりついて行きたいし、もっとイエス様のことを知りたいというのが今の正直な気持ちです。パソコンで讃美歌の楽譜の入力を八年以上続けているのも、それを実現する一環です。私に才能があるとか、知識に優れていることでは全然ないのです。神様はそのご計画のためには、使える者は何でも用いようとする御業の現れだと思います。この仕事を与えて下さった神様が素晴らしいのです。私のような小さな弱い弱い者でも、残された体の機能を使おうと、神様が考えられた結果なのです。私の信仰が篤いとかいうことでもありません。イエス様の説いた福音を信じるか信じないかということだけです。
 これから生きて行く中で、多くの悩み、思い煩い、苦難、艱難などが、私(たち)にはたくさん待ち受けていることでしょう。そんなただ中で、多くの信仰の友とともに祈り合いながら、日々を過ごして行くのだと思っています。

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ記一・21

徳島市

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リストボタンこの花のように   H.K

1
、この花のように、美しい心を 
  神様ください、小さなわたしにも  
2
、この花のように、人々を愛する
  心をください、小さなわたしにも
 第八回、「祈の友」四国グループ集会に参加できこの花のようにが歌われているのを聞いて、本当に小さな私にも美しい清い心をいただけたら、と思いました。自然は黙っていてもたくさんのことを教えてくれます。
 明けの明星、小鳥のさえずり、名もしらず咲いている草花、踏まれても踏まれても立ち上がり生きていく雑草。
 聖書の学びのとき、草花の名前を教えていただくことによっていっそうこのような小さな道端に生えている雑草に目が注がれるようになりました。神様は誰に対しても同じように多くのものを与えてくださっているのに私はそれを知らずに御心にそむいていたかを思わされました。「午後三時、祈の友」の集会に参加できてとても感謝しています。

(主婦)  鳴戸市

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リストボタンヨブ記とロマ書を学んで   R.K

 昨年五月から大倉山集会に参加させていただき、ヨブ記とロマ書をじっくり読む中でたくさんの驚きと発見がありました。
 ヨブ記では、神様を畏れ敬い、道徳的正しさを極めたヨブが、凄惨な苦難に次々と遭いました。三人の友人が慰めに来ました。神様を信じていない友人ならまだしも、信仰を持っている友人からの言葉によってヨブの苦しみは増してゆくところなどを読みました。神様はこんな苦難をヨブに与えることを許して一体何を求めておられるのか疑問でした。でも学ぶうちに神様が求めておられるのは、人間が自分の力で正しく生きることではなく、神様になりふりかまわず叫び訴え迫っていくことだということが分かってきました。ロマ書でもそのことを感じました。
 最近私は、人間に理解してもらえない苦しみこそ神様の目から見て大きな価値があるように思えてきました。人に分かってもらえず慰めてもらえないからこそ、人間の知恵や力に頼るのではなく、神様に向かって顔を上げ、叫び、神様に魂が開かれていくのだと感じます。  
 「私にとっていとおしい者たちに十字架を与えるのはなぜか分かるか?私は彼らの魂を完全に所有したいと願うゆえに、彼らの周りに十字架を置き、試練で囲むのである。」イエスから告げられたジェンマへの言葉  『聖ジェンマ・ガルガーニ 心にある十字架』より

学生  神戸市

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リストボタン私の好きな聖句   M.K

「そこで神は御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。・・・だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、
また頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。・・・それで、体に分裂がおこらず、各部分が互いに配慮しあっています。一つの部分が苦しめば、全ての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」(Ⅰコリント十二・1827

(主婦)  神戸市

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リストボタンどこから「禁煙化」を始めるか  M.K

 私の卒業した徳島県立城東高校に新しい建物が完成したというので、三十五年ぶりに同期会を開こうということになった。たくさんの恩師が出席を予定されている。私も出席して感謝の気持ちをお伝えしたい。ところが会場となる徳島東急インは禁煙ではない。私は極めてタバコに弱いので、禁煙化されなければ出席は難しい(注一)。東急イン側に問い合わせると、禁煙にできるか否かは主催者次第であるとのこと(注二)。同期会の幹事に会場内禁煙をお願いした。私の卒業したクラスの代表は現在徳島県の高校の教師をしている。出席者は女性が多く、タバコが嫌いな人が多いから禁煙化は簡単に受け入れられるであろう、とのことであった。しかし、幹事会で諮ったところ、「禁煙ではなく分煙(注三)とする」との結論となったそうである。徳島県の公立学校は来年度から敷地内禁煙になる。同期会幹事たちは地元で教員をしている人が多く、来年度からの敷地内禁煙を喜んで受け入れている人が多いという。しかし、自分たちが主催する同窓会となると、会場を禁煙とすることはできない。これが不思議であった。
 分煙なら可能というが、一つの部屋の中での分煙は意味がない。煙は自由に流れてくる。禁煙が不可能となった理由は、「禁煙のアナウンスはできるかも知れないが、違反者に対しては何も言えない。トラブルを避けるためである。また招待する恩師が喫煙したとき何も言えないからだ。」と知らされた。
 確かに、パチンコ店で禁煙を徹底しようとするとトラブルになるだろう(注四)。しかし、学校の同窓会である。招待するのは元教師たちである。確かに思い起こせば、あの高校の先生たちは、生徒の前でタバコを吸っていた。職員室や体育祭の運動場でも吸っていた。しかし、その喫煙教師たちが禁煙となった同窓会会場で喫煙するだろうか。いやしくも元教師である。理性的な人たちである(注五)
 受動喫煙防止を謳う健康増進法(二五条)が施行されて二年半が経過した。罰則がない法律であるが、しかし、法律は法律である。無視してよい訳はない。警察署をはじめ、公的機関、公立学校では敷地内禁煙が進行中である。この法律によって徳島県の公立学校では来年度から敷地内禁煙となるのである。しかし、現状は、一般的にはまだまだ喫煙天国である。
 タバコに苦しむ人たちの声によって、また、タバコのために命を失った人たちの無念さが国を動かしてこの法律が作られた。何故にこの法律の趣旨が徹底されないかというと、やはり、喫煙者とのトラブルを避けたいからであろう。確かに受動喫煙防止を徹底すれば、トラブルは予想される。では何もしないでもよいのか。罰則のない法律をこの社会の中で機能させるにはどうすればよいのか。
 可能なところから着手するというのが我々が普通にやっていることである。世の多くの人々は、我が同期会の幹事会のように、健康増進法の受動喫煙防止という趣旨には賛同している。問題は、着手点である。パチンコ店ならすぐには禁煙化できないであろう。しかし、法律の番人としての警察署はできる。公立学校もできる。教会もできる。寺院もできる。気高い建学の精神を掲げるミッション・スクールもできるはずである(注六)。同様に『名門校』の同窓会会場もできるはずだ。喫煙する恩師に遠慮して禁煙を言い出せないとは、恩師に対して失礼である。理性が無いと見なすに等しいことではないか。出来るところから着手すればよい。例えば、公立学校で敷地内禁煙化が進めば私立学校も当然追随するであろう。大学も追随するであろう。このようにして社会全体に波及していくはずである。
 賛美歌三一ニ番にあるように、「慈しみ深き、友なるイエスは、我らの弱きを、知りて憐れむ」。我らは弱い。大きな勇気を出して、強敵に立ち向かって華々しく散ることは難しい。しかし、弱い我々をイエスは憐れんでくださる。弱い我々であるが、主イエス・キリストの血潮によって購われた我々は、少しの勇気を出すべきである。大きな勇気は出ないが、しかし、ほんの少しの勇気をもって出来るところから実行していきたいものだ。

注一) 奇しくもこの同窓会が開かれるのは、タバコが原因で病気になり死んだ私の父の三十五回目の命日である。
注ニ) 実はこのホテル側の対応も健康増進法に違反する。施設の管理者に対策を求める法律なのだから。
注三) 分煙とは喫煙席と禁煙席を分ける、という程度の意味である。
注四) 関西で回転寿司のチェーン店を経営している会社に禁煙を要求したことがある。経営者の言うことには、「ある店はパチンコ店の前にあり、他の店とは客層が違う。以前、禁煙化したために、客との間に大きなトラブルが発生した。だから、その店は喫煙自由にしている」とか。
注五) 幹事からは、禁煙を要求することは「平和を乱す」と言われた。高校生である私の息子にこのことについて意見を求めた。息子は直接は答えず、「あの三田市長は偉かったなあ」、と言った。私の住む兵庫県三田市は毎年、三田国際マスターズ・マラソンを開催しており、外国の姉妹都市から選手を招待している。その選手たちは十日間ほど市内にホームステイするのであるが、我が家は毎年受け入れていた。招待選手とホスト・ファミリーを市長が招待してパーティを開く。市の名士たち百人ほどで混雑する会場は禁煙ではなかった。我々も招待選手やその同伴する家族も苦しんだ。禁煙をお願いし、来年から禁煙とする、と市の担当者から返答を得た。しかし、翌年も禁煙ではなかった。そこで息子は会場にいた市長に直訴すると、その瞬間に市長は会場内禁煙あの三田市長は立派であった。
注六) 私の勤務するミッション・スクールの関西学院は「禁煙」という学則をもちながら敷地内禁煙ではない。この学校が立地する兵庫県は二○○五年度から敷地内禁煙を県下のすべての学校に要請することになっている。強制力はないが、その地を管轄する県の決定を無視することはできないはずだ。しかし、関西学院には敷地内禁煙化の動きはまったくない。はずかしい限りである。
 また、禁煙化を進めるためには、禁煙治療も重要である。実は、私の勤務校では今年の三月一日から大学の学生教職員を対象に大学の保健館(病院)で禁煙治療を開始しているのである。しかし、問題は、それを公表していないということである。その理由は何かと保健館長に聞くと、「禁煙治療の専門家はいない。我々は手探りで治療しているのだ。また、公表したら患者が殺到するからだ。」という。では、これまで何人が殺到したのかと聞くと、数人である、と。ある委員会でこのことを追求した結果、全学に禁煙治療をしていることを保健館は公表することとなった。

(関西学院大学教授) 兵庫県

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リストボタン車中集会1年半をふりかえり  T.K

援護寮に生活して1年半あまりになり、スケジュールも忙しくなったけれども、月に一度、朝の短い時間でもミニ集会を、車中で、お導きにより、受けさせていただき、霊的交わり、み言葉を学ぶ機会があったことを感謝しております。
聖書の箇所を教えて頂くたびに新たに主の思い、御心を知り、援護寮のほかのメンバーの方にも主への祈りを通して自分も御心に沿った思い、行いが、できるようにと思う次第です。
それから無教会の方々が、遠方まで足を運んで下さり、お祈りとともにいろいろ援助をして下さり、本当に主のお計らい、御心に感謝いたします。

徳島県

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リストボタン心に残った聖句  K.K

「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む」(創世記3章16節)今年の8月4日に長女・福音(ふくね)を初出産をすることにより聖書の御言葉に少し近づけた気がします。
「出産の苦しみ」は本によると「すいかを鼻の穴から出すくらい痛い」と書いていましたが実際に体験してみると想像を絶する表現しがたい痛みでした。何故、神様は罪を犯したとはいえ愛する人間にこのような苦しみをお与えになったのか・・・愛ゆえにはらみの苦しみを大きなものにされたのです。苦しみの中から産まれた
命だからこそ尊く大切な存在ということをより深く感じます。神様の大きな愛を知ることができ感謝です。

東京都

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リストボタンわたしは、○○である。  I.K

 ヨハネによる福音書には、イエス様御自身が「わたしは、○○である。」と語られた言葉が七ヵ所あることをCDを聞いていて知りました。聖書では、七は完全数ですから、私達にとってイエス様は、すべてにおいて導きであり、満たして下さる方、頼れる方だということがわかります。
 イエスは言われた。わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく
わたしを信じる者は決して渇くことがない。」(ヨハネ 六・35
 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ八・12
 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。(ヨハネ十・9)
 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。(ヨハネ十・11
 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。(ヨハネ十一・25
 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ十四・6
 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハネ十五・5)

(鍼灸師) 徳島市

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リストボタンパッションを見て  T.K

「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。

彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。」(イザヤ五三・3~4)

「どれほど彼らは荒れ野で神に反抗し
砂漠で御心を痛めたことか。」(詩編七八・40

 今年も神様の導きにより過ごすことが出来たこと感謝しています。
 パッションの映画を見ることが出来、受難の時を二時間も映像してあるのをみて、いろいろと思わされ、み言葉が心に残りました。
 これからの残された人生で何がおこり、どんな苦しみが来るか分かりませんが、主を中心とした生活が出来るためには、日々正しい選択が必要だなと思わされます。

(団体職員)  徳島市

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リストボタンこの一年間の歩み  Y.K

 この一年間振り返ってみて、色々とつらいこともありましたが、それを主の恵みと感謝に変えてくださいました。主の愛に感謝します。
 ここでは、中国へ行ってきたことをその様子について話したいと思います。今年の夏八月に、初めて中国のシンセンへ行き、一週間中国のろう者と交わりを持ちました。目的はろう者と主にあって交わることと仕事のお手伝いです。ろう者が運営する小物売りですが、私はビーズを教え、お互いに楽しめました。中国は文化が遅れているので、ほとんどろう者は仕事がなく、その為、生きるのにスリをする人や売春をするろう者も多くいることが現実です。警察官も。
罪のないろう者まで巻き添えにし、刑務所に連れて行くこともあります。警察官にもすべてが正しい人ではありません。悪い警察官もいて、罪なきろう者をなぐったり、女性には体関係までしたり、解放前に坊主にしたりすることもあります。手話をしているろう者を見かけたら、すぐ捕まえるということもあり、その場所あたりは、手話をしないよう、注意しています。たまり場も作らないことなど。警察に捕まらないかと眠れない夜です。
 字も読めない、書けないろう者が多くいて、それは、本を読む自由や読み書きまで自由がないため、教育が遅れていることです。日本にも、昔は中国ろう者と同じ生活だったそうですが、人権尊重と自由が与えられ、今の日本は幸せだと思います。町には、若いろう者が多く
クリスチャンになったばかりの人も大勢いて、まだまだ悪習慣があるために、色々落ち着きのない生活をしていることが、心のゆとりがないそうで、悲しいと思いました。
 一人一人がみことばをどれだけ心に蓄えているかどうか気になります。修養会にも参加したので、働き手が不足していることにわかりました。子羊のように迷っているろう者が多く、色々とキリストについてや聖書について質問が多かったです。健聴者もおなじことだと思います。宗教の自由がないので、色々と限られているせいか、大変な面も多くあり、飢えている者が多くいると思いました。働き手を多く、中国に送ることができるようにと祈るしかありません。
 中国の昆明のところに、病院や学校の先生としてイギリスから多くのクリスチャンが送られていて、蔭で伝道しているという話を聞いています。すばらしい神のみ業だと思いました。吉林省あたりにも、ろう者救いにリバイバルが起こっていると聞き、働き手が少なく、韓国のろう牧師が送られていると聞いています。日本には、どうだろうか?と考えてしまいます。日本のろう者クリスチャンに神様から召しがあれば、実行できるようにと祈っています。
 私は手話訳聖書制作を続けて二年になりますが、また手話訳を通して神について教えられ、神に対する感謝が大きくなっているように思います。いつまでも、どんなことがあっても、感謝を持つ人間になりたいと思います。
「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。 (Ⅰテサロニケ五・18

(日本ろう福音協会職員)  江戸川区

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リストボタン聖書原典講読の会に参加して  T.K

 今まで東京で行なわれていた川島重成先生の指導による聖書ギリシャ語講読の会が昨年で三十回を迎えた。これを機会に会を解散して、今年から有志による聖書原典ギリシャ語勉強会として、川島先生には解らないところを教えていただくことにして、場所も東京から川島先生の別荘がある、長野県の穂高町安曇野にうつし、民宿を借り切って八月ニ十六日からニ十八日までニ泊三日間行なわれた。
 私はその会に参加する機会を与えられた。最低年齢四十歳から最高年齢八十七歳(平均年齢六十七歳)まで約二十人集った。
 ロマ書一章から五章まで十ニ時間かかって講読した。八十七歳の最高齢の荒川様は北海道の旭川から参加された。私は荒川様と話す機会があった。荒川様は数年前に奥様を天に送って一人住まいである。荒川様は「間歇泉のように寂しさがやってくる、この寂しい思いを家内にさせずによかった」とおっしゃった。 私は「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(創世記ニ・24)を思い出して深い感動にうたれた。

(無職) 岡山市

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リストボタン定年になって与えられた恵み  T.K

 私は大学を卒業し教員になって四十八年間を送り、二〇〇四年三月退職した。振り返ってみると、その四十八年間は、岡山大学付属養護学校で知的障害の児童・生徒と共に実践に取り組んだ三十五年間と、短大で保育士をめざす学生に障害児の理論と実際について指導した十三年間である。
 私が就職した昭和三十年代は、産休後の育児休暇もなかったし、むろん介護休暇もないほど教員の福祉制度は遅れていた。勤務時間も現在の週五日制は考えてもみなかった
時代で日曜日に日直をすれば週七日の勤務もあった。そのため家事と職業を両立するためには夫婦の協力と理解なしにはとうてい続けることが出来ない時代であった。
 そのような折たまたま徳島で学会があり、徳島聖書キリスト集会があることを知り、学会を一日早く切り上げ、日曜日に出席したのが徳島聖書キリスト集会や『はこ舟』との最初の出会いである。
 その頃は前述のように毎日忙しい生活だったので『はこ舟』や『聖書』を鞄の中に入れて暇を見つけてはそれを取り出し読んでいた。暇のないときは何日も持ち歩くだけであった。しかもとぎれとぎれに読み、どこまで読んだか分らず、また繰り返し読んだり、一か月全く読めない月もありなかなかゆったりした気持ちで落ち着いて読み、霊的な真理をつかむことが出来なかった。今から思うと申しわけない気持ちで一杯である。
 しかし退職してからは、ゆっくり時間をかけてというより、時間を忘れて一気に読んで心が満たされるようになった。そして聖書をとりだしてその個所を開いて読みその場面の前後関係からその文を理解したり、またその場面を頭に描きながら読むと、一つ一つの言葉が心にピンピン響いてくるようになった。そして一ヶ月間許す限り同じ号を繰り返し読むと、一回ごとにその深さが味わえるようになった。そのような時間が定年になって与えられた恵みを感謝している。
 これからの余生を『聖書』や『はこ舟』を中心とした生活を送りたいと思う。

(元教員) 岡山市

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リストボタン神様のお導きを感じた時  S.K

不況のあおりで勤めていた工場が閉鎖になり新しく仕事捜しをしていた時のこと。ハローワークへ行った。今時は若い人も仕事が見つからないという事で還暦も近い私にどんな仕事があるのか職員に相談するとあれやこれや並べてくれた上で私が経験がないうえでの調理師の資格があることを見て「こうゆうことは活かさなきゃ、と、捜しだしその場で早速相手方に電話をして即、面接日が決まった。
行ってみるとその名もベテルとシヤロームの名がつく老人施設。とんとん拍子の成り行きに神様が事を進めて下さっていると思いつつ面接を受けるとその場で採用が決まり、今に至っている。
仕事は厨房の調理員。女性ばかりの仕事場で個性の強い人ばかり。どの人も神様の作品、故あっての個性と思うと腹の立つ事も無い。100人近い入居者の中に、クリスチャンもちらほら。毎週、聖書を読む会や祈祷会などもありクリスチャンでない人も興味がてらに参加している様子。来春には隣接して幼稚園が開園予定で今、その工事中。老稚園と幼稚園、その上空には天の神様の祝福の笑顔と大きく広げられた御手が私には見える。                    

(会社員) 綾歌郡

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リストボタンちょっとだけ  M/K

 この頃の私は二ヶ月前と違っている。自分の都合が先に立ち、土曜日の集会を疎かにしている。又一回位いいだろうが続いて二回、日曜日の集会を欠席。一回目は癌フォーラムのほうへ行き、次の日曜日は京阪へ、清滝の流れ、逆光の紅葉、御堂筋の銀杏黄葉と秋を楽しむ。翌朝ホテルの目覚めに強烈パンチ!
なんとテレビのスイッチを入れた瞬間「わたしにどんな落度があったので遠く離れて行ったのか。
彼らは空しいものの後を追い空しいものとなってしまった。」(エレミヤ二章五節)という言葉が入ってきた。
私の事だ!と目が覚めた。
「まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源である私を捨てて無用の水溜めを掘った。水をためることのできないこわれた水溜を。」(エレミヤ二・13
「あなたの神なる主が、旅路を導かれた時あなたが主を捨てたのでこのことがあなたの身に及んだのではないか。それなのに、今あなたはエジプトへ行ってナイルの水を飲もうとしている。それは一体どうしてか。また、アッシリアへ行ってユーフラテスの水を飲もうとする。それは、一体どうしてか。
あなたの犯した悪が、あなたを懲らしめあなたの背信が、あなたを責めている。あなたが、わたしを畏れずあなたの神である主を捨てたことがいかに悪く、苦しいことであるかを味わい知るがよいと万軍の主なる神は言われる」(エレミヤ二・1719
これほど聖書が怖いと思ったことは無い。ちょっとだけ離れよう、このままずぅ~と離れようか・・と思っていた矢先、何でこうまでピシッと言い当てられるのか!恐い!朝一番に首根っこを神様に掴まえられた!ベッドの上に正座。心すなおに教育テレビ「心の時代」を見聞し、いい児になって堺の母を訪ねる。「ありがとう、よー来てくれました、お父さんも喜んでいるよ」 満百歳の母が喜ぶ。
選択せねばならないことがあったとき、どちらを選ぶべきかで、選び間違って夫に叱責されたことが度々ある。
「お前は行く処が間違っている。神を信じて集まる人達これは絶対間違いない、そちらへ行くべきだ。」と、かつて言われたことがある。また先日は年に一度の教会合同のキリスト教霊園の記念式に、自分の都合上「私一人が別に行かなくても・・」と言った途端に「お前はどちらが大事か解ってない、霊園のほうが先だろうが!」と怒鳴られた。
今までずうっとキリスト教集会に出掛ける度に「それじゃぁ行ってきます・・」と言うと、「何も行ってくれとは頼んでない」。
「ご一緒にど~ぞ」と言うと「わしは行かん!絶対行かん。」「お前が家の事ごじゃごじゃ言うてカッコー悪ぅて出るに出られんのじゃ」と言っていた。
そのようにいちいち文句つけてた人のほうが、ちゃーんと何が大事か、正しいか、解っているみたい。この世の中、分岐点の選びが随所にある。「神様御免なさい」を何度も言いながら、過ちを犯しながら横着にも、また「ちよっとだけ」これがいろいろのことの命取りの根源かもしれない。

(主婦) 徳島市

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リストボタンあとがき

今回の文集も多くの方々の協力によって作られました。文が集められたものとは、人が集められたことであり、一種のエクレシアです。(*
直接に集まることができない人たちと共にこのような文というかたちで集められ、そこからキリストのからだであることを示すことにより、こうした主にある幸いを知らない方々への証しともなります。
短い文、聖句だけのものもありますし、やや長い文もあります。内容もいろいろです。木々の葉が多様な形をもっているように、さまざまの文が集まって全体として神の栄光を指し示すことになればと願っています。
配列は、去年がカ行からだったので、今年はサ行から掲載しています。
今回もパソコンができる人が増やされて十名ほどの人たちに入力や校正を受け持って頂くことができました。こうした作業もまた祝福を与えられますように。

*)エクレシアとはギリシャ語で、教会と訳されているが、本来は「呼び出された者の集まり」といった意味。


野の花 第十八号 二〇〇五年一月十五日発行
発行所 七七三ー〇〇一五
小松島市中田町字西山九一の十四
徳島聖書キリスト集会
電話 050-1376-3017

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