野の花
「野の花」は徳島聖書キリスト集会の文集です。
2006年
(2006年1月15日発行)
「野の花」 第19号
素面には (表紙正面にぶどうの絵があります)
紅梅
(メインページ)
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本国は天にあり
しかし、わたしたちの本国は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。
キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、
御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
(新約聖書・フィリピの信徒への手紙三・20~21)
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はじめに
冬の空には独自の引き締まったものがある。青い空も、白い雲も、春や夏と違った厳しさを秘めて私たちに語りかけてくる。高い空の雲は小さな氷の粒、それが私たちの心を引きつける。
水は不思議な物質だ。毎日の食事に不可欠であるし、地面を流れ、動植物の命を支える。そして大地にしみ込み、山々の植物たちを支え、また地下水となってやはりいろいろの生物をも支える。
そして海や川となり、無数の魚や貝などを生かしている。
さらに、目には見えない大気のなかにも水蒸気という気体となって常にある。私たちの体にも体重の六割近くにもなるほどの水分がある。
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与えられた試練(杉原千畝の場合) H.T
杉原千畝(一九〇〇年生)が、リトアニアのカウナス領事代理在任中(三九・七~四〇・八)に外務省訓令を無視してユダヤ系ポ―ランド難民へ日本通過ビザの発給を開始した一九四〇年の東ヨ―ロッパは、どのような政治・軍事的状況下にあったのだろうか、「終戦六〇年ドラマ・シュペシャル『六千人の命のビザ』(05.10.11日本テレビ系放映)」をベ―スに俯瞰(ふかん)してみたい。
前年の三九年、ヒトラ―はドイツ・ソ連不可侵条約を締結したうえで、ドイツ・ポ―ランド不可侵条約を一方的に破棄してポ―ランドに侵攻したためイギリス・フランスがドイツに宣戦布告し第二次世界大戦が勃発した。同じくしてスタ―リンはドイツとの密約によりポ―ランド東部を占領しドイツ・ソ連によるポ―ランドの事実上の分割支配がおこなわれた。このためヒトラ―による「ユダヤ人狩り」を怖れて大量のユダヤ系ポ―ランド人が隣国のリトアニアに難をのがれて押し寄せた。続いて四〇年にスタ―リンはヒトラ―との密約にもとづきバルト三国に侵攻し杉原のいたリトアニアを併合し進駐してきた。そしてベルリンでは松岡外務大臣が日本・ドイツ・イタリア三国同盟に署名調印した年でもある。
ドラマ前半のクライマックスは、反町隆史扮する杉原千畝が領事館に押し寄せたユダヤ難民を前に「人道上どうしてもビザ発給を拒否できない」旨の二回目の上申電報(7/22)に対して松岡外相からは不許可回答(7/24)があり加えて全ヨ―ロッパ在住の日本人外交官あての「難民ビザ不発給」の訓令も出された。
杉原は深夜の執務室で妻幸子を前に自問自答を繰り返す。「これは私自身の問題だ!
私は外交官として日本国のために生きてきた。
それが私の誇りだ!
しかし、だからと言って私にユダヤ人を救う義務があるのか?
彼等と日本人のどちらのために動くべきなのか?
歴然としているいるではないか! いや、違う。私はただ自分を説得しているだけなのだ!
(窓越しに、ただ祈るように領事館前にたたずむ難民を見て)これは命の証しではないのか?
人の命より大切なものがあるのか?
何故、他の誰かではなく私のところに彼等はやって来たのか?
(画面は緊迫した空気の執務室・ビザンチン風正教会特有の尖塔・その鐘楼から朗報を予告するかのように高らかに鳴り響く鐘の音・画面に大輪の向日葵がモンタ―ジュ〈複数の画面の重なり〉されたシ―ンが現れ消える)翌朝、清々しい気分で難民へのビザ発給を告げる(7/25)。日本から遠く離れた東欧の小国の一隅で一人の日本人外交官が孤立無援のなかで政治・軍事的バランスを変えるような決断を何故したのか?
いや出来たのか?
ドラマ後半のクライマックスは、ソ連官憲に国外退去を迫られた杉原がベルリン行国際列車を待つ場面で、発車寸前のカウナス駅ホ―ムにまでビザを求めて押し寄せるユダヤ難民とこれを排除しょうとするソ連官憲との異常な混乱のなかでも、ひたすらビザ発給をつづける杉原、そこには外交官杉原でもなく、また人道主義者杉原でもなく、まさに天から与えられた試練に忠実に従う「僕」の姿そのものがある。テレビでは直接的な明示はないが、前出のモンタ―ジュが杉原の心の葛藤(かっとう)にどのような力が働いて誰にも何事にも拘束されずに真の自由のただなかで決断がなされたことを暗示させてくれる。ここには聖書的理解なしには感じ取れない心の深奥の世界があり、マルチン・ルタ―の言葉が甦ってくる。「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない。キリスト者はすべてのものに奉仕する〈僕〉であって、何人にも従属する」と。
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現代のアメリカを代表する歴史家の一人であるヒレル・レビン著『千畝・一万人の命を救った外交官 杉原千畝』(監修/訳 諏訪 澄・篠 輝久/清水書院/1998)は、杉原決断の謎に迫る犀利(さいり)な動機分析追求書でもある。これによると杉原は二四年旧満州ハルビン在勤時代にクラウディア・アポロノフ(亡命白系ロシア女性)と結婚(三五年協議離婚)し、ロシア正教への入信(彼女のすすめではない)を移住先のオ―ストラリアの養老院でクラウディアから聞きだしているほか杉原の友人、同僚、部下、上司、実妹とその家族、二番目の妻・幸子とその実子とその妻・孫にいたるまでを取材しても動機への手がかりは得られなかったことを告白し、“杉原さん、どうか教えてください。何をしたのか、何故したのかを!”と絶句している。
ここに手がかりになる資料がある。それはボンヘッファ―(反ナチ運動で処刑されたドイツの牧師・神学者)の言葉でありIさんから頂いたものである。「イデオロギ―(今回の場合は官僚主義、人道主義などを指すと解釈する・達見)に基づく行動は、自分の正当性を自分の中にもっているが、〈責任ある行動〉は自分の行動が最終的に正当であるかどうかについての認識を放棄する。人格的な、あるいは客観的なすべての状況を責任をもって吟味しながら行なわれる行動は、その行動を遂行するまさにその瞬間に、すべてを神にゆだねるのである。その行動の善悪はわからないのである。その行動を神の手に委ね神の恵みと憐れみによって生きるのである。自分自身が下した判断と自分がした行動を最終的に歴史を導く神の手にゆだねることになるのである」と。まさに与えられた試練に忠実に従う杉原千畝の心の動きを確信を持って読ましてくれる言葉である。 (無 職)
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主の御心に従って R.T
この一年は本当に主に導かれ、さまざまな事を通して神様の愛を感じることができ感謝しきれない思いです。主日礼拝に毎週参加できるようになり、兄姉たちと主にある交わりを豊かにもつことができました。私がこの一年で一番心に残っているだけでなく、これからも大事におぼえていこうという聖句を書かせていただきます。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。(ロマ書八・28 )」 職業 主婦
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今年のニュースから Y.T
二〇〇五年のニュースの中で、もっとも印象に残っているものとして、尼崎での脱線事故があります。朝の、通勤時間帯と重なったこともあり、運転手を含む、一〇七人の犠牲者を出すという、大惨事となってしまいました。とくに、今回の事故では、社内体質でもある、懲罰的な日勤教育が、問題となっていたもので、乗務員にも、かなりの重圧を与えていたようです。
今も、事故の後遺症で、心のケアが続いています。これからも、交通機関での、安全を祈りたいものです。
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祈り M.T
「祈りは、心を広くしてくれます。
神様ご自身を賜物として
心の中にお入れできるほどに
広くしてくれます
祈りは、願い事ではありません。
私たちの心の深みに語りかけられる
神のみ声を聴くことなのです。」
(マザーテレサ 愛と祈りのことば)
命あるものの地でイエス様を信じ、主の恵みを見ることを望みます。
(会社員)
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恵みの深みにこぎだせ E.T
ほとんど手紙のやりとりだけの主の友から、私がうなだれているようだと心配してくれて主にあって元気になってと書かれていました。
主のみ声を聞いてほしいとの祈りを感じました。
自分では思いがけなかったけど、そうかもしれない。きっと私はうなだれているんだ。主を見上げよう。そう思ったら、み言葉からのイエス様の一言がスッと心に入ってきました。不思議でした。
礼拝でのルカ五章から、「恵みの深みにこぎだせ」とのイエス様のみ言葉に、シモンペトロは夜通し漁をして何もとれなかったのに、「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と従って、恵みの深みにこぎだし、主に導かれ豊かに満たされたことを学びました。
私は最近周りに余計な気配りをして、かえってこじれてしまい、疲れてしまっていました
自分の考えや思いだけで何かをなしたり、自分の経験だけで判断しても、いくら一生懸命にしても疲れ果て、かえってむなしさだけが残って落ち込んでしまいます。
。それは私の思いのなかでの空回りで、神様のみ言葉に立っていなかったからです。
何か私が話したり、働きかけると罪が大きく見えてきて、じっとしていようと思っていたのかもしれません。それが友からのうなだれていませんか?の問いかけによって、自分の内面を見つめなおす機会となりました。
主からきた言葉だと思えて感謝でした。
私もこんなふうに信仰の友に、また身近な人に大切なことを祈って伝えられたらと思いました。
そして、み言葉のように「恵みの深みにこぎ出しなさい」と言われるイエス様に従っていけますように。いつも聖書のみ言葉からイエス様のひとことをいただき備えていけるように祈っていきたいです。
今、心にあり、ふと口ずさんでいる讃美が二つあります。
「開いてください、こころの目を
さらに深く主を知るために
開いてください、こころの耳を
さやかな御声を聞きとるために」
(リビングプレイズ51)
もうひとつは、青山学院の礼拝堂で行われた全国集会での、独立学園卒業生の讃美です天の神様に捧げられて、そこから降りてくるような聖霊のみたしを感じました。その中でも「十字架のかげに」の讃美が特に心に残っています。
お二人の男性が独唱され、コーラスと交互の合唱もあり心に響いてきました。
十字架のかげに K.Morris
Ar r.by.Hudson
奥山 正夫 詞
一.十字架のかげに やすろうときに
肩にかかれる わが荷はかろし
疲れし者よ われに来たれと
御手をひろげて 主はまねきたもう
二。十字架の血にて きよめらるれば
なれにぞゆだねん 罪のままわれを
疲れし者よ われに来たれと
御手をひろげて 主はまねきたもう
三。十字架のほかに 誇るものなし
ここにまことの 御救いあれば
疲れし者よ われに来たれと
御手をひろげて 主はまねきたもう
この歌の中で繰り返される「疲れし者よ われに来たれと 御手をひろげて 主はまねきたもう」の歌詞にイエス様からの大きななぐさめを感じます。
、主が私に呼びかけてくださっています。招いてくださっています。
罪の重荷に疲れてしまい、うなだれてしまう私ですが、十字架の主を見上げて、主のひとことを聞きとって恵みの深みへと従っていけますように。(鍼師)
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心に残る御言葉 Y.T
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイ六・33~34)
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。(ヨハネ十五・16~17) (主婦)
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短歌・三首 T.T
病こそ 賜物として 生くる幸
弱きを強む 奇しき御恵み
生きつなぐ 命の水を 射つ我も
平和の汀(みぎわ)の雫(しずく)とならん
あらざらむ この世と知るも 主にありて
永遠(とわ)の命の 交わりを生く
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徳島聖書キリスト集会に導かれて T.T
「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、私たちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。」(Ⅱコリント四・6)
この御言葉は、今年(二〇〇五年)の元旦礼拝に於いて御講和下さったところです。まだ夜の明けぬ集合時間に、日の出でも皆で見るのかとお誘い頂き体調も許されたことに感謝しておりましたところ、静かないつもと同じ田宮での礼拝が始まりました。創世記の冒頭にある光が今このときも神様の偉大なお力によって私たちに与えられている・・。私たちは、この宝を、ぐらぐらして壊れやすい土の器に納めさせていただいているのだということ、欠けたる者、何もないようなものにキリストが全て盛って下さる、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために・・・。
いつしか夜は明け讃美をし、感話を通して、新しい年を迎えての恵みを分かち合いました。「外なる人」は衰えていくとしても、「内なる人」は、日々新たにされ、一時の軽い艱難は、比べ物にならないほどの重みのある永遠の栄光をもたらせて下さるという信仰、生きることはキリストであるということ・・・
聖書を通しまったく希望の無かった私が、恵みにより、イエス様に出会わせていただき、復活されたイエス様を信じ、無くてはならないものは神の御言葉である聖書であると生きてまいりましてから、四半世紀経ちますが、このように信仰のあるかたがたと一緒に新しい年を迎えたのは、初めてのことでありました。神様のご計画は、予期せぬことばかりでありますが、私をこの集会に集わせてくださり受けた恵みは、なんともったいないような、幸いなことばかりかと感謝しております。
私が初めて田宮の集会所に集わせて頂きましたのは、去年(二〇〇四年)の六月の最後の主日礼拝でした。数実前に,Sさんから送っていただいた「はこ舟」の住所だけを頼りに、方向音痴で、運転の並外れて下手な私が、着いたというのは奇跡だったのですが、あの小路で、前にも後ろにもいけず途方にくれていた私の前に現れてくださり場所を聞いた方が、Nさんで、親切にも駐車場所に誘導して下さいました。着いたということに神様のお導きを感じ、決断力も行動力もない私が、そこに座っていることが自分でも不思議でした。Sさんとお電話でなく直接お話させて頂いたのは、そのとき初めてで、「はこ舟」を送ろうと思ってくださったこと、そうしてくださったSさんの中におられる神様に感謝いたします。Nさんも本当に有難うございました。
礼拝が終わり、私は教えて頂きたい事どうしてもお聞かせいただきたいことがあって初対面(もちろん市民クリスマスで壇上にいらっしゃるお姿は存じ上げてはおりましたが)にもかかわらず、前に行き、次の集会があることもお忙しいことも知らずお時間を頂戴しました。水の洗礼について書かれた紙をもっておりました。聖書箇所を引用し洗礼についての意味をまとめたものでした。信仰の証、告白、象徴、としての意味があり、イエス様も受けられた足跡に従う恵みを考えると信仰の最初からその恵みを受けられ,離れることなく教会生活を続けておられる方々への神様の祝福を否定する者では決してありません。それでも、私は、その紙にあった「洗礼とは、水をさして言われた御言葉である。・・・水の洗礼を受けて救われる・・・水の洗礼を拒むものはキリストを拒む者である・・」これらの言葉を受け入れることがどうしてもできませんでした。図書館の本を調べ、聖書も何度も読み返しました。六年ほど前から、矢内原忠雄の「日々のかて」を、インターネットで見て、聖書を読むナビゲーターとしていましたので、洗礼は、教会の入会式であるということも脳裏にありました。まさしくバプテスマ志願書は、教会入会書もかねておりました。水の洗礼を受けて救われる・・・救われるとは何か・・・考え考え無教会を思いました。その時、三浦光世さんが講師であった時の「徳島市民クリスマス」で出会った知人が、無教会の人の紹介と話されていたのを思い出し連絡しました。その方が「はこ舟」をおくってくださったSさんでした。
「はこ舟」を読んでキリストを語らずにはおられない作者の方の魂から、霊の火が燃え移ったという感じがして、矢内原もトルストイも三浦綾子さんにもこの世で会えないけれど、この方にはお会いできるという思いが起こされました。私がいきなり持ち込んだ問題を、丁寧に聖書をひもといて教えて下さり、無教会の歴史を一気に語ってくださいました。矢内原のキリスト教入門にある、まず聖書をよく読み、優れた教師につくというそのことがありえることなのだと知らされた日でもありました。
洗礼を受けて救われる、救われるとは・・私はもし「あなたは救われない、裁きのときに黄泉に落ちる」と言われたとしてもそれでも私がイエス様に出会わせていただいてから受けた恵みを思うと、今まで頂いたその恵みだけで十分と思うほどの恵みをこの身に受けさせていただいておりました。私は聖書の御言葉に生かさせてもらう身になってから十年ほどたったとき生死の境をさまようほどの病気になりました。そのときこそ、主は、共にいてくださいました。重症の部屋で、隣室の方が亡くなられる気配を感じながらも平安がありました。聖書の御言葉が次から次と浮かぶのです。「主は、我牧者なり。・・・・たとえ死の陰の谷を歩むことがあっても災いを恐れじ・・」共にいてくださると言うのは、イエス様の御姿を思い浮かべるのでなく御言葉に包まれることなのだとキリストに出合っていなければ有り得ない恵みに感謝しました。中心静脈栄養による点滴は、食事する時間も要らずただ聖書だけの日々が送れましたこと、人から見たら生死の境の絶望のときに何よりも人生の中でもっとも恵まれた時間を過ごす事ができたのです。
「言は神であった・・・万物は言によって成った。・・・言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。」(ヨハネ一・1~5抜粋)
イエス様の時代にはもちろんなく、それどころか五十年前にすらなかった医学の進歩による方法で救命され、一日数回自分で注射を打つことによって今日まで生きつないできました。。病を賜り十数年、その注射してきた回数は二万回を超えました。痛みも感じなくなり 、どんなことでも慣れるという恵みを神様から頂き生きることを許されております。幼かった三人の子供たちも大きくなり、私自身目や体に合併症が出始めるまで生かさせていただいたこと感謝しています。もしこれからも生きることが許されるならキリストに生きたいと願い私なりに模索しておりました時、この徳島聖書キリスト集会に神様がお導きくださったのだと思っております。
聖書を学び、野の花の小さな小さな姿をルーペで覗く世界から神様の偉大な御栄光と無限の慈しみを知らされ、主にある方々と、共に祈り、讃美することのできる喜びは、私にとりましてこの集会から頂いた大きな恵みであります。イエス様は、十字架でのご自身の死をもって、罪のゆえに死ぬべき罪人である私たちに永遠の命をお与え下さいました。恵みにより信仰を賜り、キリストを心に宿す方々との交わりは、この世にあって、魂と魂の天の国のような交わりを予感させてくれます。
私は、この集会からこの世に於いてキリスト者は何をなすべきかキリストに生きるとは平和の主に従うことでもあると教えていただきました。憲法九条も「改正」と使うマスコミにより世論操作されていると感じておりましたが、何も具体的にはしない傍観者の一人でした。この集会の方を通じ署名をさせて頂くことにより小さなことでも、平和のためにできることがありまた狭き門であってもキリストに従う者として立ち続けなければいけない事を学ばせて頂きました。
今年(二〇〇五年)から月刊の「はこ舟」誌の名前が変わって「いのちの水」という名前になりました。私にとって、病を賜ってから射つ自己注射のたびに思い浮かべていた言葉です。この「野の花」が出る新しい年を迎えてもずっと生きている限り(臓器移植しない限り)射ち続けるものです。体の虚脱感と弱さはいつもあり、全身に及ぶ合併症も出始めております。それでも神様は私に生きることを許してくださっています。キリストに出会ってからこの病気を下さったこと、弱い時にこそ強いという信仰を恵みにより頂いた事、私たちの生涯に起こる全ての出来事、病をも、神様の愛の御業の賜物であると御言葉にあって信じられます事,感謝することばかりです。生きる糧として私の魂の奥深く入り私を真にうるおしてくださる「いのちの水」は、キリストがお与えくださる永遠の命にいたる水です。壊れそうな欠けたる土の器である私も主が全てを注いでくださってキリストに生きるものとして導いて頂きたいと願っております。
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イザヤ書 四〇章 29~31 T.T
いつの時代にも、疲れた倒れる寸前のような人が満ちているように思われてしかたがない。お金に困り果てている人、大人より何ともいえないような仕打ちを受けている幼子、病気になり希望を失いかけている老人、孤独のひとり暮らしの老人、精神を病む人、働きに行けない若者、悩み、自分を傷つけてしまう若者、これらのことは私の今の身の回りに起こっている出来事なのである。
私自身も孤独と時間との闘いが常にある。でも今こうして生きていられるのはなぜかしらと考えると、ちっぽけな信仰とその信仰による希望ではないのだろうかと思える。祈れば神様は必ず良きことに導かれる、と。祈ろう、祈ろう!何が何でも祈ろう!神様助けてくださいと! (保育士)
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動揺する友へ K.T
久々のメール拝見。パソコンも治って良かったですね。「人生で幸せな事って何でしょうか?やはり結婚する事なのでしょうか?と三十半ばになったあなたの心の動揺を伺いしる事が出来ます。多分ご両親からはせっつかれるし、仕事も、まあまあ楽しいし、でも友達は、一人二人、三人と結婚して行っているし、・・・・・・
でもね結婚して=幸せとは限りません。むしろ不幸になることすらあります。家族があるから幸せ?。健康だから幸せ?。財産があるから幸せ?心打ち込める仕事があるから幸せ???? それらは幸せの影に過ぎないと思います。それらが無くなると幸せではなくなってしまう。そんなの本当の幸せとは言えないのではありませんか。また人は思いようだともいいますが、それも不安定な心は幸せではおられないと思います。ヒルティの「幸福論」第三部に何が幸福かと詳しく書かれています。読書の好きな貴女に勧めます。
「神様の傍にいる事。神様と共に歩む事」これに勝る物はないと思います。
「また神様の事?」と言われそうですが、でも考えみて下さい。貴女が産まれた頃にお隣同士、それから徳島と淡路に別れて、ご両親とは年賀でのおつき合いであったのが、大人になった貴女たち三姉妹とメールでのやりとり。
その事事態、神様の御業だと思うのです。「神様の事は解らない」と前にも書かれていましたが、聖書は無論、歴史の中にも、自然の中にも神様は働いているのですよ。一人一人の中にも働いているのですよ、
家族五人で我が家へ来るのは、それぞれの仕事の都合で、ますます無理だと思いますよ。車で淡路から出た事のないのてといつも言うけれど、思い切って冒険してください。是非徳島へおいで下さい。
神様が貴女の心に働きかけて下さる事をお祈りしています。
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所感 M.T
「凡ての人、罪を犯したれば神の栄光を受くるに足らず、功なくして神の恩恵により、キリスト
・イエスにある贖罪によりて義とせらるるなり。」(ローマ人へ3:23~24 文語訳)
キリスト教の神は、人の犯した罪を赦すために 「その子を罪の肉の形でこの世に遣わし、
その肉を殺すことにおいて罪を罰された」(同 8:3塚本虎二訳)恐るべき神、即ちキリストの十字架によらなければ人の罪を赦し給わなかった義なる愛の神である。
旧約聖書にあるように 「いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者
」(出エジプト記34:7)で、人間の心の中の罪までも決して見逃されない恐るべきお方である。
「情欲を持って人妻を見るものは皆、見ただけですでに心の中でその女を姦淫したのである。
それで、もし右の目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ。体の一部が無くなっても全身が地獄に投げ込まれない方が得であるから。」(マタイ福音書5.28~29)
私は今、日本人の心に一番欠けているものは、この真の神への畏敬の念ではないかと思う。
現代社会における道徳の頽廃による青少年犯罪の増加は、神の裁きが日本に降されている
のではないかと思われてならない。
「こうして彼らは神を知ることを役に立たぬものと考えたので、神のほうでも、彼らの心が役に立たなくなるに任せられた。
その結果彼らは人としてなすべからざることをするようになったのである。」(ローマ人へ1:28)
「悔い改めて福音を信ぜよ」「耳の聞こえる者は聞け」(マルコ福音書1:15・4:23)というイエスの呼び声が日本に響いているように感じる。
日本古来の神道や儒教、仏教は生活慣習に深く根付いているが、これらの宗教には真の神がなく、神の義が欠けている。律法に固守してイエスの福音を受け入れなかったパリサイ人のごとく、在来の伝統によりかかっていることなかれ主義が、日本人の心の眼をふさいでいるのではないだろうか。
神はまた、イエスを通して私どもクリスチャンに「あなた達は地の塩である。 しかしもし塩が馬鹿になったら、何でもう一度塩気をもどすか。
外に捨てられて人に踏まれるほか、もはやなんの役にも立たない。」(マタイ福音書5:13)と厳しく戒めておられる。 私どもは一人ひとりが否応なく神から十字架を負わされて、この世に対し「ある者には、死から死へみちびく薫りであるが、ある者には、命から命へみちびく薫り」(コリント人へ第二2:16)とされている。
ただ、「聖なる神の御前にへりくだって神と共に歩ませていただけるよう」(ミカ書6:8)ただひたすら祈り願うのみである。
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すみわたる大空に K.N
すみわたる大空に 星かげは光り、
風そよぐ野に山に 草花は香る。
数しれぬ空の星 神様はみな数え、
ひとつずつ目をとめて 守られる、いつも。
讃美歌Ⅱ 144番
晩秋の青く澄みわたった空、コスモスや色とりどりの菊の花・・・。夜空に光る金星、オリオン、シリウス・・・月の明かり。四季折々にこれらのひとつひとつを神様はいつも覚え、慈しみ、私たち人間に与えてくださる恵みを思います。
毎夜、月や星を仰ぎ見て今日もいろいろあったけど、明日はまた新たな気持ちでがんばってみようと、力と希望をいただいています。すべての困難や煩いはイエス様にゆだねようと。
毎日、自分のとった行いそして言葉の数々を思い返すとそれらはどれもこれも神様を悲しませるようなことばかりです。
ルカ伝四章で学んだこと イエス様が荒野で受けられた試練・・・空腹、この世の権力と繁栄、しるし。私たちがまさに日常生活で受けている誘惑と重なります。
「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」 (ルカ伝四・8)
いつも目を覚まして(霊的に眠らないように)祈っていなければならないと思いました。
「イエスは"霊"の力に満ちてガリラヤに帰られた。」(ルカ伝四・14)
神様に用いられる人には聖霊が宿る。私たちは何のために、能力を使うのか。自分のためにか、神様のためにか。真実になれない苦しみ、人のことで煩わされる苦しみ、目に見えるものに縛られている苦しみ。イエス様を本当に実感し罪をゆるして下さったという感謝の気持ちがあれば、そこに聖霊が働いてくださる。
心砕かれ主イエスにある喜びをもとう。そうした信仰を持ちたいと秋の凛とした大気の中でしみじみ思う今日この頃です。(小学校教員)
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大学生活を通して Y.N
覚えることとは大変なことで、試験のためや興味のあることなど様々です。その多くが人間によって付けられた名前や研究の成果によるものだったりします。人間という生き物が知的生物であり、何千年もの間、自然科学や思想をゆっくりと積み上げてきていることを思います。
現代、専門分野になればどんどん細分化していき、複雑・多様になっていくのを感じます。大学での勉強でも、現実世界の客観化やモデル化と言うようなことが常識的に行われます。特に電気や機械やコンピューター分野は熾烈な競争化にあり立ち止まって考える暇がなかなかありません。考えている間に次々に競争相手が出てきて追い詰められていきます。また新しい情報が次々に出てきます。そしてこれらの情報をしっかり捉えなければなりません。
研究成果は室内に留まらず、私たちの社会にすぐ反映されます。そのようにして社会は回っていて、今の私たちはその中で生活しています。武力としての科学兵器の恐ろしさも注目されますが、私たちがいともたやすく新しい科学技術に依存していく姿も恐ろしくあります。携帯電話やE-mail・パソコン・・・これらの影には非常な研究の積み重ねと不断の努力があることと思います。電気工学科の私は、私たちの生活がどれだけ電気のある生活が欠かせないかを痛感します。
電気のある生活でとても驚くことがあります。電気を巧みに操る私たちですが電気の性質を完全には理解できていないことです。私たちの生活をこれだけ多くの電気通信技術で囲っていながら。
神様のお造りになった地上で、神様のお造りになったものの中でのみ発見を繰り返し、利用していく。「どうしても逃れ得ない神様の御手の中にいるのだ」という実感が今の大学の勉強を通してだけではわかりません。立ち止まって考える余裕を与えてくれなくなってきているからです。さらに、押し寄せる新たな情報に追われ、真理といった永久不変のものに気づきにくくなってきていることも感じます。大学では自己啓発や自分発見やインターンシップ(短期企業体験)などが盛んになってきており、対象が流動的です。「学校は社会の縮図である」という言葉が正しいようにも思います。社会は大学生に即戦力を求めているからです。「少年よ、大志を抱け」の、大学が推奨する大志とは「勝ち組になること」と重なることが少なくありません。
そのような中で、「神様なしでは生きられない、神様の御手から逃れられない」という前提が私の勉強の根底を支えています。科学技術も、私たち人間の善い行為も悪い行為も全てが神様の見守りの中にあるという事実が私をとことん無力にしてくれるからです。
どんな新しい技術も、「どうか正しく使ってやってくれ」と神様の声が聞こえてくる気がします。
「神はお作りになった全てのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」 創世記一・31
「見よ、わたしは生きとし生けるものの神、主である。わたしの力の及ばないことが、ひとつでもあるだろうか。」 エレミヤ三十二・27
(大学生)
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賛美歌より K.N
やすかれ、わがこころよ、
主イェスはともにいます。
いたみも苦しみをも
しずかに忍び耐えよ。
主イェスのともにませば、
耐ええぬ悩みはなし。
やすかれ、わがこころよ、
なみかぜ猛るときも、
恐れも悲しみをも
みむねにすべて委ねん。
み手もてみちびきたもう
のぞみの岸はちかし。 (賛美歌21五三二) (看護師)
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熱心 H.N
シモンは、先生、私は、夜通し苦労しましたが、何もとれませんで
した。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。
(ルカ福音書5章5節) (大工)
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ケアマネージャーとして Y.N
今年、わたしはケアマネージャーになりました。
何年も前から、母に「一緒に資格を取ろう」と誘われていたけど、その時はあまり興味がなかったので断っていました。
去年の母の独立を機に、わたしも真剣に転職を考えるようになり、資格を取ることにしました。
ケアマネージャーというのは、介護の必要な高齢者が、自宅で自分らしく過ごせるように方法を考えて形にする仕事です。実際に介護をするわけではありません。今まで外科系の看護師として病気→手術→退院というサイクルの中で働いてきたため、「自宅で」「入院するほど病気じゃない」「高齢者ばかり」の人たちへの援助というのがイメージしにくく、少し不安でした。ほんとにわたしに向いているのかな?と心配しつつ試験勉強をしていました。
実際にケアマネージャーとして働きはじめて、少し驚いたのはこの仕事は今までの看護師としての仕事と本質的には同じということです。お世話をするのとは違いますが、健康に問題を抱えている一人の人間とそのご家族を心身共に援助するという点では全く同じとも思いました。また病院という場、入院という枠から出て、生活や生き方という広く長い視野で関わることができます。
「高齢者」が対象の仕事だけれど、働き始めると、不思議と年齢ということを意識したことがありません。年齢より個性や生活スタイルが印象づけられます。
わたしと母の事業所は「在宅支援ミルトス」といいます。イザヤ書五五章から名付けました。この名前がとても気に入っています。若々しい緑の葉と祝福の木のイメージです。社長はイエス様です。
不安になったり困った時も、最後に「社長がイエス様」と思った時に力が出てきます。利用者さんのお宅に伺う時、自分の力で問題を解決できるかな、と不安になることがあります。車の中でイエス様に短くお祈りして訪問します。
目の前の利用者さんのことを、本気で心配してそっと支えられる仕事がしたいです。イエス様、これからも「ミルトス」を守ってください。そしてこれからもわたしたちを善き方へ導いてください。 (ケアマネージャー)
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ミルトス H.N
「そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。
あなたたちは喜び祝いながら出で立ち
平和のうちに導かれて行く。山と丘はあなたたちを迎え
歓声をあげて喜び歌い
野の木々も、手をたたく。
茨に代わって糸杉が
おどろ(*)に代わってミルトスが生える。
これは、主に対する記念となり、しるしとなる。
それはとこしえに消し去られることがない。」
( イザヤ書五五・11~13)
(*)とげのある草。
おどろに代わってミルトスが生える。
美しくないもの、役に立たないもの、人が近づけないもの、
手がつけられないものが生い茂る荒れた土地に
純白の花を持つミルトスが生えるという。
ミルトスは芳香を放ち、実は薬となる、美しく有用な木
主に願ったら、ひとすじの心になったら
私の中のおどろに代わってミルトスが生えるだろう
み言葉に望みを置き、み言葉に根を下ろすなら
主がそれを成し遂げてくださる。
み言葉は神様の言葉だから、あてがはずれることはない。
見えないけれど、心の中に良い実を結ぶ土地がある。
神様に深くつながれば、そこにはいのちの泉が湧いてきて
ミルトスが育つだろう。
人間にはできない。人間とは違う次元のものに
支配されなければ…
人間の延長線上にはないので、千年かけても辿りつかない。
けれども、神様が働いてくだされば、一瞬にミルトスの木が生えるのだ。
神様、神様と呼ぼう
イエス様、イエス様と求めよう
願いは成就しなくても、すでに得ているのだ
み言葉は完全なので、信じたときから
もうすでに私の心の中にミルトスの木が育っているのだ。
(在宅支援ミルトス・ケアマネージャー)
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心に残ったヒルティの言葉から H.N
夕拝で学んだ「眠られぬ夜のために」から心に残った箇所です。
「うしろを見ないで、つねに前方を見なさい。
最後には、この世の命をこえてかなたを見なさい。
あとをふり返るのはなんの益にもならない。
ただし、まだ改めうることを改めるためや、過去の失敗を今度用心するためや、または人から受けた恩誼に感謝をもって報いるために、そうする場合はまた別である。」(「眠られぬ夜のために」第一部
一月十四日より) (病院職員)
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聖霊のよろこび N.N
聖霊来たれリ(新聖歌四一六番)
何処にある島々にも 何処に住む人々にも
喜ばしく宣べ伝えよ 聖霊来たれリ
(折り返し)
聖霊来たれリ 聖霊来たれリ
天降りし慰め主 地の果てまで
宣べ伝えよ 聖霊来たれリ (一番)
この賛美は四国集会で覚えました。リズミカルな曲と「聖霊来たれリ」の繰り返しは、喜びの福音伝道そのものです。「もろびとこぞりて」の「主はきませり」と同じく歓喜のうたです。
四国集会では確かに会場に、又私の内に聖霊を感じて喜びを持ち帰ってきました。
聖霊の実は、「愛、喜び・・・」とあります。(ガラテヤ五)
一年を振り返ると、「私はなんと惨めな人間だろうか」と嘆き悲しむことが多かったけれども、十字架を仰いで主にすがってきました。主の聖霊はみ言葉をもって神の愛を示してくださいました。
あれこれと思い煩っていたある日、夢の中で「そうだ、人のことで頭が一杯で主のことを見ていなかった。」と気付かされ、「主よ、今わたしの目であなたを拝見します。」と立ち返らせていただきました。
主はこの世に降りて、私たちの罪のために死なれましたが、「わたしは父にお願いしよう。父は、別に弁護者を遣わして永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」(ヨハネ一四・16)「この方は真理の霊である。・・・この霊があなたがたと共におり、これからもあなたがたの内にいる。」(同17)と、約束して下さったのです。まことに主の聖霊を実感できることは最大の喜びです。聖霊さえあれば他に何ができてもできなくても問題ではなくなるのですから。聖霊のよろこびを、これからも人に伝えてゆきたいと思います。
いとも深き愛と恵み いざ迷える罪人らに 語り告げて神の子とせん 聖霊来たれリ(四番) (主婦)
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一言の祈りによって S.N
主は倒れようとする人をひとりひとり支え
うずくまっている人を起こしてくださいます。
ものみながあなたに目を注いで待ち望むと
あなたはときに応じて食べ物をくださいます。
すべて命あるものに向かって御手を開き
望みを満足させてくださいます。
主の道はことごとく正しく
御業は慈しみを示しています。
主を呼ぶ人すべてに近くいまし
まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし
主を畏れる人々の望みをかなえ
叫びを聞いて救ってくださいます。 (詩編一四五:一四~一九)
私は七十代の今日まで、日々神様の大きな御恵みによって命を長らえさせて頂き、言い尽くせないご恩恵を受けて来ました。それなのに、感謝の祈りも、神様をほめ称える賛美も、まことに貧しくお粗末なもので神様に申し訳なく我ながら自分自身がいやになりますが、そのくせ切羽つまった時は、日頃の恩知らずや不信仰の罪を忘れて厚かましく神様に泣きつきます。そして幾つになっても神様に喜ばれるようなお祈りはとても出来ませんので、今して欲しい事を一言叫びます。
例えば度重なる失敗や罪のため、心が落ち込んでどうしようもない時は「神様、わたしの中の悪霊を追い出してください。」と叫びます。すると、不思議にもこの祈りだけは即座に聞かれます。気持ちの沈むときは「朗らかな心をお与えください。」と祈ります。心と体の病む時は「主よ、癒してください。健やかな心と体をお与えください。」と叫びます。色々の困難が押し寄せるときは「主よ、御手をもってお助けください。支えてください。守ってください。」と叫びます。罪を犯したときは「主よ、お赦しください。憐れんでください。この罪深いものをお救いください。」と叫びます。そして、何より有難いことは一言のお祈りならば何時でも何処でも他の人の為にも自由に祈れる事です。
そして、わたしのような愚かな罪人が恐れずに自由に祈ることが出来る根本には計り知れない主の十字架の御恵みがあります。それは神の御独り子イエス様が全ての人の罪の身代わりとなって、十字架に掛けられて死んでくださり、わたしたちを罪なき者としてくださったと言う信じ難いような神様の深いご愛を単純に信じるだけでよいのです。この神様のご愛の、奥深さ、高さ、広さ、大きさは私などにはとても想像もできませんが、「わたしを信じなさい」というイエス様のみ言葉に従って、すべてを求め、無くてなるぬものを与えられて、今日も生きる事の出来る幸いを心から感謝したいと思います。
神様どうか賛美の言葉と声をお与えください。アーメン (主婦)
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回心のチャンス T.N
夏頃、友人間のトラブルを傍観していたところ、わたしの一言で鉾先がこちらにむけられてしまいました。その頃夫と意志の疎通もなく、いつもの平静さは失われ、しばらく神の目から遠い所に行ってしまいました。
十一月半ば、一テモテ二-1「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しとを、すべてのひとびとのために捧げなさい。」が与えられました。
慣れ親しんでいる聖句が妙に新鮮です。長い期間、自分の正当性を重んじ、他人を裁いている自分にやっと気づきの瞬間でした。
祈っていても焦点がぼやけ、どこか不安、魂の深い所で満たされない、日々でした。
静かに黙祷していますと、
「それでも あなたを愛している。」
「それでも あなたは赦されている。」
「それでも あなたには価値がある。」
か細い声がこだまのように響いてきます。イエスさまが神さまと私たちの間に立って執り成してくださった。その深い愛を感じることができた瞬間。わたしに、執り成しの祈りが素直にできたのです。
心の重荷も軽くなり、やっと神との平和が戻ってきました。感謝いたします。 (松山市 山越集会) (主婦)
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主をほめる T.B
どうして、このような私が主にとらえていただけたのかと考えると、これは恵みであり自分の行く末は天にある。
私の好きな讃美歌は「人生の海の嵐」で、初めてこの讃美歌を聞いた時、胸がいっぱいになった。
自分は神様に対して罪があり、滅びるような存在、しかし、自分の歩いてきた道筋を考えると不思議な事がいっぱい。
何もないところから神様に捉えていただいた。信仰者でない人が誘ってくれて、聖書のお話を聞きに行った。その熱心に負けたためだった。
その時、話を聞いていて「これだ」と思った。自分の事だけでなく、人の事を考えなければいけない。神様は平等で、どんな人でも、神様は愛してくださっていると。反省した。
「人生の海の嵐」の一番から三番は自分の人生とそっくりだった。神様が私をつかまえてくださったのだと思う。不利な場合や敵に遭った時でも逃れる場所を作ってくださっている。涙が出る。
一生涯の内で神様が捉えて下さった喜びがいっぱい。罪も深い。真実に生きたい、導かれたいと思っても人間の弱さがある。つかまえたいと思っても、何故こんなに罪が深いのだろうと思う。
死のレッテルを今貼られているので、早く神様にどうにかしていただかなければ、行き遅れると焦る。八六歳。初めから終わりまで、文字通りの信仰で生きられたら幸せだと思う。
そんな中で、神がいてくださるのだと思ったら心が安らぐ。みな、神様におんぶしてもらいたい。自分の心を祈りに注ぎ出すと、三日~四日して、祈ったことが大きな喜びとして、答えが返ってくる時があり、「ああ、神様はいらっしゃるのだ」と嬉しくなる。
私は孤独を感じる時があるが、「私には神様がそばにいる」と思うと、心がジーンとする。 (O病院入院)
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「天が地を高く越えているように」(イザヤ五五・9) Y.H
わたしが子供の頃聞いたお話の中に、こういうものがあった。夜空に向かって物干し竿を振りまわしている人がおりました。そこへ通りかかった人が、聞きました。『物干し竿など振りまわしたりして、君はいったい何をしているのだね』。するとその竿を振りまわしている人が答えました、『あの輝く星を叩き落とそうとしているが、なかなか落とせない』。通りかかった人が言いました、『君、星は遠くにあるから、そこからは届かないよ。屋根に上ってやってごらん』。これは多くの方々もご存じである話かもしれない。わたしたちに一番近い自然の天体である月でさえ、三八万キロメートルの距離にあり、光の速度で約一秒かかる。また太陽までは約八分の距離にある。しかし一番近い恒星(太陽と同じような天体)までは四年あまりかかるから、このような遠くにある星に、物干し竿が届くはずはない。屋根に上ったところで、なんの足しにもならない。
現在ではこのようなことは、だれでも知っていることであるかもしれない。しかし信仰の世界では、このような愚かなことが、現在でも行われていないともかぎらない。富める青年が、イエスに「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と、聞いたことに対してイエスは、「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである」(マタイ一九・16―17)、と言われた。この青年は、一生懸命物干し竿を振りまわしていたのであろう。そのことは次の二〇節までのところで、彼が神の律法を守ってきたことを、イエスに告げていることから解る。しかし永遠の生命を得たという実感がないために、イエスのもとに来て教えを請うたのであろう。このとき彼はイエスから、そこではだめだ、屋根に上りなさい、あるいは向こうの丘に登りなさい、という答えを期待していたのかもしれない。しかし永遠の生命が恒星ほどの遠さにあることは、ゆめにも思わなかったことであろう。そのような青年の思い違いを正すためにイエスは、不自然とも思える答え方を、されたのではないだろうか。
この青年ばかりでなくわたしたちも、「わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く越えている」(イザヤ五五・9)と言われている神を、誤解していることがありはしないだろうか。神の深い御心が示されたとき、わたしたちに衝撃的な感動と喜びが伴う。その感動が大きいだけ、そのとき示された神の姿は、わたしたちの心に焼き付き、離れなくなる。そしてやがて神とはこのような方であるという、神観念が固定してしまうことも、ありうるであろう。こうして一種の偶像が出来上がる。
ここ数十年来、宇宙時代という言い方がされている。この言葉からは、人類の活動範囲が宇宙大に広がったという印象を受ける。実際人工衛星は、通信や天気予報などには欠かせない、身近な存在となっている。しかしこのような身近になった宇宙というのは、光の速度で〇・一秒以下で到達する世界である。人工惑星による太陽系探査の範囲を入れても、数時間の範囲である。これに較べて宇宙全体の大きさは、一五〇億光年位と言われているから、人類の活動範囲に対して無限大に近い。神の御心の測りがたい大きさは、このような人類の活動範囲と宇宙の大きさの違いに思いをめぐらしても、やや想像できるかもしれない。
このいわば無限大の神を、有限でしかない人間が完全に知ることはできない。まして人間の言葉で言い尽くすことはできない。だから聖書の言葉も同様に、それを機械的に受け取るのではなく、無限である御方の方向を指し示している徴として、読みとってゆくことも必要ではなかろうか。聖書の言葉をそのまま機械的に読むと、宇宙の年齢はせいぜい六〇〇〇年ということになるらしい。この数字を絶対的真理と思いこんでいるキリスト者の中に、大学の理系を卒業した人たちを見出すことは、まれではない。聖書を読むに際しても、理性を殺してはならないのではなかろうか。しかしまた聖書の記事を、単なる作り話として受け取り、そこに書かれている精神や教訓だけを読みとるとすれば、聖書が伝えようとする中心を逸することになり、聖書は世に山ほどある書物の単なる一つとなってしまうであろう。たしかに無限である方を、有限である人間世界に映し出すことは、原理的には不可能である。としても、わたしたちに与えられた唯一の書である聖書を、善悪どちらにも働くものではあるが、わたしたち人間に与えられている理性を使って、出来る限りの努力をして、聖書は何を語っているのか、真剣に読み、主の語りかけとして聞く努力を放棄してはならないと思う。
しかしそのような努力によって理解された信仰の世界も、宇宙のように広い神の御心の極く一部でしかない。また、これまでわたしが述べてきたことも、たとえ真理が含まれているとしても、その単なる一面に過ぎない。気付いていることだけでも、その全てを語ろうと思うと、随分長いものになるであろう。しかし反対に、信仰のことは簡潔に短い言葉で言い表すことができる、とも言えるのであり、実際この文集にはそのような証で満ちている。それらは、天国は、もし『他に何をすれば入れますか』と問うなら、宇宙の彼方ほど遠い。しかしその遠い天国を、手の届くところにイエスが引き寄せてくださった、ということを証しているように思われる。 (無職)
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生きた水の流れ T.H
祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。(ヨハネ七・37~39)
いつも、生命の水を頂き感謝です。
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約束 Y.H
感謝します
試みにあわせ鍛えたもう主のみちびきを
感謝します
苦しみの中に育てたもう主の御心を
感謝します
悲しみの時にともに泣きたもう主の愛を
感謝します
こぼれくる涙をぬぐいたもう主の憐れみを
しかし願う道が閉ざされた時は
目の前が暗くなりました
どんな時でもあなたの約束を忘れない者としてください
感謝します
御心に耐える力を下さるみめぐみを
感謝しますすべてのことを
最善となしたもう御心を
(リビングプレイズ一三一)
今年もたくさんの賛美歌を歌いました。その中で偶然にも歌われたものでしたが、深く心に残りました。神様の愛を知り、その平安の中で生きて行くこと、生かされていること、そして、感謝と祈りへと導かれていくのだと思います。この賛美歌のように神様の御心を固く信じて生きていくことが出来ますように。
(主婦)
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十字架の恩恵 W.B
人生において大事な時間の大部分をこの世の事に費やしてしまい、ただいま少ししか残っていない尻尾の部分さえをもいまだにこの世の事に振り回され、戦々恐々としている自分を振り返ってみると落胆失望におちこむ気持ちになる。
それで早い時期から人生の確固とした目的を知って、はたらくべき仕事のためにはたらく人を見るとうらやましく思われる。それなのに情けない事に、ある時には自分はそれでもほかのひとたちとはなにか少しは違うところはあるような気がすることもあるという、みじめな有り様である。このような状況にあるなかで最近マタイ二十 ? 1-16 ぶどう園の話に関する関根先生のマタイ福音書講義をよんでさらに十字架の恩恵を学べて感謝であった。
朝早くからぶどう園でまことの主人のためはたらく者たちは幸であった。最初からではないけれどもそれでも朝9時からはたらける者たちもまた幸福な人たちであった。せめて12時、はなはだしくは3時からだったらこの世の主人たちも雇う事があるかも知れない。しかし仕事がほとんど終りかけている5時に雇うということは考えられないであろう。
五時頃までにもはたらく場所を見つけられなかった、というのは一生の大部分をむだ遣いしてほとんど人生の夕方までなすべきことをわからなかったということであろう。それはよそごとではなく自分自身の有り様そのことであるというしかない。
しかしながら天国の主人は雇ってくれただけでなく日割り一デナリまでも下さった。人間からでは考えることさえできないことで、絶対に神様からだけいただけるものである。人間のしたことに応じて報いるということではなく、一時間しかはたらかぬ者に一デナリ与えるのが喜びであるからやりたいのだということである(十四節)。はかり知れない神様の絶対のみ恵みであるといわなければならない。
この神様の絶対の恩恵に対して人間、義人である人間たちの不平不満がでてくる。しかも神様の裁き、懲罰にたいしてではなくて神様の愛の恵みに対して不満であるということである。主人に召されるそのことが恵みであり、しかも朝早いからはたらけるということはさらにいっそう感謝することであるにもかかわらず不平を言い出すのである。神様に不平をいう、おのれを誇る、他人をさばく。人間が善行を行う、律法を行う、自分が行った時には、これだけのことをやった、と誇る気持が起ってきてどうしてもそれによりたのむようになり神様に不平を言い出すことになるのである。召された恩恵に対する喜びと感謝とが大きいときははたらいたことは何でもないが、恩恵が忘れられるとき何か大したことをやったような気がするのであろう。十字架を通らずに律法をまもろうとするとき行いへの誇りが出るのである。罪人への神様の愛が、ねたましくなるのである。十字架の救いに与ったものは朝六時からはたらいても全然誇らないで、夕方の五時からはたらいた人とおなじように働きうるのである。神様のゆるしのめぐみがいかに大きいかを知ることができれば純然たる感謝と喜びを持ってはたらくことができるのである。
キリストの十字架の福音は罪人のための福音であり、十字架の限りない愛は一生をむだづかいし、また罪で首がまわらないものを最後の瞬間まで義人と同じように招いて下さり、また恩恵の十字架を仰ぐ時だけ朝早いから召されたことを感謝し、最後の最後までもう一人でもともに召されることを喜ぶことができるのである。
われわれはいつでも限りないゆるしとお召しの十字架のもとに立ち帰るところに私たちの希望があると信ずるところである。 (教授)
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非戦と平和の生涯を偲んで M.F
堤 道雄氏の告別式は一一月二三日(水)午後二時より、横浜市教育会館で行われました。
六階の式場には純白の花で飾られた祭壇の中央の上に、堤道雄氏の遺影が飾られ、中央の下よりに黒い布に覆われたご遺骨が安置されていました。
主催はキリスト教横浜集会。司会は小舘美彦兄、奏楽は吉永まどか姉。式に先立ち、まず、堤道雄先生は、私にとって先生であり堤さんとは呼べないので、了承してほしいと司会者の言葉ではじまりました。
一九一八年一一月 アメリカ・カルフォルニア州に生まれる。
一九三七(一九歳)神奈川県立第三中学より早稲田大学に入学。教会日曜学校の教師を勤めYMCA活動に打ち込む。この頃より内村鑑三全集を読む。後、教会を脱会。
一九三九(二一歳)「嘉信」「聖書の日本」に出合う。
矢内原先生を訪ねる。
一九四一(二三歳)早稲田大学政経学科を繰り上げ卒業。
一九四二(二四歳)陸軍将校として従軍。アンダマン群島に二年半駐留。
一九四六(二八歳)八月復員。八月一六日堀井久子と結婚。「聖書の日本」政池 仁宅を訪ねる。
一九五〇(三二歳)徳島で「真理」を創刊。
一九五一(三三歳)父、芳雄宅にて「横浜聖書研究会」を主宰。間もなく会場を横浜YMCAに移し、後キリスト教横浜集会に名称を変える。
一九七一(五三歳)公立中学の英語教師を辞し、「真理の会」結成。北海道から沖縄、海外は韓国台湾。そしてロシアまで伝道活動に専念。
一九九八(80歳)公式伝道「真理の会」から引退。以後、「キリスト教独立伝道会」に協力しつつ、キリスト教横浜集会を主宰。
二〇〇一(八三歳)この頃より足が弱く、徐々に歩行が不自由になる。
二〇〇四(八五歳)日曜の集会に出席するためには、会員が送り迎えするようになる。
六月六日、静岡にて「内村鑑三の非戦論」が最期の講演となる。「学生の時に内村先生の非戦論を聞いたのに兵役に参加し、しかも将校に なったこと。なぜあの時、刑務所に行かなかったのか。この事が傷として今も残っています。今も神の赦しを求めている。」と告白。
二〇〇五(八六歳)八月ショートステイから帰った後、容態が悪化。救急で藤沢市立病院に入院。九月二九日に胃ろうの手術を受けてから、ICUにて治療。十月六日午後四時四四分召天。
式次第並びに送ることば、はじめと終わりの祈祷など、すべて主に祝され実に生前のお姿が克明に語られました。
その中でも、「二〇〇四年六月六日、静岡での最後の講演となった、「内村鑑三の非戦論」「学生の時に内村先生の非戦論を聞いたのに兵役に参加し、しかも将校になったこと。なぜあの時、刑務所に行かなかったのか、このことが心の傷として今も残っています。今も神の赦しを求めている」と告白されたことは、皆様が共通して話しをされました。「式辞」と「送ることば」は、お一人お一人の中の主にある堤道雄氏のお姿をあますところなく語られて、強く胸を打ちました。せめて、その要旨だけでもお伝えしたく思いましたが、その中の一つ二つを取り上げてみます。
戦後、アンダマン群島にて残務整理をされ一年後に復員をして帰国されたが、その姿は当時竹山道雄作の「ビルマのたて琴」を思わされるものであった。戦後は町に浮浪児があふれていたが、藤沢市でその教育に当たられた。常に弱い者、恵まれない者の味方で上司とよく衝突をした。また、その後、一九四九年頃は徳島県の徳島学院(教護院)の院長として赴任されて、毎日曜、日曜学校を開き、賛美歌を教えていた。その事で県から注意され解雇された。いよいよ徳島を離れることとなり、その日の小松島港には、学院生が揃って讃美歌を歌って見送ってくれたとのこと。その情景が目に浮かぶようでした。ちょうどその頃、一九四九年十月末に、「聖書の日本」主筆政池仁の初来徳があり、その夜は学院長堤道雄氏宅で一泊されたのでした。私は、若い日政池仁の「聖書の日本」を通して信仰を育てられたので、殊にこの話が強く心に残りました。告別式の最後は、堤久子夫人が杖をつきながらも、しっかりした言葉でお礼ご挨拶があり、共に信仰生活を闘ってこられたお姿に深く心を打たれました。高齢者も多いので、壇上に上がらず、一列に並んで、告別をして式場を後にしました。式場の近くにたくさんのアルバムが展示され皆で拝見し、祭壇の白い花を各自が戴いて散会したのでした。
当日は快晴、比較的暖かい日でした。
日本友和会理事長、武祐一郎氏、敏代ご夫妻をはじめ、関根義夫氏、独立伝道会員の方々他主にある兄弟姉妹方と共に参列できましたことを心から感謝申し上げました。
この度の告別式では、キリスト教横浜集会の兄弟姉妹方に大変にお世話になりました。
これらのすべてを通して、主の御名が益々崇められますように祈りつつ。(二〇〇五年十一月二三日)
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祈り K.H
新しいカレンダーをいただいたとき、そこに「いつも喜んでいなさい 絶えず祈りなさい」
と、書かれていました。今年こそ、そうありたいと願っています。
祈りによって願いは聞かれると確信します。
私の母は神様を知りませんが姉妹の祈りをとおして神様に導かれ、ただ「神様、助けて下さい、共にいて下さい。」と、祈ることができるようになりました。感謝です。
私も罪に負ける日々ですが、祈ることで清めていただき、この世の命を大切にしたいと思うこのごろです。 (主婦)
力の秘訣(イザヤ三十・15~18 詩編二三・5~6) S.M
私たちは日々時間に追われ、忙しさに追われ、自分を満足させる事に躍起になっているが、心を静めて主に立ち返るならば、新しく力を得る。
霊(信仰)の目を開き、霊(信仰)の耳を澄ますならば、主の恵みと慈しみの足音を聞き分けられる。また、今現在もそれらに取り囲まれていることを目の当たりにすることでしょう。
「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」新改訳 (イザヤ三十・15)
「まことに、命の日の限り、慈しみと恵みとが、わたしを追ってくるでしょう。」新改訳 (詩編二三・6)
神を愛し人を愛することである K.M
「私の礼拝はこれである。私の信仰はこれである。私の奉仕はこれである。これを除いて私に宗教というものはない。教会何者ぞ、教義何者ぞ。神学何者ぞ。もし私に愛がないならば、私は無神の徒であり、異端のかしらである。私の口と筆とをもって私の信仰をあらわしたからといって私は信者ではない。私は愛するだけ。それだけの信者であるのみ。私の愛以上に私の信仰はなく、また、私の愛以下に私の宗教というものはない。」
「一日一生」内村鑑三より
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聖手を感じた、あの時、その時 E.M
今年五月、西沢兄から軽く「水渕さんも行きましょう」と、梶原山公園までのドライブに誘われました。清水聖書集会の兄姉と一緒です。西沢姉の「私の車の方が乗り降りし易いので…」との心遣いで二台の車で、集会場前を出発。旧静岡市方面の市街地から緑の濃淡が織り成す山道が美しく感動しているうちに梶原山公園駐車場に着きました。と、其処には見上げる坂道が立ちはだかっているではありませんか。思わず一歩退いてしまいましたが、意を決してそろりそろり登り始めてみますと登れるではありませんか。ああ神様が私の背中を押して下さっている!
頂上までの途中に数奇屋風の休憩所があり其処で小休止。石原兄の名ガイドで市街を一望、新幹線の上り下りの列車を眺める事も出来ました。
西沢兄が「上まで来ませんか」と迎えに見えて、もう一踏ん張りと頂上まで登りつめました。
五月の陽光とそよ風と。三百六十度パノラマに息を呑みました。日本平を真向かいに、遠くは伊豆半島も…太平洋沿岸であることを改めて思わせられました。詩篇「一二一」「一三六」が浮かびました。
足元ではツツジが満開。タンポポの黄色のかたわらには風を待っている綿毛が繊細な趣を見せてくれていました。<今日のみ言葉>と<野草と樹木たち>を思い浮かべておりました。
兄姉方に又助けられてゆっくりゆっくり降りて、来た時と同じ様に西沢姉の車で無事に帰って来ました。感謝で一杯でした。
その夜、私は足元がふらついてベッドに腰掛け損ねて肋骨に痛みを覚え手を当てて呼吸しないと居れない状態になりましたが、その時、ああ、梶原山公園に行った後で良かった!と 山頂よりの展望を思い浮かべました。痛みよりも感動の方が大きかったのです。
次週の聖日礼拝の後で、西沢兄は「梶原山公園にいったから?」と心配して呉れましたが 「いいえ! 私オッチョコチョイだから」「ああ宜かったア」西沢兄の安堵の表情に私もほっとしました。
うかつと言えばそうなのですが、私はその時不思議に坂道の事等考えずに、せっかくのチャンスだから連れて行って頂こうと決行したのでした(食事は摂っていないし可也の冒険)
それにしても、西沢兄の英断には頭が下がりました。もし知っていたらとても行く勇気は有りませんでしたから… この事が物差しとなって、八月二七日~二八日の徳島行きに踏み切れたのでした。西沢姉は看護師さん みつ子姉はご主人様を亡くして居られ、又同病相憐れむ…なので心強く愉しみにしてその日を祈りつつ待ちました。こちらは、三回目でいろんな事が良く解っていたので、とにかく、体力が保たれる様に摂生するのみ!(両面あることを教えられました)
その徳島訪問の際に、徳島聖書キリスト集会の兄姉様のさりげないお心遣いは、あの時の「応用問題」。また、西澤兄の聖書講話の後の感話の際に、吉村兄が言われたこと、それはその時の講話の「結び」とも言える内容で、「石を投げ打とうとしているのか愛を投げ掛け様としているのか…」この一言は心深くに留まりました。そうして私の二〇代の始め頃からの、座右の銘となりました言葉とも通じ合うのではと感じました。
許せない人をゆるし
包めない人をつつむ
キリストの愛よ
わたしのうちにあれ 「世の光」聖灯社 月刊新聞
「共にいて下さる神」(清水での、お講話)が西沢兄姉の背中を押し、ハンドルに聖手を添えて下さっている事、神様の聖手によって持ち運んで「イザヤ四六・3~4」頂いて居る事を体全体に感じた旅でした。
たくさんのお祈りを神様はお聞き容れ下さり、大学病院に長期入院中の勝浦兄をお訪ねする事も出来ました。私共の思いをはるかに越えて聖霊に満たされた素晴らしい旅でした 元気を頂きました。
徳島聖書キリスト集会の皆様本当にありがとうございました。誌上をお借りしてお礼申上げます。 (無職)
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心に残っている聖句 S.M
あなたがたの天の父は、これらのもの(衣食住に関わること)がみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ福音書六・32~33より)
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夕べにも光がある。(ゼカリア十四・7d) E.Y
「夕べにも光がある」なんと美しい言葉でしょう!去年の今頃「祈りの友」の暗誦聖句を選ぶことになり、旧新約聖書を読んでおりました。その時このゼカリアの言葉に出会ったのでした。聖書の通読は何度かしましたがその時には気づかなったのです。年を経たからこそ、今回心に深く刻まれたのでしょう。すっかりわたしの愛唱句になりました。
我が家は少し山を登った所にあります。岩を削って作った段々を登るのですが、段の高さはまちまちの上にくねくねと曲がっています。長くほっておくと苔が生したりしますが、それはそれで情緒がありとても気にいっています。道の両側は山桜、ヤブニッキ、楠、ヤマモモ、櫨、藪椿などの雑木林です。昔は樹も小さく岩の階段にも日が射していましたが、今は大きくなった木々でほとんど日が当たらなくなりました。
わたしはこの階段を眺めるのが大好きです。朝には爽やかな日の光が木々の隙間をぬって射してきます。
まるでコローの絵のようだと思います。夕べには山の端に沈みかけた太陽の光が射してくるのです。木の葉の隙間を
上手に潜り抜けて射してくる夕日の色で辺り全体が黄金色に輝きます。なんて神々しい佇まいなのだろうと感動します。レンブラントの絵と同じ色だと思います。暫く感嘆して眺めて立ち去る時、ふとイエスさまがおられるような気がして振り返ってしまうことがあります。
エマオへの道を急いでいた二人の弟子がイエス様にお会いしたのも、きっとこのような夕暮れの頃だったのでしょうか。暗い顔をして話し合っていた二人の弟子のそばにイエス様が近付いて来てくださり、二人が強いて「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になります。もう日も傾いていますから」と言って、無理やり引きとめたので、イエスは共に泊まるために家にはいられた。(ルカ二十四・29)とあります。二人の弟子にとってこのエマオの道は特別な時となりました。忘れられない道になりました。二人の弟子だけではなく、この記事を読むわたしたちすべての人にとって最も感動的な記事の一つになりました。
このようなことは誰もが経験することなのだと思います。わたしにとってこの岩の階段はそのような道でした。
この大好きな場所も若い頃には重い心で上り下りすることも多くありましたが、最近になって、漸く過ぎた日々を受け容れることが出来るようになりました。
以前夕拝の司会の当番になると、決まって讃美歌三十九を選んだものでした。特愛の讃美歌の一つです。
(一)暮れて四方は暗く (二) 人生のくれちかづき
わが魂はいと寂し、 世のいろかうつりゆく、
寄る辺なき身の頼る とこしえにかわらざる
主よ、共に宿りませ。 主よ、ともに宿りませ。
この讃美歌は五番までありますが、最後はみな「主よ、ともに宿りませ」となっています。
人生の花のような時期が過ぎ、黄昏を迎えるときにも、たとえ若いときであっても、心は暗く、悲しいことが絶えず襲ってくるように思われる時であっても、主イエス様が共にいてくだされば、乗り越えられることを知らされます。
いよいよ人生の夕べを迎えた今、「夕べにも光がある。」とのゼカリアの言葉は大きな励ましであり、慰めです。夕べに光があるだけではなく、死の床にある時にも、主の光を見させてくださり、復活の朝を迎えさせてくださいます。
(五)十字架のくしきひかり
閉ずる目にあおがしめ、
みさかえにさむるまで
主よ、ともにやどりませ。
(主婦)
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さまざまのもの T.Y
自然の世界を見て感じるのは、実に変化が多いということである。雲の形や色合いなど、毎日刻々と変わっていく。植物にしても、松や杉、クスノキのような大木もあれば、クチナシのように大木になど決してならないもの、柿の木や椿のように、ある程度の大きさからは成長もしないし、幹も太くならないものなど、それからその樹木の姿、幹の様子、葉や花の形、色、香りなど驚くべき多様性がある。
樹木以外の植物も同様で、苔のような地味なもの、キノコのように、寄生して緑の葉を持たず、花も咲かないもの、シダのように緑の葉を持つが、花は咲かず胞子で増えるもの、またカノコユリ(鹿子百合)のように大きくて美しい花もあるが、畑や野原などでよく見られるヤエムグラなどは、わずか一ミリ程度の花を咲かせる。
そうした多様なものが、それぞれに生かされている。
自然の世界では、大きいものがよいということにはなっていない。松や杉などの大きくなる植物、また小さな苔や低木、紅葉するもの、黄色くなるもの、常緑のもの、などなどそうした多様なものが全体としてこの自然を構成している。
松や杉のような常緑樹ばかりでは、下草も茂らず、カシやシイなどの樹木もなく、保水力も弱いし、動物たちも生活しにくい。
果実もまた、実に変化に富んでいる。果物や稲や麦などのように、その実や種がほかの動物のために不可欠となっているものもある。
このように、自然の世界はどれもが一つ一つ変化に富んだ形に創造され、用いられている。
しかし、人間は同じものを作っていこうとする。例えばパソコンなど一つできると同じものを作る。それを少し変えてもまたそれと同じものをたくさん作っていく。人間についても、教育の場や会社、組織で、ある決まった型の人間を作っていこうとする。
私自身が受けた高校教育も、典型的な受験高校で、大学入試のことしか考えないような人間を作るところであった。戦前の日本は天皇を現人神として崇拝し、命令通りになる国民を作っていこうととしたし、さらにそのような間違った考えで東アジアをも支配していこうとしたほどであった。
神は一つ一つの植物をただ一つしかないかのように、独自に創造し、一つの木の葉の一枚一枚ですら異なる形、色合いに造られる。人間も、本来はそのように一人一人が独自に創造されているのであろう。健康な人も病弱の人も、また数学や音楽の能力においても一人一人が違う。顔かたちもそれぞれが独自に創造されているが、指紋は人間で同じものは一つもないというのも、もそうした人間の独自性を象徴している。
そしてそれぞれが互いに補い合っている。例えば、健康なものは職場でいろいろ仕事をし、また病弱な人を助けるが、病弱な人はまた健康な人ができないこと、その苦しみに対する忍耐や、健康のありがたさを周囲に知らせること、また病気の人に関わることで、元気な人も、健康な人との交わりだけでは決してわからないことを教わるのである。
健康な人だけ、能力のある人だけの集りは、助け合うという重要なことが分からない。そこから生れるのは、競争である。弱いものは排除されていく。
しかし、病弱な人、心身に弱いところを持っている人と健康な人、若い人、老人、働き盛りの人、こども、貧しい人、豊かな人、ふつうの人、いろいろな人がおり、そしてそこに主の力が働くときに、互いに自分が知らない状況を教えられ、そうしてはじめて、競争でなく、助け合いが生れる。助け合うとは互いに持っていないものや持っていても乏しいものを提供し合うことである。
こうした多様性は、実は神の愛がそこにあるからだ。一つ一つ特徴あるものに、異なるものに創造するということは、そこに愛を注いでいるからである。私たちが何かを作る場合でも、心を入れていないときには、簡単に同じようなものを作る。一つ一つ別々のよさを持ったものを作るには、それぞれに心を注がないとできない。
この世のすべてのものは、神の愛の御手が置かれて神の愛が注がれているからこそ、そのように独自に創造されているのである。
主の御言葉は正しく
御業はすべて真実。(詩編三三・4)
この言葉も、神がなさるわざにはすべて神の本質である真実が込められていることを指し示すものである。
次の言葉は、天地が喜びであふれるばかりになる時が来る、というスケールの大きい預言である。このようなことをこの作者は、霊的に実感していたのがうかがえる。
大地や海にある生き物、植物などすべて神の愛が込められた被造物であるゆえに、時至ればそうしたものもすべて神の愛に感じて、讃美を始めるという。
これは一つ一つの生き物や植物に対して深い愛を持っていた人の言葉である。
天は喜び、地は楽しみ、海とその中に満ちるものとは鳴りどよめき、
田畑とその中のすべての物は大いに喜べ。
そのとき、林のもろもろの木も
主のみ前に喜び歌うであろう。(詩編九六・11~12)
(キリスト教伝道)
ある日の説教で学んだこと―「幸いな人」―
イエス様の教えに感激した女性が「なんと幸いなことでしょう。あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」と、すばらしい息子を持った母をほめました。(ルカによる福音書第11章27-36より)
それに対してイエス様は「幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」とお答えになりました。身内に優れた人がいると言うことは、この世では自慢になりますが、自慢する本人が優れているわけではありません。実際マリアは息子をまったく理解できなかったり、無残な息子の死を目の当たりにしたり、つらいことが多かったと思います。
この母を支え続けたのは、神の言葉でした。天使ガブリエルを通し、シメオンを通し、語られた神の言葉を、その時にはよく分からなくても心に納め、思い巡らせました。やがて言葉通りの事が実現し、そこにある神の御心を知りました。激しい現実の中で、神の愛を見失うことなく生き抜いたのです。
人間は神の言葉なしでは生きて行けません。代わりに偶像を作り、お守りを作り出しても無駄です。それらには何の力もありません。神の言葉は、私たちにとって、自分の命を照らし、人生を照らし、時代を照らす、まことの光です。これを受けるか拒絶するかで、人生は180度変わります。明るい未来を希望を持って待ち望むか、暗い週末を不安を持って迎えるか。決定的な分かれ道がここにあります。神の言葉を聞き、それを守る人は幸いです。
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持病と現在の心境 H.S
私の病気はめずらしい病気で、徳島大学病院では私が初めてだそうです。なかなか口で説明するのは、時間的にも内容的にも難しいのではじめての投稿であるこの機会に記したいと思います。
最初に病気の説明をします。
リンパ管拡張症という病名です。浮腫は生まれた時からありましたが、はっきり診断されたのは二十歳の時で、原因は生まれつきリンパ管が形成不全なためです。治る見込みはありません。胃腸から蛋白質やカルシウムが漏れる病気で、血液中の総蛋白質が普通の人は七・〇前後あるのに対し私は常に四・五前後しかありません。そのため左手や足に浮腫があり、胸水や腹水が溜まる時もあります。免疫力低下のため、風邪を引くと喘息発作が起きるなど人の三倍は治癒までにかかるので、感染症にも注意しなければなりません。治療は食事療法(高蛋白質・低脂肪食)、栄養成分剤の摂取、週に一回の栄養剤点滴をしています。浮腫に対しては週に一回鍼治療を受け、夏以外は弾性ストッキングや弾性ミトン(手袋のようなもの)を着用しています。
次に集会への参加のきっかけを説明します。結婚はしていますが、結婚前後に胸水が溜まり仕事ができなくなり、夫婦共に子供が好きなのに子供もあきらめることになりました。今でも乳幼児のいる光景はほほえましく思えて、こちらを見てくれているとつい相手をしたりしていますが、働いていた時の自分と現在の自分を比較したり、仕事をしている人や子育てをしている同年代の人を見ていろいろ病気や家庭のことを独身の時以上に、深刻に悩んでいました。
鍼治療の時にも悩みを度々聞いてもらっていると、お世話になっているM.S姉から集会に誘われました。
二〇〇四年十月から参加しています。
次に現在の心境を説明します。
参加するようになって、聖書を学ぶことにより物事に対する視野を広げてもらい、植物に触れることにより心を癒してもらい、讃美をすることにより明るくなりました。丸っこい左手も使って出来る手話讃美も楽しいです。
またあまり頼りにはなりませんが、母の体調が悪い時などに、少しでも家事手伝いなどに行くには今の状況が一番良かったと思います。
そう考えると私の病気も‘神様の御計画’の一つで、良い方向に導いてくださったのだと思います。
これからも神様に支えてもらい、恵みを受け続けたいと思います。
最後に心に残っている聖句です。
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ四・4)
つねに栄養不足の身体ですが、主から御言葉を受け取り、心の栄養は十分でありたいと思います。そしてイエス様が全ての人を分け隔てなく愛したように、私も自分を愛し家族をはじめ周りの人に優しく接したいと思います。 (主婦)
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トンビの歌 S.S
私は神山町の山間部で生まれ育ちましたが、大空を見ると、よくトンビが飛んでいました。その姿は大らかで、悠々としていました。そのようなトンビを見て、私の心も神様の力を受けて、どんな試練をいただいてもトンビのように大らかに乗りきらなければ、と自分に言い聞かせたものでした。
私は「トンビの歌」を作り、子供達が小さい時よく歌ってあげました。
飛べ飛べトンビ
爽やかに 晴れし空も
曇れる空も
嵐の空も
いつも変わらず 大らかに
天かけるトビのように美しく
ありたきは 我が心なり
苦しい時、悲しい時、耐えられないと思った時
イエス様がいつも私のそばにいて、
守り助けてくださいました。
山からたきぎを取ってくるのが、その頃の私の仕事でした。
一生懸命仕事をしましたが、来る日も来る日もこのような重労働に
「こんな生活はイヤです」と思ってイエス様を見上げていました。
すると、神様の声が聞こえてきました。
「時は近づきぬ。日は迫り来る、心静めて、待つべし」と。
それから間もなく、佐古に家を借りる話が起きてきて、私は救われ、神様の
御臨在に畏れを感じました。
神様の恵みが嬉しくて、その神様の声を歌にして、しょちゅう歌っていました。
いろいろなつらい事があると、内村鑑三の本をよく読み、真実な神様を求め
信仰に依りすがりました。
服部 治先生に信仰の種を播いていただき、イエス様を信じて今まできました。
特に子供達の事は、おなかにいる時から、この子は主にあってどのように生きてもらいたいかと考え、祈りと願いを込めて、名前を付けました。その子供達や孫の写真を寝室のベッドの壁に大きく引き延ばして貼り、毎日眺めて、イエス様に子供や孫や曾孫の事を祈り感謝して過ごしています。
一緒に暮らしている息子と嫁が大事にしてくれるので特にそのお恵みに感謝です。
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たとえばわたしが K.S
(心が弱くなった時に、力づけられた歌です)
たとえばわたしが 歩けなくなっても
わたしを背負って ともに歩いてくれる
たとえばわたしが 道をはずれても
わたしとともにいて そこを歩いてくれる
ともに生きる喜び かみしめながら
歩いていく
わたしのそばにはいつも もうひとつの足跡
たとえばわたしが 涙を流す時
ともに涙を流し 悲しんでくれる
たとえばわたしが ひとりになっても
わたしをなぐさめ はげましてくれる
ともに生きる喜び かみしめながら
歩いていく
わたしのそばにはいつも もうひとつの足跡
イエスさまとともに 歩きだす時
あなたも気づくだろう もうひとつの足跡
砂のうえにつづく ふたりの足跡は
あなたとイエスさまの 足跡なのです
ともに生きる喜び かみしめながら
歩いていく
あなたのそばにはいつも もうひとつの足跡
(作詞・作曲 野中宏樹)
(家政婦)
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主は一歩一歩を Y.S
「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えて下さる。」(詩篇三十七・23)
宇宙を創造し、天地万物を創られ、すべてを導いておられる神様が、私達一人一人の小さな一歩一歩の歩みをも導いて下さっている。ほんとうに驚くべきことである。「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」(マタイ十・30)私は自分自身のことも、ほんとうにはわかっていないのだと思いました。すべてを知っておられよきに導いて下さる、主の導きを信じて委ねて歩みたいと願っています。 (主婦)
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讃美から思う Y.S
讃美 「ぼくのたからもの」
イエスさまがくれた このくちびるで イエスさまをさんびしよう
きょうもそそがれる かぎりないあい こころからかんしゃささげよう
ぼくのたからものは イエスさまをしったこと
イエスさまといっしょにいきること
わたしのたからものは イエスさまをしったこと
イエスさまといっしょにいきること
この賛美は、今年の夏シンガポールで行われたファミリーキャンプで、教会学校の子どもたちが手話と共に歌ってくれたものです。楽しそうに賛美する子どもたちを見ていて、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
(マルコ一〇・15)のみ言葉を思わされました。
子どもの頃に教会学校に通っていて、大人になって教会に帰ってくる人が多くおられます。主が忍耐強く、深い憐れみをもってわが子がご自分のもとに帰ってくるのを待っていてくださる。ここでも神様の大きな御愛を感じずにはいられません。その神様に、心からの賛美と感謝をささげることを忘れることなく新しい年も歩ませていただきたいと思います。(マレーシアのクアラルンプール在住)
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内なる人に導かれて M.S
「私は落胆しません。例え私達の外なる人は衰えていくとしても私達の内なる人は日々新たにされていきます。私達の一時の軽い艱難は比べ物にならないほど 重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。私達は見えるものでなく見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが見えないものは永遠に存続するからです。」(Ⅱコリント四・16~18)
これは二〇〇五年の元旦礼拝で語られたメッセージの中から心に残っていることばです。時々私はもし聖書のこのような言葉も知らず、神様の愛も知らされずにいたら どんなに悲惨な空しい日々を過ごしていただろうと思うと恐ろしくなってくることがあります。 砒素ミルクの中毒から、視覚障害があって、三〇歳の時に完全に失明してから 私の心は悪霊に取り付かれた人のようでした。でも「私に繋がっていなさい」というイエス様の一言で ある日突然心が呼び覚まされ、真っ暗な中に光が差し込んで来て…その時から私は一変しました。
神様に深く繋がろうとせず、神様に背を向けている自分の罪を見つめられるようになってから、私は真剣にイエス様を求めるように変えられていきました。イエス様が共にいて下さり 悪い思いも そのみことばによって一掃されていくことが実感できます。揺らぐ事がない確かな方に導かれて歩んで行ける事は大きな喜びです。
今年は色々な集会の学びから悪霊に取り付かれている人がイエス様にすがって、その力によって悪の霊が追い出されて、新しい霊の命がイエス様によって注ぎ込まれていく箇所を何度も学びました。かつての自分の姿がそこにあり、また今もふとした事で悪の力に引きずり込まれそうになってしまう自分の弱さも見せられて、他人事とは思えないような気持ちにさせられました。少しでもイエス様から離れていると、悪に支配されていきます。
すべての悪の力に勝利してくださったイエス様の力に支配されて、自分の中にある罪や不純な想いを取り除いて頂けるように祈らされています。また、以前の私のように、周りには、この世に見えるものばかりを追い求めて、右往左往している人が、たくさんいます。出会う人が「主に繋がって この世のものでなく 主によって本当の平和が来ますように」と日々祈っていきたいと思わされています。
「渇いている人は誰でも私の所に来て飲みなさい。私を信じる者は聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ七・37~38) (鍼師)
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イルカに触れた日 H.S
今年の夏のある日、姉と義兄が室戸へドライブに行こうと誘ってくれた。
ドライブが大好きな上に気晴らしもしたかったので即座にO.K。室戸はしょっちゅう出かけるので特に目的地はなかったが、以前知り合いからイルカ見学ができる場所があると聞いていたのを思い出してそこへ行ってみることにした。
それは、室戸漁港の区域内にあり、イルカの研究や調教をしているところだった。イルカに餌を与える時間帯に合わせて一般の人もイルカ見学ができるとのことだった。私たちが行ったのは平日でそのせいか私たち以外には誰も見学者はいなかった。
けれど、イルカに餌を与えるのは午後三時半なので、それまで長くは待っていられないと諦めかけたが、義兄が大胆にも係員に私が全盲であること、遠くからわざわざイルカを見に来たことなど話してくれた。すると、係員の方がせっかくですから触ってみますかと言って私たちを筏に乗せてくれイルカの傍まで連れて行ってくださった。
ここには、三頭のバンドウイルカが飼育されていたが2頭はすでに死んでしまい一頭きりになってしまったらしい。その子の名はハイジといった。ハイジは餌の代わりに魚の血の付いた氷をご褒美に貰い私たち三人のためにジャンプしてくれたり、水にもぐってくれたり、調教師の投げるボールを拾って投げ返したりして、芸を見せてくれた。そして、調教師の方が私にハイジのヒレやお腹など丁寧に触らせてくださり、最後には私の頬にさよならのキスもしてくれた。姉や義兄もこんなに近くでイルカを見られたことをひどく感激していたがこんな大得点を貰ったのは私だけ。その日は、ほかにも嬉しいことがいっぱいあったと思うが、イルカに触れた大感動で後のことは覚えていない。
でも、それ以上私の心を満たしたのはイルカに触れた感動をきっかけに私のこれまでの人生がいかに恵まれてきたかを瞬間的に感じさせられたこと、嬉しかったこと、楽しかったことばかりが後から後から数え切れないほど思い出されて幸福感でいっぱいになった。
もし、信仰を持たずにこの世的に生きていても楽しいこと、嬉しい事 喜ばしいことに幾つも出会ったかもしれない。でももし、イエス様を知らなかったら私は主に感謝することもなく主を賛美することもなく、自分の努力なしに主から一方的にくださる祝福にも気づかず、主に栄光をお返しすることもせず、人々の救いや祝福を祈り願うこともしないまま人生を終えていたと思う。
私の魂よ 主を称えよ。私のうちにあるものは挙って聖なるみ名を称えよ。
私の魂よ 主を称えよ。主の御計らいを何一つ忘れてはならない。
(詩篇、一〇三・1~2) (療術師)
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正義の神、憐れみの神を思う。 K.S
46:3 わたしに聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。
あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。
46:4 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
46:5 お前たちはわたしを誰に似せ・・・悩みから救ってはくれない。・・・、
46:8 背く者よ、反省せよ、思い起こし、力を出せ。
46:9 思い起こせ、初めからのことを。わたしは神、ほかにはいない。
わたしは神であり、わたしのような者はいない。
46:10 わたしは初めから既に、先のことを告げ、まだ成らないことを、
既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り、
わたしは望むことをすべて実行する。
46:11 東から猛禽を呼び出し、遠い国からわたしの計画に従う者を呼ぶ。
わたしは語ったことを必ず実現させ、形づくったことを必ず完成させる。
46:12 わたしに聞け、心のかたくなな者よ、恵みの業から遠く離れている者よ。
46:13 わたしの恵みの業を、わたしは近く成し遂げる。もはや遠くはない。
わたしは遅れることなく救いをもたらす。わたしはシオンに救いを
イスラエルにわたしの輝きを与えることにした。
私は、この箇所を思うたびにヨハネ福音書1章1節~、創世記1章を思い起こさずにはいられない。ここの表現は神の正義が力強く表現されている。
まず、神の正義が顕され、ついで神様の愛が・・、すべての被造物へ私自身、悪からは「離れ」、これは正しいと思うところに「回心」が要求されていると強く思うようになった。「悪」というと目の敵にして破壊すること、残忍な行為も当然と思う時代もありました。これは神様に信頼せず、自分を正しいかのように「神の正義を踏みにじる」自分よがりな正義感でした。しかし、神様は人殺しとか破壊を神の正義だとはいっていませんでした。「神は避けどころ」、私が想像していた神よりも大きかった。
ヨハネ伝のイエス様は「愛」を強調して示してくださっています。私は讃美歌312番「いつくしみふかき」も同時に忘れられない「ことば」になりました。
総じて「愛」は、厳しい、激しい、壮絶だと図り知るには大きすぎると、その外側にも愛があると感じられます。
正義は勝つこと、戦うこと、学ぶことを、愛は勝たせること、耕すこと、教えることを求められているように思う。与えられている正義の分だけ、愛も感じられる、愛が感じられている分だけ神の正義が守れていることにしてくださっているのだと。
「改心」を「回心」と書いたのは小さなことは自分が、主との対話が必要不可欠であり、
永続的に必要なもの「祈り」によってでしか与えられないもの、「悔い改め」のような大きなものは時に応じて「恵んでくださる」と信じるからです。
アブラハムも「慣れ親しんだ、父の家を出て・・・、」という出発点がありました。
自分自身の思いから出て、主の導かれるまま、「主の祈り」だけで、主との対話が叶いますように。「恵と、救い」これは主意外にないと信じます。
信じるとは「信じる」ことは物質、ことごと、外見的なものに左右されないもののはずです。自分の根源のはずです。忘れないはずです。知ることが出来るはずです。
体の骨が主の正義です。血肉は主の愛です。知ろうともせず、求めませんでした。
すでに与えられていたからです。主を阻害してきたのは私自身です。
生まれたばかりの赤子のように、手足がなくても、動かなくても、目が見えなくても、
耳が聞こえなくても「また、可愛いと、愛らしいと」いってくださるのですか。
そのとき私は私自身に、私に言ってくださっていると知ることが出来ます。
主が全うされると明言なさるので、私も全うさせてください。
憐みは争いの終着点であり、妙薬でした。
「今は恵みのとき、救いの日」個人の一生の上にも主が創造された始めから約束された「完成の日までの」縮図が、痕があります。それぞれの口語で、必要ならば地方弁で「主よ、お話ください。」
主よ、ヤコブが神に勝ち、人に勝って、「イスラエル」となずけられました。
ヤコブが必死に求めたのは祝福でした。私の知らない人々の上にも「主の祝福がありますように」アーメン。
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浦和キリスト集会 Y.S
「この最も小さい者の一人にしたことは、わたしにしてくれたこと」 (マタイ二十五・40)
今日はここを礼拝の時読みました。イエスさまが、今度こそ誰も文句の言えないような確かな輝きと力をもって再び来られて、裁きの場に立たれたときのことを語っておられる場面として読みました。そのとき、右に集められた人たちに向かって「あなたはこのわたしが困っていたとき、苦しんでいたとき、助けてくれた、さあ、あなたたちはいま、父がその天地創造の時から備えてくださっている天の国が与えられる」とおっしゃる。するとその人たちは「エッ?!」と驚く。イエスさまをお助けした覚えなど無い、というのです。それに対してイエスは、「あなたがあの時あの人にしたあのことは、実はわたしにしたのだ」とおっしゃる。このイエスさまのお言葉をそのままにとってみると、「あなたが手を貸して助けてあげた、あの人の中にわたし(即ちイエス)がいたのだ」、ということになります。
この夏、マザー・テレサの映画を見ました。献身を決意してカルカッタの修道院で過ごしていた彼女はあるとき修道院の外の世界に触れます。そして、そこが修道院の中とはまったく違った世界であることを知り、愕然とするのです。その彼女に響いてきたみ言葉が、この言葉でした。それ以来彼女は、苦悩する民衆の中に主イエスを見るようになるのでした。彼女の生涯は、この言葉そのものを生きた生涯でした。もう、その映画を見ている間、涙、涙で、止まることがありませんでした。
隣人の中にイエスさまを見て生きる、この生き方は考えれば考えるほど、とても出来ないように思えます。でも逆にイエスさまは、このわたしの中に、一匹の失われた仔羊を見てくださって、どこまでもどこまでも愛おしみ、愛してくださっているから、いまのわたしがあることも確かなことです。イエスさまは、わたしの出会うどのような人の中にも共にいらっしゃるのだ、という聖書のこの言葉は実に強烈な響きをもって迫ってきます。
とても出来ない、そんなの無理だ、と思ってハッといたしました。そうだ、それはわたしが自分の力でやろうとしても出来ないだろう、しかし、出来ないと分かったときにはイエスの所に行けばよいのだ、イエスのもとで新しく造りかえていただいて、そこからまた出発すればよいのだ、と示されました。マザー・テレサも、きっと何度も何度も行き詰まり、その行き詰まりの中で、主の支えと導きによって彼女のあの人生を生かされたのだ、と思いました。
それにしてもイエスの言葉は革命的、というか実に深い慰めを内に秘めたというか、その言葉を聴いた人をまったく新しい世界に導いてくださるような力がありますね。しかもイエスご自身はその人をいつでもしっかりと支えて導いてくださるのですから本当に深い安らぎを覚えます。これこそ真の「いのちのみ言葉」なのだ、と思わずにはおれません。
精神科医師、
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詩「晩秋の青」・全国集会で聞いた讃美「十字架のかげに」 K.K
晩秋の青
晩秋の空はどこまでも青く
吉野川の水の青もどこまでも深い
主よ
からみつくような罪の力を
この青い色で清めてください。
負いきれないと思う重荷から
この青い色の力で救ってください。
神様が創られた青の色はどこまでも深く天に続く
その行き着く先に
主よ
わたしを連れて行ってください。
「十字架のかげに」
二〇〇五年の全国集会で、独立学園卒業生の方による讃美がありました。そのなかで、特に心に残った讃美がありました。「十字架のかげに」という歌です。疲れし者よ、疲れし者よ、と繰り返し語られる、それは、主イエスのからの呼びかけの声に聞こえました。
重荷に疲れ、罪に疲れる。どうすればいいのかわからない。しかし、そこにこそ主の御手はひろげられているのだ。帰ってきなさい、祈りなさいと今も、この歌声が心の中で響いています。
十字架のかげに
K.Morris Arr.by.Hudson
奥山 正夫 訳詞
1十字架のかげに やすろうときに
肩にかかれる わが荷はかろし
疲れし者よ われに来たれと
御手をひろげて 主はまねきたもう
2十字架の血にて きよめらるれば
なれにぞゆだねん 罪のままわれを
疲れし者よ われに来たれと
御手をひろげて 主はまねきたもう
3十字架のほかに 誇るものなし
ここにまことの 御救いあれば
疲れし者よ われに来たれと
御手をひろげて 主はまねきたもう
………
イエス様は罪のままのわたしを招いてくださる。
疲れたままのわたしを招いてくださる
主よ、
わたしは主のもとに帰ります。
清められた歌声を思い出すたびに
わたしは何度も帰ります。
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み言葉ありがたく K.T
「わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い持ち運び、かつ救う。」(イザヤ四六・4)
捕囚のイスラエルにはどんなにか心強い頼みとなったことでしょう。もうすぐ八十歳になる私にとってもありがたいみ言葉でした。
今年ほどこたえた夏はありませんでした。八十歳になるとガタが来ると耳にしていたため「老い」を強く意識してしまっていたようでした。夏の終わり頃には、身近な何人かの死にもあい動揺と疲れでもうクタクタになっていました。そんな時でしたので、このみ言葉にすがる思いが致しました。
お陰で秋の深まりと共に次第に立ち直ってきました。不思議なことに八十歳に踏み込んでみますと、何だか別の世界に脱け出たような気がしました。そこは階段にある広い踊り場のようで一息つけそうでした。ちょっと一服してみようというようなゆとりが生まれていたのに驚きました。あんなに揺れ動いていたのに・・・。
この先はどうなるのか険しい坂、それともなだらかな尾根(経)→消去が続くのか、扉の向こうなので見えませんが、私の(高齢の)道はこれからが本番なのです。幾つもの起伏を通ってたどり着いたばかりの今、まだその続きに捕らわれるのは愚かだと言われました。「わたしが持ち運ぶ」との声がありました。
神様の持ち運びはいつも真実、最善なのです。「造ったゆえ必ず救う」と。愛のみ手にすっかりお委ねいたします。そう決まったら肩の力がスーッと抜けて不安から解き放たれました。ありがたい、助かった!との実感でした。
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美容サロン ・ルカ十周年の感謝 M.K
神様から名前を頂いた、美容サロン・ルカが、今年の十一月で十年を迎えることが出来ました。美容室を開く前には、とっても不安なことばかり思っていましたが、神様に何もかもゆだねることで、前に進むことが出来ました。
美容室の、飾り付けや、音楽も、雑誌も、少しでも神様の香りがするように出来ることが、私にとって うれしいことでした。
予期しなかった、たくさんのお客様を神様が与えて下さり 私の健康も守って下さり 毎日が感謝の十年でした。
でも深いつながりのある何人かの方も亡くなり色々と悲しい出来事もありました。
そんな中での 十周年を迎え 記念品と それに添えて、Mさんから頂いたしおりとをプレゼントをすることにしました。しおりには、きれいな花や風景にみ言葉が書かれ沢山の種類がありました。
どれか、一枚選んでと言うと 一枚 一枚み言葉を読み、一枚を選ぶのに皆迷っていました。「この詩が私に、ぴたり→ぴったり だから これにする この花が好き」といったりして
その小さな中にも、神様の清らかさが流れているのを感じました。
また子供達や妹の予期しない出来事もあり、私にも試練がありました。神様を信じゆだねることで、私自身が冷静に話を聞く事が出来、それぞれの問題も明るい希望へと導いて下さっています。
これから先も神様が何年私に仕事を与えて下さるかは分かりませんが、その時が来るまで、神様にゆだねて働きたいと思っています。
お客様の中には、今の気分を変えて、変身したい方や、苦しみを持っている人、心の中の重荷や様々な問題も、少しでも軽くされ、安らげるサロンに、更に変えられたいと思います。
藍住集会「美容サロン・ルカにて」参加されている一人、一人の重荷も、神様につながることで、毎日の生活が楽になり「集会に来て良かった」と言われ、私もその言葉に励まされました。これからも藍住集会が祝福されますように、感謝してお祈りします。
美容サロン・ルカの十周年を記念して主の姉妹に共に祈りを合わせてもらい感謝の時を持ちました。神様の祝福により、火曜日の夕拝に参加出来るようになりました。少しでも、多くのみ言葉に触れたいと思っています。
主よ、これからも導いてください。 (美容師)
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今が最善の時 Y.K
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。 Ⅰテサロニケ五・16~18
今年の四国集会で証しをしました。その中で私は「今が最善の時」の状態にあると言いました。そのことについて、少し補足したいと思います。「今が最善の時」とは「今が一番幸せ」とは意味合いが違います。「今が一番幸せ」は人間、つまり自分の判断です。それと比べて、「今が最善の時」とは神様のなさることであって、「神にあって最善の時」というつもりで、私は証しの中で引用しました。人間的には誰が考えても不幸に見える状態であっても、神様にすれば、一所懸命その人のことを配慮して、なして下さった結果だと思うのです。幸せとは、この世的に見ると、幸福そうに見えても、神様からするとそうではないかもしれません。その逆もあると思います。
例えば、私の置かれている状況を考えてみます。私は二十歳で病気になって、三〇年間も寝ています。大学も中途退学し、結婚するだろうと決めていた女性とも別れ、傷心の思いで徳島に帰りました。家族以外の全てを失いました。生きる価値も精神的糧もなくしました。その上に医療過誤いう大きな出来事にも遭遇しました。誰が見ても、不幸な人生と見えるでしょう。とても「今が最善の時」とも「今が一番幸せ」とも言えません。いくら私であっても自分のことを最善とも幸福とはとても思えません。しかし、信仰を持つに至って、それも最近になって、私の今の状態こそが最善ではないのか、と思えるようになりました。五肢麻痺で首から下は全然動かない、呼吸は人工呼吸器に頼っている、人工呼吸器がなければ、五分間も生きられない、心臓にはペースメーカーが植え込まれている、就職はできない、結婚はできない、子供も持てない、無い無いづくしのそういった状態であってでもです。私達は神様を中心として、神様のために生きているので、神様のご判断が、自分自身の考えより優先します。
でも、私には神様に寄りすがる、讃美もできる、小さな祈りもできる、そんな恵まれた中に生かされています。私の信仰は弱いです。しかし、なぜそんな中にいられるのかを考えてみました。私は多くの幸福と少しの不運の中で過去の日々を過ごして来ました。そして今でもそうです。神様の大きな憐れみと慈しみの中に生かされています。それが「今が最善の時」でなくて何でしょう。感謝でなくて何でしょう。そんなつもりで証しで「今が最善の時」という言葉を使いました。落ち込むことは、私も普通の弱い者ですから、もちろん多くあります。でも、そう言える今に感謝です。もし私の一生が全てが幸せばかりの人生だったり、不幸ばかりの人生だったら、現在の信仰はとても持てなかったと思います。昨日より今日が最善、今日より明日が最善、と言い切れるような信仰生活を送るのが私の一番の願いです。
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祈るときには H.K
「御名が崇められますように。
御国がきますように。
わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
わたしたちの罪を許してください、私たちも自分に負い目のある人をみな許しますから。
わたしたちを誘惑に遭わせないでください。(ルカ十一・2~4)
御国とは、神様が支配する国、ということを学んだ
本当に、神様のご支配を祈り求めて行きたいと思います
神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与え給え。
神よ、変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの落ち着き(セレニティ)を与え給え。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を授け給え。
この祈りはプロテスタントの神学者、ラインホルト、ニーバが北米のマサチューセッツ州
の田舎のある教会で捧げた祈りだと言われるが、18世紀のドイツのルーテル派の神学者、フリードリッヒ、C、エテンガーの祈りからきているともいわれる。(日野原 重明「こころ上手に生きる」より)
このニーバの祈りは私が苦しかったことが度重なってあったときなぐさめられた祈りです。また生きる力も与えられたように思います
人に裏切られ、傷つき悩み、苦しみにあるとき、「主よ、助け給え」と言う短い祈りも力になります。
祈りは神様との通信。誰にも分かってもらえないとき、神様はすべてご存知だと思うと心が少し安らぐ、人は去って行っても神様はこちらから去らないかぎり全ての人を愛していてくださっていると思います。そう、すべての人を。
それと、キリストの真理は、自分に罪があることがわからないとわからない、ということを、ルカ五・7~11の学びのとき、またあらためて思わされました。ペテロやパウロのあのような激しい悔い改めは神様からくるものだと思わされます。
祈るときは、自分の罪を悔い改めて、清めていただいて祈ることを思いました。
そして、まず与えられていることに感謝することもヒルティの学びで教えていただきました。
たくさんの学びをさせていただき感謝です。
神様のためになにか美しいことができたら、と思って祈っていきたいです
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恵みの光につつまれて K.T
「野の花」購読者の皆さま、初めまして。私は、熊本の水前寺在住の視力障害者です。吉村先生を通して、時々皆さまのお便りにふれさせていただいております。
四国地区には、信愛福祉協会というはりの研究所出身の方が幾人かおられますが、私もその出身者の一人です。創設者の平方龍男という方が、無教会主義のクリスチャンであられたために、私も信仰に導かれた次第です。神の力を借りなければ生きていけないような弱い者であってはならないといった、今にして思えば傲慢不遜な考えを持った者だったのですが、朝に夕に平方先生より神さまのお話しを聞かせていただいている内に、次第に神さまを信じさせていただけるようになりました。今では、「私はなんと豊かな恵みにつつまれていることだろうか」と、神さまに感謝いたしております。
学童期には、弱視であったために、馬鹿にされたり、いろいろな意地悪をされたりもしました。両親は、目の悪い子を持ったという事で絶えず諍いをしておりましたし、そのために母親が首をくくろうとした事もありました。はりの治療院を開業した後も、三十代の半ばに、三人の低学年の子供をかかえながら、肋膜炎を患って半年間入院したこともありました。
このようにいろいろな事があったのですが、その時点では確かに辛い気持ちでそれらの状況と闘っていたはずなのですが、今になって振り返ると、視力障害も含めて、それらの全てが神さまによって用意されていたことなのだなと受けとめられるようになったのです。神さまが、私を手元に引き寄せてくださるために、辛いことも、悲しいことも、また、楽しいことも、うれしいことも、全てをしくんでいてくださったのだなと、そう思えるのです。
私は、平方先生の教えを通して、自分の内には罪の性質以外の何の良い物も持ち合わせていない事を示されました。そして、そのような自己の罪の性質を、自分の力ではどうする事もできないのだという事も知りました。そして、信愛福祉協会在所中に、玉川直重先生よりギリシャ語の学びをしていた時に、(ヨハネ一・5)のみことばを学んだのです。
「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」、玉川先生は、ここを「闇は光に勝たなかった。」と訳してくださったのです。自分の罪の性質を自覚して悩んでいた私は、闇に翻弄されている私をさえ、いのちの光であられるイエスさまの愛と恵みの光が取り巻いていてくださるのだ。そして、私を翻弄している闇もろともを、光であられるイエスさまがつつんで守っていてくださるのだ、自分では闇に勝てないがイエスさまはその闇を打ち負かしてくださるのだ、と感じ、大きな安らぎを感じたのです。
今も、自分の弱さやいたらなさを感じながら過ごしておりますが、このような私を丸ごと引き取ってくださる神さまの存在を教えていただいた幸いを、心より感謝いたしております。 (はり師)
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海南集会に参加出来るようになって T.K
「主は一歩一歩を定め 御旨にかなう道を備えてくださる。」(詩編三七・23)
私はこの二三年間もの間、精神科にかかり続け、入退院を繰り返した時期もありました。二年半ほど前退院後、援護寮に入所し、この四月に退所し、長年の無教会の先生や皆様方の助けにより、また、祈りにより恵まれまして、今では父の介護や家の管理などをしながら月二回の海南集会に参加出来るようになりました。
主の背後からの導きにより、長い入院生活も、今また外来通院の時も見守っていて下さる恵みにより、み言葉を海南の地で皆様と学ぶ機会が与えられました。
集会の学び場は、いつも平安が与えられ、主の御霊あふれる場として感じられることを感謝しております。
「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るにたりないとわたしは思います。」(ローマ八・18)(介護・家事)
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画期的な一年 M.K
私は普段の日曜日は朝から晩までコンビニの仕事をしている。本当は主日礼拝を守らなければいけないのに守れないでいる。このことに悩んでいた時、吉村さんから「礼拝のテープなら送れますよ」と教えられて以来、数年一人でテープ礼拝をしてきました。
そして、今年、初めて四国集会、近畿集会といった集会なるものに参加することが出来ました。私がこのような集会に参加しようと思ったのが不思議な位の気持ちでした。というのも私は社会不安障害(昔は対人恐怖症と言われていた)に今でも悩まされていて、テープを通して、徳島聖書キリスト集会の皆さんの声は知っていても、顔も見たことはない、そんな中にどうして行けようか?とはじめは思っていたのです。
神様のお導きなのでしょうか?「どうしても参加しなさい!」という言葉が私の心の内からあふれんばかりに押し寄せてきました。どうしようもなく、四国集会参加の申し込みをしてしまった!というのが実感でした。
四国集会では何事も初めての体験でした。
他の人と一緒にお祈りをするというのも初めてで、とても緊張していたことを今でも鮮明に思い出せるくらいです。集会を通して神様の讃美・礼拝を教えて頂き、証しに強烈な印象を受けたのも事実です。しかし、これは次への伏線に過ぎなかったのです。それは近畿集会への参加でした。
この近畿集会に参加したことは私にとって一番影響が大きかったと言えます。
神様に立ち帰ること。それは一度きりのことではないのです。一日のうちに、自分の罪に気が付いたなら、何度でも神様に立ち帰ること。それによって清めて頂けることを教えて頂きました。
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ五・43~44)
最初はこの箇所の言わんとするところがつかめずにいました。
「私達」はイエス様の十字架の贖いによって既に赦されているのです。この「私達」のなかには敵も含まれているのです。人類として赦されていると言ったほうがわかりやすいのかもしれません。そう、敵も味方も関係なく赦されているのです。だから私達にできることは、「互いに神様に立ち帰ることを祈り合うこと」だけなのです。私たちの心から悪を取り除いてください。そして、相手の心からも悪を取り除いてくださいと祈るのです。後は神様に対して待つという気持ちが大切になる。
このことを教えて頂いた事がとても大きかったです。
またこの二つの集会を通してメールのやりとりをすることの出来ることが可能となり、自分のわからないところを尋ねたり、また相手の人から教えを分かち与えられる喜びを味わえることを神様に感謝します。 (コンビニ店員)
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小羊集会に参加して K.K
五、六年程前、私は三浦綾子さんの本に出会いました。そしてなぜかむさぼるように、彼女の作品を読んでいました。彼女にあふれる優しさ、強さがキリストによって与えられたものであると知ってから、キリスト教に興味を持つようになりました。
職場や家で、何かに追われてるように感じられる日々の暮らしの中、真実と言うのでしょうか、なにか絶対に揺るがないものに私も触れてみたいとあこがれるようになりました。そんな時、妹さんとのご縁で鈴木益美さんからお声をかけていただき、小羊集会に参加させていただくことになりました。そこに流れる時間はあたたかく知的で、私を安心させてくれました。吉村先生をはじめ皆様本当に真面目で優しく、また明るくユーモアもあって、実にたくさんのことを学ばせていただいております。
聖書は言葉の宝庫です、御言葉から本当にたくさんの励ましや慰めをいただいています。まだまだ信仰の本質には近づけませんが、少しでも高い視点が持てるようにこれからも皆様の後をついて、一歩づつ学んでいきたいと思います。 多くの感謝をこめて。 (病院事務)
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祈りの力 I.K
家内が、角膜潰瘍、脳梗塞の疑いと、ぼくにはびっくりするような症状が続けて起こりました。
そんな時に、たくさんの集会の兄弟姉妹の祈りで支えていただき感謝です。そして、それを通して祈りの力を感じることができました。その祈りの力を感じた一例を書いてみたいと思います。
家内が、潰瘍のために目の痛みが最もひどく一人耐えかねていた日に、二人の姉妹がお見舞に来て祈りとアドバイスをしてくださり、それで一人でいる不安を取り除き力をもらったようです。ぼくは、午後に帰ってこれを聞いて、神様が姉妹を送ってくださったことを感謝ました。そして、夜には集会からの帰りにT兄が立ち寄ってくださり、家内のために祈ってくださいました。
その時に家内は、二階ですでに眠っていましたが、祈りが終わったときに、家内の足音がしたので二階へ行くと、昼間の痛みがうそのように楽になっているということでした。このときに、集会の兄弟姉妹の祈りが集中され神様がいやしてくださったように思いました。 (鍼灸師)
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主に守られて T.K
今年も主に守られて歩んでこれたことを感謝します。
七月頃から、三年前に白内障(右目)の手術をした方の目が雲がかかったような、涙がたまっているような、窓からの光がまぶしい症状があり、眼科で診察を受けました。そして、角膜に細胞がいっぱいで、手術の影響を受けているから、点眼をするしかないと診断され、通院を続けました。九月の末になって、夜も眠れないほどの目の痛みがあり、待ちかねて朝一番に診察を受けました。角膜潰瘍と診断され、眼圧を下げる点滴と抗生物質の点滴治療を受け帰って来ました。
翌日から朝と夕方に、1日2回の抗生物質の点滴通院。それでも頭痛と目の痛みがとれず数日経ちました。じっとしていても痛みで涙がぽろぽろ出て、一人で不安を感じどうしようもないときに、姉妹二人が尋ねて来てお祈りをして下さり、心に安らぎを得ることができ力づけられました。
姉妹のアドバイスもあり、主人にはり治療してもらい、一眠りして夜に目が覚めた時には、昼の間の痛みは、うそのように消えました。あとで主人に聞いたのですが、目覚めた時にちょうど集会のTさんが来て下さり、祈ってくださったところだったそうです。それから日ごとに痛みもなくなってきました。
目が回復し一週間仕事に行ったある日、朝の四時頃に目を覚ましたら、めまいがして、両足がふるえだし、だんだんひどくなるので救急車を呼び市民病院に行きました。検査を受けると脳梗塞と診断、それも脳の中心がつまっているということでした。また試練が来て不安でした。
飲み薬で自宅療養で様子を見ていましたが、三日目の夜、また、同じ症状が出、不安ながら朝を迎えました。病院へ行こうかどうか迷っている時に、集会の二人の姉妹がきて、「病院へ連れていったげるよ」と言って車で乗せて行って下さいました。次の日にMRIも撮ることができ、診察の結果は脳梗塞の疑いは除かれました。安心しました。でもめまいはとれず不安でしたが、主人にも毎日はり治療をしてもらい、少しずつ良くなってきました。集会の兄弟姉妹からの背後の祈りや具体的なことをしていただき、励まされ愛の手をさしのべて下さったこと、何よりも感謝しています。
こんな私のような、罪多き者をも主につながらせていただけることを感謝します。
これからも、神様からの聖霊を受け、自分に示された事を少しでも行動にしていかなければと思いました。 (団体職員)
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的(まと)を得た話の堤先生 Y.K
堤道雄先生は、私の人生には、かなりの影響を与えてくれた。四十数年前から政池仁先生の東京集会や埼玉県蕨市の野崎忠雄さん宅で毎月、聖書の話を聞いてきた。月刊の「真理」誌も食い入るように読んだ。真理の会主催の年数回の聖書講習会、聖書学校、講演会は、格別だった。それらは総て、ポイント(要点)を得た話だった。無駄がなく、分かりやすく、竹を割るような、すがすがしい思いをいつも感じた。更にお仕着せすることが全くなかった。四十年ほど前は、ガンなどの「死が近い病」を患者本人には、医師も家族も伝えないのが普通だった。堤先生は、交通事故で後ろから車でぶつけられて死ぬよりも、ガンなら、患者自身が死ぬ日まで準備ができるから幸いであると述べたと思う。平和などの政治問題だけでなく、日常生活に関することも教えてくれた。
私個人のことを少し書く。私は、アメリカでの研修から帰って、横浜の堤先生宅に泊めてもらったことがある。何のために泊まったか、はっきりしないが、横浜集会で「アメリカの善いところ」を話したのかも知れない。別の日に先生の中学校の英語の授業と道徳の授業も見学した。先生は十六ミリ映画を映写して、生徒に感想を述べさせていた。良い映画を選び、視覚に訴えるから理解しやすく、印象に残るだろう。
東京都教職員組合が政府に対して、休暇による反対闘争をしたとき、組合員である私は、ストライキについて悩み、夜遅く堤先生に電話で何回か相談して、納得できる行動を助言していただいた。私の出身大学のキリスト教学生会の後輩に大学で堤先生の講演会を実施してもらったこともあった。
学校の始まる四月に学級担任が、自分のクラスの生徒達に担任としての方針をそれぞれ伝える。堤先生の真似をして、私は黒板に「共に喜び、共に泣け」とチョークで書き、聖書からの引用として伝え、同じクラスで生活する友として、良いことがあったら、皆で拍手し、称(たた)え合い、悲しいことがあったら、皆で、励ましあい、慰めあって生活しようと抱負を述べるのが常であった。
堤先生が大好きだった宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩は、毎年何度も教えた。新聞記事を切り抜いて、そこから学ばせることもした。
学校の教職員が一年に一度は、秋の休日に旅行するのが慣例だった。バスを使ったとき、伊豆か箱根方面のどこかの休憩所(サービスエリア?)で、横浜の中学校と東京の中学校が、偶然一緒になり、堤先生に私は出会った。先生は、お忙しいのに職場の慰安旅行も大切にされていることを知った。
卒業式前後に、中学三年生から、私共教員はサインを依頼される。その言葉も堤先生の影響を受けている。英語では
Honesty is the best policy. 日本語で、
「正直は最良の策」その後「損をしても正しく」「馬鹿正直」と書いたものだ。
先生が独立伝道を始められると、私もすぐ賛意を表して、「真理の会」に入会した。私たちは、集会で話を聞くだけであったり、独りで聖書を読むだけであっては、いけない。証しをする、伝道をすることは、極めて大切である。自らが伝道をしなくても、伝道活動を応援し、経済的に支える必要がある。
「真理の会」の解散後は、「キリスト教独立伝道会」が、それである。無教会ではユニークな存在で、誇りに思う。
先生は、無教会の欠点は、「井の中の蛙(かわず)」で、蛸壺(たこつぼ)に入っていて、外部との交流を避けていると度々述べていた。そして
無教会全国集会を一年に一度実施し、今年で十九回目になり、相互理解、交流、祈り合うことに寄与したことも大きい。
私自身、キリスト教信仰がなかったら、また堤先生に出会わなかったら、大きく道を外れ、悪い人生であったと想像する。(元教員)
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イエスの祈り T.K
ヨハネ福音書は共観福音書(マタイ マルコ ルカ)が書かれた六十~七十年頃から三十年くらい遅れて一〇〇年前後にかかれたものである。共観福音書との大きな違いは、イエスの地上生活三年の後十字架に掛けられて、復活するまでの僅か四日間の記事が、ヨハネ福音書二十一章の中十三章から最後まで福音書全体の約半分を占めていることである。
共観福音書にあるゲッセマネの祈り「アッパ、父よ、あなたは何でもおできになります。
この杯をわたしから取りのけてください、しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコ十四・36)がない。
そのかわりヨハネ福音書十七章はイエスが十字架にかけられる前に二六節にわたり弟子たちの為に神にとりなしの祈りをしている。それを簡単に整理してみた。
先ず弟子たちの為に「父よ 時が来ました、あなたの子があなたの栄光を現すようになるために子に栄光を与えて下さい。永遠の命とは唯一のまことの神であるイエスキリストを知ることです。」(三節)と述べて、自分が十字架に掛けられた後に残された人々を励ますために「彼らの為に祈ります、世の為でなく私に与えてくださった人々の為に祈ります、彼等はあなたのものですから、」(九節)「聖なる父よ 私に与えてくださった御名によって彼等を守ってください、私たちのように彼等も一つとなる為です」(十一節)「わたしがお願いするのは彼等を世から取りさることではなく悪い者から守ってくださることです」(十五節)
「あなたの御言葉は真理です。わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼等を世に遣わしました。彼等の為に自分自身を捧げます。」(十九節)これはイエスが来た目的である。
「父よ あなたがわたしの内におられ。わたしがあなたの内にいるようにすべての人を一つにしてください。彼等もわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば世はあなたがわたしをおつかわしになった事を信じるようになります。」(二一節)救いとは罪の孤立の中から愛の連帯の中に人を奪還することである。
最後の言葉 正しい父よ(二五節)以下についてはイエスの祈りを総括する部分である。この世は義なる神を知らずに神に反抗した。この世からの救いの内容は ①イエスと共に神の御許にあること ②イエスの栄光を見ること(二四節) ③神の御名を教えられること
④神の愛とイエスが弟子たちと共にあること
以上を読んでわたしたちの罪のあがないの為に、神はイエスを人の子として遣わされて十字架にかけて神との間に平和をえた(ロマ五・1)を思い出す。
イエスの誕生を祝うクリスマスの喜びをあらたにする。(無職)
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最近心に残った聖句 K.K
天に富を積みなさい
「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」(マタイ六・19~21)
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君ませばなど恐れん M.K
あれは今年の八月二十一日(日)中川姉の司会で主の日の礼拝が始まった。多発性肝臓癌の手術の為、病院からの連絡待ちの夫を家に賛美歌を歌った。新聖歌三百十三番「鳥のごと山に」。心うたれ涙の目に次々入ってくる歌詞。なんと今日の私に適切な賛美を選んでくださった、こちらの事情は知らない司会者の背後にイエス様が在す嬉しさ感涙でした。その歌詞を書かせてください。
新聖歌 三百十三番「鳥のごと山に」
一鳥のごと山に逃げよわが魂真清水は傷をたちまち癒さん
仇びと間近に攻め来る時も救い主そばに
ませばなど恐れん ませばなど恐れん
二恵み深き主に頼れわが魂平和は川のごと心に溢れん
優しく静かに主は招き給う闇閉ざさぬ間に
疾く応えまつれ 疾く応えまつれ
三君は永遠に見捨て給わじ流るる涙もぬぐわせ給わん
御恵み豊けき愛の主に告げよ人知らぬ罪の
苦しき思いでも 苦しき思い出も
七十八針の傷癒えて、ほんの少し食欲も出てきた現在
主の御恵み、新聖歌百七十二番のとおりです 感謝です。 (主婦)
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迷える子羊 K.A
私は二十年ほどキリスト教にふれてはいても、心はむなしく、信仰も消えいるようでした。しかし神の導きで「原点に帰れ」といわれ、無教会の信仰を思い出し浦和キリスト集会との出合いを頂きました。
初めてその集会に参加したその次の週はちょうど東京で全国集会があって、その会場で、徳島聖書キリスト集会の吉村さんと二十年ぶりの出合いも与えられ、信仰はいつもキリストと共に歩むことだとあらためて気付きました。
私は鈍い心と見えない目と、聞こえない耳でいましたが、悔い改めて生きよと言う主にのみ、歩みたいと思います。(浦和キリスト集会)
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二〇〇五年、わたしのひとりごと E.I
敗戦から六〇年に当たる二〇〇五年は各地で戦争に関する様々な催しが行われ、平和への誓いを新にした。しかし、人類史上初の被爆国でありながら、あの悲惨な戦争の記憶が風化しつつあることも否定できない。もちろん戦争体験者の高齢化という事情もあるが、それだけを理由にしてはならない。我が国は満州事変から始まって廬溝橋、南京、さらにノモンハン等々で悪事を重ねていくが、国民にはすべて美化して伝えたばかりか戦後もその体質は改まらず。歴史教科書は戦時下の近隣国への卑劣極まりない蛮行をすべて隠蔽したものとなった。
二〇〇四年に刊行された半籐一利著「昭和史」(平凡社)では。中国への侵攻から始まった昭和の歴史を克明に知る事ができる。そのなかで著者は「もう少し本気になって反省していれば…負けるに決まっている…アホな戦争に突入することはなかったんじゃないでしょうか…日本人は歴史に何も学ばなかった。いや今も」と言っておられるが、反省するどころか国家挙げて侵略戦争に突き進み、各地での悪行は数え切れない。戦後六〇年を経ても今なお近隣の国々から戦争責任を問われるのは、日本に悔い改めの姿勢が見えないからだ、
こんな時にいつも思うのは、一九八五年五月八日、ドイツの敗戦四十周年に当たって連邦議会で行ったヴァイツゼッカー大統領の演説「荒れ野の四十年」(岩波ブックレット五五号)である。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」世界に大きな感動を呼んだこの演説こそ自国が犯した数々の罪の告白であり又反省であり、大統領の深い信仰に裏付けされた英知だと思います。題名の「四十年」について大統領は、「信仰の如何にかかわりなく、あらゆる人間に深い洞察を与えてくれるのが旧約聖書であり、ここでは四十年という年月が繰り返し本質的な役割を演じております。イスラエルの民は、約束の地に入って新しい歴史の段階を迎えるまでの四十年間、荒野に留まっていなくてはなりませんでした。当時責任ある父たちの世代が交替するまでに四十年が必要だったのです。」と述べておられます。 さらに「士師記」からも引用されて、かつて身に受けた救いは四十年しか心に刻んでおけず、それがなくなった時大半は終わるのだとも言われました。大戦から四十年の一九八五年を神様の数字に重ねてドイツの責罪を示された大統領の計り知れない信仰に打たれました。と同時に痛いほど自分の信仰の甘さを知り、改めて神様の御言葉の限りなく深い意味を思いました。
私がこの本に出会ったのは、十七、八年も前で、大統領の率直な告白には大きな感銘を受けましたが、聖書を知らなかったのでどれ程も読めていなかったのです。今読み返してみると、大統領の中に流れる霊的な深い思索を感じずにはいられません。
ところで、視線を戻してみると臭いものに蓋をして糊塗で固めた我が国。神不在の自己陶酔的な政治家たち。悲しいことだけど宗教不毛の我が国の精神は、ドイツとはあまりにもかけ離れた次元だったのだ。反省もないまま戦後六十年。神の恩寵も心に刻んでおくことができなくなる四十年もとっくに過ぎた現在、世界各地からの抗議や顰蹙(ひんしゅく)を尻目に靖国神社参拝や、我が国の唯一の誇りとも言える平和憲法を改正することは、過去に目を閉ざす国としては当然の帰結かもしれない。
我が国のこうした姿勢を見る時、先述したヴァイツゼッカーの言葉を実感し戦慄を覚えずにはいられない。しかし決して諦めてはならない。常に神様を仰いで、平和への感動を草の根的に広げていきませんか。 (いけばな)
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徳島集会との出会い H.I
今年は初めて四国集会に参加ができて徳島聖書キリスト集会の方々と交わりが与えられたことを感謝いたします。
私が徳島聖書キリスト集会を知るようになったのは五年ほど前より吉村先生が秋に九州方面に伝道に来られるようになってからでした。大分にも立ち寄られて視覚障害者の集会でお話をされるようになり、私も視覚障害者の友人に誘われその集会に参加しました。
最初に出会ったときに、その友人宅で賛美歌のデータのファイルをコピーしていただいたことがとても印象に残っています。
以来、「はこ舟」の読者となり、「野の花」「ともしび」「貝出さんの詩集」などを送っていただくようになりました。「はこ舟」(いのちの水)を購読するようになって野の草花や木々、夜空の星々に関心を抱くようになりました。今まで見過ごしていた足元にも様々な草花が飾らずに咲いていることに気づき、それもまた神様のみわざの表れであるのかと思わされています。
今までの頭の中だけで神を理解していたことからはなれ、広い視野から神様を見つめることができるようになったような気がしました。神様はあらゆることを通してご自身を表そうとしているのだと思いました。草花の名前もずいぶん憶えました。
今年は四国集会に参加できたことによって文集の中の方々がとても身近に感じられるようになり感謝でした。
今後とも交わりが続けられるようにと願っています。 (会社員)
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主の恵み M.I
主の恵み 見とれて吐息 草紅葉
仕事の関係でよく山に行きますが、山の緑、秋の紅葉、水のせせらぎ、鳥のさえずり、野の花、空に浮かぶ雲、遠くに見える川、海と多くの自然美にふれ本当に心が和み落ち着きます。何一つ無駄な物はありません。それらにふれ神秘さすばらしさを見たときいつも神様が創造された業のすばらしさを思い知らされます。
「空の鳥をよく見なさい。種もまかず刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養ってくださる。…今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる」
(マタイ五・26~30)
野の花の うちに輝く 主のみ声
ひとひらの 落ち葉も神を 賛美せし
主を賛美 小鳥の歌に 天仰ぎ
まして私たち人間は「神はご自身にかたどって人を創造された」(創一・27)とあります。神様はすべての人をなくてはならない存在として愛してくださっています。性別、人種、能力は関係なく平等に愛され生を受けいのちを授かっています。すべての人が世の光です。
神の元 優劣はなし みないのち
この世をも あの世もすべて 主のみ業
私たちは常に神様に感謝し仰ぎ見て歩んでいきたいと思います。 (福祉作業所いのちのさと)
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短歌 M.I
今日という白い一日主より受け みこころのまま揺れし桜草
精いっぱい命を生きて落椿 悩みの時も悲しみの日も
若葉萌え緑の安らぎ目に沁みて もみじを愛でて落葉と散りぬ
闇の中歩く先にもみ国あり 天を仰ぎて朝顔の咲く
水仙の香り豊かに主の集い 罪赦されて賛美さやかに
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清家リツエさんの思い出 E.I
神様は不思議な仕方でわたしたちを慈しんでくださいます。清家さんとの出会いもそのことを思い出させてくれる不思議なことのひとつです。
神様を通しての出会い、それは天上につながっている出会いでもあると思います。そして、出会いがそうなら、別れもまたそうではないかと思います。
徳島の天使の別れ萩の露(清家)
これは昨年、九月二四日、「『祈の友』四国グループ集会」の翌朝、愛媛に帰る方々を徳島駅に見送りに行ったとき、もう乗り込まれて発車を待っているバスの中で、一筆箋にボールペンで書いてくれました。これを見るたびに、あのとき、あの朝の爽やかな風を思い起こし、萩の葉の上においた、清らかな露を思います。見るたび天上の風が吹き、清められるように感じます。
もうひとつ忘れられない思い出となったことがあります。
別れるとき、握手をしたら、そのまま清家さんがじっとわたしの目を、覗き込むように見つめられ、そのままぎゅっと、しばし抱きしめてくださったのです。それは、友のように、母のように、あるいは人間が持つすべての悲しみ苦しみ、また一人一人が持ちこたえているあらゆるものへの無言の共感でもあるかのように。
清家さんが召されたことを知ったのは、ちょうど夜の集会がある日でした。その場所に向かう途中、西の空に大きな花火が上がった、と、少し季節外れの花火だと、思ったのですが、集会のあとで、何人かの方が同じものを見ておられ、あれは「流れ星」だった、ということでした。
清家さんが召されたことを知ったのも同時でした。その時、その夜、わたしの耳に突然だったこの知らせへの驚きに重なるように、あんな大きな「流星」を、あんな近くで見たのは初めてでしたので、あれはきっと清家さんだったに違いないと思いました。
まだ二、三度しかお会いしなかったような者にも、こんなにも心に刻まれる思い出を残してくださったこと、神に、そして清家さんに深い感謝を捧げます。
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いのちの木 E.I
パッションという映画を見た方も多いと思いますが、題名の「パッション」というのは「受難」という意味なのですね。イエス様の「受難」によって、わたしたちと神様のあいだに和解が成立し、わたしたちは救われた。
私たちを救うために、イエス様の体は鞭打たれ突き刺され、ボロボロになりました。ほんとうは自分が鞭打たれるべきなのに…と、映画を見ていて胸が痛んだのは私だけではなかったのでは、と思います。
ところで最近もう一つ、これはテレビででしたが、別の意味で心打たれるイエス様の姿を見ました。大変こころに残ったので、思い出すままに書いてみます。
アフリカのモザンビークには、「いのちの木」があるそうです。「いのちの木」と言うからには、みずみずしい葉の茂った緑豊かな木でしょうか。先ず私はそれを想像しました。が、なぜか最初、画面に黒い影絵として映し出されました。太い枝が人間の腕のように二本、左右に張りその先に葉が茂っています。世界には変わった形をした木もあるものだな、と、立ったまま画面を見つめました。
なぜこの木が「いのちの木」というのか、これはクイズ番組でしたが、だんだん解明されていくにつれて、あることに気がつきました。それはどこか人の形をしていました。その時、それが誰だったか、思い出しました。それはわたしたちの「飼い主」であるにちがいありませんでした。
そのうち、やっとこの「木」に光が当てられ、「いのちの木」が画面に現れました。そこには、鉄錆(さび)色のオブジェが異様な感じで立っていました。想像からはほど遠い、殺伐とした全容。それはおびただしい銃と弾倉の組み合わせでできていました。わたしはギョッとしました。
なぜって、影絵で見た時、その木はイエス様で、イエス様が緑したたるような美しい「いのちの木」に変身なさるところだとばかり勝手に想像していたからです。でも、そんななまやさしいものではありませんでした。
モザンビーク、やっとポルトガルから独立できたと思ったら、今度は内戦に続く内戦。貧困。若者たちは疲れ果て、誰からともなく銃を手放し始めた。そしてそれをここに集め、できたといいます。この木は多くの人に戦争の愚かさを訴え、実際にいのちをなくす人が激減したそうです。
イエス様はこんなかたちでも、今を生きて働いておられる。でも、あらためて思うのは、これこそ人間の罪を一身に受けて、いとも無惨な姿を晒されるキリスト・イエスです。銃でできたイエス。そこに二重うつしになる恐ろしい人間の罪を思うと同時に、はっきりと、イエスさまの存在の意味を知らされます。別の角度から、身に迫るものがありました。
それにしてもイエスさまの体はもうぼろぼろです。でも、そのことによって、わたしたちはかろうじて平和・平安を得ています。
モザンビークはキリスト教の国らしいから、若者たちは初めからキリスト像を意図して作ったことは間違いありません。しかし、わが国の番組では、おそらくひとことも「いのちの木」の主がイエス・キリストである、という説明はなかったのではないかと思うのです。多くの人がテレビを見ています。でも、いちばん肝心なことを知ることができない。これは一種の暗黒だと思いました。
キリストのほかに誰一人としてこんな役目は担えないのに。わたしたちのいのちを支え、真の平和をもたらす方は、この方以外にないのになぜ?
「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、…敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである」(エフェソ二・14~16)。そしてまた「造られたものの中で、彼は生命であった」(ヨハネ一・4)…この命について知ることがなければすべてが抜け殻のようなものではないか、とこのごろ思っています。 (主婦)
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夕拝の学びの中から A.I
「金持ちと貧乏人が出会う。主はそのどちらも造られた」(箴言二二・2)
世間では貧乏より金持ちになりたいと言う、貧乏より金持ちの方がいいでしょう。一攫千金を夢みて、競艇、競輪、競馬などのギャンブルや宝くじなどを買い、金持ちになろうとします。神は金持ちと貧乏人を出会うようにされました。その両方を造られたと書かれています。これは両方とも、神の御計画なのでしょうか。金持ちと貧乏人の事を聖書は何と言っているのでしょう、三つの話からみてみます。
一、タラントの例えでは「マタイ二十五・15」五タラント預けた者からは五タラントしか要求されず、一タラント預けた者からは一タラントしか要求されません。神は平等に要求されるのです。タラントとは神から預かっている能力や才能のことです。預かった能力を全力で神の為に使用しなければならないこと事が記されています。
二、金持ちとラザロの物語では「ルカ十六・20」貧乏人はなにも要求されませんが、金持ちには大きな金を委されている責任がありました。金持ちのあやまちは、自分に出来る事をしなかったことです。神はその責任をきちっと請求されています。また貧乏なラザロは死後、神に保護されています。
三、ザアカイの物語では「ルカ十九・2」金持ちが救われています。イエスは「この家に救いがきた」と言われました。ザアカイはイエスに対して「信仰告白」はしていません。しかし金の亡者だった者がイエスに出会い、その愛と優しさに触れ、残された人生をイエスと共に歩み続けて生きていこうというザアカイの決心はその行動に表れています。
イエスを信じれば救われるといいますが、その最初はイエスを知る事、出会う事から始まります。イエスから遠く遠く離れている人でも、イエスの方から近づいてくださるのです。エリコの町でザアカイがイエスから一番遠い存在でした。イエスと出会った後はイエスの思いや考え、行動に沿うように生きていこうと願い、具体的に行動に表しました。
ザアカイの心は人間不信や何らかの他人への憎しみがあったと思われます。それでお金と自分しか信じられない心になっていました。そこへイエスが訪れてくださった。全てを包み込み赦しと愛に満ちた大きな暖かいの心に触れ、一番大切だったお金が色あせて見えるようになりました。ザアカイは人間にとって一番大切なものを発見したのです。人は大切にしているものを心から離さず想い続けます。ザアカイは不正をしてでもお金を儲ける事を常に想い続けていました。イエスとの出会いで霊的成長が始まったのです。ザアカイは考え始めました。神の愛と赦しの事や、永遠の生命の事、さらに周りに居る貧しい人のことや、不正な取り立てで儲けていた自分や、その為に自分を憎んでいる人達のことも考えられるようになりました。
イエスとの出会いは神に愛されている自分の発見となり、神に赦されている自分の発見となりました。また他人を見る時にも慈しみの心で見ることができる姿に変えて下さったのです。
「愛すること」と「憎むこと」、これは全く逆のように思えますがよく似ています。それは両方とも相手を思い続けるということです。愛するとは相手と心と想いで強く結ばれたいとおもうことです。憎むことは、寝ても覚めても相手に酷い仕打ちをされた事が忘れられなくて心や想いで憎み続けることです。それは赦すまでは憎む相手と鎖でつながれている状態です。相手を赦す事によって鎖が切られ相手から離れられるのです。赦す事によって相手も赦され、自分も神に赦され自由になれるのです。
本当の幸せは、金持ちと貧乏人どちらも、イエスが身をもって示して下さった愛と赦しの生き方で生きていくことです。両者にそのことが理解できる時、慈しみを伴う協力した生き方が出来るのではないでしょうか。 (電気技術者)
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内におられる神 K.I
神は私たちの内に宿っておられます。
私たちの中におられるのです。
もし、私たちが内におられる神を見失い、
最後には私たちを理解と気付きへと導く
直感的な(霊)神を欠くならば
私たちは生きるに値しないものになるでしょう。
イエフデ・メニューヒン(スイス)講演より
私たちがどうしたら「肉の支配」に縛られずに神に喜ばれる者になれるのか。
(キリストの霊がわたしたちに働くことによって罪に死ぬ生き方から解放される)
霊というと、日本では幽霊のようなものと間違える方がいますが、もともとは風、息吹という意味がある言葉です。
神様の息を吹き込まれて命ある者となった人間(創世記二・17)は神の息吹(霊)に生かされているとき、本当の生き方ができるのです。
日本語では霊よりは「息(活き)」と深い関係にある「氣」という言葉のほうがわかりやすいかもしれません。「キリストの氣」が私たちの内に働き始めるためには、いったん肉の欲望を離れて、「神様、どういたしましょうか」と、人間を創った方を見あげる姿勢が必要なのです。私たちは「直感的に働く霊」を見失わないこと。わたしたちに働きかける神は、たとえ争いがあっても「最後には理解と気付き」に導いて下さる方なのです。
その神を信じないで背を向けていては、私たちは生きるに値しない者になるでしょう。私たちが内におられる神を見失うことなく、内から生かしてくださるキリストの霊を信じるとき、命の息吹に満たされて、いきいきと生かされ、最後には理解と気付きへと導かれるのです。
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安らかな道 Y.I
存在することそのものが祝福であり
生きることそのものが聖である。
アブラム・J・ヘシェル
あの頃―。
何もできなくなってしまった、生きていても仕方ない、と落ち込みまくりの私に鈴木さんは言ってくれました。「体が悪くなったのがよかったんよ。これがチャンスよ!吉村さんのお話が聴けるのにも期間に限りというものがある。早く聴いておかないと損よ。」そん?!
損得に敏感な私です。即、反応しました。田宮の集会では毎回のように「弱い者の所に、没価値的な者の所に神様は来てくださる。悪事をする者はたいてい元気な者だ。この世の栄光は、はかないものだ。」と諭してくれています。だから神様につながっていなければならないのですが。
そのうち、だんだん落ち込みがゆるみ、しだいに楽になりおもしろくなり元気が戻ってきました。そして 冒頭にあげた言葉を、そうなんだと受け止め 老化の怠惰を憂えることなく、ねばならぬ病に陥らず安堵して静かに過ごせることを嬉しくもありがたく思えるこのごろです。
余す道のりを“骨”(心身の中心奥深い所にあってささえるものと教わった)を腐らせることなく潤し、隣人の骨にも思いを至し、尊重し、いたわれるよう骨を養い学べる場所を与えられている幸せに感謝です。 (主婦)
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主のみ赦し U.I
「みゆるしあらずば ほろぶべきこの身
わが主よあわれみ すくいたまえ。」
(讃美歌五一一番、一番)
私は老いとともによく忘れるようになりました。人の名前、文字、言葉、等全て忘れてしまいます。然し昔のことは昨日のことのようにハッキリと思い出すことがあります。思い出すのが嫌なことも思い出します。
当時は自分が正しいと信じ、相手を憎み恨みさえしたこと、それは、まぎれもなく私の罪であることを知りました。長い罪深い年月が経ちました。そして今、静かな人生の夕暮れをむかえております。これは一重に主のみ赦し、み恵みと心から感謝しております。
今は感謝の日々ですが、この心が揺れ動くことがありませんように。終わりの時までイエス様がお支えくださいますようにお祈りします。
「罪のみつもりて いさおはなけれど
なお 主の血により 救いたまえ。
イエスきみよ このままに
我をこのままに 救いたまえ。」
(讃美歌五一一番、二番)
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信仰とは信ずること S.U
「信仰は、わたしたちが自分の知恵や知識、分別や欲得……による悟りや救いを得ることによってではなくして、神の自由な
選びのみ心によって、わたしたち罪人を呼び止め、召し出して救い主イエス・キリストとの出会いに導いてくださったことに始まり、その神の自由な恵みを心からアーメン(真実)として受け入れて救いを経験したことによります。
このことは振り返って心に何度問い返し、どんなに思いめぐらしても、まことに不思議で、自分の思い及ばぬ神の圧倒的な恩寵のわざであると考えないではいられません。受けるに値しない全くのあわれみの賜物であります。この賜物に相対しては、わたしたちは無にひとしく、そこでのわたしたちのわざは「ただ信ずる」より外に評価にたえる何物も存在しません。」(井上徹郎著炙魚通信一〇三号から)
わたしはこの度「炙魚通信」のこの一節にふれて、自分自身の中途半端な信仰と、信ずることの素晴らしさを教えられました。いま改めて「そこで彼らが「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは教えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」(ヨハネ六・28~29)とのみ言葉をいただいています。生きるも死ぬるも、眠るも起きるも、病むも病まないも神の思し召し、「ただ信じる」のみです。
「神は地位ある者を無力な者にするため、世に無きに等しい者、身分の卑しい者や見下されている者を選ばれたのです。」(Ⅰコリント一・28)
わたしのようなどうしようもない者を、神はあえて選ばれたのです。まさに感謝であり、歓喜の極みであります。「炙魚通信」の筆者も言っている通りどんなにかんがえても、どのように思いめぐらしても不思議であり、ただただ神のあわれみの賜物であります。このあわれみに対して無為に過ごすことなく、わたしたちは全身全霊を捧げて主の戒めを守り「ただ主を信じ」て残りの生涯を全うすることを願い祈る毎日であります。
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絶えず祈りなさい Z.U
クリスチャンなんだから、空気のようにいつも祈っているのが本当だ。「絶えず祈れ」とイエス様もおっしゃっている。わかっているが、信仰歴だけがずいぶん長い私は、情けないことにサンデークリスチャンと呼べるほど、長い間、日常的に祈ることをしていなかった。 おかげで、問題が起こってもいつも自分で解決しようとして、より事態を深刻化させてきた。そして時間がそれなりに解決してくれるのに任せるのが常であった。
今年初めから人生を左右するような問題は起こりつつあったのだが、最近、そのことで自分の安易な判断の結果、落ちるところまで落ちてしまった。もう自分の力ではどうすることもできないし、人にも頼れないという事態に至って、ついに「主よ、私を助けてください。」と、もがきつつあえぎつつ、心から叫ばざるを得なくなった。
死にたくなるような思いであったし、信仰がなければ、死を選んでもおかしくなかったかもしれない。しかし、そうすると、主が私を支えてくださって、心の平安が与えられた。情けないが、久々の体験であった。問題は根本的に解決していないので、今でも毎日そんな状態が続いているが、とにかく主がともにいてくださることを信じることができて、アクセサリー的な信仰を少し脱することができたように思う。
そして勝利の主がともにいてくださるので、自分の不信仰故に招いてしまった事態ではあるが、必ず復活の力が与えられて、この問題に勝利するときが来ることを信じることができそうである。信仰の友も祈りで支えてくれているので力強い。
これからはここまで行かないうちに、日々、主にみことばや祈り、賛美の武具を身につけていただいて、喜びつつ歩んでいきたい。そして今は主を悲しめてばかりいる私だし、祈ってもらうばかりだが、人々のために祈り、主の愛を流し出せる器に変えられる日が来ることを心から願っている。(大阪狭山聖書集会
所属)
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あなたはわたしに従いなさい E.U
ルカによる福音書にあります「 ファリサイ派の人と徴税人」のたとえによって、それまでお経のように自分から遠い書物であった聖書が、生きたみ言葉となって受け入れることが出来るようになりました。これはひとえに聖霊のお導きと、そして初めの神さまの愛を受けさせて頂いた時と、感謝しております。
しかし年を重ねるうちに、この箇所に何回か接し読ませて頂く中に、最近T.K先生の御本などで、より深く教えられ、自分の思い込みに、反省させられたことでした。
私は、この優等生であるパリサイ人とは違う、私は、劣等性の何の取り得のない、そして罪にまみれた、まさしくこの徴税人なのだ、と神様の前にすべてを投げ出させていただいた時、暗い、希望のない私の生き方は、変わりました。いえ、変えさせていただいたのです。
しかし、私自身の心の中は、T.K先生の言われるように、何故主イエスは、このパリサイ人の祈りに信仰はなく、その故に、これは祈りになっていないと言われるのでしょうか。それは、自分は正しいのだと自信を持っている。神との関わりに正しく生きているという自信がある。この自信を持っていると言うことが他人を軽んじるということになるのではないか。何時も他の人と比べて、あの人のようでもなく、あんな愚かな信仰でもなく・・・・・など。全く同感でして、また私など逆に卑屈になって、あの人は、立派な人だから信仰も立派、聖書講話もお祈りも素晴らしい!このように一体私どものうちの誰が本当に、神様に認めて頂ける信仰を持たせて頂けるのでしょうか。私はパリサイ人ではないなどと言っていながら、自分自身のなかにも、人との比較ばかりして、まさしくパリサイ人ではないかと思わせられます。
その様な時、「ヨハネによる福音書二十一・21~22」の主イエスのみ言葉を思い起こすのです。ペトロは彼(イエスの愛しておられた弟子)を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるのか。あなたは、わたしに従いなさい」そしてパウロの言葉も鋭く聞こえて来るのです。「今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも神に喜ばれようとしているのか。…もし、今もなお人の歓心をかおうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。」(ガラテヤ一・10)(口語訳)
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祈りについて N.U
妹に誘われて集会に参加させていただき一年になりました。
信仰と祈り、この字を見ているとなぜか母が祈っている姿が出てきます。
私の力でどうしようもない問題にぶつかり困って悩んでいた時、神様にすがって助けてもらいたいという気持ちが起こり、「神様、私に打ち勝つ力と神様からの平安をお与えください」と心が沈みそうになるとその都度お祈りをしていると、心に落ち着きが出て心配しなくてもよいという気持ちがおきて、問題も良い方向に向かっています。
母が「祈りは必ず聞かれる」と言っていたことの意味が少しづつ分かるようになりました。 (主婦)
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僕の好きな賛美
「御国への道 歩むとき」は僕の好きな歌です。それは新聖歌三二九番です。
1 御国への道 歩むとき
主は共にいまし
御言葉により、導き給う
日々主 共にいます
(折り返し)
主は共に、主は共に
主は共にいまし
御国への道 歩むとき
主は導き給う
2 御国への道 歩むとき
主は道を照らし
光の内に、導き給う
暗きも恐れなし
3 御国への道 歩むとき
主は平安与え
祈るわれらを、導き給う
主はわが全てなり
(福祉作業所いのちのさと)
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主の山に備えあり S.A
この夏のことです。
昨秋の台風の被害のことは前にも書きましたが、蔵に大穴があいたり、鉄の大きな門が倒されたりの大被害がありましたが、何とか外観はきれいに直すことができました。ところが母屋の屋根のかわらが飛んでしまい、戸袋が壊れていることの修理まで手が届きませんでした。この母屋は建てられてから百年以上経っている大きな家です。
一応私の所有物なのですが、親戚の者がずっと居住しています。私は同じ敷地内にひとり暮らしできる住居を建てて住んでいます。
親戚の者から、私の責任で、屋根と雨戸等を修理するように言われました。
昨秋の大修理でお金を使ってしまい、私にはこの修理の費用を果たして支払えるか全く自信がなく、貯金を使い果たした後の生活のことなど考えると心配で、家賃を貰っていない家の修理を私がしなくてはならないのだろうかと法務局の相談室に相談に行きました。相談に乗ってくださった担当の方は「そこに居住している人が修理したいのなら修理代を負担するべきで、あなたは負担する必要がない。なぜなら、全く家賃を取っていないのだから、あなたはそのことをはっきり親戚の人に話しなさい。」と教えてくださいました。「法務局で聞いてきた」と伝えなさいとも言って下さったのですが、帰宅してすぐその交渉に赴く勇気もなく、私は神様に何とか良い知恵を授けていただけるように祈るばかりでした。
数日祈り考えた結果、私の所持金で何とかなるのなら、親戚の要求に応えて直してあげようと思いました。昨秋お世話になった業者に被害状況を見ていただき、見積もりを出していただくようにお願いしたのですが「見積もりの立てようがない傷みで、修理するよりこわして、今風の住みよい家に建て替えた方が良い、修理するのはお金を捨てるようなものです。」と言われましたが、親戚の者はどうしてもこのまま住み続けるのだと言います。「あなたの所有物だから修理代は当然持ち主が支払うべきだ」とはっきり言われました。業者の方も私の立場や事情を察してくださって「なるべくお金がかからない方法でやっていくから」と慰めてくださり、修理にかかりました。
修理が終了して。請求書を貰い、何とか支払いを済ませることができたのですが手元の通帳はほとんど空っぽで、九月三十日に支払い期限が迫っている固定資産税のことなど考えて「どうしたらいいのだろうか」と頭の中は真っ白。毎日祈っておりましたが、夫の印税の入る時期でもなく、そんなささやかなお金ではどうにもなりません。
そんなある日の午後、体格のよい老紳士が我が家を訪れました。その方は、私の家から少し離れた所にあるN病院の関係者でした。毎年草が生えて悩まされていた私の所有地を駐車場として借りたいという申し出でした。今度老健施設を建てるにあたって、駐車場が必要で十二月まで使わせてほしいとのことでした。夢にも思わぬことでした。
神様はこのように全く思わぬ方法で、助けの手を差し伸べてくださいました。
先日の小羊集会でマタイ十章を学びました。その時、「主の山に備えあり」(創世記二三・14)を教えていただきました。私の心がふるえるほど感動しました。
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食い逃げにならぬように T.O
アーメン、ソーメン、なんて言っていた自分がこのような集まりに参加するとは思いもよらなかった。不思議な風がピユゥと吹いてひょろけ込んだのがとある針治療院。なりゆきでそこの集会に参加するようになったのだが少々後ろめたいことがある。そこで出される夕食をいただいたり、深い信仰心、学習意欲もないのに参加してもよいものなのかと。
しかし、集会での話しが十分に理解できなくとも、分かるところだけでも受けとっていこうと決心し、聖書を買った。それから一年以上経ち、もし、自分の状態が順調でふつうに仕事をできていたら、会う事もなかったであろう人々と出会えた。
聖書講話をしている人は、お抱え運転手がいてもおかしくないほどのお方なのに自らが信者さんのお抱え運転手をやっている。彼はいったいどこから来て、どこに行くんだろう?この出会いは 偶然なのか必然だったのか。
二世信者はともかく 皆さんいろいろあってのクリスチャンだと思うのだが、のり越えてきたから明るくやさしいのだろうか。つらくても神様に繋がっていればだいじょうぶなのか。早くみなさんのように主とともに歩ける日を望んでいる。 (農業)
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奇跡について思うこと M.O
聖書の中には特に新約聖書の中にはイエス様の行った奇跡の記事が多く記録され、伝えられています。例えば、マタイ伝にはイエス様が中風の人を癒されたり、悪霊を取り除いて癒されたり、カナでの婚礼では水をぶどう酒に変えられたりです。普通の私達には起こりえない事ばかりでなかなか素直に信じる事が出来ませんが、私はこれらの事は事実であったと思うと同時に心から信じる事が出来ます。というのはイエス様は神様の御子であり、神様そのもの(人)であるからです。神様には何一つ出来ない事はないからです。この事も聖書の中にはっきりと記されている通りだからです。私達の生活しているこの世の中でも現に奇跡を目の当たりにすることがしばしば有ります。そして私達はこれは全く奇跡だと不思議に感じる事を経験した方が多く居られると思います。
私はこの秋の全国集会に参加する折の機会を利用して、かつて横浜家庭集会で一緒にお祈りし聖書を学んだ同信の方々にお会いして大変楽しいひと時(神様を賛美してお祈りする時間)を持つことが出来ました。この時に牧野春枝さんが話して下さった夫の哲也さんの大きい交通事故での出来事は(入院から回復職場復帰に至る多くの出来事)、これは正に奇跡そのものだと思いました。そこに私は神様の癒しのみ手をハッキリと見ることが出来ました。そして神様を心から賛美致しました。この様に神様は活きて働いておられるのです。神様は死んでおられるのではありません。私達をまどろむ事もなく二四時間絶えず監視し見守っていてくださっておられるのであります。感謝であります。
ではなぜ奇跡が起こったかと言えば、私は本人の日頃からの祈りと奥さんである春枝さんの熱烈な心の籠ったお祈りと又家庭集会の佐藤靖子姉とその夫である郁夫兄の心からなるお祈りがイエス様を通じて神様に聞き容れて→聞き入れてもらえたからだと強く確信いたしました。そして私も自然と神様をまたイエス様の愛を心から賛美致しました。小さくとも神様に愛され護られている集会が横浜にあることが嬉しくてなりません。この様にして今年の全国集会は出だしの初めから神様に祝福された集会になり本当に感謝でありました。皆様の上に善いクリスマスが来ますように又神様からの恵が豊かにありますように心からお祈り致します。 (福岡聖書研究会)
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信仰雑話 Y.O(札幌聖書集会)
今年の四月から月一度日曜日の集会で聖書のお話をするようになって、十一月で八回となった。読んでいる聖書は「レビ記」罪の清めが主題です。家内の協力がなければ、視覚障害ある身の私には続けられない。ボツボツと時間をかけ、準備するのであるがお話する順序やどうコメントするのかなど…メモ書きのプリントを作るが二人三脚の作業なので、間際にプリントするために時間がかかる。
そんな時に限って何らかのトラブルや電話など頻繁になる。サタンの妨害?… レジメをプリントしようとするとインクが固まっていて、あきらめて手書きの作業になったり、マウスが破損して使えなくなって、文章がどこかに隠れてしまい見つけだすことができなくなったり…など等。やはり、サタンは今も私たち信仰者の身辺にウロウロしていて、何とか邪魔をして、ウンザリさせて終いには投げ出させようとしているのではないだろうか。
毎月サタンの挑戦を受けながらも、ようやく第八章を終えたが「サタンよ去れ!」と確信を持って宣言し、これからも祈りつつ進めていきたい。 (札幌聖書集会)
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天国の窓 T.K
神の国を望みつつも淡々と過ごす毎日である。友の家を訪ねようと思いながら日々が過ぎるのに似ている。神の国からもれる光に手を合わせる程度の信仰に甘んじていた。神は私を弱くした.BNPが普通で〇~八、それが八十五と上がっているので心臓が弱るとのことであった。早速生活のプランを変える。
今は元の元気に返っている。体が弱い時、精神が高められる。信仰も共なる。人は肉体だけではなく霊によっても生かされる。死が何時訪れようともキリスト者はキリストの贖いの内に入っていれば心配はない。天国の窓が開くのを感じた。
突然、友人引田君の死、葬儀のとき、別れの言葉を言った。そのときに天国の話に入った時、かつて私が聞いた天の調べを思い出してしまった。肝臓が悪かった時、四十度近い熱にうなされ一晩中苦しみ、朝、天の音を聞いたと感じ目が覚めた。
その時から熱が下がりどんどん良くなったことがあった。
葬儀の話しのなかで、そのときの天の風景が頭をよぎった。「君は今愛する英子さんと共に花咲く野辺、風吹く水辺に相まみえていることであろう。」告別式は終わった。一人の人生が終わった。彼は余りにも家族、親戚、部落の事に気を配りすぎるところがあったが、最後は信仰一筋に生きて死を迎えた。脳卒中になる前の日、京都の集会に行くため引田君を見舞った時、歩行も良くなり家に帰ると言っていた。
今年の五月に徳島で開催された四国集会のテープを入院中聞いていて昼まで話し合ったその夜、彼は倒れてしまった。彼がキリストの贖いの中にいた事を信じる。肉と霊に生きている者の望みは天国の窓を望み見る。我もまた天国に入る日を楽しみに今日一日生きていきたい。 (農業)
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光の子として生きる E.O
自分の以前の古い生き方は、罪の暗闇の中を知らずして歩み続けてきましたが、
今は主に結ばれて、光に照らされています。
「だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を
脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、
真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」
(エペソ四・22~24)
光を歩みて 主と交わり 浮世を後ろに 捨てて進まん
光にわがうちを 照らされ進み行かん
罪の闇は消え失せて 愛の光われにあり
(新聖歌二七三より)
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愛の御手 N.O
血にまみれし み手をのべ 主イエスなれを 招きたもう
十字架たてる カルバリに 苦しみしは 誰がためぞ
深き愛の み手をのべ 主イエスなれを 救いたもう
心の戸を 開きなば 共に住まわん とこしえに
(友よ歌おう二九)
この讃美歌は、曲名は「血にまみれし」ですがスペイン語の原文では「愛の御手」という意味だと教わっています。
今年の復活祭の時、姉妹のギター讃美を聴き、とても心惹かれた曲です。
その後、五月に徳島市で四国集会が開催された時にも再び
ギター讃美を聴くことができ印象深く残り喜びで感謝です。
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あとがき
今年の「野の花」文集は、二〇〇五年五月の四国集会に参加した人たちも投稿された方もあり、キリストにあっての誌上のエクレシアの広がりが与えられて感謝でした。
実際に集まる集会、個人的に手紙や電話、メールなどによる交わりなどのほかに、こうして年に一度、いろいろの方々が、その所属や住む所などが異なっても、ともに主にある兄弟姉妹として誌上に集まることができるのは感謝です。
ここに掲載された一人一人、そして何らかの事情で投稿されなかった方々、またこの「野の花」を読む人々にあっても主が同じように交わりを深めて下さり、ともに御国への道を歩んでいきたいと願っています。
今回の文集は、去年がサ行からでしたので、タ行の人から掲載しています。
また、集会の有志の方々によって、入力、校正がなされたことを感謝です。
野の花 第十九号 二〇〇六年一月十日発行
発行所 〒七七三ー〇〇一五
小松島市中田町字西山九一の十四
徳島聖書キリスト集会
(代表者 吉村 孝雄)
電話 〇五〇ー一三七六ー三〇一七
E-mail: pistis7ty@ybb.ne.jp
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