野の花 |
ピエタ アクオーの会 E.I
「ピエタ」といえば多くの人が、ミケランジェロの製作したキリストの遺体を膝に抱く、あの限りなく美しいマリアの像を思い浮かべるのではないでしょうか。「ピエタ」とはイタリア語で敬虔・慈悲を意味するところから、神の御子キリストの亡骸を抱いて嘆き悲しんでいる図像を「ピエタ」と呼ぶようになったと思われます。聖書にはマリアについての詳しい記載はありませんが、マリアにとってキリストは神の御子ではあっても大事な我が子に違いなく、私はこのマリアの心情を思わずにはいられません。それは、生半可な言葉で語るのも憚られる程果てのない深い悲しみだったに違いない。後世の芸術家たちが、悲しみにうちひしがれたマリアのイメージを構築していったことは当然だったといえるでしょう。
「ピエタ」は十四世紀頃から、絵や彫刻に盛んに作られていったようです。絵では、カルトンの《アヴィニヨンのピエタ》がよく知られています。十字架から下ろされ、悲しみに沈むマリアの膝に横たわるキリスト、見守る弟子と女性。画面いっぱいに信仰への敬虔な雰囲気が漂っています。他にも多くの画家たちが描いていますが、どの絵もマリアの表情は、かけがえのない息子への哀惜が滲み出しています。
ドイツのボン美術館に十四世紀前半の「ピエタ」があります。構図はミケランジェロと全く同じですが、この「ピエタ」のマリアは老いさらばえた老女で、キリストは血まみれの傷口を大きく広げて、骨と皮ばかりのやつれ果てた姿となっています。ミケランジェロの神々しいばかりに美しい《ピエタ》と比べるとあまりにも痛ましい。一点を見据えた、涙も枯れ切ったマリアの双眸は鋭く、悲嘆に砕けた母親の心情を吐露しています。茨の冠からしたたり落ちる血を浴びた苦悩に歪んだキリストの顔。私は、この像は美術書でしか見たことがありませんが、写真であってもその写実表現の凄さには息を飲みます。大きさは八三・六センチとやや小型の木彫で、表面には生々しい色彩が施されているそうです。時々、もしこの「ピエタ」の前に立ったとしたら、私自身がゴルゴダの丘に立っているような、そんな錯覚を起こすかもしれないという思いがよぎります。
ところで、ミケランジェロは他にも「ピエタ」を二体作っています。先述の《ピエタ》は二三歳から二六歳の青年期の作品ですが、二体目はそれより五十年の開きがあり、構図もがらりと変わりました。ニコデモがキリストの遺体を抱き上げ、両脇をマリアとマグダラのマリアが支えています。解説書によると、二人の女性は天使の役をしているとあり、処刑後のキリストを主が祝福しているシーンなのでしょうか。次の《ロンダニーニのピエタ》は最晩年の作品で、ロマン・ロラン著『ミケランジェロの生涯』によると「一五六四年二月十二日、彼は一日中立ったままでピエタにかかっていた。十四日に発熱した」とあります。頑健で厳しい修道僧のような生き方をしてきた芸術家は、死(二月十八日)の直前まで《ロンダニーニのピエタ》に情熱を注いだのです。構図はキリストが人間を負んぶして立っている姿で、解説には、マリアとキリストの一体化を狙っているとなっています。キリストが最後の晩餐で祈られた「一つになる」という御言葉を、ミケランジェロは精魂込めて表現したのでしょう。実は私には、復活したキリストが全世界を背負って立っている姿に見えました。いずれにしてもミケランジェロは、命の限りこの像を彫り続けたのでした。もう一体《パレストリーナのピエタ》というのがありますが、これはミケランジェロの作品と断定し難いともいわれています。
これらの「ピエタ」はどれも未完成ですが彫り込みのない石の断面が却ってミケランジェロの強烈な存在感を感じさせます。それは、信仰をどんどん深めていったミケランジェロの真情の抜歴のようにさえ思えます。時には狂人にも見える程、己に苛酷なミケランジェロの生涯ですが、臆病者で数々の裏切り行為もしたようです。しかし、だからこそ、日々が懺悔と祈りだったと思われます。若干二六歳で不滅の美ともいえる《ピエタ》を完成し、晩年は迫り来る死と戦いながら《ロンダニーニのピエタ》にとり組んだのでした。
学生時分、父の許に時折送られてくる美術雑誌を見ていた時見つけたのがミケランジェロの《ピエタ》だった。その清らかな美しさに鳥肌が立つような感動を覚えたのを今も忘れない。若い頃から音楽や絵が好きだったが、年をとるにつれ宗教色の濃いものに格別惹かれるようになった。教会音楽や聖画に貫かれた清澄さに心を奪われ、知らず識らず傾いていったのだ。特に聖書に導かれたことで、一層拍車がかかったといえる。きっと神様が私の心を目覚めさせ、私の親しんできた作品群の深奥を見せて下さったに相違ない。
大きな感動の日々、感謝します。
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神の国と神の義を求めて M.I
今年は小泉首相の歯切れのよい語り口に多くの国民が本質を見抜けず、盲目的に支持をし 国の国民管理法制、戦争法案、そしてアメリカのイラク攻撃のお先棒を担ぐイージス艦の派遣と、戦争の道をまっしぐらに進んでいます。
今の日本はこのまま進むと近い将来悲惨な暗黒の歴史を刻むのではないかと憂慮に耐えません。今から六十年ほど前、日本は大東亜共栄共存圏という偽名の下に、主体的に何の罪もない他国を侵略し、悲惨で破滅的な戦争をしました。
今度はアメリカ一国が自国と自国企業の利益優先のため世界中を戦争に巻き込もうとしています。日本の首相は積極的に何の罪もない人を殺す戦争に加担しようとしています。
私たちは無力で何もできないのでしょうか?
聖書に「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない(マタイ福音書二四章三十五節、ルカ福音書二一章三十三節)」とあります。
また「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りにまかせなさい「復讐は私のすること、私が報復する。と主はいわれる」…悪に負けることなく、善を持って悪に勝ちなさい。(ローマ信徒への手紙一二章十九節~二十一節)
真の平和を実現するため神様は私たちの前にイエス・キリストを送ってくださいました。神様の前にはいっさいのあらゆる差別はありません。すべて平等で、一人一人同じように愛してくださっています。
神様を知るものとして、聖霊を通じて戦争の愚かさを伝え、アメリカのために、イラク のために、北朝鮮のために、日本のために、そしてすべての関係する国々と人々のためにもこれ以上の愚かなこと、惨事が繰り返されないよう祈ることが私たちの使命ではないでしょうか。神様を信じるものとして、神の国と神の義を求め(マタイ福音書六章三十三節)、聖霊によって生きていきたいと思います。
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重荷を負って M.I
母が
突然、脳梗塞で倒れた
失語症を伴い、思い通りに意志を伝えられない
右手も右足も動かない
リハビリで治るかも知れないという希望と、もう動かないという絶望が
交互に押し寄せてきて
いつも笑顔だった母がよく涙ぐむ
動かなければ
左手が、左足が、まだある
思いやりのある相手と話したら
会話も通じる
試練と思えば今の自分を受け入れられる
自分の傷で人の痛みが分かる
人の優しさが有り難く
感謝に代わる
暗い道に迷い込んでも
神様の光を信じれば
希望は永遠へ続く
そして神様の愛に満たされる
信仰と希望と愛その三つはいつまでも残る その中でも最も大いなるものは愛である。(Ⅰコリント一三章十三節)
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野の花・思うままに E.I
マタイ二十六章四十一節のところに「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。
心は燃えても、肉体は弱い。」とイエス様の言が出て来ます。このなかの「心が燃える」というのはどういうことかと、前から少し不思議に思っていました。言葉の意味そのものは何となくわかるのですが、体験としてはどうなのか。こういうことはひょっとしたら一人一人異なるのではないかとも思えます。英語では「心が燃える」に当たる語に「willing」が来ていて「あなたのためなら何でもする(例)といったふうに辞書にはありました。こちらは大きく意志の力が働いているよ
うに思えます。ギリシャ語でも「喜んで~する」「熱心」などという語のようです。が、英語よりも、幾分「心が燃える」に近い感じがします。しかし、あまり細かく言葉にこだわっていくとこんがらがってしまいそうなので、ここでは、自分の体験としての「心が燃える」について、思い当たることを書いてみたいと思います。
一番初めに思い当ったのは、ちいさな画集にある絵のことでした。それは『復活の朝、墓へ急ぐペトロとヨハネ』(ビュルナン)と題する絵画で、解説には、「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、私たちには分かりません(ヨハネ福音書二十章二節)というマグダラのマリアの知らせに、とるものも取らず走りだしたペトロと「もう一人の弟子」の絵である」とあります。
二人が荒野みたいなところを、目を見開き、風を切るようにして、たった一つのものを目指して突き進んでいくような印象を持ちます。ペテロのごつごつした右手は心臓の上に置かれています。前へ前へと、目的の場所に駆けつけるあいだも何とか冷静であろうとして、高鳴る心臓の鼓動を抑えようとしているかのようです。
この時の二人の心中は察するに余りあると思いますが、これは他ならぬ『復活』の朝のこと。何がなんだかわからない中にも、二人の「心は燃えに燃えていた」のではないかと思えます。それが見る方にも伝わってきます。私たちも、何十分の一か何千分の一かわかりませんが、この二人の偉大な弟子の「心が燃える」、という感覚が共有できるのではないでしょうか。この絵を思い出すたび、二人の「ドキドキ」が伝わって来そうに思います。
神様を信じるようになると「不思議なことが現実に起こった」と、小さいことにせよ、大きいことにせよ経験することが多くなるのではないでしょうか。どんな苦しいような状況にあるときも、神様が働いてくださったからこそ「起こる」、このこと自体が、何故か、とても楽しいこと、また魂が潤うと感じられるのではないかと思えます。
これまでは、すべて偶然、と思って片付けていたことが、神が祈りを聴いてくださったのだ、すべてが偶然ではなかったのだと思える時もそうです。
たとえそれがほんの些細なことであっても、自分には到底できそうにもなかったことが、祈りによって、あるいは聖霊の導きによってほんとうにデキテシマッタノダという、「信じられないようなこと」があった時、私たちは「心が燃える」経験をするのではないでしょうか。
また、イエス様は「神の子」、と信じたときも、それに近いようなことが起こったように思います。かつての自分なら正面からとりあおうともしなかったことが「信じられる」というのですから、ほんとうに不思議です。けれど信じてしまうと、一転してごく当たり前のように思えて来るのも不思議です。もともと神は宇宙を創造し、私たちを創造し・・・万能の神様にできないことはないのですものね。それに伴って一転したものがもうひとつありました。すべてを支配される神様の存在を信じることは、野の花や空の鳥、草木の一本一本、日の光、ありとあらゆるものが異なって見えます。愛の神が時空を統べ給う・・・
以前は味気なかった(死んでいたのかな)世界がみずみずしい生命を帯びて、よみがえって見えます。目と魂の変革ですね。
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最近知らされたこと M.I
私も含めて、人は常に楽しみや、喜びを探しているように思う。おいしい店はないだろうか?安く買える店はないだろうか?、又、楽しく過ごせる所はないだろうか?等、毎日耳にします。そして気の合う人を探し、心地よい状況を作り出そうと努力します。
動物は一匹でも生きてゆけるらしいのですが、人は一人では生きられません。楽しい時、苦しい時、色々な想いを抱きながら生活しています。
時には「どうして、自分だけ、こんな状態に置かれるのだろう・・」という時もあります。さて、ここに一人の人を紹介したいと思います。その人の生涯は世界のカレンダーを変える程偉大でした。その人に出会うと、励まされ、慰められ、ゆるされ、勇気が与えられます。
人は病気になったり、老人になっていきます。そんな時、その人は、誰よりも近くにいて、苦しみを分かち合う事が出来ます、平安を満たし、希望を与える事が出来ます。
その方の名はイエス・キリストといいます。この方の事を少し紹介させて下さい。
この方は、私達の罪をゆるす為に死んでくださり、よみがえられ、今も忍耐し、人が悔い改めに導かれるように願い祈って下さいます。この方に、罪を告白し、幼い子供のように素直になって悔い改めるなら、新しい人生のスタートができるのです。
この方と共に居るなら、どんな苦しい事に出会っても、決して人に憎しみや、恨みを持たないで、その人の為に神に祈ることができるのです。私は様々な人と出会うチャンスを神様にいただきたいと願っています。それはどの様な時でも、どの様な場所で人に出会っても、神様に喜ばれる道を選択するという、良いチャンスなのです。
「どんな出来事の中にも、神さまの計画に希望を持つこと」 私は最近それを教えられています。
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素晴らしき出会い M.I
二〇〇二年、私は一人の大切な友との出会いをした。出会いの舞台は、私が集会の皆様の献金によって参加させて頂いた、関西はもとより全国の中高生が集う「関西中高生聖書講座」である。出会ったその人(以下S君とする)は、山形県にある基督教独立学園の二年生。会ったその時は私の一番苦手なタイプに見え、多少人見知りのする私は、仲良くなれるかな?と思っていたのだが、いつの間にかとても仲良くなっていた。
講座も終わり徳島に帰ってきて、早速私はS君と文通を始めた。初めのうちはお互いの身の上話程度の内容だったが、段々と信仰的な話になり互いの相談にのったりのられたりで、今では心身共に大きく支えられている。
中でも、私が昨年大事な試験に不合格で心身共に病んでいたとき、S君はこう教えてくれた。
「神様の御計画ではこの結果の後に真実君がどう気持ちを持つのか・・・神様という僕達の原点に戻ってこれるかどうかを問われているのだと思うよ!不合格も神様の御計画。いつでもどんな時でも、その時自分にとって良くないものでも後々考えると心の底から良かったんだって思えるさ!この思想にイエス様の言った「救い」があるのかもね。」 また、御言葉も教えてくれた。
「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」(Ⅰコリント十五章十節
)
その通りだと思った。生きていくということは、楽しいこともある反面、苦しいこともたくさんある。しかし、そんな時こそ前を見て、私達の大黒柱である神様のもとに帰り、神様と共に歩んで行くことが大切だと思う。神様はどんな時でも私達をお見捨てにはならない。 その後S君との文通は回数も内容もますます深まっている。時には独立学園での生活の様子や山形の田舎風景などを写真に撮って、送ってくれている。
大切な友との出会いを主に感謝し、S君との関係も大切にしていきたい。
「わたしたちは、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。」 ローマ人への手紙 五章二節
栄光在主 (看護学生 十七歳)
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「疲れた者、重荷を負うて苦労している者は私のもとへ来なさい」(マタイ福音書十一・二十八節) A.I
私は看護という仕事を始めて、多くの患者さんと接し、人の命の重さというものを感じるようになりました。始めは名前だけしか知らない方も、話をしているうちにその方の生い立ちや、生き様、病気になった経過などを聞いていると、まるで太い木の年輪を見ている様に思えてなりません。その細かく刻まれた年輪の様に悲しみや悩み、心の痛み、そして入院による心身の痛みも背負わなければなりません。聖書の中の一節に「人は一生、暗やみと、悲しみと、多くの悩みと、病と、憤りの中にある。」と書かれてます。
最近「サトラレ」という映画やテレビドラマがあります。これは一人の若者の心の声が周りの人達に全部聞こえてしまうという物語です。このドラマの若者の様に自分がサトラレであるのに、その事を誰も教えてくれないと考えると恐ろしくなります。実際、本当の自分の姿や、治さなければいけない自分の欠点を教えてくれる人はほとんどいません。
サトラレを見てもう一つの事が思い浮かびました。
それはイエス様のことです。イエス様は世界中の人達の心の声を聞いているという事です。恨み憎しみの声、悲痛な叫び声、そして悲しみに満ちた祈り、そのような人々の心の叫び声を毎日聞いているのです。イエス様は二千年程前、神であるのに人間の姿として生まれました。三十三年間私達と同じ暑さ寒さ痛み飢えを感じる肉体を持ち、悲しみや痛み、飢えと渇きを味わわれました。だから私達の苦しみ、痛みが分かり同じ思いに成れるお方なのです。そして全世界の人達の罪を全部背負い十字架に架かって死にました。そして三日目に復活されたのです。そして今は父なる神様に人々を助ける為のとりなしの祈りをして下さっているのです。私達の弱さ、心の叫び、心の奥底の醜い所まで全て知っておられます。しかし弱い醜い私達を責める事は決してせず、悔い改めるのを待ち続けているのです。悔い改めてイエス様を自分の救い主と信じてイエス様の元へ行く時、大きな愛で包んで下さるのです。ここにイエス様の赦しと慰めと励ましがあるのです。
人の命の重さを感じます。そして世界中のニュースを見るとき、難民や飢餓で死んでゆく人の命の重さも感じます。しかしそれよりも、その大きな世界中の命を暖かく包んで下さるイエス様の大きな愛の重さを私は感じます。
「重荷を負うて苦労している者は私のもとへ来なさい、あなた方を休ませてあげよう。」(マタイ十一章二十八節)
と優しく語りかけてくださいます。
負いきれない重荷、それは心の痛み、身体の痛み、命の心配かもしれません。
全てを知っていて、赦して下さるイエス様に本音で心の声を祈ってみましょう。きっと聞いて下さいます。イエス様に信頼するなら失望させられる事はありません。(二〇〇二年九月七日に淀川キリスト教病院の合同朝礼にて) 看護師
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学びの中より S.I
聖別された者、ゆるされた者として
ささげられる者として、
御名を表す者として、
私の心の中にみちあふれる者とし
み言葉を、大切にし、真理に属する人は
神の声を聞き従って生きてゆく。
神様のために、御用が許され御名を表す者として
清められ、主の御名をあがめる者として
いつも、心の中にとどめ
日々の生活の中で、求め、清めていただき
真理によって、彼等を聖なる者として下さい。
ヨハネ福音書十七章六節~十九節より
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心に残ったみ言葉 U.I
イエスは、この世から父の元へ移るご自分の時がきたことを悟り
世の弟子たちを愛して、このうえなく愛し抜かれた。(ヨハネ福音書十三章一節)
わたしが
あなたがたを愛したように
あなた方も
互いに愛し合いなさい。 (ヨハネ福音書十三章三四節)
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第二十九回キリスト教四国集会に寄せて S.U
わたしは今夏の四国集会で感話を求められました。しかしいささか耳の遠いわたしは、聞きもらしたところもあったので、特に強い印象を受けたお二人について、視覚を通した感想を述べ、わたしの感話とさせていただきました。時間の制約もあり意の足らない思いを残していましたので、一部漏れ聞いている出来事なども追加し、改めてここで述べさせていただきます。
「共にいてください主イエスよ、闇の中の光の主イエスよ。」これは今回の「参加者自己紹介文集」のTさんの言葉です。
壇上には、闇の中の光主イエスよと、呼びかけ証しする彼女の姿がありました。中途失明という不幸のどん底から、すべての苦悩を神に委ねて、ひたすら「神の国と神の義を求め」(
マタイによる福音書六章三十三節)続けてきた幾十年、それは決して平たんな道のりではなかったはずです。思いがけない肉身の不幸に遭うなど、情け容赦ない苦難に、危うく膝まずくこともありましたが、小さな群の仲間の祈りによって何度支えられたことでしょう。彼女は今静かに神の御前に立ち、感謝と真実を献げて、ただ一筋主イエスを光りとして歩んできた年月を、顧みながら証しするのでした。
主は言われた。目の不自由な者それは誰の罪でもない。「神の業がこの人に現れるためである。」(ヨハネによる福音書九章三節)と、このみ言葉は正しく、Tさんにおいて、示され証しされているのです。
不運とはいえ余りにも苛酷と思えるほどの不幸の中に、僅かに保っている顎の自由を唯一の支えとして、讃美歌集など二千五百曲を越える音楽データを完成し、なお日々聖歌曲の音楽データの作成に己れを駆使しているKさんの働きには、本当に頭が下がります。
過ちは人の常とはいいながら、医師の重大な誤診から取り返しのつかない障害を負う身となり、いまでは全く五体不自由な難病患者として、ベッド生活を余儀なくされているのです。これまでの苦しみと悩みは、人為的な不都合により生じた結果だけに、一入彼をさいなんだことでしょう。壇上の車椅子には、時に眼を閉じ一呼吸して、動揺する感情に堪えながら、介添人の吸飲みで口の渇きを癒しつつ証しするKさんの姿がありました。
誤診という不條理な素因によって生じた難病ではありましたが、法秩序に基づく法の裁きは、彼の生涯を看取るには余りにも不十分な、補償額であったとのこと。 ともあれやっとの思いで、裁判問題も終わり、これで療養に専念できるものと思われていたところ、またしても問題が起きてきたのです。彼にとっては唯一の安住の場所、長年にわたり住み馴れた病室から大部屋に移るよう、病院側から求められたのです。国立病院とはいえ不治の重病人の長期入院は運営上の問題もあり、この度の病棟改築を機に大部屋への移動を求める事情になったもののように思われます。しかし今更他の病院に移るにしても、長期入院どころか病経緯に全く無関心な病院が不治の難病患者を受入れるなど、よほどのことがない限り、先ず不可能なことでしょう。本当に闇夜に道を求めるような、動きのとれない状態になってしまったのです。
このことを知った徳島キリスト聖書集会の一部の人たちは、今はもう祈るしかなく、この窮状の打開を求めて真剣に祈り続けました。ところがどうでしょう、それまでただ一方的であった病院側の態度が軟化し、遂に在院を承認されたのです。Kさんはこれまで通りの療養生活が可能になったのです。
はなはだ私事で恐縮なのですが、わたしは相当な遅筆屋で、この稿も一、二回の執筆で書き上げたものではなく、何度か手をかけてまとめたものですが、その都度お二人の信仰に励まされ慰められ新たな感動をうけました。そして神のみ業とご計画の素晴らしさを賛美し、わたしもまた感謝と真実を献げました。
最後にわたしの敬愛してやまない詩篇一四四篇三節を記してこの稿を終わります。
「主よ、人は何ものなので、あなたはこれをかえりみ、人の子は何ものなので、これをみこころに、とめられるのですか。」
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平和でなく剣をもたらすために R.O
今年の聖書の学びで、一番心に残っている聖書の箇所はマタイによる福音書十・34、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」というところです。
真理というものはけして甘いものではなく、どこかシビアなところがあり、真理をもみ消そうとか弾圧しようとする力がはたらく時があります。
平和というのは、人の妥協によるみせかけの平和と、神様が与えて下さる本当の平和があると学びました。完璧である神様に全ておまかせできると思えばこそ、この世で生きていけるのかも知れません。
ヨハネ十六章33節に、「わたしは既に世に勝っている(死にも打ち勝っている) 」とあります。
主イエスは、みせかけの平和をもたらすためにきたのではない、苦難は必ずあるが、主に委ねるとき、それも担って下さる、という学びでこのことを日常で心に留めていたいと思っています。
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手話と聖書の会に参加して K.O
初めて土曜日の午後二時からの手話と聖書の会に参加させていただいてから一年あまりが過ぎました。シルバー大学での同級生のM.Kさんに手話を習いたいと話していたのをおぼえていて誘ってくれたのです。
まず、植物の学習から始まって、今まで気にとめなかった道ばたの草や木の名前やルーペでの観察です。あまりのすばらしさに感動です。手話も聖書のことばも分かりやすく説明してくださいます。これからも、一歩ずつでも前へ進んでいこうと思っています。
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ガラテヤ書三章を読んで T.O
「ああ、ものわかりの悪いガラテヤの人よ」書き出しから、人の気を逆なでするような言葉である。だいたい、人間とは、耳障りの悪い真実より、軽く信じたり、耳障りの良い、愉快な行動を好む。御霊の真理を遠ざけ荘厳な建物や見た目の良い物に軽く触れていたいのである。多くの人たちがそうである。クリスマスの真理に触れることは嫌がり、きよしこの夜など、クリスマスの歌など街に流れてくる。十字架もネックレスとして首にかける。
三章では、律法について論議が繰り広げられている。律法に守られ、律法を守る行いによって義とされたのではない。十三節「キリストは呪いの木にかけられ、神との和解によって、わたしたちを律法によらず、行いによらず、捧げ物にもよらず、キリストの内に有って義とされたのである。」パウロはユダヤ人同民族の為にも、アブラハムの例をあげ説明している。新しく、キリストを信じた人が又律法につながれる事のない為に心を砕いている。かつて、モーセの時代にアブラハムの信仰によって生かされしイスラエルの民の律法へと進んだ道を二度と繰り返さないようにと願う。
イエス・キリストの信仰者をイスラエルの民の様に律法につなぎ、行いをともなわないため呪いの道を選び、十六節から詳しくそのことが書かれている。「神は一人である」律法の中で働いていたら義は律法を通して約束にあずかったのである。けれども、天使達を通して「仲介者の手によって制定されたに過ぎない」(十九節)律法は出エジプト書から出ている。預言者の言葉によるものが多く、また宗教家によって制定されているモーセの十戒は現在私たちの知る常識による良心、又は、法律で充分理解している。異邦人である私達にとってはユダヤの宗教家の律法にはなじめない。二十七節「キリストに合うパブテスマを受けたのである」ユダヤ人、ギリシア人もなく約束の相続人である。又、「キリストを着る」とあるのはキリストに羽織られるのであって上着の上にオーバーやコートを着る。正装の場では上等な上着を着るものである。正しくはキリストを内に宿すのであるが、ここでは着るとなっている。まだ、相続者としてふさわしい身でなくてもキリストを着て式場に出ていくのである。約束の相続者とあるのは、アブラハムに、あずかっているのかもしれない。私には異邦者でありイスラエルの誇りはない。
私の思うに、あるのは創世記にある二章の七節である。「主なる神は土のちりで人を造り命の息をその鼻に吹き入れられた。それで人は生きる者となった。」神呼気である。その後人は神の庭で罪を犯した呪われた者となるが、神の呼気を吹き入れられ神の相続者である。罪を身に覆われていながらキリストを着ることによって義とされる。キリストにつながることによって約束され相続者となることができる。泣きながらでも、罪の身を自覚するもキリストにすがり悔い改め日々送る。人は罪人では有るがキリストによって義とされるのである。 (陶工)
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主から与えられたもの E.O
大きなことを成し遂げるために 力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった
より偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
よりよきことができるようにと 病弱をあたえられた
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるように 命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意に添わぬものであるにもかかわらず
心の中で言い表せないものは すべて叶えられた
私はあらゆる人の中で もっとも豊かに祝福されていたのだ
この詩はニューヨーク州立大学病院の病室に残された詩で、「涙なくして読めない感動の詩を是非読んでください。」とEメールに、Eメールに送られてあったので、読んでみました。私もいくつか感動させられましたが詩を通じて聖書のことばをいくつか思わされました。
1、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。(ヤコブの手紙四章三節)
2、何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。(ヨハネの手紙)
3、何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。(マタイ福音書(六章三十三節)ほかにも教えられたみ言葉が思い出されます。
この作詞者は誇り高ぶって願い求めていたので神様はご自身の意思をお与えになったので最後に御心がわかったので良かったと思います。
私たちも高ぶりは持っていますが、いつも謙虚になり、願い求める時は、み言葉に教えられたように従っていきたいと思います。
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光と闇と K.K
先日、朝陽に輝く海を見ました。大海原に光が砕けて、息をのむほどに美しく輝いていました。なんという光の力だろう。この光の中にどのような悪の力を置いたとしても、一瞬で全ては光に変えられると思いました。光の力が海に輝き、ひとすじの光の道となって延びていました。「この道を来なさい。」はるか水平線のむこうから、聞こえたような気がしました。光の国に続く道。「この道を来なさい。」光の橋がわたしの前にかけられて、イエス様がわたしを呼んでくださっている。この力に満ちた光の道を導かれるままに進んでいこう。弱さも罪も、イエス様が十字架で勝利してくださった。この罪のためにイエス様は苦しんでくださった。「しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」ヨハネ十六章三十三節
主よ、ただただ願います。この手を決して離すことなく、光の国にはいるまで、どうぞ憐れみ、導いて下さい。
先日、夜明け前に輝く、明けの明星を見ました。夜明けを知らせるオレンジ色が東の空にあらわれはじめたとき、眉山の上にまぶしく輝く金星の光に、思わず吸い込まれていくような気がしました。
九月にわたしの職場の病院で勤務交代があり、今まではわたしは夜勤のない外来勤務でしたが、九月から入院病棟での三交代勤務となりました。病気の苦しみの中にある方々と関わっていくことは、大変ですが、主がわたしを導いてくださり、わたしの働き場所として与えて下さったことを感じ、感謝です。
わたしの働く「口腔外科病棟」では、顎の骨や、舌などの病気で大きな手術をされた方が多く、食べられない、しゃべられない、顔が変わる、唾液がこぼれる、と何重もの機能障害を持つようになる方が多いです。その上に痛み、また薬や放射線などの副作用による苦痛などもあり、治っても、若い方は社会復帰の問題、高齢の方は介護の問題、孤独、と苦しみは尽きません。多くの方の苦しみと関わっていこうとするとき祈りなくしては、闇の力に引き込まれそうになってしまいます。
深夜勤務は、夜中の0時半から朝の九時までとなっています。深夜の病棟は人手も少ないし、何か重く、どうかどの患者さんも無事に朝を迎えられますように、と夜明けを待ちこがれます。闇が解かれて朝の気配が感じられると、とてもほっとします。
そんな深夜勤務の明け方に、東にあいた看護婦詰め所の五階の大きな窓からこの星を見たのでした。あまりにきれいだったので、その日の夜勤のペアであった同僚を呼んできました。「わあっ!きれい!こんなのはじめて!」と、若い友人は声をあげました。心に力を与える星の光、明け方の冷たい風を受けて、ふたりでじっと見入っていました。
病院という現実の闇のなか。痛み、苦しみ、苛立ち、悲しみ、どうしようもないうめきが渦巻いているような闇の中。輝く明けの明星として、イエス様、どうぞ来て下さい。「光は闇の中に輝いている。闇は光に勝たなかった。」ヨハネ一章五節
主よ、どうか、苦しみのなかに御国がきますように。無数の苦しみのうめき声を、主よ聞き届けてください。「然り、わたしはすぐに来る」ヨハネ黙示録二十二章二十節
先日、仕事が終わって帰る道、すっかり暗くなった空から冷たい雨が降っていました。どこまでも、弱さの中にある自分にうんざりしながら、小さな事で傷ついて疲れ果て、重い心を抱えて、自転車で帰っていました。何かがわたしに挑みかかって来るみたいだ…それは、自分自身かもしれない。自我が襲いかかってくるのだ…そんなことを考えながら空を仰ぎました。暗い雨雲がどんよりと広がっていました。ふと、以前見た、海の朝陽や、明けの明星の光を思い出しました。そうだった。この雨雲の向こうには、銀の鈴を鳴らしているような星空が輝いているのだ。
主よ。求めたら与えられると約束される、聖なるあなたの霊を、どうかわたしに注いでください。どんなにわたしが落ち込んで、あなたの愛と力がわからなくなってしまったとしても、弱さと罪からわたしを守り、聖霊によって確信を与えて下さい。
「恐怖に襲われて、わたしは言いました。『御目の前から断たれた』と。それでもなお、あなたに向かうわたしの叫びを、嘆き祈るわたしの声を、あなたは聞いて下さいました。」詩編三十一編二十三節
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Mさんへ T.K
Mさん、今月も「福音」をありがとうございました。今回で一七四号、十五年近くも発信を続けているのですね!ミニレターを添えてくださるあたたかさも嬉しいです。このお働きは主の喜び給うところ、その祝福の証、心からハレルヤをもって応えたいと思います。
さて、この度の記事のうち「友への手紙・二」にハッとさせられ、目の前の霧がスーッと晴れるような気がしました。「もし、わたしが洗わないなら」ここに注目されていられ、この答えを実に明快に書かれていたことです。
「…イエス様が足を洗ってくださるというのは、そのような私たちの日々の汚れを洗い清めて下さるということです。…私自身、日ごとの罪の赦しなくして、キリスト信仰を続けることはできないからです。」と。
ここの記事は、二千年ものむかし、やがて十字架で処刑という切迫した状況時、晩餐に入る直前のイエス様がなさった思いがけない行為でした。貴姉はそれを「日ごとの罪の赦し」だと言われています。
「弟子の足を洗う」は、読む限りにおいてイエス様の謙遜は伝わってくるけれど(それだけでは)その意味の深さはわかりません、と書いています。私もヨハネ伝のこの続きとして十四節~十七節に「…互いに足を洗わなければならない…わたしがあなたがたにしたととおりにあなた方もするようにと模範を示したのである」によって、そのふしぎは解決したように思ってきました。が、大事な欠落がありました。謙遜、仕え合うわざが信仰者のお手本、それなら、「もしわたしが洗わないなら」はどうなるのか。
立ち止まってみると、ペテロとのやりとりの中で言われていること「わたしとあなた」の関係で語られたことに気づきました。勿論ペテロは弟子のリーダーですから背景に複数の弟子は含まれているのですが…。ペテロがこの直後に「そんな人は知らない」と三度も否み、逮捕から身の安全のためにガリラヤに逃げて、漁師に戻ります。その後、ガリラヤ湖畔でどのようなことが起きたかは二十一章に詳しく記述されています。
ペテロの離反をこの時イエス様がご存じでない筈はなかっただろうとおもうと、「足を洗わないならば…」の意味が立ち上がってくるように思います。この弟子の罪の赦しも復活の証人としての全身全霊をあげて殉死に至る後の宣教も、思えばこの行為とことばがすでに包み込んでいるよう、かかわりの永続の根本を愛弟子ペテロの心底に閉じこめられた暗示ではないのかと思うのです。
しかし、事はもっと象徴的でもっと広く強いもの、罪人すべてに及ぶ予告であったようにも受けとめるのです。十字架における血の贖いを信じる者は救われ永遠の命を得るという、イエス様はその時が迫るにつれて、決別の準備をされました。「弟子の足を洗う」も同じ。機会ごとに語られる神の子の本質を弟子たちは理解できず、復活のイエス様のに会ってから、かつ然として醒めるのでした。そこから本当の宣教が始まります。
そして、イエス様の言われたように、足を洗って頂いた者、信ずる者は、消えることのない関わりの裡におかれ、今も日ごとの汚れを拭い浄めていただいているのでした。それが私たち信仰に生きる者のよろこびとのぞみがあると教えられました。
二千年という年月を通しても生きて働くみ言葉、これはふしぎな力です。ふしぎといえばこの度のこともそうでした。もう何度も聖書のこの箇所を読んできました。ただ通過してきたとは思えませんが、あなたによって立ち停まる機会が与えられました。そして、今日も足を洗ってくださるイエス様が来られて、新しい光を射し入れて下さっています。残りが次第に少なくなってくる意識と、いや、違うんだからという希望との交錯の中で、どうか度々こうしたふしぎにあわせて下さいとの祈りが湧いてきます。
Mさん、ほんとうにありがとう。み言葉の伝達を続けられる貴姉にどうか主の導きと祝福が豊かに注がれますように。
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もし、神様と出会っていなかったら M.K
眠れなくて苦しいときも神様が支えてくださった。
犬のチチが死んだときも神様が支えてくださった。
讃美によって癒された。
主人が天国に行って十五年。八月が近づくと、どうしてか私の体調が悪く、いろいろなことが思い出されます。神様が一番いいようにして下さっていると信じていても心の中が揺らぎます。神様が私の罪をもたくさん赦してくださっているのに。他人のことも赦すことが出来たと思っていても心の中がさわいでくる。そんな、嫌な自分につまずいてしまう。
今年は主人の命日の日に、朝早くに信仰の友と霊園に行くことができました。家とは違って神様が近くに感じるし、霊園の空気も、木も、小鳥の声も私を素直にしてくれる場所でした。心の奥に持っている、全てのことを神様にぶつけて祈りました。気持ちを込めて讃美もしました。
今までに感じたことのない平安、清らかさに満たされ、新しくされました。また、神様がなさることは私がどんなに努力しても思いを変えることは出来ないが、神様が少し手を触れられると奇跡が起こる、そんな体験もさせていただきました。
また、胃潰瘍のことで再検査を受けることになり、心配もありましたが、お祈りにも支えられ、お花のお友だちにも励まされ、山へ行き自然の中で心も癒されました。リンドウの花の美しさに感激しました。
もし、神様を知らなかったら、もし、神様に出会うことがなかったら、今の私はなかったと思う。
この一年間、体調が悪いときも、仕事を休むことなく守られ、忙しいときも、暇なときも神様が守って下さり、美容サロン・ルカへ来て下さるお客様を主が与えて下さいました。
藍住集会に集まる一人一人を祝福して下さり、その友に私も支えられました。藍住集会が守られていることを感謝します。これからもよろしくお願いします。 (美容師)
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今年の出来事 Y.K
「われに来よ」とイエス君は
優しき声を
汝にかけて今もなお
待ちわび給う
来よ 来よ 疲れたる者
イエスは愛の手をば伸ぶ
疾くイエスに来よ
(聖歌409番 新聖歌177番)
今年は二つの出来事が思い出されます。
一つ目は、六月に徳島市で開かれた四国集会に参加できたことです。二月に証しをしてほしいといわれて、まだ当日まで四ヶ月もあるし、予定が立たなかったので、取りあえず保留ということにしました。私自身は三年前の徳島集会の時から、次の徳島集会にも参加したいとの希望は持っていたのですが、介護や交通のことなどクリアしなければなりませんでした。祈って神様に私の希望を述べました。そして少しして参加の方向で準備を進めることとしました。参加できるか、できないかは神様しだいなので、私としては準備だけは完全にしておかなければ、物事が進みません。やっとゴーサインが出ました。
当日は暑くて、体力的にはかなり厳しかったものの、健康も問題なく部分参加ができました。二日目は朝会場に着いてすぐに証しの順番がきました。人工呼吸器と酸素ボンベとエアーコンプレッサーの接続の用意をして、これで大丈夫と思いましたが、いざ始めてみると色々な過去のことや現在の思いが走馬燈のように蘇ってきて言葉に詰まって時間が押してしまいました。でも私としては、思いの全てが正直に話せてあれで良かったと思っています。
会場では、名前は知っていても会うのは初めての方、全く未知の方、など多くの方と出会えて、恵まれた有意義な時間が過ごせました。今年の第一の思い出となりました。
二つ目のことは、讃美歌の音符のパソコンデータが完成したことです。徳島聖書キリスト集会と繋がりを持った六年前に、集会で用いられている七冊分を、役に立つか否かに関わらず、何年かかっても完成させるつもりでいました。それが四月に出来上がりました。途中で体調を崩して、手術を受けたりして中断することもありました。が、神様のための仕事です。神様ご自身が成し遂げられました。私が思っていたよりも、あちこちの集会で使用されているようで、感謝で一杯です。神様はその人が持っている以上の力を与えて下さることを実感しています。
この二つのことが今年の重要な思い出です。来る年も、願わくは穏やかで、静かな平安な年になるよう祈っていきます。
皆様の毎日に神様の御心がなされますように・・・。
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忍びうる者に勇気あり H.K
「幸福論 第三部」より、忍びうる者に勇気あり、の所から心に残ったところを書いてみたいと思います。
「われらの出会う烈しい苦しみや 不幸も、その辛い思いは、人により異なる。それがわれらにいかにはたらくかは、主のみが知り給う」
「大いなる悲しみは人情の深さを教える。幸福にあればひとは浅はかとなり、
他人もわれに同じと思う。」
「善人の苦しみを是認するためにいいうる最も簡単で正しい言葉は、善人が苦しみによってさらにすぐれた者となる。ということである。悪を改善する仕事に当たるためには、出来る限り厳しい試練を受けなければならない。なぜなら、われわれは自分の力強い面を、この世の生活で、仕上げねばならないから。」
わたしは、何故良い人と思われる人が、苦しみに会い、悪い事をしている人が、うまくいったと言って、よい事をしている人を笑えるのか。疑問に思って来ました。
ここの箇所を読んでとても慰められました。また神様を信じる者には耐えられない試練は起こさないことも、信じてゆきたいと思います。
「苦しみは、その人が自分の内に持っている素質に応じて、人間を強くするか、それともうち砕くかである。
苦しい時には、決して自分自身と語り合ったり強迫観念に身を委ねたりしないで、神と語り合わねばならない。」
ここの所では第二十九回四国集会の主日礼拝で、関根 義夫さんが言われた、新聖歌七〇七番の「悲しい時、苦しい時、すべてイエス様に話しなさい」と言う話を思い出しました。
私もイエス様に話していきたいと思いました。
「しかし、苦しい時には、可能な助けを求め変えられることは変えよ、変えられないことは堪え忍ぶがよい。それ以上のことは、理解の及ばぬところであり、また神の欲し給うことでもない。苦しみは感受されねばならない。さもなければ、何の役にも立たない。」
「しかしまた、苦しみは克服され、活用されねばならない。少なくても内面的には完全に処理されねばならない。それが苦しみの目的だからである。」
この所も心にとめ、主に信頼して生きてゆきたいと思いました。一人でも多くの人が救われますように、祈ってゆきたいと思いました。
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二〇〇二年を振り返り T.K
一九九九年一〇月から月一回の日和佐での集会も皆様のおかげで四年目になり感謝しております。日和佐の冨田病院まで面会に来てくださった方々のお力添えで集会も参加できるようになり、今まで続いてこられたのは主のお導き、皆様の陰のお祈りの力だと入院生活を続けながら思います。
二〇〇二年一月は、アシュレー(この言葉の意味は、「いかに幸いなことでしょう」)で始まりました。貴重な御言葉で始まり十二月の今、世の中はいろいろさまざまあっても、私は、「いかに幸いなことでしょう」って締めくくれたらと思います。
多くの精神障害者またスタッフの方々と交わりながら、少しでも御言葉を学びたいと思うのですが、そして主に用いて頂ければと願います。
また祈りのできていない私は反省ばかりですが、祈りが中心、祈りの家の大切さを学んだことも心に残ります。イエス様は個人でも集団でも小さなもののそばにいてくださると学び、私のようなものでも側にいてくださるのだと思います。病院でも家でも側にいてくださるイエス様を感じます。
振り返ると聖書をちゃんと学ぶ大切さ、一人で読んでいては全く理解できないことを教えていただくことの大切さを心から感じております。
皆様のお働きの上に主の豊かな祝福がございますように。
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長春滞在記 M.K
十月から中国吉林省長春市にある吉林大学(注1)に滞在している。今日十二月十日の温度は零下二十度以下であり、南国生まれの私にはまさに極寒である。
一 キリスト教事情
私が滞在した大学の宿舎は六階までは通常のホテル、七階から十二階までは留学生用である。様々な国から留学生が集まっているが一番多いのは韓国人である。彼らは毎日曜日にチャーターしたバスに乗って韓国人教会に行っている。私も一緒にそのバスに乗せてもらって行ってみた。この吉林大学の宿舎が始発であり、途中、長春大学、東北師範大学など大学の前に止まり、それぞれの大学から韓国人留学生が乗り込んでくる。町外れのビルの五階に教会がある。しかし看板もなく、表からは全く教会とは思えない。裏口から入り、五階にある教会堂に入ると前面に韓国の国旗が掲揚されているのが目に入る。また、入り口のドアには、「ここは韓国人の礼拝の場所であり、中国人は入ってはいけない。中国の法律を守る」、というようなことを書いた紙が張られていた。牧師は韓国から来た宣教師である。この教会は中国政府から公認されている。このような公認された韓国人教会は中国には五つあるとのこと。出席者は百人ほどで、ほとんどが留学生である。残りは駐在員のビジネスマンおよびその家族である。ドラムやフルートなどの楽器の演奏も見事であり、それらの伴奏と共に日本でも馴染み深い賛美歌がたくさん歌われている。聖歌隊は四部合唱でかなり洗練されていた。韓国人教会は世界中にあり、異国で生活するときには彼らには心強いであろう。
市内には、このような韓国人の教会のほかに、たくさんの中国人教会もあり、朝鮮族の教会もある。(注2)現在、中国のクリスチャンはかなりの速度で増えている。
二 中国の経済生活
長春の物価は日本と較べて色々と面白い特徴がある。こちらに来て散髪したら一○元(一元は一五円)であった。バス代はどこまで乗っても一元、米一○キロが二五元である。電気スタンドが九元である。このように必需品の物価は二○分の一ほどであろうか。しかし、所得は二○分の一よりも多い。だから基礎的な生活に限れば中国が豊かに見える。しかし、ハイテク商品は日本と同じである。フロッピーデスクは高いものは五元、安いもので二元である。その他、車については、現地の第一汽車とアウディが合弁で作った二○○○ccほどの最新型の高級車が五○万元とか。一般に高級品はほとんど日本と価格は変わらない。こちらに来て学生に案内されてブランド品という中国製の冬用の靴を買ったら五○○元であった。大学の近くの学生
用のマーケットでは数十元で革靴を売っている。日本のスポーツ用品メーカーの靴が一○○○元。
このようなことを見てみると、経済発展の結果、"所得と比較して"ハイテク商品が安くなるということが分かる。日本の経済発展を見ると、所得は上昇したがハイテク商品の値段はそれほど上がっていない。コンピューターなどは値段が下がっている。しかし、低技術商品は値上がりした。所得が上昇するにつれて、散髪代、バス、タクシー代などのように人件費がかなりの部分を占め、技術革新の恩恵を受けず、貿易できない商品は値上がりしていく。
三 日本の進む道
毎週の授業の他に学生団体が主催する講演会で話をする機会を与えられた。経済学の学び方を中心に語った。予定されていた二時間のうち、残り一時間を質問の時間に充てた。学生は先を争って質問してきた。日本における中国脅威論について、あるいは、日本は世界のなかでどのような地位を占めたいと思っているのか、などの質問が多かった。私は以下のように答えた:お互いが交流することは双方に利益がある。経済理論が教えるように共存共栄できる。そのための貿易である。私の勤務する大学では、学生たちの団体は、毎年の夏休みにフィリッピンに行って家のない人たちのために家を建てている。ハビタート・フォー・ヒュマニティという運動である。自分たちで土をこね、石を運び、釘を打って家を建てる。また、そのための資金も日本で集めてもって行く。日本は国家としてもこのような活動をするべきである。医療が十分でない地域のために医療を提供し、技術のないところに技術を教え、教育のないところに教育を提供する。このような形で世界に貢献する国家を目指すべきである。物質的には我々は十分に足りている。
注1)この吉林大学は数年前に幾つかの大学が合併して学生数五万人の中国では一番大きな大学となった。この長春は昔の満州国(中国では偽満州国と呼ぶ)の首都新京であり、古い建物が残っている。吉林大学の医学部の建物は旧国務院であり、地質学部は皇帝の宮殿として建設された建物を利用している。(建設途中で満州国は消滅したので実際には使われなかった。)
注2)以前、「はこ舟」に一万人以上が集まる大きな中国人教会のことを書いた。この漢族中心の教会とはまた別に朝鮮族の教会もある。朝鮮族は中国国籍をもった中国人であり、民族として少数民族の朝鮮族である。東北三省には大勢の朝鮮族がいる。 (大学教員)
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道 K.K
「道」といえば"ヨハネによる福音書十四章"を思い浮かべる人もいるかと思うが、今回の「道」は違う。映画の話だ。
先日、イタリア映画「道」(F・フェリーニ監督作品)のビデオを観た。この映画の主役のジェルソミーナ役を演じている女優のジュリエッタ・マシーナを以前より好きだったのが観るきっかけとなった。この映画は一九五四年の作品である。日本同様、第二次大戦で敗北したイタリアの戦後九年目の町の様子や人々の大半が貧しい生活を送っている様子が画面のいたるところに紹介されている。マシーナの演技もさることながら内容の中心で心に感銘を受ける箇所があったので紹介させて頂こうと思う。
物語は……、
田舎の貧しい一家の母親は、他の子供を救う養うために、娘のジェルソミーナを、口減らしで大道芸人のザンパノにわずか一万リラで売る。(映画の中ではアイスクリームが三十リラ、ぶどう酒が二千百リラというところをみると一万円ぐらいの価格?)ザンパノの性格は大男で荒っぽくジェルソミーナの扶養者としての自覚はなく彼女を都合よく使っているだけである。その日暮らしの生活は貧しい。まだ幼い無垢なジェルソミーナにはザンパノは凄く怖い絶対的な存在である。ザンパノははジェルソミーナをアメリカ製(を自慢的に描かれている)のオート三輪に乗せて、大道芸の旅を続ける。ジェルソミーナは芸の助手を務めるのだがラッパも太鼓もろくに使えない。
しかし、懸命にザンパノに尽くそうとする。ある時、二人はサーカスの一座に加わりサーカス一座の青年イル・マットと出会う。彼はジェルソミーナに優しく、彼女にラッパの吹き方を教える。一方、ザンパノはこのマットと肌が合わず、ついには傷害事件を起こしマットとザンパノは警察に逮捕される。一人残されしょんぼりとするジェルソミ‐ナにサーカスの座長はサンパノと別れ、一緒に来ないかと誘う。数日後、先に釈放されたマットと話すことにより、サンパノを待ち一緒に生きていくという決意をする。
ジェルソミーナは出獄をしてきたザンパノと二人で再び大道芸の旅を続ける。しかし、ザンパノは何も変わらず以前同様。泊めてもらった修道院で銀のキリスト像を盗もうとしたり、ついには誤ってマットを殺すが罪を償わず証拠隠滅を謀ろうとする。このザンパノの行動にジェルソミーナは泣き叫び、徐々に精神に異常をきたすようになる。ザンパノを拒否し、寄せ付けなくなる。手を焼いたザンパノはある雪の日、野原に彼女を置き去りにする。
数年後、海岸沿いの小さな移動サーカス小屋で相変わらずサンパノは大道芸を続けていた。仕事の合間に歩いていたサンパノの耳に以前、ジェルソミーナがよくラッパで吹いていたメロディーが聞こえてくる。歌っていた女に事情を聞きジェルソミーナの死を知らされ、ザンパノは号泣する。
この映画でジェルソミーナが先に出獄したマットと話す箇所がある。ザンパノは投獄中である。ジェルソミーナはサーカス一座の座長同様、マットからも誘いを受ける。
ジェルソミーナはマットにいう。
「皆といたって変わりないわ。ザンパノといたって同じことよ。
私は何の役にも立たない女よ。いやだわ、生きていることがいやになった。私はこの世で何をしたらいいの?」
マットは、「俺がお前と一緒になったら……、綱渡りを教えてやる。ライトをあてて やる。俺の車で巡業する。世の中を楽しむ、どうだい?それともいつまでもザンパノと一緒に苦労し続けるか、ロバみたいにこき使われながら。
しかし、お前もザンパノには何かの役に立つんだろ?(省略)しかし、お前以外に誰が奴のそばにいられる。俺は無学だが何かの本で読んだ。たとえばこの石だ。こんな石でも何かの役に立っている。」
「どんな?」
「それは……、俺なんかに聞いてもわからんよ。神様はご存知だ。お前が生まれるときも死ぬときも…人間にはわからん…俺には小石が何の役に立つかわからん、何かの役に立つ。これが無益ならすべて無益だ。空の星だって同じだと俺は思う。お前だって何かの役に立っている。」
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。(マタイによる福音書六章二十八節~三十節)
人の目から見れば一見、何のとりえもなく、本人自身も生きている価値を見出せないジェルソミーナであるが神の目からみれば尊い。私たちも生きている中で無意味に思えることも全て必要だからこそ神様が与えてくださっていることを思い、日々感謝である。(今回、この映画のビデオを 観ている途中に"野の花"の原稿依頼があった。これも神様の御計画のうちだったのか、と思う今日この頃であった。)
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わき出る泉を求めて E.K
聖書の中には水と関係あるところがたくさんあります。創世記の中で出る絶えず湧き出す井戸を探すところとか、特にヨハネ福音書四章14節の「しかし、私が与える水を飲むものはだれでも、決して乾くことがありません。私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命への水が湧き出す」などのところは特に印象的です。
先月は鳴門で行った三日間連続のエンカウンターグルプワークショップ(今回のエンカウンター活動は「自分を探す」というのがテーマでありました)に参加しました。その時、すごく自分のことについて考えるようになり、「もっと早い時期にイエス様に出会ったらよかったなあ」と思ったのが今回のエンカウンター活動を通じて心深く印象に残ったところです。われわれはなんのため生きているのか、人の悩みはどこから来たのか、真理というのはいったいなんのものであるかなどのことについて真剣に考えるようになり、信仰の意味についても前よりちょっとわかったような気がしました。
新しい2003年を迎えて、自分は一年の時間をかけて聖書を通読したいと思っております。そのためには神様に祈りたいです。何回も決心しましたが、毎回聖書通読に怠けてしまう自分の意志を強くするように、神様に栄光をさし与える日々を送られるように、そして多分私の一生をかけて悟ることかもしれないが、聖書の真理を一日でも早く悟ることができるように祈りたいです。自分の人生にあって、絶えず湧き出す井戸を探すために毎日祈りたいです。
(中国からの留学生 鳴門教育大学在学中)
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新聖歌の讃美について I.K
新聖歌には、讃美歌や聖歌をはじめ、有名な讃美や親しまれている讃美がたくさん載せられています。その中で心に残った曲のことを書いてみたいと思います。
一二〇番は、十数年も前になると思いますが、集会に香川県の四国学院大学の学生さんが讃美に来て下さり、この曲を歌っていただきました。若い人の澄みきった美しい声とメロディーと共に「十字架より叫び聞こゆ」という歌詞がとても印象に残っています。イエス様が、十字架上で私たちの罪のために烈しく苦しまれている姿を思い浮かべる歌詞であるのに、それだけに暗さのないとてもきれいな曲で、歌うたびに心にしみる感じがします。
その他、水野源三さんの曲が二曲載せられています。二九二番と三三四番です。水野源三さんの曲は、コンサートや、CDなどで聞いていましたが、心の素直な思いが歌詞に出ているように思います。二九二番の歌詞は、苦しみは誰もが避けたい最もいやなことですが、それを通してもっともすばらしい神様の愛に出会えることを思います。神様の愛に出会わなかったら、苦しみは辛いことだけで終わっているのに、神様が一八〇度方向を変えて喜びとして下さる恵みを感謝します。
もしもわたしが苦しまなかったら
1,もしもわたしが苦しまなかったら、
神様の愛を知らなかった。
2,もしも主イエスが苦しまなかったら
神様の愛はあらわれなかった。
3,多くの人が苦しまなかったら
神様の愛は伝えられなかった。
(新聖歌二九二番 水野源三作詞)
(はり師)
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二〇〇二年をふり返って Y.K
主の御名をほめたたえます。
二〇〇二年は、色々ありました。去年十二月から、父が突然の意識不明のまま入院生活、父のお世話、そして、今年十二月に父は死去。父は天国へ行った事を信じます。主によって希望があり、地上で失われた人達に福音が伝えられるように仕えて行きたいと思います。
私の母は大変ながらも、私を東京に行かせてくれている。母から反対もなく、主が備えてくださったことを感謝している。
私は九月に聖路加国際病院で鼻・喉の手術入院して、多くの姉妹が来られ、付き添ってくれた母によい証ができたと思う。今でもお母さんの心にイエス様の愛が注がれるようにと祈りつつ。
そんな波瀾の中にもかかわらず、神様は私を見守ってくださり、仕事もいい仕事が与えられ、十月から神のために働くことができ、誠に主の恵みに、感謝と喜びにあふれるばかりです。仕事とは、日本ろう福音協会で聖書を手話訳する仕事です。
徳島聖書キリスト集会から、献金もしてくださって、誠にありがとうございます。
徳島聖書キリスト集会の上に多くの祝福がありますようにと祈っています。
最近印象に残っている御言葉は、
「あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。」(詩篇八十一・10)新改訳
「口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。」(新共同訳)どっちもいいです。
このように仕事も恵まれ、神様は豊かに恵みをくださっている。
これからもますます神様に期待しつつ、ゆだねたいと思います。感謝。
(自己紹介)
所属教会:東京バイブルチャーチ
*その教会はろう者がいないため、神様が遣わしてくださっている。
その教会で最近友達一人救われました。
これからもこの教会を通して、救われる者がたくさん起こされることと期待しま
す。お祈りをお願いします。(編者注・Kさんは聴覚障害者です。)
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最後の本 H.T
最近読んだ新書のなかに、こんな一文があった。
「日本には聖書のような唯一絶対の本、すなわちthe Book of the Books がないから、たくさんの本を読む必要があった、という話が出てきた。これは、面白い観点だ。唯一絶対の価値を持つ本があれば、場合によってはその本一冊を読めばよいことになる。しかし、そういったthe Bookと言われる特別な本がないとするならば、できるだけ多くの本、つまりBooksから、価値観や倫理観を吸収する必要がある。はっきりした宗教を共有している状況ならば、国民の基礎的な倫理観はそこで養成される。毎週教会に行って説教を聞くことによって、基本的な倫理観が培われる。」と、いったものでした。
この一文は、現在、私の立っている場所から吟味すると、余りにも私の読書経験と符合しており、あらためて、これまでの足取りを振り返えさせてくれるものがあります。果たせるかな、これまで私と深く関わってきた何冊かのなかから、かけがえのない特別な一冊と言えるthe Book なるものを自分自身に突き付ける勇気はありませんでした。
七十年もの長い時間のなかで何を読んできたのか、と自問を繰り返すばかりです。現在の私を形成させてきたと思われる価値観や倫理観や思想なるものの「原石」は、これだ!と明示できなかったことになります。私の身体からそれらを、玉ねぎの皮を一枚一枚剥ぐように剥いでいって最後に突き当たる「原石」すなわち the Book なるものは無かったのです。はなはだ心もとなくなります。ただ、そこには雑多な知識の断片が無秩序にうず高く積み上げられた寒々とした風景とともに、the Book に出会えなかったことへのかなしみ感のようなものが残ります。
しかしながら、ひるがえって考えてみると、前掲の一文が指摘するように私の読書経験も大方の日本人がたどるパタ―ンのなかにあるのではないか。つまり読書以前の問題として「何をよりどころにして何のために」の視点を抜かせて、広くより多くの本から知識を得ることが善とされる価値観に支えらた社会システムのなかで培われたものではないのか。
残念ながら、今日のような激しく変貌する情報社会のなかでの知識は、時代の推移にさらされ風化磨耗される消耗品的な側面があるため、絶えず補充しなければならない宿命にあり、まさに情報社会の落とし穴のなかで右往左往を繰り返すことになります。現代人はこのことからは逃れない、とするならばどうすれば善いのか。解答は明快である。前掲の一文が指摘しているように是が非でもthe bookを見つけ出し、これに軸足を置いた生き方をするならば、現代人の宿命とも言える知識の問題からは解放され真に必要な知が見えてくるはずです。問題はこれからです。たとえthe Book なるものに出会えたとしても、その内奥に迫るには、それに相応しい知と伝道の案内人にも出会う必要があります。つまり「何をよりどころにして何のために」読むのか、ということです。幸いにも私の場合は聖書と案内人の両者に出会えました。
アク―オ―の会でのT.Yさんの知と教義による聖書勉強会も四年余りが過ぎました。スタ―トは当然ながら、これまでの人間関係や読書経験などにより収得してきた方法をフルに活用しながら向き合うことになりますが、時間の経過のなかで、これまでの方法では捉え切れない聖句が随所に表れてきます。 たとえば「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」もそのひとつです。これらの聖句に内包されている数々のビジョンを教義のなかで教わり、そのひと言ひと言が突き刺さるような、時にはズシリとした重量感でせまって来るものがあります。それは気の遠くなるような時間に耐えぬかれ鍛えぬかれ、人知を超えた膨大なエネルギ―の濃縮体であるため、いよいよ安易な態度では受けつけてくれないことを悟らせてくれます。
ちょうど「山上の説教」あたりから矢つぎはや出でくる「垂訓」から説き諭される、一見、非論理に見える弱者が強者を越える物語に、一瞬、血の逆流に似た倒錯感に遭うなかで、もしかしたら、これまでに収得した認識の方法なるものが変容の過程に入っているのではなかろうか、と感じはじめました。これは今まで見えなかった物事の本質に迫れる、もうひとつの方法なるものが生じ始めたのではなかろうか、というものでした。つまりこれまでは神不在で、人間と人間との水平的な関係のなかでの諸体験などから収得した認識の方法から、神と人間との緊張した垂直の関係のなかで新たに形成されつつある認識の方法への発展途上にある私の発見ということではないのか、ということです。
このことは、残された時間のなかで、私の在り様の如何では、私のthe Bookに成り得る最後のチャンスが与えられている、ということではないのか。
少しシャレッポク言わしていただくと、丹精こめれば遅咲きのバラを咲かせることができるかも知れないと。
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以上、野の花(文集)第一ページ終わり。
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