詩文集 第16集2014年 「白い翼」 今日はです。 |
「わたしの恵みはあなたに十分である。 力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」 第二コリント十二章九節 |
白い翼
元気がない日だってよくある 逃げ出したいと思うこともある
けれどまた 街路樹のケヤキが風に揺れるとき 畑のトマトが赤く輝くとき 蝶が部屋に舞い込むように 「元気になりました」と一枚の葉書が届くとき そんな 感謝と平和に満たされる日もある
すべては大きな手のひらに包まれて 白い翼に乗って はこばれている わたしたち
青空と白い雲 どこまでも広がる空 地の上では 悲しみや苦しみが渦巻いているけれど 天上の平和 青空と白い雲 神様の真実は変わらない
神の愛が静かに流れてくる夜 田植えの終った水田から カエルたち 力の限りに神をたたえる 眠れない夜が続き 問題は 何一つとして変わってはいないのに ただ キリストに包まれて わたしは 安らぎ憩う
一日の仕事が終り やれやれ、と座るとき そこは大きな手のひらの中 この御手の中で 今日も一日守られてきた あたたかい 大きな手のひら
寒い冬 でも、帰る家がある イエス様はいつでもあたたかくして わたしたちを待っていてくださる さびしい日 でも、笑顔がある イエス様はいつでも 静かな笑顔でわたしたちを待っていてくださる
「わたしの恵みはあなたに十分である。 力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント十二・9)
今、この御言葉はあまりにも遠い どこに力があるのかと思う 苦しいと思うこのときに しかし それでも今、生かされている 苦しみの中で生かされ 苦しみの中で守られている そして 主イエスは 目には見えないけれど 両手いっぱいのめぐみをかかえてわたしのそばに立ち この御言葉を成し遂げようとしてくださっている わたしがすべきことは 主イエスの真実を ただ信じること
出勤の 車を降りると 雨が降ってきた 病院玄関まで急いで走る ふとみると 足もとに ダンゴムシが 一生懸命足を動かしている 一緒だね 急いでいるんだね
苦しんで はじめてわかる 人の痛み 苦しんで はじめてわかる 叫んで はじめてわかる この夕暮れの空の向こう わたしを支えてくださる方 叫んで はじめてわかる
夜勤続きで 疲れたなあ そして今日もまた夜勤 ぼんやりと 台所に立って 料理をする 鍋から湯気がでて カタカタと蓋が歌う 沸騰したお湯がブクブク 賛美のダンスを踊っている うれしいなあ どんなときでも 主は共にいてくださる
吉野川の水面は 水晶のように広がり 輝き 天の宮殿の廊下となる 吸い込まれるように わたしの心は 歩き始め キリストに会いにいく
急いでいるのに渋滞 それもみこころ 祈りなさいと
落ち着きたいのに喧騒 それもみこころ 静まりなさいと
帰りたいのに残業 それもみこころ 耐えなさいと
みこころは時としてうれしくない だからこそ いのりなさいと
痛そうな足を引きずって歩いていた義母が 自分の洗い物をしようとしたら、すぐにわたしが 「わたししときます」と洗ってしまっていた 「ありがとう。でも、これくらいのこと、しないと…」 義母は言っていた わたしはいい嫁でいたかったのだ 義母の仕事をとりあげていたのかもしれない 突然、消えたように召されていった義母 今天国でどう思っているだろう 嫁と姑という関係の中で親しい思いも、苦手な思いもあった 十字架の前で願います おかあさんわたしを赦してください そしてあなたの嫁でいさせてくれて ありがとうおかあさん 「まだ起きとるんで。はよう寝んと」 おかあさん、もう寝ます。
いつものように目が覚める しまった、きょうも少し寝過ぎたと起きる この何気ない日常が どれほど大切なことであったか それはお金で買えない 天からの恵みの宝であったのだと 義母は 突然の死によって 教えてくれた
義母が召されて五日目 今朝も 階段を下りるとその前の 義母の部屋に 義母がいない
国道192号線 中央分離帯に植えられた ツツジ 五月になると 美しく咲く
行き急ぎ 生き急ぎ 走り抜けて行く車たち 道を飾り 神様の愛はあるのだと 対向する車に向って歌う
中央分離帯 美しいツツジの歌
病院の玄関ホールに 七夕の大きな笹がおかれた 笹の葉が見えないほど たくさんの短冊がつられている 「息子が良くなりますように」 「お母さんが元気になりますように」 「早く家に帰りたい」 「手術がうまくいきますように」 どの一枚も切実な願い 病との戦いの中で 本当の神様を知らなくても この短冊は祈りと願い 主イエスよ どうか、この笹を あなたが天に運んでください
夜中の0時前 病院という大きな建物の中に 次々と眠そうな看護師たちが吸い込まれ 深夜勤務に向う 夜中の1時を過ぎると 同じ建物から次々と 準夜勤務を終えた看護師たちが 疲れた顔で出て行く その間にも 救急車が出入りする日 24時間の安全を守るために 看護師たちは生体リズムを崩しながら それでも笑って 緊張を引き継ぎながら働いている
気むずかしい患者さんの爪切をした パチン パチンと爪を切った 一本ずつ指を差し出す 一本ずつわたしは手に取る 無言の会話 けれど何かが通い合う ヤスリをかけて爪切りを仕上げる 「できました」 患者さん じっと爪を見つめて ぽつり 「ありがとう」 そしてもう一度 「ありがとう」 …こちらこそ…
祈るとき 心に流れ込んでくるもの 扉が開いて 流れ込んでくるもの 生きている 確かな存在が わたしの心に流れ込み
倒れた心は生き返る
虫になったことはないけれど 脱皮するってこんな気持ちかな 自分の力ではどうすることもできず 苦しいできごとに すっかり心を占められて どうしようもなかった けれど 夕拝のメッセージ そのひと言で 解き放たれ 自由になって飛ぶことができた ふしぎな 神の言葉の力で 飛べた
緊張が取れなくて 眠れない日が続く 苦しい いつもぐっすりと眠れたら もっと元気に働けるのに ただ ここからキリストを仰ぐ 殺されたキリストの苦しみを思う 苦しいことの中に 恵があるのだ 主からいただいた 弱さと痛みを抱きしめる
やすらかに出て行きなさい 安心して わたしはすでに世に勝っているのだと
朝の祈り 静かな優しい 主の御声に はい と返事をして 祈りの席を立つ
もう逃げ出したいと思う けれど逃げてはいけない 負いきれないと思うその重荷の中に 主の愛がある それだけを見つめて逃げてはいけない 逃げるほど紛らわせるほどに 重荷は大きくなる 気分転換なんてない つかの間目を閉じても意味はない だから自分の罪をしっかりと見据えよう 時間は戻らないのだから振り返っても仕方がない 今ここからどうするか 主にすがりながら 真実に ただ真実に
眠れなくて 苦しくて 弱さを抱えて横たわる夜 地の底に沈んだような心 しかし 主はすべてを知ってくださっている そこから 新しい芽を 芽生えさせてくださる そのために 根を張っているときなのだ 今は
大空の雲を動かす その御手が 木の芽から大木を育てる その御手が わたしの人生を突き動かしてくださる だから あなたを待ち望む
裏のおじさんが木の剪定をしている音 車が遠くを走る音 カエルの声と鳥のさえずり 畑をちいさな蝶が舞う ナメクジが這っている
何気ない日常が キリストによって 静かに支えられている
準夜勤務に出る前の夕方 体がだるい 窓の外を見て主に祈る
二階の窓から見える空 とつぜんひとつの 青い風船 ふわり舞い上がり 風に吹かれて 東の空に飛んでいった
こんなすてきな 主の励まし さあ 元気出していこう!
真夜中に病気になっても きちんと治療が受けられる 真夜中に苦しくなっても コールをすれば来てくれる
そのために 今夜も眠さとか 疲労とか 残した家族への思いとか そんな荷物を負いながら 白い病院の建物の中に 次々と吸い込まれていく 夜勤看護師
ほんとうはゆっくりと あなたの涙を受け止めて 話が聞けたらと思うのだけれど こんなに繰り返すナースコールの中 心電図モニターのアラームさえ鳴り響く夜 ごめんね 話も聞けず 大丈夫だかからねと 通り過ぎるわたし 痛みを抱えた魂の前を 夜は長い 少しでも 眠れたらいいね
病院での仕事が終り 車に乗る 目の前に 真っ赤なサザンカ 今 キリストの血潮が 病院全体に注がれて 苦しい患者さんたちの上に あなたの癒しが与えられますように 目の前に 真っ赤なサザンカ
車から降りると 目の前の眉山の緑が 美しすぎて 仕事 遅れそうになった朝
歩道を家族連れが歩き その横をタクシーが通り過ぎる ありふれた日常 光と緑ときれいな水 大きな力に昼も夜も守られながら 気づかずに当たり前のような顔をして生きている 命は与えられたもの 無償で与えられている神の愛を知らないで生きている わたしもそうだった
主よこの国を赦し お救いください
母親のあとを追って走る子供 自転車の高校生 主よ この国をお救いください
水田のカエルたちが いっせいに鳴く
静まれと鳴く 恐れるなと鳴く
神様が わたしにせまる
愛したいのに愛せない 祈りたいのに祈れない わたしの願いと逆に走る 感情という馬 わたしを乗せてどこに行こうというのか せめて 悪い言葉を言わないように 厳しい視線を投げないように 静まれ 静まれ 黒い馬 足を止めて振り向け そこに 清らかな流れの川 冷たい水を飲んで 主の平安を取り戻せ
すべてのことに意味がある 神様はむだなことを起こされない だから この悲しい事実を わたしは今から負っていこう 小さくなって 弱くなって 痛みながら 哀しみを生きていこう
主は 意味のない苦しみを与えられないと 眠れない夜の底で 主を待ち望む 主よ あなたは救い主 どんなときでも共にいてくださる神 まどろむことなく わたしを守ってくださる 眠れなくてつらい夜の底 沈んでいるけれど それでも 主は共にいてくださる 窓の外 冬の夜風が吹きぬける
電車に乗ってアシュラムに向う 電車の窓から雲が見える 電車の窓から雲が追いかけてくる そうか 一緒にアシュラムに 神様のことば聴きに行くんだね
*アシュラム(クリスチャン・アシュラム)はアメリカメソジスト教会の宣教師であった、E、スタンレー・ジョーンズ博士によって始められたキリスト教超教派の集会です。インドをはじめ世界中に広がり、日本にも1955年に紹介されて以来、榎本保郎牧師らによって広められました。現在も「ちいろばアシュラム」として続けられている、聖書に聴き共に祈る霊性運動です。
アシュラムの終りは 出発の日 何度でも 何度でも 新たにされて また出発だ
アシュラムの終りは 聖霊による出発の日
ただ 神がわたしを呼ばれたから その声を信じて アシュラムに行く
バスの道のりは黙想の時 この世から離れて与えられた 静かなひととき 主を思い 主と過ごすとき バスは白い御翼になる
神がわたしを呼ばれた その声を信じて アシュラムに行く
あたりまえではない 眠るということ 眠られなくなってつくづく思う あたりまえではない 朝、起きること
眠りも 目覚めも 生きる力も 主が与えてくださらなければ 何もできない
与えられて はじめて人は生きている
眠れなくて動悸がして 何かが押し寄せてくるような苦しい夜 「御言葉に立っていないからだ」 「主にすがっていないからだ」 「真剣に求めたら与えられるのに」 心の中に 裁きの声が聞こえてくる
弱さの中で降りていく 弱さをじっとかみしめる 心病む人たちと心を並べて わたしはここから祈る そのために この苦しみも 与えられているのかもしれない
ひとつひとつの出会いには すべて 神様の順番があり 狂いがない
春には蕗の薹がめばえ さなぎが蝶になるように
朝露が地に落ちて それからまた空にあがるように
すべてに神の順番があり 出会いを重ねて 導かれて行く
主イエスが天にいてくださるから わたしは天を見上げて 大きく手を振る 主イエスが内にいてくださるから わたしはこころを抱きしめる 主イエスが共にいてくださるから わたしはきょうも語りかける
小さな詩集が十六集めになりました。 主イエスの憐れみを感謝します。 手にしてくださった皆さまに 神様の祝福がありますように。 |