星になって
いつだったか
旅の途中でふとふりかえった
あのひかり
子供たちが列をつくって
さざめきながら行くのとすれちがう
まだ幼い子らのよろこび かなしみ
だがそのとき
わたしは見たようにおもう
海より広い空のむこうから
子供たちのうえにひとつのまなざしが
注がれているのを
無防備なおさなごを守る手を
時の把手を開けて星の子たちは帰る
おおきな手がさし招く方へ
連れ去られた星の子たちは帰らない門へ
あらたな光りとなって昇ろうとして
それを 一人ひとり抱きとめる大きな手
幸いな国へ 星になって
二度と奪われない幸いの国へ
思慮深い いつくしみの み手のなかに
(3・11の空と海に)
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傷
神さまが
こころのどこかに
傷をおつけになった
み言葉は
そこから染み入ってくる
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夜降る雪は
夜降る雪は
くらい道をすこし明るくする
この道を
行かねばならぬ人のために
虫食い場
朝空に
楓の葉がいちまい揺れている
そうだまるごと
さし出せばいいあのように
こころのなかの虫食いも
言うに言われぬつぶやきも
すべてを信じて主にさし出せば
ほら 今日を耀く群青の空
まんまるい虫食い葉のむこう
やさしい主の目が
見つめていてくれます
風のつばさ
色づきはじめたポプラや
トウモロコシ畑をさやさやと
わたっていく風
わたしのなかにも
かすかな痛みをのせて
吹き抜ける風のつばさ
光の故郷はどこ
そこがわたしの帰るところ
はるかな思いを運ぶ風
風はひとり 銀の琴かなでながら
銀の道を渡っていく
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ことば
こころ貧しき者は幸い
主にあって悲しむ者も幸い
主にあって耐え忍ぶ者も幸い
ののしられ、身に覚えのないことで
悪口を浴びせられるときも
よろこび躍れ 幸いである…と※
それは
人の言葉ではなかった
人がそれまで知らなかった
深い英知と深い心とが
本当の幸いを明かした
心が粉々に砕け散ったとき
悲しみでいっぱいになるとき
ひとり黙って耐えるとき
そのときこそ幸いなのだと
何故ならその時
主が み顔の光を向けてくださるから
その時こそ 主の業があなたに現れ
あなたを 神の真珠に変えてくださるから と
虹
ある あたたかい朝
わたしはひとりで歩いていた
枯れ葉の道を
聖書の言葉を思いながら
ふと目を上げると
林の方に虹が立っていた
大きなシラカシの木を左に曲がると
もう片方の虹の柱が見えた
どこかから
見知らぬ人が近づいて来てほほえんだ
たったいま 虹の橋から下りて来たように
ああ ここはどこ?
絹の雨にぬれながら
銀のしずくが魂を濡らすのを覚えた
それにしてもあの人はどこへ行ったでしょう
(ここはヤコブの泉のほとり?)
空の高みで虹が
見とれるほど美しいアーチを結んでいた
うめき
ウー アイ
あなたがたは白く塗った墓に似ている と
うめかれたのだ
人の心の奥の奥を見て
なげき悲しまれたのだ
ウー アイと
そのことのためにその愛のお方は
死ぬほどの血を流されたのだ
※ 白く塗った墓(マタイ23:27)
よいいちじく
神の庭のいちじくは
いっぱい いっぱい花をつける
ちいさな ちいさな花だけど
人には見えない 内がわに
神様に たべてもらえるように
※エレミヤ24章から
主は
主は夜空に
無数の星と竪琴の音と
星の言葉を撒かれた
夜空がくらく寂しくならないように
花のように散らされた
主は人の魂の奥にもひとつ
ちいさな星を隠された
清い光 消えない希望とよろこびの
その宝石が掘り出され
洗い出されるのを待っている
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祈りおれば
今日もしずかに祈り居れば
かすかにも動き行く
ことが成り行く
今更ながら
ひそかにおどろく
かすかに梅の花の香りして
黙する天地の
その静けさにおどろく
青い星
ー主は言われた
わたしは既に世に勝っている
だれも
その前には口をつぐむ
わたしの内に わたしの外に
原初のひかりのように
日常を切り裂くことばがある
そこに輝く青い星
何かに追い詰められて
ーわたしの霊はもう死ぬかも知れない と思ったときも
ふと胸に落ちる青い星
今日いちにち食べるだけの食料をカラスが運び
壷の底の粉は尽きることがない
と
その言葉は告げる
みことばだけがわたしの食糧
※列王記(上)17章から
足あと
人は
その荷が
重ければ重いほど
沈黙が深ければ深いほど
足を踏みしめて歩く
一歩一歩を
主と共に
歩く
わたしは思う
わが罪も
あざけりも 辱しめも
ゆえ知れぬ さげすみさえも
代わって受けてくださった
あのかたのことを
足あとは残る
黙って祈る日の数だけ
心臓の鼓動や天地のあけ暮れ
朝焼けの潮や夕陽の金
祈りの苦渋や深さまで
そのかたの胸ふかくに
刻まれる
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金星
おどろくべき主のみ業
あなたに向かって
引き絞られる
こころ
とらえてください
わが魂を
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声を聴く
その声は
聴こえてきた
旅の途上にある日
思わぬ方角から
わたしは思い出した
とおい日の哀しみ
わたしのためにあなたが
黙って血を流されるのを見るように思われたその時から
なぜだろうか 風吹くたびに
どこかから聞こえる嘆きの笛の音
だが今日
予想もしなかった方角から
その声は歌うように
やわらかな光と共にわたしに来た
ー家が建てられたことのない花咲く野原に行き
野の花だけを食べなさい
そうすればわたしは来て、あなたとともに語ろう ※
そう このことを忘れまい
野の風と光がわたしに語った言葉
ただひとつのことを希い
野の花だけを食べ
肉も食べず旅を続け
葡萄酒も飲まずにただ野の花だけを
そしてひたすら
ひとり語りする言葉
どうか主の霊によって
霊の言葉が語れるように
主の愛によって
愛の言葉が語れるように
悪の霊もまた
自分の悪をひとり語りする
ひっそりと
スイレンの鉢に青いスイレン
咲いている
一輪だけ
ひっそりと
小鳥が水を飲みに来る
時にトンボが来てとまる
風が風の道をゆく
ひっそりと
人も
ときにはひっそりと
いるのがいい
語らうお方がともに
居てくださいます
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風の手
ひとは
二つの目の間に何を見るだろうか
二重のものを見てはいないだろうか
大空に光る風の手を見はしないだろうか
いのりのかたちに合わされた手であろうか
それはどこに向かって祈られているだろうか
ひとが赦してくださいと頭を垂れることがあれば
ー赦してください
かれらは何をしているか自分でわからないのです※
いつかわたしも知らない処で祈られはしなかったか
夕ぐれの小道でひざまずき祈るひとがいても
人はただ見下して通り過ぎるだけだろうか
共にひざまずくひとはいないだろうか
ひとり立つ日没の十字路で
ひとは二つの目の間に
何を見るだろうか
※ルカ24章34
夜明けの星
清らかな泉のような
朝ごとに見つめるひとつ星
みつめられている ただ一つの目に
みつめている ただ一つの目を
そんな日々が続くように
クロッカス
棄てられたら
棄てられた処で
咲いている
黄金にかがやき
日を浴びて
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予感
切ったら血の出るような詩を書け
と
むかし言われたことがあった
だが聖書と十字架と
イエス・キリストを知ってわかった
詩を書かなくとも どこにでも
切ったら血の出るような日常が
つねに鼓動しながらあるのだと
ちょうどよい
主に伴われ 野を行けば
匂いたつ緑 スミレ揺らす風
風は思いのままに吹く
ちょうどよい時に
ちょうどよいものを見せてくださる
ちょうどよい時に
ちょうどよいものを与えてくださる
主に伴われ 知らぬ谷行けば
風は何処から来て何処へ行く
ちょうどよい時に ちょうどよいところへ
主が共に在せばどこへでも行ける
すべてちょうどよい
いつもちょうどよい
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ただひとつのことを
それは青く閃く
痛むほどに青く
その前には誰も口をつぐむ
ーだれかに会っても挨拶してはならない
だれかが挨拶しても答えてはならない※
ただひとつのことを求め
ただひとつのことばを
こころに秘して行くときは
※そこでエリシャはゲハジに命じた。
「腰に帯を締め、わたしの杖を手に持って
行きなさい。
だれかに会っても挨拶してはならない。
また、だれかが挨拶しても答えてはならない」
列王記(下)4
この世の門が
この世の門がひとつ閉じられたらば
天上の門がひとつ開かれる
こころ貧しくされ
余計なものを棄て切ったら
魂のうちを神さまが
天の宝で満たしてくださる
自分では閉じられないこの世の門を
神様がしずかにきっぱり閉じてくださる
愛するわが子が二度と迷いださぬように
死んでも生きる
若い日に読んだリルケの詩
ーわたしたちは 夜ごとに死を真似る
死という深淵 なんという暗黒
人はひたすら絶望に向かって歩くだけなのか
歳月を経て
白髪になるときに至り
聖書を読み
うるわしい花の季節を知り
よみがえりの季節を知った
われらことごとく眠るにはあらず
死にし人 よみがえりてくちず
死と詩が一体だった 荒野だった
だが若い日のさすらいの季節も無駄ではなかった
イエスの死がわたしを
リルケの詩からそっと解き放し
死と詩の囚われから自由にしてくださった
眠りは 目ざめのために
囚われは 解放のために
苦しみは よろこびの道に至るため…
であると
この人生さいごの解答の なんという
驚きに満ちて
※
見よ、われ汝らに奥義を告げん、
我らはことごとく眠るにはあらず。
死人は朽ちぬ者によみがえり(一コリント15:51~52)
わたしを信じる者は、死んでも生きる(ヨハネ11:25)
・ リルケ オーストリア生れの詩人
約束
野を行く
山を行く
空を行く
それらが同じ歌
こころに合わせて歌うから
それらが同じ足音
こころにあわせて響かせるから
梢の先には喜びさえずるみどりの風
風の先にはすきとおりながら舞いおどる光
光の先には
両腕を広げて待つものがある
約束どおりに
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日々
日々を生きる
何によって生きる
愛によって生きる
神の愛によって生きる
(真理は死なない
求めるものを 死なせもしない)
それがわたしの今日の食べ物
それがわたしの今日の呼吸
それがわたしの今日のよろこび
真のなぐさめ
ー君に
多くの人は言い捨てていく
こころない言葉や
憎しみの言葉
その時その時の人間の感情を
汚れた紙くずのように
だが何を言われても
君が汚されるわけではない
君の命が削られるわけでもない
君の澄んだまなざしが曇らされるわけでもない
主が君の痛みをともに痛んでくださる
君の悲しみをともに悲しんでくださる
あざけりも 辱しめも 代わって受けてくださる
主の憐れみは変らない
主の慈しみも変わらない
主は与える
苦しみの中に隠されてあるほんもののいのちを
そして わかるようにしてくださる
永遠に変わらない愛を
傷ついた心に真のなぐさめ
傷ついた心に真のなぐさめ
それ以外に
それ以外に
何を望むことがあるだろう
主に導かれて
主と共に生きること
それ以外に
どんな幸いがあるだろう
主がほほえんで
わが子よ と語りかけてくださること以外に
石だたみ
古代の聖堂の
石畳の上にいちめんに
天から撒き散らされたような光
希望のかけらを鳩がついばむ
そこにも
時がすばやく流れていきます
明日がすぐ昨日になり
若者の陰がすぐ老人の陰に重なり
だが
消えても消えないものがある
去って去らないものがある
永遠から永遠に突き抜けるものが
鐘が響き
心の深みにこだまする
青空よ もっと清い光を投げかけて
心の闇を焼き尽くして
うつ向きかげんに足早に
石畳を踏んで行く僧衣の人のように
わたしも何かに導かれながら
この一瞬をわたる
サボテンの花
主よ
サボテンの花が咲きました
その花の黄の鏡に
過ぎた日のかなしみが
しずかに微笑んでいます
時が過ぎ
頭髪にも白く霜が降り積もったけれど
わたしはまだまだ驚いています
数々の
あなたのみ業の奇しきを
地上の旅
お連れください
朝にかがやくひとつ星
天の泉から
あふれ満ちるひかり
地上は 惨めさや悲しみ
怒りや、嘘、いつわりに覆われていて
なぜか真理を 世は憎む
けれど
清い光を飲んだらば
きのうの悲しみ金となり
ゆうべの涙も銀となる
お連れください主よ
今日はどこまで行きましょう
深い淵こえるときも
あなたが手をとってくださいます
地上の旅 終わるまで
魂の鏡
ーそうであったのか と、思うときがある
暗い夜空に
流星がすっと尾を引いて消えるとき
見えなかったものが
魂の鏡に
ふと映ったように思えるとき
み言葉が一枚 ヴェールをはがすとき
星々もいっしゅん瞬きを止める
生の秘密
主よあなたこそ
わたしのはげまし
わたしを生かし
朝ごとにいのちの息吹を吹き込みます
ひぐらしが朝から鳴く
時がちぢんでいく
この世の時があとすこし
人生が長いか短いか
だがそれはよろこびに似ている
地に注ぎ 山にも注ぎ
よろこびそそぎ くるしみそそぎ
かなしみそそぎ 清らかな流れそそぎ
年ごとにひとの額にきざまれる濃い陰影
移り変わる時のはざまで主は
深い生の秘密を打ち明けられる
苦くて甘美なこの世
だが 秘めておけ魂の内に
今日のよろこびがよろこびとされるように
悲しみもよろこびとされるように
くるしみもよろこびとされるように
み名が聖とされるように
よろこびがその泉からのみ溢れ出るように
この魂を かたくとらえてくださるように
未来へ
ー瞳のひかり
夜明けの星はどんな色
夕べの星はどんな色
金でもない銀でもない
毎夜見てもわからない
毎朝見ても答えられない
それはきっとわからない
神様の色だから
いのちの色だから
神様の瞳の奥から射してくる光だから
希望という 何億光年の旅だから
わたしたちも
その光に照らされると
五月の白ゆりのように輝くのだから
秋の庭の木もれ陽のように
やさしくなれるのだから
天から滴るしずくのように
清く燃えるのだから
あれは時の羽根がはばたく音だね
わたしたちは時の旅人だね
いのちのよろこびの知らせ響いているね
鳴り止まない鈴の音が未来へ誘い
わたしたちを宇宙の風に変えてくれるね
かがやく瞳の光うけて明日へ翔ぶんだ
朝に来る鳥
朝にくる鳥よ
この初春の梢を翔ぶ
見知らぬ国の生きものよ
見知らぬ 時の使者よ
わたしは時おり見る
見知らぬ自分を
自分のものでない自分を
はじめから自分ではない者を
わたしはどこから来た?
朝にくる鳥よ
あなたは どこへ行く?
朝にくるひかりの鳥よ
あなたは青く遥かな高み
来つ
行きつ
みどりの野を翔び
あなたは
透き通る永遠の樹の枝の先に止り
何かを理解し 覚え
愛する者の魂を
光よりすばやく 天に導く
あとがき
たどたどしい信仰の旅の折々に、聖書の言葉が、直接、間接に語りかけてくれる。それは何かの示しや、導きや、助け、励ましのことばでした。
また、時には風の音や星の光が、かすかな歌として響いていて、思わず聴き耳をたてる。ある時は、行く手をはばむ茨や、うつそうとした木立のなかにも、主が歩かれたことを偲ばされるような細い道がみつかり、また先の見えない闇の中にも、かすかに細い光が射し込み、何とか先へ歩けるようにしてくださったことの不思議を思います。ちいさなメモ用紙の走り書きの中から拾いました。
「星になって」と「未来へ ー瞳の光-」の詩は、あの3・11の空と海への祈りとなりました。
混乱や、困難、また苦難、絶望と言えるようなことの中にも、主がおられ、聖書の言葉がどこまでも深く食い入り、真理を明かしてくださっていると、信仰を通して知らされ、あらたな視点が与えられることにも気づかされます。
どうか神様のご支配が、多くの方の魂の内に宿ってくださいますように。
伊丹悦子
略歴
徳島県生まれ
1983年詩集「だまし絵」
1989年詩集「虚空のとけい」
1995年詩集 「オドラデク」
2000年 聖書に導かれ、神を知る
2003年詩画集「いつかの空」
2005年詩画集「朝のいのり」
2008年 詩画集 「泉にゆく道」
詩集 星になって
2012年6月 10日発行
著者 伊丹悦子
発行 徳島聖書キリスト集会
〒773-0015徳島県小松島市中田町字西山91の14
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