2002年1月号(最新版) |
まえがき H.N 誰でもキリストの内にあるなら その人は新しくつくられたもの すべては過ぎ去りすべてが新しい 主の内にあるならすべてが新しい (プレイズ&ワーシップ) 新しい年が始まり、1ヶ月が経とうとしていますが、日々の内容はどこを見ても新しいとは感じられず、昔あったことは今もやはり繰り返されているようです。同じ1日は二度とないのも事実ですが、同じ事の繰り返しが毎日であるというのも事実です。 主が心に来てくださり、私たちの思いを日々清め、新しくしてくださるのでなければ、倦怠感が生まれるでしょう。 毎日、毎日意識を新しく持つという事は、自然に逆流しているようで、力のいる作業ですが、神様が良くしてくださっており、いつも揺り動かされるような出来事に囲まれています。ほんのちょっとした事で、暗くなったりおびえたり・・・主を呼ばなければならない弱さを抱えています。 だから感謝なのです。問題がある限り主を忘れるということはありません。 弱さの中に主が働いてくださいます。人間的な思いでは、今年こそ平安に満たされて豊かに進ませてもらおうと願うのですが、きっとそうなれば主から遠い存在になっていると思います。弱さよ万歳です。 こんな私が編集した「ともしび」をお届けします。書いてくださった方、読んでくださる方に主の祝福が豊かにありますように。 シヤロ-ム。 |
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世も世にあるものも、愛してはいけません。 |
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うんざりするな 流されるな 嫌になるな 目をそらすな。 ここがお前のおかれたところ 神が選んだお前の置き場所。 青い地球を見渡して 神はお前をここに置かれた。 不平を言うな 疑うな 恐れることなく この場で立てよ。 青い地球を見つめる方が お前を離れず導き続ける。 2002年も主が私たち一人一人を導いてくださいます。 今年も主にある希望をもって 何があっても主にすがって進んでいきましょう。 栄光、主にあれ!
編集者の中川さんから「今の信仰といつつながったのか、そのことを書いて」と言われて、これまでの神様との関わりを思い出しています。 ある日、体の弱い女の人が泣いていました。もう日暮れ近いのに、どうしてもカゴいっぱいにならないのです。「どうしよう。ムチでたたかれると死んでしまうかもしれない・・・」トムは「心配しなくてもいいだよ。オラのを分けるだ。オラは体が丈夫だし、今からでも間に合うから。(こんな言葉使いはいけないのかもしれませんが 、その時の訳はこんな感じでした。)」と女の人のかごをいっぱいにしてあげるのです。 どうしてか、ここのところだけはずっと、大人になるまで覚えていました。こんな親切ができる人がこの世にいる、ということが、頭と心に焼き付いていたのでしょう。 でも、いつもいつも思い出していたわけではありません。この話のこと自体、長い間忘れてしまっていました。それが集会に参加するようになり、去年でしたか「はこ舟」にアンクル・トムのことが書かれてあるのを読んでいてアッと思いました。その時、まっすぐにつながったのです!そのに出てきた不思議な方、その時はよく分かっていなかったその方が、神様だったんだって。 子どもこころにもその方は、特別の・・・言葉では言い表せませんが・・・強い印象でした。(この方がいなければ、たぶん世界はメチャメチャ 、と奴隷であったトムがしいたげられ、つらくて死にそうになった時には必ず「恐れるな、トムよ」と力づけてくれるのです。神様のこの力づけがなければ、当時のこのトムのような奴隷の立場の人が、どうして救われたでしょう。トムは固く神様を信じていたのですね。だからこそ、どんな時でも自分のことを忘れてあんな親切ができたんでしょう。 今になって、五十年も昔に(私のトシがばれるナ)読んでもらった本につながったってことが何だか不思議でした。 集会の大きな行事、イースターやクリスマス、また四国集会などで、主からのお導きや受けた恵みなどを感話という形で、短く証しする時間が設けられています。どうしてもできない方はパスしても良いのですが、名簿の、あいうえお順に大体皆さまに当たります。今年のクリスマスにも以下の方々がお話くださいました。(編集者) E.Y 私はまだ声がこんなふうなので、一言お礼の言葉を申しあげます。7月から9月にかけて2ヶ月あまり入院していましたが、主にある兄弟姉妹の方々からの真剣な祈りと主の憐れみによってこのように元気になりました。ありがとうございました。病を得るという言葉がありますが、病気になったことで後悔とか嫌だということは一度もありませんでした。ただ放射線の治療だけは本当に苦しかったので、もし再発しても今度はしたくないという思いはありますが、これも、最高に耐えられないという痛みではない、と感じていました。きっと、皆さまが祈って下さっているので、そういう思いになれたのだと思っていました。本当にありがとうございました。 M.I 今年一年も、いのちのさと作業所の事で、皆さまのご支援とお祈りをいただき、お陰で、少しでもこの作業所が神様に喜んでいただけるような施設になってきているのではないかと感じています。私自身欠点も多く、自分勝手なところもあって、今まで神様と離れたり、またある時は神様の方を向いたり、右往左往したような時期もありました。集会員で運営委員になって下さっている方や、この集会員のお支えや祈りによって、ようやくここまで来たのだなあと思っています。いのちのさとでも、月2回の家庭集会と、移動夕拝を開いていますが、移動夕拝には多くの兄弟姉妹が集まってくださり、神様が共にいてくださる場所になってきているのだと思います。またそこで利用している方も、共に新しくいのちのさとの集会にも参加しており、常に神様と共に歩んでいける作業所でありたいと思っております。本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。 M.I いつも主人のいのちのさとの方を、集会の皆さまに支えていただいて本当に感謝です。ありがとうございます。 M.I 去年のクリスマスは、保育所で子供たちと一緒に手話で讃美しました。今年の1月は、腰をいためて入院して、2カ所骨がつぶれているということで、4月に退院しました。退院後も家で静養していましたが、いつ仕事に行けるのかなあと思っていました。そんな時ちょうど新しい職場が与えられました。私は毎年、年末「野の花」の提出時期になると、いろんな事があるなあと思っています。9月から、新しい職場で勤めていますが、3ヶ月後の12月に行われるクリスマスに向けてという話し合いがありました。クリスチャンであるという事を私も話しますし、私がクリスチャンだと知っている人もいて、クリスマス会の担当をしました。計画し会議もして必要なことを準備し、職員の協力でいろんな讃美をする事ができて良かったと思いましたが、その後、日曜日に私が出勤しないとか、いろんな事が聞こえてきました。目立ってもいけないし、傲慢になっていたのではないか、と反省しました。感謝です。 M.I 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として そこから入る者が多い。 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」 マタイによる福音書 7:13~14 S.I 私は今、清家医院という所に入院して1年6ヶ月になります。だいたい3ヶ月に1回ぐらいでカテーテル検査、その次の3ヶ月で手術、という繰り返しの1年6ヶ月でした。心筋梗塞になり7年くらいになりますから、いろんな経験があるのと、信仰によって主の平安に守られていつも手術を受けます。そうして手術に臨むと抵抗なく受けられるので、先生がやりやすいと言ってくださいます。難しい手術の時も新しい初めての先生が当てられます。普通ならドキドキしますが、神様の恵みの中、愛の中にいるのだという事を痛切に思います。平安な豊かな静かな心で、この先生は今こういうところで焦っておられるのだなあと余裕をもって見ることができます。私のような者がいないと、新しい先生は腕を磨くことができないのだから、病気も神様の栄光のために、こういうところで使ってくださっているのだと思う事ができます。今度の手術は難しいそうで血管の中に固い石のようなコレステロールが溜まっているのを、取り除く処置を受けます。術後はみんな死人のようになって帰ってくるのですが、いつも私は「ただいま」とニコニコ帰ってくるので、手術待ちの方から私のこのエネルギーをくださいと言われ、握手を求められます。88歳の方でどこも悪くないが、精神的なストレスの為に心臓の発作を起こす方があり、私が1年6ヶ月いる間にいろいろ話し、神様のお導きで元気になられた方がありました。今度もまたその方が清家病院に来ました。その方も、今は神様のみ手の中にいるという喜びを感じています。毎日私も共にうれしく過ごさせていただいています。ありがとうございました。 1月15日の火曜日の夕拝に、日本国際飢餓対策機構の総主事、神田英輔さんが来て下さいました。以前来て下さった時は丁度10年前で、あの感動したお話から、はや10年がたっているのだなあ、と思いました。あのようなお話ははじめて聞いたので驚きました。飢えで苦しんでいる人が世の中にはいるだろうけれどもアジアの圧倒的多数がまともに食事ができていないとは思ったこともありませんでした。日本にいては、毎日3度食事ができることは当たり前で、よりおいしいもの、より贅沢なものと食卓の中にもグルメ志向が幅をきかせる時代です。私の勤めているような施設では、栄養士さんが献立を考え、調理員が3度3度レストランのような食事を整えてくれますが、それでも文句を言って、残食はとても多く、平気で捨てています。みんな、飢えている人のことを知らないのでそれが申し訳ないことだと思う気持ちはありません。 私はあのお話を聞いた時から、どこかでいつも飢えている人のことがあり、食事を捨てるのは「もったいない」という意識が植わりました。時代なので、肉は毎日のように食べますが、それでも食べ物を捨てる時は「ごめんなさい」という気持ちがいつもあります。 そして10年後の今回お話を伺ったときは、世界には全員のお腹を満たすだけの食料が備わっている。では、なぜ飢えで亡くなる人がこんなに多いのだろう。世界人口60億人のうち、8億人が飢餓で苦しんでいる。世界の4分の3の人が、ほとんど毎晩お腹をすかせて床についている。満足に食事をしている人達は世界人口の4分の1だけなのだ。当たり前と思っていた事は全体から見ると決して当たり前ではなかったのだ。穀物を充分に作ってもそれを飼料として牛や豚などに与えるからだということでした。穀物全体の17%が人間の食料であとは家畜のエサなどにしているという驚くような事を聞くことができました。 安い牛肉でも牛肉1㎏に8㎏の穀物を与えており、高価な牛肉なら1㎏に20㎏の穀物がエサとして与えられているとのこと。このような流通機構によって人類の飢えの苦しみが生じているのだと認識できました。 みんなが肉食をやめて、与えられている穀物や野菜を感謝していただくならば世界から飢えはなくなる筈だと思いました。美食を求める、肉の欲を満たす罪の問題がこのような世界の悲惨な構図を作っていることを地球全体からの視点で見ることができました。 不況だと騒いでいるけれど、まだまだ日本は贅沢で余力は充分にあります。 自分の生活から見直さなければと思わされました。感話の時、ひとりの姉妹が「後ろめたい思いで肉を食べるより、今日から豆腐や納豆を食べます」というような事を宣言されましたが、私も同じ思いです。そして、自分の生活を囲うより、分かち合いの心を持たなければと思わされました。日本国際飢餓対策機構では、飢えた人に食料を提供することは大切だけれども、それだけでは根本的な解決にはならない。かえって、その人たちの自立心を損ない、意欲をなくしてしまう。本当に必要なのは、食物の飢えを防ぐと共に心の飢餓、魂の飢餓の為にイエス・キリストの愛、キリストそのものをお伝えすることだと話されていました。 それ故、援助は現地の人達と一緒になって、技術的な指導、井戸を掘ったり苗を植えたり育てたり、潅漑の水路を作って作物がとれる畑を作ったり、サツマイモや赤とうがらし、ナスやトマトを栽培して収穫できるようにしたり・・・という活動をしていました。そして、自立できるようになったら、そこから手を引いて現地の人に委ねるそうです。ビデオを見せていただきましたが、10年前は赤茶けて見るも無惨な裸山だったのが、今では緑におおわれ、豊かな森ができつつありました。現地の人達も、希望を見いだしたのでしょう。生き生き歌を歌いつつ作業にいそしんでいました。キリストが夢と希望と生きる力を与えてくださったのです。主のいるところどこでも希望の緑が成長します。素晴らしい成果ですが、栄光は主に帰し、神田さんも主の器として用いられる事を願って謙遜でした。 お話の中で神田さんは、「マザーテレサが言っておられたように日本には魂の飢餓があり、この日本にこそ、キリストは必要です。」と。食物に飽きるほどになっても、魂は飢えます。 最後に、1冊の絵本を紹介してくださいましたが、神田さんがエチオピアの北のゴンダールで実際に体験したことが絵本になり出版されたということです。飢餓の人たちの中に働く魂の美しさは日本が失っているものだと思います。 主の器として働くこの活動によって、魂の飢えがある日本に、現地から心の栄養をいただき、日本の人達も神田さんたちを通して体の栄養を現地に送ってあげる。そしてお互いが循環して血流するなら、主の愛がそこに働きます。そのような橋渡しの役目やギャップがある世界の通訳を担っておられる神田さんたちに、これからも主の豊かな恵みがありますように。益々、主の器として用いられますように。 絵本の紹介 「ゴンダールのやさしい光」絵・葉 祥明 文・みなみ ななみ 英訳/解説・日本国際飢餓対策機構 出版社は自由国民社です。本屋さんで取り寄せることができるそうです。 収益の一部は世界の飢餓をなくすために使われます。とあります。 証しとは順調の時より、逆境の時の方が効果あることもあろうかと思い以下の記述がいくらかでも証しになれば良いと考えてペンをとりました。 絵を描く者にとって、公募展出品作の落選はこたえる。 2001年5月の個展を終えてすぐ8月に東京の画廊の選考会と1ヵ所の公募展に出品した。いずれも落選という憂き目に遭いました。出品は少しでも絵を売りやすくする為の手段としてであった積りです。1998年と2000年の公募展では入選、入賞と成績が向上して来ていただけにやはりショックであった。しかも公募展の方は1211点中511点が入選(約4割も)というところで私の作品は落ちた。 今思うに、東京の選考会も愛媛の公募展も言い訳になるが出品する順序や場所を間違えたことも落選の一因かと思う。東京の推薦者(有力作家等)が多分にものいう所で私は私の推薦者として、中央美術界(東京)や美術に深く関わっていない地元香川のジャーナリストの方にお頼みしていた。 愛媛のは課題部門(火と水 命を産むエネルギー)に出品した。私の作品は「雲」(水が昇ったものとして)であった。火と日、水と雲を自己流にこじつけたのでは他作に及ぶまい。しかし、こういった言い訳が辛うじてできるとしても、今回の落選を真摯に受け止めている。要するに実力もそうだが準備不足等が主たる落選の原因だろう。そして何よりもこのような出来事も、つまるところ神と私の問題にほかならない。ゆえにこの事を真摯に受け止めている。神はあらゆる事を通して、私たちに語られ、また問われる。私はそのみ声を何とか聴き取る事が、信仰している者の常ではないかと思い神に向かった。何しろ、入選も落選も「み心のままに」と祈っておりながら、人間的期待が大きければ大きいほどにショックも大きいものだ。それが人情とはいえ。つまりは私の祈りの空しさだけが返ってきた。 だから、今回の落選で神に問われた事は 1.に、おまえの生き方は? 2.に、おまえは何を求めている?人からの誉れかそれとも・・・・ 3.に大そうな引用だが「我が神、我が神どうして私をお見捨てになったのですか」というイエスの十字架上でのみ言葉の意味を少しは知れというような事であった。 上記三つの神からの問いは(特に3、は)今回の落選により直ちに完全に会得できるようなものではなく、終生その時々、神からの問いかけとなる事だろうけれど、とにかく今回こうやって私の信仰態度を厳として問われ、そしてそれに対して何らかの答えをしなければならない状況に追い詰められた事は、神の恵みと確信しています。 もちろん今後も、絵画の制作が神に許される限り少しでも売れやすくする 為の手段として絵画会に入会するような方向でなく無所属を保ってもう一つくらいは入賞ねらいで公募展に出品するであろう。 それと最後に、私に信仰の事を問われる神は、慰めの神でもあり、一方でこう語ってくださっているようでもあった。 「ところで、おまえの出品作はお前自身どう思うか?」 私が、「大きい方は、今までの私の太陽を描いた光の作品としては、私なりに随分佳いほうだと思い、小さいのは一枚は大きいの同様にそう思い、もう一枚のは淡いけれどそれなりに味があると思います。」と答えると、神は「私もそう考える」と・・ 確かに神は亀のように遅いが、私なりに向上させて下さっている。まだまだ課題(構図、色彩など)は多いけれど結局絵とは世の事と並行しながらもやはり道であり、内面を問われ、各人それぞれをその個性に応じて、完成に少しでも近づけるように導く一つの手段であるように思う。つまり、私にとっては信仰問題に相違ない。そして、そのプロセスにおいて物(作品)として少しでも実れば、それを神に用いていただければ幸いである。以上ですが、今回の落選につき、私の拙品を購入してくださった方々には個人的に申し訳なく思いますが、あしからず。(2001年9月)
☆ 一秒の先も見えないわが身なら 神に祈りて守られゆかん ☆ 主を見ずに人を見ての選択に 罪の深さを思い知らさる ☆ 人体の神秘はまさに神の業 動く手足も主のためありて ☆ 御言葉に添えぬ言動ふたつみつ 繰り返しては年月ゆきて ☆ 冬木立芽吹き若葉のつく日まで 試み耐えて春を待ってる ☆ 救急車通り過ぎても気にとめる 様子もなくて人の行き交う 2002年1月6日、わたしの父が81歳で召されました。キリスト教式で、葬儀をしました。多くの方に尊いお祈りをいただき行うことができました。感謝です。聖書を読んだこともなく、キリスト教について、何の関心もなかった父が、死の直前に「キリスト教で葬儀をしてくれ」と言ったことは、わたしにとっても驚きで、ただ、神様が父の魂に触れてくださったとしか思えません。主がなされたことですので、今回のことを、少しでも記録し、お伝えしていくことも、わたしの義務であると思い、ここに書きました。
「治療のすべはない、最悪の場合は、年内に死亡する事もある、最後まで意識がはっきりしていて苦しむ事もあり得る。」と説明を受けたのは、もう年末も近いときでした。 父の苦しみを思い、また、そのあとで必ず行わねばならない葬儀のことを思いました。一人娘であるわたしが、喪主をすることになる。キリストを信じるものが、仏教で葬儀をできるだろうか。父の葬儀がキリスト教式で祈りの中で行われ、集まってくださった方に少しでもイエス様のことを聞いていただく機会になればどんなにいいことか、と願っていました。しかし、それはわたしが願っていただけであって、そのようなことを今苦しんでいる父に言えるすべもなく、いったいどうしたらいいのだろうか、と思っていました。 父は、日増しに苦しくなり、わたしは、神様に、この苦しみから父を救い、平安をお与え下さいと祈らずにはいられませんでした。 父は、どんどん重くなる自分の病状に、近づいてくる死を感じたのではないかと思います。それまでは、病気に対する恨みなどを訴えていましたが、キリスト教で「つまえ」をしてくれと、言ったときから、不思議と父は平安になったように思えます。高齢であることも関係しているかも知れませんが、父の「死」の受け止め方は、見事だと思えるほどでした。聖書を読んだわけでもなく、元気なときに信仰を求めていたようにも思えなかったのに、はっきりと天国を見つめて、まるで楽しいところにでも行くように、父は「出かけて」行きました。「バイバイって行ってくる。」こんな言葉が、死の直前に出てくるものだろうか、と思わされました。 父がわたしを大切に思ってくれていることはよくわかっていましたが、生前の父は、気が短く、すぐに怒り出し、一度言い出したら押し通すところがあり、わたしにとっても難しい父でした。 以前父にイエス様を信じたら天国にいける話をしたことがありましたが、「お父さんは、地獄やこわあない。地獄の鬼をこらしめたるわ」といっていた父でした。 そんな父が、死の直前にキリストを受け入れ、キリスト教についてほとんど知らないにもかかわらず、苦しみの中でも、神共にある平安を知り、聞いたこともなかったはずの天国への確かな希望を持てたことは不思議なようなことです。神様が、父を憐れんで下さったのだと思います。 ・キリストさんと行く。もう、何もない。ちっともおとろしいない。楽になる。 ・キリスト教だけがほんまじゃ。 ・わしからは、キリスト教じゃ。キリストさんがおるんがわかる。目がもうみえんようになってきた。 ・今日は何日ぞ?…「29日」…もう終わり。きれいさっぱり。もう、胸の中には何もない。 ・わしが、キリスト教に変えるってゆうたら、抵抗もあるだろうけんど、まあ、ほのうちにいけるわ。 ・せこい、せこい、せこい。せこいんがいかん。なかなかいけん。ほなけど、信仰しよるけん、まだま しなんぞ。神さんが守ってくれとる。もっと、ほんまはせこいんだろうとおもう。 ・神さんが、おるけん、心配ないわ。もう、父ちゃんにひっついとるわ。 ・1月4日…神さんのところに先にいっとるけんな。ありがとう。 苦しみのなかで、怒り出すことばもありましたが、主が共にいなければ、これらの言葉は語られなかったと思い、御業に感謝して、書きました。 キリスト教の葬儀は、まわりの反対もあり、いろいろと問題がありましたが、それでも、多くの方がはじめてキリストの福音に触れることができ感謝です。 彼らはそこからベエル(井戸)に行った。 これは、主がモーセに「民を集めよ、彼らに水を与えよう」と言われた井戸である。 そのことがあったとき、イスラエルはこの歌をうたった。 井戸よ、湧き上がれ 井戸に向かって歌え。 笏と杖とをもって 司たちが井戸を掘り 民の高貴な人がそれを深く掘った。(民数記21章16節) 父が召される少し前、ある家庭集会で、この箇所を学びました。葬儀の行われた、わたしの実家は「井戸」という地名です。不思議な一致でした。神様がこのときを祝福して下さるのだ、と思いました。 主イエスを信じなさい。 そうすれば、あなたも、家族も救われます。(使徒言行録16章31節) だれでも、キリストのうちにあるなら その人は新しく、造られたもの 古きは過ぎ去り すべてがあたらしい 主のうちにあるなら、すべてがあたらしい。 (プレイズ&ワーシップ45番) 主が共にいる。それだけがわたしの幸福 心がキリストで満たされる。 これに勝る、喜びはない。 大きな悲しみ、小さなかなしみ 疲れ、おそれ、不安、迷い。 苦しいと思う日々。 ああ、それでも どうしてわたしは幸福なのだろう。
遠い山を見つめていると 神の愛が流れてくる。 どうしようもないところから 目を上げて ただひとつのところを見上げようとするとき そこにあるのは 立てないものを立たせてくださる 大きな力、慈しみの手。 今年の全国集会が、山形の独立学園を中心に企画運営されるという事が決まった時から、綱野さんと共に参加したいという事を表明していました。 今まで独立学園と私たちの徳島聖書キリスト集会はご縁があって、初代の鈴木弼美校長先生や武祐一郎2代目校長先生やまた教師の藤坂さんなどを通して直接に独立学園の事はお聞きしていました。 また、うめ子先生や華子先生はマスコミでも取り上げられ、よく知られた存在でした。特に綱野さんは、個人的にも華子先生と交流があり、独立学園のキリスト教音楽にじかに触れてみたいという願いがありました。 私の勤めの都合もあるので、一年間祈って参加させていただこうと綱野さんと話しました。紅葉の一番美しい時期に開催されるということで、自然からも主が何かを教えてくださるかもしれないという期待もありました。 ちょうど、私の勤めが転勤になり、それまでの職場環境だったら連続5日間の休みというのは、余程の事がない限り許してもらえそうにありませんでしたが、今の職場は、時間外に出勤することが多く、手当もないという事で、そのかわり少々の無理は聞いて貰え、すんなりと休めました。 さて山形とは、小国町とは、何て遠いのでしょう。朝発って、着いたら夕刻。文明の利器である、飛行機や新幹線を利用しても、乗り継ぎの待ち合わせ時間を入れると1日かかりました。 山形はさくらんぼや、ラ・フランスという西洋梨で有名ですが、行ってみて分かったことですが、山菜のわらびやゼンマイ、また秋は手軽にキノコ狩りができるそうで学園生も授業で山菜狩りやキノコ狩りに行くそうです。食事にはどこでも、驚くほど太いワラビやマイタケやシメジ、ナメコなどのキノコが付いていました。 ワラビはいっぱい生えていて、鎌で刈り取るそうで規模の違いに驚きました。また、広大なブナの原生林が残っていて「白い町、小国町」という町のキャッチフレーズはブナ林からきているそうです。町のあちこちにその看板は目につき、独立学園がある小国にふさわしい呼び名だと思いました。 ブナの芽の出る頃は、雪解けの谷のせせらぎの音の中、白い幹に白い新芽、吹く風も清くさわやかで、心が洗われるような風景が目に浮かびました。私たちがそのブナの原生林に藤阪さんのご厚意で連れていっていただいた時は、紅葉の真っ盛りで、雨の後のしっとりと濡れた山には、赤い色、茶褐色の色、黄色と明るい色で覆われ、どこを見ても山の命が燃えているように活気づいていました。「ブナの幹に耳を付けると、幹に水が流れる音が聞こえるから聞いてきてごらん」と地元の人が教えてくれたので、耳を付けてみましたが、雨の後で幹はもうたっぷり水を吸っており、その神秘的な音は聞こえませんでした。 藤坂さんは主の兄弟愛から、私たちが欲する事、喜ぶ事は許され時間の中で全部行ってくださいました。 付近の山がすべて見渡せる高い山にも車で登って下さり、あれが飯豊連峰、あれが朝日連峰と説明してくださいましたが、みごとな連山、みごとな紅葉でした。 「あと5日もしたらこの紅葉は見られないので、本当に美しい時期に来ましたね」という事で主の造られた美しい秋を満喫することができました。 今まで私は、秋は寂しいから好きでなかったのですが、この広々とした見渡す限りの紅葉の美しさに接して、はじめて秋の命の輝きを知る事ができ、秋イコール寂しさという図式が頭の中から消え去りました。 礼拝は雨でしたが、雨がふさわしいような、独立学園の引き締まった空気を覚えました。ここで今まで説かれたキリストの愛や実践は並大抵ではなかった事が、肌で感じられる場所でした。先生も生徒も何度主に涙を流した事でしょう。もうダメですと祈り伏した事は数え切れなかったと思います。その建物が、その場所が私にキリストに従うとは、キリストを愛するとはどういうことか教えてくているようでした。浅薄なこの世主義や、中途半端で我欲的な信仰を拒絶し、主にあっての苦しさの価値が差し出されているのを感じ畏怖を覚えました。 何もそれらしい押しつけるメッセ-ジや、価値感の転換をせまる内容のお話はなかったけれど、主への誠実に生き、痛みの中でこそ見つけられる本物をこの独立学園は知っていて、それをこの場所が発信し続けているように感じました。 世俗の中であまりにもへつらい、譲歩し、できるなら世俗とも神様ともうまく行きたいというような両天秤のずるさを反省しました。 主の勝利、天上のハレルヤコーラスがいつもこの場所には響いているように感じました。そんなことを、私の内面に示してくださった今回の全国集会に参加できた恵みを感じました。 礼拝の後、武義和さんがキリスト者として始めた、「小国フォルケホイスコーレ」という聞き慣れない施設も見学させていただきました。社会になかなかとけ込めない若者が、ここで訓練を受けて、力を付けて、本来の社会生活が果たせるように世に送り出すというような場所(学校)でした。キリスト信仰によって運営されていて、牛小屋を改造したとは思えない清潔で味わいのある建物は主の住みかでした。信仰ってこういう素晴らしいものを生み出せるので、すごいな、と思わされました。今は、普通の人がたくさん精神的に病む時代なので、このような、主による癒しの場が必要だと切に思います。どうかこの施設が主の祝福を受け、用いられますようにと祈ります。 その見学の後、すでに夕方近くになっていましたが、Fさんが「どこに行きたいですか」と聞いて下さったので、雨でしたが独立学園の牧場に行きたい旨話すと、かなり離れた所ですが、すぐ車で連れて行って下さいました。 そこでは、今日の主日礼拝の中で行われた、「ハレルヤコーラス」で奏楽を受け持った華子先生のお孫さん羊君が、指導の先生と他の生徒さん3~4人と一緒に雨に濡れるのも平気で乳搾りをしていました。自然の中で飼う牛は健康なお乳を出す事でしょう。無言で一生懸命働いています。今の若者にはなかなか見られない風景です。付近は紅葉の山、牛、ロバが雨に濡れつつ、ゆっくり原っぱを動いています。作業着を着たずぶぬれの生徒たち、誰も強制ではなく、進んでこのクラブに入っているそうです。朝も早いそうなので、この作業に駆り立てるものは、やはり信仰ではないでしょうか。私たちは、牛やロバの顔を撫でたり、ロバの背中の毛をさわったりと、観光客の顔で通り過ぎただけでしたが、そこでの厳しい日常はずっと続くのです。まだ温かい搾り立てのお乳をいただきつつ、価値あるものを飲ませていただいているという感謝を深く覚えました。 藤坂さんは、翌日も朝早くから、ホテルに迎えに来て下さり、今日出発の午後まで小国を案内しますという事で、私たちの希望に従って、「昨日は雨で独立学園があまり見えなかったので、今日再び見たい」と言うと希望通りして下さいました。独立学園は、ダムができるまでは、山の中だったのに、今ダムを建設中で道は広くなり舗装もされて車で行くとそれほど山奥という感じはありません。この道を何度も藤坂さんは私たちの為に往復してくださいました。そして、車中、「学園も道ができ、町に近くなったので、もっとずっと山奥に建てておいても良かった」という声もあると話されたのには驚きました。というのは、たまに帰省する生徒達が片道6キロ(?私の記憶では)あるこの道を歩いて学園まで往復し、お正月などは深い雪の中、道も分からず転げ転げしつつ歩いたと聞いていたからです。深い険しい山道、女の子には想像に余る厳しい帰省だったことでしょう。そんな所に道が抜けて便利になったら、その便利さに有頂天になって「良かった」と思うのに・・・私の感覚は、利便をまず優先する文明に汚染されているなあと思いました。 独立学園では生徒さんたちが作った畑の作物も見せていただきました。どの野菜も手入れされ健康な命が感じられました。生徒さんたちは、昨日の代休で今日は授業が休みで、思い思いに過ごしていました。 お昼には独立学園卒業生のしているレストランに案内してくださり、食事をご馳走になりました。おすすめという珍しい食べ物として、アケビの実の皮に肉や野菜を詰めて炭で焼いたものが出されました。アケビは肉厚でやわらかく、ほろにがさがあり珍味でした。そして、徳島では聞いたことのない「トチの花のはち蜜」を藤坂さんが私たちにプレゼントしてくださいました。そこに、奥様や子供さんも連れてきて下さり、お交わりの時が与えられました。牧師さんの娘として育った奥様は、キリストの香りを放つ方で、信仰の話しを伺うことができました。独立学園は家族も学園と一体で、家族の生活スタイルはそのまま証しになっていると思わされました。世とは分かたれた藤阪さんのご家族に主の祝福が豊かにありますようにと祈ります。 そして、その後、車で米沢までの遠い道を送って下さるという事で、至れり尽くせりの主の愛を使って下さいました。藤坂さんにこのようにお世話になるとは思いがけず、旧知の藤坂さんに全国集会で出会わせてくださった事は大きな学びになりました。1年間祈って備えた全国集会が恵まれ、心に残る会となったのは、藤坂さんが主にあって私たちに働いて下さったからでもあります。車中でお交わりを持った数々のお話なども含め、表舞台では得られない魂の糧を得ることができました。熊井さんご夫妻、綱野さん、そして私も心に灯をともしていただき、耕された心で山形を後にしました。 本当にありがとうございました。主よ本当にありがとうございました。
☆ 新世紀平和を願う人々の 祈り空しく空爆続く
☆ 飢え渇き苦しむ民の幾億と 同じ地球にいると告げられ
☆ 飽食の日本の罪は魂の 飢え渇きとなり問題はらむ
☆ 新聞やテレビのニュース暗きこと ばかりのようで遠ざかりいる
☆ 願いますピュアな心を与えられ 自我を離れて棲んでみたしと 山形での 全国集会の翌日、藤坂さんの車で小国の紅葉の山々を見せて下さいました。見えない私も直接カエデやキノコなどに触れたり、ブナに耳をあてたり、秋を感じることができました。釣り橋を渡るけど、とても紅葉のすばらしい場所があると言われたので、ぜひ行きたいとお願いしました。 山道の途中は一列でないと歩けない危ないところもありましたが、中川さんが上手に手引きしてくれて、なんとか釣り橋のたもとにたどりつきました。 釣り橋は高くて、距離も結構長いしゆらゆら揺れるので、みんな緊張して沈黙してしまいました。私は下が見えないので恐くなくて、貴重な体験ができると感謝でした。 周囲の景色はどんなふうだったか聞きそびれてしまいましたが、ワイヤーの片方を左手で持ち、藤坂さんの誘導で渡してある板のうえを横へ横へと伝って歩きました。どれくらい行ったかわかりませんが進んでいくうち川の流れが下から聞こえてきます。谷川にしては川幅があります。そこにほんのしばらくたたずみました。 秋の風がふいていました。そしてそこで不思議な感動を受けました。この感動はいつまで続くかなと思っていましたが、新しい年を迎えても、なお残っています。 清らかな秋の風
釣り橋に立っている私の耳に 両側からブナの木立を渡ってくるさわやかな風 足もとの谷川を流れる清らかな水の音 私の周りに吹いている秋の風たち でも、こんな不思議な感動は初めて! なんともいえない清らかな風が私の心に吹き込んできた
神様の聖なる霊がここに満ちてここに流れている 私もその中に入れられている 大きく息を吸いこんだ 今清らかな風は私の体を吹きぬけていく
天地宇宙をとりまいている聖なる霊 すべてがひとつにとけあい主の栄光に流れて行く 主イエス様に向かって流れていく その流れの中に私は入れられている 若い日の夢を踏みにじられ、安全な日々とひきかえに自分の可能性を手放し、よりよい人生を求めようとしなくなった人々・・・他人だけでなく自分にさえ捨てられてしまった廃品同様の人間を拾い出し、生きる屍のような状態から甦らせるのが、その老人の仕事だった。 オグ・マンディーノという名前も知らなかったし、本屋さんに堆く積まれているこの本を見るのも始めてだった。ちょっと気晴らしにワクワクするような本を読みたいと思っていたので、ちょうど良いかも知れないと買い求めたら、娘が先に読んで、「この本は最後の30ページのためにあるんだよ」と教えてくれた。「心病む患者さん一人一人に読んで聞かせてあげたい」とも言った。 それでは私もと読み始めると、作者は「自己啓発と成功哲学の代表作家」と言われるだけあって、真に迫る格言が散りばめられており、すぐに引き込まれて一気に読んでしまった。自分を愛する心を失い、生きながら死んだような状態にある人々が蘇るのを手伝う仕事「ラグピッカー」と自称する老人と、作者との心暖まる交わりも感動的だった。人は人とこの様に信頼し合い、助け合い、共に喜ぶことができるのだと。人間がどのようにして心萎え、死せる廃人のようになってしまうのか、なるほど、なるほどと、読み進めていくと、ついに最後の30ページ、「神の覚え書き」にたどり着いた。それは、神様から人間へのメッセージだった。 人の体が、目が耳が唇が、そして心臓が肺が脳が、どれほど見事に造られているか、「あなたはわたしの最高の創造物」だと神様は告げる。そして、人類がはじまって以来、この惑星の上を歩いたことのある7百億人の人間のなかに、あなたとまったく同一の人物は誰もいない、あなたはこの世にたった一人しかいない、値段の付けようのない宝物なのだと。 わたしはあなたに、 考える力を与えました。 愛する力を与えました。 意志の力を与えました。 笑う力を与えました。 想像する力を与えました。 創造する力を与えました。 計画する力を与えました。 話す力を与えました。 祈る力を与えました。 あなたを誇りに思う私の気持ちには限りがありません。 あなたはわたしの究極の創造物、もっとも偉大な奇跡なのです。(p・188) そして、私たちを真の幸福と成功に導く貴重な4つの秘密が書かれていた。 それら一つ一つに共感しながら読んでいくうちに、私は神様への賛美に満たされていた。この本の中には「自分に誇りをもちなさい」と何度も呼びかけられていたけれど、私はもう自分のことなど考えられなくなっていた。そしてただ、人間をこの様に造られた神様の偉大さに圧倒されていた。人間だけでなく、あの星たちの輝きが、天からの手紙と言われる雪のひとひらひとひらが、この寒さの中で咲き続けるバラの花が、そしてv字型になって空高く飛んでいく鳥たちの姿が、すべて神の奇跡そのものだと深い驚嘆に満たされていた。 この「神の覚え書き」は、体の自由を失った人、様々な障害を持って生まれてきた人への直接の励ましにはならないかも知れない。動けなくなった人に「あなたは、風や周囲のものにいじめられるまま、小さな一点に縛り付けられている木ではありません。背伸びをし、走り、踊り、働くことができるのです。」p・173と言われても、困ってしまうだろう。動けない人だってこの世にはたくさんいる、老いると言うことがそもそもすべてを失っていくことなのだから。もちろん、ほんの小さな一冊の本にすべてが書けるはずもないのだからこの本からはこの本のメッセージを、受け取ればよい。でも、私はそれ以上のことを教えられた。神様はご自身が造られたのだから、目の見えない、耳の聞こえない、体の動かない不自由さを、誰よりも深く知っておられる。また知性が少ないと考えたり選んだりすることもできず、いつも誰かに世話をしてもらわなければ生きられないことも知っておられる。それを、なぜ、あえてそのようにされたのか、それは私たちが互いに愛し合い、共に生きるためなのだと。私たちに真の愛を教えるためなのだと。 私にとっては、この世に人となってきて下さったイエス・キリストこそ「この世で一番の奇跡」であることに変わりはない。 高知で行われた四国集会は、徳島からは20人が参加し、それぞれの交通手段で会場に行きました。 私たち9人は、ジャンボタクシーで行きました。ちょうど定員が9人ということで、乗り換えもなく時間も制限されず、列車より個人的負担も少なく、集会の顔見知りだけでリラックスして行くことができました。中でも、特に直前まで行けるかどうかわからないという姉妹も一緒に行くことができてよかったと思います。また、車酔いになりやすいという人も酔わず、帰りも何事もなく到着し、ここにも神様の恵みがあったことを感謝します。 今回の集会のテーマは「祈り」でした。 参加された方々は、祈っておられることを思いました。わたしの祈りは、まだ祈りというのには不十分と思いましたが、「祈り」についていろいろ考えることができました。 印象に残ったのは、「とりなしの祈り」ということです。 「祈り」といえば、わたしが友人や身近な人達のことを神様に祈るというような自分の「祈り」のことばかりを思っていましたが、祈られていることも思わされました。 夜のグループ別の会の姉妹の話で、職場で信仰の友を与えてほしいと祈っていたら、キリストを学ぼうというチラシが貼られていたのを見つけ連絡したそうです。するとキリスト教とは名ばかりのこわい人だったので断るにも困ってしまい、しかも直接会って話をしなくてはならなくなり、集会の人たちに祈ってもらって、会うと相手から断ってきたそうです。「祈り」は聞かれるという証をしていただきました。 「祈り」は、神様に向かって行うもので、人に向かってするものでないので、私たちの一方的な祈りは、祈られている人は知らないけれど、その祈りが聞かれると言うことをもあらためて思い起こす集会でした。 聖書と出会って20年になりますが、イエス様から離れないようにと自分が努めてきたように思い歩んでいたところもありましたが、背後に誰かの祈りがあったから今日まで歩んでこられたと思わされました。 会場が高知の桂浜の高台だったので、帰る前に海岸までさそっていただきました。途中で5センチくらいの小さめの柿のような実をとってくださいました。それは、椿の実でした。我が家にも椿はありますが、こんなに大きな実をみたのは初めてでした。海岸は、もう夏のような暖かい風が吹いていて、集会に加えて神様からの恵みのおまけをいただいたように思いました。 次回は徳島で四国集会が持たれますが、祈りの課題をいただき、バトンが渡されたように思います。徳島での四国集会にも皆さんに喜んで参加していただき、主の栄光があらわされる会になりますようにと思います。 他県の集会に参加することで、主にあって、それぞれの個性を感じることができ感謝します。 平気でうそをつく人たち T.N 今年の正月に私は1冊の本を娘から勧められた。元来あまり本は読まないたちなのだが、90近い父がこの頃よく本を読んでいる姿を見て、刺激されていることもあって「読んでみよう」と思った。 かなり分厚い本なので、しりごみしそうになったが、娘が「読みやすい本でスラスラ読めるわ」と言うのでとりあえず読み始めた。 アメリカの精神科医の著者で、読んでいくうちに精神科の病院に勤めている私には参考になることがたくさん出てきた。医者と患者さんのやりとりも勉強になった。 特に「君はばかじゃないんだからキリスト教が語っていることは人生の意味、人間の存在の目的だということぐらいは気付いているはずだ」 「われわれの人生の目的は神をたたえることである」という箇所が心に残った。 後半は人間の集団悪について書いてあった。アメリカ軍がベトナム戦争の中で500人~600人の武器を持たない女、子供、老人を虐殺したことが除隊した兵隊が数名の国会議員に手紙を出したことによって1年後にアメリカ国民が知ることとなった。集団の悪の一事例として虐殺事件は不可解(偶発的)でも予測不能の異常事態でもなかったと精神科医は述べている。 私は読んでいるうちに戦争が人の心を変えてしまうと思った。 ヒトラーのユダヤ人虐殺とか日本軍が中国でおこした行為は忘れることはできない。 世界中の人が平和でいられるように祈りたい。 「光の教会・安藤忠雄の現場」 建築資料研究社 「光の教会」という本は、建築の本です。 安藤忠雄という有名な建築家が、大阪の茨木市に建てました。 日本基督教団茨木春日丘教会が新しい教会堂を建てようということになり、その建築家選びから完成までを、ほとんど建築をする側の面から観た記録です。 建築家安藤忠雄さんが作りたかった教会、依頼した教会側の期待ととまどい、それを形にする工務店の苦労と職人の技など、飾りのないノンフィクションでした。 この教会が建てられたのは、バブル真っ盛りの時期でした。 教会には3000万円のお金しかなく、建築に詳しい長老が「清清とした一つの空間」を造れそうな人と見込んで安藤忠雄に依頼します。この教会の教会堂に対する想いはかなり強いもので、以前にも街の工務店に依頼したけれど、お目がねにかからなかったという経緯があります。 お金がないのに一流建築家。そして強い思い入れ。そしてバブルならではの職人不足など、最初から最後まで事は一つもスムーズに運びません。けれど登場人物がみんなプロで、誰も妥協をしません。 バブルの世の中のばか騒ぎを思い出すと、まさにそのただ中で、儲け度外視の建築が一流の人たちによって建てられること自体が、奇跡と言えます。 安藤忠雄はクリスチャンではありません。教会を沢山建てていますが、お寺なども建てています。ほとんど独学で建築を学びました。 若い頃、わずかなお金を持って建築を感じるための世界旅行に出ます。 そこで出会ったキリスト教の古い修道院に抱いた印象が、安藤忠雄のキリスト教に対する究極の形となりました。その修道院は、小さく何の飾りも空調設備もなく、あまりの環境の厳しさに修道士の人たちの平均寿命が30歳台というすごい所です。 けれど、そこにあった修道士の精神、何も持たない潔さと美しさ、差し込む光の美しさなどから、安藤忠雄なりに究極の信仰のような物を感じ取ったのでした。 そんな人が造ろうとする教会。しかも、教会の人には「清清とした飾らない場所」と依頼されているので、理想を形に移す絶好の機会でもありました。 その方法はとてもユニークです。形はシンプルかつ独創的でコンクリート打ちっぱなしの箱のような建物に、正面の全面に十字の形の切れ目を入れ、そこから光が差し込むというものです。その光の印象を重視して「光の教会」という名前を付けました。単純なようですが、その十字の部分をコンクリートで現すのは、ものすごい職人芸が必要だそうです。 安藤忠雄のこだわりは、面白いエピソードを色々生みました。 まず、お金が足りないことに対し、「屋根を作るのはやめよう」と言い出します。 それも割と本気でです。献金を募って、いずれは屋根を作っていけばよいではないかと。これは却下されました。 エアコンなどの冷暖房も禁止です。夏は暑く冬は寒いのは当たり前。でもこれは安藤忠雄が若いころに感じた「キリスト教の究極の信仰の形」から見たら、当たり前のことだったのかもしれません。お陰で教会は、冬はストーブをたいてもものすごい寒さだそうです。光は十字架の所からしか入らないので、聖書も読みにくい。 オルガンを寄付してくれる人がいると聴くと、気に入らず「出来るだけ素朴な物にして。オルガンなんかなくっても歌えるのとちがうの?」だし、立派な机と椅子が寄付されると聴くと、「立派な物はそこには合わない。建築現場の足場の板で作るべき」ときます。挙句の果てには、壁の十字架の部分はガラスなどを入れず、そのままの光が入るべきだと主張しはじめます。 皆の前で話をする牧師さんに、雨や風雪が降りかかる所を想像して、安藤忠雄の弟子はなんと教会に伝えるべきか苦心します。 結局ガラスは入れることになりますが、「光の教会」はほぼ建築家のイメーシ通り、美しく清清しく完成しました。今でもその建物は、建築を志す学生が沢山見学に訪れ、外国の建築の賞を取り、活躍中のようです。安藤さんはますます有名な建築家になりました。 そして教会も活躍中です。教会が建ったばかりの頃「どんな有名人が建てたんか知らんけど、真っ暗で字い見えへん!」「建築家は優しさがない」と、建築のこころとは裏腹な評価でしたが、その構造ならではの音響効果を生かして、教会では音楽の催しを沢山行っているそうです。 この間の朝日新聞に「光の教会でオペラ」という記事が写真付で載っていました。長い時間をかけて、建物は教会の人々の宝となったようでした。 何かを真剣に造ろうとするとき、衝突が生まれます。けれど妥協しない所に本物は生まれます。そんなことを考えながら読みました。 私たちの集会では最近、讃美歌21を使って讃美をする回数が増えました。 讃美歌21には「平和」を求める祈りの歌が収録されています。 戦い疲れた 民に平和 壊れた世界に 今、平和を 剣をたたいて 鋤(すき)にかえよ 槍を打ち直し 鎌をつくれ 今こそ地上に 主の平和を 朽ちることのない 主の平和を (讃美歌21 373番) 世界は、アメリカを中心にテロ問題で昨年10月から戦争をしていますが、アフガニスタンの復興支援策が検討されているので、戦争は終結し再び平和が訪れるのでしょうか。この世界はどのように向かって行くのでしょう。平和憲法がこわれようとしていますが、日本もどうなって行くのでしょう。いつの時代も戦争が止むことな現代はメディアによって、戦場の有り様はリアルに茶の間に届けられます。世界が狭くなった今はよけい、平和を願う讃美は必要です。 世界の情勢がどのように流れていっても何もできなくても、祈りができます。平和を祈る讃美ができます。 6月15日、16日には徳島で四国集会が行われますが、テ-マは「平和、平安」になっています。皆さまのご参加を心よりお待ちしております。 信仰がなければ、考えれば考えるほど、闇が取り囲みますが、主にあっては、闇の向こうにいつも永遠の光といのちがあります。しかも、十字架のとりなしによって、完全にその世界に入れられているのですから、これほどの安心はありません。 信じる者は救われる。信じるだけで救われる。この単純なことを毎日魂に取り込んで、信仰の恵みの中に進みゆき讃美をしたいと思います。 今回も原稿を寄せてくださった方々に心から感謝をします。編集に携わっていると、原稿を集める事はなかなか大変です。自分でもせっせと書かなければと思わされています。編集の役目を主が与えて下さったものと受け取り、私のような者でも使って下さる事に感謝をして、進んで行きたいと思っています。 今年も主にあってよろしくお願いします。シヤロ-ム。 |
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