ともしび
20089月第32

アケボノソウ


みことば

聖霊を受けなさい。

ヨハネ福音書二〇・22

内容・もくじ

リストマークまえがき

TT  3

リストマーク「祈り」について

TT  3

リストマーク神の国の到来

YE  6

リストマークある詩を読んで

YE  6

リストマーク徳島滞在一週間点描 (二〇〇七年九月)

MM  9

リストマーク見えるようにして下さい

MY  11

リストマーク神与えたまう

NY 13

リストマーク短歌

NS  15

リストマーク神の業が現れるため

KT 15

リストマーク松田 敏子さんにお会いして

KK 16

リストマークヨハネによる福音書にワクワクしています!

SY 20

リストマーク敵対しないこと

YR  22

リストマーク謙遜とは

YF  25

リストマークああ 主の瞳

YF  25

リストマーク俳句

TE 27

リストマーク無理に負わされた十字架

TE 27

リストマーク神の救い

SH 29

リストマーク幼子のまなざし

SY  30

リストマークメメント・モリ

KT  36

リストマークMP3CDによってヨハネ福音書を学ぶ

KT  36

リストマーク短歌

IM  36

リストマーク「ブログとアルバム」

TM 38

リストマーク「海に沈む」

TM 38

リストマーク祈りの家

OH  40

リストマーク「聖霊の風」が吹く

OM  40

リストマーク「キリエ・エレイソン」

NK  42

リストマーク「基督教独立学園の使命」の講演を聞いて

NK  42

リストマーク独立学園の教師として

FY  46

リストマーク無教会近畿集会での証し

TN 50

リストマーク近畿地区無教会 キリスト教集会での証し

NY  59

リストマーク近畿地区無教会 キリスト教集会の感想

NY  64

リストマーク親の葬式

TT 65

リストマーク裁きの木

KY 68

リストマーク映画『ナルニア国物語・カスピアン王子の角笛』を観て

NY  71

リストマークあとがき

NH  75


まえがき  NH

 八月も半ばを過ぎ、夏の盛りも過ぎたようで、夜には、涼しそうな虫の声が聞こえる。 暑く、雨の少ない夏だった。ニュースでは、洞爺湖サミットがあった為か、NHKでも
盛んに地球の温暖化の特集が組まれていて、輝く未来ではなく、このよって立っている地球がいつまで持つのかというような不安を煽る映像がこれでもかというように流された。
 今の子供たちには、大人が繰り広げるこの社会の事がどう映っているのであろうか。自分の未来を何と重ね合わせて、夢や希望を織りなしているのだろうかと思わされた。
 聖書の世界を知るのでなければ、これからは、精神的な基盤がなく、不安でどこに向かって何を目指していけば良いのか誰も示せなくなっている時代ではないかと思う。
まさに闇と混沌、けれどもそこに光あれと神が命令されると光が臨む。聖書はいつでも、永遠の希望と叡知で照らし、人類を導いてきた。どんな時代も真理は闇の上に輝き、導いてきた。この真理は今の様々な問題の上にも鮮やかな指標を与える。
 どんな事が起こっても、私達は新しい契約の内に生きている。聖書の中には、その真理で満ちている。そして、見えるものでなく見えないものこそが永遠であると教える。見えるものはたとえこの地球といえども、宇宙といえども一時的。どんな時代がきてもどんなに北極の氷が溶けても、びくともしない地盤の上に私達は立っているのだと知る。
 主イエス様が開いて下さったこのだれでも救われる希望に至る道をみなさんと一緒に
歩いていきましょう。絶望している人、乾いている人は誰でも、来て下さい。いのちを戴けます。
 「ともしび」もそのいのちをいただく為に用いられますように。


「祈り」について       TT

 「神さまは確かに、祈りをきいてくださっているのだ」と、つくづくそう感じます。
 そう思うに至ったのは、個人的な事柄もありますが、特に、長い間祈り課題に挙げてきた大切な人たちのお祈りの実がなったこと、「神さまがその願いをきいてくださった!」という出来事が幾つもあったことがあります。
 正直に言えば、昨年までは「こんなに長い間祈っているのに、何の変化もないではないか。何のために祈っているのだろうか」と、祈ることが喜びでない時もありました。
 「神さまは私のお祈りを聞いてくださっているの?だったら、それを見せてください」と、生意気にもそのようなお祈りをしたこともありました。
すると今年になって、祈り課題に挙げていたいくつものお祈りの実を見ることができたのでした。人の目には不可能に見えることでも、神様は可能にするという事を「祈り」を通して改めて教えていただき、自分のことではないのに自分のことのように嬉しく思ったりして、生きて働かれる神様の存在をいきいきと感じることができました。
また、個人的なことでは、過ぎた全国集会で証しをする機会を与えていただいたのですが、その全国集会までの日々、色々な方から「お祈りしています」と励ましをもらい、祈って頂きました。
実は、私は人前に出ることが大の苦手で全国集会の証しの最中に、失神して倒れてしまうのではないかと本当に本当に心配でした。いつも参加している教会の礼拝で司会の奉仕をすることがあるのですが、その司会でさえもいつも足はガクガクで、いつ倒れるかと心配しながら務めている、というような状態でした。にもかかわらず全国集会の証しの時は、落ち着いて臨むことができました。声は小さく聞こえずらかったようですが、足がガクガクすることもなく、誰がどこに座っているのかという様子まで伺う余裕があったので、自分で自分に驚きました。しかし、その直後にどれだけ祈られていたのかが、すぐに分かりました。陰で祈ってくださった一人ひとりの祈りが、私を支え守ってくれていたのだと感じました。心から「ありがとう」と思いました。祈りは通じるものですね。

 祈り願っても、必ずしも自分が願った通りにきかれるという訳ではありませんし、自分の願わなかったような形できかれる事もあり、また、祈っているにもかかわらず何の変化もないような事もあります。その時は涙しますが、祈り続ける時に、神様は祈るものの心を少しづつご自身の思いへ近づけてくださいます。いつのまにか「神さまの御心のままに」と、願うようになっている自分を発見するのです。
どのような形であれ、天のお父様は最善しかなさらないと、子供のように疑わずに信じ歩み続けることができたなら、本当に幸いだと思います。
「祈り」という愛の贈りものを頂いたり、祈りの実を目にしたりして、「祈り」について様々に思い巡らせたこの数ヶ月間でした。
何よりも、「神さまはわたしの祈りを聴いてくださっているの?」という疑問に、素晴らしい形で答えてくださった神様に、感謝。

「そこでまず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とを全ての人々のためにささげなさい。」(第一テモテ2章1節)
「互いに罪を告白し合い、また、いやされるようにお互いのために祈りなさい。」(ヤコブ5章16節)


神の国の到来      HG

イエス様が来られたことによって神の国が地上に到来しました。それまで人間たちが築き上げてきたものとは全然異なる世界が人間の世界の真っただ中に突入したのです。
「あなたの敵を愛しなさい」とイエス様は教えられました。これは人間の世界では誰一人実行不可能な教えです。でも、これは神の国の話なのです。私たちが実行しようがしまいが、厳然として神の国は存在する、そこに於いては「あなたの敵を愛する」のです。

徳島での無教会全国集会の分科会(伝道)で子供に信仰を伝えることの困難を多くの方が話されました。著名な無教会の先生方にもこの点では失敗した、と言われる方が多くおられます。最も身近なところにいて、しかも最も愛するものに自分にとって一番大切なものを伝えることが出来ないほど残念な、また悲しいことはありません。
実は私もクリスチャンホームに育ちながら中学生後半から「反逆児」になりました。それは今にして思うと、イエス様の教えが「律法」になったからだと思います。イエス様の教えは素晴らしいものです。「右の頬を打たれたら左も差しだしなさい」「何を食べようか、何を着ようかで思い悩むな」「狭い門から入りなさい」などなど。その最高峰が「あなたの敵を愛しなさい」でしょう。
中学生の私はイエス様に従うにはこの教えを文字通りに実行すべし、と理解したのだと思います。これは付き合えない。更には、良きサマリア人の話を教えていながら、困っている人を見て見ぬふりをしている大人たち、何かインチキ臭いぞ・・・反逆してもおかしくありません。
イエス様の素晴らしい教えの数々は「律法」ではなく、「福音」なのだ、ということを分かるには時間が必要でした。
良い師に恵まれて私は「反逆児」から奪還されました。「神の国の到来」をこの身に受けさせていただいたのです。そして思います。神様は一人一人の最適の時をご存じで、最善の方法で福音に導き給う、と。
私たちは神様の御力を信じて、希望を失うことなく、また失敗を恐れることなく「神の国の到来」を伝えたいものと思います。


ある詩を読んで   YE

モグラ

おもいでの
ひかりのなかで

いきている

 少し以前、いつだったか詩集をいただきました。その詩集の中のひとつがモグラでした。一度読み、「うーん」と唸ってしまいました。俳句と同じわずか十七文字の中に、モグラのすべてを見たような気がしました。ルナールの博物誌を読んでいるような気もしました。この十七文字に凝縮された中に、作者のモグラに対する深い思いと愛情を感じました。
 わたしの住んでいるところは低い山の一角なので、たまにモグラの通ったトンネルを見ることがあります。「どうして地上に住まないのかしら?」と思ったことでした。
 モグラのことでは、可哀そうなことをしたという思い出があります。もう三十年も昔のことになりますが、三人の子供と福岡の田舎の小都市に里帰りをした時、小さなデパ-トの屋上で子どもがゲームをしました。今はあるかどうかわからないけれど、「もぐら叩き」というのをしたのです。もぐらが穴から出てこようとすると木槌のようなものでモグラの頭を叩くのです。初めて見るゲームでなんだかモグラがかわいそうで「止めよう。」といって止めたのですが、折々に思いだされる苦い思い出となりました。

 果たしてモグラは初めは目が見えていて、地上に住む他の動物たちと同じように棲んでいたのか、そうではなくて初めから地中に棲んでいたのか、それはわかりませんが、わたしは長い年月の間で環境の変化や生存競争に負けるなどして地中に棲むようになったと思うのです。(そう考えて初めてこのモグラの詩の深さがわかると思います。)穴を掘っていて偶々(たまたま)池などに出くわすと、モグラは泳ぐそうです。モグラの祖先は目もはっきり見えていて、明るい太陽の下、生きていたことでしょう。それが地中に棲むようになり長い年月の間に目は退化して小さくなって見えなくなりました。でも「見えていた」という記憶は今のモグラにも遺伝子が正確に刻んできているのです。おじいさんモグラやお父さんモグラが教えるわけでもなく、太陽の明るい光の中で生きていたという記憶は受け継がれてきたのです。今は見えないけれど、見えていたという思い出がモグラにはあるのです。きっとふと思い出が強く感じられて、地表に顔を出すこともあるのでしょう。

 わたしは創世記が好きでこの聖句にはどういう意味があるのかしら?と、自分勝手に考えてしまいます。神様が造ってくださった「エデンの園」はどうなったの?というのも、そのような疑問の一つでした。モグラの詩を読み、私なりに納得できたように思います。(間違っているかもしれませんが。)アダムとイヴの時から時間は流れました。あの麗しい楽園から追われた二人はこの苦しい地上の生活をおくることになりましたが、きっとエデンの園を慕う思いは心に深く刻まれたことでしょう。神様が御造りになった完全な園、でも神様のたった一つの命令を守ることができず、罪を犯し園から追放された二人。その時から新しい命が絶えることなく生まれました。国も違えば、民族も、言葉も習慣も全く違っているのに、善を慕い求め、美を求め、真を求めます。今はないけれど、持ってもいないけれど、こころのどこかで求めて止みません。それが霊の、新しいエデンの園なのではないか?そしてその園は黙示録にあるように、天にあって私たちを迎え入れようとしているのではないかと思うのです。

 わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。    (ヨハネの黙示録21:1~2

 またその新しい園では神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。     (ヨハネの黙示録21:3~4

 このような世界があることを聖書を通して教えられ、信じていますが、神様はもっと前からこのような願いを私たちの心の深い所に置いてくださったのではないかと、思うのです。聖書を学ぶことによってこうした個人的な願い、思いのようなものも本当は初めから人の心に植え付けておいてくださったのだと知らされるのです。

 あの小さなもぐらが「おもいでの  ひかりのなかで  いきている」ように、わたしも新しいエデンの園に移されることを希って生きていきたいと、思うのです。


徳島滞在一週間点描 (二〇〇七年九月)   MM

「あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。」(詩編一二一・8)

○声
 「徳島駅まで車でお迎えに行きますよ」と何度もYE姉が言って下さったのですが、「一度市内バスに乗ってみたいから・・・」「いのちの水」の奥付で、いつも見慣れている「東田宮」で下車。徳島聖書キリスト集会所に迷うことなく着きました。八月にはまだ青かったナツメの実が茶色っぽくなっているのが真っ先に目に留まりました。一ヶ月の間にも自然の営みは確実に進んでいることを実感しました。
 E姉に迎えられて疲れを覚えることもなく、主にあるお交わりのありがたさを全身に感じました。ふるさとに帰ってきたような安堵感でした。
 私の住んでいるペリデ長田を出発するとき見送ってくださったIM姉に電話すると、「無事に着けて本当に良かった」事と「電話を貰って本当に嬉しかった」事、最後に、「神様が下さった一週間を大切に大切に過ごして下さい」と結ばれました。
 ペリデでは、事務所にいた職員さん達が、「無事着いてバンザイ」と言ってますとのこと。
 お心づくしの夕食をご馳走になりました。
 「いのちのさと」の夕拝に参加ささせていただく為に、Y先生が小松島のご自宅から車をとばして集会所に私を迎えに来て下さったのですが、私がもたもたして先生を駐車場でお待たせしてしまいました。先生はお食事を摂らずに急いで来て下さったというのに。
 本当に申し訳ない事でした。暗い細い夜道をメガネをかけて慎重に走って下さり「いのちのさと」に着きました。知的障害者の作業所での集会ですが、先生は万事このように弱い者に仕え福音の為に捧げておられることを思いました。「愛を投げかけられる」お二人です。心深くに染み込む「声」でした。
 「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である」(マタイ七・12
 「いのちのさと」作業所での学びは詩篇二三編SM姉が司会でした。
 交わりの時、先生の質問、「この花の名は?」テーブルに飾られたお花の中の、クズの花を教えて下さいました。
 IMM夫妻によってこの作業所は運営されていますが、M姉にお会いでき、「薄氷を踏めぬ弱さを主に祈り」と以前拝見した俳句を思い出しました。このような信仰に生かされたいと思っていたのです。
 その夜は、KIT御夫妻の家に泊めていただきました。Y先生の車で送ってくださり、「一真堂」とは「真理は一つという信仰からKさんが命名された」と教えて下さいました。ルルコという愛犬も交えての交流に感謝でした。
 次に、E姉の車でT姉のお宅へ訪問しました。お二人は和やかで昔の清水港の様子なども話して下さりT姉が巧みにご主人様の介護をされる姿に感動、背後にある神様の御手を感じました。
 N家では、今回は手話讃美をYh姉からDVDを基に詳しく教えていただけた事が感謝でした。N姉の車で、アクーオーの会に間に合うように送っていただき、緑豊かな恵まれた環境と共に様々に話しができた事で「お声」が甦ります。
 一週間、すべての集会に出させていただき、み言葉に恵まれ、たくさんのお交わりをいただきいよいよお別れの日、O姉の車で徳島駅まで送って下さいました。E姉、O姉、S姉と高速バスに乗るまでお話しできた事、その「お声」が植え付けられています。O姉が「私の車に乗ってくださり嬉しいです。少しでもお役に立てて感謝です。」私は胸がきゅんと熱くなりました。
 徳島の主にある皆様のお働きには圧倒されますが、口先の事でなく真心から、極く自然に行動なさるのがすぐに伝わってきます。
 人間、最後まで意識、記憶に残るのは、「声」であると聞きました。一週間の間に大勢の方のお声に接したこと、「祈り」合えた事その方々の背後に在ります神様、聖霊様の風に驚くほど私は元気にされました。
 主の御名を讃美致します。どうぞ、恵み深き主がお一人お一人と共に居て下さり豊かにお報いくださいますように。


見えるようにして下さい   MY

「こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」
                   ヨハネによる福音書九章三九節

森の方から動物の声や足音が聞こえると
 我が家の犬は居ても立ってもいられなくなる。
 飼い主を引っ張って追跡しては、
 猿、鹿、兎、笹 熊などとしばらくの“にらめっこ”を行うのである。
昼間では、緊張しても楽しい一面がある。

しかし夜に、そうは行かない。
 空に月や星が出ない限り、
 道も森も真っ暗。
樹々の枝が、覆い被さり暗闇の中に襲いかかって来るようで、
 しばしば足が震える思いで、
灯りがある方へ駆け込むしかない。

様々な日々の暮しの中で、
 闇の力が勢いを奮い、迫り来る不条理に
、何とか絶望に抗して
「希望のありか」を見つけ、
 新たな歩みを起こしたいと思う。
 聖書はそのありかを語る。

 深い闇に「見えない」とうめき、
 灯りの方へ逃れる道すがら転倒して、
 どんなに無様な、惨めな姿であったとしても、
 きっと帰るところがある。
 安心 して、何度でも立ち直ることが出来る場があると 証言する。

辿り着いた光のもと、
着の身着のままの姿で
イエスの言葉を聞くと、
 心の底に響いて来る息吹がある。

この息吹を呼吸して、
 見えないこと の葛藤と悲しみが、
 自由と喜びに逆転する時がある。

かつて、
創造主に息を吹き入れられて生きる者とされた人間が、
 深い安らぎと意欲を見出し、
 創造の神と対話して生きる新しい歩みを起こされる。

 この世に絡め捕られていた常識や価値観から解き放たれて、
 み言葉を本当に心で聴くことができるなら、
 私は人の話をも真に聴くことができるようになるであろう。
 
それから、心に響き合うことばを語れるようになるのでは、と思う。
「神さま、見えるように、聴けるようにして下さい。」
 と私は心から願い、祈り続けて行きたい。 

「輝かせよ、主のともしび、われらの闇の中に。
望みを主の手にゆだね、来るべき朝を待とう。」
     讃美歌二一、四六九


神与えたまう    NY

 「多く与えられた者は多く求められる」(ルカ十二章48節)、あるいは、「タラントのたとえ」(マタイ二十五章14節-30節)にあるように神は私たちに能力を与えてくださっている。その能力の範囲はいかに? 私は今までいわゆる人並み優れた能力というものは神の賜物に違いないと思っていた。その他の通常の機能、見たり、聞いたり、話したり、食べたり、これら肉体に密接に関するものについては賜物というよりは自分のものという意識が強かった。日本には古来、「身体髪膚これを父母に受く」という言葉もあり、肉体に関するものについては神からの賜物という意識はまったく無かった。
 しかし、考えてみればどこまでが神の賜物でという線引きを考えること自体が変である。すべてが神の賜物であって何の不思議もない。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか」(出エジプト記四章10節-11節)と言われている。神から預かった肉体及び能力。そう考えると、私たちは罪深く常に過ちを犯す存在であり、それを神に赦して貰う必要があるということは非常にわかりやすい。他人の命及び肉体を傷つけるのも、自分自身の命及び肉体を傷つけるのも、預かっているものならば神に対して申し訳のないことをしていることに違いない。神は自分が創ったのだから、自分が与えたのだから、自分のものなのだから、という言い方はめったにされない。むしろ人間が自分の命のこと、肉体のことを大切に思うのはよくわかっていると言われている。しかし同時に人間が命を一瞬でも永くしようとしても、それはできないと主は言われる(ルカ十二章22節-34節)
 一方、人間はともすれば、単純な生命体から自然淘汰により進化して人間は発生した、自然に(生殖の必然として)自分は生まれた。誰のおかげにもなっていない。自分は自分だけのものであり、すべて自分の自由にして何の問題もない、と考えたがるところがある。神という存在なしに自分は存在していると考えたい人が多いのではないかと思う。私たちは、自然にとか科学的なメカニズムに従ってというとき、超自然的な力は何の力も働いていないように思ってしまうが本当にそうだろうか。自然科学的に解明されたから、それは神の力とまったく無関係な事柄だといえるのだろうか。ただ私たちにわからないだけではないだろうか。私たちに気がついていないだけということはないだろうか。
 私たちは生まれつきどこかに欠陥を持って生まれてくるのだと思う。神はそのように私たちに与えられたのではないかと思う。程度の問題で、すべてが完全という人はいないのではないか。また、生きているうちに誰でも病気になる。このような欠陥や病気の原因は遺伝子、DNAのレベルでわかってきている。ある遺伝子が正常に働いていないから先天的な遺伝病を持っているのだということがわかって、これは自然であり、必然であり、なるべくしてなっているとだけ考えてしまい、それで何も問題がないのだろうか。神は私たちそれぞれに人並み優れた能力を与えられた。健康な肉体を与えられた。それと同時に私たちに、どこか不具合のある肉体や機能も与えられたのではないだろうか。
 主は私たちにわかりやすいように5タラント、1タラントと、多くあるいは少なく与えたと言われたのではないだろうか。肉体的に欠陥のある身体を与えられたからといって主の恵みが少ないということはないのではなかろうか。その人はそれらの肉体的欠陥に勝る他の恵みを与えられ、大多数の人がみんな5タラントの多くの恵みを与えられているのではないかという気がする。例えば、神の存在がわかり、神の恵みを感じるということは大きな恵みだと思う。目につきやすい肉体的欠陥に目がいきがちで、私たちは他の重要な恵みに気がつかない場合もあるのではないだろうか。
 主が私たちに与えられた思いに従って、その5タラントを有益に活用することが私たちに課せられた任務なのだろう。


短歌      NS

○聖霊は世の初めより終わりまで
           流れ続ける大河となりて

○御子ですら御父にすべてを聞くという
           我らも御霊に一々尋ねて

○主は生きて使徒に姿を四十日 
           見せて教えて天に帰れり

○神知らぬ人の心に御言葉を
           入れてください御霊の出会いを

○神様の御前にひれ伏す十五分
           時間の長きを始めて知りぬ

○イエス来れば嵐吹きつけ苦難来る
           主が共に居ると信じて恐れず

○ガリラヤの春は終わりてゴルゴタの
           坂道登る十字架負いつつ

○当然の親子の情が通じない
           嘆きは深し望みは主の愛

○ばらばらのパズルの如き我が聖書
           ようやくつながる二、三の聖句が

○黒毛虫さなぎとなりて時を待ち
           定めの朝に舞う蝶となる


神の業が現れるため  KT

 旅行に行って、海で泳いで、おいしいものを食べて、祈りを忘れ、空しさに襲われる。 丈夫な体を与えられ、お金にも困らず、幸福な家庭に恵まれて感謝を忘れる。
 健康を奪われた人がいる。仕事を奪われた人がいる。尊厳を奪われた人がいる。日々、身体の痛みに耐えている人がいる。不自由を我慢している人がいる。侮辱を忍んでいる人々がいる。
 不自由を感じずに生活している私は、驕って神が見えなくなり、方向感覚を失って不安になる。
 一方、不自由なようで自由で、持っていないようで持っている人がいる。 
「視力は失われたけれども、心の目が開かれた。」全盲の方の言葉である。彼女の顔は輝いていて頼もしく、たとえ目が見えなくなっても恐れることはないと約束してくれる。聞く者の目を神に向け、静けさの中でみ声に耳を傾けさせる。私は祈りを思い出し、不安を取り除かれ、讃美に満たされる。
人の犠牲によって満たされる。悲しいことだが、苦しみに耐えている人を通して私はキリストに出会う。いつも、いつも、いつも、誰かの犠牲の上に立っている私。そしてイエス様はいつも、耐える人と共にいる。ここに神の業がある。
クリスチャンでなくても、苦しんでいる人はすでにイエス様に抱かれているようだ。信仰や讃美はなくても、耐え忍ぶ姿はキリストを思い起こさせる。自分の無力を受け入れ、自分を守ることを諦めた姿。その姿に接するとき、排気ガスだらけの喧騒から礼拝堂の中に導かれる思いがする。私の隣にいる苦しむ人は、私のイエス様だと思う。讃美歌の歌詞が胸をつく。
 主にのみ十字架を負わせまつり われ知らず顔にあるべきかは


松田 敏子さんにお会いして     KK

 徳島で行われた全国集会に浜松からMTさんと言う方が来られた。肺ガン末期、ということでみんなで祈っていた方だった。参加できないかも知れないと言うほどだったMさんは、守られてお元気に参加され、印象的な証しをされ、元気に帰って行かれた。その方がご自身の経験を書かれていた小さな冊子を持ってこられていたのを数日後、いただいた。
 読んで、心に迫ることがあった。Mさんは女性の服役者の刑務官をされていた。そこで、多くの絶望の中にある方達に出会った。「死にたい」というその絶望の中で、Mさんを通してイエス・キリストを知り、希望を見出された方のこと、また刑務所にも不思議な祝福があったことが書かれていた。
 精神科病棟での看護師をしているわたしは、「死にたい」という絶望の叫びを何度も聞いている。体は健康であっても「死」が誘いに来るような絶望の中にある人たちに接し、イエス・キリストの福音を伝えたい、という思いがあるけれど、仕事の中で、わたしは何もできない。どうすればいいのかわからない。そのジレンマを抱いて働いていた。
 Mさんの文章を読んで、松田さんにもう一度会いたい。会って、話しが聞きたい。祈ってもらいたい。Mさんに働いたキリストに触れたい。聖霊の火を燃え移させてほしいと思った。
 連休が与えられたので思い切って訪問した。徳島から神戸に行ってから浜松に行った。新神戸を出るのが午後になり、Mさんの住まわれている老人ホーム「もくせいの里」についたら三時だった。到着前に電話した。驚きながら、玄関までMさんが迎えに来てくださった。しっかりと歩いておられた。Mさんは徳島から帰ってから、ガンが小さくなったそうで、胸水もとらなくてもだいじょうぶといわれたそうだ。ガンがありながらの八六才には思えない力があふれている。突然の訪問にもかかわらず、ずっと前からの知り合いのように話せる、キリスト者同志はいつも不思議だなと思う。
 Mさんの部屋に通して頂いた。茶畑の見える静かな里。見晴らしのよい四階。ドアの前には「9条を守る会」の表札がかかげられ、部屋にはみ言葉があちこちにあり、ほっとする。しかし、日帰り。時間は30分。くつろぐ間はない。
 ベッドに座るMさんの足元に座り、Mさんに会いに来た思いを一気に話した。それからじっとMさんの返事を待った。Mさんは素直に困っておられた。
「わたしはね、ただ、イエス様を喜んでいただけなの。ほんとうにね、ずっとイエス様を喜んでね。何もしていないのよ。ここまで来てくださって、そんなに言えることが何もなくて申し訳ないね。勉強もしていないし。ただ、イエス様を喜んでいたらね、Mさんの行っている教会に行きたい、という人が現れてね。それで救われた人がいるけれど、わたしは何もしていないのよ。いつもイエス様を喜んでいるわたしは何も考えていないからかしらね。いつも、与えられてばかりで、感謝ばかりでね。申し訳ないね」
「夕暮れに光があるって、ゼカリヤ書のことば。今、このことばが迫ってくるのよ。こんな老後を過ごさせてくださるとは思わなかった。年を取ってもそうでなくても、この言葉は必要ね。」
「台湾伝道で、話した言葉が心に残っている。それはイエス様がいてくだされば何もなくてもいい。でもイエス様がいなければ、何があっても意味がない。それだけよ。」
「イエス様は生きていらっしゃるのよ。」
「主の祈りで、わたしが赦しましたように、とあるけれど赦すようなことは思い当たらなくて。赦されてばかりでね。」
 Mさんは、何もしていないので、何も言えなくて申し訳ない、と言われた。多くのお働きをされ、台湾でも伝道され、パワフルに働いてこられたのに「不思議ね、気がつくと台湾にいたような感じなのよ。なんでわたしここにいるのかなって思ってね。また、今も浜松で暮らすなんて思いもよらなかったのに、来ないかといわれて、気がつくとこんないいところで過ごさせて頂いているのよ。何もかも与えられてばかりで…」
と話された。作り物でない謙遜を見た。
 Mさん、わたしのために祈ってください、と頼んで座った。ああ、やっぱり、この祈りの力強い声!
「ハレルヤ、ハレルヤ!…」と祈ってくださったこの祈りの力強さ。そして、なんどもハレルヤが出てくる。それは、魂からあふれてくる泉の水のようだった。この泉のような喜びのハレルヤ!が、絶望にひかりを与えてきたのだろうと感じた。来て良かったと思った。
 三〇分は短い。それでも、この三〇分の祝福は一生の宝物になった。Mさんは玄関から外に出てまで見送ってくださった。ずっと手を振ってくださった。そしてわたしは浜松を後にした。
 帰りの新幹線の中で思ったMさんにあふれているあの喜び。感謝。謙遜。幼子のように神を求める信仰って、こういうことなのかな、と思った。イエス様を見て、イエス様を喜び続けておられた松田さん。救われた喜びにあふれて電車に乗ったとき、窓にうつるご自分の顔を見て、あまりの喜びようで「どなたさま?」と思われたと、他の文書に載せておられた。「いつも喜んでいなさい、たえず祈りなさい、すべてのことについて感謝しなさい。」この本物のキリストにある喜びの中に神様が働いてくださるんだと思った。そして、「けれどわたしは何にもしていない」と、心から話される姿に、本当の謙遜を知らされた。 
 絶望に希望を与えたい。それは、患者さん達に対する心からの願いではあったけれど、その前に、お前は大事なことを忘れている、と神様に言われた気がした。
 イエス様を喜んでいるか。感謝しているか、謙遜か。すぐに考えすぎてもつれてくる心。喜べない心が感謝を忘れる。そしてすぐに思い上がってきてしまう。でも、そんな自分に落ち込むのは止めよう。罪を見ていてもどうにもならない。だから、神様はこのようにMさんに会わせて下さった。それこそが、祝福のしるし。イエス様を喜ぶことによって、もつれた心は流されるのだと思った。
 ハレルヤ!ハレルヤ!わたしもいつか、Mさんのように泉からあふれるハレルヤが言えるようになればいいな。ハレルヤ!
 あふれる思いを抱きながら見る帰路の車窓には、海辺の町の灯りがポツポツ灯り始めていた。とても暖かいひかりにみえた。美しい夕暮れの海と町の灯りに「夕暮れに光がある」というMさんの部屋に大きく貼られていたみ言葉を思った。ハレルヤ!


ヨハネによる福音書にワクワクしています!  SY

 浦和キリスト集会では、今度礼拝で、ヨハネによる福音書を通して、み言葉を学ぶことになりました。そのことを集会の皆さんにお伝えしたら、複数の方が、「ヨハネによる福音書を読めるなんて、ワクワクする思いです」、とおっしゃいました。
「浦和キリスト集会月報」の最近号に、その第一章の最初の、あの有名な言葉について書いたら、これまた二人の方から、楽しみにしています、とお手紙をいただきました。そのお一人はMTさんで、そこには「刑務官の頃、クリスチャンの受刑者のお母さんの面会に立ち会いしたときに『ヨハネ伝を七回繰り返して読みなさい・・・』と話していたことを思い出します。」とありました。
 もう一人の方は「ヨハネ福音書冒頭を、声を出して読みました。いのちについて伝わってくるものがありました。」とまで書いてくださいました。
たしかにこの福音書は何か特別の思いを抱かせるものがあります。勿論聖書のどの文書もそれぞれに独特な感動と趣きを、読む者に与えてくれるものではありますが・・・。
でもヨハネによる福音書はやはりどこか違うように思えてなりません。それは、わたしたちの一番大事な方、イエス・キリストについて、もっとも深く、もっともはっきりと示してくれるからではないか、とふと思います。

「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父の独り子の栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
・・・
わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、
恵みの上に、更に恵みを受けた。
律法はモーセを通して与えられたが、
恵みと真理とはイエスキリストを通して現れたからである。
いまだかって、神を見た者はいない。
父のふところにいる独り子である神、
この方が神を示されたのである。」
(第一章14,16-18

ここには、勿論パウロの言う、贖罪の信仰に関する記述は一言も言われてはいません。でも自分が罪深い者以外ではあり得ないことを示された者は、このヨハネの言葉に深い慰めと、救いの大きな喜びを与えられます。
そしてその深い慰めと救いの大きな喜びに満たされた者は、いまはっきりと、罪なき神の子がなぜ十字架にかからなければならなかったのかを、人知れずに分からせていただけるのです。
だから、パウロの贖罪信仰と、ヨハネによる福音書の恵みとは一つの真理を示すのです。このヨハネによる福音書で、いま活きて働いていらっしゃるイエス様ご自身にお会いし、そのいのちのみことばをあふれるばかりにお受けできるなんて!
そのことを思うと、本当にワクワクしてきます。(2008.8.6


敵対しないこと   TR

 今年の五月に徳島での全国集会に初めて参加することができました。娘がまだ小さく手がかかるので部分参加でしたが、本当に多くの祝福と学びがありました。今回全国集会に参加するにあたってひとつの試練がありました。それは、家族、親戚などからのキリスト教に対しての反発を以前にもまして受けることとなったのです。ちょうど部分参加を決めていた日曜日に家庭の行事と重なり、全国集会を優先した私たち夫婦に今まで温厚だった人々が冷たくなり、緊張した状態が続き私たちも悩みました。そんな中で、祈り求めたら、集会の兄弟を通して、主が私たちに応えてくださったのです。その時与えられた御言葉は、ルカによる福音書六章二二節「人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。」
二三節「その日には喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。」
また、主は、集会の兄弟を通して直接こうも教えてくださいました。「どんなときにも、どんな人にも、決して敵対してはならない。反発を受けるときは、試されているときであり、その反発に敵対してしまったら、いとも簡単に戦争になる。その反発に敵対するのはとても簡単で、むしろそうしない事の方が難しい。しかし、悪魔の誘いに乗ってしまうことになる。どんなときにも、穏やかに対処する、そうすれば、不思議と主が助けてくださり、道を開いてくださる。また、それによって不思議な平安が与えられる。」と。
その学びをいただき、心が静まっていくのを覚えました。また、もっと不思議な平安が与えられたのはその後です。
難しいながら、祈りをもって、自分たちのするべきことに忠実になり、親戚に穏やかに接するように努めることができました。そうしたら、人々の態度が穏やかになっていくのを感じました。何より、私は自分自身の人に敵対してしまい不安がある、その罪の苦しみから解放されていくのを感じました。それによって平安をプレゼントされたと感じました。
今回の全国集会に参加できて、大きな祝福の学びを集会の中でも外でもいただいた思いです。
神様、感謝します。


謙遜とは     NN

「真の謙遜とは、ただ神だけを見つめ、人間を見ないことである。神の御前に幼子のような心でその喜びや感謝を表すこと、そしてただ神の語りかけだけに耳を傾ける姿勢なのである。」(いのちの水 七月号)

「人を見ないで神だけを見るように」と、集会入会後にI先生に言われたことがありました。それがなかなかできない私でしたが、今は次のように言うことができます。
集会において、人間を見ていてはつまづくだけです。
神の語りかけが素直に魂に入ってこないことになり、何のために礼拝に出席しているのか分からなくなります。
神のメッセージだけに耳を傾けよう、と決心して「主よ、そのようにさせてください」と祈って礼拝に出席すると、本当に人間を見つめないでいられる、人のことが気にならなくなり、かえって気になっていた人の中に住んでおられるイエス・キリストが見えてくるものです。
神にではなく人間を見つめるということは、人を頼り、人に認められたい願望があるともいえます。思い通りにならないことを他人に転嫁した挙句、犯罪に至った事件がここ数年起きています。そうならないまでも人に期待すればそれが叶えられなくなった時不平不満が生じます。私もともすればそうした悪の力に負けてしまいます。
しかし神に立ち返るとき、自分の愚かさや傲慢さに気づかされて「自分はなんと言う罪人なのだろう」と打ち砕かれます。あれほど苦しかったのに次の瞬間には、罪を気づかせてくださった神に喜びと感謝を捧げている自分がいるのです。
人間を見つめないということは人間を恐れないということでもあるともいえます。人を恐れないということはなんと自由になれることでしょう。真理は人を自由にする、とのみ言葉を実感します。
人間ではなく神を見つめると、どの人間も罪びとのまま、神にとってかけがえのない者であることが知らされます。次のはマザーテレサの詩です。

わたしたちはすべて
  神にとってかけがえのない者
道端で死んでゆくあの男の人も
  神にとってかけがえのない者
あの億万長者も
  神にとってかけがえのない者
あの罪を犯してしまった人も
  神にとってかけがえのない者
神は私たちを愛しておられるのだから
        
 マザーテレサの詩は「神の立場」になれば私たちはおのずと謙遜になれるということを言っているのではないでしょうか。
キリストの謙遜は次の聖句に言い表されています。
「キリストは神の形であられたが、神と等しくあることを固守すべき事と思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、己を低くして死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」ピリピ二・68
このイエス・キリストの謙遜を思い起こして、キリストと共に生き、わたしたちが誠実でなくとも常に真実なお方、キリストに従っていきたいと思います。テモテⅡ二・813


ああ 主の瞳     YF

一  ああ主の瞳 眼差しよ
聖き御前を 去りゆきし
富める若人 見つめつつ
嘆くは誰ぞ 主ならずや
二  ああ主の瞳 眼差しよ
三度わが主を 否みたる
弱きペテロを 顧みて
赦すは誰ぞ  主ならずや
三  ああ主の瞳 眼差しよ
疑い惑う トマスにも
御傷示して  「信ぜよ」と
宣らすは誰ぞ  主ならずや
四  昨日も今日も 変わりなく
血潮したたる 御手を伸べ
「友よ帰れ」と招きつつ
待てるは誰ぞ 主ならずや
 聖日礼拝のお講話のあと、この「主の瞳」を讃美しつつ私は胸が一杯に溢れて涙がこみあげてなりませんでした。人生の多くの闇、嵐、波風の中でさまよい沈む時、幾たび私はこの主の瞳に救われ、力をいただいて歩ませていただいたことでしょう。
 主の最後の晩餐のあと、ペトロは「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」(マタイ二六・33)と言います。しかし、イエスが逮捕された時、弟子達は皆イエスを見捨てて逃げました。ペトロはイエスを案じて大祭司カイアファの中庭へ行くのですが、そこでとがめられると「そんな人は知らない」と主を三度び否むのです。そのペテロに振り向いて主は憐れみをこめた眼で彼を見つめられたのです。ペトロは我にかえり号泣するのです。私達すべての人間の持つ弱さ、私の罪の存在をしみじみ思わせられる場面であります。
 最後の晩餐の席上で主はペトロに次のように言われました。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあたたのために信仰がなくならないように祈った。だから、あなたが立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカ二二・3132)」 自分の愛を裏切る者に対して、私はあなたのために祈る、と言って下さる主の愛の限りない広さ、深さ、この主の愛に号泣することのできたペトロは幸せでした。
 そして、私もまたこの祈りを私への祈りとして受け、日々守られ、また主にある師友の祈りに支えられています。また主がペトロを見つめられたのは、ペトロが号泣し悔い改める前のことでした。イエスの命をかけられた十字架の贖いにより私たちはもう神の救いの御手の中に置かれているのです。
 人として生まれ給い、人間の弱さをご存知の主にすがりて、幾たび揺れても根はキリスト・イエスにしっかりとつけて揺れていいのだ。そして、主に立ち返ればいいのだ。と私は一生の歩みを通して知らせていただきました。心動かされる度に祈りて。
 主はラザロの死に涙を流される方でした。フィリピ人への手紙二・68に「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」と書かれています。
 イザヤ書五三章にあるように、神の御子でありながら私たちの病、痛み、罪を背負って軽蔑され、見捨てられ、砕かれてくださったのです。神の愛は、神の深い痛みと忍耐を秘めた大きな愛であります。
 何という有り難い事でしょう。
 この主を信じ、見えるものではなく見えないものに目を注いで希望をもって日々歩ませていただけることを心から感謝し祈っています。


俳句   IM

○山路ゆく 主を覚えたる 風一涼
○露草に しずく一滴 主の恵み
○田植えする 流れる雲を 踏みしめて
○蛍火の 水面流るる 鮎喰川
○紫陽花の 雨のしずくも 藍に染み
○流れくる 若葉の香り 風に乗り
○鳴く牛の 声を吸い寄す 滝の音
○牛追いて 息を切らせし 花の雨
○寝転びし 牛に触れゆく 若葉風
○牧草を 食みし牛の背 風光る


無理に負わされた十字架     TE

「兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので  、イエスの十字架を無理に担がせた。」(マタイ27・32

 家庭集会でマタイ27章27節以下を学びました。
 イエス様が負わされていたのはとても重い木の十字架でした。
 それを背負ってのゴルゴダへの路は、無惨にむち打たれて弱り果てよろよろと倒れそうになり、もう歩けなくなっておられました。
 そこにいた群衆のなかからたまたまキレネ人シモンがイエス様の身代わりに十字架を負わされて歩かされました。
 多くの群衆がいたなかでたまたまいあわせた一人の人の名前が記されています大勢の人がいて混雑したなかでのたった一人となったシモン。
シモンが十字架をよろこんで背負ったわけではありません。無理矢理命じられてのことでした。
 イエス様の身代わりに十字架を負わされたシモンはゴルゴダへの路をどんなに重く感じたことでしょう。
 直接の重さよりも心に受ける苦しみです。
 全く身に覚えのないものに犯罪人と同じように扱われて歩き続けていくその苦しみです。きっと逃げ出したかったことでしょう。
けれども、。このようにキレネ人シモンの名が聖書に記されているのは、後にキリスト者となって大きな働きをしてみんなに知られたからだと思われます。
 重荷とおもえるもの、それが後になって祝福に変えられるのだと教わりました
私たちも苦しみはなるべく避けたいと思います。
 でも、この聖書個所のように神様はわざわざ人に病気や苦難などの大きな苦しみを与えられます。
 そして、その重荷のゆえに後にキリスト者になっていった人が多くありました。

 この学びは私にもとても心に感じるところがありました。
私が途中で失明したことは、「神様、なぜですか」とか「いやです」と拒んでしまうことでしかありません。
 それでも神様は私に強いて失明という重い荷を負わされました。
無理矢理にです。
 でも、そのことのおかげで確かに私は神様に出会い、イエス様の十字架のあがないと罪の赦しの恵みに預かることができました。
苦しみを受けたその時はそのことの意味がわかりません。後になって神様のご計画のなかにあったことであり、それは神様の祝福への路だったのだと知らされます。
苦しみを受けた時は、痛みだけだと思えることも、いつのまにか癒されていて、そこから新しい恵みの命が芽生えているのです。
 神様の祝福の種が蒔かれたのはそこからでした。
 そして、少しづつ芽生えて成長しているのです。
 一番重い荷を負ったのはイエス様、あなたです。
 すべての罪を担ってくださったから赦されました。
 イエス様を信じるようになってからも、今思い出してみると、自分からはとても負いきれないと思うような重い荷を負わされたことが何度かありました。
 でも、後になってわかるのはそこに神様の御手による守りがあって祝福への路に導かれています。
 心に重い荷を追わされても、誰にもその苦しみはわかってもらえなくても、黙って従っていくしかありません。
 イエス様は祝福と平安を用意してくださっているのですから、そのイエス様を信じて、いつも十字架を見つめて生きていけますようにと祈ります。


神の救い   SH

「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」ヨハネ五・48 
 ヨハネ福音書の中にはイエスがなされた多くの奇跡が書いてある事を最近の学びで感じた。私たちも信仰生活の中で様々な神様からの地上的な多くの奇跡やしるしを語ったり話しをする事がよくある。そして、人の話しを聞いて感心したりまた驚いたりする。けれどもその反対に自分の信仰が低迷したり心が沈んでいたりすると神様は私に働いて下さらないとか神様の恵みがないとか思いよけいに暗い方へ落ち込んでいく事もある。信仰はいつもかも満ちあふれているような感じがするものでもないと思う。私たちは自分の心の状態と信仰が深く関係するようなことも感じますが、私たちが目を留め、心に深く感じているのは、キリストの深い変わらない愛だと思います。キリストが私をどれほどどのように強く愛してくださっているか。その愛は私の思いや心の変化によっては移り変わることはありません。
 今私がどのように何をしている時もキリストが私の為に死んでくださるほどに愛して下さっています。
 今、私がどのように、何をしている時もキリストが私のために死んでくださる程に愛してくださっています。人に神を伝えて落ち込む時、人に虐げられる時、人間に失望し孤独にある時、自分が傲慢で恥ずべき心に陥っている時、信仰の友が一人もいないと暗い思いに陥った時、それでも神は私たちを愛していて下さる。
 台所で洗い物をする時も、私の頭上にイエス・キリストの十字架をかかげて一瞬、一瞬を生きる事ができるようになった時こそ私たちの小さな隠れている地味な生活もそのところで神の栄光を仰ぎ、喜んで生きる事ができると思う。神は私を造られる前から見ていて下さった。このキリストの愛こそが私たちの救いであり、私たちの生きる力であると思います。
「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは、御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。」ヨハネ三・16


幼子のまなざし   SY

「はつきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入
ることはできない。」 ルカ十八の17
 先日、久しぶりに会った友人からお嬢さんの近況を聞きました。小学六年生の彼女は学
校で周りの友達が、いつも誰かの悪口を言っていることが悲しくてたまらないのです。登
下校中、休み時間も周りのささやきは止まる事がなく、彼女はそれを時々交わしながらも
どこかで友達を裁いている自分が嫌だと言うのです。彼女の涙を見たお母さんは、なんと
慰めたらよいかと悩んでいました。
 それから数日後の駅の待合室でのことでした。行楽帰りの親子連れがひとつの空いた席
に近づいてきました。四才くらいの女の子がそこに座ろうとした時いきなり、ばしっと父
親が女の子の頭をたたきました。それから、「お前が座るんじやない。荷物を置くんだ。バカ。サル」とどなつたのです。その後飲み物を買ってきた父親は、母親と二才くらいの弟に優しく声をかけて飲み物を与えて自分も飲みました。それから女の子にも与えたのですが、「バカ。そんなに飲むな。サル。」とまたどなったのです。その光景は、こちらが涙が出そうで女の子の顔を見ることができないほど、なんとも悲しいものでした。
 先ほどの友達のお嬢さんは、名前に「祈り」の字がついていて家族に愛され、祈られて
育ってきました。そんな中で、友達を思いやり心無い言葉に彼女自身が傷つき悲しんでい
るのです。悲しむものとともに悲しむ心を神様は喜ばれます。彼女が、そうした素直な心
とまなざしをいつまでも持ち続けて欲しいと願っています。
 また、父親にサルと呼ばれて、理不尽な怒られかたをして育つあの幼い女の子が、清い
ものに触れて、神様のお守りのうちに成長できるようにと心から願います。
 幼子のまなざしは、清いものもそうでないものも一心に見つめることを思うとき、おと
なの役割は大きいと思わされます。神様を知らされた私は、自分も神様を一心に見つめ、
そのことの幸いを伝えるものでありたいと思いました。


メメント・モリ    IE

若いころ心のどこかで親しくなって久しいこの言葉がラテン語だったと知ったのは今年四月に北島集会で学んだ時でした。メメント・モリ、むかし何かの本で讀んで、一瞬ギョッとしたおぼえがあります。もう四十年も前のことですが、その時胸に打ち込まれた楔(くさび)のようなもの、それは死の楔であったかもしれません。
でも、今になってあれは、本当は何だったのかと思いをあらたにすることがあります。ひょっとしてそれも神様の導きのひとつだったかもしれない、安易に生きるな、人はいずれ死ぬもの、と、若くて浅はかな自分への神様のおこころだったのかも知れません。 この言葉の持つ独特の語感と、「死を忘れるな」という意味内容。何故かこころの中のある位置を占めて、消えては浮かび、浮かんでは消えながら年月の中でかすかに鳴り続けていましたが、それはまた心のどこかで、長い年月、死とともに歩いた証しでもありました。 で、最近、まったく思いがけなかったところで、その不思議に懐かしい言葉に再び出会ったのです。

何事をなすにも、
おまえの人生の終りを心に留めよ。
そうすれば、決して罪を犯すことはない。(旧約聖書続篇)シラ書七・36
「メ メント」は忘れるな、「モリ」は死を意味するこの言葉はプラトンかソクラテスか、どちらかが言ったか書いたか、なのだと学びました。
 若い日に死が、楔のように打ち込まれたけれど、その死から救われる方法はなかなか見いだせませんでした。生の終りのときが見えかくれするのに、ゲンジツにはどう生きていいのかわからないままでした。とりとめもない不安、希望のなさ、そして生きていることの目的もわからないまま。人生の終りに死だけが待ち構えているのなら、なんのために生きているか分からないではないか、わたしは何のために生きているのだろう。他の人はどうやって生きているのか、大勢の人はそのようなことは殆んど問題にもせずに日々を送っているかのように見えました。
そんな中でも、何とか生きていることはできます。とりあえず、別のことで間に合わせるような、そんなことの連続のような長い旅でしたが、なかば諦めかかっていた頃(やっと)神様が魂を捕えてくださったのでした。
集会での「聖書」の学びは、わたしに絶大なものを与えました。生きるということ、その実感。生きるとは何か。その生きる方法。死とは何か、その死ぬ方法。そして永遠のいのち・・・。まさしく聖書を通して、人生の秘義を日々教えられていると思います。いま完全にはわからなくても、聖霊が教えてくださる、教え続けてくださる。 シラ書のこの箇所を学んだ時、思いました。神様の導きによって、やっと在るべき場所、歩くべき道の上にたどり着いたのだと。
集会の読書会で学ばせていただいているダンテの「神曲」の地獄篇第三歌の始めにこうありました。

ここ過ぎて うれへのまちに
ここすぎて 嘆きの淵に
ここすぎて 浮かぶ時なき
群れにこそ 人は入るらめ (抜粋・森鴎外訳)

ダンテがめぐる「地獄の門」には、このように銘記されていたとあります。
 ある意味でこのことは私自身にも当てはまるので、とても惹かれるものがあります。若いころ打ち込まれた「死の楔」はわたしにとって、地獄の門の銘と同じ意味合いがありました。この死んだような何十年は、自分にとって地獄を巡る旅だった、と思うからです。

 神様が背後で大きな力で支えてくださるのでなければ、ほんとうの命は見いだせない。
 誰だったか、「太陽と死は直視することができない」と言った人がいました。神様を知らなければそうでしょう。確かに神不在の魂はそれだけで死んでいるし、死を直視することなど恐ろしくてとてもできない。神様を知らなければ、死は単なる滅びです。直視できないのは、その背後にある恐ろしい虚無の深淵を見るからでしょうか。人はそれには耐えられない。だからこそ多くのひとは、死なんかできるだけ遠ざけて思い出したくもない、縁起でもないと言うのでしょう。
 神様によって、死の向うに新しい光の世界があることを知らされるのでなければ、そこにあるのは絶望だけですから。
 シラ書の「決して罪を犯すことはない」という言葉も、ほんとうに神様を知らなければ、その意味があいまいになります。人間は神様なしには何が罪か、なにが罪でないのかさえはっきりと知ることができないでしょうから。
 今思います。パウロが言うように「時間が縮(ちじ)んでいく(Ⅰコリント七・29)」と。わたしたちは日々残された時間が少くなっていきます。いいえ、それは明日までかも知れません。そう思えば、神によってそのお心を知らされ、何を為すべきで、何を為すべきでないかを知らされた今、罪を犯すようなことはできるかぎりしたくない、清められて生きたい、罪深いこの身も主のようにまで清められていく道が与えられているのだから、とほんとうに思うようになります。
 それだけでなく、その先に、神様は何という思いがけない大きな贈り物をくださったのか。あの生涯のテーマであった「死を克服する」という乗り越えがたい壁はどこへいったのか。いつの間にか、死の楔も朽ち果てたように、さほど気にならなくなり、それよりその先にある希望のほうが大きく、またその上「永遠の命」ということについても知らされたのでした。「神曲」にあるように、わたしたちは、地獄から煉獄を経て天上に至るその途上にあり、やがてイエス様のいのちに、わたしたちを合体させてくださるということ。そのことも感謝と共に思わされます。「神曲」が語っているような壮大なドラマ。神を知ることによって死の向うにあるもう一つの世界を仰ぎ見ることができるということ。生死を超えた本当の命や希望について示されていることへの驚き、また感謝。このみずみずしい脱皮の朝を迎える驚き自体を考えてみることもなく死んでいく人生こそ渇きそのものではないでしょうか。
 眼に見えないものを無いもの同然のように思って生きていたときの、ある種の渇いた砂を噛むような感触は今もまざまざとよみがえってきます。それは実体験として神様が与えてくださった厳しい戒めであり、また深い恵みでもありました。生きて語りかける神、生きて働きかける神。驚くべきこと。だからこそ全ての人に希望がある、求めていけば必ず与えられる、と、神様を未だ知らず、いのちの渇きに苦しんでいる方々に心の底から申し上げたいのです。


MP3CDによってヨハネ福音書を学ぶ   KT

 我が家での家庭集会では月二回、Yさんの講話が録音されているMP3CDによってヨハネ福音書を学んでいる。初めは機械の扱い方に不慣れな為、機械から音がでるまでに長時間を要し、やっと講話を聞くという状態が続いた。現在二三回目であるがやっとスムーズに聞く事ができるようになった。
 そこで今まで聞いた中から感想を記したい。
 第二一回講話。ヨハネ福音書五章二四節。二五節ではまず冒頭に、「はっきり言っておく」が二回繰り返されている。そして次に二四節、「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じ・・・・」二五節「死んだ者が神の声を聞く時が来る。・・・その声を聞いた者は生きる。」と「聞く」ことがたった二節で三回も繰り返されている。このように今まであまり気づかなかった「ことばの使い方」の特徴が分かった。
 そして、何度も何度も聞き続けること、そこからみ言葉の真理がはっきり頭にそして心に入ってくるように思う。聖日の礼拝の時だけでなく、毎日、毎日聖書を読み続けることの大切さを学ばせてもらった。
 また、五章三六節、「しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業・・・父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。37節「・・・父がわたしについて証しをしてくださる。」三九節「聖書はわたしについて証しをするものだ。」のように三節の間に「証し」が四回繰り返されている。このみ言葉に「はっ」とさせられ、聖書を研究してもそこからは真理は得られない。自分の信仰の経験を「証し」することによってそのよろこびを第三者に伝えることの大切さがわかってきた。
 これからもヨハネ福音書全二一章全部の講話を聞き進んでいくうちに、どんな新しい真理に触れることができるか楽しみである。


短歌        IM

○流行の 変化忙しき現代に
         みことばいつの 時にも栄える

○神様を 称える言葉 歌にして
         世界の国に 流れ伝わる

○感情と 愛情の狭間 主を仰ぎ 
         主の瞳を 感じて生きむ

○暑き日に そよ風を受け 寒き日に
         日向ぼこする 平和を知りぬ

○一人でも 多くの人に 福音を
         知らせ旅する 北へ南へと

○みことばを 噛み砕きては 与えくる
         聖書の学び 光となりぬ


「ブログとアルバム」   SH

 私は冬には必ず二回ぐらい風邪をひいて喘息発作を起こしていたのに、今年は風邪をひくことなく、霊肉共に守られて毎日充実して過ごしています。集会に継続して参加することが出来て、主の恵みに感謝しています。
 受けている恵みを多くの人に伝えたいと思い、au携帯電話会社が運営しているサイトでブログとアルバムを始めました。

 「ブログ」とは、日記風サイトのことで「Weblog」の略語です。「アルバム」とはいろんなジャンルの写真をアルバムのように公開できます。
 投稿する時やコメントを書くときは本名など個人情報は書けない規則になっています。
 私は「葉玲瑠哉☆友幸」という名前を使っています。「はれるや☆ともゆき」と読みます。『葉玲瑠哉』は当て字です。『友』は中学生の時に三歳の坊やとよく遊んでいたのですが、私が言葉足らずだったために傷つけてしまった苦い思い出があります。その坊やから拝借しました。『幸』は生後八ヶ月で病気によりこの世を去った四歳違いの親愛なる妹「美幸(みゆき)」から、拝借しました。私は妹がいた八ヶ月間だけお姉ちゃんらしくしっかりしていて、亡くなった途端に甘えん坊になったというエピソードをいつも聞かされています。

 ブログのタイトルは【晴れやか心deわらい顔】です。『わらい顔』は友よ歌おう66番「‘ハッピネス’はしあわせのこと」の歌詞から引用しました。タイトルを決めた時点では賛美したことはなかったのですが、歌詞の単語を見た瞬間気に入りました。『晴れやか心』は、私が集会に導かれ明るくなったことを兄弟姉妹がいつも喜んでくださるので付けました。
 アドレスは http://blog.auone.jp /beatitude39grace です。『beatitude』は「宗教的な幸福(マタイによる福音書五章 山上の説教)」、『39』は「サンキュー(感謝)と現在の年齢を兼ねて」、grace』は「神からの恵み」を組み合わせています。
 
 アルバムのタイトルは【植物and聖句】です。集会で学んだ植物をデジタルカメラで撮影しているので、それを公開しています。植物名をクリックすると、聖句を書いてあります。
 アドレスはhttp://album.aumypage.jp/albumaccess?id=00010810210です。

 携帯電話とパソコンの両方から見ることができます。
 アルバムとブログのどちらからでも、「葉玲瑠哉☆友幸」をクリックするとプロフィールが見られます。そのプロフィール画面から もう一方の「公開中」をクリックしていただくと もう一方のページにアクセスすることができます。
 
 見てくださった方は感想をメールや電話でお聞かせくださると幸いです。

 最後に 「‘ハッピネス’はしあわせのこと」の歌詞を書きたいと思います。
「 ハッピネスはしあわせのこと 主イエスを知ったとき 悲しみはよろこびに ハッピネスわらいがお
  ハッピネスはしあわせのこと 主イエスに祈ったとき 心の悩み消え ハッピネスわらいがお
  幸せうばうものはない イエスさまがこころにあるからさ
  ハッピネスはしあわせのこと 主イエスと共にゆく 心から歌うたい ハッピネスわらいがお ハッピネスわたしに ハッピネスあなたに! 」
 
 「主イエスに支えられ、これからも前向きに歩んでいくことが出来ますように。私の文章&写真を通して、悩みや病を持つ人に少しでも主の恵みを分けることが出来ますように。」と祈りつつ、続けたいと思います。
 最近のニュースで自殺や家族間の事件、無差別殺傷などを聞くと胸が痛みます。一人でも多くの人が主イエスに導かれるようになってほしいです。


「海に沈む」  TM

 人生の海を航行していたら突然嵐に遭遇した。襲いかかる大波に動転し、ものすごい突風にあおられた私はアッという間に波間までもっていかれた。狂濤(きょうとう)が木の葉のように私を翻弄した。
「もうだめだ!」
 大量の海水を飲み込んでしまった私は、そのまま真っ逆さまに海中深く沈んでいった。暗い海の底に音もなくランディングした私は、このまま死んでいくのだと思った。
 しかし、しばらくすると突然海面の一角が明るくなった。そしてそこから一条の光線が射すと、それはみる間に大きな光の束となって私を包みこんだ。そのまばゆい光の中から声がした。
 「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」     (マルコ 四:四〇)
 そのとき確かに私は聞いた、失われた者のために死の海の底までも降りてきてくださるキリストの御声を!ならばもう恐れはしまい。無力のままでいい。主にあって、この深い淵で生きよう!望みのないところでなお望みをいだいて生きていこう。(2007年1月13日 創作)  

 「決して見捨てない!」 

 一年前の私は、ある問題で完全に行き詰ってしまって、出口なしの八方ふさがりの状態でした。ちょうどそんな頃、一人の信仰の友人が私に聖書のある聖句をメールで送ってくれました。今朝ふたたび早く起きだした私は、一言、一言、思い出すようにしてその言葉を、繰り返し、繰り返し、声を出して読みました。
わたしはあなたを固くとらえて
地の果て、その隅々から呼び出していった。
あなたはわたしの僕
わたしはあなたを選び、決して見捨てない。    (イザヤ書四一章九節)
 これは私にとって今を生きる力になっています。人は見捨てても神様は見捨てない!主は私たちを固くとらえ、「わたしはあなたを選び、決して見捨てない!」 と力強く約束してくださいました。私は、この神の言葉を信じて、これからも必ず神の手で支えられると信じて、まっすぐ前を向いて歩んでまいります。心より主の御名を賛美し、神の恵みを感謝いたします。(2008324日)


祈りの家  OT

 マルコ一一章一五節にイエスの宮清めの記事が書かれている。
 清く、神聖な神の宮を経済活動の場とするな!
 神の宮は、祈りの家でなくてはならない。
 イエスの十字架の血による贖いによって、罪からの解放を確実にされた私たちの体は、神の宮とされた。
 イエスの十字架の贖いによって、至聖所の幕は切り裂かれ、私達はイエスの名によって、主なる神との正しい関係を回復された。
 私たちは、日々、この神の宮において、祭壇を築かなくてはならない。
 パウロの書簡に書かれているように、「われキリストと共に十字架されたり…」との祈りをもって神の前に額づかなくてはならない。
 或る日の黙想で示されて・・


「聖霊の風」が吹く OM

 今年も瀬棚での集会を終えて、長距離移動で体調が心配される吉村兄が無事札幌に到着。
 二六名の出席で五回目の交流集会が始まった。
 当日飛び入り参加の一人は急遽瀬棚からドライバーを買って出てくれたKHさん、一同その労をねぎらうとともに、若い方の出席に・・・さわやかな風が吹いた。
 札幌・釧路・旭川・苫小牧集会に加えて、「祈りの友」から・他教会の方・初めての方も・・・神の導きでこの日、この場に集められた者が一同に会してY兄のメッセージを聴く。             
主題「幼子のような心で」ルカ181530           
 いろいろな讃美を取り入れたことで、(通常は讃美歌だけのようなので)新鮮な讃美に感極まって涙した方、久しぶり集会に出られ讃美につつまれて感激した方、初めてのような気がしない・・・とも。吉村兄のわかりやすいメッセージと讃美が一つになっているのを感じた。さわやかな「聖霊の風」が吹込まれ、新しい衣を着て、各地に散らばっていく一人一人が強められますようにと心より祈る。


「キリエ・エレイソン」  YA

林竹治郎の「朝の祈り」の複製画が南アルプス集会場のkさんの応接間に架けてある。堅実な筆法で家族の礼拝を重んじた林自身の家族がモデルとなっている。時代は日露戦争中で林が戦地に行っている間の母子5人が丸い小さなちゃぶ台に膝まずく「朝の祈り」の画である。

  ちゃぶ台に5人の母子が手を組める「朝の祈り」に光が及ぶ
  日曜の加茂家の居間に座るときさながら実家に帰りたるよう

 この複製画を私も早速コピーして額に入れて居間に架け「祈り」の原風景として対峙している。
 また、たまたま今私の乗っている軽自動車の中にはモーツアルトの「レクイエム」のCDが入っている。その中のコーラスの「キリエ・エレイソン」と連なるハーモニーを聴きながら走行している時、音の響きは「祈り」の響きのように感じられる。また、廻りの山々、茜雲、路傍に咲く小さな花、そこを吹き渡って来る風、みな「祈り」のささやきのように思えてくる。うれしい時も、哀しい時も、特に落ち込んだ時にも「祈り」は習慣となっているようである。もし「祈り」がなかったならば私はどうすることも出来ないだろう。

 病気の試練の中にある息子が「祈ることさえ出来ない」と言ったことがある。「聖霊は言葉にあらわせないうめきをもってわたしたちをとりなしてくださる」ロマ書八・26
 またその闘病の息子のために集会のみな様が共に祈っていてくださる。「主にいやしていただくために罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。祈りは大いなる力であり効果をもたらします。」ヤコブ書五・10  皆様の「祈り」によって息子も私たちも大きく支えられていることの感謝は言い尽くせない。
「祈り」こそ前を明るく照らしてくださる原動力、今朝も「朝の祈り」の画と対峙するとき、「キリエ・エレイソン=主よ憐れんで下さい」と口ずさむのである。


「基督教独立学園の使命」の講演を聞いて  NK

 一昨年から独立学園の理事長になられた武先生が、創立六〇周年を迎えて、今年、二〇〇八年、五月二六日に上記の題の講演をされた。
 巡回テープでそれを聞く機会があり感銘ふかかったのでご報告したい。
 講演は二部に分かれて話され、第一部は「学園の六〇年間を顧みて」として、その奇跡の恵みあふれる歩みをご紹介くださった。
 
 まず、開口一番、六〇年間をふり返って、感無量といわれた。創立者の鈴木弼美先生に最初出会われてから五九年六ヶ月、初めは遠くからの支援者、四人の子供の保護者(一二年)、五年間講師、一一年間理事、七年間校長、一年七ヶ月理事長としてかかわられたが、六〇年間続いたことが奇跡としか思えないといわれた。
奇跡を定義すれば、「神が時に応じて、人間の常識や理性的判断では理解出来ない現象をこの世に出現され、それを通して人間達にご自分の意志を明瞭に伝える」ということになると思うと。
 校長時代に、幾つかのキリスト教主義の大学訪問、その時に受けた質問、学園の生徒と教職員の数、基金も支持団体もなし。それを聞いて、異口同音に、「常識では考えられない」。最初の教頭の西村秀夫さんは三年間で辞められたが、その理由は、当時、鈴木弼美先生の個人の負担で、学園の経営の大部分が賄われており、これ以上、鈴木校長に負担をかけるべきでないと思い辞職されたのだが、五〇周年の記念のとき、とても五〇年も続くとは思えなかったといわれた。
 では何故奇跡がおこり続いたか?その理由を二つ上げられた。
 ① 鈴木弼美先生の教育の理念(基本的な考え)または建学の精神を神がよしとされた。一九四八年五月二六日「基督教独立学園高等学校創立式」、学則「本校はキリスト教の精神に基づき新制高等学校の教育を施し、天賦の個性を発展させ立派な独立人を養成するのを目的とする」。武先生は、この下線の部分を特に強調された。
 ②鈴木先生ご夫妻と教職員の共同体としての生き方を神がよしとされた。武先生はこの中でとくに、「清貧を喜ぶ」生活を尊しとされた。創立四五周年の記念に武先生が「清貧を喜ぶ」と題して講演された内容が「独立時報」一〇六号に載っており、その一部を引用してみる。
 私は三五年前や四〇年前と同じ生活をしなさいとは申しませんし、それは出来ないでしょう。しかし、鈴木先生ご夫妻をはじめ私たちの先輩の教職員が喜んで生きた生き様を、その精神を学びかつ継承して行かなければならないこと、すなわち、簡素な生活をしなければならないことを、第四五回の創立記念にあたり、特に強調しておきたいのです。「清貧の思想」に生きる時に、「清貧を喜ぶ」生き方を歩む時に、本当の内面的な自由が与えられ、真の幸福がその人に与えられます。そして、そのことが地球の病(温暖化)を軽くする道、人類が直面している重大問題を解決する道へ通じるのだと確信しております。
 ここで、武先生のいわれる「清貧の思想」とは、中野孝次氏の同名の著書からの引用で「清貧とは単なる貧乏ではない、それはみずからの思想と意志とによって積極的に造り出した。簡素な生活形態です」、「所有を必要最低限にすることが、精神の活動を自由にする。所有すなわち物に心の動きが阻害されてしまう」と紹介されておられる。
 神は人の心に働きかけ、この学園を経済的に支援する人をおこし、必要最小限のものを、時に応じて与えてくださったと述懐しておられる。その教育の成果については、二~三のキリスト教主義の大学で、独立学園の卒業生がいると集団で協力しあう授業が非常にしやすくなる。 人の嫌がる事を喜んでやってくれるから。これが、ロコミで人から人に伝わり学園の教育に興味をもたれる人を増やし、支援者を増やしている。
 一度、火災で焼失した男子寮(一九九〇年四月二二日、男子寮の火災、原因は室内使用禁止のキャンプ用卓上コンロの操作ミス、これを神の愛の鞭ととらえた。火災現場には、贅沢品の数々が累々とあった。職員の減俸などの処罰、謹慎)の再建、つづいて女子寮の建設も、それぞれ、一九九二年五月一七日・一九九八年一一月二八日に完成し、この際も予定以上の寄付金が与えられ、この二つの寮の建設に神の御手が働かれたとしか思われないと。奇跡のようなことと。

 第二部は創立一〇〇周年に向けてとの題で、今までは学園には暖かいかぜが吹いてきていたが、最近は少し変わってきたのではないか、これからは、厳しい寒風がふきつけてくるのではないか?と懸念を述べられた。
 これまでの山形県知事は、他の学校はつぶれても独立学園はつぶしてはいかんと部下を叱咤されるほど、高く評価してくださっていた。しかし、知事が変わって、少し風向きが変わってきたようだ。その、一つは教育基本法の改悪、特に、旧基本法の第一条の中の、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび 勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。ここが、削除されてしまった。特に下線の部分は鈴木先生の教育理念と共通しているところだけに問題が多い。「必ずいつか、やってくる、日の丸、君が代の強制」、これをうけいれることは、創立者の教育理念(建学の精神)の否定につながる。
 日の丸、君が代を拒否したとき、予想されるのは、補助金の大幅カット(厳しい寒風)、この世の常識に従って妥協したら、一〇〇周年はおろか八〇周年も迎えられない。
 厳しい寒風に耐えて、教育の原点を守ることが、学園の使命であり、神様は必ず奇跡を起こされて一〇〇周年を迎えるようにしてくださると、声をふりしぼって語られた。先生の全身から力をふりしぼって語れるその熱情が伝わるようであった。
 そして、最後に、エリヤの故事を引かれ、いつの世にも、神は、バールにひざまずかず、これに口づけしない七千人を残すとの御言葉を示されて、以下のように結ばれた。
 過去の八〇年間は奇跡によって支えられてきた。一〇〇周年に向けての未来は、厳しい寒風の中を歩まねばならない。今まで以上の奇跡が起こらなかったら一〇〇周年は迎えられない。しかし、神が喜ばれるこの学園の使命(教育の原点を守る)に向かって、ひたむきに歩むならば、必ず奇跡が起こる、バールにひざまずかない(国家権力にひざまずかない)七千人を神は起こしてくださる、そして、日本の教育が根底から崩れるのを阻止されるにちがいない。卒業生の一人一人が七千人の一人になることを切望する。

 こう語られた先生のお声は熱情のあまり、うち震えて聞こえた
 私もまたその七千人の一人とされますようにと切に祈ります。


独立学園の教師として    FY

 私は今、山形県と新潟県の県境にある、山形県小国町の基督教独立学園高等学校に勤めています。
この場所は、内村鑑三が日本の中で外国の伝道者が行ったこともないところにキリスト教を伝えたいという思いを持っていて、日本地図を開きながら、山形県の小国町と岩手県の場所を示していたのですが、それぞれに当時、集会に来ていた大学生を伝道に派遣していたのです。その時、小国町に送り出されたのが、政池仁と鈴木弼美でした。内村鑑三が亡くなった時、政池仁をはじめ、多くの弟子が集会や文章を通じて伝道を行う中で、鈴木弼美は教育を通じてキリスト教を伝えようという思いを持って、伝道に来ていた小国町に基督教独立学校を建てたのです。戦後、新制高等学校になって基督教独立学園高等学校になって今年で六〇年になります。
鈴木弼美が教育を通じてキリスト教を伝えたいと思っていた背景には、教会という組織になってしまうと腐敗をしてしまうという歴史的な意識があったようです。だから信仰を教育の母体にするのではなく、教育を信仰の母体とするという考え方をもっていたようです。鈴木弼美は内村鑑三の「真理と信仰のどちらをとるかと言えば、真理をとる」という言葉をとても大事にしていて、「真理を求めていれば、キリスト教に行き着く。だから大切なのは真理を求め続ける人格をつくりだすことだ。」ということです。

 話しを私自身のことに戻します。
 私は中学高校と六年間、一貫教育の受験校にいました。私は高校時代、受験校の中である人間の価値の一元的な見方に反発する一方、自分の中に他人に対する優越感や劣等感を感じる自分がいて、確実に受験校の雰囲気に影響されている自分に気づかざるをえませんでした。また、信仰の面では、自分の汚さに気づきながらも“罪”の自覚の薄さや、自分の信仰に対する核を感じないことに悩んでいた時期でした。それは、“神様に出会ったことがない”ということでした。
そのような時に基督教独立学園のドキュメンタリーを見たのです。その中で鈴木弼美先生が「人は頭だけで考えるから頭でっかちになってしまう。手で考えなければいけない。」という言葉をおしゃっていたのです。その言葉を聞いた時、自分に欠けているのはこれだと感じたのです。その当時、進路として教師という道も考えていた私は、もし自分が教育実習をするなら、基督教独立学園で教育実習をさせていただこうと決めたのでした。

教師になろうという思いは、一度は消えたのですが、紆余曲折があって教師を目指すという決心をし、高校時代の願いの通り基督教独立学園で教育実習をさせていただきました。その中で一番印象的な出来事は、ある日の作業前の風景でした。
 私と一年生とが食堂で今度行われる父母会に出す栗ご飯の栗の皮むきを一緒にしていたのですが、その中の一年生女子が「今日の作業をみてくる。」といって階段を上っていったのですが、数分して階段を喜び勇んで下りてきて、階段近くにいた三年生女子に抱きつきながら、「聞いて聞いて、今日の作業くみ取りなの」と言うのです。それ聞いた三年生女子も「良かったね」と手を取り合って喜んでいました。これを見て、私はびっくりしてしまいました。実は教育実習中色々な作業をしたのですが“くみ取り”はしたくないなと心の中で思っている自分がいたからです。それを喜んでいる高校生がいるという姿にびっくりしました。私が独立学園で勤めて自分もくみ出しやくみ取りをするようになってから分かったことですが、生徒はこの 作業に強い誇りを持っているということです。私と同じように生徒も初めは嫌だなと思っているのですが、その作業をするうちにその嫌だなと言う思いを乗り越えることができそのことに嬉しさを感じているということに気づかされました。これは、今まで自分が守ってきたもの、それが大したものではなかったんだということに気づかされる価値観の転換が行われる瞬間でもあります。自分で排泄したものそれを自分で処理しながら考えさせられることは多くあります。
私が基督教独立学園高等学校に赴任した今から二〇年前は、世の中では校内暴力が取りざたされる最後の方の年だったと思います。
 私はこの当時、決めていたことがあって、それは、とにかく思ったことはしっかりとぶつけること、でも自分にしたいたずらに関しては誰がしたかを詮索することもとがめることもしないこと、どんなに怒ったり注意しても、次の日には忘れることことを心がけていました。特に最後の方はとても大事で、私は当時、舎監で担任で、作業もやっていて授業も週に二〇時間ほど持っていたので、生徒にとっては私と一日中、顔を合わせているのでこちらが引きずっていると生徒にとって心休まる場がないので切り替えることは大切にしました。
 今も昔も変わらないのは、変わりたいという願いだと思うのです。そして自分のあるべき姿に変わりたいと願っていると思えるのです。しかし、その自分のあるべき姿とは他者の中、あるいは自分の外に求めるのではなく、実は自分自身の中にあるのです。それに気づくためには、周りが自分自身を受容してくれているという安心感があってそのものに気づけるし、変わることができるのです。
 しかし、生徒は三年間で確実に変わっていきます。そして人間関係も確実に変わっていきます。その支えになっているものは自然、労働、聖書、コーラス、讃美歌、夕拝、朝拝の感話だと思います。人間関係においては夕拝、朝拝の 感話が大きな意味を持っていて、話を聴くことによって相手の深い所を知り、話をする中で受け止められているという実感を感じていくのです。また、話を考える中で自分自身と向き合い、それを人前に言葉で発することによって自分の殻を破っていく姿に出会わされてきました。そして最後に自分たちは大いなるものから守られているんだという実感ではないでしょうか。
 そのなかで生徒は自分の望んでいる“個”に近づいていっているように感じています。
 私も教師になった時、自分の罪の問題に向き合うことや、もしかしたら、神様と出会うことができるかもしれない。そういう思いで、学園に赴任しました。
 この学校では舎監や担任、作業、授業…色々な場面で生徒に接することができます。そして、生徒は真っ正面から、時には斜めからぶつかってくるのです。そして、信仰や生き方、思想、内面の問題それらを言葉を通して、行動を通してぶつけてくるのです。  その中で教えられたのは、自分が飾り気のない一人の人間として、その生徒の前に立つことができるか、ということでした。生徒はよく見ていて、私が教師として立っているのか一人の人間として立っているのか、教え諭そうとして立っているのか、心の中の思いをぶつけようとして立っているのかそれを見るのです。そういう生徒のまなざしに触れる中で自分が自分であると言うことの難しさと、自分の薄っぺらさを感じずにはいられません。
 でも、いくらこちらが薄っぺらでも生徒は三年間で確実に変化していくのです。そういう生徒に触れながら本当に毎日が新しい発見です。

この思いで卒業生を送り出してきたのですが、昨年三年間担任を持った生徒を卒業させた時、生徒は三年間で変わってきたのに自分は三年間変わらないなと思わされました。なぜ自分は変わらないのかということを考える中で、最近二つのことが少しずつ見えてきました。一つは、今年の四月に本校に赴任された校長の言葉です。
私は五月に校長に呼ばれて、「なぜ、相手がとれないボールを投げるのか」「あんな直球の剛速球を投げたら相手は受け取れないだろ。」といわれたのです。そして、人の話を¨しっかり聴く”こと。¨人が自分の言葉で話せるまで待てるようになる¨をいわれたのです。これは私の対生徒に対してではなく、対教師に対する姿勢としていわれたのです。私は今まで、生徒に対しては意識は向いていて教師はそれぞれが生徒を向き、その中で教育という観点で教師どうしの連携を取り合っていけばいいと思っていたのです。しかし、校長のおっしゃるにはもっと内面に踏み込んだ言葉だったのです。「私も自分一人ですればどんなに楽か分からない。また他の人と協力していくのは苦手だ。でも、教育は一人ではできない。一人でしたければ私塾ですればいい。教育は共同性でなければ行えない仕事なのだ。」といわれたのです。私は新しい提案を持ってくる生徒によく「先生方の理解を得ることは簡単だけど、みんなの協力を求めるのはとても難しいよ。なぜなら、あなた自身が問われるから。人はあなたを見るし、多種多様な人を君の方に向けるには忍耐と待つことも必要だよ。」と言っていたのですが、それと同じ言葉を返されたような気がしたのです。教師は生徒から学ぶものだというのはよく言われることですし、私も多くのものを学ばさせてもらいました。しかし、私は同僚との関わりにもっと意識を向けるべきだったし、実は同じ立場の人に目を向けてこそ自分の根本にある罪の問題と結びつくことだと知らされたのです。


無教会近畿集会での証し   TN

「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピの信徒への手紙 4:6~7)

「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなた方は知っているはずです。」(コリントの信徒への手紙Ⅰ15:58)

 昨年、この集会の日曜日のY先生の礼拝に初めて参加させていただき、その私が今年こうして皆さんの前で証をさせていただくことになるとは思ってもいないことでした。先生の「いのちの水」誌はもう何年も読ませていただき、先生の語られる福音に力をいただいてきました。Y先生の語られる福音もそのひとつだと確信するのですが、私が生き抜くために必要な福音の慰めや励ましを与えるために、ひとつひとつ神様が丁寧に備えてくださった人間関係や場を集めていくと、ここに辿り着いたという思いがしています。神様は自由自在に働かれるということを、こうしてめぐり会った方々とのご縁や祈りの場を通して、つくづく思わされます。神様は人間を救うためには本当に粋なご配慮をなさいます。
今日は、私の身におきたことを通して、生きて働かれる神様のことを証させていただきたいと思います。言い換えると、“Out of My Control”自分の思いのままにならない人生は、神様から“Out of Your Control!”お前の思うようにはさせないと愛をもって突きつけられた人生だという話です。

 私は本当に世間知らずで何も苦労のないまま結婚しましたが、結婚して息子を与えられたことは、どう考えても私が生まれる前から神様のご計画の中に組み込まれていたと思わざるを得ないと、今では確信しています。それは私に本当の平安を給わるために,神様が最大の愛をもってご計画されたことで、時間の経過を振り返ると、その道筋がはっきり見えるように感じています。
 息子は現在24歳でアスペルガー障害という知的に遅れのない自閉症、脳の器質障害を持っています。障害ですから、一生直りません。こだわりの強さが尋常でないので社会生活や人間関係を築き、維持するのがとても難しいのです。全体を見通すとか、バランスをとるといったことが、人間関係にしろ社会生活にしろとても困難です。極端な自己中心性があって、相手の気持ちを読むこともとても苦手です。必然的に、小さい頃からいじめにあいやすく、疎外されやすく、生きていくのに周りも本人も大変な軋轢を抱え続けなければなりません。心を割って話せば分かり合えるとか、人間は必ず信頼関係が築ける、心が通じ合えると信じて生きてきた私でしたが、それが幻想であって、脳の器質的問題からそれが困難な人がいるということを、アスペルガーの息子によって徹底的に教えられました。

 息子がアスペルガー障害と診断されたのは、集団生活でのトラブルがどうにもならなくなり、それが親の愛情不足からきているとか、逆に構いすぎが原因だとか散々言われ尽した挙句の12歳のときでした。当時日本ではアスペルガー障害について詳しく知っている医者はほとんどいませんでしたから、三重県の自閉症に特化した病院にめぐり会い、診断してもらえたのはとても幸いなことでしたが、彼の障害の避けて通れない、人間関係のトラブルや、社会性を学習する能力の欠如から来る様々な問題の対応に苦しみ続けるうちに、息子は私にとって、私の幸いな人生を奪う者、加害者、そして最大の恐怖となりました。彼は、社会に対しても非(反)社会的な要素をむき出しにしました。そのことの不安と恐怖は、私の身体もおかしくしてしまいました。

 アスペルガー障害をもつ青少年が凶悪な殺人事件を起こすことを通して、皮肉なことにアスペルガー障害はここ10年ほどの間に有名になってきました。
 愛知県豊川市で、「人を殺す経験がしたかった」という理由で、面識のない主婦を惨殺した一見普通の高校生の事件は8年前に起きましたが、覚えていらっしゃるでしょうか。飛行機の操縦をしてみたい気持ちに長年強く捕らわれ続け、飛行機をハイジャックし、機長を殺害した国立大学出の青年。幼稚園児にいたずらをしようとして騒がれたので、目の前から消そうと思って駐車場の上から突き落として殺してしまった12歳の少年。昔のいじめがフラッシュバックしたことがきっかけで、母校の小学校の教職員を無差別殺傷した高校生。そのほかにもいろいろありますが、どれもショッキングな私たちの想定を超えた事件であり、普通に考えたら人間として決して許されない、あってはならない事件です。動機は被害者感情をズタズタにするような短絡さです。そして、刑が確定したあとでも、その人たちは本当の意味での罪の自覚が困難で、私たちが普通にいうところの謝罪に至りません。
 障害自体が犯罪性を含み持っているということではなく、脳の器質的な特徴から、こだわりが強いために人間関係で怒りを溜め込みやすく、衝動に走りやすいために、その時々にきちんとした対応、手当て、生育環境への配慮が為されないまま社会との不適応の経験がひどく積み重なると、不適切で過剰な被害者意識となって、衝動的に事件と結びついてしまうことがある、そんなことが分かってきたのもここ何年かでしょうか(理解ある生育環境と彼らの特性に合った対応に恵まれれば、むしろ素直で一途な面が魅力的な人たちであり、一つのことに集中する力に優れているので、大きな能力を各方面で発揮している人たちも沢山います*1)。

 当時、障害名は分かってもどう対応すればいいのか分からない、そういった難しさを抱えながら、次々息子が起こす社会的なトラブルやそのトラブルのゆえに隣近所で村八分のような状態に追い込まれる辛さもさることながら、自分の息子なのに心が通じない、信頼関係が築けないということが、本当に辛いことでした。どうしたら良いのか分からないまま、トンネルの中をエンドレスに歩き続けるような孤軍奮闘の日々が続きましたが、その辛さをイエスさましか訴える相手を知らなかった私です。これがむしろ何より幸いなことでした。必死でがむしゃらに苦しみを訴え続けたこれまでの年月の間に、神様は不思議な関与をしてくださいました。
苦しくてカーテンを閉ざして泣く私に、「○○(名前)!」と声をかけてくださいました。落ち込んで心塞いでいる私の目を開き、小さな春一番に咲くイヌフグリに目をとめさせ、神様の精一杯のエールを感じさせてくださいました。不安と絶望で泣くこともできずに強張る私の肩をそっと抱いてくださいました。これらは本当のことです。息子の障害の辛い現実はそのままであっても、顔を上げて平安の中に憩うことを教えようとしてくださっている主に、不思議にもそのときどきに出会ってきたのです。
そうするうちに分かってきたことは、神様の前では、息子の自己中心性も私の自己中心性も大差ないこと、性懲りのなさも大差ないこと。犯罪を犯さない私と非(反)社会的な行為に走る息子の違いは、神様がそのような障害を与えたかどうかの違いのみであり、そのほか何の違いもないこと。同じ人間として神様に愛されている者であるということでした。むしろ、神様の一方的な選びでそのような過酷な障害を背負わされたのなら、私以上に息子は神様の大きな関心と配慮の元で愛されている人間にちがいないということでした。私の人生をめちゃくちゃにし、私に危害ばかりを与える敵対者、社会的に拒絶されるべき息子、その息子が不思議なことに、神様から愛されているわたしの同胞として見えるようになってきました。
さらに、彼の引き起こすトラブルで、私がもうこれ以上ないような不安を感じ、恐怖にさいなまれ、主にすがる度に、必ず不思議な道筋が用意されることが私に分かってきました。その道筋はこの世の知恵をはるかに超えていました。そのようなことを経験するうちに、主が息子を用いて私にかかわってくださり、ご自分を私に顕そうとなさったおられることが見えるようになってきました。息子が計らずも神様と私を出会わせてくれるわけです。
 そればかりか、息子の心配から解放されて、自力で安心を得たいと人間の小さな脳ミソの限りで考えた知恵も、策略も、用意した計画も、経済の心配も、すべてを明け渡して主にお任せするという福音へのジャンプのレッスンを息子が積んでくれているかのようにさえ思えます。私の知恵はあなたの知恵に勝っている、私がすべてを整えるから、大丈夫、任せなさいと主が言ってくださっている。この先踏み出せば絶対に崖から落ちる!という瞬間、崖の向こうにステップが必ず用意されている、そのような経験を積むうちに、神様は決して見捨てない、むしろ信じさえすれば本当の揺らぐことのない平安に包んですべてを乗り越えさせてくださるお方だと少しずつ分かるようになり、私が神様の平安へダイビングジャンプすることを促す使者として息子が居てくれるように思われるようになったのは、「有り得ないことが起こる」という福音そのものでした。

 このようにして、息子は、私が本当に主と出会うために、信じてゆだねてはじめて与えられる平安を私に知らせるために、過酷な障害を背負わされて今まで25年間歩いてきてくれたのだということに思い至りました。
 非社会的な行為に走る息子の救いということも、ずっと私の気がかりでした。自分の問題性に気付くことができない彼は、主に向かって祈ることも出来ないわけですから。しかしこれらのことを通して、こんな風に息子をお用いくださる神様は、息子を喜び、祝福してくださっておられないはずはないと信じることができるようにもなりました。

 こうして、思いもかけない息子との和解を与えられたのですが、そのことは、私の人生はこんなものじゃない、息子さえいなければ、もっと別の素晴らしい人生があったはずだという、自分の人生との和解ももたらしてくれました。私の人生は、息子なしではありえなかった、息子のおかげで私は主と出会い、本当の命を与えられた、だからこの命は自分のためのものではなく、主のものである、という自分自身との和解、この過酷な人生をお与えになった神様との和解をも、もたらしてくれました。

 これらの歩みを通してつくづく思うのは、神様は窮する者のところにこそ、喜び勇んできてくださる方であること。神様の愛は、抽象的ではなく、具体的であること。昔生きておられたのではなく、今生きて、ここにおられ、今、ここで私の肩を抱き、声を掛けてくださること。そのお力によって、事態が変わろうと変わらなかろうと、心に平安を与え、人知をはるかに超えた知恵によって導いてくださる方であること。そのようなことを、長い年月かけて知らせていただくうちに、主イエスさまと交わる楽しさ、ものすごく恐ろしくもあり勇気が要りますが、神様におゆだねして自分を明け渡す心地よさ、困難の中にあってもいただくことができる平安というものを少しずつわからせていただいています。
聖書は人に命を与える言葉で満ち満ちていることが次第によく見えるようになってきます。窮している者に目がけて、聖書の言葉は慰めと力付けを四方八方から投げかけてきます。イエスさまと出会うチャンスは日々ここにもそこにもあって、それを体験すると心が躍って共に分かち合いたくなります。そんなすごい主のためなら、自分を明け渡して私のうちで主が存分に働いていただきたいと心から願うようになります。
自分が自力でしがみつこうとするもの、たとえば健康、富やお金、家族、この世の安定と安心、名誉、評価、重んじられたいと思う心、自尊心の裏返しとしての他人や自分を裁く心、相手をコントロールすることで得る安心、人より先へ、人より早く、人よりたくさん、人より楽に・・・そういったものは、拒絶と排除と敵対と中垣を生みますが、それに比べて、神様がくださる平安が、何と完璧で大きく素晴らしいものであることかが見えてきます。あらゆるものを受け入れ、ゆるぎません。自力で最高の知恵を使って自分の人生をコントロールするよりも、ゆだねることで神様からいただく平安の方がずっと素晴らしいものであることが予感できるようになると、この世的な価値、計らい、結果、見栄え、出来栄え、損得、こだわり、そういったものが不思議に気にならなくなります。

 現実の私はまだまだ未熟でそこまで至ったわけではありません。垣間見ているだけです。実際の日々は、相変わらず息子の様々に翻弄され、ちょっとしたことで不安に陥り、自分で何とかしなければとあくせくし、恐れに支配されます。ですが、神様は更に奥へ奥へと私を導こうとしておられるように感じています。予見できないことは人間には恐ろしく、私には無理ですと逃げたくなります。でも望み求めることが必ず与えられると教えていただいたこれまでの道筋ですから、神様が私に与えようとされる本当の平安というものも、きっと与えていただけるのではないかという予感もしています。日々体験させてくださる主イエスさまとのお交わりの豊かさを、同じ福音に与っている者たちと分かち合い、喜び合い、鼓舞し合い、励まし合い、心から感謝することによって支えられながら、絶大な平安へと導いていただけるかもしれないと思っています。それは、この世の生を越えて実現することなのかもしれません。

 私は、信仰とはとても個人的なことだと思うのです。長血を患った女がみ衣に触ってイエスさまから癒しを得たように、孤独に悩み本当の友人が欲しかったザアカイの友とイエス様がなってくださったように、ペテロの日ごとの糧の元である魚をイエスさまが大漁にしてくださったように、スカルの井戸の女が一番の思い煩っていた問題、水を得る場所と礼拝する場所をイエスさまがまさにお示しくださったように。
その人が一番心患い窮しているところ、苦しんでいるところ目がけて、イエスさまは働かれます。そしてイエスさまに懇ろにしてもらった人たちは、嬉しくて喜びを分かち合いたくて外に出て行くのです。喜び踊って、外へ出て行くのです。おおらかに。とても個人的なことが、外へ外へと広がって、普遍的な事柄になっていく、福音とはそういう性質のものだと思うのです。だから、私たちはいつも、心を静めて、何をイエスさまが自分にしてくださっているかに敏感であり、立ち返ることが何より大切だと思うのです。そこが源泉だと思うのです。
 主と静かに向かい合い、親密に出会い、豊かに恵んでいただく場は、台所にもあり、職場のトイレにもあり、涙にぬれる布団の中にもあります。そして何よりも礼拝の場にあります。愛の賛歌として有名なコリントⅠ13章に記されている愛は、神様の命令ではなく、こうした主イエスさまとの交わりに豊かに与った者たちが自ずと至る、主にすべてを明け渡した者の自然な姿を記しているように思います。人間の罪は、努力しても善い者になれない、旧約の掟や十戒に示される決まりごとが守り切れないということもあるでしょうが、一番大きな罪は、人間が自分の努力で自分の人生を何とかできると考えること、神様なしでも大丈夫と思って生きようとすることだと私は感じています。ですから神様は、自力ではままならない人生を突きつけることを通して、私たち人間を神様の完全な愛と平安に招こうとされているように思えるのです。

 アスペルガー障害という「異文化」理解を親や周囲が深め、沢山の方に祈っていただきながら、現在息子は、自分に合った居場所を見つけようと奮闘しています。そして少しずつ自分に何が向いているかを学びつつあります。
以上で、私の証を終わらせていただきます。


近畿地区無教会 キリスト教集会での証し      NY

 私は現在大阪府の高校の教員をしています。
 私は二〇〇四年に福音を知って、三年八ヶ月。うち二年は大学生、うち約一年八ヶ月は教員です。そのうち、約一ヶ月半は徳島聖書キリスト集会に長期休みを利用し参加しました。もっと聖書の世界を知りたい、そういう思いで徳島に行き、聖書の深さや、聖書を通してキリストのはたらきによった生活を知ることができました。その期間、私は本当に大きな恵みを与えられたと思っています。
 そして今、毎日曜日、イエス様を求める方々と礼拝を持つことができ、日曜ごとに御言葉と講話を与えられ、私の生活は自分中心の生活から、キリスト中心の生活に変わりました。そう宣言できます。今の生活はキリストを信じる前では考えられなかったことのように思うからです。
 一方で、福音を知る前後でも、変わらないことがあります。それは、自分の罪とその苦しみがあるということです。
 私はこの罪を思うたびに、福音を知ったのだけれども、やはり私は神を喜ばす生き方はできない(正しいことをしているなど)、ただ神を喜ぶ生き方なんだ思いました。
「心の貧しい人は幸いだ、天の国は彼らのものだ。」という言葉があります。
 自分には何も良いところがない、そういう状態で、恵みにあずかったわけだから、言い換えれば、恵みにあずかるということは、心の貧しい状態であるということだと思います。私にとっては、私が「罪」に定められている、ということが福音を喜ぶ必要条件のように思うのです。
 最近の主日礼拝で、心に残っている講話の一つを紹介し、それを通して聖書に登場する人々を紹介したいと思います。
 ルカの一七章の「からしだね一粒の信仰」の学びです。からしだね一粒の信仰さえあれば、桑の木も海に根を下ろす、という箇所です。この話は、アブラハムにしてもペテロにしても、信仰の模範のような人でも、いつも信仰深いわけではありませんでした。アブラハムは神の導きがあったにも関わらず、信仰は完全には深まらなかった。ペテロは、そばでイエスの教えを聞いても見ても深まらず、あるところから壁が立ちはだかってしまいました。この二人の、持っているようで持っていなかった信仰を、聖書は隠さずに私たちに伝えています。にもかかわらず、主の言葉に従おうとするアブラハムを神は導いてくださった。ペテロには、苦しみを通して聖霊が与えられ、死をも恐れぬ信仰を与えられた。そういう内容でした。
 ここから学んだ二つのことは、からし種一粒の信仰さえ持っていない者でも、神は恵みを与えてくださるということ、そして信仰は努力や道徳によって与えられるのではなく、信仰のないままで、だめな自分のままで神にすがるということです。
 これは、マルコの四章にも似ていると思いました。ガリラヤ湖畔でイエスが弟子たちと舟に乗っておられたときに嵐が舟を襲い、舟が転覆しそうになった。弟子たちが溺れそうになっている横で、イエスは平安のうちに眠っておられた。そのイエスを見て、弟子たちが、「起きてください、助けてください」と叫んだ。そしてイエスが風を叱り、その嵐を静められた、という箇所です。
 この話でも、荒れ狂う世を依然として恐れてしまう。それでも「助けてください、溺れそうです。」と叫べば、静めてくださる。
 からし種一粒の信仰もない自分にも、神の恵みの道をちゃんと備えてくださっている。
心の貧しい状態のままで、天の国に招いてくださる。
 さらに、この時の講話の最後に、マルコの九章を引用されました。悪霊にとりつかれた息子を持つ父親が「イエス様、信じます。信仰のないわたしをお助けください」と叫びました、イエスは息子から悪霊を追い出されたという内容でした。
 この礼拝を通して、苦しみの根本である拭いがたい罪や罪だ罪だといいながら本当に罪を恐ろしいものと考えているのかという思いなど、こういうもの全て持って心の貧しさを感じて神に叫ぶという、イエスをとりまく人々のありさまが心に残りました。
 現在、学校現場で、私にとって一番の問題は、生徒でも、同僚の問題でもなく、自分自身の罪の問題だということを痛感しています。ひいきする心、称賛を求める心、比較しようとする心が出てきます。
 生徒に愛を持って接することは私にはできない、だから「イエスよ、憐れんでください」の意味が私なりに少しわかるように思います。それはイエスをとりまく人々のひとりが私であり、その中心にイエスがいてくださるからだと思います。
 そして、罪がありながらもイエスを求めようとする生き方がキリスト中心の生活ということなのかと思うとき、徳島での交わりや学び、今の主日礼拝での講話や集い一つ一つが、キリストにつながることを求め、また現にキリストにつながっており、こういうものの中に永遠に滅びることのない命がある、と言われているのだなと思います。


近畿地区無教会 キリスト教集会の感想    NY

 永遠の命をテーマに二日間のプログラムを通して、「(イエスを)信じる者は死んでも、生きる」ことを信じることができました。
 一日目、KMさんは「永遠の命はイエス・キリストだ」と仰いましたが、それがテーマ全体の底流だと感じました。
 善きサマリア人のたとえを通して、罪ある人間(自分)がキリストによって、キリストの方から見出してくださり救っていただいた、だからキリストに喜びがある人は永遠の命を得ている、そういう学びができました。
 YKさんの話から、病気の箇所だけをピックアップするのではなく、その他の身体の部位をも含めて病気に向き合うということが心に残りました。私も生徒と接するとき、どうしても自然に、問題のあることだけが課題として挙げられ、取り組まれようとしますが、他の面を見ることを意識しようと思いました。
 夕拝では内村鑑三の感想一〇年から、「キリストは死を滅ぼす」ということが印象的でした。
 二日目、FYさんの証では生徒に「多くの人と出会わせる」ことが大切だということが心に残っています。これは証の後の会話でのことですが、他人は自分の鏡であって、外を知ることで内を知ることだということでした。「この人の話を聞きたい」という人に現に会って見て話を聞いて、そして自分が「こう思った、考えた」ということが結局は自分を見つめる作業であって、だから多くの人に出会わせることが大切だということでした。
 TNさんの証では、正に実体験を通して確信していることが伝わりました。どんな人も神様に愛されている、また不思議な人が神様に愛されている、不思議な道筋が用意されているということ。そういうことを通じて自分の思いを超えて、神様の思いとそこに込められた祝福を知ることで、今までの自分と和解できた、ということがとても印象的でした。
主日礼拝の吉村 孝雄さんの講話では、ヨハネ福音書で、イエスがアーメン、アーメンと言った後に「信じれば、永遠の命が与えられる」と言われた箇所を引用しました。そして、今、永遠の命を与えられるということを私たちは期待し、信じることができると言われました。風が吹いてくるようにどこにでもどんな状況でも。

「信じる者は、死んでも生きる」この言葉が二日間のプログラムを通して、信仰を共にするもの同士があつまっている只中に、講話や証を通して、実現していることを強く感じました。


親の葬式  TT

 マタイ福音書八・2122
 「またほかの一人の弟子が言った、『主よ、お供をするその前に、父の葬式をしに行かせてください。』イエスはその人に言われる、『今すぐわたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。』」
この記事における二つの「死んだ者」とは、同じく「死人」を指す言葉であるが、はじめの「死んだ者」は「亡くなった親」を指し、あとの「死んだ者」は霊的に死んでいる「この世の人」を意味する。また同じ記事のルカ福音書五・5960には、マタイにない「あなたは行って神の国を伝えなさい」が加わっている。すなわち、イエスは親の葬式と伝道(神に対する義務)が衝突する場合には、親を棄てて神に従えと言われるのである。
 中国伝来の儒教により培われた「親への孝行」を大切にする家庭道徳が、現代においてもなお精神的支柱として残っているわが国で、キリスト教が西洋的でわが国には合わない、として強く反発され、嫌われる原因の一つはこの聖書の記事にある。
(ほかにもヨハネ福音書二・4「イエスが母に言われる『女の方、〝放っておいてください〟。わたしの時はまだ来ておりません』」、ルカ福音書一四・26「わたしの所に来て、その父と母と妻と子と兄弟と姉妹と、なおその上に、自分の命までも憎まない者は、だれもわたしの弟子になることは出来ない」等のイエスの言は、親をないがしろにしているとして烈しい非難がある。)
 キリスト教発祥の地ユダヤでは、古来ユダヤ人は日本人以上に特に葬式を重大視して、「親の葬式」は、その聖なる義務のために他のすべての宗教的義務を免除された。(国民の義務とされる「セマの祈り」及び「十八の祈り」また「モーセ律法」のなかのあるものすら、守る必要なしとされた)
 レビ記二一章で、祭司は「親族の遺体に触れて身を汚してはならない。ただし、近親、すなわち、父母、息子、娘、兄弟、および同居している未婚の姉妹の場合は許される。・・・・・(祭司は)神に属する聖なる者であるように、神の名を汚さないようにしなければならない。」(16節)
しかし、大祭司だけはより重要な義務のため、「自分の父母の遺体であっても、近づいて身を汚してはならない。聖所を離れて、神の聖所を汚してはならない。彼は神の聖別の油を頭に注がれている者だからである。わたしは主である。」(1112節)として、親の葬式に関与することを許されなかった。
 キリスト教に於いては、クリスチャンはみな、聖なる神の祭司であり、大祭司である。
「あなた達の体を神に捧げよ。この生きた聖なる犠牲(いけにえ)こそ、神のお気に入るものであり、あなた達の霊的な礼拝である。」(ローマ人への手紙一二・1
「そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意(みこころ)に適う霊の供物を捧げるためである。」(ペテロ第一、二・5)(その他ヘブライ書十・19~)等
 私の家は昔から代々、町の「阿弥陀寺」という浄土宗の寺の檀家であり、普通の日本の家庭と同じように先祖の位牌を大切に守ってきた。父は二十年以上前に亡くなったが、その時の葬式は母が喪主となって浄土宗で行われた。私は自分の信仰により無教会キリスト教で式をしたかったが、多くの人の中でクリスチャンはたった一人であり、また父も家の宗教を守る人であったから、私の意は通らず、お通夜の終った後、遠方より、夜遅く駆けつけてくださった信仰の師友により短い祈りの会がもたれたことが、せめてもの慰めであった。今、母は九一歳の高齢者になったが、依然としてキリスト教には心を開かず、父の位牌の戒名の横にならべて自分の戒名も入れてほしいと願っているありさまである。私は親に万一のことがあれば、自分の心いっぱいにキリスト・イエスに祈って、母を天の御国へ送ってやりたいと願っているが、未信者の私の妻は母の言うように家の仏教で父と同じように葬式をすべきであると、主張している。ここ数年、この問題は私の中にいつも沈殿しており、日々の祈りの対象になっている。
信仰の友は、死んだ者の形式的葬式はこの世の死んだ者に任せればよい。われらはそっと、死者の前で、少数の信仰者だけによる真の祈りによる葬式をしようではないか、と提言してくれたが、自分の気持はなお、わりきれないのである。、
イエスは言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、まず己をすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。十字架を避けてこの世の命を救おうと思うものは永遠の命を失い、わたしと福音とのためにこの世の命を失う者は、永遠の命を救うのだから。」(マルコ八・3435)キリスト者はこの世に死んだ死者であり、この世にとってはもはや、役に立たないくず同然である。この世の人がこの世の幸せ、名誉を第一に考えているのに対し、金や名誉とは縁のない、神の御心に適うこと、「永遠の生命」を第一にする。主の祈り第一「天のお父さま、お名前が聖まりますように」、神のお名前が聖とされ、崇められますように、栄光が神にありますように、がその願いである。わたしは、「母の魂が神に救われて御国に入れて戴けますように」と、ひたすら祈り願っている。
この世におけるキリスト者は、イエスが十字架にかけられ、顔につばきされて、馬鹿にされたように、恥を受けるであろう。主イエスはそのとき、わが為すべき道を示してくださるであろう。
「口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。」(哀歌三・2930


裁きの木 KY

「創世記」のはじめには「命の木」と「善悪の知識の木」というのが出てくる。神が植えた木で、「善悪の知識の木」から実をとって食べてはいけないと神は人間に命じる。いったいなぜであろうか。その理由は、「善悪の知識の木」というのがどのような木であるかを理解して初めてわかる。
 内村鑑三は、「命の木」というのは信仰を表し「善悪の知識の木」は知識を表すと言う。そして信仰は人に真の命をもたらすが、知識は人に死をもたらすのみであると言う。この解釈、初めて読んだときはいささか大雑把過ぎると思ったが、今では他のどのような解釈よりも一番真実をうがっていると思うようになった。人生経験を重ねるにつれ、この解釈の正しさをいやが上にも思い知らされたのだ。
 ところで最近「創世記」を読み直していて、内村のこの解釈をもう一歩進めることができると気がついた。「善悪の知識の木」を単なる「知識」と見るのではなく「裁く心」と見るほうがより正確なのではないか。「命の木」は信仰そのものというよりも信仰を通じていただくことのできる「永遠の命」とみるほうがより正確なのではないか。。
 よくよく読んでみれば、「創世記」の前半は、神を信じて神に従った者と神に疑いを抱き神を裁く側にまわってしまった者との物語である。例えばカインは神のささげ物の選択を恨んだ。「なぜ主は私のささげ物に目をとめないのか。私のささげ物も十分立派ではないか」とそう思ったに違いない。これは正しく神の御心を「裁く心」の表われである。この「裁きの心」ゆえにカインは殺人の道、魂の死の道へと踏み出すことになる。
 ノアはどうか。ノアは逆に神の言葉を疑わず、徹底的に信じた。神は言う。「まもなく洪水が起こり、全地はその洪水にのみこまれるから、箱舟を作ってそれに乗りなさい。」このような言葉をいったい誰が信じられるであろうか。普通の人間にはとても信じることなどできはしない。「神の言葉は明らかにおかしい」と思うに違いない。すなわち、普通の人間なら神の言葉を「裁く」側にまわってしまうのである。ところがノアはそれを信じ、それに従った。その故に彼は命を得る。
 アブラムはどうか。神は彼に言う。「生まれ故郷を離れて私の示す土地へ行け。その土地をあなたの子孫に与える。」これまた常人には信じがたい言葉である。常識と理性のある者ならば、どうしてこのような言葉を当てにして先祖伝来の土地を離れえようか。ここでも再び常人は神を「裁く」側にまわってしまう。しかしアブラムは違った。神を「裁く」側へは決してまわらず、絶えず神を信じ、神に従った。神が「息子イサクをいけにえにせよ」と命じたときでさえ、アブラムは神を裁かずに、神に従った。その故に彼は神の祝福を得、真の命を得るのである。
 このように、「創世記」の前半は神を自分の常識を超えてまでも信じられるか、それとも神を自分の常識に従って裁く側にまわってしまうかを中心主題として展開されている。すなわち信仰をもって「命の木」にいたるのか、それとも「裁きの心」を生む「善悪の知識の木」のみを食べ続け、魂の死に至るのかがその中心主題なのである。
この主題はヤコブの登場以降目立たなくなっていくが、通奏低音として絶えず旧約全体を支えていくことになる。そして新約でイエスが登場することによって再び中心主題として前面に出てくる。イエスは自ら宣言する、自分は神の子であり、救世主であると。いったい誰がこのような言葉を信じえようか。常識によって判断するならば、イエスは大うそつきか狂人かあるいは思い上がった神の冒涜者である。ここにおいて再び普通人は神を「裁く」側にまわってしまう。そして本当に神の子イエスを裁いて十字架にかけてしまう。結局聖書の中心主題は神を信じるか神を裁くかであるとはっきり理解できる。
 世の中には理不尽なことがいっぱいある。病気、天災、殺人、戦争・・・。理不尽なことに出会うたびに私たちは思う。なぜ神は助けてくれないのか。この問いかけにすでに神を自分の常識に従って「裁く心」が入っており、死が入っている。聖書に延々と描かれている「裁く心」の歴史に私たちも含まれているのである。イエスの十字架上の言葉、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」こそはこのような全ての人間に潜む神を「裁く心」の代弁である。この言葉を叫ぶことによってイエスは私たちの罪を真に背負ったのである。
 なぜ神は助けてくれないのか。この問いに対する聖書の答えは実に簡単である。神を疑い、「裁く心」を持ったからである。なぜ神は助けてくれないのかと思うから神は助けてくれないのである。神への信頼がないから助けてくれないのである。
しかし、イエスが十字架にかかることによって事態は一変した。イエスが私たちの「裁く心」を背負ってくれたので、私たちは神に疑いを持ったままで救われることとなった。この救いはまだ表に現れてはいない。しかし、イエスが十字架にかけられたとき、この救いはすでに決定されたのである。
 福音信仰とは何か。それはノアやアブラムのような全身全霊の信仰を持つことではない。そのような信仰を持てないにもかかわらず、神を絶えず裁いてしまうにもかかわらず、十字架によって救いはすでに決定されているということを受け入れることである。すでに決定されている救いを受け入れる、このことから人生の大逆転が始まるのである。イエスのくびきはずっと軽いのである。


映画『ナルニア国物語・カスピアン王子の角笛』を観て    NY

 映画「ナルニア国物語」は、キリスト教の信仰を持って歩んでいる人にとって、とても共感できる映画になっている。
 子供たちが主人公であり、動物や植物が人間のように話すファンタジー映画として紹介されているので、観ていない方は「大人には物足りないんじゃないか」と心配するかもしれない。けれどこの物語は、様々な信仰上の経験を持つ大人ほど、物語の細部に共感できる部分が発見でき、満足できるようになっている。
 前作の「ナルニア国物語・ライオンと魔女」は、戦争でイギリスの田舎に疎開中の子供たちが、大きな屋敷の一室の衣装ダンスの奥に「ナルニア国」への入り口を見つけるところから始まる。
 このナルニアこそ、クリスチャンが心の中に持つ信仰の世界であり、この衣装ダンスは思いがけないところに開かれた神の国への入り口となっている。その入り口は子供のように純粋に信じるものにしか開かれていない。
 ナルニアは最初、悪い魔女に支配され、全てのものが冷たく凍っていた。ナルニアは人間の「心の世界」ではなくてあくまでも「信仰の世界」だ。心なら、楽しいこと、嬉しいことによって暖かい気持ちになったり、目の前の課題に熱い思いが湧くこともある。しかし信仰の世界は、救い主イエス様を王に迎えるまでは凍てついて動いていない状態だと言える。
 「ライオンと魔女」では長いナルニアの冬がライオンのアスラン王によって溶かされ、緑も生き生きと美しく機能していく過程が描かれていた。
 主人公の4人の子供たちは兄弟姉妹で、一人の人間が持つ様々な面を4人でもって表現していると言える。兄のピーターや姉のスーザンは優しく賢い。けれど目に見えるものを一番として常識や自分の知識に頼ってしまいがちなところがある。弟のエドマンドは不真面目な態度でみんなに迷惑をかけた。本人なりに一生懸命な部分もあるけれど、目先のことに惑わされ、知恵(英知)を持っていない。エドマンドは自分が一番になりたいという欲のために兄弟を裏切り、アスラン王はエドマンドを贖うために、魔女からひどい辱めを受けることになってしまうのである。
 末の妹ルーシィは最初にナルニアの入り口を発見した少女で、一番小さくて人間的には非力であるが、本当は誰よりも賢い。何にも縛られない心でナルニアの住民とコミュニケーションをとり、一番大切なことに心を使う。そして王アスランを誰よりも慕っている。
 この4人は二つの物語を通して様々に成長した。特にエドマンドの成長は目覚しい。罪を知って恥を体験し、キリストの犠牲によって贖われた経験を持つこの少年は、しっかりと揺らがなくなっていた。罪を犯した人間が罰せられ消えていくのではなく、罪を贖われてしっかりと成長していくというストーリィがとても嬉しい。わたしたちは誰でもエドマンドに自分を重ねて、このように成長したいと願うことだろう。
 ルーシィの信仰はますます研ぎ澄まされ、アスランに対する愛情もますます大きくなっている。それに伴って今度の映画ではアスラン自体も大きくなっていた。反面、ルーシィの持つ武器はとても小さい。敵の大群に向かうというのに、一人も刺せないような小さなナイフ。それを小さな身体でそっと構える。しかしその姿は誰よりも強そうに見える。その後ろにはアスランが付いている。信仰のみで戦おうとするところに、一番大きな力があるということを教えてくれる。
 わたしが「カスピアン王子の角笛」を観て、一番心に残っているところは、ルーシィが戦いを前にアスランを探しに森の奥へ奥へと馬を走らせているシーンだ。背後ではナルニアの住民が敵と戦い始めている。自分たちの力では、いつまで持ちこたえられるか分からないが、最善を尽くして戦っている。そんな中、アスランは自分から出てきて敵を一網打尽、ということにはならない。アスランは自分で探しに行かなければならない。
 アスラン(キリスト)がおられる所は、心の奥の奥、一番静かな森の中だ。ルーシィはそのことをよく知っている。アスランはナルニアの状況を誰よりも知っていて、すぐにでも助けたいと願っている。けれどナルニア国にとっての王はアスランだけではない。その心の持ち主自身も王として任命されている。私たちの心の主体性は、私たち自身に委ねられているのだ。
 「どうして前みたいに、すぐに助けに来てくれなかったの?」とルーシィは尋ねる。アスランは「同じことは2回は起こらないんだよ」と答える。
 心の中へのキリストの出現と最初の贖いは一度きり。その後も出会い続け贖い続けていただいているけれど、アスランの答えは、ベツレヘムとゴルゴダでの出来事が一度きりなのと同じことだと言わんとしている。
 困難なときに祈りの中で本当にキリストに会おうとするならば、たとえ自分の心の中のことと言えどもそう簡単にはいかない。「現実の私」も最善を尽くしつつ、心の中で、魂の中で、私の内に住んでおられるというキリストを探しに行かなければならない。急ぐならなおさら、奥へ奥へと静まらなければならない。
 このシーンを観てから、わたしはイエス様が私の内に住んでくださるということが少し分かったような気がする。キリストは私たちの内におられる。祈るときは内側へ内側へ探しに行こう。あれから何度もそんな風に思っている。
 今回を最後に兄ピーターと姉スーザンはナルニアに来られなくなる。4人が一人の人の側面を表現していると考えている私は、そのことをこう理解している。人は信仰的に成長するにしたがって、古い自分を脱ぎ捨てていく。人間的に優れた部分、大人の部分は、現実の中では今後もきっと活躍していくだろう。でもナルニアとコンタクトを取るのはもっと研ぎ澄まされた弱い部分。いくつかの部分が成長し卒業しても、罪を自覚した心やイエス様を信じる心は、これからもナルニアと関わり続け、恵みによって成長し続けるということだろう。そしてやがてはその信仰の心が、その人を代表する人格へと代わっていくことだろう。
 ナルニアの風景は、人が誰でも心の故郷として持ちつづけているような美しい景色であり、行ったことがなくても懐かしさを覚える。また物語の細部に散りばめられた「真理」は、私たちを自由な気持ちへ開放してくれる。
 この物語はファンタジーだろうか。わたしは決してそう思わない。この物語こそ、見えないわたしたちの霊的な世界を、見える形で素晴らしく表現したもの。わたしにとってこれほど「現実的」なお話はないと思っている。まだ観ていない方がいらっしゃったら、是非お薦めしたい。

(※ピーターとスーザンの出演が最後ということは映画の宣伝で公表されています)


あとがき NH

今年も、「ともしび」にたくさんの人が参加してくださって、こうして無事発行できる運びとなりました。
 今年は特に徳島聖書キリスト集会の主催で、無教会の全国集会が五月に行われました。その時の恵みは、今でも波のように押し寄せてきて、思い出すと何度でも、主の恵みを味わう事ができます。そこで知りあった初めての方も、今回投稿してくださり、新しい交わりが生まれました。主につながる兄弟、姉妹はいつもは離れていても、一同に会すると、大木のように重々しい栄光の響きを奏でるものだと、会場で思わされました。様々な職業、年齢、環境、個性の方々が、主に結ばれて一つとなるとき、そこに深い色合いが生まれるのを知りました。また、別々のところに散らされましたが、その方々と祈りで出会うことができます。こうして、祈りで結ばれた人が投稿してくださった文集は、神様の栄光をあらわす一つのエネルギーとして、、まだ知らない人に向かって流れていくでしょう。
この「ともしび」がどうか、主に用いられますように。
イザヤ書五五・1011
「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。 そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」

 このように、この文集が主の使命を果たして、救いの波紋が起こされていきますように。 書いて下さった皆様、読んで下さる皆様に豊かに豊かに主の恵みが注がれますように。

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