まえがき
NH
今年も皆様が主を証しする原稿を寄せてくださり、「ともしび」の編集にあたる事ができました。本当にありがとうございます。
毎年一年はあっという間に過ぎていきます。
皆様の一年間の出来事の中から主のしてくださった事が浮かびあがり共に主を喜ぶ事ができます。また共に祈る事ができます。
こうして「ともしび」を導いてくださる主を讃えます。
夏の日に照らされて風にそよぐ緑の葉っぱが主を讃美するように、私たちの一日一日も
ただ主を讃美し感謝し、どんな問題もお任せして進んでいきたいと思います。
私達ひとりひとりの人生のどんなところを切り取っても、そこに主が共に居て下さった足跡を見つける事ができます。
世の中も暗いニュースで覆われているように、私達の人生も黒雲で覆われて光が見えない時もありますが、主が「私はあなたを見捨てたりしない。わたしのところに来なさい」といつも励まし続けていていてくださいます。
そんな事をこの文集から受けつつ編集にあたりました。
本当の「ともしび」であり希望である主をまだ主を知らない方々にこの文集が用いられますようにと願って発行致します。
どうか書いて下さった皆様、読んで下さる皆様に主の豊かな祝福がありますように。
短歌
AM
○ 父母のおもいにかなへ 不甲斐ない
自分勝手な祈り 届かじ
○ 父母へ 苦労を共に 背負うため
苦しみの我 深き渕あり
○ 想いとは うらはら動く 身勝手な
祈りをしている 我が身なり
○ 一度でも 親孝行をしたいです
神様に祈る 想いよとどけ
○ 苦しみを背負わせつつも 老いていく
親の姿を見て 涙
兄を天に送って
AA
「友のために自分の命を捨てることこれ以上に大きな愛はない。」
ヨハネ福音書一五・3
「しかし、私たちがまだ罪人であった時キリストが私たちのために死んで下さったことにより、神は、私たちに対する愛を示されました。それで今や私たちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのはなおさらのことです」 ローマ書五:8~9
六月七日の朝、私の実の兄は60歳で天に召されました。すい臓がんと分かってから1年2ヶ月後のことでした。兄は、父の影響で学生時代に京都の無教会の集会に出席していました。しかし仕事が忙しくなり、しだいにキリスト教から離れていったようでした。ガンとわかってからは考える時間もあり少しずつまたイエス様のもとに立ち返っていったようでした。告別式は、キリスト教式ですることとなりました。
その告別式場で私は、まん前に掲げてある遺影を見てハッしました。兄の顔なのですが、その優しいまなざしの中にイエス様のまなざしを感じたのです。私の罪を知っておられ、私の弱さを暖かく見守ってくださるイエス様のまなざしでした。イエス様によって赦され、その愛に包まれていることをそのまなざしから感じたのです。
数年前の礼拝で、「あなたは、イエス様の十字架の迫りを感じていますか?」とはなされたことがあり、その言葉がいつも心に引っかかっていました。
私には、自分がイエス様を十字架につけたのだということを実感出来ないでいました。
そのことを礼拝の場で告白したこともあります。
そのようなわたしに対して、神様は兄の姿を通してイエス様の十字架の意味を教えて下さいました。兄は、人の命を直接救うことの出来る医師でした。
あまりの忙しさに自分の命を顧みることもできずに仕事をし、ガンが分かった時にはかなり深刻な状況でした。兄は、自分の命を差し出して他者の命を救っていたのです。イエス様もまた同じように自分の命を差し出して私たちの命を救って下さいました。兄の辛い状況を目の当たりにしてイエス様の十字架上での痛み、苦しみを感じることが出来ました。全く罪のないイエス様は、十字架にかかり、痛く苦しく辛い時を過ごさねばなりませんでした。その血のあがないのおかげで、私のような貧しい者でも罪赦され、神様を天の父とよばせて頂くことが出来ました。
地上に残された私は、これからどのように歩んでいったらよいのか考えさせられています。私に与えられている使命は本当は何なのか、もう一度深く考えてみなくてはと思います。そして、何事のも心をこめて誠実に歩むことができるように祈り続けていくつもりです。
深き淵より
IE
ー深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます(詩篇百三十篇)
人生の途上で、何故か心に打ち込まれるような幾つかの言葉がありました。それはわたしの心の内がわで意味を問い続けました。
聖書のことを知らなかった何十年か前、ある詩の会でー深い淵の底から…という言葉を聞きました。その時、言葉の原典が聖書にあるということを知り、また「深い淵」とは何だろう、叫ぶ相手は誰だろう、と心に問いかけるものがありました。しかしその後も神を知らないので実際に主を呼ぶということはあり得ませんでした。それでたくさんの、自分や世に起る矛盾や悲惨、絶望感みたいなものを解決のないまま心に抱え込むことになりました。
聖書を学び始めて、さがし続けていたものが一つ見つかり、また見つかるという予想もしないことが起りました。そのこと自体がわたしに「答え」と、ある種の「救い」をもたらしました。それまで、この世とはこんなものなんだ、とあきらめかかっていた世界が、神様の息の一吹きでみごとに崩れ去ったのでした。こんなことがあるなんて!と驚き、唖然としました。それが新しい世界への始まりでもありました。
今思います。時がくれば、いちど受けた神様の言葉はいつか何かにつながると。それは神様からの宿題みたいなもの。人が全生涯を賭けて解くもの。ときにそれは、本当の命の根元に達するもの。やがて言葉は不思議な経路を通って広い場所に出ようとする。その人と神様の間でしか成立しない目には見えない心の小道を通って。それはまさに命への道でした。
聖書は、表面ではわからない心の奥の奥の問題にメスを入れる、と言われますが「深い淵」とは本当に何だったでしょうか。わたしは折々に思ってきました。それはある心の状態、孤独のなかで死を待つような、出口は見えているのに這上がれないような。なのにどんな助けも期待できない状態、などなど。
しかし、この日学んだのは、深い淵とは「罪」のことであり、すべて罪の根元には、「神から離れている」或は「神に背をむけている」状態が存在することだ、ということでした。
この解答は、長いあいだ空欄であったわたしの心のある部分にジグソーパズルのコマのようにぴたりとはまりました。すると他にもある色々な宿題が、瞬間ひとつに重なって見えました。
ぺテロが、鶏が鳴く前にイエスを三度裏切った時、イエスのまなざしを思い出し「激しく泣いた(ルカ二二・62)」とあります。ぺテロはそのときいかに深い淵に落ち込んだか。人間は、今の今まで自分は正しいと思っていても、時と状況によってはどんなに深い淵(罪)に落ち込むかわからないと学び、聖書はこの目に見えない人間の心の深みに、見事なほど鋭くメスを入れていることを思いました。あの、明け方に鳴く鶏の、独特の何かを呼び覚ますような声。人間はこの危うさを、誰でも、どこでも抱えているのだと、同時にだからこそ常に大いなるもののみ前に謙遜であれ、と言われていることを思わされました。
人間の存在の危うさ。どんなに用心深くあっても、人間そのものが落ちる要素を常に抱え持つ存在であり、この世そのものが人間の予想のつかないことが起り得るもっと不可解な場所であれば、どうやって前を向いて安心して生きていけるでしょう。神を知らなければ、落ちたら滅んでいくだけ。無力な人間。そしてその闇。人間は自分の中の闇が深ければ深いほど、それが闇だと気付かない。ついには闇で闇を照らすような状態にさえなってしまうこともあるのではなかったでしょうか。しかし、聖書がわたしたちに知らせるのは、絶望しかないようなところにこそ現われて力を与えてくださるイエス・キリストの存在。深い淵の底に、救いがないまま放置しておくのではないのだと、そのことを体験したこの詩篇の詩人は確信して主に叫ぶのだと思いました。
深き淵は日常の中に、また人の心の内、外に深淵を開いている。鶏鳴が警告のように危機感を与えてくださるのも神の恵み。それによって、わたしたちは主にかたく結ばれて、その時こそこの淵をも超えられる。主に持ち運ばれて、また支えられて(ヘブライ一・3)はじめて、目には見えない罪と混沌の淵を超えていけるにちがいありません。
俳句 ー岩清水ー
IM
○梅香る 段々畑を 上り来て
○山日和 梅の枝へと 鳥移り
○草萌えを 踏みしめ歩む 畦の道
○霞立つ 牧の仔牛の 一鳴きす
○鶯の 今年も帰る 老樹あり
○若葉風 山路の背中 押されゆく
○山路行く 若葉つらぬく 陽射しあり
○つんつんと 新芽の香り 山里に
○木苺の 香り頬張り 山路行く
○四葩咲く 空の青さも 吸い寄せて
○手の中の 蛍火あわれ 点されぬ
○山の雨 あとに残りし 風薫る
○岩清水 汲みてうるおう 山路道
忘れ得ぬ恵みの仲間
OA
第三六回「キリスト教無教会四国集会」の主題は、「主の平安」でした。
「平安」という言葉を耳にするとき、忘れ得ぬ恵みの仲間が浮かんでまいります。IT先生の下で共に聖書を学んだSR姉であります。
S姉は、一九九六年六月一八日神のもとに召されています。
姉は晩年あ会いする度にもらされていました。「私は平安です」「私は平安」ですと。この言葉の背景には、当時輸血を受けなければ一時たりとも、生きていけない姉の状態がありました。
輸血を受けた時は、顔色も良く、元気でした。が、その状態は長く続かず、すぐ体は弱り、寝込んでしまう有様でした。姉は明日にも師を迎える状態の中、「私は平安です。」と告白していたのであります。そして、その告白の奥には神に負わされた余りにも厳しい深い傷跡の歩みがあったのです。それらの総括が「平安」という告白であったと思われます。その深く厳しい苦闘の傷は、恵みの仲間からお伺いした話しによります・・・と。
S姉は、結婚され、子供さんにも恵まれ幸福な生活を送っていました。
ところが、神はある時、ヨブのような仕打ちを姉にお与えになったのであります。姉の苦闘は、私どもには推しはかることはできませんが、きっと、気も狂わんばかりに、神に、イエス・キリストに食い下がり、挌闘されたものと思われます。その傷を背負って、以後、姉はひとり素足で黙々と与えられた道を歩んでこられたのであります。そして、晩年、主のもとに召されるのを目の前にして、「私は平安です」と告白されていたのであります。
にこやかに静かな喜びをもって告白されていました。忘れ得ぬお声と、お姿であります。 私は思うのです。
S姉が受けた、厳酷な神の仕打ち、また、迫り来る死の不安を。十字架上のイエス・キリストがすっかり飲み干して下さった。その業にあって、姉もまた、与えられた杯を、すっかり飲み干された。その事により「主の平安」が与えられたのであると思います。
「罪」の言葉をもってすれば、キリストの十字架ゆえに、我に罪をおかした人をすっかり赦し、我の罪をもすべて赦していただいたゆえの「主の平安」ではなかったかと思います。イエスは、世の中のキリスト者に言われています。
「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(ヨハネね一六・33)
復活されたイエス・キリストが、S姉をすっぽり包み込み、姉の中で働いて下さり、世に勝った勝利の証しが「平安」であったと、そう私は信じております。
復活された「イエス・キリスト」は今も生きて働いておられます。すべての人々に「平安」をお与えになるために。
思うまま
広島市 OT
東城キリスト教会に出入りする。長い間行かなかったのでなじまない。教会の掲示板に聖句を書いてくださいとの依頼を引き受ける。練習を兼ね朝、三箇所を選び書いている。どこを書いても良い句となる。
最近TSのMP3を聞いている。一二巻ある。毎年二巻増える。それに徳島聖書キリスト集会のも加わり信仰的には恵まれている。
T先生の話で、八十歳になって初めて魂の救いを求めていると聞いた。単純な救いを求め、主イエスとの出会いが大切で、私流に言えば聖書は研究のみではなく神の国の民となる為に、植物が畑で育つように「神は農夫であり、あなた方は畑である」というみ言葉のように神様に育てられている事を思っている。パウロもダマスコでの主イエスとの出会いが一生続いた。コリント書十三章で信仰と望みと愛に分け、そのうち大いなるものは愛である。信仰とは聖書に書いてあることを心から信じること、望みとは、いまだ知らないことを心にいだき待ち望むことである。愛とは十字架のイエスの死である、贖いである。聖書に「神の知恵となり義と聖と贖いとなられた」とあります。神のおろかさは人の賢さよりも優れている。アブラハムがイサクをはんさいの台に捧げた時、何故であったか。素直に神を信じたとはいえ、神のなされることの最も大きなおろかさである。もし、人が我が子を強盗に渡し、殺された末、裁きの座で強盗の罪に対し赦しを乞うものが居るだろうか。神はそのように独り子イエス様をされ、私達罪人の為に執りなされたのである。神は新しい契約を結ばれた。罪に対する裁きをイエスのはんさいで赦すとされた。これほど大きい愛はないと書かれている。また、パウロのいう愛とは書簡全体に溢れている。「愛する者は神の国を継ぐ者」ヨハネ福音書の主イエスの言葉、「あなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。十字架の血が私達をつなぐもの。ヨハネ黙示録二一の4「人の目から涙を拭いとってくださる。」神と共にあるとありそんな人々の集まりこそ神の国を継ぐものです。内村鑑三も黒崎幸吉、矢内原忠雄も老齢になるにつれ単純に聖書に書いてある事をそのまま信じ主イエスの愛に近づいたのです。新約時代にはガラテヤ書五の6、「愛の実践を伴う信仰こそ大切です。隣人を自分のように愛しなさい」。これらの信仰の元はイザヤ、詩編、モーゼなどによって建てられている、旧約時代もまた、神の愛されし民であった。愛とは神の愛。そのように人も互いに愛し合いなさいと言われる。人を憎まない、赦す事のできる人になりなさいと書かれている。神が罪を赦すように、あなた方もそのようになさいと言われる。「いのちの水」誌一二月号に載っている、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」詩編二二、その次に十字架上のイエス・キリストの事が書いてあり、神はその民を無限まで愛されたとある。朝の祈りの時、詩編二二を読む。十字架を偲ぶ。
出会いをくださる神様
KK
六月の末に松田敏子さんが召された。一緒に静岡にあるデンマーク牧場に行こうって話していたので、その願いがかなわなかったのが残念だった。デンマーク牧場は児童養護施設や自立援助ホーム、老人の施設などある福祉施設で、その中に、徳島にも来られた精神科医の武井さんが「こひつじ診療所」を開かれている。診療所の横にひつじがいるという。なんてすてきなこと。その診療所にぜひ、松田さんと行きたかった。そして、松田さんのところでいただいたデンマーク牧場のアイスクリームがとてもおいしかったので、もう一度、松田さんと食べたかった。願いはかなわなかったけれど、松田さんは、なんだか心に近くなった気がした。出会いって不思議だなあと思う。
精神科看護師三年生。精神科看護ってどうしたらいいのかわからなくなることもあり、疲れることも多い。それでも、ここで働いてみて、自分自身を振り返る、とてもいい機会になった。自分自身が癒されていなかったら、患者さんと関わっていくことが難しい。そういう意味でも、患者さんに教えられることが多い。大学病院なので入退院が多く、新しい出会いも次々と与えられる。わけがわからなくなることもあるけれど、患者さんとのつながり、スタッフとのつながり。与えられている出会いを感謝していくと、職場ってなかなかすてきな道場かもしれない。果てしない精神科看護の高嶺。そのふもとで右往左往しているわたしだけれど、それでも、もう少し上れたら、岩場にも出会うだろうけれど、山の風と美しい景色にも出会えるかもしれない。
それでも、看護師の宿命、三交代勤務はきつい。夜勤も体に負担になるお年頃(?)となり、自分のこれからのあり方などを、考えさせられていた矢先、松田さんの召天を知らされた。わたしのことを祈ってほしくて、静岡まで会いに行ったことが鮮明に思い出される。わたしの肩と心と魂をまるごと途方もなく優しく抱きしめてくれた、松田さんの手を思い出す。
その松田さんの年譜を武井さんが送ってくださった。それを見て、声をあげた。松田さんがイエス様に出会った歳。松田さんの新しい出発の歳。それは、なんと今のわたしの歳だった。「まだまだ、これからだよ」と松田さんが話しかけてくださった気がして、なんだか、とても元気が出てきた。イエス様が、こんなすてきな出会いを与えてくださったことがとてもうれしかった。そして、必ずこれからも、驚くような出会いをイエス様は与えてくださる。神様は最善から最善に導いてくださるのだから、必ずそのようにしてくださる。
仕事のことも、夜勤のことも、年齢のことも、イエス様に任せていこう。確かに、この新しい部署で、どれだけ大きなことをこの二年間与えられてきたか。目には見えない痛みと喜びの中で、神様から与えられためぐみを思うと、感謝があふれる。主イエスは確かに生きて導いてくださっている。信仰の友、職場の友、家族。エデンの地にあふれる、見ても食べてもよい木の実のように、神様は今に至るまで、出会いを与えてくださった。季節ごとに咲く花のように、一日の空を彩る雲のように、人との関係でも様々な模様を示してくださった。
さあ、神様、次にはなにを与えてくださいますか?神様の導きの中で、待ち望みつつ、今日の働きをさせていただこう。この一瞬一瞬が、わたしの人生そのものなのだ。ハレルヤ。
「矢内原忠雄と教養学部」の特別展を見て
岡山市 KT
去る二〇〇九年三月末日から六月末日まで、東京大学駒場博物館において、「矢内原忠雄と教養学部」の特別展が開催された。上京の機会があったので半日さいて見に行った。
矢内原忠雄と私との関係は、一九五八年岡山の「吉備青年の家」で矢内原忠雄聖書集会が開催されそれに参加したこと。上京した折りに今井館での聖書集会に参加したこと。そして最も大切なことは、矢内原忠雄が天に召されるまで発刊された「嘉信」を読み信仰の師と仰いだことである。
矢内原忠雄は、日清戦争開戦の前年、一八九三年に四国の愛媛県富田村(現今治市)に生まれ一九六一年(昭和三六年)一二月二五日、胃ガンのため波乱に富んだ六八年の地上での生涯を閉じた。矢内原が生涯を通して後世に残したものは大きく分類して「キリスト教の信仰と学問」「植民政策・沖縄問題」「教養学部の創設」があげられる。
まず戦前一九三七年東大経済学部の教授時代の各種論文において反戦思想を持っているものとレッテルをはられ、大学から追放された。東大を退いてからも「嘉信」を発刊し公開聖書講義を続け絶対的平和をとなえた。
戦後、一九四五年大学に復職し、専門的分野のみに偏らない全人格的な学問を学ぶ場として、「教養学部」を創設した。
また、聖書の精神のもとに真の平和国家への願いをもって日本中伝道にまわった。
先に述べた岡山での聖書講義で使徒言行録の講義もその一環であった。
その後、教養学部長、戦後第二代の東大総長となるが、その就任を引き受けるさいに、条件として、宗教活動が妨げられないこと、毎日曜の礼拝や、「嘉信」の発行、東大聖書研究会の指導や、地方への伝道旅行が妨げられないことの確認の上、就任を引き受けたとのことである。
その後、学問と信仰と重い職務をはたすが、いつもその底流には絶対的平和を主張する点で終始一貫していたと言われる。
二一世紀の今、我々が戦うべき相手は何であろうか。
戦争中のように、言論が弾圧される心配もなく、宗教は自由、生活も自由、言論も自由、風俗も自由等々、自由の名が闊歩する。
そして、物質や科学、金銭、地位、名誉等々を神として偶像崇拝し、神を神として認めない「人間の心の堕落」と「傲慢」ではないだろうか。矢内原忠雄特別展を見てあらためて、自分の信仰態度はどうあるべきかを考えさせられた。
すべてを良きに
SY
明けの明星はどのような意味があるか。それは、夜明けが必ずあるという知らせである。
ある時の学びでこのことを聞いて、ほんとうにどのような病気や、苦しみ暗闇があっても必ずよい解決が与えられるという思いになり、心が明るくなりました。
神を信じていたら偶然はない。すべて神の愛の導きである。いろいろなことが生じる。
なぜ?、どうして?いつまで続くのか?と心が暗くなり、自分の罪やなまぬるい信仰で
弱くなってしまうが、どんなに弱く小さな信仰であっても、信じる者には、必ず主が良きに変えてくださる、希望を持つことができる幸いを思います。
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、
万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。(ローマ八・28)
二つの出来事を通して
SH
今年の五月には、いつもと違う出来事が二つありました。
一つは初めて県外の集会に参加できたことです。
いつも参加申し込みの時期になると、「行きたいな。」という気持ちと、「食事療法だから無理。」という気持ちを持ちつつ、我慢していました。今回は締め切りギリギリまで考えた末、「行きたいな。」という気持ちが勝ってしまいました。
高速バスの往路ではきれいなオレンジの花が道路沿いにたくさん咲いていて、「オオキンケイギク」だと姉妹が教えてくれました。 復路では途中霧がたくさん発生していましたが、風景を撮影したりして楽しむことが出来ました。
食事は隣の席の姉妹たちに交換してもらい、乗り切ることが出来ました。
トリプルの部屋では、持参したエレンタール(成分栄養剤)を飲みながらの楽しいひとときの後、足を高くして寝ました。
二日間とも、たくさんの賛美歌を歌い、参加者の皆さんを多く撮ることが出来ました。
途中で疲れることなく、自由参加のプログラムも含めて楽しく参加することが出来ました。
「行って良かったね。」「松山はもう大丈夫ですね。」と周りから言ってもらい、私自身たくさんの恵みを受けることが出来て「参加して良かった。」と思いました。
プライベートでも県外への旅行は何年も行っていないので、高速バスの片道三時間も含めて楽しかったです。
しかし大学病院の診察日(五月二十七日)に、もう一つの出来事がありました。
〈二日前に右足の太ももに湿疹が出たのですが、以前と同じ程度のものと思い近くの病院で同じ処置をしていただき、内服薬をもらっていました。〉
消化器内科外来で診察を待っている間に三十九度一分の熱が出て、皮膚科に即入院になりました。右足太ももから左足太ももへ、そして左足ひざ下へと移っていき、患肢に熱を持っていました。絶対安静でトイレも車椅子、一週間後に退院しました。
習慣性丹毒〈しゅうかんせいたんどく〉という繰り返すことのある皮膚疾患でした。「リンパ浮腫(持病のリンパ管拡張症の症状)」の合併症の一つです。
朝は元気に出かけていき、突然発熱して即入院というのは初めてだったので、退院後は気分的に落ち込んでしまいました。
医療用ストッキングやミトンは着用していましたが、病院の先生には「浮腫をひどくしないように。」と言われました。
集会の参加が県外まで距離が広がったと思って喜んでいたら、持病の症状も広がり喜びが半減してしまいました。
『自分の出来る範囲』は入院をすると意思に反して狭くなります。数年前に左胸水が溜まった時以来「無理をしないように。」と医者に言われたり、周囲に止められたりするからです。私自身はそのたびに『もう働いていた時と同じように出来ない。少ししか出来ない。』ことを思い、そんな自分に納得できずに悩んでしまいます。
〈小さいほんの少しのことでも神さまに祈り、主のためにするとそこに祝福がある〉と学んでいることが、生かされていない自分に気付きます。
神さまや主にある兄弟姉妹のために使う範囲は徐々に広く出来るようにしたいと思います。
今回のことを通して「やっぱり私は無理。」と落ち込んでしまいましたが、集会に続けて参加できていること、パソコンを使って学んだことを次々と整理できていること、昨年はじめたブログもなんとか続けることができていることなど、すべては体調が守られているからできることです。主に感謝です。
今まで神さまから受けている恵みにも増して、ここ4カ月余りの間に県外の兄弟姉妹を新しく数名与えられたことなど、恵みの範囲は広く深くなる一方です。
県外の集会に参加することが最初で最後になるか今後も機会が与えられるかは分かりませんが、主にある兄弟姉妹から感話を聞くこともできますし、礼拝や県外の集会などCDにしてくださるので同じように学び、恵みをいただくことができます。
「思い悩む暇があったら食事療法や運動療法など治療を頑張りなさい。」ということで、自分の出来ることをしながら、あせらずに「時」を待ちたいと思います。
「主は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(Ⅱコリント十二・9)
霊の目が開かれますように
SM
「食事の席についた時イエスはパンを取り賛美の祈りを唱えパンを裂いてお渡し
になった。すると二人の目が開きイエスだと分かった。」 ルカ二四・30~31
主日礼拝でルカ福音書の最後の箇所を学びました。復活されたイエス様が親しく語りかけて下さっているにもかかわらず、二人の弟子達の目が遮られていたために何も分からなかったという箇所を教えて頂きました。ルカ福音書の締めくくりで霊的な目が塞がれて全く真実なものが見えない恐ろしさを知らされたことは、私にとって深い意味があったと思います。この二人の弟子達のように私の心の中にも、まだまだ何かによって閉ざされた硬いものが沢山あることに気づかされました。でもイエス様がパンをとって祝福し祈られてパンを裂いて お渡しになると初めて弟子たちの目が開かれました。このイエス様の祈りと祝福はずっと今も従う人達の中に続いていることも知らされました。
45節で 「イエスは聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いた」とあり ここで言われている「心」とは原語では「ヌース」と言ってこれは理性という意味があり、感情的な心はカルディアと言って区別されていて、「心が開かれる」という箇所を理性と訳されているものもあることを教えて頂きました。
信仰とは上より啓示されて理屈では説明できないもので、感情的に分かるという部分がほとんどだとこれまでは思っていました。もちろん それも大切なことですが、信仰が完成するためには、理性が備えられなければ聖書に書かれていることも、人間的な知性では理解できないことがよく分かりました。
どんな苦難の時も自分の罪に苦しむ時も、イエス様の霊に導いて頂いて、イエス様によって理性を呼び覚まして頂けるように祈って行きたいと思いました。また私の身の回りにも自分の罪の重大さにも気づくこともなく、空しさと孤独の中にあって滅びへと向かっている人達が沢山あります。その人達のためにも「霊の目が開かれ真実なものが見えますように」と真剣に祈って行かなければとおもわされました。
「神様、今日も助けてください」
SY
私は今、毎週の礼拝に母の使っていたバッグを持って出かけています。それは、母を特別懐かしんで持っているわけではなく、まだ使えるからというだけのことです。そして、そこには申年だった母の猿の飾りも付いたままです。ある朝、私はその猿を見ながら「いつも礼拝に行くときは一緒だね。」と思わず母に話しかけていました。でも、いやいや、母は今イエス様といつも一緒にいて、いつも礼拝をしているのだった。と思い出しました。ヨハネの黙示録には、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、数えきれないほどの大群衆が神を礼拝している。とありますから、母もきっとそこで父のためにとりなしの祈りをささげていてくれるのだと思います。
母は、7年前に食道がんで亡くなりましたが、召される前日に「私はイエス様を信じてるから。」と言って、「主は私の牧者です。私には乏しいことがありません。」と告白しました。そしてその時ちょうど空に虹がかかっているのを見て、神様のお約束の虹と喜んだのでした。
あれから一人残された父は八十六歳の今も一人で細々と暮らしています。私にはもう一人、一人暮らしをしている夫の父がいます。一人暮らし十四年のベテランです。どちらの父も、何とかできるところまでは・・・と一人暮らしをしています。でも、年々体が弱ってくるのは仕方のないことで、去年できたことも今年はちょっと難しかったりします。それでも毎日の食事や病院通い、金銭の管理と精一杯頑張っている姿を見ていると教えられることも多くあります。私はその父たちに、まだ具体的な助けはしていません。ただ、何かあれば声をかけてもらえるように、つかず離れずの距離でかかわっている状態です。それでも、何かあったらどうしようと不安になることはよくありますし、自分が何もしていないことを責めることもあります。そんな時神様に、「わたしのできること、するべきことを教えてください。」と祈ってゆだねるようにしています。
その父たちに、神様を伝えたいと思いつつなかなかできずにいました。でも今年から、私の父と聖書を少しずつ読み始めました。読むだけですが・・・。今はそれで精一杯です。義父には、時々印刷物を渡すことしかできません。それでまた神様に、「この小さなことをどうか良いものにしてください。」と祈って助けていただきます。こんな、神様にお願いばかりの私ですが、だからこそ神様なしでは生きていけません。そのことを父たちも夫もそろそろ気づいてくれるかなと期待するこのごろです。
「笑わせようとする神」
TN
「あなたの神なる主が、旅路を導かれたとき あなたが主を捨てたので このことがあなたの身に及んだのではないか。 それなのに、今あなたはエジプトへ行って ナイルの水を飲もうとする。 それは、一体どうしてか。 また、アッシリアへ行って ユーフラテスの水を飲もうとする。 それは一体どうしてか」(エレミヤ書2:17~18)
この7月、遠くに住んでいる初孫が初めて5日間遊びに来ました。ようやく寝返りが打てるようになったばかり。お母さんのお乳でお腹が満たされることとオムツをきれいにしてもらうことで一日の大半が過ぎていきます。無垢で邪念がないでき立てほやほやの彼女に、老若男女家族中が一瞬のうちに魅了され、虜になりました。寝ている彼女の上に顔を突き出して、大きな声で名前を呼んでみたり、声のトーンを高く低く、強く弱く変えてみたり、手をたたいて音を出したり、手足を触ったり。彼女に振り向いて笑ってもらおうと必死の体。彼女と視線が合った時の喜び。ましてや声を立てて笑ってくれた時などもう有頂天。一度笑ってくれると余計に熱が入るという、傍から見ていたらちょっとおかしな世界でした。13歳になる飼い犬が、家族中の関心と愛情を彼女にさらわれ置き去られて、今まで聞いたことがない悲痛な叫びを上げ続けました。
こんな幸いな経験を通して、私は気付かされました。神様は、私たちに向ってまさにこのように熱烈に名前を呼び、こちらを向きなさい、愛するあなたに必要なすべてのものを与えよう、と言って下さっているのではないだろうか。顔を覗き込み、手をたたいて注意を引き、時には揺さぶって。それなのに私たちは「目があっても、見えず 耳があっても、聞こえない民」(エレミヤ書5:21)であり、「彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、私を捨てて他の神々に仕えること」(サムエル記上8:8)なわけです。
冒頭の聖句は、この世を陵駕する神様の愛から私たちを隔てるのはいつも、神様のなさることやそのお力に不信を抱き、自分の力で何とかできると算段する人間の身のほど知らずであることを示していると思います。この世をうまく泳ぎ切るにはこの世の知恵を駆使して最高に良い方法を見出さなければならない。それが出来るのは神様ではなくて自分であるという考えに取り付かれ、そこから離れるのは至難の業です。偶像礼拝の誘惑です。
聖書はそのことが一番大きな「罪」だと言っているのではないでしょうか。命の水は神様からしか得られないのに、自分を救う水は自分で見つけなければと躍起になります。「神様のことはもちろん何より大事です、礼拝は心を込めて守っています。愛の業にもいっそう励んでいます。でも一時、命の水を探しにいく間、神様、ちょっと待っていてください。」と私たちは言うのです。神様の水は信用できないので、自分で何とかしようとするのです。この世のことを神様にゆだねきれない不安と恐れが、私たちを偶像礼拝へと駆り立てます。
キリスト者として生きるということは、この世に属さずに、この世に生きるということであると、ヘンリ・ナウエンさんは言っています。
この世に属さずこの世に生きるということは、この世の困難な現実の波に飲まれて溺れそうになりながら、溺れてもいいと覚悟すること。この世の計算では辻褄があわず命を失いそうになりながら、命を失ってもいいと覚悟して、神様の熱烈な呼びかけに耳を傾け、私たちを笑わせようと全身全霊で関わってくださる神様に信頼の笑みを返し続けることではないでしょうか。その時、神様の偉大なみ手が働いて、「目の見えない人を導いて知らない道を行かせ 通ったことのない道を歩かせる。行く手の闇を光に変え 曲がった道をまっすぐにする。私はこれらのことを成就させ 見捨てることはしない。」(イザヤ42:16)という、ことが、私たちの人生に起こるのだと思います。
第二次世界大戦ナチス支配下、アウシュビッツで亡くなったオランダ系ユダヤ人、エティ・ヒレスムさんは感受性豊かで知性的な女性でした。彼女にとって収容所は神様と向き合う密室でもありました。そして手紙や日記を綴り続けました。「この収容所の悲惨さはあらゆる現実の境界をはるかに越えてしまっています」と言いつつ、「それでも、人生は光輝にみちて素晴らしいという思いが心の底からまっすぐわきあがってくる」と告白しています。彼女にこう言わしめたのは、この世の命を脅かす究極の現実より、そんな中でこそなお生きて働き、希望を与え、光を見させ、力をお与えになる神様のご臨在の現実が勝っていたからなのでしょう。
初孫の誕生は、様々な条件の下、私の不安や不信をかきたてる出来事でした。でも神様が良しとされたこと(人の目に幸と映ることも不幸と映ることも)には、人には計り知れない美しさや輝きがあることを今回も知らされました。それは神様に信頼してゆだねて初めて知ることができる神秘。私の小さな経験は、ヒレスムさんの経験に連なる神様のご臨在を知る経験となりました。
幼子に学ぶ
TE
線路前の我が家では列車が通過する音がよく聞こえる。ある家庭集会の日、みんなで黙祷しているときに幼子が声をあげる。
「あ!ガタンガタン!」
一緒に讃美していると
「あ!ガタンガタン」
み言葉を学んでいるときに
「あ!ガタンガタン」
大人が集会の時、横でおもちゃで遊んでいるときや交わりの時大好きなものを食べているときも
「あ!ガタンガタン!」
幼子は列車が通るたびに教えてくれる。何をしていても列車の音を聞き分けている。その反応の早いこと。
我が家では月一回吉村さんを迎えて天宝堂集会を夜行っているが、それとは別に、昼間「のぶどうの会」という祈りを中心とした家庭集会も月一回行っている。そこに幼い女の子がお母さんと参加した時、時間帯が丁度たびたび列車が通過する時であった。私はいつものことだから、慣れっこになっている。「ああ、通り過ぎたな」と思うだけ。
しかし、幼子にとっては、一回ごとに新しい出会い。耳に入ってくる列車の音に喜びと感動があふれる。
神様はこんなふうに私の心のすぐそばに近づいて来られても、私は気にもとめないでいるかも知れない。
み言葉から日々新しい声を聞いているかしら?
雨の音や強く吹く風の音に心をすませているかしら?
そういえばソロやコーラスで蝉たちが鳴いていている。一斉に鳴き始めた蝉たちの指揮者はイエス様。
幼子はいつもすなおに応えている。
一回一回が初めてのように。
「あ!ガタンガタン」と。
「いつも日々新たな思いで、神様からの呼びかけに気付いてね」、「み言葉の一言から、自然の営みのなかから御声を聞き分け、御心を受け取ってね」と教えてくれる。
主のみこえ
1 聞こえてくるでしょ、主の ほそきみ声
心の耳をすませてごらん
みことばひらいてひとり静まるとき
さやかに聞こえる導きの声
3 心の深みにみ声を聞いたら
ためらわず主にゆだねてごらん
小さな命もみ手の中にあれば
燃え輝くでしょ、暗い闇夜に
(友よ歌おう 47)
神の国と神の義をまずもとめなさい
TK
「神の国と神の義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ六・33)
このみ言葉により二二年前、神様にすべてをお任せしようという思いへ導かれました。「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ六・34)
その後も家族のこと、仕事のこと、健康のこと・・・事あるごとに心配し、思い煩い続けてきましたが、今二二年を振り返ってみると、何ら思い煩う必要はなかった。神様は最善の道を用意してくださっていた。ときに、くすしい事をも目のあたりに見せてくださいました。神様の大きな愛とともに、祈り支えてくださった多くの信仰の友の愛を覚え、嘉信でいっぱいです。
それでも神様を信じきれず自分の思いにとらわれる事多く過ごしてきましたが、神様を第一としてきたならどんなに大きな祝福をいただいたことか、神様の用意してくださった祝福をとりこぼしたことを思います。
今、また明日を心配し、思い煩う事態に直面していますが、冒頭のみ言葉を噛みしめ、二二年間の神様の最善を思い巡らし、全知全能の主に信頼して笑顔でゆきたく思います。
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。」(テサロニケ 二 一・16~18)
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安があなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」(ピリピ四・6~7)
列王記上三章の学びより
TK
ソロモンは王となる時に、何を求めて何が与えられたか。
四節で、一千頭の物をささげた…
神様の為にささげようとする心があるのなら、神様はその夜に。ソロモンに答えられた。
六節で父、ダビデが神様のみ前を歩んだ、絶えず神様の眼差しを感じつつ歩んだ。
神様を意識して歩み、神様の愛を父親に示した事を見て、神様の愛を思い起こしている。それから自分の事を見ている。
自分は取るに足りない者である言う気持ち、取るに足らない者であるから、いつも神様の声を聞く事が出来るように、正しく聞く心を与えて下さい願い祈る事ができる。
聞こうとする心と、与えて下さいと祈る事に、神様は答えられた。
神様抜きの知識は滅びへと行く。
真理の声があっても、それを打ち消そうとする声もある。
いつも神様に聞く心を与えて下さい。神様の声を聞かなければ、間違った方向へ行く。
神の声に聞かないで、闇の声、自分の声、人の声に耳を傾けてはいけない。正しく聞く人には正しい力が与えられる。
人間の声に聞いていくと、正しい良い力は抜けて行く。英知の源は神に聞く事に始まる。
一羽のすずめ
TM
五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。
だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。
(ルカによる福音書12章6節)
妻が入院している病院は、多摩丘陵の、万葉集にも出てくる「多摩の横道」沿いにある。そこは小さな里山がいくつも連なり、アップダウンの急な山道なので、自転車で走る身にはかなりきつい。そこを通って病院に行く途中、竹林が広がっていて、その一角に背丈の低い野バラや篠竹で囲まれた草むらがある。私はいつもそこに横になって疲れた身体を休めることにしている。今は春たけなわで、ウグイスたちが見事な鳴き声を谷じゅうに響かせている。けれど秋から冬にかけてたくさん見かけたスズメたちは、他の鳥たちや蝶や花々の華やかさに圧倒されてしまったのか、ぜんぜん目立たない。
商品価値も希少価値もほとんどゼロ、いかにも弱弱しくて、いかにも安っぽくて、地面に落ちていたって誰にも見向きさえされない。けれど、そんな「すずめの一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。」
これは驚くべき言葉ではないだろうか。夜明けから日没まで、えさにありつこうとして健気に生きているだけのスズメを、神様はいつくしんでおられ、彼らの命を大切に守り導いてくださっている。もし、そんな弱小の取るに足らないスズメでさえ神様はお忘れにならないのなら、私たち人間一人ひとりをお忘れになるなどということがあり得ようか。
終わりの日には、一羽のスズメも、そして私たちも、神の御前で、それぞれの涙を--スズメの涙も人の子の涙も--ぬぐっていただけるのである。 (2009/4/15)
「ローマ人へ」第九章所感
TT
「するとどういうことになるのだろうか。神に不公平でもあるのか。もちろん、そんなことはない。その証拠には、神はかつてモーセにこう言われている、〝わたしは憐れみたい者を憐れみ、慈悲をほどこしたい者に慈悲をほどこす〟と。従って憐れみも慈悲も、それは人間の願望にも努力にもよらず、ただ神の憐れみによるのである。反対に、憐れみを奪われる場合も同じである。現に聖書は、パロにこう神が仰せられたと言っているではないか、〝わたしがあなたを王として立てたのは、あなたの心を頑固にしてわたしの命令にそむかせ、あなたによってわたしの力を示すため、また、わたしの名が全世界に知れわたるため、ただそのためであった〟と。従って神は思うままに、ある人を憐れみ、ある人を〝頑固にされる〟ことは明らかである。」(九・14―18 塚本虎二訳)
パウロは人の信仰・不信仰はすべて人の力や熱意、また善悪によらず、ただ神の御意志(みこころ)によることを、旧約聖書の歴史の事実を通して語っているが、福音書にもイエスのみ言葉として「雀は二羽一アサリオンで売っているではないか、しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。」(マタイ一〇・29)と、宇宙万物すべてのことが神の御意志によることが述べられている。さらに神が私たちを選んで下さったのは「御前(みまえ)にて聖く瑕(きず)無き者とするため、天地開闢(かいびゃく)の前から私たちをキリストにおいて選び」(エペソ一・3―5)給うた、という気が遠くなりそうな人間の思いも及ばないことが書かれている。この神の独裁的な選びは、人間の常識ではいかにも不合理であるが、しかし罪に腐れた滅ぶべき自分がどうして選ばれたかを考えると、そこに理屈によらない絶対的な御憐みがあったからと感ぜざるを得ないのである。また反対にパロの例を通して、人が不信仰になるのも神の御意志によるとあるので、自分の愛する家族や友が不信なのも神が人の心を頑なにして閉じておられるからであろうか。その理由は人間にわからないが、「不合理なるが故に 我れ信ず」のテルトゥリアンの言のように、「神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐みを施すためであった」(ローマ人へ一一・32)とのみ言葉を信じて最後まで神に祈り続けることしかない。
エゼキエル書にはイスラエルに対する神の言として「わたしがすることはお前たちのためでれたと言っているではないか、〝わたしがあなたを王として立てたのは、あなたの心を頑固にしてわたしの命令にそむかせ、あなたによってわたしの力を示すため、また、わたしの名が全世界に知れわたるため、ただそのためであった〟と。従って神は思うままに、ある人を憐れみ、ある人を〝頑固にされる〟ことは明らかである。」(九・14―18 塚本虎二訳)
パウロは人の信仰・不信仰はすべて人の力や熱意、また善悪によらず、ただ神の御意志(みこころ)によることを、旧約聖書の歴史の事実を通して語っているが、福音書にもイエスのみ言葉として「雀は二羽一アサリオンで売っているではないか、しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。」(マタイ一〇・29)と、宇宙万物すべてのことが神の御意志によることが述べられている。さらに神が私たちを選んで下さったのは「御前(みまえ)にて聖く瑕(きず)無き者とするため、天地開闢(かいびゃく)の前から私たちをキリストにおいて選び」(エペソ一・3―5)給うた、という気が遠くなりそうな人間の思いも及ばないことが書かれている。この神の独裁的な選びは、人間の常識ではいかにも不合理であるが、しかし罪に腐れた滅ぶべき自分がどうして選ばれたかを考えると、そこに理屈によらない絶対的な御憐みがあったからと感ぜざるを得ないのである。また反対にパロの例を通して、人が不信仰になるのも神の御意志によるとあるので、自分の愛する家族や友が不信なのも神が人の心を頑なにして閉じておられるからであろうか。その理由は人間にわからないが、「不合理なるが故に 我れ信ず」のテルトゥリアンの言のように、「神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐みを施すためであった」(ローマ人へ一一・32)とのみ言葉を信じて最後まで神に祈り続けることしかない。
エゼキエル書にはイスラエルに対する神の言として「わたしがすることはお前たちのためでれたと言っているではないか、〝わたしがあなたを王として立てたのは、あなたの心を頑固にしてわたしの命令にそむかせ、あなたによってわたしの力を示すため、また、わたしの名が全世界に知れわたるため、ただそのためであった〟と。従って神は思うままに、ある人を憐れみ、ある人を〝頑固にされる〟ことは明らかである。」(九・14―18 塚本虎二訳)
パウロは人の信仰・不信仰はすべて人の力や熱意、また善悪によらず、ただ神の御意志(みこころ)によることを、旧約聖書の歴史の事実を通して語っているが、福音書にもイエスのみ言葉として「雀は二羽一アサリオンで売っているではないか、しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。」(マタイ一〇・29)と、宇宙万物すべてのことが神の御意志によることが述べられている。さらに神が私たちを選んで下さったのは「御前(みまえ)にて聖く瑕(きず)無き者とするため、天地開闢(かいびゃく)の前から私たちをキリストにおいて選び」(エペソ一・3―5)給うた、という気が遠くなりそうな人間の思いも及ばないことが書かれている。この神の独裁的な選びは、人間の常識ではいかにも不合理であるが、しかし罪に腐れた滅ぶべき自分がどうして選ばれたかを考えると、そこに理屈によらない絶対的な御憐みがあったからと感ぜざるを得ないのである。また反対にパロの例を通して、人が不信仰になるのも神の御意志によるとあるので、自分の愛する家族や友が不信なのも神が人の心を頑なにして閉じておられるからであろうか。その理由は人間にわからないが、「不合理なるが故に 我れ信ず」のテルトゥリアンの言のように、「神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐みを施すためであった」(ローマ人へ一一・32)とのみ言葉を信じて最後まで神に祈り続けることしかない。
エゼキエル書にはイスラエルに対する神の言として「わたしがすることはお前たちのためで汚した、わが聖なる名のためである」とある(二〇・9、14、22―23、36・等)。イエスは主の祈りで、「わたしたちの天のお父様、お名前がきよまりますように。…お心が行われますように、天と同じに、地の上でも…」と、まず「神の聖なる御名が聖まり崇められ」んために祈れと弟子たちに教えられた。
無教会の先達藤井武は、その最愛の妻の不慮の病死という痛切なご体験を通して神の御意志に正面から向い合われた、「神様、あなたはなぜこんな事をなさったのですか。なぜですか… 彼女なしに私に生きろというのは余りに無理な注文ではありませんか…そういう風な言を繰返しては、間断なく私は神に撃ってかかった。『斯かる場合に神を打返してはいけません。神に打ちすえられて、その恵みに与るべきであります云々』(恩師内村鑑三の書翰の一節)」
「彼女への告別式において、壇上に立った恩師の口から『私どもは神様のみわざを義とし奉るべきであります』との一言を聴いた時であった。新しい光が私を叩きつけた。『アーメン』という声が胸の中にひびきわたった。…」
「『汝ものいふときは義しとせられ、汝さばくときは咎なしとせられたまふ』(詩五一の四)。たとい如何ばかり解しがたくあろうとも、はた如何ばかり忍びがたくあろうとも、彼(神)のみことば、彼のみわざに対しては、絶対無条件の『アーメン』よりほかに何もない。私はついにこの神を発見した。そうして今度こそは全心全霊の従順さをもって彼の前に頭を下げることが出来た。」
短歌「撃ちたまへ御(み)存分に撃ちてすゑたまへ鞭の下よりただわれすがる」
(藤井武全集第十巻「十月一日感話」一九二八年一〇月より抜粋)
「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、まず己をすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え」の主イエスのみ言葉に従い、如何なる時にも神を義とされた藤井武のご生涯、ここに無教会信仰の原点を見る思いがする。
短歌
NS
○ゆっくりと神の石臼今も廻る
いらだつ心よ静まりて待て
○人間に出来ない事が一つある
万能の神を信じきること
○仰ぎ見る、深き信頼、強き叫び、
忍耐、実行、祈りのすべて
○人の為の祈りは必ず聞かれると
先ず確信を祈り求めて
○悔い多き祈りなれども朝ごとに
御前に伏せば御霊が働く
○目を開き見えるようにして下さい
深き主の愛見えない子らの目
○引き抜けばすぐに生え出る謙遜の
い草広がる煉獄湿地 (神曲 煉獄篇 1歌)
○破門され赦しを待てる父王の
救いを祈る王女の涙 (神曲 煉獄篇 3歌)
○鉄の糸でまぶた縫われて人の不幸
喜ぶ嫉妬の罪を清める(神曲 煉獄篇 13歌)
○隣人に分ければ増えるカリタスの(隣人愛)
不思議説く師にとまどうダンテ(神曲 煉獄篇 15歌)
讃美を通して思うこと
NY
去年の徳島での全国集会の準備をきっかけに、集会で讃美と深く関わるようになりました。子供の頃から讃美が大好きでした。近所の日曜学校に通っていましたが、高学年から参加の聖歌隊にまだ学年が足りなかったのですが入れていただき、声を限りに楽しく讃美していたことを思い出します。歌詞の意味はそれほど分かっていませんでしたが、神様に向かって歌っているんだと強く思っていました。小学三年生で引越しするまで参加していました。
けれど私は歌が上手ではありませんでした。大きくなるにつれて上手じゃないことを実感し、もうあんな体験はできないんだろうなと思っていました。大人になって、再び集会で讃美を練習する日々がやってくるとは思ってもみませんでした。
心を合わせて熱心に讃美の練習をすると、そこには何かが起こる。私はそう強く信じています。だから集会のコーラスで讃美を練習するなら、とにかく精一杯やりたいと思っています。
詩篇一〇二編19節に、「後の世代のためにこのことは書き記されねばならない。主を讃美するために民は創造された。」と書かれています。私はここを学んだ時にとても衝撃を受けました。私たちは主を讃美するために造られたそうなのです。もちろん、讃美とは神様を褒め称えることなので、祈りの中にあっても、文章の中にあっても神様を讃美することができます。歌でも祈りでも絵でも、とにかくその人のできる方法で、神様を思い、その思いを捧げることが讃美だと思うのです。
私は集会のSさんと近畿集会にそなえて、「キリストの愛 我に迫れり(新聖歌二二七番)」という讃美を練習したことがあります。この曲は「キリストの愛、我に迫れば わが命君に捧げて、ひたすらに、ひたすらに主のために生く」という歌詞が繰り返しになっています。以前Sさんにこの曲を歌おうと言われたとき「私はまだ無理。とてもあの歌詞のような状態になれない。」と尻込みしてしまいました。今回も尻込みの心境でしたが、鈴木さんがこの曲を大好きなので挑戦することにしました。
二人で何度も何度も練習します。練習しながら、この曲の意味について考えていたのです。歌っていて「我が命君に捧げて」と、いう心境になったことがあります。またどんどん歌っていると「ひたすらにひたすらに主のために生く」という気持ちになることもあります。
このような練習を続けている間、讃美について色々と考えていて気づきました。讃美集にあるようなよく吟味された讃美というのは、信仰の完全な形を現す真理そのものなのだと。あの曲もこの曲も、歌っていて励まされ、心が高められるのは、それが一つずつのあるべき信仰の形を私たちに教えてくれるからなのだと思います。まだその境地になれないような讃美も、それを心を込めて歌うことによって、私たちはその信仰をすでに持っているかのように引き上げられているのです。悲しい時も不信のときにも、讃美をすれば聖霊が信仰や喜びを運んできてくれます。
だから真に霊的な讃美は、まだ心がそこに到達できてなくても、喜んで歌うことができるのではないかと思います。この讃美を作った先人に働かれた聖霊が、今歌う私たちに同じ霊を分けてくださっているのです。そして昔の人たちも今の人も小さいものも天使も共に神様に向かって讃美しよう!と私たちを魂の高い次元へ連れて行ってくれるのです。
上手なものもそうでないものも、心から神様に向かって感謝して歌おう。讃美はみんなのものだから。
神様は小さいものの讃美を喜んで受け取ってくださる方だと思います。
10年毎の私の節目
NH
私は二〇歳で結婚しました。そんなに早く結婚するなど自分でも思ってもみませんでした。初めてのお見合いがトントン拍子に進んで、お見合いから3ヶ月後には、親族に祝われて式を挙げていました。その時、夫の兄が見つけて用意してくれていた家は二階付きのアパートでした。そこで住んでいたとき不思議な体験でイエス様を知り田宮の集会に参加するようになりました。そこの家で住んでいた事で、集会に導かれたという事を思うとその家も神様が決めて下さったとしか思えません。集会場も子供を乗せて自転車で行ける程近いし、アパートにしては二階付きで広かったので満足して十年住みました。
ローンが払える若い内に自宅を持つようにという親戚の勧めや紹介で郊外に建て売り住宅が売り出されていたのでそこに引っ越しました。私が三十歳の夏でした。田舎に引っ越し、近くの用水にはザリガニがいたり子供達は伸び伸び遊ぶ場所が広く大喜びで近所にすぐ友達もできて新鮮な喜びにわいていました。
集会には少し遠くなりましたが、原付のバイクで日曜毎に通いました。仕事も昼休みに帰ってこられる程近くにスーパーがありそこのレジ係りとして、日曜日は礼拝の為休むという約束で使って貰いました、その内、近くの身体障害者の施設が欠員の補充を募集していて、採用され家からバイクで五分で通勤に便利でした。夜勤などがありましたが、幸い夫が自宅で仕事をする仕立て屋だったので、私がいない夜勤の夜は小学生の子供達の面倒を見てくれました。世の中にこんなに楽しい仕事があったのだろうかと思うほど仕事は楽しく、あっという間の十年が過ぎました。次の節目の十年目には兼ねてから集会の吉村さんに勧められていた運転免許の取得をしました。それまで、バイクで集会に行っていたので他の人が交通で不自由していても助ける事ができませんでしたが、免許を取った事で私の行動範囲はぐっと広くなりました。兄弟姉妹との交流も広がりました。免許を取ってからの十年も施設で働く私は健康にも恵まれ「主よ、主よ」と主の名を呼びつつ過ごしあっという間に過ぎました。二十年住んだその家は、二階に重いいタンスなどを置いた重みで、床が傾き窓のサッシも開け閉めがしにくいほどになりました。神戸淡路の大震災の時の揺れで二階が落ちてくるかと思ったので、建築家に見てもらうと立て替えを勧められました。今度はもっと自然のある山のそばに住みたい、そしてもっと祈りに時間を使いたいと思うようになりました。職場の友人の自宅そばに古い広い空き家があり、そこに住まないかと声をかけてもらいましたが、売りに出ている訳ではありません。すぐ山が迫っておりこの場所が気に入ったので、この場所に住まわせて下さるようにと祈りました。何年か後にまたその友人が私が気に入りそうな所が売りに出いているので、見に連れて行ってあげると昼休みに出かけました。以前私にその場所を紹介した事も私が祈っていた事もその友人は忘れていたようです。以前の古い家は取り壊され、山を削ってそこは団地と変わっており、今度は売りに出ています。祈っていた事が聞かれ、夫も気に入って、そこに新しい家を建てることになりました。そうして十年前の夏現在の住まいに引っ越しました。家を引っ越した同じ時期に現在の仕事に必要な資格を取得する事ができ、その十年の節目には二つの大きな事が私に起こりました。
今までは十年を節目に私に環境の変化があったので今年も八月に六十歳という大きな節目の十年目を迎えます。
何かまた変化があるかもしれません。それは神様だけが知る事で、私には先の事はわかりません。
この年にこれをしよう等と自分で計画した訳ではありませんが、自分の来し方を振り返った時、はっきり十年毎に何か新しい展開があり神様が導いて下さった道筋が分かりました。
自分一人の歴史なんてとるに足りないような小さなものですが、その小さな取るに足りない中にも神様が働いて下さり導いて下さった事を見て驚きます。
その事でどんな人の生涯も神様はとるに足りないなどと思わず、心を込めて、その人一人しか世の中にいないように大切に扱って下さっていると知ることができます。
その神様は、長い月日でだけでなく、私達の毎日、また毎時間にも同じように働き、私達を持ち運んでくださっていると信じる事ができます。
土曜日集会では、手話と植物と聖書の学びがありますが、その時間ルーペで植物の花の世界を覗くとそこには驚くような精巧な美しい世界があり、目にも留まらぬようなこの植物ですら、一つ一つどんな芸術作品も及ばない人間では考えつかない美しさを与えられている事を思うと花以上に愛されている私達一人一人にそれ以上によくしてくださらない筈がないと思えます。
小さなところにこそ神様は思いを込めて造っておられる事を思うと小さな私たちへの愛がどれほど強く大きいかを知らされて神様の前に頭を下げて礼拝する気持ちが起こされます。
私のこれまでを神様に感謝です。
私は外面に起こる目に見える変化だけを書きましたが、日々私達の中に起こる神様と直結した魂の世界には、もっと精巧で緻密な驚く導きと変化がある事を思います。そこに息づく魂の叫びや感動や意志や想念はそれこそ物語にもできない程の神様の法則と秩序とに彩なされ神様だけの前に日々展開され受けとめられ導かれていることを思います。
主はそのすべての上に君臨され、愛の御手を置いて下さっている事を思います。
2009、近畿集会開会礼拝での話より(一部省略)
生きて働く霊なるキリスト 高槻 NY
今年の集会のテーマをフィリピ書「わたしにとって生きるとはキリスト」と示された時から、ずっとこのパウロの言葉が私の心の中を占めていました。フィリピ書はパウロの多くの書簡の中でも特に「喜びの書簡」といわれています。
フィリピ書2-⑰「わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様にあなたがたも喜びなさい。私と一緒に喜びなさい。」4-④「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」実に多くの箇所で主と共にある喜びが語られています。
パウロの喜びとはどんなものだったのでしょうか。若い時からパウロの書簡文を折々に学んできましたが、今回じっくりと読んでいくことでパウロの思いを少しなりとも受けとめることができました。
ローマ書から始まり、フィレモン書にいたるまで、パウロの語る生けるキリストへの熱い思いにわたしたちは引き込まれていきます。…「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ発揮される。…わたしは弱いときにこそ強い。」「わたしたちの国籍は天にあります。」「主は愛するものを鍛錬される。」…これらのパウロの言葉がどんなにか苦しみにあるとき、信仰が揺らいだ時の助け手になってきたか計り知れないことだとおもいます。
小アジアからギリシャにかけてイエスキリストの福音を宣べ伝えて歩いたパウロを突き動かしていたものは何だったのでしょうか。
パウロの手紙文を読んでみると、どの手紙にもはじめの言葉にあるのは「わたしたちの父である神と主イエスキリストからの恵みと平和があなたがたにあるように。」とあり、決まって結びの言葉にあるのは「主イエスキリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。」という言葉です。このキリストにある恵みのすばらしさのゆえにパウロはこう述べています。フィリピ書3章7節から8節「しかしわたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主イエスキリストを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたとみなしています。」ここまで言い切れる信仰に圧倒されます。イエスキリストを知ること意外はすべてが何の意味もないことだと言いきるパウロの信仰がここにあります。
ダマスコへ行く途上パウロは復活のキリストに出会い、それまで迫害の先頭に立っていた者であったのに、瞬時にして方向を転換されました。パウロは生ける霊なるキリストに出会い一瞬にして改心させられたのです。「イエスは神の子キリスト」であったという確信をここで得たのです。ヒィリピ書2章6節を読んでみます。「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」
この、キリストの十字架をパウロはどのように啓示されたのか。ローマ書3章「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリストイエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」コリント書にも「その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んでくださった方のために生きることなのです。」切々とこのようにパウロは訴えます。
ユダヤ教の熱烈な支持者であったパウロ、律法をかたくなに守りイエスを否定していたパウロが、それまでの自分の犯していた罪をさめざめと悔い改めその罪をひとり主イエスが十字架について代って死んでくれた喜びをしみじみと感じたに違いありません。
このようなイエスをわたしたちも持つとき、神様から到底赦してもらえるはずのなかったわたしたちの心の中にしみじみとした感謝の心、こんな私がゆるされた、嬉しくてたまらないという安らぎが湧き起こってきます。そのキリストイエスを生き生きと、今わたしたちと共におられると感じさせてくれるのが霊なるキリスト、復活のキリストです。その喜びがパウロを突き動かし、あれだけの伝道の旅を行いそしてあれだけの苦難をも喜びとし、死んだ後キリストのもとに行けるという福音を述べずにはおれなかっただろうと思います。
十字架における罪の赦し、そして復活における新しい命。わたしたちもこの復活を信じること。いまある苦しみの世の中でわたしたちがそれぞれのおかれた場所でパウロが確信した永遠の命をいただけるという実感をもち、日々自分に死んで日々新しくされるという喜びの福音を目指していきたいと思う者です。
わたしたちの家庭集会でも長い間ルカ伝を学んできましたが、そこでイエス様がみつめられてきたのは弱い人々でした。むしろそのような人にこそ現われました。ザアカイ、マグダラのマリア、十字架につけられた犯罪人、自分を心から罪人と自覚した人にイエス様は現われました。罪人の頭であったパウロにこそ与えられた神様の啓示のすばらしさ、「生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬ」徹底したパウロのこの信仰こそが、「生きるはキリストのため、死ぬことは利益だ。」と言わしめた。心のうちにキリストを住まわせ愛にしっかりと立つ者としてくださるのは 生きて働く霊なるキリストです。自らの力ではなく、神からの賜物だとパウロは言います。その賜物が今日集まっている一人ひとりに深く豊かに与えられますようにと祈ります。
高校生への伝道
高槻市 NY
今年の一月から勤務先の高校で数学や情報の時間を利用して、月に一回、通信を配布し出した。内容は、日々の生徒との関わりの中で私が思ったこと、言いたいことや、内村や矢内原の言葉、ルツ記の落穂拾いのこと、数学のはなしなど様々。キリストの福音、この世で変わることのない真理を部分的に、拙いながら伝えようと思っている。授業を教えにいっている全クラスに配っているので、自分の担任クラスだけに学級通信として配布すればよいとの忠告を同僚教員から受けることもある。「数学を教えることだけに専念してください」と言われたこともある。しかし数学を教えたとしても、数学を扱う人間をも同時に育てなければならない。
生徒の方はというと、授業に関係があるかないかに関わらず、配布プリントを軽んじる生徒がいる。通信は時々、くしゃくしゃに丸められてごみ箱に入っているとか、その付近に落ちているとか、教卓の中に入っているとか、自分が配っているせいか、他のプリントが捨てられているよりも余計に目につく。表紙には「那須」と名前がある分、みじめにも思う。一方、配布後にじっと読み続ける子もいる。
つらさなど心の痛みを感じることもあるが、その分、イエス様に祈りたくなる。また祈られていることも大きな励みになっている。
「森のチャペルに集う子ら」を読んで
福井市 NG
著者の紹介:谷昌恒氏は、一九二二年東京生まれ、一中、一高、東大とエリートコースを歩まれ、理学部地質学教室で研究中に、名誉ある将来を嘱望されていた道を捨てて、四五年、暮れから当時、社会問題になっていた孤児、浮浪児を収容するための施設をつくる仕事を始められました。
そして、福島県の片田舎の村を開墾し堀川愛生園という福祉施設を造られそれを立派にされ、その後、北海道家庭学校の校長に迎えられ、二十数年間を、いわゆる非行少年たちとも生活され、その教育に携わられました。
堀川愛生園をたちあげられて、まもなくの頃、母校での講演会に招かれ、そこで述べられた講話でこのように語られています。
「自分は、聖書にある、癒された十人のらい病人の一人、サマリヤ人である。自分は、これまでの生活を一切放榔して、子供たちのために生きることにした。しかし、それは自分に特別な愛の心があるからではない。愛の実行力が備わっていると確信したからではない。自分が英雄的な行為をすることが出来ると思ったわけではない。これは、ただ、紳に対する感謝の行為だ。自分のようなものでも、神に、主イエスに愛されている。主イエスは自分を救ってくださった。自分を助けてくださった。自分を癒してくださった。汚れた心を清めてくださった。その主イエスに対する感謝をし、神を大声でほめたたえて主イエスのところに帰ってきた時に、自分がすることは今えらんだこと以外にないと思うようになった。」そう話されました。(加藤常昭著、「主イエスに出会った人々」から)
いつも、自分が指導している子供たちに、聖書の話しをして過ごされたそうです。
多数の著書の中で、この本に、その一部が載せられています。
最初に「少年たちと聖書を読む」というところ、復活節と題しての記事があります。ペトロの記事を取り上げられ、今までなにげなく読んでいた個所が、こんなにも感動深く、訴える個所であることに驚かされました。ルカ福音書二四章9~12節のところです。墓が空になっていたことに驚き、そのことを伝えられたときです。谷氏の文章を引用してみます。…急ぎ帰った女たちは、このことを十一弟子や、その他の人々に報告をしました。誰も信じなかったのです。全く愚かな話のように思われて、弟子たちは信じなかったのです。ただ一人、ペトロは立って墓へ走って行きました。髪をなぴかせ、飛ぶようにして走るペトロ。その時のペトロの気持ちは、私には痛いほど分かるように思うのです。…こうした一切のこと(裏切らないと言い張って、主を否んでしまったこと)を思い出して、ペトロは恥ずかしさで一杯でした。最愛の師を捨て自分は逃げのびたのです。俺は駄目な奴だ。卑怯者で、意気地無しだ。ペトロはいても立ってもいられなかっのす。女たちの話を聞いた時、イエスはどこかで生きておられるかもしれないとペトロは思いました。行こう。イエス様の前にひれ伏して、お詫びをしよう。どんなに面罵されてもいい。叱られてもいい。ただ、ひと言、お詫びをしたい。先生、生きていてください。一度だけ、お詫びを言わせてください。ペトロはそう叫びながら、墓への道を急いだと思うのです…
このように、打ち砕かれたペトロに復活の主イエスが、どのように出会ってくださったか。ヨハネ福音書二一章に詳しく記されています。
復活を信じるということ、いや、信じることが出来るようにされたということは、神の御業としかいうことのできない奇跡的恵みの出来事だと思います。
待つ人
NM
4月、新しい年度に移り、街のあちこちで真新しい服装に身を包んだ小中高の生徒の姿を見かけた。毎朝、私はJR清水駅まで自転車に乗って通勤している。家の近くの橋のたもとで、4月から高校1年生になった男子が、自転車を止めて友達を待つ姿を何度か見かけるようになった。決まってその男子が待っていて、別の友達の姿を見かけることはない。毎日毎日、平然とした表情でただひたすら友達の来るのを待っている。一緒に学校に行こうと約束した仲の良い友達だろう。しかし、待ち合わせの時間をしっかり持った方が良いのに、時間がもったいないのにと、老婆心ながらもそう思った。
その橋から南へ300メートル進むと次の橋がある。この橋の交差点では自転車通学を始めたばかりの中学1年生男子の姿をよく見かけるようになった。この生徒は、私の住む家の東側南北に走る山を越えた所の小さな村から通学している。小学生には、バス利用が許され、村の子供達は皆揃って路線バスに乗って小学校に通う。しかし中学生になると自転車通学に切り替わるのである。新しいヘルメット、新しい自転車、新しい制服、新しい運動靴と全てが新品尽くめで、しかもすべての物が少し大き目サイズに見えた。親の大きな期待とまたそれ以上の大きな交通安全の願いに送り出されて、毎朝家から自転車を走らせてくるのだろう。
私がその橋の前に来ると、その男子はいつも決まってニコニコしながら何台もの自動車が通過するのを待つ。「そんなに待ってばかりいると学校に遅れてしまうぞ」と思いつつ、私はその子の前を通過し駅へ向かう。来る日も来る日も同じ時間に同じ場所で、大きめの自転車に乗ったまま、目一杯延ばした片足を地面に着けて止め、相変わらずの笑顔でひたすら自動車の通過を待つ。ここは、川沿いの奥の村から流れてくる自動車が集まる所で、田舎といえども早朝の一定の時間帯は、街へ向かう通勤自動車が集中する場所である。
何回かその男子の笑顔を見ながらその前を通過したが、その純真な笑顔、姿を見ると心が痛んでならない。「そんなに他人に譲ってばかりいるといつまでも渡れないぞ。遅刻するぞ。タイミングを見計らって思い切って横切るコツを得ないとダメだぞ。」と、私は心の中でその男子に言っていた。新しい環境の中で戸惑っているだろう。その男子なりに環境に慣れようと必死の毎日であろう。ヘルメットの中の笑顔が、この厳しい時代を生きていくには優しすぎる‥‥そんな思いで私の心は痛んだ。
時が流れて6月末、気が付けば友達を待つ高校生、自動車の通過を待つ中学生の姿を見かけることがなくなった。
高校生は、学校生活にも、また通学にも慣れ友達と別れ、別々に学校へ行くようになったであろう。中学生は、道路が込み合う時間帯を避け、あるいは他の新しい道に変えて学校に向かっているのかもしれない。
この二人の「待つ」姿、余裕のある顔の表情に感動した数ヶ月であった。ひたすら相手に合わせて待つ姿が、こんなにも美しく尊いものであるとは‥‥、余裕を持って生活することの大切さを教えられたように思う。
さて、この二人ではないが、私にも私の帰りをひたすら待ち続けてくれる方がいる。それは神様である。
讃美歌517番に次の歌詞がある。「まよう子らのかえるを主はいま待ちたもう、つみもとがもあるままきたりひれふせ。かえれや、わが家に帰れやと主は今呼びたもう。」
この讃美歌により、「今のまま、あるがままの姿、状態でいいんだよ。さあ、帰っておいで。」と、両手を広げて待っていてくださる神様の姿が浮かんでくる。
私は、忙しさを良いことに、毎日毎日、ひたすら神様の前を素通りし、駆け足で通り過ぎ、見てみぬ振りをし、神様と距離を保ちつつ生活をしている。そんな自己中心の生活ぶりであっても、神様はいつもじっと私の帰ってくるのを待っていてくださる。
忙しい生活環境は、自分の思いとは関係なく備えられてしまう。現代社会に生きる人、働く全ての人は、程度の差こそあれ、流れる時間の速さに戸惑いつつ、もう少し何とか余裕を持って生活したい、生活しなければ、との思いがあるだろう。どうにもならないもどかしさを抱えつつ、現実の生活のうねりの中に身を置いて生活をしているのであろう。
わたしは、これから時々、新中学1年生、新高校1年生の「待つ」余裕のある姿を思い浮かべながら、神様の前で静かな時間を持ちたいと願っている。
神の御心を実践する
NY
神は世の終わりに神の国を造られる目的で、天地・生き物と人間を創造されたのだと思います。私たちが神の国に招いていただくためには神の御心を実践することが必要なのでしょう。神の御心を実践するとはどういうことでしょうか。
ペトロの手紙の中に「神のすばらしい約束」の御言葉があります(Ⅱペトロ 一・3~15)。この御言葉を読むと、神がいかに私たちが神の御心を実践することを望んでおられ、その実践に努めることを喜ばれることかを実感します。
「主イエスは、御自身の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました」。ここで命とは神が持っておられる永遠の命を意味しています。また、信心と訳されている言葉の原語はユーセヴェイア(敬虔)であり、その内容は、神を畏れ神と交流を持っており、生活全般が自然に神を仰ぐ生活態度であり、神と共にいることが生活の中までしみこんだ状態で、言い換えれば、いつもキリストの香りを持って周囲にその香りを放っている状態を示しているとのことです。
神に召され信仰を与えられた人は、この世の汚れを離れ、神が持っておられる本性、即ち、本当の性質・無限の力を共有させていただき、神の本質を少しなりともいただくことができるという、すばらしい、驚くべき約束をしていただいています。
私たちが神の御心を実践しようと思う時、例えば、神を愛し、隣人を愛し、敵のために祈るなどという内容が深く、広く、難しいことを最初から始めるのではなく、徐々に段階を踏んで行なえばよいことが示されています。
まず、イエス・キリストを私たちの罪を荷って十字架にかかってくださった救い主と認める信仰。次に正直であること、不正に対して正義の勇気を持つなどの行動面での徳を備えること。そして、霊的、理知的にのみ知ることができる神、永遠などの概念がわかるようになる知識を身につけること。さらに、自制心、忍耐心を養うことで、つい我慢できなくて取り返しのつかないことを言ったり、してしまうことのないようにすること。それから、上記のユーセヴェイアの状態に入り自然体でいついかなる時も生活全般で神と共にいる人らしくふるまうこと。その次に、キリスト信徒相互での兄弟愛、そして、すべての人に対する愛、敵対している人への愛へと進みなさいと示されています。
これらを実践すれば永遠の御国に入ることができると言われています。言うまでもないことですが、これらの実践は私たちの力のみではできるものではなく神の助けがなければできないものです。私たちが絶えず思い出し自分で努力しつとめることにより神は必ず私たちを助けてくださると約束されています。
いずれの項目も難しいものですが、私はユーセヴェイアの状態に少しでも近づけさせていただけたらどんなに嬉しいことだろうかと思っています。
モモの奇跡
福岡市 HG
庭のモモの木が実を付けました。それも六個も。実はこのモモの木は亡き母が美味しかったと種を埋めたのが芽生えて、立派に育ったものなのです。でも、もう二〇年になりますが一度も実をつけたことがありませんでした。花を楽しむことも殆どありません。植木屋さんに聞くと、最近の美味しいモモは品種改良されていて、その種は実を付けない、植え替えたら三年で実りますよ、とのこと。それで根元に斧を置いたことがありました。ところが妻や娘たちが可哀そうだ、と切り倒すのに猛反対。それで生きながらえていたのです。でも花はチラホラ、実は付けない、毛虫が来るばかり。毎年ボクは「実を付けないとちょん切るぞ!」「花を咲かせないと引き抜くぞ!」と言い聞かせてきました。そしたら遂に今年実をつけたのです。その美味しいこと!
忍耐して待ってみるものだ、と思わされました。そして自然への畏敬の念も。
一緒に住んでいる娘一家と私たち六人に一個ずつというのも出来過ぎでした。これで実の付け方を覚えて来年以降はもっと沢山楽しませてくれるものと期待が膨らみます。
そして聖書の記事を想起しました。イエス様の譬え話に、主人が実を付けないいちじくを切ってしまえと命じたら、園丁が肥しをやってみますから待って下さい、と執り成したというのがあります(ルカ一三・5)。待って下さるイエス様。ノックし続けて戸を開けるのを待っておられる・・・・・(黙示録三・20)
そしてノアへの約束の虹。地上に悪が蔓延るのをご覧になった神様は人間を創造したことを後悔され、ノアの方舟に入ったもの以外全てを滅ぼし尽されました。しかし洪水のあと、もう二度とこのようなことはしない、と虹を立てて約束して下さいました(創世記九)
モモの奇跡で神様の愛と忍耐に思いを新たにしたことでした。
虹
ワーズワース
私の心は踊る
虹が空にかかるのを見るとき
幼いころもそうであり
大人になった今でもそうである
年老いてからもそうでありたい
さもなければ死を願う
子供は大人の父
願わくば これからの一日一日が
自然への畏敬の念で結ばれていますように 。
「三人暮らし」
静岡 MK
夕(ゆうべ)に我が妻死ねり
朝(あした)に我れ人々に語りしが、
夕にわが妻死ねり、
明くる朝に及びて我れ命ぜられし如くなせり。
(エゼキエル二四の一八)
一九二二年十月一日安息日の夕、我が妻は逝いた。
*
これは、藤井武「羔(こひつじ)の婚姻」の「序に代へて」の冒頭の言葉である。
藤井武の妻・喬子(のぶこ)の死に比ぶべくもないが、昨年(二〇〇八年)六月二日私の妻・美和子もかくの如く逝った。
六月一日、聖日の朝、私は聖書集会で講話の当番になっており、病床に妻を残して御言を取り次ぐ任を果たし終えた。その夕べから未明にかけて妻の魂は己の肉体を離れて主の御もとに逝ったのである。魂が肉体を離れる前、私の腕の中で妻の体は苦しみのためにもがき硬直し、私の胸を激しく叩いた。しかし、ある瞬間、その硬直した肉体からすぅーと力が抜け、柔らかくなり、目を閉じ穏やかな寝息をたて始めた。罪赦された者の平安とはこのような状態であろうと、はっと気がついたのはずっと後のことであった。入院三日目であった。
それから、五日の葬儀まで三日間、私は冷たくなった妻の亡骸(なきがら)と共に過ごした。信仰の師友、親類の者、特に浜松聖書集会の皆様の熱き祈り、お気遣い、励ましにはいまだ感謝を表す言葉も見いだせない。
その後私は、深い悲しみと喪失感と共に、しばらく「サバイバーズ・ギルド」という感情に襲われた。つまり生き残った者の罪意識である。何をやっても、「妻にすまない、妻にすまない」という思いが私を責めるのである。しかしその後、私の心に転機が訪れる。Sさんが送ってくださった藤井武全集第一巻「羔の婚姻」の冒頭の言葉と共に、次の言葉を発見したのである。妻を亡くした藤井はこう言う。
「武はなほ生くる。故にのぶ子も亦なほ生くるのである。彼等は共になほ地上に生存しつつある。武の在るところに必ずのぶ子はある。彼等は今や天と地とに亙りて、変わらざる一体の生活を続けつつあるのである。」
私もこう生きたいと願い、祈った。そして、神は私の願い、祈りを聞き届けて下さった。妻と愛犬のミカと共に生きることを許して下さったのである。八月のある日、妻は白い鳩となって三日間来てくれた。鳩はもう来なくなったが、妻とミカは毎日、私のところにやってくる。私が書斎にいるとき、二人は居間で静かに過ごしている。食事を作る時は、私は妻に味付けを尋ねる。生活の時間も、食事の内容も、妻が生きていた時と少しも変わらない。夜は三人が膝をそろえて主に感謝の祈りを捧げて、眠りにつく。
一つだけ、大きく変わったことがある。妻が生きていた時、私は毎朝、目を覚ますと約三〇分間、妻の両脚をマッサージしていた。障害者(脊椎損傷)の妻は、神経の障害のためか、朝は両脚が硬直して起き上がることが出来ない。マッサージをすると、血流が良くなり、神経も元に戻って動くことが出来るようになるのである。
今は、その必要がない。夢に出てくる妻は、曲がっていた背中と脚がまっすぐに伸び、ミカと一緒に軽やかに歩いている。「歩けなかった人が鹿のように躍り上がる」(イザヤ書三五章六節)というイザヤの言葉は天国では現実なのである。
この朝の時間(三〇分)を何に使おうかと思い巡らしていた。そして、この時間を、祈りと聖書通読(声に出して)、そして内村鑑三の「一日一生」朗読にあてることを示された。今年一月一日より始めて、聖書は六月でヨシュア記に入った。神が与えてくださった至福の時である。
信仰の友、Yさんが「奥さんを天に送った水戸さんには、新しい使命が与えられることでしょう」と仰ってくださったが、そのことの一つがこのような事なのだろうと、感謝している。妻とともに。
家庭集会での幸せ
MK
二匹のかわいい愛犬を連れて車いすのご主人を見守るようにご夫婦が散歩をしているのを時折見かけます。長い闘病生活のご主人を誰の助けも借りず一人で自宅で介護し支え続ける姿に“どんなに大変だろうな”と思っていました。それにしても、あの柔らかな物腰、優しさは、どこから来るのだろうか、あの明るさは本物だろうかという思いもありましたが、その方の人柄に惹かれ同じ集会へ…という思いも起こりました。
ある頃から私は、毎日が無性に空しく、無知で何事も主人に頼り、このまま年老いていくのだろうな、好きなガーデニングをしても編み物をしても心は重く晴れません。生活には不安もないのにウツウツした日々の時、Tさんの家に貼ってある「徳島聖書キリスト集会」の張り紙を見て手招きされるように訪ねたというのが正直なところです。
あの日の事は忘れもしません。ドキドキしながら、部屋に案内され吉村先生を通して、聖書とは、全世界のキリスト教徒が人生の指針として最も重んじている書のこと、たくさんの讃美歌があることも還暦を過ぎたこの年になって初めて聖書に触れ、開き、聖書は何て分厚いのだろうと思いました。半信半疑で外に出ると風は冷たく、でも心はほっこり、何だか嬉しく家までスキップして帰りました。恥ずかしさも忘れて。
その頃、認知症の進んだ八七歳の実母を一年半前から月の内、二週間ほど私の家に連れ帰り介護していました。少なくとも、介護責任は親に育てられた子供達が平等に持つべき、と言う主人の考えで協力してくれ、主人には感謝の気持ちでいっぱいでした。
私も大好きな母の世話ができる今を、優しくできなかった時もありますが、有り難いと思っていました。だから、集会に毎回は無理だろうなと思っていましたら不思議に、本当に不思議に毎回参加できたのです。母の足がすっかり萎えてしまい、もう連れてこれなくなりました。母には、ご免なさいと思う反面、もっと聖書をキリスト教を知りたいと思う気持ちが強く、そして母が後押ししてくれたようで、“母さんの事はもう充分良い。”優しい母の声が聞こえてきそうでした。神様の存在が少しづつ分かるようになってきた今、介護施設でお世話になっている母を見舞うと言葉はなくても私の顔をじっと見つめ手を離しません。“神様、どうかお守りください”と祈ります。母が眠りにつくまで、み言葉が届きますようにと「いのちの水」誌を読みます。安堵の笑顔にイエス様が共に居て下さるような気がして涙が溢れます。
まだ、六ヶ月余りの短い道のりで家族から全面的に理解が得られず、月曜日だけの学びですが、いつかきっと主人にも分かってもらいたいと願い讃美歌の楽しさなど伝えています。
心優しく、温かく私を受け入れて下さった集会の人達と、吉村先生の講話も深く静かに聞ける私の幸せな時間をありがとうございます。イエス様を通して出会えた人達に感謝の気持ちは尽きません。
Kさんで、Iさんの詩集は何度も読みました。読むたび熱いものがこみあげてきます。
Iさんの「泉にゆく道」の中から、「しおり」の詩の一部をお借りします。
さがしているものが何か
長い間わかりませんでした。
でも、今日見つけたのです、それを。
そして はじめて気づいたのです。・・・・
ちいさな愛がそれと気づくまで
そんなところで黙って祈り待っていてくれたのです。
もうなくしません。もう迷いません。大切に大切に、主が導いてくださいますように。
母の祈り
松山 MK
祈りは、聞かれる祈りと聞かれない祈りがあると言う。
神様の御心に適った祈りであれば、聞かれるのかも知れないし、祈りが叶う、叶わないという結果は、到底人間には理解できない神様の深いお考えによるものだと思うようになった。
そして、祈る時は一人静かに戸を閉めて祈りなさいと聖書に書かれているように、神様と一対一で真摯に祈る姿の母を見た時、気付かれないようそっと戸を閉め、申し訳ない気持ちと神秘的な気持ちになった事がある。
今、思えば母は私たちには明るく、強く、優しい面ばかりを見せてくれていたが、一人静かに祈っている姿を見て以来、苦しみや悲しみを乗り越えるために、毎日祈り、人生を生きてきたのだろうと感じるようになった。
さらに、私は妊娠四ヶ月頃の時、運悪く風疹にかかってしまった。その時、神様から試されたのかも知れないが、主人が産むのは当然のように言ってくれたので、産むことにためらわなかった。お陰で心配したのが嘘のように、元気だけが取り柄という二人目の娘が与えられた。それは、母の祈りがあったからだという事が、随分後でわかった。
母が娘のために祈ってくれた話しを聞いた時に、涙が出そうになった。母は毎日、娘が無事生まれるまで「自分の命が今取り去られてもかまいませんから、孫が元気で生まれますように」と祈ってくれたそうだ。
その事を思い出すたび、今は亡き母に感謝すると共に、母のような祈りのできるクリスチャンになりたいと願うこの頃である。
白花水木
YA
甲斐から信州に抜ける道に七里ヶ岩ラインがあり、韮崎に白花水木の街路樹の通りがある。花を終えて緑の勢いをました街路樹の木木の中に、よく見ると一本、廻りの木より細い木がある。
それは2006年(今から3年前)9月23日私が交通事故を起こして、倒してしまった木の後に植えられた木である。瞬時の居眠りだったのか、ま昼間、ガードに乗り上げ、白花水木を倒し、車は車道に横転、エアーバッグが開き私は、無傷で、人身事故、他車に及ぶことなく助かった。「神はみ翼を持ってあなたを覆い、翼の下にかばってくださる。{詩編91編}」」神さまによってもろに助けていただいた瞬間である。
電話で駆けつけてくれた夫がまず「2度とこのような奇蹟は起きないから・・・」とめしゃめしゃになって横転している事故の現場を見て、事の重大さを言った。クレーン車で吊り上げられて行く軽自動車に私は心から謝った。しばらくそのことを思うだけで胸が痛んだ。
その後、倒れた白花水木は取り除かれ、新しい1本の花水木が植えられた。その道を通る度に命を助けていただいた感謝と、はやく植えた白花水木が大きくなって欲しいと祈りながら車の運転している。
しかし3年がたち、木は大きくなり他の花水木に混じっても見劣りしないようになった現在、「咽もと過ぎれば暑さを忘れる」のことわざの通り、私自身がふとそのことを忘れるかにその場所を通過していることがあるのに気づきはっとした。何とまあ、あの大きな恩恵を忘れているわけではないのに・・・・・・
ペテロがあの重要な場面で3度イエスもイエスを知らないと言ってはげしく泣いたという場面を、重ねて私は常々思いつつ、自分の中の浅ましさを悔い、ただ感謝の祈りに帰る次第である。
「はなのすきなうし」を読んで
YE
子供たちが幼かった頃、繰り返し繰り返し「読んで。」と言われて読み聞かせた本の一冊に
むかし
すぺいんに
ふぇるじなんどという
かわいい こうしが
いました。
という書き出しで始まる「はなのすきなうし」という絵本がありました。何度も何度も読んだので表紙の絵は色あせ、背表紙は破れていますが、記念として大事にしまってあります。
ほかの こうしたちは、 まいにち、とん だり、はねたり、
かけまわったり、あたまを つっつきあっ たりして、くらして、いました。
でもふぇるじなんどは いつもひとり く さのうえに すわって しずかに
はなのにおいを かいでいるのがすきでし た。
いつもひとりでいるフェルジナンドのことを、お母さんは心配しますが、フェルジナンドはひとり花のにおいをかいでいるほうが好きだと聞いて好きなようにしておいてやりました。
年が経って、フェルジナンドは大きく強いうしになりましたが、やはりひとり花のにおいをかいでいました。
ある日、マドリードから男たちが闘牛士と闘わせる牛を捜しにきました。仲間の牛たちは自分たちの強さを見せようと必死ですが、フェルジナンドはひとりいつもの場所にすわりに行きました。ところがすわろうとした草の上にくまんばちがいて、フェルジナンドのおしりを刺しました。フェルジナンドは「いたい!」と言って、うなりごえをあげて飛びあがり、頭を振り立て、地面をけちらかして、暴れまわりました。それを見た男たちはフェルジナンドをマドリードに連れて行きました。
闘牛場には大勢の観衆がいます。牛を怒らせるために剣や槍を持った男たちがいます。最後にとどめを刺す剣をもった少年を従えた大闘牛士が入場してきます。そこにフェルジナンドが入ってきました。
ふぇるじなんどが、はないきも荒く、猛烈につっかかってくると人々は思ったことでしょう。ところが、ふぇるじなんどは見物の女の人たちが、みな花をさしているのを見ると、のっそり、そのそばにすわりこんで、ゆうゆうと花のにおいをかぎ始めました。
ふぇるじなんどはもとの牧場に連れ戻されることになりました。そして大好きなコルクの木の下にすわって、相変わらず、静かに花のにおいをかいでいるということです。
ふぇるじなんどは、とてもしあわせでした。
昔読んだ時には、「なんて優しい、理解のある母親なのだろう!こんな母親になりたい」と思いました。花や動物や虫たちを大事にする子供に育ってほしいと思いました。今改めて読んでみた時、ふとマタイ伝の言葉が浮かんできたのです。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。 (マタイ五・9)
フェルジナンドのような生き方は平和そのものだと思いました。
この絵本の著者はアメリカのマンロー・リーフと言う人です。一九〇五年生れ。ワシントン郊外で少年時代を過ごし、ハーバード大で英文学を専攻したそうです。一九三六年にこの絵本を書きました。一九三六年にスペイン内戦が始まります。士気を挫くということでスペインでは発刊禁止にされたとか。マンロー・リーフ自身は意図して書いていないとのことですが、著者の伝えたいメッセージ、人生観が当然反映していると思います。だからこそ現在に至るまで感動をもって読み続けられているのでしょう。
フェルジナンドは何よりも花のにおいが好きでした。この花こそはわたしたちにとってはイエス様なのです。イエス様がそばにいてくださったら、それだけで満ち足りるという真実をマンロー・リーフ自身実感していたからこそ、このような絵本の形で小さい子供には子供なりに、また大人にまで伝えることができたのだと思います。
あとがき
NH
火曜日には夕拝がありますが、「一回一回の集会が、これで最後かもしれないという気持ちでみ言葉を受けたい。」とある姉妹が祈られました。
聖書は一人で読んでは、その意味を取り違えたり、特に旧約聖書では、時代背景や当時の状況がわからない為に理解できない箇所があります。 けれども、解き明かしてくださるとどの箇所も愛の主、全能の神様と結びつき、心の中に主の姿が刻印されます。 聞いていると自分の罪も浮き彫りになり、悔い改めたり新しい光をいただいて、進む方向が示されます。そのように集会で語られるみ言葉に養われている恵みを感謝します。この恵みを感謝するとき、これで最後かもしれないと心を込めて受け取りたいと私もその時に思いました。
そして、ここに寄せられた一人一人の文章にも
主が語ってくださる事を受け取る事ができ力づけられます。
私たちは主にあって結ばれていて同じ主に養われている兄弟、姉妹。「神の国はあなた方のただ中にある。」と言われた主イエス様のみ言葉の通り、一人では何もできませんが、みんなで共に祈り合って支えられる事で今日まで進む事が出来、これからも進むことができるでしょう。
全国で水害や事故など災害に遭われている方々、不況の中で仕事がない方々、また病気の苦しみの中にいる方、また家族が病気で看病されている方、そのような試練のある方々のところにどうか主の助けがありますように。苦しい中で光を求めている方に主の光が届きますように。
どうか、主の祝福が皆様に豊かに注がれます。
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