ともしび |
|
|
第一ページ(このページ) |
第二ページ(もくじ) |
まえがき |
クリスマスを祝う |
ヤクシソウ |
|
まえがき N.H
主を讃美します。
仕事場の部署が、「グル-プホ-ム」に変わり、新規の事業なので、現在立ち上げの段階で、とても忙しく、心にもゆとりがありませんでした。
休みの日も出ていく事が多かったので、こうして家でゆっくりいられるのはN.H久しぶりです。
外は雨、しばらく花壇も見ていなかったのですが、目をやると何と荒れている事でしょう。この前の雪ですっかり葉がしおれ、見るかげもなくなっています。
自然のものも少し手を入れなかったら、荒れほうだいになります。
グル-プホ-ムにやっと利用者さんが与えられ、痴呆症と呼ばれている方々と生活をするようになり、その方々にとっても一番必要なのは、主に手を入れていただくことだと痛感しています。主が働いて下さらなければ、その方々の苦悩や混乱は自然的に整えられるという事は考えられません。
どんな場所にも、どんな人にも主を呼べば来て下さる事を信じて、そこを仕事場として、主に導かれた私は、介護と祈りを仕事としていきたいと思います。
一日も早く、利用者さんに心からの笑顔が戻るように、主にあって老後が生かされて行くように、努めたいと思います。
こんな私が編集した「ともしび」をお届けします。
…若い友人への手紙…
変わらないこと、本当のこと K.K
また、新しい年になりました。
季節は、くるくるとめぐり、お天気も、くるくるとかわり、人の心も、くるくるとうつりかわります。
きょう、喜んでいても、あしたは泣いていたり、きょう、仲良しでも、小さな事でこころがうまく伝らなかったりします。
生きていると、くるしいこともいろいろあるね。
でも、けっして、変わらないものがある。
太陽の光は、大昔も今日もまぶしいように。
大空は、昔も今も青いように。冬のあと、かならず春がくるように。
けっしてかわらない、神様の愛。
あなたを大切だって思って下さる神様の愛。
・・そんなのわからない・・っておもう人もいるかもしれないけれど、思い切って、こころから信じたら、すぐにわかります。
イエス様は神様。いつも、いつでも心にいてくださいます。
こころをしずめて呼んでみたら、苦しいときに叫んでみたら、そのことが、わかります。
人を見ないで、神様を見て。
神様は必ず、こたえて助けてくれる。
この事は、永遠に変わらないこと
そして、必ず、本当のこと。
あたらしい年。
どうか、確かな命の道を
光の中を歩いて下さい。
イエス様はその上に手を置かれた K.T
12月24日、1昨々年のこの日の午後3時30分ごろ、スクーターで走行中に転倒して左膝を怪我してしまった。孫たちへのクリスマスプレゼントを買っての帰りだった。
「事もあろうに・・・」大切なものから見放された思いでひどくつらかった。執ような痛み、はれと重だるさ、何よりも歩行機能を失ったことで生活は180度方向転換を余儀なくされてしまった。不自由という暮らしの始まりであった。
あれから丸2年がたった。このところ充分とはいえないまでも、毎日家事万端、外に30分の散歩ができるようになった。道を行く人々を病院の窓から眺めては、人が2本足で歩けることがいかにも不思議に思われていたことが、遠い夢のように思われる。それほどに快復しているわけだ。サッソーと歩けるようになったねと人様に声をかけられると嬉しくて歩幅もおのずと広くなる。
思えば、1昨年、クリスマス集会では、「立って歩きなさい」とのみ声に促され、たとえ不自由でも自立に向かっていくことを背中を押されているような気持ちで、皆さんの前でお話できたことを思い出しながら1年後の先日は、何も報告しないでいることがいささかとがめられる思いであった。
こんなに良くなっているのに・・・
つい先日、寒風の吹きすさぶ中を歩きながらハッとしたことがあった。「女よ、病気は治った」思わず「ハイ、ありがとうございます」と。かじかむ手をすりあわせながら、家に帰りつくまで、ずっとこの対話を無意識に繰り返していた。「女よ、病気は治った」。「ハイ、ありがとうございます」と。聖書は、御かえりみを具体的に続ける。『イエス様がその上に手を置かれると女はたちどころに腰がまっ直ぐになり・・・』(ルカ13:12~13)とある。あのクリスマスイブの夕のけがの一瞬から皮肉にも始まった試練。毎日が忍従であり、遅々としてはかどらず、または、ぶり返しては吐息、吐息、長い夜々の無気力を持て余すことも味わった。非生産的なこの暮らしが、いったいいつまでなのですか・・と問い続けて来ていた私でもあった。18年間腰の曲がった女はすでに望みを捨てようとしていたかもしれない。
しかし、神は決して見放してはいられなかった。常に共に寄り添って女の嘆きの底の願望をちゃんと受け止めておられ、安息日の恵みとしてその証しの愛のみ手を女の上に置かれたのであった。そして、「女よ、病気は治った」と宣言されたのである。癒しは完成されたのであった。
明日からの暮らしぶりがどう変わるというではないが、私は癒していただいた。“腰”と言われず、「女
よ、病気は治った」と言われる。
うれしいことに、イエス様は、私の上に手を置いてくださった。確かに膝には力が入り、しっかりと歩けるようになった。しかし、それだけではない。丸2年の試みの中で、私の罪(病)は潔めていただいたのだった。イエス様は病人をいやし罪人を赦された後でしばしば「ふたたび罪を犯すな」と言われている。人の悩みや痛み、苦しみに自分のなめた苦汁を重ねることが、元気であった時に較べればわずかながら出来るように思われるし、私のために祈り続けてくださった教友や支援の手をのべてくれた友や隣人、悩みを分かち合った療友の励まし等々、それはすべて神様のご計画の内にある賜物だったに違いない。
クリスマス、イブという日も実は私に選んでくださっていたのではあるまいか。キリスト降誕の記念の前日において、私を試みに招き入れられたと思えば、自由を拘束されていた2年間はまことに恵みの期間であったと悟ることができる。御かえりみは、主のみ手の内にその総てがあった。あり続ける。
私にとって12月24日は特別中の特別の日となった。完全な霊肉の完成の日までこの日を『感謝とよろこびの日』としよう。
そして再び、罪に陥ることのなく、神への従順を歩み続けたい。何もできないけれども、苦痛と孤独の中で授かった神様との対話 -祈り-を私の捧げものとして・・・。
001年1月14日
お祈り N.Y
お祈りって難しいと思いました。
「こうして下さい」ばっかりじゃ駄目だし、反省ばっかりでは喜びがないし。
不安がとても強いときには、委ねたくても気持ちが弱っていて、「委ねます!」って言ってしまうと、何もしてくださらないのでは、と不安になったりしました。一日中私のことを見ていて、何でも知ってる神様に、これ以上何を話したらいいのかと思ったこともありました。
前は家に帰って、食事のたびにお母さんが長々とお祈りすると、「アーメン」って言いながら、心を合わせられてないときもありました。3食の3回とも、そんなにしっかりお祈りしなくても・・・とぶつぶつ言ってました。何を祈るのが良いのかとか考えてしまうと、すごく難しかったです。
友達が「そのままのきみがすき」という絵本をくれました。その中で「おとなは、どうすればわたしによく思われるだろうと 考えるけど子どもはそうじゃないからね。ただ わたしと話したいだけなんだ。
わたしがありのままを愛していることを 子供たちは知っているんだ」と神様が言います。
そうか、となんとなく分かって とにかく神様に話しかけようと思えました。
どういう祈りがいいのかじゃなくて、素直に思ったことを聴いていただく所から祈っていくことにしました。
また、自分が仕事の移動でものすごく不安だったとき、集会の人の「祈ってるからね」の言葉がものすごい力を持っていました。自分の信仰に自信がなかったので、祈られることがどんなにありがたいことなのか身をもって知りました。そしてその祈っていただいたお祈りの効果は抜群でした。お祈りって、いいなって思えました。
思えば、知らない所で、子どもの頃から祈っていただいてたんだなぁと感謝が沸き上がってきました。
だから、自分が祈っていただいたように、人のこと、そして難しいと思っていたまだクリスチャンではない人のことをお祈りするのも大切なことだな、そして聞かれるんだなって思いました。
私のことを子どもの頃から知っていて、一回でも祈ってくださった方も、ほんとに私がクリスチャンになるなんて、ちょっとは驚いているかもしれません。(でも本当に感謝です)
お祈りをちゃんとするようになってから、お祈りは実践なんだなと思いました。朝起きて、眠くてしんどくても神様にはなしかけ、仕事に行く前に不安で神様に話しかけ、仕事中、ふっと思い出しては神様に話しかけ、寝る前に、今日の一日は今一つだったと思っても、隠れずにに話しかけ。そうやって過ごしていると、少しずつ、何かが変わったなと思います。
やっとちょっとお祈りが出来るようになって、嬉しい今日このごろです。
「どうしても難しいお祈り」
これはどうしても難しいお祈りで、いつも分からなくなることです。
今にも亡くなりそうなクリスチャンじゃない患者さんのことをどう祈ったらいいと思いますか?(救急車で運ばれてくるような人)今まで全く見ず知らずで、しかももう意識もない。そういう人に、お祈りで何かできるでしょうか?
助言がありましたら、是非「ともしび」へ書いて教えてください。
祈りは主にお会いすること 大阪 M.S
トムという人がいました。トムは仕事の昼休み、12時になると必ずイエス様に会いに近くの教会堂に行きました。行って一人でお祈りをしました。毎日毎日「イエス様、来ました」とひざまずいて祈るトムの日課は何年たっても変わりませんでした。ところが、だんだん年を取って弱って来たトムは、ある日病院に入院してしまいました。トムは12時にイエス様に会いに行けないことが何よりも悲しく、申し訳なく、ベッドの上で寝ていました。12時になりました。「トム」と呼びかける声がします。
驚いて見上げるとイエス様です。「あなたは12時にいつも私に会いに来てくれた。今日からはわたしがあなたの所に来ます。」
もう10年以上も前に聞いた話だけれど、このトムの話を思い出すたびに胸の奥がジーンとする。
トムの楽しみはイエス様にお会いすることだった。12時に礼拝堂で一人ひざまずき祈り、イエス様にお会いすることだった。祈りの中にお願いや感謝もいっぱいあったことだろう、だが、トムにとって一番大切なことは決まった時間に、決まった場所でイエス様にお会いすることだった。
主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。(1テサロニケ5:10)
主イエス様は確かにいつもいつも共にいてくださる。目覚めていても眠っていても、喜びの時も悲しみの日にも、たとえ私たちが忘れていても、イエス様は共にいてくださる。だが、「いつも共にいてくださる」ことを日々刻々実感して生きることは何と難しいことか。私たちはいつも呼吸をしており、呼吸をするための空気はいつも私たちと共にあるけれど、呼吸をしていることも空気があることもほとんどの場合忘れているのと同じである。
イエス・キリストのことを思い起こしなさい。(Ⅱテモテ2:8)
決まった時間に、決まった場所でイエス様にお会いする。それだけでその人の人生は素晴らしくなるだろう。人目には何の変哲もない人生であっても、内に宝を秘めた人生。その宝は永遠の喜び。その喜びこそ平和の源。一人一人がこの喜びを持つところから世界の平和は生まれるに違いない.
午後三時、祈の友会のこと K.K
祈の友の会に入って一年以上が過ぎました。徳島聖書キリスト集会に、Iさんが来られたとき、始
めて祈の友のことを詳しく聞き、この会にある、何か真実なものに、心が動かされました。しかし、入会しようと思うことはできませんでした。
翌年、Sさんが来られました。このときに、主の促しを感じました。どうしようかな、と思ったところに、もう一度背中を押されることがあり、「主よ、わかりました。」と答えました。いろいろ考えず、主に従おうと入会しました。
祈の友は重い病気の方々、特に結核の療養所の中で、病床にあっても祈りによって主のための働きが出来る、という真剣な思いから生まれました。そのときの真実な祈り、真剣な信仰を主は祝福して下さり、今に至るまでも守られたのだとおもいます。その尊い流れの中に入れて下さってる恵みを思います。
午後三時にこだわらなくても良い、と言うことで、時間を変えて夜に祈るようにしています。祈の友ひとりひとりの方全員を祈るのはわたしには無理なので、祈の友のためにいのり、また、身近なところのかた、四国グループの方、関わりのあった方は名前をあげて祈るようにしています。真実に深く祈れる日もあるし、深く祈れない日もあります。でも、主が心の奥を知っていてくださるので、祈れなかった日も正直に主に真実に言えば赦して下さると思っています。祈れなかったときでも負担に思ったことはありません。「祈らねばならない」のではなくて、「祈りの時を与えて下さる」事だからです。
午後三時は仕事中なので、時間をとって祈ることは出来ませんが、それでも、少しだけでも、祈の友に思いを馳せ、イエス様が十字架の上で死なれた午後三時、と言うことに少しでも思い起こすようにしています。これは、わたしにとって大きな恵みです。この世にあって御国を思えるひとときであり、誰かが必ず共に祈っている、という大きな恵みがあります。落ち込んでいるとき、嫌なことがあったとき、「午後三時まで後少しだ」と思って働いて、三時の短い祈りで、心に平和が帰ってきたこと、弱っていた所に力が注がれたこともあります。「三時に祈りを合わせる事が出来る」のです。何をしていても共に祈りを合わせることが出来る。ひとりでいても御名によって集まることが出来る。霊的に集まって共に祈る。病める方も多くおられ、苦しみの中からの必死の祈りもあるでしょう。祈りがひとつにされる祈の友の祈りを主は必ずとらえ、祝福して下さると思います。
祈りはひとりだけでも出来ます。でも、共に祈るのはまた祝福があります。教派もない、壁のないただ「主イエス様に向かって共に祈る。」これだけを事業とした祈の友。必要なのはイエス様に対する真実だけです。そして祈りを合わせることにより、この真実な思いも主に深められるように思います。祈りこそ神様の為に働くこと。そして祈りによって神様の命を注がれる。どこにいてもできる。生きていればできる。祈りによってますます主は近くなって下さる。祈らなければ死んでしまう。祈りが全てです。
60年も続いたこの会。日本中にいる祈りによる友。そして、天国会員のほうが多い、と言うのもなにか守られている安心があります。結核の病の方から始まり、様々な病気の苦しみ、障害の重荷、心の病をおった方々が祈りによって支えられ、他者を支え、病のそのところで、御国の事業に携わってきました。この会が今後ますます祝福され、道が見えなくなった若い人や、またわたしも体は元気であっても生きながら死んでいたような者でしたから、そのような混乱と闇の中で苦しむ者が導かれ、共に祈りを合わせ、真実な祈りの川が日本の上に流れますように。主の霊がこの国を覆い尽くして下さいますようにと祈ります。それは、自分自身にとっても主の命注がれることであり、また日本にとってもこの国に神様のご支配を祈る大きな事業です。
わたしはまだ、何もかも信仰も、祈の友も短いのですが、短い間にも多くの恵みを受けたので、この機会に書かせていただきました。
あわてたペテロ(:ヨハネ21章) 広島 O.T
復活のイエスに会ったとはいえ、主を失った弟子たちが故郷ガリラヤの岸辺に集まっていた。
「漁に行こう」ぺテロの言葉に数名の弟子たちも共に出かけた。その日は収穫がなかった。弟子たちの目の前にイエスが来て岸辺に立っておられた。「舟の右のほうに網をおろしてみなさい」イエスが言われた。
その時は、言われた者が誰であるか誰も知らなかった。言われた通りにしたら多くの魚が網にかかった。ヨハネは、多く獲れたのでたので不思議に思い、主の声であった事に気がつき「あれは主だ」と言った。
私たちの信仰生活で主の声に気づかず、後であの時主の導きであったことや、困った時主に助けられた事、友人に出会ったとき主がおられたことなど数しれない導きを後から知ることが多い。
ペテロは「あれは主だ」と聞いてあわてて上着を着て海に飛びこんだ。岸に近かったので、イエスの元に一時でも早く行きたかったのか、初めに岸におられたイエスに気がつかなかった自分、イエスに従っていた時の自分、イエスを失って福音のために働きを見失った自分、あわてたペテロは海に飛び込みました。
その後、イエスは弟子たちと共に食事をされ、この時イエスが現れたのは3度目である。それからイエスは天に昇られる前にペテロにさよならを言われた。その後ペテロにこれからの生き方を教えられ「わたしに従いなさい」道を失いかけたペテロに全人類の信じる人(羊)を託されました。その時ペテロはそれからの自分の人生にはっきりと何がおこるか分かっていなかったのかもしれない。使徒行伝に出てくる大使徒ペテロ、主の前に立ち、神の栄光のために一生を捧げた。私たちの信仰生活の中心はいつも「わたしを愛するか」という主の声を求め主に従って生きていきたい。主の声を求め良き羊でありたい。いつかは死ぬ身、良き死に方をするためにも準備し、正しい死を知るものは、生きる心根また違ってくる。主に交わることによって主のみ姿を心にしっかりと刻みたい。私はや、70歳近くなり人生も残り少なくなり良き死に方の準備もして、残された人生を正しく生きたいと願っている。60歳代は60歳代の生き方、70代はこれから始まる70代の人生があるはず。今までよくも生きてこられた。
しかし、信仰だけは日々新しくいまだ初心であり、主のみ声が聞こえるようでもあり、肉においては死こそふさわしいのでは思える。幸い、サタンに心とらわれる事もなく日々を暮らすことができ、これは大きな主のお恵みと信じて感謝しています。
祈らなければ わからなくなり |
神様のもとから離れない |
2001.03.01発行第一ページ終わり。