まえがき
H.N
過去と重なる何かが心に触れたとき、一瞬に来し方が見渡せ、罪の存在にもかかわらず確かに主が導いてくださった事がはっきり分かり、主に限りなく感謝します。
自分の心の中の思いは、朝に晩に変わって行くけれど、変化しない道筋がずっと貫かれている。1本の線になって残っている。それは主がつけて下さった足跡。
私は1月から職場の配置転を命じられ、新規の事業なので今までになく忙しく大変なところを通ってきました。
半年たって、やっと軌道に乗り、安定してきましたが、初めてぶつかる問題や人間関係のもつれなど、日々いろいろな事がありました。
少人数のグル-プホ-ムなので、主にあって進んでいきたいと、自分の罪から出た言葉がたくさんあったことも、主に許していただきたいと祈りの内に反省しています。
舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一 つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。
しかし、舌を制御できる人は一人もいま せん。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。(ヤコブの手紙3:6~8)
主に口のかどに立っていただき、主にあって語るように、やっと半年で余裕が出てきて気付くようになりました。
たとえ善意で言っても、トラブルが発生という事もあるという経験もでき、主が人間について教えてくださっている事をしっかり学んでいける事感謝です。
わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。 信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。 (ヤコブの手紙 1;2~3)
私たちは主に導かれている限り、絶対の勝利と永世が約束されているのですからハレルヤです。
こんな私が編集した「ともしび」をお届けします。書いて下さった方、読んで下さる方に主の祝福が豊かにありますように。
シャロ-ム。
きかれなかった祈り 申命記3章より
K.K
雨のように降り注ぐ
この清らかな星の光を
天を仰いで両手に受けよう
あふれるほどに光を受けたら
この世の闇に届けに行こう
夜空の闇の深いほど
この世の闇の深いほど
星の光は強く輝く
キリストの光は強く輝く
モーセが死ぬ前にカナンの地に入れて下さい、と祈った。なんと神様は、「もうよい、その事を二度と口にするな。」と言われた。わたしは、驚いてしまった。モーセの過ちを決して見過ごされない神様、厳しすぎる、選ばれた人はここまで厳しくされるのか、神様は祝福して下さらないのか、と思った。
学びの中でよくわかった。かなえられないことが、神様の御意志であったのだ。人の思いでなく、神様の御旨だけが成っていく。そして、そこに神様のご計画、人間の考えをはるかに超えた御意志がある。それは、大きすぎて人には解らない。しかし、神は愛なのだ。神様の思いは、モーセの人間的な願いが叶うことではなかった。イエス様のゲッセマネの祈りにおいても、「この杯を取り去って下さい」といういのりはきかれなかった。洗礼のヨハネは首をはねられ盆の上に無惨に乗せられた。ヤコブはあっけなく斬り殺された。エレミヤは苦しみ続け泣き続けた。ダビデの息子は悔い改めなかった。イエス様がお生まれになるときもマリアは宿を与えて下さいと祈ったことだろう。きかれない祈りのただ中で、神様は御旨をなし、きかれない祈りのただ中に、恵みと祝福を注いで下さる。
「願い求めたことはすでにかなえられたものと思いなさい」と神様はいわれ、「イエス様につながっているなら、願うものは何でも、与えられる」と神様は言われる。
願えばかなえられるのだ。それは、確かな神様の方法によってなされていく。人間にどんなに解らなくても、神様は必ず願いをかなえて下さっている。人の思いを超えて御旨は成る。
神様の御意志が成りますように。御国が来ますように。御心が天で行われる通り、地でも行われますように。イエス様が教えて下さった祈りが思い起こされた。
今日、雲ばかりの冬空を眺めていました。空の向こう、天にいます主を思い、懐かしい思いで見上げていました。夜空に冷たい風が吹き、雲はちぎれて流れていました。
ずっと見上げていると、雲の隙間からひとつの小さな星が見えました。突然見えたので、心に飛び込んできたように思えました。
イエス様がお生まれになった夜、天に大きな星が現れ、羊飼いを導いてイエス様の所に連れていきました。見上げる者の心の中に、今もこの星は輝き続け、導き続けて下さるのだと、メッセージで学んだことを思い出しました。
うつむいていたら、見えなくなってしまう。他の者を見ていても見失ってしまう。しかし、心、魂、思いの全てで主を仰ぐとき、不思議な光が注がれる。羊飼いを導いた主の星は、今も光続けています。
空を見れば書いてある
神様は、愛だってこと。
野原を見れば書いてある
神様は慈しみ深いってこと。
風に吹かれるとわかってくる
神様は共にいて下さるってこと。
証し
K.N
私は看護婦をしていますが、この仕事は私が望んだ事ではなくて、成り行き上そうなりました。今も急性期の病棟にいますので、多くの患者さんの死に合うことがあります。
今までに患者さんの死を看取った中で、印象に残っている事が二つあります。一つは看護学校の実習の時です。産婦人科の実習に出た時です。その時、母親の病状のために、やむなく赤ちゃんを死産せざるを得ない方がおりました。それは母体を保護するため仕方ないと分かってはいたのですが、その時に、そこの先生とか看護婦さんが赤ちゃんの死体を物体のように取り扱っていました。私はすごいショックでした。お母さんも望んでその子を死産にしようと思った訳ではないのですが、その時そのやり方が腹がたって教務の先生に「どうしてあんな事するのですか?と。ましてや実習生の目の前でそんな事をすべきではないのではないですか?」っとくってかかった事を覚えています。
それと、今の勤めている所で、受け持ち患者さんで、乳ガンの手術をされていたのですが、そのガンが肺と骨のほうに転移してしまいました。その方は
入院された時はまだお元気で自分の事は少しですができていましたが、転移のために少しの動作でも息苦しくて、動くこともできなくなり個室に移られました。でも、その方は自分の病気を知らなくて、最初はどうしてこんなに苦しいのかなあ、この病気は何なのですかっと聞きましたが、本人には病状は知らされていませんでした。その方の受け持ちをしていたので、ああ私の時に、最期とならなければいいけどなあ、といつも思って病院に行くたびに、病棟の名札を見ていました。でも、その方の最期にやはり当たってしまいました。その時は、安らかに眠るように息を引き取られましたが、病状が末期となったとき、全身むくんでしまって顔も殆ど左の方を向いて休まれていたので、右と左は別人のようにはれあがっていました。でも、息を引き取られた瞬間にその顔が、水が引くように元の安らかな表情に帰りました。ああ、この方は今神様の元に帰られたのだなっと思うことができました。今の病棟でいたら亡くなられる方が多くて、その最期の時には看護婦はできるなら立ち会いたくないと誰もが思います。でも、当たった時には、どの顔も安らかで眠っているような顔をされています。
生まれてくる時も一人なら、天に帰る時も一人なのですが、神様がこの世に送ってくださり、また帰る時も迎えに来て下さって、安らかな表情で帰られるのだなっと思いました。
私はいつも信仰が不十分で、のらりくらりと暗いトンネルの中を行ったり来たりしていて、このままどうなるのかなと思います。私はトンネルが大嫌いです。このまま出られなくなったらどうなるのだろうと思うと、車に乗っていても、早くトンネルを出たいという気分になります。トンネルの向こうに明るい光があって出口が見えたらホッとします。
聖書にあるように「聞くには聞くが決して理解せず、見るには見るが決して認めない。この心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。そして彼は見ることもなく、耳で聞く事もなく、心で理解せず悔い改めない。わたしは彼らを癒さないと主は言われます。」とありますけれど、早くトンネルを抜けて明るい神様の光である手を差し伸べてくださって、信仰が増し加えられるようにと願います。
今日は私の誕生日でもあるので、この復活祭を期に新しい衣をいただける事を祈っていきたいと思います。
聖書通読をしてきて
M.F
しかし、わたしの足がすべると思ったとき
主よ、あなたの慈しみはわたしを支えられました。
わたしの内に思い煩いの満ちる時
あなたの慰めは我が魂を喜ばせます。
詩編94:18~19
私は1928年に生まれて、今年で73歳になりますが、その歩んできた道を振り返る時に、このみ言葉の通りであったという事を思い感謝に溢れております。
今から50年以上も前の話しですが、両親はクリスチャンでしたが、その両親が召された頃、町にはクリスチャンホームがたくさんあって、教会もあり、日曜学校もありました。その他に美馬郡半田町へ火曜日の夜に鴨島のE.I牧師と脇町のK.I牧師が交代で来て下さり家庭集会を持ってくださっておりました。
その時に両親が亡くなって、初めて集会に出るようになったのですが、K.I牧師が「 M子さん、毎日聖書を読みなさい。解っても解らなくてもいいから毎日1章ずつ、最初から聖書を読むように」という事を勧めてくださいました。聖書は持っていましたが、あんまり開いた事もなかったのですが、その言葉に励まされて、毎日1章づつ読み始めました。初めの創世記は日曜学校で教えていただいたお話がたくさん出ているな、先生はこの所を教えて下さったんだなと思いました。とにかく解っても解らなくても1章づつ読み続けていきました。新約と旧訳を合わせて読み終わるのに3年3ヶ月とちょっとかかりました。段々それが習慣となり、とにかく読み続けて現在に至っております。
東京の自由学園の創立者のM.T先生が言われた「朝起きて聖書を読み、昼は疲れるまで働き夜は祈りて眠る」という言葉が大好きなのですが、そういった生活をしたいといつも思っております。
転勤族でしたので、辞令一枚で転勤というような事がありました。
いつかも、池田から善通寺に転勤になる時にそれが当たり前の事だったのですけれども、精神的に動揺しておりましたら、神様がY兄弟とN姉妹をお送りくださいました。そういうふうにその場、その場に神様のみ手が伸ばされていて、今日まで支えられていたことを思い感謝いたしております。
今まで、分かっても分からなくても、聖書を読んでまいりましたけれども、平穏無事な時はスラスラと文字だけを追うのですが、何か問題があった時には、そのみ言葉の一つ一つが心に沁みて大きな力になって生きて働いて下さった事を思いました。 感謝です。
詩
H.N
運転のへたな私は
よく道を間違えます
何度も同じ道を間違えるので
どうして?と情けなくなります
今日、友人の車に乗って
以前間違えた道を通りました
「この道 間違えるって、表示がずっと出ているよ」
見れば太い矢印で角々に行き先が書いてあります
ああ
天国への道も
聖書にちゃんと太い矢印で示されているので
間違わないようにしよう
主イエス様を見失わないように
角々でイエス様に至る表示を見ていこう
4
上よりの光
大阪 M.M
本箱を開いた時、「確かにこれは心の乱れだ」と思い、整理を始めました。あれを読み、これを読みしていますと、ノートとノートの間に2つ折りにした
紙が出てきました。それは、2000年9月7日の吉村さんからパソコンで送られてきた「今日のみ言葉」をプリントアウトしたものと、その日に書いたメモだったのです。
「主はわが光、 主はわが命の力なり
わが救いなり わが恐るべきものは誰ぞや
われ 誰をか恐れん ( 詩編27編より)
私たちが生きていくとき、いろいろな問題によって悩まされます。どのように対処したらよいのか、どう考えたらよいのか、2つの道のうちいずれをとればよいのか、将来どうなるのか…
そのようなとき、私たちはそうした決断や選択をする「光」がないから、悩み、苦しむのです。もしも私たちにそのもつれた問題に上よりの光が投げかけられたら、決断することができ、安んじて委ねることができます。私たちに必要なのは、人間的な指図や経験を超えた神からの光なのです。
(今日のみ言葉2000年9月7日より)
彼等が「上よりの光」の存在を知っていたら・・・・。私は昨夜画面に映し出されたひきこもりの若者達の苦しみにゆがんだ顔、おどおどした顔、悲しそうな顔を思い出しました。なんとか社会復帰をしたいと共同生活を始めた青年達についてのフィルムを見ながら思いました。何で急に社会とコミュニケーションをとれなくなるのだろう。確かに、それぞれに何か原因のようなものがあったようです。でも、それは誰もが人生において、1度や2度経験するようなこと--例えば、上司から叱られる--に見えました。何で唐突にこんな事が起こるのか分からないまま、彼等1人1人の苦しみが私に伝わってきました。そして、見てるうちに、私は、彼等にとっては唐突ではないのかも知れないと思い始めていました。
ある青年の父親は「息子は自分が世の中に必要のない人間だと思っているのです。」と言われました。その青年は「僕は・・・人の・・・役に・・・立ちたい・・・」とやっとの思いで話しました。社会復帰を熱望しているまた別の青年は、どんな仕事をしても続かず、ここ数年はひきこもったままだったそうです。現在は筏の上に野菜を栽培する仕事を手伝いながら、「2~3年後、同じ事をしていれば良いな、と今は思っています」と語りました。
彼等の目は清らかでした。その目に時々涙がにじみました。目に落ち着きが、なく、相手の視線を避けると言うよりも、視線が定まらないような感じを受けました。皆が話しているように自然に、そして、リラックスして話したいのにできない。人の役に立ちたいのに何もできない。大声で泣きたいのに、男だから、もう31才だから泣けない。彼等の苦しさがヒタヒタと伝わってきて、泣く事のできない彼等の代わりに泣きながら、私は、神様が彼等を必要としておられる事を伝える事ができたらと、思わずにはいられませんでした。
「今日のみ言葉」は続きます。
「キリスト者として歩んでいても、心がしばしば喜びを失ったり、思い煩ったり、また時には動揺し、心が暗くなったり、ゆううつな気分になったりするという経験は誰もがもっています。
そのようなとき、私たちの心の奥に輝く主の光を見つめているとき、いつしかそのような動揺や、思いわずらいがうすらいでいくことを経験することができます。
そしてその光を見つめることによって私たちは再び命を与えられ、立ち上がって歩み始める力を得るのです。」
とじこもりの生活を何年も続けて来た彼等、昼間寝て、夜起き出し、深夜家族が寝静まってから台所に来て食事をし、ベッドを引き裂き、友だちもない、外出もしない、「光」と全く関わりのない、文字通り暗闇の生活でした。彼らの心の中に、「上よりの光」があれば、そこまで暗闇に落ち込む前に、「今日のみ言葉」にあるように、神様から再び命を与えられたことでしょう。
斯く言う私は、このメモを書いて2~3週間後、ちょっとした出来事で落ち込み、ひきこもりとまでは行きませんでしたが、相当な暗闇の中にいました。1つのことで始まったのですが、いろんな事に嫌悪を抱き、自分の魂の醜さ、汚さを嘆きました。自分の態度がロボットのようにギクシャクしているのに気付いてもどうしようもなく、いつも暗い気分で、笑顔を作るのも、明るく挨拶する事も難しく、人に会いたくもなく、外出するのも苦痛で、何をする気にもならず、礼拝と仕事に出かける以外は、ただぼんやりしていたような気がします。なぜ、唐突に?と思いましたが、今思うと、決して唐突ではなかったのです。いつも神様が私の心を支配してくださるようにと願いながら、ともすれば、「自然のままの」自分に戻ってしまって、自分の尺度で、物を見、判断し、決断してしまう姿勢に問題があったのです。
不思議なことではありますが、こんな暗闇の中にいながら、いくらかの希望だけは失われずにいたのです。礼拝で「全てを神様に委ねなさい。そうすれば、最善をなしてくださる」と繰り返し聞いていた事、また、「神様は、時々私たちをトンネルの中に置かれることがあるが、それは神様の目的地への最短距離だ」と言う言葉が、常に頭の中にあったことは救いでした。トンネルの先の方に見える、光差し込む、小さい出口をいつも見ていました。それはまさしく希望でした。神様が一番良いようにしてくださるという希望がなかったら、懸命に祈る事はできなかったでしょう。
遠くの、光の射し込む出口に希望をつなぎ、最善をなしてくださいと神様に祈り、イエス様に助けを求め続けた事、これが、「上からの光」の導きであったのかもしれません。「今日のみ言葉」に書いてある通りです。なぜあんなに落ち込んだのか分からなかったように、なぜか分からないけれど、少しづつ心が楽になって、いつも見ていたトンネルの出口が少しづつ近く、大きくなって行きました。その原因は少しも解決していませんが、「再び歩み始める力」をいただけたことを感謝しています。
「眠られる夜のために」の中で、ヒルティ氏が「悪い日は実は良き日である」と言っています。10年前なら、本を閉じてしまって、2度と開かなかったかもしれません。学生時代、トマス・ア・ケンピスの「キリストにならいて」を数ページ読んで、何10年もの間、本棚の隅っこに追いやってしまったように。
何と幸いな事でしょう。4年間メッセージを聞き続けるうちに、ヒルティ氏の「我々は憂いを持たねばならない」という言葉も、内村鑑三氏の「我等が以て苦痛と見なしますものは皆我等の救じょう(救い)全ふせんための神の恩恵に出しもの」という言葉も、キラキラ光って見えるのは不思議なくらいで、私としては、目覚ましい進歩であるかもしれません。
ひきこもりの人達に、今まさにいろんな苦しみを経験しておられる人たちに、そして、罪深くて、弱い私に、「上からの光」をいつも与え続けてくださいますようにお祈りします。
詩
H.N
いのちの里の夕拝の帰り
赤い信号で車を止めた
夜のとばりに染みるような赤
前の車の尾灯も赤
店の看板の赤い色
主イエス様を知った今
この赤い色は十字架で流された血の色
今日も私の為にイエス様はこんなにも
赤い血を流してくださった・・・
「祈り」 S.M
祈りについての証ということですが、私が神様を知って、自分で覚えている最初の祈りは「私にとって、結婚をする方が良いならそうなるように、そうでないならそうならないようにしてください」というような簡単な祈りでした。その頃、看護婦のような仕事をしながら、一人で自由に神様に仕えるという望みもありましたが、結婚をすることになったので、それも神様の導きだと思っています。
もう一つ、はっきりと覚えている祈りは、大阪に来て信仰の仲間がいなかったので、聖書を学ぶ友を与えて下さいと祈りました。そして今信仰の仲間が与えられて、日曜毎に共に礼拝を守ることができるようになったことは、大きな恵みです。「求めよ、さらば与えられん」との御言葉のとおり、祈り求めて与えられたことを思うと、これからもイエス様の御心に適うことは大胆に祈り求めていきたいです。
他にも、具体的に祈りによって導かれたと実感することはいくつかありますが、今回は「私にとって祈りとは何だろう、いったい日々何を祈っているんだろう、そしてこれからの祈りの課題は」と、改めて考えてみました。
すると、私の祈りの多くは「主が共にいてくださることを確認する祈り」だと気付きました。朝の祈りでも、買い物の行き帰りなど、青空や風に揺れる木々を見ながら、いつの間にか「神様、神様」と呼びかけている。「イエス様」と御名を呼んでいる。それが祈りといえるかどうか知りませんが、「イエス・キリストのことをいつも思っていなさい。それが私の福音である」とパウロが言っているように、ただイエス様を思う、イエスさまの御名を呼ぶ。その時「主は私を緑の牧場に伏させ、憩いの汀に伴い、私の魂を生き返らせてくださる。」ことを実感します。イエス様が共にいてくださることを確認するとき、この世では得ることのできない平安と喜びが満ちてきて、この喜びを伝えたいという思いでいっぱいになります。
もちろんそのような喜びの祈りだけではありません。自分の弱さ、罪、過ちに打ちのめされるとき、「神様助けてください」と祈ります。ずっと以前は、嫌なことがあったり、退屈したり、元気がなくなると、気の合う友達に話をしたり、テレビを見たりして気分転換をしていたように思いますが、そんなことをしていてはいつまでたっても、イエス様と深く交わることができないと気づき、ある時決心をして特に親しくしていた友達から離れました。その時から、何があってもまず神様に祈るという習慣が、少しでも身に付いたように思います。
人間にいくら話しても、そしてたとえ分かってもらっても、本当の解決にはならないですが、神様は私の心の奥の奥までご存知ですから、祈っている内に、自分でも気付かなかった罪に気付かせてくださいり、悔い改めに導いてくださいます。そして、そこにだけすべての解決があることをいつも実感します。
以上二つは、自分のための祈りですが、次にとりなしの祈りについて話します。
とりなしの祈りと言うことを思うと、「私の負い目を赦してください」とまず祈らずにはおられません。イエス様に救われたのは他の人にイエス様を伝えるため、そして回りの人たちのとりなしの祈りをするために違いないのに、そして心を静めて思い起こせば、祈らなければならない人は山ほどいるのに、なかなか真剣に祈り続けることはできません。
それでも、とりなしの祈りを続けて良かったと実感することもいくつかはあります。
ある人と十年以上も一緒に聖書を学んできて、それなりに祈り続けているのに、その人はどうしても神様のことを後回しにする習慣を変えようとしないので、そのことを責めたくなりました。でも、その人に直接腹立ちを伝えるより、もう一度神様に祈ろうと踏みとどまって祈ったとき、私はその人に何も言わないのに、その頃から急に変えられて、自分から「生活の中で神様のことを一番にしていきたい」と言い、実際に毎日聖書を読んだり、集会を第一にするようになり、その人は「特に何のきっかけがあったわけでもないのに、どうして毎日朝一番に聖書を読むことが出来るようになったのか分からない」と言っています。もうこれ以上忍耐して祈るのは嫌、と思う時こそ、そこで祈りに踏みとどまるなら、神様が生きて働いてくださるのだと感じたことでした。
それとは反対に、肝心なところで神様に祈るより、自分の思いで動いてしまって失敗したこともたくさんあります。相手のことを心から思っているつもりで、あれこれ言って、結局、いらぬお節介に過ぎなかったと後で気づくのです。
祈りというのは、どんなに祈っても相手を傷つけたり、ダメにしてしまうことは決してないけれど、自分で何か言ったり、したりする時、たとえ良かれと思ってもしたことであっても、後で取り返しのつかないことになることがあります。特に、私のような軽薄な人間は、祈りに徹するべきだと思わされています。
そして、そのとりなしの祈りを続けるのに、何よりも必要なのは忍耐だと思うのですが、思いついた時だけ祈るというのではなく、持続的に祈るために、辛うじて私のとりなしの祈りの役に立っているのは、信仰の兄弟姉妹、知人友人、親類の人の名を書いた一覧表です。また、月に一度でも簡単なお便りなどして相手のことを思い起こすのもとりなしの祈りにつながります。
それともう一つ、とりなしの祈りのために助けになるのは共同の祈り、他の人と共に祈ることです。朝、主人と共に祈りますが、その時には親戚の人や子供たち、また集会のことなど共通の課題をおもに祈ります。それから月に2回ですが、狭山と京都で祈祷会をしているので、その時にはまた新たな思いでとりなしの祈りができます。「2人3人わたしの名によって集まるところにわたしも共にいる」「2人の者が心を合わせて祈るならわたしは聞く」とイエス様が言ってくださるように、1人ではなかな時間が取れず、真剣に祈れないことも、2人3人集まると祈りが深められていくことを実感することもよくあります。これからも集まって共に祈ると言う機会を増やしていきたいと願っています。
最後に「御名が崇められますように、御国が来ますように」という神様のための祈りについてですが、ごく最近、日中戦争のビデオを見て侵略戦争の実体、その恐ろしさを知り、それらの背後に人間を滅びに導くサタンの存在をひしひしと感じ「御名が崇められますように、御国が来ますように」ともっともっと真剣に祈らねばならないと迫られる思いです。 新聞でも毎日のように、考えられないような事件が報道されていますが、本来神様に支配されなければならない人間が、サタンの思うがままに振り回されている現実に強い恐れを感じます。いつ何が起こってもおかしくないような世の中を生きていくためには、個々の問題への対処を考えるより先に、まず祈らなければならない。「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、暗闇の世界の支配者、悪の諸霊を相手にするものなのです。」とエペソ6章にあるように、神様に寄り頼み、神様の偉大な力によってサタンに抵抗できるように、絶えず目を覚まして「御名が崇められますように、御国が来ますように」と祈ることの迫りを感じています。
信教の自由が保障されているこの日本で、キリストを信じる者が迫害を受けるということは今は考えにくいことであっても、イエス様は終わりの時には「わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。あなたがたは苦しみを受け、殺される。」とハッキリと言われています。自分の力で迫害に耐えるなど決して出来ないことなので、弱ければ弱いほど神様に寄りすがり、最後までキリストの道を踏み外すことがないように、兄弟姉妹と共に勝利することが出来るように、十字架の主にすがって祈り続けるということがこれからの課題だと思っています。
特に祈りを深めなければならない、今の日本の状況の中で、今回の四国集会のテーマが「祈り」であったことに神様の導きを感じて感謝です。。
讃美 I Will Serve You. H.S
この歌は、Tさんから紹介していただいたCD Praise
4の中の1曲です。
そこに入っていた曲は皆それぞれに良かったのですが、特にこの歌に心を引かれたのは、ギターサウンド、曲調そして歌詞共に良くて心に響いてくるものを感じたからです。
英語の歌詞も歌詞カードを見ながら、すぐにだいたいの意味はつかむむことができ、Yさんが訳されたものや、また自分でも分からない単語を辞書で調べて自分なりにその歌詞の意味を理解しました。
ここに
You have given life to me.
神は私に命をお与えになった、
と言うフレーズが何度か出てきますが、私はこの個所を一番のメッセージとして受け取っています。
イエス様とお出会いでき、新しい命に生かされ、自分の罪の身代わりにイエス様が十字架に死んでくださったこと、そしてそれほどまでに神様が愛してくださっていることに価値を見出した者の一人として、このフレーズに共感しています。
ギターコードも教えていただきうまく弾けるようになりました。
私は人知れず讃美できるだけで良かったのですが、この度の高知での四国集会で、綱野さんと共に、主のご栄光のために讃美させていただき感謝でした。
この歌を聞いて、心にとめてくださった方が、お一人でもおられたならとても感謝なことです。
I
Will Serve You [Thee]
I will serve you because I love you,
you have given life to me.
I was nothing until you found me,
you have given life to me.
Heartaches broken people,[pieces]
ruined lives are why you died on Calvar
Your touch is what I long for,
you have given life to me.
|
日本語訳(T.Y雄訳)
わたしはあなたに仕えよう
わたしはあなたに仕えよう
なぜならわたしはあなたを愛するから
あなたはわたしに命をくださった
わたしは無であった
あなたがわたしを見いだしてくださるまでは
あなたはわたしに命をくださった
心の痛み 弱り果てた人々
破滅してしまった人々たち
それがあなたがカルバリの丘で死なれた理由なのだ
あなたが私たちの心に触れてくださることこそ
わたしが強く望んでいること
あなたはわたしに命をくださった
最近の私 E.K
(礼拝が終わった後、時間を作って、Kさん、Tさん、Nの3人で、Kさんを囲んでお話しを伺いました。Kさんは、日本に来てまだ間がないのに日本語がお上手で流暢な日本語でスラスラと自分の内面を語ってくださいました。)
中国にいた時は、勉強も好きだったのだけど、明るく皆に好かれてみんなの中心にいて自分を花だなって思っていました。で、あの人が何で教会に行くのって言われて、でも私は行くよって言ってちゃんと自分なりの信仰を持っていたし、すごくその時は自分が明るくて毎日幸せだった。寂しいという気持ちが分からなかった。だけどこちらに来て、寂しいと感じるし、まわりの人にも信仰の事を話せないので、別に何も話したくないなっという気持ちでいろいろ感じるが静かにしているのが好きになったみたいです。心が変わったのを感じます。死については、まだ若いので今まで考えなかって、自分とは関係ないと思っていたけど、若くても生きている間どうなるか分からないし、死という事についていつも考えて生きていた方がいいなって考えるようになりました。そうでなければ今生きている時間を大切に考える事ができない。私たちが生きている間はすごく短いなっていうのも感じます。人間って生きていて、心から感動して涙が出る瞬間が一番幸せなのにお金の為に生きているような生き方は全然意味がないと思います。中国では教会に友だちがいっぱいいて愛してくれたので良かったです。ママを求めているのに、こちらに来て心が前より離れたみたいで、でも自分の信仰がしっかりしてきたのでもういいのですけど。誰にも頼るというのがなかったら信仰が育つよね。そして自分が弱いなっていう事が分かるから、この頃友だちの悩みもよく分かるようになり、よく話しを聞いてあげるようになった。そうできる自分を幸せだと感じます。自分の考えがすごく変わったみたいで、寂しい友だちに食事をおごって一緒に過ごす事ができるようになった。前だったら、1万円あれば何でも買えるよって思い、そんな事に使うのは惜しい気がしていたのに。お金はこういう時に使うものだと思って、このお金で相手が少しでも幸せになったらいいよって思って。自分が弱くなったので友だちが「痛いよ」って言ったらすごく分かるので、少しでもその人の為に何かしてあげる事を見つけようとする。辛い事があったら人を愛する事ができるようになるのだからこれもいいかなって思っている。人の心に寄り添う事が出来るようになった事は日本でのいい勉強かなって思います。
楽しい時は自分の力に頼るけど、今だったらよく祈るようになりました。祈りこそ「できる」という気持ちがあります。何度も祈りが聞かれて、祈りは聞かれるという事もわかりました。
中国ではスイカが5キロくらいのが100円で安いので、たくさん食べましたが、今は食べる事はどうでも良くなってあまり欲しくないですね。それより神様が与えてくださるもの、心の問題の方が大きいですね。毎日母の事を考えています。母は大切ですね。ママにも祈って何でもする事だ大切だとか教会の話しを電話でします。教会に行くようになって自分が母の事で考えが変わり、自分も悪いと思うようになった。私は神様を信じるという点では、疑いもなく信じられるようになった。大学の卒業前の2年間くらいでいっぱい考えてイエス様に出会った。以前にもお話したように主に捧げきっている素晴らしい先生ご夫妻に出会い私の信仰は確かなものになった。今もその先生とメ-ルで週に2~3回やりとりしている。奥さんも信仰が良い。ご夫妻とも自分が信じているものがあるから我慢ができる。自分のお金で学生さんを10人以上も家に泊め勉強を教えたり、信仰を説いたりしてくれる。忙しくても学生と共にいる時間を大切にしてくれるので悩みも聞いてくれる。聖書の事でも学生は疑問に思うと奇蹟の事やいろいろ聞くが、理科の勉強をしている先生は学生に分かりやすく科学的に説明してくれる。毎週土曜日に集まって、キリスト教の歴史や哲学を教えてくれる。また人格的にも素晴らしく、神様を示している。主が先生に会わせて下さったので信仰を持つ事ができた。
この先生は日本で10年いたので、祈りもひとつひとつ静かに考えながら祈っているので私も一つ一つ「アーメン」という事ができる。学生の信仰は明るいし人も明るく健全です。コリアン系の人は開放的なので、教会の祈りはとても大きな声で祈り、騒がしくて「神様に届かないよ」って思うし、始めての人を誘って行っても何か異常に感じるかもしれないと思っています。こちらに来て初めの頃は、慣れていないので、黙想の時、何も言わないで神様が聞いてくださるかなあと逆に思っていました。今ではこのような静かな礼拝が好きで祈りも静かなのがいいと感じるようになりました。静かにしながら心を込めて、細かく配慮して心を込めている。こういう日本は好きです。今、友だちにも「教会に行って」って誘っています。「今は何も辛いことがないので行かないかもしれないけど、何か辛いことがあったら行ってね」って言っています。自分が誘う自身が出来ました。前は自分もきっちりしてないのにっていう気持ちだったけど。今は、母の事なんかでつらいこともあるけど、これは信仰とは別の問題だから。信仰の面では満足しています。教会に行けば信仰によって自分が謙遜になれるし。確かに神様の導きを受けています。その面で自信もでてきました。
学生生活では、修士論文が残っていますが、すれば楽しい研究で充分進んでいるし、また進学の問題で試験があるけどこれも毎日授業に出ているので大丈夫です。
礼拝終わったらいつもはすぐに帰るのに、今日はこんなにお話できてとても良かったです。寂しかったけど、話しているうちに元気になりました。
病室を訪ねて S.I
ある日の午後、Iさんの入院されている病室をお訪ねしました。いつ訪れても、訪問者があって、話しの花がさいている井上さんのお部屋は、さながら春のように温かく、なごやかな雰囲気です。
この日も、他のお部屋から遊びに来ている方を交えて3人でお話されている所へお邪魔しました。話しが盛り上がっており、私は会話には参加せず、聞き役でした。その時の会話を録音させていただきました。
I、 戦前、戦中、戦後全部体験している方がまだ多いですね。私も戦争で焼かれてまったくの灰になったでしょう。そうしたら、物に対して゛“どうしてもそれがないといけない”という欲望がないですね。一瞬にして灰になるというのを身をもって感じ取っているからそんなものは、はかないもの、あっけないものというのがあるから、執着がない。
訪問者 誰がいつ怪我したり、どうなるか現代でも分からないけど、その身になった人は犠牲みたいなもんやね。
I、 だけど、病気や怪我もプラスが多いわよ。元気、元気でずっと来ている人が感じたり受けたりするものよりも、病気した経験があるとかの方がきっと深くものを感じられると思う。
訪問者 そうやね。我が身に受けて人のつらさを知るっていうんで、自分が病気になってみんかったらわからんから。ああ、あの人大変だろうなって思ってもそれは思うだけであって自分が病気して初めて人の つらさが分かるけどね。
I、 思いやりとか、いろんなものが元気印で来ている人と違いますよ。そして、人生を深く味わえるような気がする。それもあるし、今っていう生きている時を大切にするようになるわ。元気だったら、そんなの当たり前と思ってしまう。朝目が覚めて、起きて、元気な人には何でもない当たり前の事だけど、病気してたら、「今日もいのちいただいてありがとう」と思うものね。そしたら、何でもが受け止めが違うでしょう。私は病気してすごく良かったなって思うしいろんな事がこれはやっぱり、神様の恵みだなって思うから。そうしたら、何かうれしいような、神様に愛されているんだなっていう気がして。キリスト教の教会で、証しを頼まれ、「私、愛されちゃったのよ。」という題で言ったら、みんなびっくりして。もっと厳粛な証しをみんなするじゃない。だから私の題でみんなびっくりして、そして結局、「Iさんがおっしゃったと同じ本当にそう思います」と言って下さり、それからその教会の人は「愛されちゃってるのよ」って言うのが流行になった事がありました。Iさんて言う名前忘れても「愛されちゃったのよ」っていう人が来たっという事で大笑いになった事もありました。普通なら、証しするといったら、書いて一生懸命覚えたりしますが、お年寄りだったら、壇に上がって言うと緊張してなかなか言えないでしょう。それが日常使うような平易な言葉で阿波弁で言うとそういうのもあるんやねって。聞く方も無理なく頭に入るわね。
I、 だから、思ったこと、感謝なことなど素直に自分の言葉で言えばいいわよって言ったのです。
訪問者 (Iさんと同室者の骨折で入院されている方に)早く、この方の病気が治るように祈らなければしょうがないね。治るのが遅かったら私たちの祈りが足りないという事やね。
同室者 お陰で元気になりピンピンしています。
I、 そやけど、治るのが遅い、早いはいいわよ。その人にとって早ければ良いというものでもないし、病気したっていう事はこれからの人生が豊かになるよ。
訪問者 私も右手を骨折したので、左手ではどうしても字が書けないから手紙が書けるようになおるか心配したけど、左手でペンを持つという事は難しい。
井上 あのね、左で書いている人のお便りがあるんだけど、。この方は脳梗塞で動けなくなって。左だけが動いて、右は全然だめなの。左で書くように練習して、お手紙が書けるようになってこんな嬉しいことはありませんって。
訪問者 那賀郡鷲敷町、鷲敷のどこですか。
I、 役場の近く。役場と警察の中間です。その方も90歳か91歳くらいですよ。ご主人が早く亡くなったので、先生しながら3人の子供さんを大きくしたんですよ。3人の子供さんがものすごく親孝行なのです。それで3軒の息子さんの家を回って生活していたのですけど、長野の息子さんの所に行ったら、お勤めの前に息子さんが病院へ行って、顔や全身清式し入れ歯も磨いてきれいにする。帰りも寄ってきれいにしていたら、そんなふうにしてもらうのが気の毒で「早く死にたい、早く死にたい。神様早く死なせてください」と祈って祈ってしていたら、ある日突然気持ちが変わって、感謝するようになって、そうしたら病状も変わってきて、リハビリに行くようになったそうです。大分歩いたりできるようになって。でも後遺症として右は全然使えない。それから書く練習を一生懸命しだして、はがきだったら特に書くとき動くので押さえなければ書けないのでそれは大変努力したんですって。
訪問者 これまっすぐきれいに書けてますね。年が寄ってくると字がゆがんで流れて行くけど小さくきれいに書けてますよ。
I、 縦に書くと長いのでゆがむので、こんなふうに横に書いているのよ。
同室者 努力やね。
I, この人の家はものすごいがつくくらい熱心な仏教の家だったのです。一番下の息子さんが、徳島学院という犯罪を犯した少年が入る学校兼寮の校長さんをしていたのですが、どんなに努力しても不良になった少年を救えないのです。自分が習ってきた知識ではとうていそういう人たちの悩みとか精神的なものを癒す事ができないとほとほと感じたそうです。少年達は夜中になったら逃亡するのですが、どちらに逃げているのか分からないのに、責任があるから捜しに行く訳。それが毎日毎日続いて、自分の力では及ばないからという訳でキリスト教の教会へ行きだしたそうです。そして教会で聖書のお話を聞きだしたら、神様の事が分かって自分もそういう道を行きたいという思いになったそうです。子供さんが二人いたかな?だけど仕事を辞めて神学校を受けたのですが、頭が良いからすぐ入学出来たのですが、収入は無くなるし、子供はいるしでお母さんが反対して反対して。でも「私はそこへ行くしかないから行きます」って言って行った訳ですが、四年間寝る間も惜しんで勉強して、その熱心な姿に母親は「そこまで息子がつっこんで燃えてする聖書はどういうものか。そんなにすごいものがあるのか。」と興味を持って内緒で聖書を読みだしたそうです。そしてその人がトップで卒業したので、あちこちの大きな教会から「来て下さい」と引く手あまただったのですが、那賀郡の鷲敷っていう所で普通のお家で戦前、戦中、戦後守ってきた教会があるというのを小耳にはさんで、「私はそこへ行かせてもらいます」と言って鷲敷に赴任して4~5年になるのかな?お母さんもその教会で信仰を得て「考え方が変わってきました。努力して変わるとか、理解するというのでなくて、聖霊さまが分かります」とおっしゃって、今は幸せで、幸せで、こんなに幸せでいいのかって思っていつも神様に感謝して、祈って過ごしていられるそうですよ。お母さんがこういう訳で3男の息子さんの所に住むようになったので、兄弟も皆がのんびりした環境の鷲敷に滞在する事もできるようになって、家族が仲良く密に暮らせる時を与えて下さってこれも神様のご計画の中にあるっていう事が分かって本当に喜んでいられます。いろいろ神様のなさる事って私たちの想像を遙かにこえていて、今は神様にすべての事を委ねて平安に暮らしていますっていつも書いてきて下さるのよ。
詩
T.Y
朝 目が覚め窓の外を見る
私は 思い出す
真夜中
もう二度と 目が覚めなければいいな
もう二度と 朝を見る事がなければ
そう思い 眠りについた事を
今は ちがう
朝 目が覚め窓の外を見ながら祈る
朝をもたらして くれる神様に
感謝しながら
本当の教会とは
信じる者 すべての 心の中にある
どんな場所にいようと
目をつぶれば 自分の中に教会が広がる
その中で 私は深く祈る
そんな時 私は 私の中にある教会で
神様に 出会う
すべての人々よ 心の中に教会を持とう
そこは 神様と あなたが対話する場所なのだから
今日も 目をつぶり 祈ろう
苦しみ 悲しんでいる人々の心の中に
教会ができますようにと お願いするために
愛される価値のない者だと思っていた私を
愛して下さった時
心から人を愛したいと思った
救われる価値のない者だと思っていた私を
救って下さった時
初めて人を救いたいと思った
神様が私に下さったものは
ただ ただ 温かく
ただ ただ やさしい
愛される価値のない者など いなく
救われる価値のない者など
この世には いない
多くの苦しみを背負いました
多くの悲しみが心にありました
苦しみも 悲しみも
なければ いいなと思いました
ある時 神様に出会いました
苦しむ事や 悲しむ事を知らずに
どうして 心から人を幸せにしたいと
思い 祈る事ができようかと
教えてくれました
苦しむ事も 悲しむ事も
さほど 悪くないと 思いました
花を見て 美しいと思った時が
あっただろうか
子犬を見てかわいらしいと思った時が
あっただろうか
人のやさしさに触れ 暖かいと思った時が
あっただろうか
神様が恵みをもって 私のかわいた心を
あふれんばかりに 満たしてくれた
私は 自分が変わった事に 気づく
そこには もう 昔の私は いなかった
人の悲しみを知るために
私は 悲しみの中で 生きてきた
人の苦しみを知るために
私は 苦しみの中を歩んできた
罪をおかす 人々の叫びを 聞くために
私自身 罪をおかした
孤独を背負う 人々のさびしさを 知るために
私は孤独を背負った
すべては 神様の計画の中で
生きていた
編集者注: Yさんは、鷲敷教会のクリスチャンで、聖霊の導きにより、あっという間に詩が作られたそうです。
小羊の治療室から
心のなかのイエス様
E.T
鍼治療に来るのは大人が多いが、幼い子供たちも家族に連れられて来る。小さい頃「ノアのはこぶね」の絵本が好きだったT子ちゃんは今年大学生になったそうだ。大人はある程度治療の期間があり、また再度治療にきたりで、いろんな話もできるが、子供は病気の歴史も浅く、あっという間の短い出会いになることがおおい。
集会でよく星の話をしてくださるので、私の知っている範囲で治療に来た子供たちに話すと、うれしそうに聞いてくれる。
冬の星座のことや金星が「宵の明星」になったり、「明けの明星」になったりすると教えてあげると、私の変わりに見ると言って、夜「約束通り見たよ。とってもきれい、輝いているよ。」と電話をくれたりする子もいる。
ある日、8才の女の子とこんな話をした。
「私ね、お空のおまもりをもってるの」
「ふーん。どんなの?」
「首にかけてるの。さわってみて。」
と、見えない私にさわらせてくれる。三日月の形をしている。とうめいでそのなかに小さい星がいっぱい入っているそうだ。
「お友達にもらったんだけど、持っていくのを忘れたり、どこにいったかわからなくなることもあるから困るの」と真剣に言う。
「私もおまもりではないけど、いいもの持ってるよ。」と言うと、
「へー、どんなの?みせて?」
「あ。残念、見せられないの。心のなかにもってるから。それはイエス様なの。イエス様はね、私たちを見ていてくれるんだけど、つらいことや悲しいこと、困ったなと思うとき、イエス様って呼ぶと心のなかにいて聞いてくれるの。お祈りするの。そうしたらとてもいいようにしてくれたり。どうしたらいいかなと思うことの答えを教えてくれたりする。何でも思うとおりにはしてくれないけど、じーっと聞いてくれて、自分が悪かったことを教えてくれたりもするよ。」
「それ誰にもらったの?」
「神様から。神様を信じたらもらえるの。あなたのことイエス様にお祈りしておくわね。守ってくださいって。お空も神様が造られたのよ。あ、そうだ。今ね、火星がとても赤く輝いてるから、夜9時半ころ南東の空を見てごらん。その右に蠍座も赤いのがみえるよ。」と話して別れた。
夜、9時半過ぎに電話がかかってきた。
「今とってもよく見える。赤くひかってる。赤いから火のようだから火星なのね。右よこの蠍座も赤く見えるよ。」と、はずんだ声が聞こえる。
そして、「あのねー、私ね、イエス様にお祈りしたの。学校に行くとき、困ったなと思うことがあってね。そうしたらとてもよいようにしてくれたの。」
「そうだったの、よかったね。また、会ったらお話ししようね。ありがとう。さよなら。」
こんなちいさな出会い、そんななかにイエス様がともにいてくださり、イエス様が心に入ってくださるようお祈りしまく。
夜空にも心にもいてイエス様
見つめ聞かれて応えてくれる
短歌
東京 A.M
☆ 水無月に主の栄光をあらわして
すがしく清くあじさいの咲く
☆ 親のこと気遣いくれるひとり娘の
成長うれしき今日の玄関
わたしはあなたにつかえよう
わたしはあなたにつかえよう
なぜならわたしはあなたを愛するから
あなたはわたしに命をくださった
わたしは無であった
あなたがわたしを見いだしてくださるまでは
あなたはわたしに命をくださった
心の痛み 弱り果てた人々
破滅してしまった人々達
それがあなたがカルバリの丘で死なれた理由なのだ
あなたがわたしたちの心にふれてくださることこそ
わたしが強くのぞんでいること
あなたはわたしに命をくださった
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教会学校の思い出
Y.N
小学校低学年の時、学校の帰り道に教会学校がありました。
小さな小屋のような家に、土曜日に子供たちが集まります。
何がきっかけで通いはじめたかは忘れましたが、献金の10円を持って喜んで通っていました。
優しい女の先生が、聖書の話をしてくれます。
7度を70倍許すはなし、病気の友人を屋根からイエス様の元へつるすはなしなど。
ともしびをかかげる話の時は、実際にろうそくをかかげて教えてくれました。
「一致」という言葉を大切にしていて、壁にはぶどうの絵を貼り、ひとつひとつの房にはみんなの名前が書いてありました。
宿題の御言葉を覚えていくと、綺麗なカードが貰えます。
3節くらいの長い御言葉を、一生懸命覚えました。間違っても、カードは貰えます。
聖歌隊に加えて貰って、大喜びで讃美歌を歌っていました。
今思えば、カトリックの教会学校だったと思います。
素朴で、熱心な先生でした。
子どもならではの興味や喜びの気持ちを、懐かしく思い出し、そこへ行かせてくださった神様に感謝します。
夏の思い出
H.N
私は夏が好きだ
夏が来ると思い出すという歌があるけれど、いつも夏が来ると私の原風景に出会う。学校からの帰り、いつもは友だちとワイワイ騒いで帰るのだけれど、記憶の中の私はいつも一人だった。長い長い草むす道のりを、小さい私は、てくてく歩くのだった。夏の空、入道雲、砂ぼこりのするでこぼこの道を、当時はやっていた赤いゴム草履をはいて。焼け付くような地面に目をやるとめまいがするほど眩しい。草も暑さでぐったりとなっている。時々キリギリスが鳴いている。塩からトンボが元気に葉っぱから飛び立つ。そんな中で、人生とは何なのだろう。私はこんなに幸福でいいのだろうか。私の未来はきっと、神様が守ってくれて驚くような幸運に恵まれるだろう。この果てしない山から出て見たことのないような人生を歩む筈だと漠然と未知の世界に憧れ、山の尾根や高い空の向こうに未来が開けているようなまぼろしを見ていました。
また、家族が働きに出てひとりぼっちになったひんやりと涼しい家の中で夏休み、油ゼミの声やひぐらしの声をのんびり聞きながら、寝そべって本を読み幸せ感に浸っていました。涙ぐむくらいの幸福感、一人が好きでした。いつも自分の中にいてくれる神様と対話をしていました。畑から帰ってきた母は桑ふぐりの実やいちご、ミニトマトなど私を喜ばそうと取ってきてくれます。何をどのくらいしなければならないというせっぱ詰まった感がない農家はのんびりで、今日出来なくても明日があるというふうに家族みながのんびりしていました。弟たちはいつもどこかに遊びに行って家にいる事はほとんどなかったけれど、私は友だちと遊ぶ約束をしていてもすっぽかしていつも一人を好みました。じっとする事に飽きたら、山や草原に出かけます。植物が好きだった私は、野の花が咲くのを見るのが楽しみでした。草むらの中にナデシコも咲いていました。もっと目立たない小さな草花の一つ一つもかわいく、ここにはこんな花、山にはこんな植物と葉っぱの一枚一枚に目を留めて歩く道はとっても楽しいものでした。誰もいない所を好んで歩くので、人に会うという事はありませんでした。泉の前で赤トンボを見たり、イモリと遊んだり、歌を歌ったり、神秘な世界の奥へ辿っていくように心の世界で遊ぶ時間は過ぎて行きました。
まるで王子様になったように。(女の子なのになぜかお姫様にはなりませんでした。)
少女の誰もが思うように、私も思っていました。私は特別な女の子で、きっともっともっと幸せな未知な世界が開けるんだと。
でも、私の未来は夢見たようなものではなく、仕事に追い立てられ外面の幸福を失ってしまい、心で遊ぶ世界が逆作用して、内面もそれにつれてボロボロになりました。今度は私くらい不幸な人間はいないだろうと思うようになりました。ようし徹底的に苦しんでやろう。この不幸のどん底に何があるか見てやろうと不幸に身を任せました。でも私はちょっぴり自意識過剰というだけで、勇気も力もありません。反抗も知れたものなので、枠をはみ出すという事は願っているようには出来ず、端から見たら普通の平凡な女の子した。そんな中で主に出会い、主の導きを受けました。地味で見栄えはないかもしれないけれど幸福な結婚もして子供も生まれました。内面も主に整えられてきました。望んでいた身障の施設で働く道も与えられました。その施設で働く事が天職だと思い、一生懸命20年近く働いてきましたが、なぜかこの前までそこに勤めていたのに記憶に薄く、白っぽい風景が広がっています。あんなに一生懸命、捧げ尽くすように打ち込んできたと思っていた世界が不思議なほど小さなものだったとは。今、記憶はそこを飛び越えて、ママの店のレジで働いていた頃、そのもっと前の子供が小さく毎日買い物かごを持って近くの八百屋やパン屋に行っていた頃。つわりで苦しかった頃、もっと前のあの夏にいつも体験していた小さな女の子の私。夏が来ると心はその原風景に飛び越えて行きます。今の自分と重ね合わせて、今、こんなに主よ私は幸福にされました。みんな主のお陰ですと、言い尽くせない感謝を覚えるのです。子供の頃のように、蝉が鳴き、トンボが飛び、夏草がむせ返るような環境に身を置いて、私の神様はやっぱり私をここまで導いて下さったと思うのです。
主に信頼している人生ほど素晴らしいものはないと、そして苦しみに出会った事は私にとって良いことだったと、心から思います。
これからもどんな事が起こるか分かりませんが、主に信頼して天国まで導かれていきたいと思います。
あとがき
H.N
今回の編集は、気持ちが定まっていなかったせいか、とても手間取りました。集中力にまったく欠け、何かにつけて散漫でした。
別のものにとらわれていて、心ここにあらずっというように日々が過ぎていきました。
星空の元に祈りに行っても、「主よ、主よ」と叫んでも、心の焦点がしなければならない、現実の世界と合わず、ただただボ-ッと時間が過ぎていきました。
やっと、食べられるようになり、眠れるようになり、心もしっかりして、自分が帰ってきました。しなければいけない事も見えてくるようになりました。
気が付くと、大好きな夏になっていました。
青空が美しく、蝉の声も、鳥の歌も耳に入ってくるようになりました。
疲れていた細胞にみずみずしい水分が行き渡っていくのを感じます。
主よ、ありがとうございました。「ともしび」もこうして、みなさまの記事が集まり、編集が終わりました。
感謝です。8月4日、5日には近畿地区の集会が控えています。
祈りの内にその日を迎えようと心は整えられていきつつあります。
この小さな「ともしび」誌に油を注いで下さった、原稿を寄せて下さった方に本当に感謝です。
暑い夏、皆さまお元気でお過ごし下さい。
感謝しつつ、シャロ-ム。
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