証し「クリスマスを祝う」
T.S
感話を与えられて感謝します。今日聖書のことを話したいと思います。ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主なるキリストです。(ルカ2章)
私はすごく喜びます。毎年、毎年クリスマスが近づくと、私は不思議に心が喜びます。どうしてだろう?
朝起きて、どうして心が喜ぶんだろうって、思ったときに、「あっ、そうだ、イエス様がお生まれになったクリスマスがやってくる」といつもいつも心が喜びます。そして、夜、星を見て、「イエス様、この星素晴らしい。いつもの冬はもっと、もっと星が輝いています。とてもうれしい、イエス様がこの世に来られたそのクリスマス、私は熱く、熱くなります。それを皆さんに伝えたくて、クリスマス集会にあっちこっち、あっちこっち讃美歌を歌ったり、証ししたり、のべ伝えます。うれしいこのクリスマスです。
こどもたちへの紙芝居
不思議な声
K.K
あるところに、桃子ちゃんという女の子がいました。桃子ちゃんは、ちいさな女の子でした。
じつは今日、桃子ちゃんは不思議な体験をしたのです。
桃子ちゃんは、毎日、とても悲しい思いをしていました。いじめっ子がいて、毎日桃子ちゃんをいじめるのです。おまけに、桃子ちゃんのお母さんは病気で最近いつも寝ています。そして苦しいときは、辛そうな顔をして桃子ちゃんとお話もできません。
この日、桃子ちゃんはいじめられて悲しくて、部屋でしくしく泣いていました。ひとりぽっちでした。
辛くてしくしく、しくしく泣いていました。泣いていると、突然、何だか前が急に明るくなりました。
でも涙でにじんでよく見えません。不思議に思って目をこすってよく見てみると、いつものお部屋がなんと、広い野原になっていました。小川が流れ、鳥の声がしています。風が吹いてきました。
驚いていると、風の中から声がしてきました。「桃子ちゃん、桃子ちゃん。」「はい。なあに?わたしを呼んだのはだれ?」だけど、まわりには誰もいません。誰もいないのに、どうして声が聞こえたのでしょう。「桃子ちゃん、わたしは目には見えないんだよ。でも、いつも、桃子ちゃんのそばにいます。」
「目に見えないのに、わからないよ」桃子ちゃんは風の吹く方に向かって言いました。「桃子ちゃん、わたしは、目には見えないけれど、この空も、花も、そして、桃子ちゃんも、わたしが創りました」「わたしをあなたが創ったの?あなたは神様なの?神様、お話ができるの?」桃子ちゃんはびっくりしてしまいました。「目には見えない。でもわたしはいます。桃子ちゃん、いつも、わたしは、桃子ちゃんを見ています。大切に思っています。桃子ちゃんのことはずっと、全部知っています。」桃子ちゃんは、いじめっ子やお母さんのことを思い出しました。「桃子ちゃん、元気になりなさい。わたしは神様だから、なんでもできる。わたしは、いつでも、あなたをまもっている。だれよりも、いちばん大切に思っている。あなたは、わたしが創った大切な命。わたしの方をみてごらん」風が吹いて、スミレの花がゆれました。不思議な声は、やさしくて、桃子ちゃんのこころは、ぽかぽか暖かくなりました。「泣かなくてもいいんだ。」桃子ちゃんは、涙を拭きました。とたんに川が消えました。野原も消えました。いつものお部屋になりました。でも、桃子ちゃんの心の中には不思議なやさしい風がふいています。
「ごはんですよ」おいしいにおいと一緒に、おかあさんの優しい声が聞こえてきました。「お母さん、きょうは苦しくないんだ。」
夢を見ていたような気もするけれど、ほんとのような気もする、ふしぎなできごとでした。でも、やさしい神様の声は今でも心に残っています。「わたしの方をみてごらん」桃子ちゃんは目を閉じて、小さな声で呼んでみました。「神様。」桃子ちゃんの心の奥に、ちいさな火がともりました。
証し「いのちの里の事」
T.N/I.M
いのちの里今まで、でいろんな問題がありましたが、この1年間でほとんどの問題が解決されました。
まず、1年前のことからもう1度新しく出発するということで、相談して、Iさんがまず、今度の出発にはキリストを土台として始めるということで皆さんに宣言をいたしました。その後いろいろ悩んでいましたけれども、神様が協力者も与えて下さりたくさんあった問題も良き方向に進んでいます。その事を今日はこの1年間、いのちの里についてくださったそれらの事を感謝して皆さまにもお礼を申します。
続いてIさんにもお願いします。
Iですが、今、Tさんが言われたように、いろいろありましたが何とかキを土台にして新しく出発でき、順調に認可に向かって進んでいます。これも、また、祈りがあったお陰だと思います。ありがとうございました。聖句にも「わたしの名のもとに集まるところにはわもまたいる」というマタイの18の20にあります。これからも常にイエス様が共にいてくださるような作業所にしていきたいと思っています。障害者のどのような障害でも命というのは神様が与えて下さった同じ命でまた平等であると思いますので、神様と共にある作業所を作っていきたいと思っています。これからも皆さまの祈り、またご協力をお願いいたします。ありがとうございました。
続いてIさんにもお願いします。
Iですが、今、Tさんが言われたように、いろいろありましたが、なんとかキリストを土台にして新しく出発でき、順調に認可に向かって進んでいます。これもまた、祈りがあったお陰だと思います。
ありがとうございました。
聖句にも「わたしの名のもとに集まるところにはわたしもまたいる」というマタイの18の20のみ言葉があります。これからも常にイエス様が共にいてくださるような作業所にしていきたいと思っています。障害者のどのような障害でも、命というのは神様が与えて下さった同じ命です。
また神様にあって皆平等であると思いますので、神様と共にある作業所を作っていきたいと思っています。これからも皆さまの祈り、またご協力をお願いいたします。ありがとうございました。
証し「椎間板ヘルニアが癒されて」
K.H
私は人前で話しをするのはとても苦手で、感話の時なども思っていることがあっても次ぎに回す時があります。だからクリスマスで話しをしてくれますかと言われた時私のような者が話しをしていいのかしらと少し不安になり後ずさりしましたが、「イエス様の名前知ってますよねー」と言われて「そうだった。
神様がして下さった恵みを聞いていただこう」と思いました。
私は四国集会から帰ってきて、2~3日してから急に足が痛くなって、6月2日鳴門病院に入院しました。椎間板ヘルニアという事で手術が必要だと言われました。
以前から、坐骨神経痛だと言われ、治療していたのですが、2~3年はあまり痛くなかったので忘れていました。急にこんなになるなんて夢にも思いませんでした。足がしびれて重くてなかなか歩けないし、夜も痛みのために目が覚めてしまいます。治療をしてもあまり良くならないのでこれからどうなるのだろうと不安になりました。
手術せずに治るのであればと思っていたのですが、6月16日手術をすることにしました。その日「神様あなたのみ手に委ねます」と言って手術に臨みました。
手術は成功、その後も順調に回復して7月13日退院しました。入院中はお見舞いや、励ましの手紙、お祈りなどしていただき本当にありがとうございました。手術の時は特に覚えて祈って下さった兄弟、姉妹の皆様には深く感謝しています。
入院中は難しい問題もおきましたが、心をあまり乱されることなく、心に平安が与えられて感謝でした。何もかもうまく行って成功した時より、いやな目にあったり、苦しい目にあった時のほうが多くの事を教えていただけると思います。手術で10日ほど身動きができなくなった時、自由に何でも自分でできていた時、歩けるのは当たり前だと思って歩ける事に感謝の気持ちはなかったと思います。
神様を信じていると言いながら、何と不平、不満の多かったことだろうと思います。数えてみたらこんなにも多く恵みを与えてくださっているのにわからなかった。
ヒルティの「眠れぬ夜のために」の第1部、8月15日のところで「人はただいつも良いことをしようと心がけるべきである。考えがその方に向けられていれば、つねにその機会は見つかる。絶えず不平ばかり並べて、我慢できる境遇にさえ決して満足しない人たちに対して、彼らがまだ良くなる見込みがある限り神はもっと大きな苦しみを与えられる。それは、彼らがどんな生活にもある小さな避けがたい困難と、そのような大きな苦しみとの違いを知って将来どんな幸せにももっと感謝するためである。」という箇所を読んで、いつも良いことができるよう心かけたいと思いました。
そして、聖書の学びでは、ヨハネによる福音書3章16節、「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠に命を得るためである。」というところを覚えておきたいと思いました。
今年は試練の年でしたが、それも恵みに変えられて感謝です。
神様に言い尽くせぬ感謝と祈りと讃美を捧げます。
証し「日本に来て」
S.I
私は今年の10月に日本に参りました、許です。自分が信仰を持ってこの何年間何か変化があったかと今日考えながらクリスマスの今日に皆さんとお話したいなと思って、参加しました。へたな日本語で通じないかもちょっと心配ですが、聞き取ってください。
私は大学の4年生の時に、教会に足を運びました。なぜ、若いときに教会に行くようになったかと今考えるとそれなりの理由があったと思います。大学の4年生の時は私にとって試練があった1年でした。
4年生の時に社会人になるのがすごくこわかったのです。自分自身に社会人としての自信がなかったのと、親友とのトラブルがあってすごくつらかったのです。それ以外にも、自分がずっと持っていた価値観とか、世界を見る目とかが間違っているかなと気になりました。すごく、4年生になったのがつらかったので、なぜ自分が生きているか?何のために生きているのかと考え出して、生まれて初めて死という事について考え、私は死ぬために生きているのではないかと考え、そうしたら生きる事は意味がないのではないか、明日死んでもいいのではないかという事も考えて自然に教会に行くようになりました。
そして、教会に行って何かさがそうと考えて、教会に足を運んだのです。
でも、やっぱり、教会は教会なりの文化とかがあって、初めは自分と合わないなという気持ちでした。
牧師さんが何を伝えているかも聞き取れなかったし、教会に入った1年間は最もつらかったかもしれません。なぜかと言えば、何もわからないままで生活していけば、このままですむのですが、何かをさがそうとか、何かを求めて教会に行き、求めても与えられない気持ちは教会に行かなかった時の気持ちよりつらいと私は思いました。でも1年間はずっと通いました。イエス様って誰?とか、何で信じているのか?とかずっと考え、自分が理解する事ができなかったのです。1年間は信仰の面でも揺れていました。でも1年間ずっと行って、いきなり行かなくなる事はできませんでした。
自分の人生で一番苦しみが強いときに、日本から帰った朝鮮族の先生に、私も朝鮮族で中国に住んでいるのですが、その先生はすごく良いクリスチャンで家族みんなが良い信仰を持っていました。先生は教授ですけど、人格が良く先生の家族と一緒に住むようになりました。私の行っている大学の教授なので一緒に住む事になり1年間感じた事は信仰というのは何かがはっきり分かったと思います。あの先生に逢って本当に良かったなと思うのは、信仰って私が感じたように何かを求めるとかでなく自分を捧げる事ができるのが信仰で、先生と一緒に住みながら、3つの事についてはっきりするようになりました。この世の中、一つの家族は一つの家族なりのルールとか秩序があるように、一つの国も秩序があると思います。この世の中私の目には見えないのですけど何億年か何千億年にどんどんと進んでいるのは、私たちの目には見えないけれど、神様が作った創造的な秩序があるのを私は確信します。これは私の信仰の一つです。なぜ私、教会に行って1年間こんなに悲しい事、つらい生活をしていたのかと思えば、自分自身が自分自身を捨てるとか、自己中心で教会に行っても心は行かないでイエス様とか神様とかが私の心の中心にいなかったと思います。自分自身を否定するとか自分自身を捨てるとかこういう事が私は嫌で「何で自分自身を捨てるのかとか、自分を否定するとかが理解することができなかったのです。これは死ぬと同じだと考えたのですけど、自分自身の罪という事について分かるようになったのだと思います。昔は、罪っていうと人を殺したり、法律に違反したら罪だと思っていましたが罪って人間の心の姿勢だと思います。だから、母とかに愛されている事が分からない事自体も罪です。私恥ずかしいのですが、ずっと母と良くつき合うことができなかったのです。性格的な事があると思うのですが、あまり優しくない母は嫌であってこう思うのが罪だっていう事が分かりました。これは全部罪だなってだって自分の母でないかと。なぜ私が罪ばかりの人間かという事を段々認めながら、人間は罪の人間だからこういう罪を救ってくれる神様がいるんじゃないかっていう事が二つ目に分かるようになりました。
第三番目の事は、イエス・キリストは誰かと、私が信じているのはどんな人か?
私たち人間は皆罪ばかりの人間だから、人間を罪から救われる必要があるんじゃないか。たとえばこちらに川があるとすると、神様は川の向こうで、私たち人間は罪があるので川の向こうの神様の所には行けない。だから神様に会うには橋が必要だが橋の役割をしているのが、イエス・キリスト様だと思って、こういう罪ばかりに人間を渡されるのがイエスで渡して下さる方がいなければ神様の所にはやっても行くことができない。聖書の言葉でも正しい人間は信仰一つで生きると書いてあるので、イエス様を信じていれば神様の所に渡れるので神様とイエス様はこういう関係じゃないかなと思え神様を信じる事ができるようになりました。
この3つの点についてはっきりして今は明日死んでもイエス様を信じるようになったと確信する事ができて楽しくなった。なぜ生きているのかが分からなかった時のように悲しい事がないのです。
日本に来て、日本に来るとき、自分の教会で一緒に生活していた友達が心配ばかりして、「日本はキリスト信仰の砂漠だからどうなるか」と心配ばかりしてくれた。私もたぶんそうだろうと思っていて、来たばかりですぐに教会を捜したのです。教会に行ったときに今までの教会と違うなと思ったのは、今まで朝鮮族の教会に行っていたのですが、にぎやかで、それは友達が大勢いたのでそういう気持ちだったのかもしれませんが日本に来て本当に静かなと思ったのですが、段々自分が考えたのは「手紙でもあなた大丈夫っと書いてくれるが「大丈夫だよ」っと書いている。なぜかというと日本は雰囲気的には良い雰囲気を持っていると感じます。こんな静かな雰囲気の中で、本当に神様と自分の1対1の関係をしみじみ感じながら、黙想とかはあまり中国ではしないがこういうのはいいなあと思って神様と自分の関係をしっかりすることができるので本当に大丈夫だと今手紙とかに書いています。こんなに愛に溢れたこの教会があっていいなと思うし、自分がちょっと日本の若い人たちに望む事は若い人達が教会の中で少なく自分が日本に来て教会を捜すときに、私の知り合いの日本人ですけどちょっと私に「日本の若い人達はべつに宗教という事に関心はないし、宗教活動はしないとぱっと言われてすごく悲しいと思いました。実は聖書を読まないし、宗教って何の事って聞きたかったのですけど、何の事かも分からないのに反対したり触れたくないという気持ちが悲しい。今の日本でもいろんな問題が生じているがこういう社会だからこそ、信仰が必要じゃないのですかと思っています。自分なりに日本の若い者の為にも何かすることが出来るんじゃないかな思っています。これは私たち若い者の全部が一生懸命しなければならないと思います。
証し「小学校で話したこと」
T.E
私もこの1年を振り返ったら、いろいろな人との出会いがたくさんありました。その中で特に心に残っていることをお話します。
思いがけない神様からの導きで、小学校3年生の子供さんの所で私が目が見えなくなってどんなふうに苦しいところがあって、それを乗り越えてきたかということをお話してくださいと言われました。祈っていた事とつながっていたのでその事は神様からの示しと思って、難しいとは思ったのですが、受けることにしました。そして、返事をしたもののとっても不安でした。神様の事を抜きにしてその事は語ることができません。私が見えなくなった時には、とっても苦しくて真っ暗になっていたので、そこに光としてイエス様が来て下さった事が話して、これを子供さん達に言ってわかってもらえるかなあと思って当日まで不安で祈っていました。
約束の少し前に学校に行きました。集会の姉妹も参加し、手話とかの役を受けていました。
始まるまでの間、学校の校庭の片隅にある、切り株のような形をした椅子に座って3人で祈っていました。「どうか、子供さんたちに少しでも神様のことが伝えられるように。自分の余分なことが語らなくても良いように」といろいろと祈っていました。初めは静かだったのですが祈っている内に子供たちの休み時間になって、子供さんたちが校庭に出てきました。いつのまにか、子供さんたちが、私たちの祈りを囲んでいて、祈り終わったら、私たちと同じように「アーメン」と近くの子が言ってくれました。
「今日ここでお話しするけど大丈夫かなあって心配してお祈りしていたのよ」と言うと、ちょうど私たちのまわりに集まってきていた子供さんたちは、小学校3年生の生徒さんで「心配しなくても大丈夫だよ」っと言ってくれました。すでに先生から聞いていたのか、私の名前も言ってくれて「質問も考えてるから」と言ってくれました。神様がどんな形にしても共にいて下さってこれからの時を守って下さるとその時思え、この3人の祈りが神様のところに届いていたことに驚きました。校庭で祈っていた姿も子供達の中に残ったと思います。お話はどれだけ伝えられたかわかりませんが、すでにその時に祝福があって私はイエス様のことも伝えることができて、少しでも子供さんの中に少しでも神様の祝福が流れていったことを信じて、その時を終える事ができました。
証し「生きて働く主」
T.Y
私は小さい頃から人前に出るのが苦手でした。学校でも発表するのがいやで、先生という人は、雲の上の人であまり話しかけたりしてはいけないというイメージがありました。
誰とでも話すということはできなく、気が合う人であれば、その人だけに、心をゆるして良く話しをするという小心者でした。
ところが、Tさん宅の家庭集会に行くようになり、少しずつですが、自分の中のイメージが段々とくずれていくのが分かりました。
私はいろんな人と話しがしたい、何かやってみたいと思うようになり点字や手話を習うようになりました。少しずつですができるようになってきた時に一度徳島聖書キリスト集会に行ってみたいと思うようになりました。けれども、私には行く勇気がなく、頭の中で縁がない、ほど遠い場所だと思っていました。でも、私は自分から進んで徳島聖書キリスト集会に田宮の集会に行こうと思いました。その時に神様からの導きがあったと私は思っています。
初めて参加した時は、すごく緊張しましたが、少し話しができ、楽しく過ごせました。また、来週も行きたいと思う反面、私の心の中の私が、「私みたいな者が来てもいいんだろうか。難しい勉強だな、わかるかなあ」という不安が頭の中からなかなか抜けませんでした。Tさんから、自分が初めて徳島聖書キリスト集会に行った時の話しを聞いたり、家庭集会でYさんから集会の事を聞いたりしました。
私は今までの不安がなくなりました。その時に何か大きなものが手を広げて待っていてくれそうな気がしました。私はその時、自分自身に神様が私を導いて下さっているという事がわかりました。私は間違った神様を信じていた私を少しずつ変えられていることがわかったような気がします。いろいろな催し物に参加させていただき、その中から、神様の恵みをいただき、そして私にとっては最大の勇気をいただきました。本当に徳島聖書キリスト集会に来て良かったと思っています。
それと、今まで勉強した中で、人間的な付き合いはすぐにくずれるけど、神様との付き合いは切れることがないと教えていただき、私の心の中にずっとしまっておきたいです。
証し「平和憲法を守ろう」
T.K
今世紀を振り返っての感想ですが、多くの事件、事故などの報道をいろいろろと見てきました。最も大きかったものとしては、2度にわたる大きな世界大戦であると思います。このフィルムは毎年、夏の8月頃に写されますが、いつも心を痛めます。特に讃美歌21の398番では「二度と、このような事がおきないでくれ」というように歌われております。この曲は特に韓国の曲ですが、実際韓国は日本の植民地下に置かれ、多くの犠牲者を出すような結果にもなりましたが、その意味で二度と、このような事が起きないようにという切実な願いがよく分かります。次の21世紀に守っていきたいことは、今制定されている憲法をずっと守り抜いていくことかと思います。現在、憲法の改正問題など多くの問題が山積していますが、次の21世紀こそ永久の平和であることを共に祈っていきたいものです。
このような事を、次の21世紀にも語り伝えていきたいと思います。
証し「祈りについて」
T.K
私は今年1年の中で一番心に残った事を言います。祈りという事をいっぱい考えていたのですけれど、祈りという中でいろんな事を教えられて、その中の一つですが、まるきり植物人間になった方のところにお見舞いに行ったりとか、仏教のお葬式に行ったときに、その人の事や、また亡くなった方のことを祈っていた時に、祈ってもこの人たちは何もわからないとか、何になるんだろうとと思っていた事がありました。
その頃に祈りというのはその人の魂に呼びかけるものであって、その魂が受け止める魂と魂の結びつきという事を教えていただいた。それを学んでから葬儀があったり、また病気でずっと意識がない人の所にいってもその魂は生きているからその魂に呼びかける祈りなんだっていう事を学ぶことができました。葬儀にあってその人の魂が救われるようにと祈る事は決して無駄でない、その魂は神様が受け入れてくださる事を確信しました。そして祈りは決して無駄でないという事も教えられました。信仰とは、ヘブル書にありますが、「信仰とは望んでいる事を確信し見えない事を確認する事である。というみ言葉がありますが、祈ったからこうなるというのではなくて、その人の魂に呼びかけ触れていくという事を学びました。そして、他にも祈るっていう事からいろいろ教えられています。2001年には祈る人になりたい。でも自分ではなかなかなれないけれど、神様に祈っていけばそれはなれるという事を信じていきます。
証し「過ぎた一年をかえりみて」
T.T
主の御名を讃えます。今年1年を振り返ってみて感じたことは、今年1年苦しかったこと、悲しかったこと、つらかったことがいっぱいあって心が閉ざされていました。そんな時、寝たきりのおばあちゃんの所へ行きました。おばあちゃんにイエス様の絵本を見せて、話しました。そしたらおばあちゃんが、突然、「私もイエス様を信じて歩いてみようかな」と言いました。私はその時、喜びで満たされて、空しさがなくなりました。もう一つは私は罪深い人間とわかっていても、本当はわかっていないところがありました。
ある日ある人を通じて、私は罪深い人間だと教えられて、とても苦しかったです。ある先輩にお願いして「祈って下さい」と言いました。しばらくして、その人が元気で帰ってきたことを知り、私は罪深い人間だけどその人を通して神様は教えてくださり感謝しました。今年1年学ばされた事たくさんありました。神様感謝します。
短歌
I.M
☆ 曇り空雨になっても晴れてでも
み心に任せ安けし心
☆ 一杯の粥さえ食めぬ人思い
山となりたる生ゴミを捨つ
☆ 試みは今のひととき枯れ草の
下に芽吹くは春の草花
☆ ほんとうの吾れを知るは主のみなり
人の批判に背を向け祈る
☆ 十字架につけし我らを赦し給ふ
イエス倣いてあの人赦す
☆ みんな皆主に生かされて生きている
小さき者もひとつの命
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短歌
東京M.A
☆ しんみりと空を仰ぎし吾一人
亡き母の住む御国慕いて
☆ 水仙の咲きて過ぎゆく如月(きさらぎ)も
主のお恵みを覚えし平安
☆ 寒風に勝ちて咲きたる紅梅に
春の近しと御国を仰ぐ
☆ 如月に優しく匂う梅の花
静かに拝す慈愛の神を
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日記「主の導きを信じて」
N.H
12月19日(水)
今日職場で、事務所へ来て下さいと呼ばれた。
今まで、良いことでも、悪いことでも呼び出された事のない私は「何かな?」と急いで事務所の園長の所に行った。
話しを聞くと、今度のケアハウスとグル-プホ-ムの方にYさんを所長として私とKさんが行くことに決まったという事。1月からそちらの方に行って下さいとの事。
後で話しを聞くと、私はグル-プホ-ムの方に配属らしい。祈って神様に助けていただかなければ。
12月20日(木)
私の仕事が変わるという事が朝会で発表されると、職員が色々心配して聞いてくれる。
今まで仲良く助け合って働いてきた仲間。寂しい気がする。
入園者も長い人では家族以上に20年近く共に暮らしてきた。泣いたり、笑ったり失敗してあきれられたり色んな事があった。「寂しい」と泣いてくれる人には「辞めるわけではないので、また遊びに来るから」と慰める。
書類や自分の担当の入園者の衣類の整理、不足しているものがあれば買い物もしておかなければならない。次の人が困らないようにきちんとしておかなければ。このように別れる日が来るのなら、もっと入園者にしっかり関わっておけば良かった。あまりにも忙しい仕事、全体の処遇に追われて一日があっという間に終わってしまう。一人一人の話を聞く間が余りなく、「話しがしたい」と言ってくれても、「夜勤の時部屋に行くわ」と言いつつ、夜勤は夜勤で忙しく、ちょっと部屋に行って「忙しいのでさようなら」とすぐ出てきてしまう。「祈りに来て」と頼まれても手をとって祈って祈りが終わるとすぐ出てくる。立ち止まっている間がないのである。
ゆっくり話しをしようと思ったら、勤務時間が終わってからという事になり、それが私は出来ていなかった。勤務が終わったら、たいてい私はあたふたと帰ってきていた。ご免なさい。話しを聞いて欲しい事がいっぱいあっただろうのに、間を作らなかった私、今となったら後悔する。
神様ご免なさい。入園者が主を信じて、兄弟姉妹になっても、後のフォローがなかなか出来なかった私。
主よ、これからも有誠園の入園者の方々と私がつながる事ができ、特に少数の信仰を持っている方とのつながりが続いていきますように。
2001年1月1日(月)
新年の礼拝が6時半からあり参加。イザヤ書30章を通してY兄がメッセージを語って下さった。
新年最初に受けたみ言葉。「お前たちは、立ち帰って静かにしていれば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある。」15節「主はあなたの呼ぶ声に答えて必ず恵みを与えられる。主がそれを聞いて直ちに答えてくださる。」19節
主の道は何と幸いなことか。色々な事があっても、必ず恵みを与えてくださるという約束が与えられているのだから。
今年も静かに主に信頼していよう。
1月2日(火)夕拝
夕拝に娘の陽子と共に参加できた。神戸でいるのでめったに参加できないY子だが、集会の兄弟姉妹の笑顔に迎えられて、自分の所属する集会に行くとホッとすると喜ぶ。また申命記2章の難しい所も説きあかしでよく分かり自分に特別に与えられる御言葉があったと言う。信仰を育てて下さっている主に感謝した。
1月4日(木)
今年の仕事が始まった。新しいグル-プホ-ムに出勤。建物だけで何にもない。まず掃除道具から買って、お掃除をしなければ。建築業者の手垢などでよく汚れている。この建物に利用者の方に住んでいただけるのはいつの日になることか。まだ全然予定がない。きっと主が導いてくださると信じる事にしよう。
1月7日(日)主日礼拝
主日礼拝に参加する事ができた。今年は年末から年始にかけて4日連続で集会に参加する事ができ、御言葉に養われている事を感謝。そして今日も、今年はじめての主日の礼拝に参加でき感謝。
創世記4章の難しいところも、、丁寧にかみくだいてメッセージをくださることで神様のご意志が伝わってくる。神様はカインが罪を犯した時も、「どこにいるのか」と罪から引き上げるために呼んでくださった。神様の悲しみが伝わってくる。主がいつも先に捜していてくださる。罪をおかして隠れないように。主から遠くへ行かないように、しっかりと主にすがっていきたい。
1月13日(土)
今日は京都のHさんの家でK集会が行われている。誘って下さったが、明日は私の仕事場の開所式のため参加できなかった。心は朝から京都へ向かう。開所式の準備のため遅くまで仕事があった。きっと私の仕事の事でも祈ってくださっている筈と心強かった。
でもでも、今までの人生でこれほどつらい思いをしたことがないほどつらい体験をしてしまった。
やがてそれは主からのものと分かった。このような事がなかったら深く耕されることのない固い石地。
主が手を入れて下さった。桂坂で祈って下さった祈りがきっと聞かれたのだ。祈りが聞かれるという事はうれしい事ばかりではない。辛いこと悲しい事を通してこそ分かることもある。主よ、本当に感謝です。
1月14日(日)
主日だが礼拝に出席する事ができず。今日は開所式。昨夜は眠られず、涙が流れて仕方なかった。涙の中で、主を近くに感じて温かかった。主がいて下さる。パ-ティも無事終わり開所式も終わった。これから出発なのだ。とりあえずは、主がここでガンバレという事らしいので、悔い改める所は悔い改めて成長させていただこう。福祉という、人々にご奉仕する立場の人間として、主に備えさせていただこう。主よ、導きを感謝です。
1月19日(金)
知り合いの病院の事務長さんが、グル-プホ-ムに入る人を紹介するので来て下さいとの事。やった-、主が利用者さんを与えて下さったのだ。
もうじき退院だが、家庭で面倒見る人がいなくて困っているとのこと。94歳のおばあちゃん。弱々しい消え入りそうな方であった。預かって大丈夫かなと不安だ。でも、家には連れて帰れないので、是非入所させてくださいとのこと。バイタル的には入院の必要がないので退院しなければならないらしい。
主が与えて下さった第1号のお客様。祈って入っていただこう。できるだけお元気でいていただこう。
主の守りを信じて。
1月21日(日)
今日は主日の礼拝に参加する事ができた。主人と一緒に参加でき感謝。帰りの車の中でお互いに受けた御言葉の感想を言い合えこれも恵みであった。
利用者さんが2名与えられ、夕方出勤し宿直。こんな日が与えられるのだろうかと思っていたのに、やっと本来の介護の仕事ができる日が来た。主よ、感謝ですと言いつつ、高齢の方をお預かりしただけに不安で心配でしょうがない。利用者さんも、知らないところに来て不安に違いない。「あなたはどなたで?」と聞いてくる。「まことの家(グル-プホームの名前)のお母さん」と答えると「家に帰らせて」と泣くように訴える。夕方、またつらい事があって私も主に祈りたかったので、「私もつらいのよ」と手をとって泣きながら祈った。すると利用者さんが「あんたはどこで寝るで?」と私の事を心配して考えて下さる。「横に寄ってあげるのでここで一緒に寝よう」と言ってくださった。温かい気持ちが流れてきて主の愛を感じた。今日初めてお会いした方でも私の寝床を心配して、半分貸してあげると言って下さる。主はどこででも養ってくださるのを感じた。
お二人の様子が気になって、また必要な書類なども整えていかなければならないので忙しく、結局朝方1時間ぐらい仮眠をしただけ。このまま、日勤に入るのに体は大丈夫だろうかと思う。主の守りだけを信じて進んでいる。
あとがき
N.H
新しい21世紀も幕明けて、はや2ヶ月が来ようとしています。
新しい世紀になったと言っても、別段何も変わりなく、報道されることは暗いこと、明るいこと、変わらない人間の営みです。
でも、主を信じる私たちには、この時間の流れの奥に、必ず、主のご計画があって、表面は何も変わらないように見えても、着々とご計画は進められていると感じられ信じられます。
目には見えないけれど、生きて働き、導いてくださる主を感じられるという事は何と幸いで、心強い事でしょう。
平穏な人生にも、いつか試練が襲って、つぶされそうになる事もあり、また病気や、老齢や、不可抗的な不幸の中に置かれますが、それらすべてに主は勝利して下さって、復活のいのちを私たちに与えて下さいました。
信じた初めの頃には解らなかった、主の偉大さや、高さ、深さが段々と分かるようになり、主は無限に偉大なお方だと認識できるようになりました。
こうして、主の素晴らしさ、導きを体験した方の証しや感想の一部を、「ともしび」に掲載できる事を幸いに思います。
今月号は、クリスマスで語られた証しが主になりました。
また皆さまの原稿を募集していますので、どんどんお寄せ下さい。
よろしくお願いします。
書いて下さった方、読んで下さる方に主の祝福が豊かにありますように。
シャロ-ム
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