ジャノヒゲ |
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表紙の字/TS カット/YN.・HN |
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まえがき HN 今年はモーツアルトの生誕250周年になるとのことでモーツアルトのことがよく取り上げられている。 この前昼食時にテレビを見ていると、ちょうどモーツアルトの番組をしていて、ある作曲家が精神的に落ち込み、とても深刻な状態になったが、モーツアルトの曲を繰り返し繰り返し毎日聞き続けていると、知らず知らず元気になって、立ち直ることができた。モーツアルトは私の恩人だと言い、モーツアルトを聞くことを勧めていた。 音楽のことはよく分からない私でも、モーツアルトのピアノ曲を聞いていると、その魂に触れる優しさに心の扉が開かれ、傷ついたところが修復されていくような感覚を持つことができる。高揚や興奮により現実を置き換える作用ではなく、静かに鎮め内側にある良いものを一緒に見つけましょうと魂の内にある善い世界に誘ってくれているように感じる。 「キリストにおいて、あなたがたも共に立てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」 (エフェソ2章4節) み言葉によっても、いつも神様はいのちのいずみに招いて下さっているのが、集会で聖書を学ぶことでわかってきた。 様々なこの世のすべてが神様につながっていることを学びによって深く知るようになった。 今年も原稿を寄せて下さり「ともしび」を発行することができ感謝です。 このような一人一人の文章や、証しがどうか主に喜ばれますように。そして主が用いてくださいますように。 書いて下さった方読んで下さる方に主の祝福が豊かにありますように。 あなたのなみだ ET あなたの今の悲しみを あなたのあふれる涙を だれも気がついていないけど イエス様はそっとぬぐってくれるよ 私もあのとき泣いたり叫んだりした だれもわかってくれない だれもこの傷みを知らないと でも、イエス様はこころを抱え込んでくれた そのまま御手のなかに包み込んでくれた 傷みのまま、 悲しみのまま あたたかな愛の御手のなかに入れてくれた 知らなかった もっと苦しみ傷んでいたのはイエス様 刺し貫いたのは私 それをも赦して 愛の御手のなかに入れてくださった あなたの悲しみも あなたのなみだも そのまま包んでくださる イエス様の愛の御手を知ってほしい すさまじい嵐 Y N キリスト教絵画の中に、ガリラヤ湖という湖の嵐の様子を描いたものがある。ルーベンス、ドラクロワ、レンブラントにその絵がある。私はこれらの本物の絵は見たことはないが、じっとその絵を見つめていると、湖の嵐の様子がいかにすごいものかがありありと伝わってくる。この画家たちは一体どういう気持ちでこの絵を描いたのだろうか。 画家自身、この嵐の中でもまれていると感じながら書いたのだろうか・・・。ガリラヤ湖の荒れ狂う波、その波と共に吹いてくる強い風、いまにも転覆して跡形もなくなりそうな魚採り用の小さな舟、舟は波をかぶって、水浸しになっている。そして一生懸命舟を守る弟子たち。もしこの絵に人物が描かれていないならば自然の驚異が伝わるだけだが、小さな舟を必死に守ろうとする弟子たちがとても印象的である。弟子たちは大声を出したり、振り落とされないように舟にしがみついたりしている。弟子たちは死がこわい、主であるイエス・キリストも舟と共にひっくり返ってしまうのがこわかったのかもしれない。そして、この絵の中のもう一人の人物、イエス・キリストに弟子たちは叫ぶ。 「主よ、助けてください!!おぼれそうです!!」 すさまじい嵐、波、風。弟子たちは自然の脅威にさらされ、恐怖におののいていたのだろう。その中で一人眠っているイエス・キリスト。私はこの絵がふとこっけいに見える時がある。弟子たちは必死に働いているが、イエス・キリストは、この絵全体に伝わる激しい嵐に似合わずなんと悠然と眠っていることか。この絵では、見事にイエス・キリストだけがゆったりと眠っているのである。 世の波風がいかに荒れ狂おうとも、このイエス・キリストの態度こそ、神の態度である。 この後、「静まれ」とイエス・キリストが言うと、「風は止み、波は収まった」。今まで猛烈に荒れていた嵐があっと言う間に穏やかになった。 今多くの闇がこの世を覆っている。このことは確かである。少し考えると、この先どうなるのだろうかと心配になるようなことはいくつも挙げられるだろう。しかし、私たちは動揺すべきでない。イエス・キリストは弟子たちに、「何故怖がるのか」と言っている。 しかし、イエス・キリストの乗る舟は絶対にひっくり返らない。イエス・キリストがこの世に破れることはない。私たちはこのことを確信している。そう、私たちはイエス・キリストの乗る舟に共に乗っているのである。いかにこの世が荒れ狂って操縦がきかなくなり、激しい突風で揺さぶられる時が来ても、イエス・キリストはこの世の支配者である。この世の完成者である。ひとつも動揺することはない。 私がこの絵を見て、たとえ実物でなくとも惹かれる理由は、絵の描かれた精神をストレートに感じ取れるからである。画家が伝えたかったことが、聖書を通してまっすぐに伝わってくる。我々はたとえその本物の絵を見ることができなくとも、この絵の精神に触れることができる。もちろん本物の絵を見ると、それはそれですばらしいだろう。力強さ、ペンのタッチなどがさらに伝わる。しかし、この絵の真の力強さはどこにあるのか、聖書の中にある。そしてそれはイエス・キリスト自身である。 (内村 鑑三所感集より) 国民の動揺なるものあり、世の牧伯(ぼくはく)はこれを聞きていわく、これ亡国の兆なりと。しかれどもわれらはその声に耳を傾けていう、神のすくいは臨めりと。一羽の雀も父の許しなくして地に限つることなし、いわんや国民の動揺をや。これ神の声なり。 私とキリストとの出会い HI 私は幼稚園のときにキリスト教的雰囲気の中で過ごすことができました。児童養護施設に併設されたカトリック系の幼稚園に2年間通ったのです。その時に園内の花壇の中に幼児を抱いた聖母マリアの像またイエス様の像があったことや礼拝堂、黒い服を着たシスターたちの姿を今でも思い出すことができます。 小学校、中学校時代は公立の学校でした。6歳ぐらいの時に母が精神の病を患っていることがわかり大変なショックを受けたことを思い出します。それ以来、母は半年から一年の周期で入院、退院を繰り返していました。そのような状況の中で過ごしていましたから、いつも心に不安感を抱えた生活でした。中学を卒業すると地元の高専に進学しました。後から判ったことですが、その高専の初代校長は松尾春雄さんという無教会信仰を持たれた方でした。「AMOR OMNIA VINCIT」(愛はすべてに打ち勝つ)というヒルティーの言葉が校門を入ったところにあるモニュメントの台石に刻まれていました。しかし、私が入学した時には校長も二代目となっておりヒルティーの言葉の意味も解らず、そのようなものとは無縁の学生生活を送っていました。しかし心の片隅にある不安感は常に消えることはなく何をするにしても、いつもそのことが心に掛かり学生生活をエンジョイできませんでした。また、何故自分はこのような境遇に生まれたのだろう。何故普通の家庭に生まれなかったのだろうと自分の境遇をを歎いていました。クラスメートの楽しそうな姿を横目で見ながらいつも、このような思いを抱いていました。高専5年になって間もない時、学校の図書館で2冊の本に目がとまり読んでいました。そのうちの一冊は無教会の高橋三郎さんの「絶望と希望」と言う本でした。両方とも今後の人生の指針となるような良いことが書かれていると思っていました。それから数日たったある日、学校の掲示板に「聖書研究会」と書かれているポスターが貼っていたのでした。高橋三郎さんの本の中に聖書やキリスト教のことが書かれてあったので聖書のことをもう少し学びたいと思い入会しました。講師の先生はNY先生でした。週に一度、放課後に先生の教官室でマルコ伝を一年間学びました。最初は生徒が3人いましたが一人減り、二人減り最後は一対一の学びとなりました。一年間の学びを終えた時にさらに聖書を学びたい旨を先生に話すと就職が地元だったので、先生の所属しておられた別府聖書研究会を紹介され、それ以来そこで聖書の学びを続けています。 それから2年ほどして母は亡くなりました。その時は正直に言ってほっとしたというかこれからは楽になれるという思いがしました。母に対しての心配はなくなりましたが心の不安感はすぐには解消されずに躁鬱傾向が続いたように思います。 それから20年の歳月が流れましたが信仰生活も紆余曲折を経て現在に至っています。聖書も、すぐに分かると言うわけではなく、雨が地に染み込んで地が固まるように、すこしづつ、すこしづつ私の魂に染み込んでいったような気がします。集会からしばらく離れた時期もありました。集会の話からなかなかいやしを得ることができずにFEBCというキリスト教ラジオ放送局を通してかなり慰めを得た時期もありました。聖書の学びの中で、なぜ私が今までこのように苦しまなければならなかったのかという事に対しては、ヨハネ9章2節3節の御言葉が答えとして与えられたように思います。また聖書の学びの中で自分はどうしようもなく罪深いものであること、イエス様なしでは生きてゆけないこと、キリストは今も信じる者に働きかけて下さること、神様に従ってゆくことが平安を得る生き方であることなどが少しづつ解らせていただきました。 そんな中で5年前TY先生を通して徳島の集会との出会いは私の信仰に何か新しい風を吹き込ませるものとなりました。「いのちの水」誌、「野の花」、「ともしび」、詩集などを通して神様の真理はそう難しいものではないんだ。難しく研究するものではなく私立ちの身近にある様々な自然のものを通して神様はご自身を現してくれているのだということが解ってきました。そして家の周りや職場の敷地に生えている植物の名前などを調べていると、いつの間にか心癒されている自分に気づかされました。これらのものも神様が創造し神様を讃美しているのだということが少しづつ解ってきました。 すべてを神様に委ねてゆけば、あとはまったく心配要らないという思いにさせられている今日この頃です。 また先日の四国集会では四国各地の方々と交わりを与えられたことを感謝いたします。 み言葉の力 D M *ローマ信徒への手紙 7:15 「このようにわたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。」 日々の喧騒に身を置いて、世の中の濁流に飲みこまれそうになり、肉体の悪魔が、自分の耳をそそのかす。自分は、心も身体もすべて、主にささげ、彼の足跡をたどろうとするけれども、まるで、自分はなにか大きな杭に太い縄で腰をつながれてもがいているかのよう。日々、己の罪とその哀れにも惨めなその不甲斐なさに、ただただ、心で涙して、塞ぎ込む。 日々の濁流の中で、必死でその大いなる主の衣の裾にしがみつこうとし、夢中で手を合わせて祈る。「主よ、われを救いたまえ。われはなれの栄光にあたわざるものなれど、大いなる主の慈しみ深き哀れみによって、われをその高みにまで昇らせたまえ。われ、明日は塵と消えゆく空しきものなれど、主の栄光をわれにしめしたまえ。なれは、いつくしみふかければ、この罪びとのかしらをも光の民へと変えたまわん。」「我、汝の友とならん、共に住まわん、とこしえに。」主よ、愛よ、この卑しいわたしのすべて。この不甲斐ない私をゆるしたまえ。あなたに会えるなら、あなたが笑ってくれるなら、どんなことでもいたしましょう。・・・しかし、私は何を恐れるのか。人は裸で生まれてきて、裸で主のもとに帰るのだ。失うものなどはじめからないではないか。わたしは、この盗人たる盗人は、あなたに何を差し上げることができましょう。主よ、私は、日々、あなたを感じ、あなたを認めて、生きています。私の、この醜い罪びとの姿も、必死であなたに仕えようとする姿もあなたはごらんになってくださっているのを私は知っています。 この罪びとをどうかゆるしてください。万軍の主なる神よ、私は、地の牢獄に閉じ込められ永遠に鞭を打たれても仕方のない者ですが、どうか私を、あなたの慈悲によって、あなたの御国の片隅においてやってください。ただ、あなたの御国であなたと顔と顔をあわせ生きてみたい。 *ローマ信徒への手紙 7:24 「わたしはなんと惨めなのでしょう。死に定められたこの体からだれがわたしを救ってくれるでしょうか。私たちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」 神は愛なり。わたしが、いくら、つまづいてくじけても、神なる主はわたしをゆるし、勇気づけ、崩れた体を抱き起こし、道を目の前に示してくださいます。主の与えられるその罰それさえもが愛に満ち溢れています。主は、最後の晩餐のときも、ユダの手にぶどう酒を浸したパンを手渡しました。しかし、それは今日われわれが行うわれわれキリスト者がキリスト者であるという印、主を想うその印であったのです。それを、自分を殺そうとするものの手に自分を売り渡そうとしているものにさえも、「お前は、わたしの大切な弟子なんだよ」と言う印を、自分を裏切ろうとする者にさえも最後まで愛を与え続けられました。この惨めなわたしを救ってくださるのは、他ではなく、主よ、あなただけなのです。 時がたつと、経験してきた苦労や、そして、その悲しみでさえも、いつのまにやら消えうせて、善いものだけが残されていることを、自分の経験から、ふと思い起こしました。「なんて都合よく人間はできているのだろう」と思ったりもしますが、それすらも、神様の愛によるものであると実感します。なぜならば、このような苦しみや悲しみをいつまでも抱いていれば、到底、自分の経験から得た知識や善いものにはたどり着けないでしょうから。ましてや、その苦労と悲しみのみを背負ってゆくのなら、この人生をわたしは、乗り越えてゆく自信を持てないでしょう。 「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに 従いなさい。」 ルカによる福音書9:23 マタイによる福音書11:28-30 「疲れたもの、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしのくびきは、負いやすく、わたしの荷はとても軽いからである。」 スカイホテルは天に続いて 徳島聖書キリスト集会 第33回 四国集会in松山(2006.5.13~14)に参加して K K 四国集会出発の朝、雨だった。今回は運転していこうと決めていた。訪問したい所もあったし、自分で運転していろんなところに行けるようになりたいと思った。でも、雨だった。思い切って出発した。雨の高速道路。カーナビを見つめ、道を見定め、一生懸命運転した。「神様、助けて守ってください!!」真剣に祈り続ける高速道路の運転中。道の分かれ目は特に緊張して、間違わないように走った。ふと、これほど真剣に神様の導きを求めているだろうか、と頭に浮かんだ。 「命がけでカーナビに聴く者よ。おまえは、それくらい、一生懸命わたしを見つめて生きていたことがあるのか。分岐点でわたしの道を選んできたのか。」 主よ。そのとおりです。どうかわたしを、あなたに従う者として下さい。霧に煙る見通しの悪い高速道路の道。しかし、道中から、わたしは主に語られて、四国集会の恵みをいただいた。 無事に会場に着いた。懐かしいみんなにまた会えた。神の国の交わりは、どうしてこんなに心安らぐのだろうか。懐かしい。初めてあう人まで懐かしい。キリストが共にいて下さる。祈りのこもったこの松山の地に。 着いたら、すぐに宿泊の部屋に入ってもかまわないと言ってくださった。この配慮はありがたかった。荷物を置いてほっと一息。緊張して運転したので、疲れたな、と思い窓を開けた。目に飛び込んできたのは病院だった。松山市民病院。病室の気配、人の気配が見える。今、このホテルの建物の目の前で、多くの人が病気で苦しんでいるんだと思った。わたしの病院の患者さんを思い出した。どうしてるかな、と患者さんたちの顔が浮かんだ。元気で四国集会に参加できているのは、特別な恵みだ。特別に与えられているのだから、わたしは新しい力をいただいて、元気に徳島に帰ったら、また元気に働こう。おみやげは笑顔にしよう。 会場に入った。四国集会のはじまり。準備された方の祈りが伝わってくる。聖霊が風のように吹いている。み旨がこれから成されていくのだ。雨の松山。落ち着いた清められるような静かな雨に、心が素直になってくる。恵みの雨だな、と感じた。 開会礼拝のメッセージは穏やかだった。静かに福音が流れてくる。み旨が心に伝わってくる。 自己紹介の時間。主に集められた、ひとりひとりのみじかい証しの時。神様は生きて働かれ、こんなに実際に集められたのだ。この世にあって、本当に不思議なことだ。職場にも、近所にもキリスト者はほとんどいないけれど、今、顔と顔を合わせている無教会の仲間がこんなにいる。「きょうは、参加できて良かったです」といろんな人が話される。アーメン、本当に参加できてよかった。遠くから、近くから、主イエスに惹きつけられて参加できたこのひととき。自己紹介の一巡りは御業の証しの一巡り。 夕食になった。貴重な交わりの時間。このときの出会いが一生続くこともある。初めて参加されたYさんご夫妻と一緒に食事をした。二人ともキリスト者だった。どうして信仰に導かれたかを一緒に話した。それはわたしにとって、大きな恵みだった。 理学療法士のご主人と、作業療法士の奥さんは、施設で働かれていた。その施設の入所者である、九四歳の老婦人から、最初は仕事について入所者の立場からいろいろ指導や指摘をしてくれていたという。それから、なにか「すーっと」導かれた、と聞かされた。「自然にすーっと」。そして、時を隔てて、奥さんの方も、その方から「すーっと」導かれて、それから出会って結婚されたという。そのふたりの赤ちゃんがもうすぐ生まれる。神様の御業はすばらしい。こうしてキリストの真理は永遠に続いていくんだと思った。そしてわたしも、九十歳まで、四十年以上ある。歳をとっても、神様が働いてくださったら、御国のために働くことができると教えられた。おなかの中の赤ちゃんが、きょうはとても動くらしい。エリザベトの赤ちゃんのように喜んでいるんだな。きっと。 夜の「自由感話」の時間。麻痺があり、いつも四国集会は体が疲れると言われていたTさんのご主人が、一番最初に笑顔で発言された。「沖縄や遠いところからみな来ているのだから、わしももっと気合い入れて来なあかんな。」と。四国集会の祈り、祝福は思いがけないところにも注がれて感謝だった。 一日目が終わり部屋に帰る。窓から松山市民病院が見える。消灯している。どうか、みなさんに主の守りがありますように。 二日目は晴れ。さわやかな朝。朝食時に沖縄から参加された方と話をした。お母様がまず信仰を持たれたと聞いて、思わず耳が大きくなる。それから、すぐに信じることができたのではなく、どちらも迷い、行き詰まり、そして神様に捉えられたのだと聞いて、神様の時があること、そして、一言のみ言葉の力を思わされた。妹さんとは昨年の四国集会で初めてお会いして二回目。一年に一回の出会いでも、主にある友は距離が遠くには感じられないので不思議だ。 主日礼拝。メッセージが心に残った。今、ここに神の国が来ていること、明日でもなく、そのうちでもない。今、すでにここが神の国、神様の御支配の中であるなら、自分の罪も弱さも、社会の悪も、苦しみも、もう解決しているのだ。神様が最善をなしてくださらないはずがない。そう示されて勇気がわいてきた。 それから、讃美の時間になった。力いっぱい讃美すると、喜びがあふれてきた。この喜びは何なのだろう。うれしくて安らかで。みんなでいっしょに讃美しましょう!呼びかけながら讃美した。 信仰感話でも、主が共にいて下さることを感じた。あっという間に閉会。遠くから来られた方が感想を話してくださった。参加してよかった、という感想に心がアーメンと言う。それぞれの所で主に呼びかけられて集まった兄弟姉妹。御業は本当に素晴らしい。 次回開催県の挨拶があった。次回のテーマは「一人も滅びないで」。高知の林兄が病床から、このテーマを選ばれたと聞いて、胸が熱くなる思いがした。林兄の思いが伝わってくる。一人も滅びないで、救われますように。どうか主よ、この四国集会をこれからも用いてください。 「これで四国集会を終わります」ああ、もう終わってしまったんだな。本当に参加できて良かった。二日間、この会場には聖霊が吹き続けていた。長い間の準備の祈りにただ感謝。去りがたくて何度もみんなにさようならを告げた。名残は尽きないけれど、帰ろう。またお会いしましょう。窓から見える、松山市民病院にも別れを告げて、わたしは元気に徳島への道を帰っていった。 悪人に手向かうな T T マタイ福音書5:38~42 (塚本 虎二訳 岩波文庫以下同じ) 「38 あなた達は 昔の人がモーセから、”目には目、歯には歯”-人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわねばならないと命じられたことを聞いたであろう。 39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。 だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。 40 裁判所に 訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。41 だれかが無理に一ミリオン(一キロ半)行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。」 ① 「あなた達」(38・39)とはイエスの弟子たちのことで、イエスから「ああ幸いだ、神に寄りすがる”貧しい人たち、” 天の国はその人たちのものとなるのだから。」 (同5:3) と言われた「幸いな人たち」である。 「悪人」とは「害を加えようとする人」 広い意味では「不信者、この世の人」、また「悪魔」とも訳されている。 「悪人に手向かうな」とは文字通りに、「たとえ危害を加えられても相手のするままに黙って身を任せておけ、しかも、それのみならず、こっちからそれ以上のことをしてやれ」と命じられたので、イエスの発言は一点の曇りもなく太陽のように明白である。 ルカ福音書6:27~28には「しかし、聞いているあなた達に言う、敵を愛せよ、自分を憎む者に親切を尽くし、呪う者に神の祝福を求め、いじめる者のために祈れ。」とある。ゲッセマネで 「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。 どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」(マルコ14:36)と祈られたイエスの全生涯は「悪人に手向かうな」ということの実行であり、そしてそれは十字架の死において冠された。(ピリピ二:6~8参照) しかし、イエスの無抵抗はただ、神のみ旨に従わんための無抵抗であり、力なきゆえの無抵抗ではなかった。「人の子 わたしは 多くの苦しみを受け、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺されそして三日の後に復活せねばならない。 神はこうお決めになっている」(マルコ8:31) ② 「だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。」(マタイ5:39)(ルカ6:29参照) ここでは、イエスの弟子がクリスチャンとして、まず一人ひとりがこの場合どうしなければならないか、「あなたは」という個人的なものが単数形で示されている。「幸い」と「禍い」についての考え方が、この世の人と全く違うイエスの弟子たちの立場で、この世における対人関係がどうあるべきかが問われているのである。イエスは「主の祈り」のところで「あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。」(マタイ6:14~15)と言われて「わたしたちの罪を赦してください。わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。」(同6:12)と祈れと教えられた ③「裁判所に 訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。」(マタイ5:40) この発言の意味は、貧しい者の只一つの所有物である下着と上着までも、悪の力に引渡せとイエスは言われるのである。 その人は裸にならなければならない。無くてならない自分の持ち物までもすべて引渡すことは、いわゆる無抵抗主義とは違う、これはまさに神との一騎打ちの時、神の愛と御支配とを信じて行うことができる信仰のわざである。「狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから命に至る門はなんと狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう。」(同7:12~14) ④ 「悪人に手向かうな」というイエスの戒めは律法として命令されたのでなく「福音」である。手向かわないでいることが、この戒めを守ったことに必ずしもならない。また、手向かったからこの命令を犯したというのでもなく、既に救われているあなた達は悪人と同じ世界に生きるなということが言われている。イエスは悪に屈従することによって、悪に加担してもよいとは決して言っておられない。むしろイエスは律法的に見るならば、必ずしもこの戒めを実行されず、神の義のために激しく悪の力と戦われた。「地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、戦いをもたらすために来たのである。」(マタイ10:34)と言われたイエスの生涯は悪魔との戦いの連続であった。(同21:12~13「宮清め」23:13~36「パリサイ人攻撃」など)「しかし今は縛られていた律法に対して死に、律法から解かれたので、律法の古い文字によらず、福音の新しい霊において神に仕えるのである。」(ローマ人7:6)「自由を与えるために、キリストはわたし達を自由にされた。だからしっかり立って、二度と奴隷のくびきにつながれるな。」(ガラテヤ人へ5:1) ⑤ 「右の頬を打たれたら、左の頬を打ち返すことが有り得る。左を出すだけの痛さと愛とをもって相手を打つ。全然矛盾したことである。 これは神が、キリストが、義しい人がしたことである。 そしてまた、われわれもせねばならぬ。腹が立って打ち返すのでなく、涙を流してその人を打つのである。 正反対のように考えられるが正反対ではない。」(塚本虎二著作集第二巻「山上の説教七話」P27引用) ⑥ 「敵を愛せよ」といわれるこのイエスの命令は、わたしたち生来の人間には、絶対不可能である。 この愛する力は十字架にすがってキリストからいただくよりほかに道がない。キリストを信じ、キリストの十字架から流れる血を浴びる時にわたしたちにも少しく、これが可能となるであろう。わたし達クリスチャンは、たとえ欠点はたくさんあっても、神様中心に生きている。何か一朝ことあるときには、神からいただく本当の愛が現われてくる。不信者・この世の人はどんなに立派でも、結局は自己中心に生きているにすぎない。 よいサマリヤ人の話 TK (1) 彼(律法学者)は自らを守るためにイエスにいった.「では、我が隣人は誰ですか」と イエスはそれを受けていわれた。『ある人がエルサレムからエリコにくだって行くとき。強盗にやられた、彼等は剥ぎとり、なぐり、半殺しにして逃げた。たまたまある祭司がその道を下がってきたが、その人を見ながら向こう側を通って行った。同じようにレビ人もそのところに来たが見ながら向こう側を通って行った。しかし旅するあるサマリヤ人はその人のところに来ると、見てあわれに思い近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯し。自分のろばに乗せて宿屋に連れて行って手当てをした。そしてあくる日宿屋の主人に二デナリ渡していった。「この人に手当てをしてください。もっと金がかかったら、私が帰りに払いましょう」とこの三人のうち、だれが強盗に会った人の隣びとであったとあなたは思うか』と。彼(律法学者)はいった、「その人に親切にした人です」と。イエスはいわれた。「行って、あなたも同じようになさい」と (前田訳) (2) 以上がルカ福音書10章にあるよいサマリヤ人の話である。 エリコはエルサレムの北東約27キロはなれ 普通に歩くと5~6時間かかる。途中の道は危険なところでしばしば強盗に襲われることがある。襲われたのはユダヤ人であったであろう、 祭司はエルサレムで一定の期間祭殿で奉仕をして、エリコに帰って農業をする。またレビ人は下級祭司である。サマリヤは北イスラエルの首都でAD721年にアッシリヤに滅ぼされた。アッシリヤがサマリヤの住民を追放して、その代わりに民族的にも宗教的にも異なった諸民族を東方から移住させて混血の民をつくりあげた。混血の民は故郷から持ち込んだ信仰とイスラエル人から受け継いだ信仰を結びつけた一つの宗教を育んだ。そしてその神殿をゲリジム山につくった。ユダヤ人とサマリヤ人は敵対関係にあった。 (3) この物語は赤十字の憲章になっている。 赤十字は博愛主義者アンリー・デュナン(1829~1910)によって創設された。1859年のイタリヤ独立戦争でソルフェリーノを通りかかったデュナンが約4万人の死傷者に出会い敵味方の区別なく傷病兵を看護する。そのときの事を『ソルフェリーの思い出』という本にして出版した。この本によって赤十字は1864年スイスのジュネーブで創立される。発祥地であるスイスの国旗白十字を転用して白地に赤の『十』を赤十字の徽章とした。 (4) この物語において半殺しにされて道端に捨てられた旅人がこの文を書いている私であると考えた。私は道端に捨てられその上、同胞である祭司やレビ人に無視された。しかし三番目に通りかかったサマリヤ人は、敵であるユダヤ人の私を見捨てて当然であるのに、傷にオリーブ油を塗り、包帯をして自分のろばに乗せて宿屋まで連れて行った。 (5) 以上のことから 内村鑑三の『余は如何にして基督教徒となりしか』の1887年一月五日の日記をおもいだした。内村は1884年24歳で渡米する。1885年9月アマスト・カレッジに編入する。1886年3月(26歳)カレッジのシーリー総長に遭いイエス・キリストの贖いの信仰に開眼する。1887年一月五日の日記を引用する 『夜、F博士を訪問し、金銭上の援助を求む、実に火の如き試練なりき。余は殆ど余自身を制し能はざりき、しかれど彼は余に対して甚だ親切なりき、彼は余に若干金を与ふるを約せり。7行省略 あるとき手に取りし古雑誌の中に余の目は次の一句を捉えた。 愛の為に至誠の心を以って 惜しまず与える人は大なり されど愛の為に臆せず物をうくる人は 更に大なる人と称えん この歌に力を得て、余はもう一度勇を鼓して博士の家に赴いた。以下省略(鈴木俊郎訳) この場合F博士をよきサマリヤ人にしたのは、金銭上の援助を求めた内村鑑三である。 既に高齢者になってしまって私はこの物語に出てくるサマリヤ人のような行為はできない。 しかし 半殺しにあって道端に捨てられた旅人のように素直にサマリヤ人の行為を感謝してうけることができる。 (6) 最後に強盗に襲われて半殺しにされて、道端に捨てられた自分に対して親切にしてくれたサマリヤ人がイエスだと考えるとこの物語は福音の本質を示しているとおもわれる。 自分が自分を傷つけ、人を傷つけ、どうにもならなくなって、うめいているときにイエスは現れて、私の罪を許してくれるばかりか、神とのとりなしの為に自分が十字架にかかってくださった。(ロマ5;1) 出会い KT 11月初旬の暖かな土曜日の午後、ちょっと遠くまで、夫と散歩に出る。夫の足で片道1時間(普通に歩けば10分ほど)。菊を見るのが目的だが、夫は菊に興味はない。日陰で休んでお共の犬を遊ばしていると、丁度若井男女が通りかかり、「まあかわいい犬」と自転車を降りて、犬と遊び出した。私の家の近くにある、国際交流会館に住んでいる徳島大学の留学生だった。「家は近いから遊びにおいで」と夫の申し出に、早速夕方遊びに来た。 ペル-から来ているRさん(男性)と中国からの留学生R・Sさん(女性)。R・Sさんは日本語はあまり通じない。Rさんの通訳が必要だったが、それなりに交わりを持った。一緒に夕食をする事になり、食前に「私はクリスチャンだからお祈りをするね」と祈った。祈り終わると、Rさんは、共にアーメンと言った。まあなんと驚き。Rさんはクリスチャンだったのです。ペル-はカトリックが多いのだが、Rさんはプロテスタントとの事、思わず握手。言葉は解らなくても、とても近しく思われた。 交流会館で住んでいる時には家庭集会に参加。今は田宮の集会にも参加。主にある交わりを深めている。 12月10日に学校に近い市内へ引っ越した。田宮にも近い。本当に不思議な出会いだ。神様による、不思議な出会いとしか言えない。 ルカ伝の学びから K M 聖書の中には二つの原則が流れている。 ヘセッド(変わらぬ愛、慈しみ) エメス(真実、誠、いずれもヘブル語) 私達はこれらのものを生まれながらに持っているわけではない。 信仰をもって初めて神様から頂ける二つの貴重なエネルギーだと思います。 しかし、罪人である私達は絶えず、これらの事を意識から失い、世の慣わしに流れていってしまう傾向があります。 そして気がつくと衝撃のあまり、倒れこんでしまい、動けなくなってしまうのです。 そんな時、十字架を仰いで「主よ、憐れんでください。助けてください」と祈るのです。 ルカ伝6章6~11、マルコ伝3章1~6の学びから、 個々人の心を思いやらないで形だけを整えようとする間違いをイエス様は指摘されています。決まりや形の方が主となってしまう。そうではなくてイエス・キリストを主とすることが大事なのである。そうすれば私達は再び立ち上がることを赦されるのです。(エゲイロー・アニステーミ。ギリシャ語では立ち上がる、よみがえる。)霊的に新しい力を得て立ち上がることができるのです。 ルカ伝6章22~26からはマカリオス(祝福された)という言葉よりもむしろウーアイ(非常に大いなる悲しみ)という言葉が強く印象に残っています。 目に見えないもの、神の国を求める心のない人は必ず魂が枯れていく。目に見えるもので満ち足りてしまった人は神の国を求めることをやめ、必ず魂が枯れていくのである。恐ろしい言葉だと思いました。 ルカ伝6章27~42は一連のことを述べていると思います。 人間の根源的な悪の素である「他人に対する悪口」、これは悪口の対象になった人も、悪口を聴いた相手の人も、悪口を言った本人自体にとっても良くない。ここにはただ人の憂さ晴らししかない。 よーく自分の心に尋ねてみてください。悪口を言うことによって、今度は自分のほうが誰かから悪口を言われるのではないか?と心の中に恐怖心が生まれてきたことがありませんか? 心の中に巨大な丸太(罪、自分中心の考え方)あるうちは、必ずこの恐怖心に捉えられ続けられると思います。 ところが、ありがたいことにイエス様を信じるだけで、この丸太が取り除かれるというのです。 ここまでの箇所で学んだことをまとめると次のようになりました。 「愛とは他人の心が良きもので満たされるように祈ることである。」 「愛とは決して手抜きをしないで、祈りつつ手を十分にかけて物事に対処していくことである。」 あなたなら「愛」をどう言い換えますか? 育児記録から E Y 今年に入ってからのことですが、物置にあったからと言って主人が育児記録のノート(紛失分)を渡してくれました。生活する居室が狭いので、古いノートや以前にいただいた手紙類を物置にしまっていたのが、長い年月のうちに何処にしまったのか忘れてしまい行方不明になっていたのです。B5のノートに千代紙を貼っただけの簡単な「育児記録」のノートですが、わたしにとっては大切なものでした。 次女のノートには「ひこばえ」、長男のには「いずみ」、三女のには「ひかり」と書いていました。長女は一年で一番美しい五月の朝に生まれました。病院のベードから見上げた青空に柿の若葉が輝き、そよ風に揺らいでいました。風にも色があるということを初めて実感しました。 けれども、はっきりした原因もわからないまま、五日間のこの世の生を終えて天に帰りました。 それで次女が生まれた時、大地に芽吹く芽のように小さく生まれても元気に生きて欲しいと希って「ひこばえ」としました。「いずみ」「ひかり」は聖書からもらいました。 紛失していたノートが出てきたこと、それに最近集会の皆さんにお子さんが生まれる方、お孫さんが生まれる方などが多くて、自然に子供達の幼かったころのことが思い出されてきました。 もう三十年以上も昔のことなのに、年子の三人の子供たちが時の経つのも忘れて遊んでいる姿が思い出されますし、嬉々とした笑い声が聞こえてくるようです。小さな頃いろんな遊びをしていましたが、一番楽しそうだったのは泥んこ遊びだったように思います。土と水さえあれば何時間でも遊んでいました。小さなスコップとバケツ、ジョウロで夢中で遊んでいました。雨が降って外で遊べないときには、お風呂でやはり楽しそうに浴槽の湯を洗面器に入れ、一杯になるとまた浴槽に戻し……、こんな情景を思い起こしながら、子供ってどうして水や土(泥)が好きなのかしら?と思いました。水と土、それに火が好きでした。山を登ったところにある我が家には枯れ木や枯れ草が絶えずできるので燃やすことが多かったのです。こんなときも子供達は喜んで手伝い、顔を真っ赤にほてらして火を見つめていました。子供に「どうしてあの頃火が好きだったの?」と、尋ねました。「どうしてかな?多分小さなマッチ1本でつけた火がどんどん大きくなっていくのが面白かったのかな?」との答えでした。 学生時代に「教養の西洋哲学史」という本をテキストに授業を受けましたが、何も覚えていないのに唯一つ「万物の元は水である。」と言ったターレスの言葉が焼印を押されたように心に残りました。ターレスは紀元前600年ごろの人だということです。紀元前550年ごろのアナクシメウスと言う人は「万物の元は空気である。」と言い、紀元前500年ごろのクセノファネスは「万物の元は土である。」と言い、紀元前450年ごろのヘラクレイトスは「万物の元は火である。」と言いました。そして同じ頃のエンベドクレスという哲学者は「万物は水と空気と土と火の四つの元素(element)の組み合わせによって説明できる。」と言ったそうです。 意識して付けたのではないけれど、子供たちの育児日記につけた名前と符合していることを不思議に思いました。 聖書では土について有名な箇所があります。 主なる神は土(ヘブル語ではアダーマー)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた(創世記2:7) そして神の命にそむいてエデンの園を追われる時「お前は顔に汗してパンを得る 土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵に過ぎないお前は塵に返る。」 (創世記三:19) と言われました。 水(いずみ)は人間生活に不可欠なもので旧約の時代から井戸の巡る争いがあったと書かれています。また神ご自身をいのちの水といわれているところもあります。 生ける水の源であるわたしを捨てて無用の水溜めを掘った。 水をためることのできないこわれた水溜めを。 (エレミヤ二:13) 育児日記にはヨハネ福音書の言葉からもらって「いずみ」と付けました。 「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 (ヨハネ四:14) 水が飲めなくなる時の苦しさを少しなりとも経験しましたので、いのちの水を求めることの大切さを知らされました。 ひかりについては聖書の初めから出てきます。 神は言われた「光あれ。」こうして光があった。神は光を見て,良しとされた (創世記一:3~4) この御言葉は愛唱句の一つになりました 主はわたしの光 ……(詩篇二七:1) この聖句についてはこの言葉のラテン語がオックスフォード大学の標語になっているそうです。光は苦しみ、悩み、危険など暗闇の中にいる者に、いのちと希望を与えるものだと学びました。そしてイエスさまこそ世の光として来られた方なのでした。 「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず命の光を持つ.」(ヨハネ八:12) 三女のノートにはこの御言葉からもらいました。 火は光とは全く別のものではなく、性質の重なるところがあるように思います。聖書の中では火は厳しい面が多く書かれていますが、それはわたしたちを清めてくださろうとのお心からであり、また一つには私たち人間が悪い道を離れるようにとの神さまの憐れみの御心のように思われます。 主は彼らに先立って進み、昼は柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭をはなれることはなかった。 (出エジプト、一三:21~22) このことがあまりに大きなことだったので、出エジプト記の最後にも再び記されています。 旅路にある時はいつも、昼は主の霊が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イス ラエルの家のすべての人にみえた。 火はとても不思議なものだと思います。物はみな下に落ちるのに、火は上に舞い上がります。キリスト教でも仏教でもろうそくを灯します。祈りの象徴だと言われます。わたしもそのように思ってきました。 預言者イザヤは紀元前770年ごろ生まれBC700年頃に預言活動を終えたらしいといいます。エレミヤはBC7世紀ごろの人でした。 聖書の中に、哲学者のことばに、水、土、火、光が出てくることがとても不思議に思われました。そして何も知らない、考えない幼い子供達が水や土や火や光が大好きだと言うことがまた不思議でした。 幼い子供達は万物が何で出来ているのか全然考えもしないし、知らない時からある力によって二〇〇〇年以上も昔の魂が思索し信じた真理や真理を求めるこころの種を与えられているのではないかと痛感するのです。 次女が生まれた時、ある方が(今は老齢になられて入院されていますが) 「こどもさんの良き友達になってあげてください。」とお便りをくださいました。育児をする中で折々に思い起こした言葉でした。果たしてあの頃よい友であったかどうかわかりませんがすべてをご存知の神さまがわたしの足りなかったところを補ってくださり、誤った所を正して、神さまご自身が語りかけてくださいますようにと、祈ります。この世に生を受けた者は皆、「光の子」となるようにと招かれているのですね。 「祝福」 NY 今日も一日が暮れた。様々な出来事があった。神様を悲しませるような言葉を発し、行動もとってしまった。 疲れた体をひきずって、帰り道、夕暮れの空、野山の木々や緑の花、川の水辺に惹かれ、バイクを停めて、ひととき祈りの時をもつ。 今日一日、イエスさまのことをどれだけ思ったか。みことばからどれだけ慰められたか。清らかな川の水の流れの音に、神様からのささやきを感じ、緑の葉のそよぐ音、野の花の色に、また新しく聖霊注がれ帰るべきところに導かれる。 ″しかしあなた方に言っておく。敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなた方を侮辱する者のために祈りなさい″ルカ福音書六章27-28節 ルカ福音書の六章の数々の学びが、一日中私の心を占めている。ルカ福音書の山上の垂訓のその一つ一つが礼拝のたびに心の魂の奥深く、聖霊によって注がれ、イエス様に戻るべき時を与えてくれる。 朝起きた時から出会う人ごとの祝福を祈ろう。一日共にいる子どもたちの一人ひとりに神様からの御守りと憐れみがありますように。イエス様、どうか祈らせてください。敵対する相手にあなたからの良きことがありますように。良い時も悪い時もいつも神様の祝福を待ち望む信仰が持てますように。 2006年6月 N.Y(小学校教員) ワシントンDCにて T O 2006.3.22(金)pm5:00・・・私たちは成田空港のエア・カナダの機内にいた。心細いが12、3時間後にはカナダのトロント空港に到着するはず。そこで息子家族と合流してトロント、ナイヤガラ、を経て息子の家まで車の旅をする計画である。アメリカ行きは一昨年の秋に続き二度目となるが、今回は早朝に札幌を発ち成田市内で透析してから搭乗するというはなれ業、・・・「ごめんなさい。み心でしょうか。」と祈り、心に問いながらの出発である。 無事にトロント空港で四歳の孫娘の笑顔に迎えられ、ようやく張りつめていた気持ちが解けて息子家族と過ごす三週間が始まった。私たち二人三脚の冒険に、これまでも思わぬ幾つもの出会いありたくさんの恵みをいただいている。 カナダからアメリカへの入国審査での親切な対応を受けた。また二人で地下鉄を利用してスミソニアン博物館へ、車内では視覚障害の私にごく自然に席を譲ってくれる。家内が一番困る私のレストルーム(トイレ)への誘導・・・館内のサポーターにまるで友達のように寄り添って、そこに全く言葉の壁はなかった。「友好の苗木」として日本から贈られた桜・ポトマック河畔の桜並木はちょうど満開で、日本と同じように桜見物の人で賑わっている。よく手入れされて大事にされていて、苗木もあちこちで育てられていると家内が説明してくれた。 今回の旅で神様からの最高のプレゼント・・・帰国数日前にチャリティーコンサートの情報が入った。帰国前日の四月十一日、現地教会での聖日礼拝後車を走らせバルチモアの長老派教会で(石造りの古い建物で伝統ある雰囲気の聖堂の中)ヴァイオリン奏者・川畠成道さんのすばらしい演奏につつまれた。 川畠さんは、視覚障害者(8歳の時風邪薬の副作用で失明)で失明後ヴァイオリンを習い、イギリスの国立音楽院で学びトップの成績で卒業。今では、世界中を駆け巡って活動している。ワシントンの桜祭りに招かれ,その足で僅かな時間を活用して福祉施設や教会などでの生演奏の奉仕をしているそうだ。彼の演奏の心がけは「神に捧げる心」。このことを知った時、私の心に、昨年徳島で四国大会で貝出さんが看護の仕事を通じて、「神様に捧げる」と証されたと同じ感動を覚えた。演奏後のレセプションで身近に川畠さんのお人柄に接し、尚さらその感を強くした。彼の側でずっと支えてきたお母さんの言葉少なくあるが、もの静かな雰囲気を感じたり、控えめな川畠さんとの会話を今も耳に残っている。 帰国。札幌の桜はまだ、開花していなかった。後日のテレビ放映で川畠さんの特集があり、彼は四月十三日に帰国したことを知った。この特集で彼の足跡を知り感動を更に味わった。障害を克服して、音楽を通し日々励んでいる姿に「神様に捧げる心が在る。」と私の心に強く焼き付けられた。 イエスさまと歩いた旅 MO 今回の息子からの誘いに、わたしは主人の体調のこと、それに二人三脚の私たちが乗り継ぎ便で・・・など 少し躊躇していた。間近まで私の気持ちは見切り発車のまま。一つだけ、また(前に行った時と同じように)息子家族と日曜礼拝に出席するのもいいかな・・・牧師ご夫妻、教会の皆さんとの再会もよし・・・と。滞在三週間、週末の小旅行を挟みながらも一回も抜けることなくワシントンで二回、旅行先のプリンストン教会で日曜礼拝を守ることができた。幾つもの旅先の楽しい体験、久しぶりの愛する孫娘との会話、かなりハードなドライブ行程、主人の体調のことも・・・祈って、祈られて一週ごとの礼拝で心身共に整えられて、三週間を無事過ごせたことに心より感謝。イエスさまが一諸に歩いてくださっていたからと、実感した旅でした。 理解と同情 M T 「この方は私たちの弱さを共に苦しむことのできない方ではなく、罪を別にすれば、すべてについて私たちと同じように試みを受けた方である。」(ヘブル4:15) 〈共に苦しむ〉は、ギリシャ語のパスコーという「苦しみを経験する」という意味の動詞に、スンという「共に」という意味の接頭辞がついたスンパスコー(compassion)の直訳です。ちなみに口語訳では〈思いやる〉が、新共同訳では〈同情する〉がそれぞれ当てられています。 憐れみということに関心をもちながら、ローラ・インガルス原作の「大草原の小さな家」を見ていて、一つの示唆を得ました。それは「お母さんは先生」というタイトルでして、主人公ローラのお母さんが臨時で教壇に立つのですが、このお母さん先生は勉強が遅れているマイクという生徒のために全員で初めからABCを始めました。するとその町きってのお金持ちのオルソン夫人が教室の中に怒鳴り込んできました。 “劣った生徒のためにこんな程度の低い授業をされてはたまったものではございませんわ。こんな初歩的な授業ではうちの子供たちは馬鹿になってしまいます。” と、ものすごい剣幕でまくしたてました。勉強を一から教わっていたマイクはたまらず教室から飛び出してしまいました。大切な生徒を失ったローラのお母さんは怒りを抑えて静かに教壇に立ちました。 “皆さん、「同情」と「理解」が書けますか。” こう言って、compassion, understandingと強く板書しました。 “いいですか、憐れみというのは、弱い子の苦しみを一緒に負ってやること、理解というのは、力のない子の下に立つこと!” こう言い残してお母さん先生もマイクの後を追って教室から出て行ってしまいました。 「お母さん先生」から私が学んだのは、当事者の立場に降り切ることこそ最も大切な理解(understanding)というものであり、当事者と一緒に苦しむことこそ何にも勝る同情(compassion)であるということでした。 聖なる生活をしよう K H 家庭集会に参加しはじめた頃、この世的にとても忙しくはたらいていました。 集会に参加して学ぶうちに、もっとたくさん集会に参加したいとおもうようになり、仕事を少なくしたのですが、いざ少なくしてみると、家庭の事情などの問題が起こってきて 思うように集会に参加できませんでした。そうなると、自分が何をするべきか目標を失ってしまい、苦しい日々がつつきました。 そんな時、以前他のグループと交わっていたとき「清い生活をしよう。」という教えを思い出し、忙しいことを口実に掃除ができていないこと思い、自分の荷物や部屋の整理整頓を始めました。いらないものは過去への思いを捨てるように捨てていきました。 お陰で過去へのこだわりも捨てることができたように思います。 でも、捨て終わってみると、また目標をうしないました。次に見つけたのは家の掃除です。 一つきれいになると汚れているところが気になり、次々と磨きました。自分の家だけで気がすまなくなり、人の家までおせっかいするようになり、自分でも度を越しているとかんじたとき、集会でペテロ第一1の13~聖なる生活をしよう の学びがありました。 召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。・・・・あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、いつわりのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深くあいしあいなさい。 清い生活をすべての面で清くなければならないと考えていたので、とても苦しいものでした。集会の学びによって、不完全で、罪ある人間にできることではなく、世と別たれた生活をしなさいと言う事を学び、以前学んだときに肩の荷をおろして救われたのに、整理整頓ということから間違った思いにとらわれて、清く、清くと、他人に迷惑をかけ、自分でも苦しく、悪に負るところでした。なんと弱い私でしょう。 春の陽がさして Y M 「いのちの泉はあなたのもとにあり、 あなたの光によって、私たちは光を見る」 (詩篇36篇10節) 長い冬が通り過ぎて八ヶ岳南麓の高原にも、 目を見張るばかりに美しい季節が訪れている。 受難節の頃には、山は枯れ木、森は落ち葉に覆われていたのに、ひと雨ごとに復活祭を待ち望む如く、樹木は芽吹き、草花は蕾を膨らませた。梅、桜、山吹などが次々と開花し、土手では土筆や水仙、菫の花が小鳥たちの囀りを聞きながら、春の光を浴びている。 樹木も草花も厳しい冬の間、地下深く暗闇の中で、確かに根をはり、栄養を蓄えていたのだ。 根は、天の時を知っているかのように、しっかりと繋がり合って。 身近な自然の営みを通しても、神様は、復活の主との出会い生じる道を備えて下さる。私たちの現実が、世俗の課題や病いの重さに打ちひしがれ、暗闇に喘ぐようであっても、復活者イエスに出会う道すがら、私たちは、ゆるされて生きる力を新たにされて行く。 復活の主に出会うとき、もはや私たちは、主の十字架の死がなかったかのように生きることはできない。いかなる人の罪をも贖われた主イエスの愛によって、倒れても、失敗しても、立ち帰る場所がある。希望の光を見出せる地平がある。そのようなことを知らされた者として、私も生きて行きたいと願っている。 集会に参加するようになって H S 集会に参加して、聖書の学びを通して感じたことや学んだことをお話しします。 子どもの頃は内向的で大きな声で話せませんでした。蚊のなくような声だとよくいじめられました。 いじまは高校卒業までありました。 また、入院するたびに、持病が増え、働くことや、子どものことなどいろいろ考えて悩んでばかりで日常生活にも潤いがありませんでした。 自分のできないところばかりを見て卑下していました。 しかし、たくさんできることがあることを学びました。皆さんほど上手ではありませんが、感話やお祈りが少しづつ言えるようになりました。 自分のこと、家族のこと、周りの人たちのことを祈ることができるようになりました。 集会でいろんなことを学び、主から恵みを受けて生活も生活も潤って充実しています。 一人で悩んでいると堂々巡りでなかなか明るい方へ行けませんでしたが、集会に導かれ主を讃美していると、神様から明るくしてもらい、祈りの中で心も軽くしてもらいました。おかげでうるさいくらい話せ、笑い、誰とでも話せるようになりました。 いじめや持病のことなどで悩んでいたときはつらく悲しい時もありましたが、今、ふり返ってみると私を成長させてくださるために神様が与えてくださったハードルだと思います。 私が主のもとに来る前から、主は私を守り新しく造りかえてくださっていたのだと思います。主に感謝です。 これからも悩んだり、愚痴を言うより「弱い私の心を強めてください」と祈って毎日を過ごしたいと思います。 (これは今年4月16日のイースターの感話で話された内容です。) ルツ記の学びから H K 今日は聖書の中のルツ記の学びの中からお話ししたいと思います。 ルツ記は四章からなる短い物語ですが、とても心に残りました。 神様が祝福されるのはどのような時かということと人を思いやる心の美しさを思わされました。 それと、神様のみ業が表われる時は困難なことを通して表されるのだと思わされました。 ナオミは夫も二人の息子たちにも死なれたので、嫁であるルツとオルパに自分の里に帰るように言いましたが、ルツはナオミの神は私の神として従ってゆきまず自分にできることをしようと思い、落ち穂を拾うことを思いつきました。ミレーの有名な落ち穂拾いの絵はここから来ているのだということを学びによって後で知ることができました。 嫁と姑問題も人間関係もまず自分ではなく相手のことを思うこと、相手の幸せを思えたらどんなに問題が解決されることかと思いました。 困難なことやむつかしい問題が起こったらこれは神様からのものと思い、まず何をしたら良いか、神様に祈り求めていく大切さを思いました。 ヒルティも「わたしは神を信頼して裏切られたことがない」と言っています。 これからもずっと神様に信頼し、祈り求めていきたいと思っています。 学びの場所も整えてくださり、学びに来ることができることを感謝しています。 学んだことを人に分け与えていくことができるようにと思っています。 (これは今年4月16日イースターの感話で話された内容です。) 訪問ボランティア M T 私は、現在、ハンチントン病の妻を介護しております。妻は、発病してもうかれこれ十五年ほどになりますが、今のところ、まだ寝たきりまでには至っておりません。発語も、不明瞭ではありますが、自分の意思はどうにか表明出来ますし、介助者の同伴さえあれば、車椅子に乗って買い物にも出かけられます。通常、この病気の患者さんは、不随意運動といいまして、身体が踊るように動いてしまう症状の他に、精神症状、例えば、抑うつや認知障害などを伴うことが多いのですが、幸いにも彼女の場合、精神状態はおおむね安定しております。 ハンチントン病はHuntington Diseaseの頭文字をとって短くHDと呼び慣わします。HDは極めて決定力のつよい遺伝子異常による遺伝性の神経疾患ですので、患者の配偶者や子供にもこの病気の影響は及びます。彼らは遺伝の秘密が漏れるのを恐れて社会性を犠牲にしてしまう傾向があります。 私たちの家庭も、そのようなHD家族のうちの一つですから,他の家族が悩む問題を私たちもまた悩み、他の家族が恐れている症状を私たちもまた恐れます。私自身、この病気に向き合うことが、長い間どうしても出来ませんでした。 自分たち家族が、そのような、この病気特有の〈引きこもり〉を脱することができたのには、なんと言っても、TA先生との出会いが決定的でありました。さらに友人や関係機関の温かい支援が、大きく与っております。 「訪問ボランティア」発想のきっかけは、この病気による人格崩壊の脅威でした。もちろん、人間の霊は、外なる人は破れても滅びないのであって、内なる人は日々新たなり、と信じるものです。であるからこそ、この病気の患者は、他の病気の患者さんにもまして霊的ケアを求めているのではないか、とTA先生に申し上げましたところ、先生は私の手前勝手の要求を理解してくださり、この人ならば、というえりすぐりの方々を推挙してくださったような次第です。 現在、サポートグループの方々には、私は患者の病名・病状・家族史などを知ってもらっています。 彼らは、患者家族の家を、定期的に訪問をして、お茶飲み話をしてくれたり、マッサージをしてくれたり、また歌を歌ったりしてくれます。 患者家族のために、その他にも多様な支援が多方面から提供されています。例えば、地域の南多摩保健所は、有能な保健師お二人を動かして、積極的に多摩市役所と地域の医療機関に働きかけ、保健・医療・行政をコーディネートしてくれています。多摩市も、在宅福祉課を中心にして、地域HDケアに、新たな国家施策となった支援費制度を機敏に導入して、行政に反映してくれています。東京都の拠点病院の一つである都立府中病院の担当医は、外来問診の他に、MSW(医療ソーシャルワーカー)を通して患者の就業の継続を職場に働きかけてくれたり、子供への遺伝告知問題にコミットしてくれたりしています。このように患者家族と医療従事者は現在たいへん良好な信頼関係で結ばれておりまして、更に地域のかかりつけ医が直接訪問してくれて、セイフティーネットを張ってくれているので大安心です。居宅支援事業所の練達したヘルパーさんから提供される家事身体援助は、患者の〈生活の質〉を確実に高めつつあります。地域のNGO「福祉亭」からは、身内にもまさる支援が与えられていて、今年九月にはそこのスタッフが車で患者を連れ出して、光の家のコンサートに連れて行ってくださいました。 先日ハンチントン病を特集したTBS報道局の辻真ディレクターが、わたしたちの取り組みを取材して、こんな感想を寄せてくださいました。 「これまで主にALS(筋萎縮性側索硬化症)など遺伝性神経疾患を在宅でケアする取り組みを、かなり多く取材してきましたが、それらの中でも、これほど参加機関が多様で、地域ぐるみで、よく連携のとれたチームは、他にありません。」 妻は、遺伝の危険をもっている息子の結婚を祈っています。それは、ハンチントン病遺伝子を持って結婚し、リスクを背負って子供を生み育て、発病した自分の全人生を百パーセント肯定していることを意味します。HDの母親が子供の結婚を祈るということは、子供に遺伝のリスクがあっても、自分と同じように神様に祝福された家庭生活を営むことが出来る、と信じてのことであります。ボランティアの方々は、そんな患者の生き様を、深く理解して下さっております。 十月二十二日、保健・医療・行政の各機関が参集して開かれた、第二回地域HDケア会議の席上で、相澤啓子さんが、訪問ボランティアとしての活動を、キリスト者の立場から報告してくれました。ケア会議が散じるとすぐに、保健所に研修に来られていた元気な看護学生たちが、かつて看護師であった患者を輪になって囲みました。そのまぶしい光景をながめていた私のそばにKAさんがやってきて、そっと耳打ちしました。 「わたしは初め、このケアチームは、あなたが孤軍奮闘して立ち上げた、と思っていました。しかしそうではないですね。こんなにも大勢の機関が結集して、力ある支援をしてくれているのは、鳥羽さん、あなたではなく、神様ですよ。」 わたしも同感でした。自分でも信じられない支援活動の展開に、これは正しく神様がイニシアチブをとってなされた業に違いないと思わせられています。 私たちは、長らくハンチントン病という、遺伝子の難病に苦しんでまいりましたが、今は、この病と恐れず向き合うことができるようになりました。このこと自体が神さまの贈物でありますが、さらにこれからは、他者からの支援を神さまからの支援として受けとめると同時に、人知れず苦しんでおられる方々の苦しみにも積極的にあずかっていきたいと願っています。 (2003年11月23日) 「育てたように子は育つ」から学ぶ N N 相田みつお著、佐々木正美著の「育てたように子は育つ」は子育てが終わった者が読んでも惹かれるものがある。 相田みつおさんは仏教。佐々木さんはキリスト教(無教会)なのだが、佐々木さんは、相田さんの書と詩のなかに「人間的なものを豊かに持っている」ところに全面的に共感されたと言われる。 相田みつお美術館を訪れるのは、若い女性、キリスト者も多いという。不良っほい子も来るとか。誰でも相田さんのハッとさせられる詩に癒されるのだと思う。 でも「育てたように子は育つ」の本にも触れるなら、佐々木さんの解説(というより佐々木さんからのメッセージ)になるほどと理解が深められる。子どもの精神科医として、キリスト者佐々木さんのなかにも人間性豊かなものが感じられる。 子育ての本なのに、すべての人に対しての示唆が与えられる。 人生につまづいたある少年に、好きな詩を尋ねた。少年は次の詩を選んだ。 みんなほんもの トマトがねえ トマトのままでいれば ほんものなんだよ。 トマトをメロンに 見せようとするから にせものに なるんだよ みんなそれぞれに ほんものなのに 骨を折って にせものに なりたがる ああ、この少年には人には言えない悩みが、コンプレックスがあるのだな。トマトをメロンに見せようとして今まで無理して生きてきたのだなあと理解ができた。少年は そのままで いいがな の詩にホッとしていたようだった。佐々木さんは、「これこそ子どもへの最高の愛情の表現である。すなわち無条件の承認である。」と言われる。 人生につまづいた少年たちに多く出会ってきた私は次の詩が好きだ。 つまづいたって いいじゃないか 人間だもの 「問題はつまづきや失敗によって、どんなに学ぶものが大きいかということを、親や教師や大人たちが本当によく知っていなければならないということである。そうでなければ その真意は子どもたちによく伝わるはずがない。つまずきから立ち直れないような傷つけかたをしてしまわないように、自分もたしかにつまづきや失敗が大切であったという実体験を、生き生きと思い出しながら子どもを育てたい」 佐々木さんの言葉は私の指針となっている。 佐々木さんの著書を読み、講演を聞いてホッとさせられ、自信を持つ人は多い。以前八王子の民生、児童委員主催で講演を四回ほどしていただいた。子育て中の多くの人が共鳴し感銘を受け満足させられたのは佐々木さんの謙虚さにあると私は思っている。 自己顕示 『この花はおれが 咲かせたんだ』 土の中の 肥料は そんな自己顕示を しない おれのような 「土の中の肥料のようい生きる。私は神を信じることで、そのような生き方の可能性に導かれつつある。神を畏れて人を恐れないでいられる、自分の弱さや愚かさを神から十分に示されて神に罪をゆるされて生きたい思う。神に見守られることで安らいでいられるからその分人からの賞賛は期待しないでいられるし、人からの非難も恐れないでいられる。」 解説のなかで佐々木さんはこのように信仰告白されている。 安らいでいられる信仰が、人々をホッとさせるのだと学ばせていただいている。 こんな本を読みました Y N 「わたしの隠れ場」 コーリー・テン・ブーム著 いのちのことば社 映画好きの私は、今まで沢山の冒険映画やスパイ映画を見てきましたが、その中に、この本に書かれた出来事ほど手に汗握るものはなかったし、これほど信仰的な美しい物語もなかったと思います。 これはオランダの一人の女性とその家族が体験した真実の出来事です。 第二次世界大戦、オランダはドイツに侵略されユダヤ人への激しい迫害やオランダの若者が工場の働き手として連れ去られる事態が始まりました。 信仰深いテン・ブーム家の人たちは、一人一人自分たちのやり方で人々を救おうと努力し大勢の人たちをドイツ兵から救います。しかし逮捕され、刑務所、国内の収容所、ついにはドイツの収容所で強制労働をさせられることになるのです。この物語は、強制収容所での辛い思い出の話に留まらず、そこで消されることなく輝いた信仰と愛の記録です。 テン・ブーム家の人たちは戦争のない平時から信仰深く愛に満ちた生活を送っていました。主人公のコーリーたち四人の兄妹が成人してからも、父親は町の貧しい子供達を十一人も養子として育てていたのです。家族一人一人に素晴らしい信仰のエピソードがあり、物語はその紹介から始まりました。読み進み、戦争が始まったとき、彼らのとった勇気ある行動の一つ一つが、この平時からの深い信仰生活に裏打ちされたものであると気づかされます。 コーリーは戦争が始まったとき、五〇歳を過ぎた独身女性で、父親と姉のベッツィーと暮らしていました。オランダがドイツに侵略された夜、コーリーは起きたまま不思議な幻を見ます。自分たち家族が馬車に押し込められ市場の中をどこかへ連れ去られる幻です。同じ幻は「神の民であるユダヤ人のために自分をささげたい」という祈りが起こされたときもう一度現れました。 一人の隣人であるユダヤ人を助けたことをきっかけに、次々と様々な人たちが救いを求めてきました。ユダヤ人を隠すためには、その人の分の食料配給券を手に入れて隠れ家に配る必要があります。隠す人たちも自分たちの食料もままならず、せめてかくまう人数分の配給券がなくては生きていけないのです。その食料配給券を手に入れるため、何の決まった手順もありません。コーリーは自分のコネを使い、信頼できる人を選んで協力を求めなくてはいけませんでした。結果最初の百人分の配給券を手に入れ、最初は多すぎると思った券もすぐに足りなくなるほど沢山の人たちを救います。いつしか平凡な女性だったコーリーは、オランダの地下組織に張り巡らされたネットワークの中心的存在となっていたのでした。 この本で一番印象深く、感動したのは、敵を赦すということです。コーリーの姉ベッツィーは一貫してそれを貫きました。私は日本人なので、過去の戦争で日本軍が他国の民間人や捕虜にひどいことをしたことを悲しく申し訳ないと思っています。だからでしょうか、ベッツィーがドイツ兵という敵を赦し愛さえもって祈るところで、自分が赦されているような、愛されているような不思議な感覚を受けたのです。それはもったいないありがたいことでした。そしてその感覚と同時に、赦されることがこんなにも人の心を開き、砕いて柔らかくするということを体験しました。赦される立場からイエス様の「敵を愛しなさい」の御言葉の力を知りました。すべてを奪い取られ、命も尊厳も脅かされた状況で敵を赦したベッツィーの愛に感動しました。 しかしまた、赦すことの辛さというのも胸に迫ってきました。コーリーが地獄のような収容所生活を終え、傷ついたオランダ人のみならず嫌われ者となったドイツ人のためにさえ働くようになったとき、一人の元収容所所員に「私の罪は赦されたのですね。心が軽くなりました。」と言われます。それはどれほど苦しい瞬間だったでしょう。どれだけの犠牲の上に赦しや愛が立てられたのか、そのドイツ人は思い及ばなかったのでしょうか。そのときコーリーは祈ってさらに赦し、その人に対する愛を勝ち取りました。本当に本当に頭が下がります。 また、この本で印象的だったのは数々の奇跡です。最初に紹介したコーリーの幻は現実となり、その後もたびたび奇跡が起こります。私はその奇跡が主に「聖書」と「御言葉」に関して起こったことにとても考えさせられました。コーリーはまず聖書を手に入れることを切望しました。その願いは叶えられます。その後も緊張の連続の場面の中で、聖書はずっと取り上げられずに手元に残されました。そしてずっとコーリーやベッツィー、他の捕虜に御言葉が力となって与えられます。聖書を読むことで目の前の苦難に意味を見つけ、ノミやしらみのことさえ感謝したり、絶望している他の人々に人間らしさを取り戻したり、秩序を取り戻させたりするのです。非常に不衛生な牢獄や収容所で、飢え、病気になり、過酷な労働が課せられ、人間としての尊厳も粉々に打ち砕かれたら、人間は何を願うでしょうか。私なら少しでも生きやすく環境が整えられ、酷い仕打ちを受けないことを願うでしょう。少しでも早く解放されることのみを願うかもしれません。でももしその願いが叶わなかったら、わたしは「神様は助けてくださらない」と絶望してしまうかもしれません。 食べ物や環境は言い換えれば肉の問題です。でも神様の起こしてくださった奇跡は霊に対して与えられました。そのことがとても意味深いのだと思いました。 他にも隠れ家として提供した自宅でのユダヤ人との交流、コーリーの他の姉妹が「嘘をつかないこと」を貫くことで起こる衝撃的な出来事、ドイツの高官との心の交流など、様々なことを考えさせられる事の連続でした。重いテーマであるのにユーモアも交えられ、コーリーの持つ平安が伝わってくる本です。この本を我が家に紹介してくださった方に、心からのお礼を申し上げます。 小羊の声 まず聞くこと 鍼治療室から E T 最近、若い女性が、今抱えている悩みを話されました。 いろいろと聞いていて、とっても傷ついている心を思って、私も苦しみを抱えていたとき神様に出会ったときのことを思わず話していました。 今の重荷を軽くしてくださるキリスト教のお話を聞いてみない?と誘いました。 でも、彼女はいきなりは宗教に頼りたくないな、ただ聞いてほしいのだと言われました。この言葉を聞いて、先日の愛媛で行われた四国集会のときに出会った若いかたの証しを思い出しました。彼は仕事で関わる九四才の女性から何かしらこころに残る言葉やメモを手渡されることによって、気がついたらいつの間にかキリスト教に導かれていたそうです。 その年配の女性の生活から流れてくる清らかな何かがあふれていたのだと思います。 それはゆっくりとした歩みの中から、そして背後の熱いお祈りのなかで生まれていったのでした。その人が何を求めているのかを心に受けて、そこから必要なひとことが与えられ、時が満ちていったのです。 私は毎日心や体の弱った人たちと出会い、少しでも体だけでなく、心も癒されてほしいと願います。そこにイエス様の愛が届いてほしいと祈ります。 それなのに、現実にはいつのまにかこちらが多くを語りそうになります。 私が何よりも大切にしなくてはならないのは、まず聞くこと、ただ聞くこと、背後にあって日々祈ることをあらためて気付かされました。 今日も職場で言葉によっていじめを受けている人の悲しみに出会いました。 この世にはいっぱいいっぱい悲しみがあり、傷みがあります。 どうすればいいのか、むつかしいことです。 「マザー・テレサ」の映画のビデオを友人と一緒に見ました。まず何よりも祈ること、祈りのなかで主の御声を聞き押し出され、どこまでも祈り求めること、そして背後にあって祈ってもらうことを貫かれた生涯でした。そこには祈りに対する神様への信頼と確信があります。 私にはむつかしいことですが、それでも祈りの力を知らされているのですから、 主の霊によって導かれて祈っていきたいと思います。 これからもまず私自身のうちにみ言葉から聞くことを、また出会う人の心から訴 えてくる言葉を聞くことを、そして私にできることを祈っていこうと思います。 短歌 M I ☆日も差さぬ 暗き納屋には 十薬の 白き十字架 光りて眩し ☆何度でも罪を重ねし われを主は 滅びぬように 待って下さる ☆名も知らぬ 虫にも命 ひとつあり ひとりひとりを主は愛し給えり ☆今日こそは 主を見上げての一日と 思いも崩れつぶやくわれのいる ☆流行のめまぐるしく 変わる今 とわに変わらぬ 神の真実 ☆枯れ草のこの野原にも 春の花 咲くこと信じ 主の道歩む 俳句 M I ☆ 夏ツバメ飛び交う影を田に映す ☆ 霧雨の朝を目覚めし野のすみれ ☆ 草藤を摘む手の先も青く染み ☆ 山深し鳥のさえずり春を呼び ☆ 麦の穂や夕日に紅く波を打ち ☆ 雨だれを受けてあじさい七変化 ☆ 梅雨入りを待ちかね天に祈る木々 ☆ 逆境の奥に喜び透けて見え ☆ 風薫るしあわせ頬に主を歌う ☆ 黙祷に新芽が匂い里の山 ☆ 春寒し夕闇覆い主の受難 ☆ 日は沈み祈りと化して山眠る ☆ 朝日さす老いも病も主と共に 土曜日集会の報告 H S 徳島聖書キリスト集会では、土曜日の午後二時から、植物や手話、聖書と手話讃美の集会があります。Y先生が、持ってきて下さった草花をルーペで観察したり、名前や特徴を覚えたり植物に身近に親しめます。 また、手話と手話讃美も分かりやすく教えてくださいます。主を中心に和気あいあいと楽しい集まりです。植物や手話に興味のある方は是非参加して、一緒に学びませんか。 2006年3月16日(土) 参加者は、9名 植物は ツルニチニチソウ(ツルのようにのびていく日々草に似た花)、キブシ(黄色い小さい花)フサアカシ(房状になってさくから)、ムラサキケマン(紫華鬘と書く。筒状で先は唇型)、ムラサキハナナ、ヤマモモ、アラカシ、ノキシノブ、ウバメガシ、ナズナ、トサミズキ、アセビ 手話練習の中からいくつかあげてみます。 ① 梅が終わって桜の季節になった。 ② イザヤ書に「主を信じる者は歩いても疲れない」と載っている。 ③ 「天に盗まれない宝を積め」と主は言われた。 ④ 金メダルをもらった人は注目されるが、神に尊ばれるとは言えない。 ⑤ 神の律法に違反しないように気をつけましょう。 ⑥ 動物と人間の違いの一つは反省が出来るということだ。 聖書を学ぶ前に質問です。 「あなたは手紙ですか?」 私はこの質問の意味を メールか、手紙か聞かれたのかと思って 「時々出します。」と答えました。 聖書はコリントの信徒への手紙二3章3節 「キリストを信じる一人一人の人は、神から世に送られた手紙である。」とあります。昔はなかなか手紙も出せなかった時代なので、神は「一人一人のクリスチャンは大事な特別のものである。」としている。 (昔の紙=羊皮紙、パピルス) 前述の質問には 「はい。私は手紙です。」と答えるべきだと学びました。 2006年3月25日(土) 参加者7名 植物は ムラサキケマン、ウバユリの葉、レンゲ、ヘビイチゴ、レンギョウ、トサミズキ、クサノオウ(名前の由来のひとつの説=葉や茎を切ると黄色い汁が出ることから。草の黄)、イヌナズナ(黄色い花。実は少し膨らみがある。ナズナの仲間)、ナズナ(実は三味線のヘラのように平たい)、タチツボスミレ(葉の元の托葉は櫛の歯のように切れ込む)、托葉…葉の柄の元についている小さな葉のようなもの。 セントウソウ(線香花火のように枝分かれする)、ヒサカキ(葉の反対側に小さな黄色い花)、キランソウ(花・葉の淵に産毛がついている)、ベニシダの芽(若いときだけ芽・胞子は赤い)レンゲの葉(やわらかい)クサイチゴ(トゲがある) 手話は ①信仰を持っていても時々動揺することがある。 ②やっと冬が終わって花の季節になった。 ③3月は合格者、不合格者が喜んだりがっかりする季節です。 ④神は全てを透明なガラスから見るようにはっきり見る。 ⑤メールで連絡するのが一番便利です。 ⑥主はいつも危機が迫っていることを知っていた。 ⑦聖書を知らないのは生涯の損失です。 聖書は ペトロの手紙一 1章 22・23節 神様の言葉、生きた言葉を‘種’に例えている。 永遠の言葉から新しく生まれたので、私たちは偽りのない愛をはじめて持つようになる。 ローマの信徒への手紙 12章9節 偽りの愛=自分本位の愛。自分が不利にならないように計算された愛。 一つ一つどんな小さな植物にも名前があって、なかなか覚えられませんね。 手話も、似ている手話を間違えて読み取ると全然違う意味になりますね。(私の感想) 心に残っる言葉から EI イエス様は十字架上で亡くなられる時、 「私は渇いている」とおっしゃいました。 イエス様は私たちの愛に渇いていらっしゃるのです。 そしてこのことは、 豊かな人でも貧しい人でも、 私たち皆が感じている渇きなのです。 私たちは皆、愛に渇いています。 ですから互いに傷つけ合うのではなく、 よいことをするために 自分から出て行動しなければなりません。 痛むまで与える愛、 これこそがほんとうの愛の意味です。 (「マザー・テレサ 日々のことば」三月十二日)より み言葉に支えられて H N 聖書のみ言葉は私に力と希望とよろこびを与えてくれる。 それは、神様のお約束ゆえ、忘れられる事もたがえられることもない。私の原動力は常に変わらないみ言葉から頂くことにしている。。 たった一つのみ言葉を知り、それにすがるだけでも、私達の人生はまったく違ったものになるだろう。 「神は愛なり」このみ言葉をいつも思っているとこの世の中は神様の愛に満ちているところだと思われてくる。昔の人は「たたり」とか「ばちが当たった」とか何か不都合な事が生じるとそのように言っていたが、そこからは何の良いことも生じなかった。 神様が愛であると思うと、どんな状況の中でも、その神様の愛を感じ受け取る事ができる。私達をとりまく自然界からも人間の生きる社会からも、神様の愛が流れてくる。どんな事があっても、背後で御支配してくださっている神様の愛を信じ、感じていきたい。 暗闇の方を向いて絶望の中にいつまでも佇んでいないで、直ちに光の方に向き変わり神様に手を取って引き上げていだだきたいと思う。 難しい状況に囲まれて、どうしてもうまく行かない時があり、願っているとおり進まない事がある。一つの問題を抱えるとその事ばかりを中心に見て、感情がそこに捉えられ生きていく力を消耗する。駆け込むところは神様しかいない。そんな時、神様に向かって祈る。 すると祈りの中で神様が働いてくださる。どうしてもうまく行かないとき、自分がしっかりつかんでいるものがある事に気が付く。自分が答えを持っているから、苦しいのだと分かってくる。答えはすべて神様の中にある。委ねなさい。任せなさい。手を離しなさいと迫られる。手を離した事によって、キリキリと舞いながらどこまでも落ちていき、見えないところ、果ての果てまで落ちていくような気がする。その落ちきったところがしっかりと安定した神様の世界、御手の中なのだと示される。 けれども愛である神様は、私が手を放しても、実際にはそんな深い所まで落ちたりはしないで守って下さっている。気が付いたらやはり、元の場所、元の位置に置いて下さっている。 祈る事によって、神様が私達信じる者に与えると約束してくださった「神の平安」が必ず与えられる。 「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすればそれらのものは加えて与えられる」(ルカ12章31)というみ言葉は間違いそうになる私を導いて、生活の中心に何が一番大切かが示されてくる。「恐れる事はない、愛されている者よ、平和を取り戻ししっかりしなさい」(ダニエル10章19)「地の果てのすべての人々よ、わたしを仰いで救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない」(イザヤ書45章22)というみ言葉も動揺しやすい私の心を支えて、振り子を中心に戻す働きをしてくれている。様々な場面でみ言葉は現実問題のただ中に作用して命と力を運んで下さる。 これから先、またいろいろな事で倒れそうになり、心がふさぎ、重荷と感じる事が起こっても、信じてみ言葉をいただく時必ず、神様の光の方へ導いてくださるだろう。次々と起こる問題に弱くされる時、弱さの中に働く神様の栄光をまた仰ぐ事が約束されている。どんな事が起こっても御手の中で受け止めてくださる。神様こそ、私達の造り主、贖い主である。 「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」 イザヤ46章4節 イザヤ書から TO イザヤ1章3節「牛は飼い主を知る。ろばはその主人のまぐさ桶を知る。」「しかしイスラエルは知らず。わが民は悟らない」 イザヤは四人の王ウジヤ、ヒゼキアまで預言者として神に立てられた。ついに民は王の意向に逆らい、ヤコブの神からの祝福は残るが、滅びの事が預言されている。 「シオンのぶどう畑の仮小屋のようにきゅうり畑の番小屋のように包囲された町のようにただ一人残った。」イザヤの忠告を聞こうとしない民に対し、24節に『主、万軍の主、イスラエルの全能者は言われる、「ああ、わたしはわが敵にむかって憤りをもらし、わがあだにむかって恨みをはらす。』 25節には「わたしはまた、わが手をあなたに向け、あなたのかすを灰汁で溶かすように溶かし去り、あなたの混ざり物をすべて取り除く。」 また29節には 「あなたがたは、みずから喜んだかしの木によって、はずかしめを受け、みずから選んだ園によって、恥じ赤らむ。」 そして、2章4節には「 彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。」 神は非戦論を語り必ずこのようになると言われているが、この時代にはその事は遠く、 「あなたがたは繰り返し聞くがよい。しかし、悟ってはならない。あなたがたは繰り返し見るが良い。しかし解ってはならない。」と言われているみ言葉もある。神様に従わず、そむき続ける民に、神様はどれほど悲しまれ、嘆きこのように言われたか。神様の愛と義の両面をこのみ言葉に感じる。今もイエス・キリストを十字架につけ救い主を認めない人々にこの事が言われているように思われる。 イザヤは救い主を求めていた。幼子の誕生イエス・キリスト出現についての預言もされている。詩全体がエルサレムの滅亡とアブラハムの神からの約束で、神はまことに不思議な方法によって残る者を選びけっしてイスラエルを滅ぼし尽くさない道を約束された。5章30節に、「 その日、その鳴りどよめくことは、海の鳴りどよめくようだ。もし地をのぞむならば、見よ、暗きと悩みとがあり、光は雲によって暗くなる。」その栄光は全地に満つ」。 6章3節にはケルビムが「 互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。と言われている。 8節には、 「 わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。」 13節には、 その中に十分の一の残る者があっても、これもまた焼き滅ぼされる。テレビンの木またはかしの木が切り倒されるとき、その切り株が残るように」。聖なる種族はその切り株である。 7章は、キリスト・イエスの出現が預言されている。14節に、 それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。」マタイ福音書の1章23節に同じことが載っている。イザヤ書9章2節「 暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。」9章6節に「 ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。」11章「 エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、 その上に主の霊がとどまる。」このエッサイはダビデ王の父である。これだけを見ても、イザヤ書はまことに深い真理が書かれている。 知恵、悟り、深慮、才能、主を知る主を畏れる霊、信仰に最も大事なことは、主を畏れることである。11章の6節から11章の終わりまで平和の日々、平和の大地、岩野国々の平和、12章、13章は流れるように祝福の天と地が描かれ、心がはずむ希望の預言である。しかし、14章、15章は憤りが高まり、14章12節に「 黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。」 長い長い預言は滅び行く民の状態が記されていて、22章13節に 「見よ、あなたがたは喜び楽しみ、牛をほふり、羊を殺し、肉を食い、酒を飲んで言う、「われわれは食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから」。滅びの哲学が書かれている。23章23:4 シドンよ、恥じよ、海は言った、海の城は言う、「わたしは苦しまず、また産まなかった。わたしは若い男子を養わず、また処女を育てなかった。」 国は滅びる、日本の少子化なる問題がそれである。娘が子を産むことを嫌うなら子を育てることもできず、「わが心は乱れ、惑い、わたしの憧れたたそがれは変わっておののきとなった」33章 2節、「主よ、われわれをお恵みください、われわれはあなたを待ち望む。朝ごとに、われわれの腕となり、悩みの時に、救となってください。」その後の章は呪いの書と言われる36章から歴史書列王記下18章13節から書かれている歴代史下28章頃から書かれている43から第二イザヤの書で世界観が大きく取り入れられる。 あとがき HN 今朝はまた昨日とは変わって新しい心、新しい気持ちが与えられているのに気づく。疲れたように感じても、また元気に起きあがる力が与えられている。 日々主は糧をくださり新しい気持ちをくださり、昨日と同じ景色でもまた違って美しく見えるように新鮮な心を与えてくださっている。 飽きることも退屈することもなく、神様の世界の中で、様々な出会いがあり、様々な一日を準備してくださっている。神様はなんて素晴らしいのだろうと今日も感謝を覚える。 内村鑑三が一日一生の中で、「一日は貴い一生でこれをを空費してはならない、神の言葉を聴いてこれを始めること」と書いてある。 平凡に目の前に起こることを、神様を思いつつ大切に、丁寧に生きていきたいと思う。。 今回も「ともしび」に寄せて下さった方々の原稿を読みつつ、ぶどうの枝につながっている兄弟姉妹の主に向かう生き方に励まされる。確かに神様の愛の中で主を信じる者はつながっていることを思う。そしてその連帯のうれしさを思う。主の霊は時間も空間も越えて祈りを運んでくれる。 本当に皆様の祈りのこもった原稿を感謝しています。これからもどうかこのように、証しや主にある体験をお寄せください。お待ちしています。 季節は暑い夏に向かいますが、どうか、体調の悪い方が守られますように。主が癒してくださいますように。 内容・もくじへ戻る。 |