祈りの友通信 「祈りの風」 第六号 2016年7月発行 |
吉村 孝雄
どこにいるのか―神の問いかけ
創世記には、神が最初の人間に語りかけた言葉として、食べてよい木の実と、食べてはいけない実があること、そして食べてはいけない木の実を食べると必ず死ぬという強い警告が記されている。このことは、単なる神話のようなものでなく、現在の私たちに至るまで、あらゆる時代の人間にあてはまる。
言い換えれば、それは唯一の神―真実で愛の神を信じて与えられる実を食べる道と、そのような神に背くもの―人間のさまざまの欲望を第一のものとして受け入れる道である。
それに次いで、神が語りかけた言葉として記されているのは、神の言葉に従わず、罪を犯して隠れている人に向って言われた言葉、「どこにいるのか」(創世記3の9)だった。
アダムの協力者として妻が与えられ、ともに神の道を歩むことが期待されていたにもかかわらず、ともに神の言葉―真理の道に背いてしまった。
ここに、いかに人間が本当に歩むべき道に歩めないか―その罪深さが聖書の最初から記されている。
そのようなアダムに対してただちに罰するのでなく、まず語りかけた言葉が、この言葉である。
「どこにいるのか」―それは、現代の私たちにも絶えず問いかけられている。そしてそれは同時に、自分がどこにいるか、神の御前から離れてしまっているのに気付かせ、私たちを神のもとに方向転換させようとする神の愛の言葉となっている。
神の御前なのか、それとも自分の我意、欲望を前にしているのか、あるいは周囲の人間、社会状況等々を前にして考えているのか―ということである。
そして祈りとは絶えず、神の御前にて行なうことであるゆえに、私たちは祈ることが多いほど、神の御前に立ち返ることが多くなる。
常にさまよいやすい私たちの心―それは神の御前から離れて自分の人間的な思い、他人の言葉や評価、世の中の動きなどがいつも私たちの前に置かれているので、いつのまにか神の御前から遠く離れてしまっていることがしばしばとなる。
そのような人間だからこそ、神がアダムに言われたこの言葉は、そのまま現代の私たちへのメッセージとなる。
パウロが絶えず祈れ―と言っているのも、どこにいるのかという問いかけを内に含んでいるのであり、絶えず神のもとにとどまるべきことが指し示されている。
神に祈る―それは自分の苦しみを訴え、それを乗り越える力を与えてくださいと祈るとともに、他者も数々の苦しみ、重荷を背負っているのであり、そのような人たちに御国を来らせたまえ、ご意志が行なわれるようにと祈ることにつながる。
御前に置かれるなら、自然と自分のことだけでなく、他者のこと、さまざまのこの世のことも祈らずにいられなくなる。
神の御前にあるとき、天から祈りの風(霊)が吹いてくるゆえに、その神が思い起こさせるからである。 主の御前にあるときには、主が他者の祈りをそれとなく実感させてくださる。
しかし、騒がしい心でいるときには、他の人の祈りも心に入ってこないし、祈りの力など感じない。
祈られ、祈る―「祈りの友」のあり方は、絶えず主の御前にいることだとわかる。
主イエスが、わが内にとどまれ、と繰り返し言われたのは、
どこにいるのか、という問いかけに、神のみ前―それを霊的に表して、神の内―キリストの内にいることが最終的なあり方だと示すためだった。
「私の内にとどまっていなさい。そうすれば、私もあなた方の内にとどまっていよう。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしの内にとどまっていなければ、実を結ぶことができない。
(ヨハネによる福音書15の4より)
2016年5月14日~15日 徳島で無教会全国集会が開かれました。参加者の中に「祈りの友」会員も各県から多数参加していたこともあり、14日20時20分~21時まで「祈りの友の集まり」が自由参加形式で行なわれました。参加者は祈りの友会員、また会員でない方も含め52名ほどとなりました。
開会の祈りのあと「祈りの友の歌」を歌いました。
今回、時間が少なかったため、全員の祈りの時間をとることができませんでした。そのため、特に今、この会の中で祈ってほしいことを希望者に出していただきました。思いを起こされた人が挙手し、祈りの課題を話し、それに対して希望者が代表で祈り、みんなで心を合わせました。
息子さんが今、意識のない状態であり、その回復の願い、また、ご家族の病気、祈りの友会員で連絡がつかなくなっている人のための祈り、集会中に体調を崩した方への祈り、また、今回 韓国からの参加者があり、感謝とともに韓国への謝罪、そして参加されたかたのお働きの祝福の祈りを共にささげました。
輪になって座り、顔と顔を合わせて共に祈りを合わせることができ、恵みのときとなりました。
近況報告
この四月から一年間、広島友の会の方面リーダーというお役をいただき、何かと忙しくしています。児童館での仕事を減らして、何とかやっています。
神のみ言葉を預かったということの恩恵を思うとともに、恩恵を受けた自分をしっかりと管理しなくてはいけないという思いがでてきました。神さまの言葉を伝えるためです。心の食べ物も体の食べ物もよいものを選ばなくてはと思います。また運動も続けたいです。
一度は途切れかけていた友人との関係を復活させ、電話越しに一緒に賛美をする関係へと造り変えてくださった神さまの御業に感謝しています。
長女が精神的な病で1年半入退院を繰り返していましたが、5月に自宅に引き取りました。安定するように祈っています。94歳の母の健康も守られるように祈っています。
T.I(神奈川)
今年は思いの他、季節が早くすすむので、内では衣替えに、外では草花の成長が早く、挿し芽、剪定、植え替えに追われる日々です。幸い体調は守られてはいるものの、疲れやすく、少し働いて多く休むと言う具合で仕事は捗りません。でもどんなに遅くなってもその日の祈りは守られています。主の憐れみと祈りの友のお祈りのおかげと心から感謝しています。今あるは神の恵みです。感謝。
他の集会員の方の健康上の理由により、昨年途中から所属する豊橋集会が、月二回の開催となりました。当集会が開かれない第二週は、なるべく浜松集会に出席し、午後「平和行進」にも参加するようにしています。また、第三週には、同じ岡崎市内にある、日本基督教団、茨坪伝道所の仲間に加えて頂き、祈りとみ言葉の学びを共にさせて頂いています。今までと異なる集会の学びと交わりの中で、新たな刺激と霊の恵みとを頂いています。
めまいが急に起こるので、礼拝に参加できなくなり、残念です。ケアハウス内での生活は、守られており、身の回りのこと、洗濯などもゆっくりとできています。いつも神様を思えることが感謝です
あと四ヶ月で八十六才を迎えますが膝痛が一番の悩みです。月、三回の「はつらつデイサービス」に通って、軽い運動をしたり、コミュニケーションをしたりして楽しんでいます。
最近、私の友人が語ったことで考えさせられたことがあります。 それは、曽野綾子さんが何かのコラム欄で書かれていた、日本人の老人問題について、「私は野垂れ死にはしないけれども、日本の老人の多くの人達は、最後は野垂れ死にをする。」と書かれていたと言うのです。その彼も一人暮らしの初老を迎える年齢です。私も妻が召されて一人暮らしをしていますので、考えてみました。私も遠からず死を迎えることは必然です。然し、私はどこでどの様な死を迎えても、イエス様が両の手を差しのべて下さっている。そこへ身体も魂も、一切を受け止めて頂ければ、こんな幸せな平安は他にはない。死を迎えれば、イエス様と私と一対一です。栄光の凱旋です。キリスト教に導かれ、イエス様に拾われた幸せをつくづく思わせられたことでありました。
だから私は、選ばれた人々のためにあらゆることを耐え忍んでいます。彼等もキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。次の言葉は真実です。
「わたしたちはキリスト・イエスと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる」(テモテへの手紙二・2章10節~11節)
これまでと変わらず、月に三カ所の通院。日中に二度床に入ったりすることがありますが、豊かな恵みをいただきながら過ごしております。「読書メモ」「信仰メモ」「雑学メモ」などを時折書き綴ったりしています。整理できない書類や読みかけの本やCD・テープなどがたまり、届いたメールや手紙への返信が遅れてしまいます。聖書はもっと読み深めなければと思っています。「祈りの友」の祈りが疎かになっています。教会には時々行くことがありますが、古川静さん宅で今は月二回、「ロマ書の学び」をさせていただいております。
いつも神様に向かって、神様が喜んで下さるような祈りを捧げることができますように。
傘寿を迎えましたが、T大学で行われている神学と近くの教会で開かれている聖書研究会に出席し、ボケ予防に努めています。
原則として、毎朝聖書を二・三章くらい拝読し、神んお恩寵とキリストの贖罪の犠牲に感謝の祈りを捧げております。
聖書は関根正雄訳(教文館)を読了、現在フランシスコ会訳のエズラ記に入りました。後者は「註」により歴史背景を詳しく知ることができます。
読書は他に、古代ローマとイスラエル史に大変興味があり、それらは聖書をより深く知るために大きな働きをしてくれます。
読書の後は、階段(二百段)と花壇で身体を動かし、頭脳の休息を図ります。
もちろん、三時の祈りの時を厳守しています。残り少ない人生の独り旅、豊かな閉幕を念じています。
二月の初め、私は家で倒れました。頭と腰を強打しました。頭は骨折せず、腰の骨は圧迫骨折しました。医師に「死ぬぞ、死ぬぞ。」と言われましたが、神様の憐れみによって今も生かされております。ただ、三か月たっても骨がつながりません。何とか骨がつながるように願っております。 今年の三月で私は91歳になりました。誕生日には思いもかけず、はじめて祈りの友の三名さまよりバースデーカードをいただきました。お目にかかったこともなく文通したこともない方で、Fさん、Yさんご夫婦からで大変うれしく有り難く思いました。どなたもご自分で撮られた写真に御言葉を添えて、お心のこもった文章でした。そして、最後に三名さまは「返信無用です。」と書いてくださいました。その細やかなやさしいお心遣いにうたれました。
九十歳の坂道は予期しなかった障害に見舞われて平常心がぐらつくことも多いです。主に従順に生きる真の信仰に程遠い者の哀しみをかみしめながら、立ち帰る所に逃げ込んでいる日々を過ごしています。「私の恵みはあなたに十分である」とのみ言葉を静かに受け止め、ホロリと涙を流しつつ、感謝しています。この老いの急坂を自らの足で守られた。一日一生!ハレルヤ、ハレルヤ!
私は満九十歳を迎えた現在、癌のため胃を除去する手術を受けました。また、十年ほど前八十歳の頃には、大腸の半分を同じく癌のため手術で除去して、今では食道から小腸へ、そして半分になった大腸へと消化器の能力が大変損なわれました。それでも有り難いことに、食欲は以前のように旺盛で、過食の悪習に悩まされ、切開手術の時の切り口が未だに完治せず、苦心しております。体力も大変鈍くなりましたが、どうにか活動しております。主イエス様の限りない御愛と主にある兄姉のお祈りのおかげであると、心より感謝しております。
「絶えず祈れ」この御言の威力にはほとほと圧倒させられました。現代の暗い闇も今や晴れわたって、祈りの勝利が眼前に見えるようです。ルカの第一章の三十九節以下のエリザベツとマリヤの主への賛美の言の中に、現代の闇をふきとばす威力がみなぎっております。我等一同、心を合わせて、万物の主なる創造主に喜びと感謝の祈りを致しましょう。
父を天国へ見送り一年が過ぎました。父との思い出も薄れがちな昨今です。日常の生活も新しい生活のリズムが出来て来ました。従兄の世話人として、週一回外出同伴して、教会で二部の、勉強、祈祷会をしています。ヨブ記を五章輪読して、三一〇番を賛美して小豆島教会の祈りの課題を祈ってます。
小豆島は移住者を求めています。神戸ー小豆島ジャンボフェリーが就航して便利になりました。年金生活のクリスチャン夫婦が移住してきて、小豆島教会につながりますよう御祈り下さい。昨年納骨堂が許可設置しました。
いま、体調はすこぶる良いです。私は人工呼吸器使用者です。何らかの事故が起こって1時間でも呼吸器が止まると、脳死になります。私は脳死に近い位置にいることだと思っています。脳死に至った場合、人工呼吸器を外すか切ってもらうことにしています。私はそれで良いのですが、他人となると事情が違ってきます。そこで脳死・臓器移植に関心があると共にいくつか疑問があります。なぜ脳死と心臓死の2つの死が存在するのか?脳死が本当にきちんと判定できるのか?脳死は人の死なのか?移植医に有利な脳死判定に傾くのではないのか?脳死者から動いている臓器を取り出すのは、殺人に当たらないのか?臓器移植の押しつけはないのか?無償制は担保されるのか?国民の合意は得られるか?諸々の疑問を私は持っています。人工呼吸器は発明されて九〇年になります。朝鮮戦争の頃から人にも良く使われるようになりました。戦争は医学を進歩させます。人体実験ができるからです。人工呼吸器もそうです。人工呼吸器の発展が脳死をという概念を産みました。それまでは心臓死が人の死とされていたのに、2つの死が在ることになって、ややこしくなったのです。そう考えると人工呼吸器は必要悪だと私は思ってしまうのです。私はこんなに多くの疑問があるので、臓器移植に対して慎重論を取ります。以上の理由から、私はドナー(提供者)にならない代わりにレシピエント(受容者)にもならないつもりです。私は脳死移植反対論者ではなく慎重論者です。ほかのクリスチャンとは思いが違うかもしれませんが1人の人工呼吸器使用者としてそう思っています。この立場ははっきりしておきたいです。神様から預かった命だから私がどうこうする権利はないと思います。
神様に守られています。「主 われを愛す。主は強ければ」の歌を壁にかけて覚えています。4年生の孫が毎日読んでいます。永井さんの家に行ってくる、と言うと、娘たちがが「イエス様の話を聞きに行くのね」と言ってくれます。
・全国集会徳島の話を聞いて、いつか行ってみたいと思います。
全国集会で「祈りの友」の方々から、参加できなかった人へ寄せ書きが送られました。ありがとうございました。
信仰の生涯に第一に大切なものは祈りである。祈りに面倒な儀式などない。子が親にものをいうときに、なんでそんなによそよそしい切り口上が入用なものであろう。 ただ大切なのは、真実を持って神様に祈ることである。(いのちの水誌より)
第三十回、キリスト教(無教会)集会に参加でき多くの恵みをいただき感謝でした。スカイプのかたとも顔と顔を合わせて交流が持てて有り難うございました。
祈りの友の集まりには参加できませんでしたが、寄せ書き有り難うございます
・毎週日曜日には、浦和キリスト集会に参加できました。今年の三月末日に学生さんたちが卒業で、仕事場を辞めていく人が多かったです。
そのため、今、日曜日には二週間に一回しか主日礼拝に参加できません。主から力を頂くためにも、毎週主日礼拝には参加したいです。早く補充の人が入って下さるといいのですが。
昨年の半ばには、肺の病気のために喀血を起こし、緊急入院しました。このまま悪くなってしまうのか、どうなるのかと一時不安になりましたが、皆さんがお祈りをしていただき順調に回復しました。
年末には、ほとんど見えなくなって失明寸前になっていた目を手術によって視力が回復されました。私の目は、発育が悪い小眼球で、特殊な目でしたが、集会の友の紹介で、手術を受けることができました。5月で半年になりますが、順調なので診察に大阪まで行かなくてよいと言っていただきました。
昨年は、この大きな二つのことがありましたが、信仰の共に祈っていただき、その祈りが神様に聞き入れられ、また神様の導きによらなければ癒されていないと感じることができました。
浜田独立教会は中山貞雄先生ご召天後、県への届けを信徒代表として栗栖泰蔵で届けておりましたが、物忘れがひどくなり、年一度の報告を書くのも大変になり、代表を中山賜子さんに交替して届けを出す様手続きをしている所です。
全国集会に参加された祈りの友の方々の寄せ書きをお送り頂き、最高に嬉しかったです。全員自筆の文章で、凝縮された内容でした。何度も読んで、私の心は喜びでいっぱいになりました。全国集会の際、夜の祈りの友の集まりに52名も の兄弟姉妹が参加されたのですね。寄せ書きをしてくださった25名ほどの中で、私は17名を覚えていました。その顔を思い描きながら、聖句と共に皆さんからのお便りを 読みました。
後日、今度はS.Kさんから電話をもらいました。祈りの友の集まりの内容を説明し てくださり、徳島での会が、まぶたに浮かぶようでした。
私は昨年十二月に脳出血で倒れましたが、半年経って、大分回復しました。デイサービスに通ったり病院で治療を受けたりしています。言語治療では、文字の読み書きで、かなり回復しています。ただ体力は、七十八才でもあり、疲れやすく行動範囲が狭くなり、出来ることが少なくなりました。
毎朝、妻と共に、「新約聖書 一日一章」を読んでいます。榎本保郎著です。
浦和キリスト集会では、山中湖・夏の集いを今年は八月二日~四日に予定しています。そのテーマが「『聖霊』について、内村鑑三から学ぶ」というもので、関根義夫先生が 語ります。残念ながら、今の私は参加できそうにありません。内村鑑三信仰著作全集を 開き、聖霊の項目から、聖霊とは何か、聖霊研究の必要、聖霊の進化、聖霊のはたらき、 聖霊を受ける道、霊の交わりを読みました。
全国集会や祈りの友合同集会などには参加できない状況にありますが、ありがたいことにスカイプにより集会参加がゆるされて、おかげさまで弱い信仰が支えられており、神様のお導きに感謝しております。
吉村様のメッセージ、皆様の感話、讃美にまことに恵まれます。中継のご愛労をいただいている徳島の方々に御礼を申し上げ、上よりのご祝福がゆたかにございますようにお祈りいたします。
高齢のため息子に運転を止められて、車に頼らずなるべく歩くようにしたら、この半年ばかりでだいぶ脊柱管狭窄による腰痛と足のしびれが良くなりました。ただグループホームに入所四年目になる夫の嚥下障害がひどくなり、昼食介助のために通所する回数が増え、そこは交通の便がなくやむを得ず運転をしています。さまざまな不安の多い生活の中でもイエス様を信じ平安に過せることが有難く、喜びの昨今です。
岡山聖書集会について まず、岡山聖書集会がこれまで歩んできた道のりについて、簡単に振り返ってみたいと思います。それは、日本が経済的にも高度成長期の昭和31年、岡山の中国電力株式会社に勤めておられた黒澤氏が、土曜日の午後、同僚の常久氏や岡山大学や岡山朝日高校の教員4、5人で始められました。一番困ったのは集会場で、はじめの頃は集会員の家庭で集会をしたり、転々と会場を変わりました。最後に現在の岡山朝日高校の六高記念館をお借りすることができるようになり、現在に至っています。会場が安定していない時は、無教会の欠点の一つは決まった会場がないことであることをつくづく感じました。
現在の岡山聖書集会は平均7、8名で、主宰者のS.O(次男)の聖書講義を中心とした礼拝を毎週日曜に持っています。礼拝の最後には、出席者それぞれが、今日の聖書箇所について自分の思いを述べる感話をしています。毎回の礼拝は約1時間30分ぐらいで終わります。集会員は小学生から97歳まで年齢の幅は広いですが、それぞれ自分ができるところで自分の特徴を発揮しています。岡山聖書集会は毎回の人数は少ないですが、信仰を中心として結ばれ、イエスさまが中心におられて見守って下さるように思います。今後も聖書のともしびを消さないように、力を合わせて歩んでいきたいと思います。
どうぞ祈りの友のお一人お一人のお祈りをお願いしたいと思います。
岡山市で「マラナ・タ学習塾」をやりながら、岡山聖書集会(無教会)を主宰しています。
毎日、訪問介護ヘルパーの仕事をしています。私にはピッタリの仕事のように感じます。五月からサービス提供責任者もやらせてもらえることになり、うれしいです。
最近は、両親が年をとって来たので、両親が老後を幸せに過ごすにはどうすればいいのか考えているところです。
ご高齢の兄弟姉妹が入院され、とても厳しい現実が突きつけられている毎日です、その中でヨハネの黙示録14章13節の御言葉と出会い、特に、「彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」という御言葉に慰められました。
この三月半ば、息子が心筋梗塞で心肺停止、蘇生後の脳が覚醒しておりません。多くのお祈りをいただき、感謝申し上げます。神様の御旨のままに従います。
先日、転院のため介護のタクシーに、息子に付き添い(酸素ボンベ同伴)寝台車ごと乗れる車とは。便利、と驚き!でした。元気、健康、守られてる、と感謝です。
二日に白内障の手術を受けました。その影響かどうかはわかりませんが、だんだんと祈れなくなり、「祈らねばならない」「祈れない」の毎日が続くようになりました。いつしか足が地から離れ、空中をユラユラ漂っているような、不安定な落ち着かない、嫌な気分の毎日となりました。手術後に必要な眼鏡が全国集会締めきりギリギリに間に合い、五月十五日(日)のみ、参加することが許されました。そこで飛び込んできたみ言葉は、「イエス様はいつもあなたと共にいます。」でした。自分の状態がわからない者の心の中をイエス様は全部ご存じで、優しく落ち着く時を待っていてくださることを示され、有り難く、嬉しく心が和みました。それと共に「祈らねばならない」と私の律法、即ち偶像を造り、それに従おうと躍起となり、イエス様を押しのけていたことも示され「申し訳ありません」と謝りました。選択の自由を与えられているとはいえ、こんな原罪は私の本能です。全く気付きませんでした。もっと聖書を真面目に読もうと思います。
「神は真実な方です。試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(1コリント十・13)
いつもお祈りをありがとうございます。多くの祈りの友の方々に祈られ支えられ、又具体的に祈りを合わせることができる恵みを感謝です。
何が起きても主の御旨でないことはない。主の御心だけがなることを信じて、弱さや罪があってもすべてを委ねて歩めますようにと願います。これからもよろしくお願いします。
今年に入ってから毎週日曜日の午前に家庭集会を持つようになり、マタイ福音書と詩編の講話を交互にしており、準備が大変です。
清水 和子(大阪)
家庭集会で讃美歌の伴奏をしていますが、いろいろな讃美歌が歌えるように毎日練習を始めました。
体調が良くないことが多いですが、神様に守られています。
「食べる物と着る物があれば、私たちはそれで満足すべきです。(Ⅰテモテ6・8)」
私自身の様々な欲を制する為に、このみ言葉を食卓の壁に貼っておきました。日々の糧と心の平安が与えられ、これ以上に望むものはありません。午前中は小学校で学習支援の仕事をし、午後は専ら家事に専念しています。
家族の中の様々な問題も、祈りの友の皆様の祈りを主が聞いてくださり解決の道を示してくださっています。皆様の祈りに支えられている事を実感しています。私自身がもっと他者のために誠実に祈れる者となれますように、主よ導いてください!!
徳島での全国集会の約一週間前から体調不全で、急きょ欠席することになり、とても 残念でした。現在では完全に回復して、日々の生活に戻ることができました。皆様のお 心とお祈りありがとうございました。
今、不登校、引きこもりの方々(男三人、女二人)に寄り添っています。それぞれが、自分の道を見つけられますよう、祈っています。
祈りの友の広島在住の青原さんという方が、実家が松江で、5月連休に帰省の折会いませんかと声をかけてくださり
青原さんの知人宅で聖書と、内村鑑三の本を読む会に集いました。感謝でした。繋がりが広がり嬉しいです。
昨年9月の洪水以来皆様のお祈りに支えられ、今日まで過ごして参りました。
この恵の家の生活を報告します。昨年12月にリフォームを終え家に戻ることが出来ました。家の中の片付けは8部通り終えました。庭の整理は半分程で、昨日は龍の髭を刈りました。根元に洪水の時の泥がびっしりと付いていました。刈ると泥埃が舞います。鳥がした糞から芽を出した南天、千両、山椒の苗木を青い鉢に寄せ植えをして妻にプレゼントしました。
夜、エレミヤ書を読んだ時に妻の反応が良く、神様の御言葉を共有出来たと感じることが出来ました。
妻との対応に苦慮していたのですが、妻のしてほしいことに共感して一つひとつやっていく中で私も妻も変えられていることを感じて主イエスさまのお導きに感謝しています。
心の病の方々がご自身の上に復活のイエスさまが最善の御業をなして下さることに希望を持って生きられますように祈っています。
娘や孫たちに助けられながら、何とか独り生活を続けています。このごろ全身が痛み、 少し歩くのも苦痛を感じるようになりました。
自分が祈るようになって、ようやく、ずっと祈られて今がある事、気づかされました。祈りの力を実感しています。
「キリストは自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。」(ガラテヤ五・1)
「愛せない、赦せない」ことをこの前に書きましたが、NHKテレビ心の時代で、同志社大学の先生が(お名前は忘れました)「私たちの愛せない赦せない心をしっかりと自覚して主に祈り求めなさい」と語っておられるのを聞いて、気持ちが楽になりました。
ちょうどそのあとで、冒頭の聖句、私たちの、愛せない、赦せない不自由から「解放」してくださって、愛せる、赦せる「自由」を与えてくださる事を知って、祈り求めていくしかないんだと思うようになりました。素直に自分の心を告白して、自由を与えていただくしかないんだと知らされて感謝でした。
「わたしの祈りを聞いてください。主よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に黙っていないでください。」(詩篇三九・12)
このたび、初めて祈りの友会に入れて頂いた、徳島聖書キリスト集会の高橋ルツ子です。幼少の頃から、日曜日の主日礼拝に参加する機会を与えられていましたが、自ら信仰を自覚したのは、初めての子どもが、天に召されてからです。そのことから、その後、主人も信仰に導かれました。時には、信仰のともしびの火が弱く、消えそうな試練の時もありつつ、人生で一番大切なこと(神様のことを子どもたちに伝えていきたい。)を願いながら、クリスチャンホームを目指しています。
内村鑑三に感銘を受けて、私に「ルツ子」(内村鑑三の長女の名前)と名付けた、キリスト者の父も、一年あまり前に、服用し続けていた薬の副作用が強く出て、幻覚を見たり、混乱状態になったりと、落ち着くまで大変であり、一人暮らしが続けられなくなり、しばらく前から同居しています。大きな変化もなく、守られ落ち着いていて、神様に感謝です。現在、父、夫、小四の娘、小一の息子と共に暮らしています。
今回、祈りの友の会に入会できたことも、神様のお導きを深く感じます。主にある兄姉、Y.N兄、T.R姉、T.Y兄の三人の方々を通して、主が私を導かれた恵みを思い、ここに深く感謝申し上げます。
三歳になる息子が幼稚園に入りました。
頌栄幼稚園というキリスト教の幼稚園で、毎日お祈りや礼拝の時間もあり、主人に禁止されていて教会に連れて行けない状況の中でも神様に心を向ける時を与えられ感謝しています。
先日、四月十日には青森戸山教会へ、次の週には、弘前キリスト教会へと、Y兄と一緒に聖日の礼拝を守るために行きました。年に一度、青森戸山教会にはI姉を訪ねる思いもあってゆくのです。I姉は三十数年来の知己で敬愛する高齢の女性です。無自覚な自己中心性のゆえに迷惑をかけ、幾度も心痛を与えてしまいました。けれども、わたしの信仰の成長をいつも心から喜んでくれます。三十数年前、関根正雄先生が責任者であった千代田無教会集会の茅ヶ崎での新年集会で初めてI姉と会って、それ以来の交わりをいただいています。
弘前キリスト教会は、Y兄が、私と「二人三人会」の聖日礼拝を始める六年ほど前まで、そこで洗礼を受け十数年通っていた教会です。鬱病と屋根からの落下による腰のけがでY兄は弘前まで通えず、私と礼拝を持とうとするようになったのでした。Y兄の薬による極度の精神的混乱の時、わたしはキリスト教会のK長老にも電話をしてY兄のことを話し合いました。キリスト教会での礼拝は、私は初めてでY兄は六年ぶりでした。教会はわたしたちを温かく迎えてくれました。帰りの車中で私はY兄と今後のことを話し合いました。キリスト教会に戻るか、私と共に弘前で集会を始めるか、あらためて、彼の決断に委ねることになりました。その際、Y兄の決断の如何に関わらず、彼の長きにわたる切実な願いの祈り、弘前の地に住みたいとの願いについては、冬場を中心として五か月あまりは私の家で、春夏秋は市浦の地に住み続けることを私は提案しました。
市浦二人三人会はやがて終わるけれども、弘前の地に集会は建つのだろうか。自分を覗き見れば、力を失う。しかし、困難な時々に助けられ、力を与えられて、すぎ越して来たのだと思い起こす。そして、それは、これからも。
頼るべきは主のみ
昨年のお正月だった。子どもたちがみんなで私達夫婦の還暦祝いをしてくれて、嬉しい一年の幕が開けた。喜びの絶頂。退職してからは、こんな風にのんびりと暮らしをしていくのだろうと予測していた矢先だった。五日後に突然、息子から苦しみを打ち明けられた。油断していた私は、予断を許さない息子の苦しみ悩みを知って、にわかには事実を受け止めきれずに混乱した中で、目が覚める。
「もう、がんばらなくてもいい。これまで十分にがんばってきたことを知っている。これ以上、もうがんばらなくていい」と苦しい気持ちを受け止めつつ、私にできることは、息子を見守ることしかできなかった。私には命を長らえさせることはできない、一番大切な命について、全くの無力であることを思い知らされる。油断していた。おごる気持ちが育っていた、知らぬうちに主に感謝を忘れていた。私の奢りが木っ端微塵になった。打ち砕かれて、自分の力の無さを見つめ、味わっていた。私には何もできません。命を司ることができるのは主のみです。打ち砕かれて、腹の底から主こそが頼るべき方であると思って祈った。「どうか、息子の命を、御心ならば長らえさせ、ここで終わりにしないで下さい。私が悪かった。私の罪を息子に着せないで、私を罰して下さい。私こそが罪の頭です。」と主により頼み、祈るしかできなかった。
はらはらしながら夫婦で見守り祈り続けてきた息子も、新たな道を一歩を踏み出すことができました。予断も油断もできませんが、一時期の危機的な状況は脱することができました。いつも息子のことを祈っていて下さった皆様に感謝しています。ありがとうございました。
3月中旬、職場で窮地に立たされてしばらく不眠が続きました。祈っている間に神が働いて下さったのでなければあり得ない、と思うことが起きて状況が改善しました。神様は生きて働いて下さっている、と思わされましたが同時に「こんなに私たちの願いを聞き入れて下さる神様なのだから聞かれない祈りには何か神様の御計画があるはずだ」との思いを強く実感するようになりました。それがどんなすばらしい御計画であるかを見てみたい、と思うこの頃です。「私の名によって願うことは何でもかなえてあげよう」ヨハネによる福音書14章13節を思い出していました。
五月で、長男の妻が召されてから四年が経ちます。遺された幼い二人の孫らの母親代りを、日々祈りつつ努めてきました。神のご加護により、二人とも成長して七歳と四歳になりました。また、強迫性障害の次男は、最近ボツボツながら社会復帰の可能性が現われてきました。神の御恩恵に深く感謝します。高齢での四年の歳月で、初めて神の御心による真の人生を教えていただいた思いです。
私事ですが昨年の初めごろ難聴が急に悪化して家族との会話も電話も出来なくなって社会生活が大変困難になりました。受診すると頭の奥の神経が壊れているので治療は不可能だと言われました。諦めて我慢するより仕方ないのですが時々胸を刺すような孤独を感じることがあります。その一つは多数の人が話の途中で一斉に急に笑った時にその理由が全く分からないことです。瞬間的な笑いを失聴者に伝えるのは手話でも筆談でも不可能です。笑いを共有するのは凡人にとって大きな楽しみですからやはりさびしいですが仕方ありません。しかしどんな時にも主イエス様を仰ぎ見る自由が与えられている幸いを今更に感謝します。
祈れば誰にでも聖霊を与えられ導いてくださる主イエス・キリスト様を信じて残り少ない人生を歩ませて頂きたいと願っています。厚かましいですが皆様のご加祷をお願い申し上げます。
「祈りの風」第5号(11月号)に古川静さんがハンセン病療養所星塚敬愛園の恵生教会創立80周年記念誌「続 恵みに生かされて」の紹介をされていましたので5冊送っていただきました。(記念誌編集等経過は第5号に記載されています。)記念誌は活字が大きくサイズは26㎝×19㎝、1,2キロの重量ですが本の重さは内容の重みと受け止めて拝読しています。恵生教会は1935年沖縄から星塚敬愛園に連れてこられたハンセ病患者135人のうち63人のキリスト者が無事に船が着いたことを感謝して祈りをささげた日がスタートと言います。らい予防法のもとで、非人間的な扱いをされ過酷な人生を強いられてきた方々が信仰により、希望を抱きつつ召された方々の証し・存命の方々の証しには、襟を正さずには読めません。
この記念誌は多くの人に読んでいただきたいと私は図書館へ寄贈させていただきました。
今年4月最高裁は患者の裁判を隔離先の療養所などの特別法廷で開いた問題で、「人格と尊厳を傷つけ、お詫び申し上げる」と謝罪しました。「感染を恐れた裁判官や、検察官、弁護士が予防服を着て証拠を火で扱うという異様な光景もあった。問題なのは、殺人罪に問われた元患者が無実を訴えながら、特別法廷で宣告され、のちに執行された事件も存在することだ。(東京新聞4月26日)」
○ 自民党の改憲案を、9条の会の人たちで読み合っています。改憲案が成立すれば民主主義でなくなり独裁政治になります。それでは手遅れです。政治に無関心な人は、自民党の改憲案を知らない人が多いのではないかと危機感を覚えている私は、東京新聞社にその旨を伝え「改憲案が現行憲法とどう違うかシリーズで掲載を!」それと、「沖縄も日本なのに無関心な人が多いので、沖縄の記事を載せるように」と要望書を送りました。他の読者からも意見があったのか、4月末から両方共よく掲載されています。早速お礼と励ましの言葉を送りました。
夫の病気、検査のため、病院に付き添い生活しています。六月三日に大きな手術をしました。無事に手術が終りました。しばらく病院で付き添います。
いつもお祈りを感謝いたします。母(禮子)、私(次男の泉)ともどもに身体と心を守ら れて何とか元気にしています。祈りの友の皆様のお祈りに慰めと平安をいただいており ます。私も主に立ち帰り、祈ってゆきたいと思います。主イエス様がともにいて下さい ますようにお祈りいたします。
パーキンソン病の方は、作業療法士の方の良い指導、リハビリ、薬物療法のおかげで普通に日常生活を送れています。現在、近くの病院の小児科に週に四日勤務しています。ただ一番の悩みは、パーキンソン病に伴う便秘、排便困難症で、いろいろと薬は飲んでいる のですがなかなか改善せず困っています。二年前に初期で見つけられた右の腎臓癌は癌 摘出後は経過を見てもらっているところですが、肺への転移、腎機能の低下などをチェックしてもらっています。
徳島における全国集会は本当に聖霊に満たされ、恵みに満ちた集会でした。全国、あるいは韓国からの兄弟姉妹方と主にある交わりができたこと感謝でした。讃美と祈りに溢れ、三日間で歌われた一つひとつの讃美が今も心に深く残っています。毎日家で讃美しています。讃美は祈りであることを今回も深く思わされました。また講話や証をされたお一人おひとりのお話から、それぞれの場所で主にある歩みをしておられることが強く心に残り、今も尚励まされています。
土曜日の夜、祈りの友 の交わり、課題集によってお名前だけしか存じ上げていなかった方々とも直接お会いして祈りを共にできたこと本当に感謝でした。何人もの方から祈ってるよ。との温かい言葉をかけられ、励まされました。祈り祈られの真実を感じることができました。
片道5キロほどランニングで時々通勤するようになりました。月に100キロ弱走っていると思います。川べりや田畑の中ではなく、街なかを走るので、車など交通量の多い道もあり決して気持ちの良い道とは言えません。しかし道中は集会の方々などのいろいろな方の讃美や聖書講話を聞いています。ゆっくりでしか走れませんのでたくさん聞けて感謝です。
祈りの友の祈りは基本的に早朝しています。「ご自身とご家庭の上に、今日一日、新たに、主の平安、導き、お守りあり!」と信じつつ祈っています。職場の本棚には聖書を置いていますが、最近集会でいただいたみ言葉の掛け物も置いています。徳島の全国集会でいただいものですが、両面の御言葉ともふさわしいもので驚いています。感謝です。
家族(有加、絆菜、歌歩)は今のところ健康を守られております。祈りの友の久保義宏さん、河合実千代さんとずいぶんお会いできておりません。今もどうか主の御手の中にあることを祈ります。
五月の全国集会にには参加できませんでしたが、多くの方々の寄せ書きをいただき励まされ、力づけられました。ありがとうございました。
私は年相応ですが健康が保たれ、家庭菜園、花作りなどしております。ただ、妻の方は緑内障が進み、生活にも大分支障が出て来ました。包丁を使うのは、もっぱら私の方で、台所も二人で楽しくするようになりました。
近頃、政治も経済も外交も気に入らないことが多く、憂鬱な毎日ですが、身の回りでは嬉しいこともいくつかありました。
ひとつは、介護認定三の独身の妹は二年あまりショートステイの繰り返しでしたが、このほど、市の特老施設に入居できたことです。明るい施設で、広々とした個室、働く方も若い人たちで、今さらのように福祉のありがたさを身に覚えました。私のところからも2キロメートルほどなので、よく行くことができます。
ふたつ目は昨年2月に亡くなった姪の納骨ができたことです。教会で育った姪でしたが、結婚後は苦労も多く亡くなってからも遺骨はそのままでしたが、このほど、ご家族(主として彼女の夫)とよくお話をし、教会で納骨骨式をし、教会墓地に納骨することができました。
三つ目は私の孫の結婚式を私がもと働いていた千葉の教会で挙げることができたことです。教会学校時代からかわいがり育ててきた子ですが、お相手は同じ地区内の教会の女性で、地区の中高生会のときからの友達だったとか。ふたりとも教会員なので本当に感謝です。
厳しい世の中で、辛いこと、苦しいことも多い時代なのに、それでも神様は私たちを見捨てず希望を与えてくださっていることを妻と話し合っています。
私は今、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の歴史に非常に感心が深く、そちらの本を読みあさっています。読むそばから忘れるのですが、教えられること多く、あらためて真の信仰について考えさせられます。その中で、気がかりなことは、イスラム教研究者の方はどうしてもイスラム教に肩入れしがちで、キリスト教の信仰に誤解を与えるものが多いように思います。
「わが喜び、わが望み、わが命のきみ
昼讃え、夜、歌いてなお足らぬを思う」讃美歌五四六
私の愛唱です。
この三月、四十二年間勤務し続けた静岡市役所を退職し、四月から障害者が通う施設の非常勤の生活支援員として働きはじめた。旧清水市、合併後の静岡市の両市で、共に 障害者福祉課に配属され、奇しくも両市の「障害者福祉計画」策定に携わった。計画書は、関係者や関係機関などから過度な期待や失望を持たせることの無いよう、そして市として格調高く、品位を保つ文章を心がけ策定した。計画書を作り終わると、一つの思 いに駆られた。障害者の方々が実際にどんなふうに施設で過ごしているのか、またそこで働く支援員の仕事ぶり、我が子を施設に送り出す保護者の気持ち等々、現場の実態を知りたい、当事者の生の声を耳に入れたい、そんな思いが強く残った。そのようなことがあり、現在「生活介護」で週三日半、生活支援員として働きはじめた。
私の施設は、言葉によるコミュニケーションは、ほとんど成立しないが、表情や身振り・手振り・言葉にならないうめき声、独り言により、最近やっと少しずつではあるが、利用者の気持ちが解るようになった。利用者との距離が縮まって来たことを感じるようになり、そのことがとても嬉しい。
利用者のほとんどが独自の世界で生活し、皆、静かな時間を好む人たちである。小さ な事で気持ちが通い合う時、この上ない幸せを感じる。利用者から「生きるとはどうい うことなのか」と、人生の本質を問い掛けられながら、施設に通っている。
心に平安が与えられて感謝です。ここの所、うつ状態がほとんどありません。主人のために祈っております。
「死に勝つもの」を読ませて頂きました。
一死刑囚S.T.さんと、石原様の魂を通わせた文通でした。本はS.T. さんの手紙45通ですが、石原様のS.T.さんに対する愛も十分に伝わってくる、すばらしい本でした。本を貸して下さった永井信子さんに感謝しています。
四国松山から転居して四年目になります。外国へ来たようで誰とも話す人がいません。
一人でも友人ができたらいいな・・と思っています。祈ってまいります。
お腹の調子が悪いときもありますが、主日礼拝や家庭集会の参加が守られています。みなさまのお祈りに感謝します。
私は、熊本地震以降体調不良が続き日々悪化しています。夜間ラジオをかけたまま寝ているので、熊本地震や各地の地震情報があると、2011年3月11日当時を思い出して、身体が震えていることもありました。宮城県の私どもが居住している地域は、岩手県にも近いので、両県沖が震源地の時は、内陸部に位置しているのですがよく揺れます。通院等しないで様子をみていましたが、5月末から6月初旬にかけて実家の手伝い、6月は夫の入院、宿泊や訪問客の予定等があり、現在の身体状態を改善しなくてはと思いはじめました。
丁度その時、岩手在住の兄(次男)から、「仙台・北陵クリニック筋弛緩剤冤罪事件の森大助さんの再審査・無罪」のDVDが届きました。震災前に石巻の書店で、森大助さんの手記を手にして、冤罪事件では?わが息子たちが、森大助の立場だったら、と恐怖を抱いたことを思い出しました。学生時代に、岩波新書の「誤まった裁判」を読んでから、冤罪事件のことを知りました。現在の身体状態が改善したら、視覚障碍者の卓球ボランティアの再開と森大助さんを支援する会に加入したく思っています。
現在卓球ボランティアで知り合った方のマッサージと鍼灸治療を受けています。夫の入院を控え、私は体調不良となっていますが、3月に退職した長男が同居中なので、大変心強く思っています。神様はいつもいかなるときにもお守りくださり、良き方向にお導きくださっているのだと確信して感謝しています。
家内のお腹の痛みは子宮癌による腹膜炎と診断されています。この痛みを癒すためには抗癌剤治療で癌を小さくして手術をするといわれましたが、お断りして代替療法を選びました。
代替療法とは病院の医者による治療以外の、伝統的な治療法、東洋医学、食養、瞑想などの人間の自然治癒力を促す、すべてのものです。
いまやっています代替療法はイトウ・テルミーを中心に生姜全身罨法、ビワ葉コンニャク罨法をローテーションを組んでやっています。いずれの療法も痛みを和らげ、体を温めて気持ちの良い手当てです。食事は玄米菜食、睡眠時間は十時に寝て五時に起きるライフスタイルを目標にしています。
心も大切で癌の恐怖から逃れることが、もっとも大切なことといわれています。私どもは信仰によって主に守られている安心感があります。それと代替療法を正しくやれば末期癌でも治った人たちが多く出ています。
皆様の、お祈りに支えられて夜は痛みも少なく睡眠はできています。しかし日中は痛みがでますので治療をすると一時的にとれます。根気よく熱心に継続していくと癒されることを信じてやっています。引きつづき、皆様のお祈りをお願いします。
自営業で、長く仕事をしてきましたが、夫の体調不良により、ピリオドをうちました。
新しいスタートです。神さまが、良き道を示して下さることを願っています。
朝、夕に祈りの時を持っています。日々御言葉に励まされ、力を与えられています。
「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手を持ってあなたを支える。」(イザヤ四十一・10)
今年に入ってから、鹿児島市での集会のない第二、第四主日は星塚敬愛園恵生教会に出席し、高齢で不自由な皆さんのために湯茶の接待などの手伝いをしています。礼拝が ある限り続けられますようにと願っています。加治木の筋ジス病棟での月一回の集会(二人きり)も続けていますが、病気の進行で学び・礼拝ができない事も生じています。
一方、二ヶ月に一度の祈りの友会は、いちき串木野市の教会を借りて行っています。掲示板に「超教派による祈り会」と明示されてあり感謝です。先頃27回目を実施でき ました。多くても六名くらいですが、聖書の学びに引き続いての祈り会で、主にある喜びを感謝し合っています。
この春、東京で独り暮らししている娘の所に行きました。仕事にもよりますが、忙しい時は早朝四時頃出かけ、夜遅く帰る日が数日続く事があり、休日はグッタリしていま した。支えられ生活できている事に感謝して帰ってきました。霊肉共にお守り下さいと祈っております。
セイジの花が風にゆれています。四国の全国集会に参加ができた事、感謝でした。車座の祈りの時間、すばらしいことでした。真実の祈りいいですね。
「祈りの友」会の上、主様の御守りが豊かに有りますように。
千葉在住の義兄家族が鹿児島移住をとのこと。神様が示してくださり、事がうまく運びますよう願っています。
「善を求めよ、悪を求めるな。そうすればあなたがたは、生きることができる」 (アモス書五章十四節)
さわやかな緑の季節が与えられて感謝の日々です。加齢で足・腰が痛く、思うように身体が動かなくて困難な生活ですが、寝たきりになっている方を思えば、歩ける事を心より感謝できます。少しでも私のできる範囲で他の為に出来る事をさせられ度く思います。「緋の如き罪」も洗い流してくださる神様に、来し方の罪、又、日々の罪を許して頂いて前向きに、聖言に支えられて、残るわずかな人生を歩ませて頂きたく祈り求めるのみです。 世界の為に、日本の平和の為に、兄弟姉妹の為に祈らせて頂ける事は、幸せです。
主の御名を讃えます。孫の方は、娘の枝実子夫妻が育ててくれていますが、重病の主人の介護は私の仕事なので、体力と精神力との戦いです。「祈りの風」の発行において今回もお世話になりますが、宜しくお願い致します。主の見守りを祈りつつ。
大腸がんの経過観察について三月末に行われ今回も無事にクリア。七月初め、当地(長野県松本市)にて、「全国キリスト教障害者団体協議会」の総会と修養会が持たれます。修養会では私が「病が与えれれて」と題した証しをします。昨日の私の誕生日(五月一八日)に、何通かの「お誕生日おめでとうカード」が祈りの友会の愛兄姉から届きました。とても嬉しかったです。この場をお借りしてお礼申しあげます。
息子(引きこもり)は皆様のお祈りのおかげで昨年来から病院の先生も代わられましたが、先日二階の私どものベッドを階下に、娘夫婦(北海道在住)が降ろす手伝いに30年ぶりに出てきて手助けをし、30年ぶりに夕食を皆と共にしました。心からお礼申し上げます。嬉しく、神様と皆様に感謝しました。
47才の若さで、無免許運転・酒気帯び運転・引き逃げ事件に遭った甥の死は、痛ましくあって慰めの言葉もありませんでした。逮捕された男は、道交法違反の罪で執行猶予付有罪判決を受けただけです。法の無慈悲さを改めて知りました。
長寿国となった日本の近年の死因は、1)ガン、2)心疾患、3)脳血管疾患、4)肺炎、5)老衰、・・・です。
自然死=老衰で召される方の少なさには驚きです。好むと好まざるとに関わらず、肉体の死は訪れますが、80を過ぎて活かされている。私はどんな召され方をするのだろうか?と、甥の死を通してフト思いました。
一羽の雀も見捨て給わない愛なる神は、今日も変わらず「憐れみ深き父、慰めに満ちた神」(Ⅱコリ1の3)として、救いの御手を差し伸べてくださっておられ、感謝・希望・喜びに満たされ、安らぎを覚え、御国への旅立ちが楽しくなりますね。
主を畏るるは知識の根本なり」(箴1の3)、「あなたの若き日にあなたの造り主を覚えよ』(伝2の1)、これらの聖言に目覚めるに優る幸せな人生はありませんね。伝道の大切さを覚えましょう。
聖書日課として、書き込み用の聖書に引用聖句や大切なポイントを小さな字で書き記しています。何冊かの聖書を使い分けしだしています。主の日の礼拝に四人の孫を軽の自家用車に乗せ、子供の教会学校と大人も子供も一緒の朝礼拝を守ります。定員オーバーです。今までは皆小さかったですが、礼拝から遠ざかっている娘夫婦の礼拝生活の回復が課題としてあり、共に解決できるよう願っています。
皆様の祈りの課題を読ませて頂いて、ほぼ毎日三名ずつ順番に夫婦で祈っています。主の導きのうちに繰り返し続けていく事ができ感謝しています。お一人お一人の祈りが 私達の祈りと一つになっている事に気付かされて大きな慰めと力を受けています。皆様の真摯な信仰の告白に触れる思いがしています。多くのことに気付かされ、教えられて、祈りの広さと深さ、強さに導かれています。
実は最近になって左目が失明状態で、右目だけで見たり書いたりすることになり、不便、不自由であり、本来得意としよく書いたこともおっくうで疲れやすくなりました。全盲でないだけでも有難いことです。祈りの日々であります。八十代後半ともなれば、ここまで生かされて来たことに神さまに感謝し、み旨に従い、一日一日を過ごすことにしています。黙示録の予言を思い、み国の完成を祈ります。
私どもの徳島聖書キリスト集会主催の無教会のキリスト教全国集会が5月14~15日に行なわれ、沖縄から北海道まで140名ほどが集り、ともに祈り、賛美、み言葉をうけるという恵みを受け、さらに参加者同士の主にある交流が与えられました。また、5月14日の全国集会第一日目の夜に「祈りの友」の合同集会が、「祈りの友」会員と、会員でない方々で希望者の方々も自由参加で行なわれました。「祈りの風」通信でのみ知っていた方々もじっさいに顔と顔を合わせて祈りの場に導かれたのは幸いなことでした。
私は健康はだいたい維持されていますが、妻の健康状態に問題が生じ、去年6月ころより、妻は山を少し登る自宅での生活が難しくなり、徳島市の集会場で住むことになり、そのため私は、毎日自宅と徳島市の集会場を往復するようになりました。私への電話は、毎日徳島市と小松島市を往復するようになったので、かかりにくくなっていますので、携帯のほうがよりかかり易いかと思います。(最後ページ奥付参照)
相変わらず月に一回病院に通い、採血と検尿をして、先生から病状の経過、注意すべき事などを聞いて、静かに生活しています。また自宅の隣りの紫山一丁目町内会の集会所の花壇には、夏から秋にはマリーゴールド、ベゴニヤ、サルビヤ、アサガオ、コスモス、菊等を咲かせています。夏は仙台市で行っている花壇コンクールに参加しましたが今回は入賞を逃しました。十年間で、泉区長賞一回、努力賞二回もらいました。ほかに公園の清掃などを行い、日々の祈りのうちに毎日を送っています。感謝です。
S.A(神奈川)
以前だったら、落ち込んで沈み込んでいるような場面でも、聖書のみ言葉を思い返すことで、そのような落ち込んだ状態にならずに、新しい力をいただくことができています。
わたしの目にあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43・4の一つのみ言葉で、救い出されます。神さまが暗闇から救い出して下さる、自分を引きづり落そうとする力と戦ってくださっているのだということを思わされます。
友人が部屋を片付けられない病気ということで、診断までもらっていますが、よく聴いてみると、以前はこのような事はなかった、昔はこんなに物がなかったということを言っていました。ものをたくさん買ってしまうようになったと言っていました。
問題の本質は、心の渇望にあるのではないかと思わされました。心が神さまのみ言葉で、満たされて平安が与えられたら、余計なものを買わずにすみ、物が減り、整理整頓ができるようになると自分は思いました。その友人が、神さまのみ言葉で心が満たされ、問題が解決され、更に、良い方向に導かれていくことを祈っています。
自分自身も、信仰が与えられる前、不安でしかたがなかったころ、甘いものをたくさん食べたり、携帯でインターネットをたくさん見たりしたりして、驚くような金額を請求されたりしていました。ところが、心に平安が与えられた今は、そのようなことはなくなりました。心が満たされたら、余計なものはいらなくなります。神さまは私たちの心に必要なすべてをたくさんに満たして下さります。
「渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。(ヨハネ黙示録22・17)「またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」(ヨハネ6・57~58)
世の人は、たばこや酒で心の問題を解決しているようです。しかし、僕の周りを見ると、そのような人は、糖尿病になってしまったり、体が不健康になったりしています。その人も不幸にしていますし、その人の家族や所属する会社にも、社会にもダメージを与えることになります。
聖書のことばは、心を満たしてくださり、それでいて、周囲にもよい影響を及ぼしていくものです。これを伝えたいと願っています。たばことお酒が賛美とお祈りに変えられる日がくることを信じています。神さまが実現してくれると信じています。
少年犯罪や、いじめなど、社会問題の多くの問題の本質も心の渇望にあるように思えてなりません。絶望を希望に、不安を平安に、闇を光に、神さまは変えて下さりました。神さまはすばらしいです。みなさまに祝福が豊かにありますように。
イエスさまに救いを与えられ、集会などに参加することにより、目の見えない人や耳の聞こえない人と交わることができたことを感謝しています。そのような人のことを考えながら生活することもなかったと思います。普通に日本に暮らしている場合、多くの人は目の見えない人や耳の聞こえない人などと関わりを持たないままになるのではないでしょうか。
キリストの体であるエクレシア(新共同訳、新改訳聖書では、教会と訳されています)は、日本という国に対しても多くのよきものを与える可能性を秘めていると思っています。聖書を通して愛と真実を教えること、心の病の人を復活させること、さまざまな弱みを抱えている人と交流し助け合うこと、今死にたいと思っている人の受皿になること、多くのことができる可能性があるようにおもいます。エクレシアを集会、教会、召会と日本語で訳されているのを自分は今まで見たり聞いたことがありますが、キリスト共同体というのがよいのではないかと自分は考えています。「わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。」(ローマ信徒への手紙12・5)
イエスさまの体として、お互いに励まし合い、成長を助け、苦しんでいる人を助けられたらと願っています。
T.I(神奈川)
私がいきなりイエスさまとお出合いし、今年で46年になります。改めてその日の事を思い出し、神さまの御手のわざに感動しています。
あの日、総婦長室に誰もいなかったこと、総婦長の姿さえもなかったことが不思議です。朝9時~10時ごろまでは、夜勤を終えた人が申し送り等で何人ものナースが出入りし、各々が話し合ったりと、いつもは混み合っているのですが―。私は変だなーと思いつつ日誌を置き、総婦長のテーブルの上にあった印刷物をおそるおそる覗き読み初めました。それには、神、罪、救いが書かれている教会集会案内でした。誰も入ってこないようにと念じながら最後まで読み、深い感動に包まれました。あの日、病院に何があったのかは分かりません。あの時いつものようでしたら私は何も知らず持場に帰り、今の私はなかったと思います。私の救いの為、総婦長室に誰も表させないように、1人1人の足を止めてくださったことは、イスラエルの為に紅海を二つに分け、ヨルダン川をせき止められた出来ごとと同じ主の御手のわざ。と思い自分では何も分からなくても、すべての人は不思議な主の御はからいの中に生かされていることを思いました。
「天地創造の前に神はわたしたちを愛してキリストにおいて選びに入れてくださった。」やがて消えて行く霧のような存在である私をです。ペテロが主を三度否む、鶏が鳴く前に。と。一羽の鶏がいつ鳴くかも御存知の主。全能の主がご愛の中にこんな小さな者をも入れて覆ってくださっている事に心から感謝し大いなる主に賛美を捧げます。
A.I(愛知)
五月十三日~十五日、徳島での「キリスト教(無教会)全国集会」に参加することが許され、多くの霊の恵みを頂いた。
「祈りの友」の会員の方々も多数参加され、初めて顔と顔とを合わせて語り合い、祈り合うことができ、感謝であった
勿論、直接お会いすることができなくても、主にあって霊の交わりを持ち互いに祈り合うことは可能であるが、やはり実際にお会いし、膝を交えて語合い、祈りを共にし合えることは、より大きな恵みであると感じた。
とは言え、限られた日程の中で、ごく一部の方としか直接言葉を交わすことはできなかったが、声をかけてくださった方の多くが、私のことをよく承知していてくださり、具体的に励ましてくださったのは、大きな驚きであった。「祈りの課題集」や「祈りの風」によく目を通した上で記憶に留め、いつも祈っていてくださるのだということを知らされ、感謝に満たされた。
と同時に、今まで「祈りの友」お一人おひとりのお名前を覚え、その方の「祈りの課題」を心に刻んだ上でその方のことを祈るということが少なかった、自分自身の祈りの薄さ、弱さに気付かされ、深く反省させられた。
今回の全国大会への参加を通して与えられた気付きと霊の恵みを、これからの信仰の歩み、そして日々の祈りの中に生かしていきたい。
お一人おひとりの名前やお顔を思い浮かべながら、できるだけ具体的な祈りを心がけていきたい。
Y.K(高知)
「我すでに、世に勝てり」との言われる主イエスを仰ぎつつ、眼前の大勝利を確信して前進いたしましょう。
平和憲法は第二次大戦に敗戦し、その結果、日本に生まれた世界無比の憲法である。これは、ここを起点として全世界へ平和を進展して行くための創造主のみ思いなのである。これを真っ向から否定無視し、嘘でごまかし続けてきた悪党共の最後は近い。これからが見ものだ。主の十字架のみ前に泡の如く消え失せるから。祈りの勇者であるキリスト者はいよいよ心を奮い立てて熱祷を天に捧げ奉るべし。
Y.K(徳島)
今年の4月に「障害者差別解消法」が施行されました。行政機関や事業者に差別を解消するための措置等を定めさせることを義務づけるという法律です。ところが遅々として進んでいません。
先日ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う障害者を国会に招致するとしながら、後で議員が拒否しました。理由はコミニュケーションが難しいというものでした。これは国会議員によるひどい障害者差別に他なりません。障害者のみならず差別やハラスメントはあちらこちらに数多くあります。どうかあらゆる差別がなくなりますようにと祈ります。(後日談;国民からの批判が多く集まりALSの人は予定通り国会に行きました。)
R.K
・ ネパールにいた時の体験です。子供(幼児)の時、木の上に登って頭から落ちてしまいました。そばにはだれもいませんでしたが、だれかが「起きろ!」と両手で起こしてくれました。でも誰もいなかったのです。不思議な体験でした。その時から、神様が私のそばにいると思っていました。
・私は金持ちの家の人と結婚していましたが、だまされたと思って逃げました。お金を持たないでバスに乗って、「お金を持っていたけれど失くした」と言うと、運転手が載せてくれて、実家まで送ってくれました。うそをついたことは今になって神様に謝っていますが、神様が助けてくれたと思いました。・日本で、自転車に乗って、交通事故に遭いました。顔の皮が剥ける大怪我をしました。意識がなかったのですが助けられました。
・家庭生活ではいろいろつらい体験が続きしましたが、レーナマリアさんや北田さんのコンサートを聞いたり、マザーテレサの言葉を聞いたりして、喜んで自分のできることをしているのに、私は困った時に大変だ!と思っていたことが小さなことだと思えてきました。クリスチャンになって、苦しんでいる人と出会うことが増えた気がします。いつも「神様がいるから大丈夫よ」と、自然に言えるようになっています。神様がいつもそばにいてくださっているので、幸せです。ネパールも地震がありましたが親類は皆無事でした。人間の一生は神様が決めているので、お任せしていれば心配はないです。
M.K(東京)
関根義夫先生から堤道雄さんの本を借りて読みました。
「伝道で大切なことは人を増やすことではない。真理を語ることである」
私もキリスト・イエスに出会うきっかけは、内村鑑三の本を読んで、この人は真理を語っていると思ったからでした。聖書のみ言葉を大切にして、政治や経済、社会問題を見つめて、語っていきたいと思います。
S.K(岡山)
私が岡山聖書集会で講話を担当するようになって、早いもので、九月で丸二年を迎えます。
毎週、礼拝で聖書の講解をするのは、とても大変ですが、集会員の方にわかやすく話をするために必死になって聖書を読む事は、怠惰な私にとって、とてもいい勉強になっています。
聖書の真理は、言葉で説明し尽くせるものではないと思います。それは本来、言葉になりにくいものです。霊的なものを理性で捉えることには限界があります。けっして、理性でわかろうとする努力を怠ってはいけませんが、本当に大切なのは、聖書を読む際に、聖霊さまがいつも共にいてくださることを祈り求めることです。そのように聖霊さまによって満たされて、聖書のみ言葉を聴くときに、初めてみ言葉の隠された深い真理が腑に落ちてくると確信しています。
けれども、実際に、そのようにして開かれたみ言葉を伝える際には、やはり私達が慣れ親しんでいる言葉(日本語)を用いる必要があります。そして聖書翻訳の問題も絡んで、そこにかなり色々な制約があるわけです。しかし、この点こそ、み言葉を伝える際に一番難しいけれども、やりがいのある仕事であると私は思っています。そして日々、ことばの問題に取り組んでいます。
建築家やデザイナー、また文学者や詩人の仕事とは、つまるところ、言葉になりにくいもの、抽象的なものを現実的、具体的な形にして、私達の前に明らかにすることであると最近気づきました。
クルマのデザイナーの方の話を聞いて驚いたのは、クルマのデザインの出発点は一言のコトバ、多くの場合、抽象的、感覚的なイメージから出発するそうです。その一言のコトバからイメージを喚起され、デザインの仕事が始まっていくそうです。私は、このように、たとえ信仰者ではなくとも、日々命を削って、ことばの真理を探究している方の姿勢を見ると、とても共感し、また励まされるのです。
まだまだ、未熟な私の聖書講話です。そして、岡山聖書集会の集会員の皆様は私の信仰の大先輩ばかりです。けれども皆さんは拙い私の話をとても真剣に聞いてくださいます。また感話の時に自分が意図しなかったような深い指摘もしてくださいます。それが本当にありがたく、励まされています。
人の前で話をするのは、以前よりも慣れたのですが、私がとても苦手なのが、伝道です。
特に信仰を持っていない人に伝道することは未だに全くできていません。人見知りな上、信仰を知らない人にイエスさまの話をするのはとても勇気がいります。それは、やはりそのような時に、自分の信仰が否定されたり、嘲笑されたりすることを、無意識に恐れているからであります。
色々考えた結果、今は聖書の話を通じた伝道に集中することが大切であると思うようになりました。分かりやすく、聴く者の心に響く聖書の話をする努力が、私なりの伝道ということなのです。
そして一年半ほど前から、超教派の牧師先生の説教の勉強会に月に1度参加しています。
そこで、お互いの説教をかなり細かく分析、批評しあいます。大切なのは、その説教の最も良かったところの指摘であって、どうすればさらに良くなるかということである。このコンセンサスに立っているので、この勉強会は説教の欠点の粗探しに始終せず、とても真摯で建設的な意見交換の場になっています。中には、私たち無教会の聖書講話とは全く違った、イメージを多用したとても大胆な説教をなさる牧師先生もいて、いろんな意味でとても参考になります。
岡山に帰って生活を始めて以来、黒崎幸吉先生の「信仰は生活だ」という言葉を座右の銘にしています。そして、それを自分流に「伝道は生活だ」として繰り返し念じていました。しかし最近は「…そして伝道は説教だ!」ということも付け加えて、この地で頑張っています。
Y.O(神奈川)
祈りに得意とか不得意というのがあるのだろうか。もしそういうのがあるとするならば、私は長年にわたって祈りが不得意であった。しかし、昨年あたりから突然祈りが得意になった。そのあたりの事情について語りたい。
私は今まで祈る前には何を言おうか考えてから祈っていた。だいたいの言いたいことを頭の中でまとめてから祈っていた。しかしそのような祈りはぜんぜん納得のいくものではなかった。はっきり言えば、だめな祈りだった。なぜか。一つは、そのように祈るならば、いくら心を込めて祈っても何かしら人間くさい祈りになってしまうからだ。祈る内容を考えれば考えるほど、それは聖霊に促されて出てくる言葉ではなく、小舘美彦という人間の頭から出てくる言葉になってしまう。人間的な言葉をいくら積み重ねたところでむなしいばかりだ。もう一つは、そのように祈るならば、完璧な祈りを捧げようとして不自然になってしまうからだ。完璧な祈りを捧げようとして考えれば考えるほど、それは自然な心の叫びとは程遠いものとなり、偽善めいてくる。人目を意識して恰好つけるような言葉になったり、神様に媚を売るような言葉になったり。真実のこもらない祈りほど醜いものはない。三つ目は、そのように祈るならば、祈りが理性的になってしまうからだ。内容を考えて祈るなら、祈りは当然論理主導になり、感情や情熱や安らぎといったほかの要素が欠け落ちていく。そのような祈りは、どうしても知的で冷たいものとなってしまう。というわけで、私の祈りは長年にわたって全くだめな祈りであったのだ。
しかし、昨年から考えて祈ることを思い切ってやめてみた。特に何かがあったというわけではない。自分の祈りがどうしてもいやでしようがなくなり、自然に自分の考えをすべて捨てて祈ってみようという気になったのだ。自分の考えを捨てれば、聖霊が自然に祈る言葉を与えてくださるはずだと思い、聖霊に全てをゆだねてみる気になったのだ。すると、あら、不思議。本当に祈る言葉が次々に与えられるではないか。まるで自分の言葉とは思えないような賛美や感謝の言葉が次々に出てくるではないか。心の底からの願いが次から次へと出てくるではないか。周囲の人を思いやる言葉が流れるように出てくるではないか。聖書の言葉は本当だった。祈れない私たちの代わりに聖霊が祈ってくれたのだ。
というわけで、私は今では祈りが得意になった。自分の力ではないので、これを得意といってよいかは疑問であるが、少なくとも祈るのが楽しくなった。祈りを通して聖霊を感じられるのだから、これほど楽しいことはあるまい。
祈りとは何か。それは聖霊に自分をゆだねてしまう喜び。
これで決まり!
N.K(福岡)
「イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群集の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」。しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」
ルカ福音書11章27節から28節までの短い2節の御言葉を改めて読んでみて、今までは気にも止めなかったところですが、ちょうど同級生と話をして、その人の子供さんが立派に成長してることを聞いたばかりだったので、余計にこの2節が目に飛び込んできたのだと思います。27節の女性の言葉を要約すると、「あなたのような素晴らしい子供を持ったお母さんはなんと幸いなことでしょう」ですが、その言葉に対して、イエス様はノーを突きつけられます。前田護郎訳では「ちがう、さいわいなのは、神のことばを聞いて守る人々」とあります。
このことに思いを巡らしていると、徳島聖書キリスト集会のホームページに、この2節だけを取り上げた吉村さんの講話がありました。その講話を聞いて特に心に響いたことは、「罪の問題が解決されなければいつも心の中がもやもやしている」という言葉でした。
このことをローマの信徒への手紙を引用してお話されました。
4章6節 同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。
7節:「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は幸である。8節:主から罪があるとみなされない人は、幸である。」
目に見える幸いでなく目に見えない幸いのことを教えられ感謝と喜びに満たされました。
M.K(徳島)
心に残る讃美歌(世界の讃美Ⅱ 10)
神のみことばは 暗い闇の光
どんな深い闇の中にも
希望と未来をしめす
神のみことばは 闇夜に光る星
どんな恐れ 不安の時も
癒しと力与える
E.S(大阪)
私が十三歳の時、肺結核になり、貝塚の少年保養所に入院しました。院内での学校もあり勉強しながらの生活でした。その時に病室の友達に誘われて、近くでもたれていた日曜学校に出席しました。出席すると美しいカードが貰えるのに心を惹かれて行っていました。その後、日曜学校の先生の妹さんが出席しておられた、ナザレン教団の桃谷教会の学生会に紹介されました。
それから十年ほど過ぎ、再び肺結核になり羽曳野病院に入院しました。玄関に貼ってある「聖心会」のポスターがあり、聖書の聖だからキリスト教に違いないと思い、入院と同時に院内の礼拝にも出席しました。同じころから日本ミッションの個人伝道をしていただけるようになりました。第三聖日の午後からは梅原先生が礼拝の御用をしておられました。退院後、日本ミッションの紹介でメノナイト教団の平野教会に出席しました。その後、日本ミッションの勧めもあり梅原先生がおられる柏原教会に導かれました。
梅原先生も院内で礼拝を守っていたことを覚えて下さっていました。礼拝は守っておりましたが、仏教の人から、三歳の時の交通事故は前世の因縁だから、この世で因縁払いをしなければと言われた事もありました。又、私が生まれた時から知って下さっていた方に母親が相談したところ、「日本の宗教は偶像であるがキリスト教は本物や。洗礼を受けさせるように・・・。」と言われた事を母から聞き、洗礼を受ける事ができました。
その後、ヨハネ伝九章1~3節から、因縁だと言われた事が神様の御計画であった事を知りました。
『イエス様は答えられた。この人が罪を犯したのではなく両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです』
K.S(東京)
『告白をいけにえとしてささげる人はわたしを栄光に輝かすであろう。道を正す人にわたしは神の救いを示そう。』 (新共同訳 詩編五十・23)
私はこの冒頭の聖句を今年五月第三日曜日集会に合わせての聖句暗唱に導かれております。私にとりましては素晴らしい聖句であります。信仰人生五十三年(入信22歳)よいこと悪いこと様々でありますが、キリスト教入信は高校の恩師に導かれてであります。
「祈りの友」に入会してこの五月で満一年でありますが、この度の「祈りの風」の原稿依頼を何の隔たりも感ぜずにお引き受けいたしました。この聖句の暗唱訓練の最中ということもありまして、即座に、この冒頭の聖句を中心にまとめようと心に決めました。私の力量からしても、人前で聖書について述べることは決してやさしいことではありませんが、そこには神様の御心が注がれていることを感じております。
この聖句の私への吸引力はかなりのものであります。この聖句から感じますこと、それは、他ならぬ日常のことに思えております。『告白』という言葉も、私には「祈り」に思えます。その「祈り」を『いけにえ』として『ささげる』。そのことを神様は、『栄光に輝かすであろう』と言っておられます。
私の日々の祈りは、朝の祈祷(一日一生の朗読を合わせております)・「祈りの友」午後の祈り・就寝時の祈祷・散歩(時々祈祷)と計三回から四回であります。この神様の御言葉が、これからの私の方向を示していてくださっていると感じます。
『道を正す人にわたしは救いを示そう。』祈りの道を正しく歩もうとする人に神様の救いを示しております。今の時代に生きる私には、これが、イエス様による十字架の福音を示しているのではと思います。
しかし、一方、私は罪深く、小さくて弱い人間で、とても自慢できるものではありません。それでも、神様のみ手の内を歩けるようにしていただいております。その事は、キリストの集会に通い、祈りの友に入らせて頂き、祈りの回数も増え、キリストにある友との交わりが開かれ、こうして「祈りの風」の寄稿に導かれ、御言葉通りに『神の救い』に、そして『示され』導かれております。
自分自身の力はなくとも幸せの道であります。この聖句が今から三千年前に示され、味わえることができて、今まで以上に、詩編のみ言葉が身近なものとなり、「いけにえ」の道が開かれて感謝であります。
五千人に与えられたパンと魚のおすそわけ。
M.S(長野)
ヨハネによる福音書には五つのパンの奇跡が書かれています。(ヨハネによる福音書六・1~69)イエス様がなさった他の奇跡は四福音書すべてに書かれているわけではありませんが。このパンの奇跡は四福音書の全てに書かれていて、しかもマルコとマタイには似た奇跡が二か所にわたって書かれています。(マルコ六・30~44マルコ八・1~10マタイ十四・13,マタイ十五・32~39)これは神様がわたくしたちに伝えたいこのことの重要性を示しています。
6か所の聖書の記述の中で共通の部分を取り出してみると、初めにイエス様は「あなた方が彼らに食べ物を与えなさい」と言っていることです。次に弟子たちは集まった人達に対して大麦のパンと魚二匹では何の役にもたたずどうしようもできないとあきらめていたことです。そしてイエス様が祝福して弟子たちに与えたら、まったく足りないと思われていたことがそうではなく十分に行きわたって満足したことです。
わたしたちは、イエス様から受けた恵みを他者へ分け与えることがゆるされています。旧約の時代では、一番上等の小麦粉でつくって捧げるべきものであったのですが、(レビ記23章)イエス様は「上等なものでなくてもその人のできる分で良いのだよ」と言ってくださっているような気がします。たとえそれが少年が持ている大麦の五つのパンや二匹の魚のようなちっぽけなものであっても、一旦イエス様が祝福されたものであれば人々に満足を与えることができることを示してくださいました。
私たちはちっぽけで、自分を見ると小さい者で何のとりえもなく神様のお役にたてるようなことができるのか絶望的にもなりますが、この聖書の箇所が神様のご意志と信じて進みたいと思います。信じて思い切って捧げると思いがけないことが起きます。そして自分が与えたと思っていても、それ以上にそれらの人を通して神が働かれて良いものを自分に与えてくださることを実感します。
今十二のかごにはまだいっぱい食べ物が残っています。朽ちることはありません。さあ分け与えましょう。
M.S(長野)
私自身の今までの歩みを振り返ってみると、問題にぶつかった時、解決方法を自分で見つけようとしたり、「ああでもない、こうでもない」と、思案に明けくれたり、また、即効で解決しようとしたりなどが、あまりにも多かったように思います。こんな私に神様はある「とげ」を与えてくださいました。神様に背いていた時は、そのとげを抜こうと必死でした。散々悩みました。何度も涙を流しました。他人を羨ましいと思いました。人の目も気になりました。何をしても上手くいきませんでした。 でも解決方法は、ごくごく簡単でした。神様のみ声を聞く事、ただそれだけでした。神様に方向転換をして主に全てを委ねるだけでした。それからは右往左往しなくなりました。私の全てを知り尽くした絶対的な味方が与えられました。そして、神様を信じて祈る者とされました。
最近、特に心に留まったみ言葉があります。
「主は人の一歩一歩を定め
御旨にかなう道を備えてくださる
人は倒れても、打ち捨てられるのではない。
主がその手をとらえていてくださる。」
(詩篇37編23~24節)
たとえ今、どんな状況に置かれていても、神様はその人にふさわしい、御旨にかなう道を備えていてくださいます。こんなに心強い事はありません。
「信じて従って祈って待つ」還暦が近くに見えてくるような歳になって、ようやくここに辿り着きました。ハレルヤ!!
M.S(島根)
日々のデボーションで使っている「わたしは、決してあなたをひとりにしない」のある日の日課から。
深く心をさぐられ、整えられてスタートした1日でした。
天地万物の創造主であるわたしは、あなたとともに、あなたのためにいる。あなたはこれ以上、何を必要とするのか。
あなたが、何か欠けていると感じるなら、それは深いところでわたしとつながっていないからだ。
わたしは豊かな人生を提供する。あなたの役割はわたしを信頼し、どんな心配ごともはねつけることだ。
あなたを不安にさせる不遜な出来事というのは、それほど多くない。むしろ、そうした出来事につ いてあれこれ考えることで不安になるのだ。
あなたの心は、事態を収拾し、自分の望む結果をもたらすためにやっきになっている。
まるで飢えた狼の群れのように、あなたの思いはその問題を取り囲んで離れない。
あなたは断固として自分のやり方で物事を処理すると決めて、あなたの人生を支配しているのはわたしだということを忘れている。
唯一の救済策は、あなたの気持ちを、その問題からわたしの存在へと切り替えることだ。
もう奮闘するのはやめて、わたしの行うことを見守っていなさい。わたしはあなたの主なのだから!
Y.T(鹿児島)
「古川兄より初めてさきほど電話をいただき、高木様の逆境の中で飼った愛犬サラが召されたとのニュースを聞きました。心痛めておられる事と思い一筆しました。
人間で言えば病人のサラでした。病をかかえつつ、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走り通し、信仰(高木様と共に歩むべき道)を守り抜きました。
今や義の栄冠を受けるばかりのサラです。…主が来られるのをひたすら待ち望む人には、誰にでも、授けて下さいます(Ⅱテモテ四の7~8)。
サラの生涯よ、よき見本を私共に示して下さり、ありがとう。バンザイ。平安あれ。
高木様、逆境の中で飼ったサラは、神より与えられた使命に善かつ忠なる僕として、よく生きた、もうそろそろ休みなさいと、天に上げ給うたのですよ。
次は、私共の番ですよ。私も来年は八十になります。サラ同様、キリストにある喜び・希望・感謝・平安の許にて善かつ忠なる僕として、パラダイスにて待つご主人・サラと共に、主を讃美しつつ歩もうではありませんか。サラと共に歩んだ如く、今後は、天上の神と共にご一緒に、祈りつつ歩みましょう。上を向いて歩こう。ご平安を祈ります。主にありて。横井」
U.T(岡山)
ヨハネ福音書には、イエス様が十字架にかかる直前の「イエスの祈り」が書かれています。(17章)
イエス様ご自身のこと、弟子達のこと、弟子達の言葉によって信じる人々のために祈られました。この世の力でイエスを亡き者にしようとする人達、状況が把握できない弟子達、それをとりまく人々等、騒然とした中での「イエスの祈り」です。
それは「彼らの言葉によって信じる人々のため」(20節)にまで、今日の私達にまで、細やかな広がりをもって「私は御名をこれからも知らせます。」(26節)と祈り続けられています。
イエス様にならって、自分中心の閉じられた祈りではなく「開かれた祈り」を弟子達に続き、祈り続けていくことが、神の国に連なることになるのです。大切な事教えられました。
サムエルの祈り
S.T (東京)
「主よ、お話しください。僕は聞いております」
これは祭司エリが、少年サムエルに教えた祈りであると聖書は記します。(サムエル記上 三・9)
「祈りには二つの祈りがある。いま一つは[主よ、お聞き下さい。僕は話します]との祈りである。一方は神が主格であり、他は人間が主格である」(榎本保郎 旧約一日一章)との言に照らしますと、私の祈りはつねに自分が主格であったのではないかと気づかされます。
ひとり息子のアルバムの中に、両手を握りしめ目を閉じて祈る幼い姿を見つけました。顔の前に堅く結び合わせた指の柔らかいふくらみから、四歳の頃を思わせる白黒の写真です。
今や四十代半ばの彼は、赤十字連盟の仕事のためジュネーブへの赴任が決まり、この四月に日本を離れて行きました。
結婚し独立した彼に、私はしっかり子離れができていると思っておりましたのに、転勤の知らせを聞いて、内心動揺してしまったのです。八十を超えた夫と、間もなくそれに近づく私に何かあった時には…と、弱くなったからだを鞭打つ思いで見送りました。
このような時に出会った写真です。さっそく小さな額を二つ求め、それぞれに「主よ、お話しください。僕は聞いております」と、聖句を貼りこみました。一つは、困難に出合った時の力になるようにと息子に手渡し、残る一つは、私の机に飾って眺めております内に、写真はサムエルその人になってしまい、み言葉が私の祈りになっておりました。
M.D(千葉)
雨上がりの朝早く、散歩に行った。昨日まで乾いていた木々は、雨の恵みを吸って生き生きしている。地べたに生える草も葉先に露を残し、朝日にキラキラと輝き揺れている。近くの森からウグイスや小鳥たちの高らかなさえずりも聞こえてくる。湿気の満ちた空気を吸いながら、私はさわやかで満たされた気持ちになる。
「神様が造られた天地」を感じる。主が緑の牧場に伏させ、憩いのみぎわに伴って下さっているような心地がする。神様が造られた木々や草、鳥たち、高い青空、昨日降らせて下さった雨、そして今朝のお日様の光と。神様が造って下さったことを思って味わっていると、ここはまさに天国のように感じてくる。今、見ているここが天国!こんな近くに天国が感じられる!なんと美しい、なんと平和で満たされた恵みの時だろう。
K.N(徳島)
今年三月に県職員を退職しました。退職後のことはあまり考えず、とにかくゆっくり生活しようと退職を念頭に最後の一年を勤めさせていただきました。その一年、仕事上重荷と感じる課題をいくつか抱えていましたが、主が必ず助けてくださると期待し、祈り求めながら日々仕事に臨みました。果たして主は、課題の全てにわたしの予想をはるかに超える展開をなしてくださり、大いなる祝福に「ハレルヤ!」と御名を賛美しました。
「主の山に備えあり」(創世記二十二・14)のみことばを確信させていただきました。
退職した四月初めには三十三年間健康を与えられ、家族や職場の人たちに助け、支えていただき仕事を続けることができたことをしみじみ感謝しました。
さらに感謝なことに、神様は徳島キリスト教書店で原田さんのお手伝いをさせていただく道を開いてくださり、四月半ばから、週三回通わせていただいています。
徳島キリスト教書店は、今まで、原田洋子さんの誠実で献身的なお働きにより、堅実な運営が続けられ、県内外の教会や保育園等から厚い信頼を得て活用していただいています。ただ、最近のインターネット販売の普及により、全国各地のキリスト教書店も閉店をやむなくされているところもあり、徳島の運営も厳しい状況です。
でも、書店の運営についても神様は最善のご計画をもって導いていてくださると、代表の秋山義孝先生以下希望を持って祈っています。
「誰でも求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(ルカ十一・10)
N.N(東京)
今年の全国キリスト教(無教会)集会では数多くの祈りと賛美を神様に捧げました。証しもメッセージも講話も皆神へ賛美するためにありました。「民は主を賛美するために創造された」(詩編)が終始頭から離れませんでした。
私は礼拝で、一人の死刑囚の書簡集「死に勝つもの」から引用させていただきました。話し終えると3人の方から声をかけられました。なんと、なんと、その本の著者石原正一さんの親族でした。安彦真穂さんは石原正一さんのお孫さん、真穂さんのお母さんは土屋めぐみさん(土屋聡さんの奥様)、めぐみさんのお兄さんは石原潔さん。その関係を知っていれば私は著者の名前を明らかにする許可をいただけたのでした。安彦さんは、おじい様の影響を受けているようで、私が話した人とは別の死刑囚の話をされましたが、私の話を引き継いで話されたのかと錯覚するようでした。葬儀の時に被害者の遺族が「死刑制度反対を訴えていた」という話は胸にこたえました。安彦さんから、お話だけでなく賛美も教えていただけました。
石原正一さんは、これほど悔い改めた人をなぜ死刑にしなければならなかったのか、とあとがきで書かれています。この死刑囚に心血を注いで手紙の交換をされた石原正一さんは、ご自分が発信された手紙は載せずに、受信の手紙だけを載せて著書としました。ただ神の愛と神の力を感じてもらい、御業を讃えるために著わされた石原さんの謙遜さと偉大さに打たれた私は、この度の主題「神の言葉―その希望」について語るときに、どうしても取り上げたくなったのでした。
安彦さんのお話を引き継ぐかのような話をされたのは小舘知子さんでした。2歳にならないお子さんが重い病気で亡くされた体験でした。なぜ死ななければならなかったか、苦しそうなわが子に「かみさまといってごらん」というと、「かみちゃま」といったけれど自分がまだ信仰がないのに言わせてしまったことで苦しんでいたという小舘さん。私は「いってごらんと」言わせたのも、「かみちゃま」と言えたのも、神様が言わせたことではなかったのかと思えました。信仰があってもなくても神様が言わせることがあることを私も見てきているからです。
「わが子は死ぬために生まれてきたのでなく、主の約束である、痛みも苦しみもない世界に入れていただいた(黙示録)」と示されて平安を与えられた小舘さん。石原潔さんも奥様に先立たれたことをお聞きしました。秀村さんが「だれにでもガリラヤの道はある」と言われましたが、特に「愛する人や身近な人の死」に遭遇するとなかなか立ち直れませんが、神から苦難の意味が示されるときに私たちは、「苦しみに遭ったことはよいことでした」(詩編119・71)と言えるようになるのだと思います。それは紛れもなく主を讃えることに変えられるからです。
H.N(徳島)
祈りは必ず聞かれるとの確信が私を祈りへと駆り立てる。
自分の力ではどうしようもない時、
いつも天の神様が助けてくださると天を仰ぐ。
どうしようと心が騒ぐ時、
思わす知らず「神様助けてください」と叫ぶ。
もう駄目だと何度思ったことだろう。
今度こそ駄目だと目をつむり、
車の衝突事故にあった時のように
「神様、どうにでもしてください。」
とお任せして覚悟を決める。
神様は悪いようにはなさらなかった。
こうして日々神様と歩んできた。
小さいこと、大きいこと
自分の心の動きを見て罪を感じる時
自分がイヤになる時
そんな時こそ、
イエス様の十字架の罪の赦しを感謝して心から受ける。
神様には赦しえない罪はないと。
ふさがれず、新しい気持ちで出発できる。
何度罪を犯しても
起き上がりこぼしのように、
十字架が起き上がらせてくださる。
だから祈る。
あの人のこと、この人のこと
今問題が持ち上がり苦しんでいる人、
病気の人、家族が病気の人のことを。
たくさん祈る人がいる
必ずよくしてくださると信じるから祈る。
幸いなことに…
自分の祈りは弱くても
祈りの友が私のことも祈っていてくださる。
だから罪が深く本当は捨てられても仕方ないのに
守られてきた
捨てられずにここまで来られた。
祈りの友がいる幸せ。
祈りの輪の中に置いてくださる平安。
「祈りの友」は、神様への感謝と
人への感謝が出会うところ
これからも、自我が砕かれ
もっと祈れるように、
空気がなければ生きられないように
祈りなくしては生きていられないと
感じるまで
神様に祈りの人に変えていただきたい。
K.N(大阪)
先日 山科にある「からしだね館」にJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)岩本直美さんが来られたのでお話を聴きに行った。バングラデシュにて長年「ラルシュ共同体」-人間の弱さによって結び合わされた共同体ーで活動されている。貧困、重い障がいを持つ子どもや大人たちとの共同生活はどんなに過酷な中での生活かが想像できる。岩本さんがこの活動をされるようになった原点はハンセン病の患者さんや重度の知的障がいを持つ女性との出会いからだった。
岩本さんのお話から最も心に残ったことは「私は今、彼らと共にいることが嬉しい。多くの恵みを彼らの存在からいただいている。彼らを通して自分自身が知らされる、自分の中にある闇を見つめさせてくれる、人としてキリスト者として大きく道を踏みはずさないで行けるのは彼らとの営みから・・・。」の言葉だった。
また、障がいを持つ親通しの話し合いの中で、ある母親は言ったそうだ。「この子が重荷だったことに光が射してきた。守ってくれていたのはあの子だった。私が正しく生きるようにと・・・。」この言葉も印象に残った。他にもいろいろな方との出会いから受けた恵みを話されていた。今まで続けてこられたのは、彼らから与えられる深い平安があり、イエス様を信頼してゆだねていくとはどういうことなのかも知らされると。
「神様の業がこの人に現われるため・・・」のみ言葉のように、きっとこの方々たちを通して神様の業が現われ、厳しい環境、活動の中で岩本さんに深い平安と励ましを神様が与えておられるのだろうと思った。
先日来、主日礼拝でマタイ福音書5章を学んでいる。「心の貧しい人は幸いである。」豊かさからは神様の愛、清さはなかなか与えられない、イエスさまは本当に弱い人、低い人のところに来られた。貧しい人、魂の飢え乾いている人が幸いになる、新しい世界を開かれた。「神様の不思議な平等性」というメッセージが今回の岩本さんのお話とつながっていった。
「憐れみ深い人々は幸いである。その人たちは憐れみを受ける。」イエスご自身がそうであったように、憐れみ深い人とは 痛み、苦しみの中にある人にどれだけ深い共感を持つことができるか、とも学んだが、私たちはみんな岩本さんと同じことはできない、でもキリスト者として、それぞれが、自分の「バングラデッシュ」を持ち、できうる限り為すべきことをしていきたい、またそのためにも毎日深く祈り聖霊から示されたいとしみじみと思ったことであった。
「賢者の生活リズム 忙しい人を支える」を読んで
Y.N(大阪)
滝井留都子さんとは以前名古屋で開かれた青年全国集会でお会いしていましたが、前号の祈りの風の記事を読んで思わず涙が出ました。それから連絡を取らせていただくようになりました。そして滝井留都子さんを通じて徳島の鳴門の高橋(旧姓 大坪)ルツ子さんとも連絡を取るようになりました。似た年代として相通ずるものがあります。
また高橋ルツ子さんが前号で紹介しておられた「賢者の生活リズム 忙しい人を支える」を読みました。この本を読み終えた頃「プレゼントです」と言って知人から同じ本を頂きました。著者直筆の英語のサインで「ナスヨウヘイさんへ あなたのすべての生活の中に神様がいらっしゃいますように」と書かれていました。その知人はカナダのバンクーバーで著者の教会に今も通っている人で、特別に本にサインしてもらったということでした。不思議なことでした。しかもその日は図らずも私の誕生日でした。
この本の中で紹介されていた印象的なエピソードを一つご紹介します。
広口ビンの中に、大きな石をできるだけ入れます。次に小石をできるだけ入れます。次には砂を、できるだけ敷き詰めます。砂は石の間に入り込んで、ビンの中を埋めます。ここからの教訓は「どんなにスケジュールがつまっていても、もっと多くのことをこなせる」ではありません。もし、同量の大きな石、小石、砂の入れる順番を入れ替えて、はじめに砂を入れ、次に小石、最後に大きな石を入れると、同じ量が入るでしょうか。答えは、入りません。入れる順番を逆にすると、ビンには同じ量は入らなくなります。入れる順番が大切なのです。ここで著者は「自分にとっての大きな石とは何ですか?」と問います。「私たちはまず大きな石を生活の第一に持ってくる必要があります」と分かりやすいメッセージで教えてくれました。
祈りの友の交わりの中では、手紙のやりとりや誕生日のお祝いのメッセージカードを頂いたり、なんといっても「祈られ祈る」、祈ってくださっている方がいることは大きな励みです。「祈りは必ずきかれる」は前号の吉村 孝雄さんの巻頭言です。頼るべきお方は全能の、天の父と御子イエスであることを再確認させられます。
M.S(静岡)
刺激的な全国集会だった。
参加申し込みをしていたので徳島へ足を運ばなければ…、正直なところ、そんな漠然とした気持ちで五月十四日(土)六時十分の電車に乗った。
この四月から私自身の生活環境が変わり、「参加したい」という強いモチベーションが湧いて来なかった。と言うのも長い間の市役所勤務を終え、現在通う障害者の施設勤務に慣れず、気持ちがスッキリしなかったからである。勤務先は、「生活介護」施設。ほとんどの人が重い自閉症を抱えた障害者である。ほんの数名の人が、施設全体の空気を支配し、他の利用者が小さくなって一日を過ごす。そんな中で、利用者とどう向き合ったらよいのか、手探り状態の日々がまだ続き、全国集会開催日当日の朝も、昨日の施設内の混乱状態が頭の中を支配していた。
会場に着くまでの六時間、過去二回、徳島市で開催された様子を思い出していると、東京や千葉の開催ではお目に掛かれない兄弟姉妹が集まる期待感が膨らんだ。親しい徳島聖書キリスト集会の兄弟姉妹との久し振りの再会、また新しい兄弟姉妹との出会いに期待が膨らみ、会場に向かうことができたのであった。
期間中、一人でも多くの兄弟姉妹と言葉を交わそう、目標をその一点に絞った。普段、よくお目に掛かる「キリスト教独立伝道会」の兄弟姉妹には目で挨拶を済ませた。主日礼拝の聖書講話の準備に苦労しているため、個人的に多くの人から準備の仕方、聖書の学びについてお聞きしたいと思い、何人かの方と会話し、貴重な意見を頂いた。
以下、実名で記載させていただきます。
・十四日午後、受付テーブルにて福岡の秀村弦一郎様と。
注解書は頼らない。聖書の話はコンパクトに大筋の内容を四項目程度にまとめ、当日はほとんど原稿を見ないで話すように努めている。というのは、初心者未信者は、話す私の方を見つめているので、私もその方々の顔を見て話したいし、その方が聴く人に届けることができると信じている。……とても貴重な意見を伺うことができたと思う。経験を積まなければ一朝一夕に実現できるものではないが、目標としなければいけない、そのような思いに駆られた。
・十五日早朝、祈祷を終えホテルに帰る途上、大分の田中清様と。
(田中氏の祈りの中にロマ書三章22節の塚本虎二訳に触れられ、そのことについて)
塚本訳は、出来るだけ言葉をそぎ落とし、単純化して書かれている。そのためとても解りやすく、日頃からよく読んでいる。我々キリスト者は、聖書をしっかり理解することはとても大切なことで、これからもよく読んでいきたい。……私も数年ほど前、大先輩から塚本訳新約聖書を購入するよう強く勧められ、購入したものの積ん読している。普段使用しているのは「新共同訳」、時々の「新改訳」。今後、難解でしっくりしない個所は、「塚本訳」も読んでみようと決めた。現在、清水聖書集会では「ヘブライ人への手紙」を学んでいる。先週七章の準備をしたが、とても難解な個所のため、早速「塚本虎二訳」を参考にした。特に本文の後に「略註」があり、とても解りやすい内容で整理するのに助かった。また、新鮮な感覚で聖書を読むこともでき、改めて田中清様に感謝。
・十五日午後休憩時、三階全体会場にて、聖書講話講師をされた大阪の清水勝様と。
(ヨハネによる福音書四章の講話中、他の聖書箇所を引用し内容を深められたが、どうしてあのような適切な聖書箇所を引用することができるか、の問いについて)
日頃、繰り返し聖書を読みこなしていると、自然と聖書の言葉が頭に残る。聖書を学んでいると、関連した箇所が自然と浮かんで来る。……これも秀村氏同様、一朝一夕で出来るものではない。たゆまない地道な聖書の学びがあってできるものである。日々の聖書の学びがいかに大切か、同時に、私自身の聖書の学びの不足をも痛感させられた。
聖書を離れたところでも、貴重な出会い、ひと時があった。
・十四日夜、七階「祈りの友の集まり」会場にて、開始前、福井市の中村凱次様と。 (自己紹介で小児科医であることを知り、祈りの集いで隣席となり、自閉症について質問)
自閉症と言っても一括りすることはできない。一人ひとり違う。(西澤が)利用者と初めて会った時と比べ、現在少しでも相通じるものがあれば、大きな進歩です。全く通じず、その気すらなく、そっぽを向かれる人もいる。その人なりの意志表現があれば進歩で、今後に期待できる。自閉症との対応は難しく、一概にこれといった対処方法がないので、一度専門家に伺うと良いように思う。……中村様はごく当たり前のことを話されたが、今の私には当たり前でなく、どうしよう、の焦りしかなかった。昔の障害者福祉在籍時代、その専門機関で今も働く親交のあった職員に施設まで足を運んでいただき、施設内の様子を見ていただき意見を伺ってみたい、そんな考えが固まった。
・十四日夜、「祈りの友の集い」
正直なところ、度肝を抜かれてしまった。「今こんな事で困っている」という人がいたら、この機会ですのでお話し下さい。そしてその方のために祈りましょう。」祈りの友の祈りは、抽象的観念的でなく、トコトン具体的であり、今、苦難に直面している友を兄弟姉妹の祈りにより、支え助ける会であることを知る。ともすれば、祈りは、パリサイ人ではないが、キリスト者のアクセサリー的な形だけの祈りが多い。しかし、少なくとも「祈りの友」の祈りは違った。
イエスは、十字架に架かる前、オリーブ山で祈られた。「イエスは苦しみもだえ、いよいよ節に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。」(ルカ二十二・44)目前に迫りくる死を前に、神の子・イエスでも切々と、血の滴るほど汗をかいて祈られた。命がけで祈られた。私たちも、なりふり構わない神様に迫りに迫る祈り、もだえるほどの祈りでなければ、神様に届かない。命がけで祈る時、困難な状況を詳しく神様に訴えなければ、その苦しみは届かない。また、詳しく知らなければ力が入らない。今回の集いでそのことを強く感じることができた。祈りの友の祈りは、生半可でないことを目の当たりにし、度肝を抜かれてしまった。
そのほか、朝食の時、隣席の対馬秀夫様との会話。耳に心地よい津軽弁で和やかな雰囲気となり、いつまでも話は尽きず、気が付けば最後までテーブルに残っていたのは二人だけであった。まt、徳島集会の奥住邦昭様、中川啓様とは固い握手をしながら再会できた喜びを共にし、今回の自己紹介で目の手術を受け少し視力が回復された(本人にとってはとても回復された)熊井勇様と正面を向いて挨拶できたこと、全国集会の申込窓口という大役を立派に果たされた林晴美様、二年前まで清水聖書集会で礼拝を共にした堀弘子様とも旧交を温め合えたこと等など。
当初、予想していた以上の刺激的な全国集会であった。沢山の恵みをいただき、只々感謝しかありません。
H.H(徳島)
自分ひとりの力では困難は乗り越えられませんが、祈りによって神さまから力をいただくことができます。
自分自身が祈れない状況であっても、他者の祈りによって支えられ、自分もまた他者のために祈る。ご家族が病気になったり震災や事故に遭った人の話を聞いたり、自分が体調不良で心弱くなったとき とくに祈りの力を思います。
今回の無教会キリスト教全国集会ではいろんなお手伝いができ、参加が守られたことは兄弟姉妹の祈りを神さまが聞いてくださったからです。感謝です。体調に不安があってもさいごまでできました。
Something beautiful for God.
お祈りでお返ししていきたいです。シャローム
F.F(徳島)
私は家内の癌治療を代替療法でやっていますので、この方面の指導的な横浜市の「ガンの患者学研究所」川竹文夫代表と新潟大学名誉教授 安保徹先生の講演会、著書、インターネットなどから得た情報を紹介します。
ガンは生活習慣の乱れが原因で発病するといわれています。原因が、どの生活習慣の乱れによるのか、はっきりさせて、これを改めると生活習慣病のなかでも治りやすい病気であるといわれています。
生活習慣を川竹代表は三つに分けています。その一つはライフスタイル、二つめは食事、三つめは心、(ストレス)です。
ライフスタイルの乱れでは、自分の体を酷使するような長時間の働き、とくに夜間の副交感神経支配の休息時間帯の長時間勤務は避けるようにします。夜の休息時間帯は体を修復する大切なときなので十時には寝るようにします。
ガン治療には夜十時には寝て朝は五時に起きるのがよいそうです。
食事ですがガンの治療には玄米、菜食を基本とし一回、100回以上、よく噛み肉、魚、乳製品、砂糖、白米などを食べないガンに特化した食事法もあります。健康な人も、年を重ねるに従い注意したいところです。
心(ストレス)は病気にもっとも敏感に反応するところとされています。
ガンは生活習慣の乱れによって発病し、この乱れを治せば簡単に治癒するので、ガンは治らないと言う恐怖心をなくし、強く、明るい気持ちで立ち向かうことが大切です。
常にプラスの感情を多くもち希望、喜び、勇気、自信、ファイチングスピリットなどは免疫を上げます。不安、怒り、絶望、悲しみ、恐怖などのマイナス感情は免疫を下げます。
抗癌剤、放射線などの誤った治療で治療が難しくなった場合でも早く代替療法に切り替え、神様からの人間本来もっている自然治癒力を最大限に発揮させるようにしたいものです。
最終の治療目標はウエラー・ザン・ウエル(weller than well)です。
これは「自らの努力によってガンを治した人は、ガンになる以前よりもさらに、心身ともに健康で幸せな人生を送ることができる」という意味です。
ガンは生活習慣の乱れが原因でこれを正せば簡単に治るということを紹介しました。詳しくはインターネットでガンの患者学研究所、川竹文夫代表、新潟大学名誉教授 安保徹先生につないでください。
S.K(鹿児島)
深い恵みに満たされた徳島でのキリスト教(無教会)全国集会から帰り、久し振りに散歩に出た。いつものように暗誦したい聖句をポケットに入れた。以前は詩篇が主であったが、欲張りな私はそれ以外にも次々に胸打たれた句を抜き書きしては机上に置いている。この日手にしたのは有名なヨハネによる福音書冒頭の次の句であった。
初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネ福音書一・1~5/口語訳)
いつ読んでも、何度読んでも圧倒される文章である。旧約聖書の初めを思い出した。
はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(創世記一1~3/口語訳)
明らかにヨハネは、ここを意識し踏まえた上で自分に啓示された真理を伝えようとしている。創世記は「はじめに神は天と地を創造された」で始まるのに対し、ヨハネ伝ではそれより前に「言」があった、とある。むろん創世記は「はじめに神があった」とは書いてないが、それは当然の事として、はじめからあった神がまず天地創造をされた、その時地は空虚で混沌、闇であった、しかし、神が「光あれ」と言われると光があった、とある。神が主人公である。これに対しヨハネ伝は「言」が神と共に太初に(文語訳)あり、実はこの言は神であり、この言によってすべてのものが造られたのだと断言しているのだ。神は神でも言わば「言の神」を主人公にして、その大切さを知らしめるためにこの書を書くのだ、そのようなヨハネの思いが伝わって来る。
なぜヨハネは「言」「言の神」を強調したのだろうか。それはこの書の目的に関連する引用聖句の後半、4~5節で知られるように思う。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
つまり、この「言」(キリスト)が闇・混沌・空虚に打ち克つ永遠の、人の光である事を宣言し、それは全能にして唯一の神の子であるからなのだとの主張―彼に啓示された真理把握の叫びに感ずる。ヨハネ伝の書かれた目的は、その最後に自身の筆で明らかにしている。新共同訳では二十章30、31節の前に「本書の目的」という小見出しが付いている。即ち31節「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシヤであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」
いくつかの聖句が思い出された(いずれも口語訳)。まず、ピリピ書二章6~11節
キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしゅうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高くき上げ、すべての名にまさる名を賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。
ヨハネ福音書三章16節
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
ヨハネ第一の手紙の同じく三章16節
「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。」
ヨハネは「イエス・キリストが主である」神から遣わされた人の命の命、光の光であることを復活のイエスを通し、またその後も聖霊のイエスを通し確信させられたのだ。主の生前は、ペテロ同様彼もイエスを理解し得なかった。十字架が決定的であった。しかし主は予告通り甦られた。その事を繰り返し体験したヨハネは主の生前の言動の意味は勿論、旧約の約束も含めて神の御心を悟らされたのだ。以後の記事が立証している。絶望が永遠の希望に変わったのだ。彼は特にイエス・キリストに表わされた神の愛を伝えようとしている。ヨハネ伝はこの後、「まことの人の光が来た、しかし世は知らず受けいれなかった、しかしその名を信じた人々には神の子となる力を与えた」と書き(一章9~12節要約)、主を信じる幸いを述べた後、彼のイエス伝を詳述している。彼の勧めに従って、私も真に主を信じる者になりたい。「あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ十六章33節)
E.K(鹿児島)
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願い をささげ、求めているものを神に
打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超え る神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」 (フィリピの信徒への手紙四・6、7)
私は思い煩いが多く、感謝の祈りが少ないと思わされていま
す。御言葉がそのように示して下さっています。全知全能の神様にすべてをお任せし、感謝して祈っていけば良いのだと、改めて思わされています。聖書の言葉が力となり、信じ従って生活したいと思います。
また、最近体に変調をきたし、集会に集えない方がおられます。なぜもっと親しく愛をもって交わらなかったのだろうと悔やまれ、愛の足りなかった事を神様にお赦し願い、与えられている方々とのお交わりをもっと大切にしたいと思っています
K.M(鹿児島)
先月、礼拝の中「さまよう人々」を讃美。涙が出て歌えなくなった。ゴミ屋敷化した家にひとり暮らしの七十一才の男性のことが思われてのことだった。
三月中旬、新聞配達の方が「いつもは新聞を心待ちされているのに、出てこられない」と教えてくださった。これは大変と訪問してみた。両足が腫れ、外出できず、買い物に行けず、体重が激減されていた。驚き親族に連絡するも、本人が頑固で、なかなか病院へは行ってもらえなかった。地域の方々、親族、行政の方々の説得が続き、やっと入院の運びになったのは五月初旬だった。比べたら間違いだと思えたが、汚物まみれの中で生活されていた男性のことが、私には、大きな被害のあった熊本地震の被災者のことより、ずっと心にあった。
その男性が入院され、安堵できたので、私はやっと、被災していた熊本の同級生に連絡しお見舞いすることができた。あの礼拝で祈り涙したことが貴重な体験だった。全知全能の神様は、祈る前からすべてのことをご存知で、お守りしてくださっていると実感した。問題(祈りの課題)は山積みだが、祈り祈り合っていけることに感謝である。
N.M(愛知)
最近のこと、親しく交流してきた方が、六十五才をもって牧師引退した。彼が持っていた本のほとんどを処分したが、なお残っているものがあるから引き取ってくれるようにと依頼してきた。困ったな、とは思った。が、引き取りに行く。相当の本を引き取った。その中に、堀孝彦、梶原寿編「『内村鑑三』と出会って」勁草書房、一九九六年があった。この本からは学ぶところが大きかった。
「『内村鑑三』と出会って」について
この本が誕生する経緯は、名古屋学院大学の近代思想史研究会が「内村」に焦点をしぼって活動し、一九八八年から一九九三年まで、十数名のメンバーが内村について発題とディスカッションを続けたことによる。
その実として、①生越達夫(心理学)「内村鑑三ー苦悩と回心の軌跡」、②木村光伸(生態学)「内村鑑三の自然像」ー進化とエコロジー観念をめぐる考察」、③葛井義憲(宗教学)「天国・家庭・女性たち」、④堀孝彦(倫理学)「内村鑑三と近代市民倫理学の屈折」、⑤鈴木正(日本思想史)「内村鑑三・非戦論ノート」、⑥梶原寿(宗教学)「内村鑑三における仰瞻の問題」ーM・Lキングとの比較を通して」の六篇の文章が本書に収録され、公にされている。
通読してみて、⑥「梶原寿「内村鑑三における仰瞻の問題」ーM・Lキングとの比較を通して」が本書における結論的部分に当たり、内容が詰まっていて、身震いがするほどの感動を催すものがある、ところが、異色と思える内容の一篇が、③葛井義憲「天国・家庭・女性たち」であった。内村鑑三の結婚とか家庭生活については、断片的にしか知ることができないできた。内村鑑三の業績や思想については評価が高い評論が多数あるのに対して、結婚や家庭生活に関しては、ぞんさいな言及しかないことが多かったように思う。その点、③葛井義憲「天国・家庭・女性たち」の一篇には、内村鑑三の家庭生活について愛情と尊敬を込めて描写し、論述している。それ故に、わたしは少しくこれを紹介したいと思うに至ったのである。
「天国・家庭・女性たち」について
著者葛井義憲は、一九四八年生まれの名古屋学院大学教授である。専攻は宗教学、日本プロテスタント史である。著書に「闇を照らした人々ー相馬黒光・山室軍平・石井十次・井口喜源治論」(新教出版社、一九九二年)がある。
「天国・家庭・女性たち」は、はじめにという前提の部分があって、次に「加寿子の死と来生(天国)」、「静子との結婚と家庭」、「鑑三の女性観ー結びにかえて」という三本の柱から成って文章が記されている。
はじめにおいて、内村鑑三(一九六一~一九三〇)の結婚・離婚・再婚・再再婚について概観する。今日的表現では「バツ二」ということになるかもしれない。内村は一八八四年、二四才で浅田タケと結婚する。わずか八か月で結婚生活は破綻をきたす。心のキズをいやすためにもアメリカへ留学し、そこにおいてキリストの贖罪愛を体験して帰国した。
「加寿子の死と来生(天国)」においては一八八九年八月に内村が二十九才で横濱加寿子と再婚したことが記されている。望みと喜びと確信をもって加寿子との家庭生活を開始する。が、一八九一年一月九日には内村が不敬事件の渦中の人となる。同年四月九日に加寿子が病死する。内村の信仰は、不敬事件と妻の召天という二つの試練の中に強められる。来世および天国が近くなるとの自覚を強くする。
「静子との結婚生活」は本著作の中心部分である。内村は一八九二年一二月に岡田静子と再々婚した。内村が三十二才の時であった。一八九四年に長女ルツ子が誕生、一八九七年に長男祐之が誕生する。内村と静子の家庭は秩序のある、礼儀正しい、清潔で、しかも温かく、教養と品格のあるものであったことが紹介されている。一九一二年にルツ子が召天し、試練の中を過ごされ、信仰が純化されていく。
「鑑三の女性感ーむすびにかえて」において、内村の女性、妻にいだく理想をまとめている。貞淑、家庭のために犠牲を払う、勤勉さ、夫のよき助け手、子供養育の使命に生きるなどがうかがえる。静子との歩みから感謝と満足を味わったことも伝えられている。
いずれにしても、「天国・家庭・女性たち」は好著であるように思えてならない。
T.U(大阪)
私は今、柚口、息子、下の義姉(夫を失い、軽い認知症と脳梗塞、人口心臓)、私の妹(一人住まい、重い病)の直接的な4人の病人をかかえ、兄嫁や妹のことは愛していても祈ることしかできず、辛い状態です。その中で、聖書の言葉はゆるぎない只一つの真実な言葉として、祈る私の支えとなり希望です。神様の限りない赦しは御生涯と共に十字架の御姿に示されています。主が命を捧げて下さったように、私達も他者にそのように生きたいと願わされています。
「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしはあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。」(エレミヤ29・10~12)
罪のない者は一人もないが、主にあってどんな時にも望みを失わぬこと、今それを喜びをもって信じ生かされています。なかなかお便りが書けず、失礼お許し下さい。祈りの友お一人お一人の上に感謝と神のご祝福をお祈り申し上げます。(柚口が少しずつ変わってくれて感謝です。)
H.Y(佐賀県)
生きているのは最早私ではない、キリストが私の内に生きておられるのである。 (ガラテヤ人への手紙二章20節)
信仰生活の真髄を伝えるパウロの言葉です。この様な生き方を望み・祈り・日々の生活にて活かしているか、お互い振り返ってみましょう。暗誦聖句として覚えてはいても、案外鈍感になっていることに私は気付かされ、主の前にひれ伏せさせられ、「ああー、信なき我を助け給え」
と祈り、こころを新たにさせられます。信仰生活とは、日々悔い改めの生活ですからね。
心の思いとなす事との不一致に、苦しく悲しくなりますが、その罪は既にキリストにあって赦されていることを学び知らされ、感謝・平安は尽きませんね。出来ない事を悲しみ苦しむのは、愚かなことでありやめて、むしろ出来る事を保って神の聖名を崇め賛美しつつ、キリストに身を委ねて、コツコツと焦らずたゆまず謙虚に、接する隣人と共に、キリストにあって活かされて歩み行く以外にないのですから、その信仰にあって平安・感謝・喜び・希望の日々としょうではありませんか。これに勝る幸せはありませんからね。
キリスト信仰とは、キリストによる贖いを信じ込む事だとよく耳にしますが、贖いは既に御子の十字架によってなされているのですから、私たちはただその神の御愛をお受けするのが信仰ですので、難しく考えることは何もありませんね。常に聖霊の導きによって、幼子の様に神の義と愛をお受けして、煩わしさは全て主にお委ねして生活をして行くのが、信仰生活でしょうから。日頃の思いを一言書きました。
T.W(宮城)
「あなたの御言葉は真理です」
聖書は神様の御言葉でありますから、どこを開いても、神様の御業、愛と御力と真理の御言葉が熱き血潮のように吹き出でて、私達に御力と、励ましと、喜びと、やさしさとを、教えて下さいます。
ヨハネ福音書第17章、「イエスの祈り」の中に、「あなたの御言葉は真理です」があります。
イエスさまは聖霊によって(人の子として)生まれた時から迫害に遭い、エジプトへ逃げなければならない状況でした。一二歳の一時期を除き(ルカ(ニ)章三九~五二節)、伝道を開始される三十歳頃までどこで成育され、神様の御言葉を学ばれたのかわかっていません。
しかし、イエスさまの本質は、「神の子」であります。「神の子」でありながら、今から二千年前に一人間として生を受け、「全人類の罪を負うために」、多くの艱難と迫害を受けて十字架に架かりました。そしてイエスさまは復活され、昇天され、再臨されて、私達、信徒たちに、ふるさとなる天国に於いて「永遠の命」をお授け下さるという。ここにこそ、神様の「愛」の大いなる真理が現れています。
「真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。」(ヨハネ一七章一七節)
「祈りの友」としての内村姉 T.Y
内村さんは現在の「祈りの友」の前身の「午後三時祈の友」会員として古くから祈の友でした。
私は、10数年前から北海道からの帰途や九州から中国地方にかけて、各地の集会でみ言葉を語らせていただく機会が与えられ、その帰途、車での移動なので各地の祈の友会員を訪問する機会も同時に与えられたのです。そのうちの一人が内村静子さんでした。 最初にお訪ねしたときは、福岡市のマンションで一人住まいで、いろいろと昔からの信仰の歩み、また祈の友のことなどお話しされました。それから数年後に、ほかの二人の福岡地区の祈の友会員によびかけて4人で写真のように、祈の友の集りが与えられました。
その数年後近くに住んでおられた親族も召され、老齢化もあって施設に移られたのですが、その施設が、福岡聖書研究会に参加しておられた「祈りの友」会員の小林典子さんの近くであるのがわかり、小林さんにお話しするとすぐに訪問してくださるようになりました。 その後は、同じ集会の秀村弦一郎さんご夫妻も訪問してくださるようになり、内村さんもとても喜ばれていました。主の導きに感謝でした。
S.Uさんの事 N.K
長年の祈りの友の会員であられた内村静子さんが、5月17日に天に召されました。93歳でした。
内村さんは熊本県熊本市でお生まれになり、お父様は校長先生で暖かな家庭に育たれたと言われていました。熊本市内にある教会に行かれていました、そこの教会の牧師さんが無教会の事もお話されたといわれていました。
ご近所所に「午後三時祈の友会」の内田さん御夫妻がおられ、仲良くされたとのことでした。福岡に来てからは長年作業療法士として九州大学で働かれました。その頃、福岡市の無教会の集会である天神集会に参加されてました。
お母様を熊本から引き取られて、お世話されましたが、「母もクリスチャンになったのよ」と喜んでおられました。
秀村さん御夫妻とおたずねし、一緒に、よく賛美歌を歌いました。讃美歌312番「いつくしみふかき」が特にお好きでした。
い ろいろお話をしてくださいました、今思い起こすと、イエス様に導かれ歩まれた御生涯だったと思います。いつも自然体で、穏やかなかたでした。
昨年の秋には吉村さんが福岡に来られた折、秀村さんと3人で訪問し、4人で手をしっかり重ねて祈ることができて本当に良かったです、内村静子さん本当にありがとうございました。
長年の労苦を解かれ、内村さんに永遠の平安がありますようにとお祈りします。
S.IUさんと「祈りの友」 G.H
小林典子さんに誘われて内村静子さんを老人施設に訪ねたのは二○一二年一月でした。内村さんは八九歳になっておられましたが、秀村と名乗ると、「あ、君子さん知ってる」と私の母のことを覚えておられました。東京(矢内原先生のご自宅近くに住んでおられた)から福岡に転居されたとき、どなたかの紹介で、花を持って母を訪ねて来られたということでした。以後三年余り毎月、施設の部屋で小林さん、私ども夫婦と四人で小さな「祈りの友会」をもってきました。最初のうちは聖書も学びましたが、やがていくつかの讃美歌、お菓子とお茶、お祈りのひと時となりました。毎回内村さんの感謝のお祈りをもってお別れしたのでした。
多くの記憶を失っておられましたが、断片的に伺ったことなどから、そのご生涯を辿ると、一九二二年八月一五日熊本市大江町生まれ。お父上(小学校校長)の薫陶もあり当時の女性としての高い教育を受けられました。結婚されましたが、一九四六年にご主人が戦病死、その折に内村鑑三の「キリスト信徒の慰め」を通して初めてキリスト教に出会われたのでした。そして東京在住の兄上の奥様が早世されたことから、残された甥兄弟の養育を引き受けて上京、無教会の集会にも導かれたようです。福岡に転居されて短期間福岡聖書研究会に参加されますが、故・松尾達子さんと親しくなられて一九六三年頃から天神聖書集会に出席されるようになりました。天神聖書集会の「南の風」一○○号(一九八八年)に集会への感謝の一文を寄稿されています。
福岡に来られて九州大学・医学部に勤務されました。最初の作業療法士の資格取得者として、六二歳で退職されるまで二○年余多くの患者さんのリハビリに貢献されたのでした。同じ職場に天神集会の理学療法士Tさんがおられたのは不思議な主のお導きでした。
内村さんの影響で母上、妹さんも教会に通われるようになられた由ですが、近所におられて交わりが持てた妹さんが召され、母上・兄上も失われて、身寄りは高齢の甥兄弟だけ(在京で殆ど来られない)という淋しい境遇に陥っておられました。そのような中で早くからの会員であった「祈りの友」は内村さんに大きな力になったことと思います。私たちをいつも笑顔で迎え、実に平安なお姿に主にある幸いを体現しておられて、私たちを喜びで満たしてくださいました。内村さんの愛唱讃美歌「いつくしみ深き」にある通り、友なるイエス様が憂いも罪をも拭い去って下さっていたのだと思います。私は長らく東京に居てお元気な時の内村さんを存じませんでしたが、最晩年にお交わりを持てたことはお恵みでした。毎月の訪問に何かとお世話くださった小林さんに感謝しつつ、内村さんが示してくださった主への讃美と感謝を記憶に留めたいと思います。
二ケ月近くの入院を経て五月一七日九三歳で召されました
S.Uさんの思い出 K.A(静岡)
今から30年も前になりますが、主人の転勤で、東京から福岡に移りました。転勤族でしたが「午後三時祈の友会」会員は、全国におられるので、すぐ、松尾達子姉、花田雅子姉、弘美ちゃん、野口恵美子姉…と清流集会でお目にかかり、祈り合いました。
そしてまた、5年後、転勤でお別れいたしましても、祈りによって、主の御前でご一緒でした。
ご主人を戦病死で亡くされて、熊本から福岡に移られて、長いお一人暮らしでご苦労がおありでしたでしょうに、いつもにこやかで、熊本なまりの博多便の、やさしいお声が耳に残っております。
施設に入られて、少しはお楽になられたかと思っておりました。長い間、ご加祷いただきありがとうございました。天と地は、祈りつながっておりますね。
御前でご一緒と信じております。
「輝きの御国に近き午後三時」のお作品に、アーメンです。書き写してあります。そして天を仰いで祈り続けます。また会う日まで…。
K.Hさんが召されました。日本キリスト教団 神戸聖愛教会にて五月三日、葬礼拝がもたれました。
略歴
一九二七年生まれ。小学校卒業まで養父に育てられるが、その間に養母が五人変わる。船員となり大阪商船に入社。戦争中何度か船が撃沈されるが九死に一生を得る。
結核を発病し薬の副作用で聾となる。一九五四年、結核病棟でキリスト者に出会い信仰を与えられる。神戸で工場勤務。定年後二十年以上中国山地の蒜山の麓の地方にて独居し、体調悪化により神戸市の老人ホーム入居。二〇一六年五月一日、野村海浜病院にて静かに召される。八十八歳。
ろう者の孤独に生きた原さん T.Y
原さんは、結核の治療のためストレプトマイシンを用いたが、そのために、重度の聴覚障がい者となり、全く聞こえなくなった。晩年に、神戸の施設に入居したが、音声が全く聞こえないため、テレビ、ラジオ、CDも使えず、電話もできず、施設職員とも用件だけメモする程度で、話を自由に筆談でするということが全くない孤独な状況での生活だった。しかも、時折はがきをもらっても手が震えて返事も書けないと言われていた。
私が以前、その神戸の施設を訪問したときには、足のかかとの部分の骨の炎症によって歩くのもやっとということで杖を用いてもわずかしか歩けない状況だった。私はさまざまの聴覚障がい者との会話の経験があったのと、原さんも手話に少し関心あって、ろうあ連盟発行の手話の本も数冊書棚にあったので聞いてみると、数十年前には手話を修得したいとの気持もあったが、使う相手もなく、ほとんど身につかなかったとのこと。
しかし、手話には関心あったために私が手話も少し使いつつ、口をはっきりあけて話し、さらに聞き取れてないと分る内容を筆談で補うようにして2時間ほどいろいろとお話することができた。
そのとき、戦前からいままでの困難な生活のこと、信仰によってその孤独で苦しい状況を支えられてきたのを伺うことができた。「祈りの友」会員の伊藤玉恵さん(横浜市)が、「祈りの課題集」を見て、折々に連絡をくださる、と感謝しておられた。
多くの「祈りの友」の方々の御愛労によって、この「祈りの風」通信が発行されますこと、主の導きとお支えと深く感謝です。この会報が用いられ、互いの祈りがよりひろげられ、深められますようにとねがっています。(吉村 孝雄)