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今日は です。
更新は です。
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ウツギ
ウツギ2
ウツギ3
ウメ
ウメ3
ザクロ
ザクロとナガサキアゲハ
シュウメイギク
ジロボウエンゴサク
ジロボウエンゴサク2
ジロボウエンゴサク3
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ジンチョウゲ
タカサゴユリ
タチツボスミレ
タチツボスミレ4
タツナミソウ
ツタ
ツバキ
ツユクサ
ツリガネニンジン
ツリガネニンジン2
ツルボ
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ツワブキとアサギマダラ
トサミズキ
トサミズキ2
トサミズキ3
ヤクシソウ
ヤマガラ
ヤマシャクヤク
ヤマハゼ
ヤマハゼ2
ヤマハッカ
リュウノヒゲ(ジャノヒゲ)
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吉野川
吉野川
雪のなかの梅
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←シュウメイギク
2002.12.02 我が家にて(秋明菊)
純白の花を、12月はじめき頃まで咲かせたもの。白い花は、キリスト者としては、きよめられた象徴として感じられることが多いのです。
黙示録にも、天の世界が啓示されて、「数え切れないほどの大群衆が、白い衣を身につけ、…(神とキリストの御前で)大声で叫んだ。」とあります。 主イエスを知らないときには、自分が汚れた「服」を着ているなどとは気付かなかったけれども、キリストのことを知らされると、いかに自分は霊的な意味で、汚れたものを着ていたのか、また周囲の人たちも、人間はだれでも同様な汚れた服を着ているのに気付いたのです。
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キリストはそのような服を除いて下さり、新しく真っ白い服を下さった。パウロも「キリストを着なさい!」 (ローマの信徒への手紙13:14)と、勧めています。
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タカサゴユリ 2001.8.20 徳島県小松島市にて→
香りのよい、種でふえる百合です。
台湾原産のユリ。テッポウユリとちがって、これは野生で、やせた土地でも美しい花を咲かせ、香りもよいのです。
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←タチツボスミレ 徳島県小松島市日峰山 2004.3.30
山を歩いていて最も多いのはこのタチツボスミレです。
葉の付け根のところに、クシの歯のような托葉(たくよう)があるので、ほかのスミレとはすぐに区別がつきます。
この写真のスミレは、わが家の裏山にていつの頃からか、毎年このように咲くようになったものです。
このスミレがあるところの付近にはかなり離れてもこれは見られないので、どこから種が来たのか不思議に思われます。
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こうした不思議さはどこであっても感じられます。例えば徳島県では、カタクリはごく一部の山にしか見られませんが、以前1300メートルほどの山の頂上付近に自生している美しいカタクリの一群に接したことがあります。県下では稀なこのカタクリが、いつ、どこから、そしていかにしてこのような高い山の頂上付近だけに生えるに至ったのか、と思うと、とても不思議に感じたことがあります。それはいわば神が見えざる御手でもって、そこに運び、植えたかのような感じがしたものです。
キリストも福音の真理を種にたとえたことがあります。
真理の種があちこちに蒔かれても、迫害や人間の側の心のゆるみなどで、芽を出してもつぎつぎと枯れていくという状況がある。
しかし、よき地に落ちる種が必ずある、そしてそれが何十倍、何百倍にも増えていくという、神のエネルギーの不滅性を言われたものです。
このスミレには中央の花びらに繊細な模様があります。
このような模様がなくとも、スミレは何不自由なく生きて生けるのですが、なぜこのような美しい模様があるのか、とよく考えたものです。
その美しさは人間だけが味わうことができるのであって、神が人間に無限の多様性を知らせるためにつくられたのだという気がしてきます。
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タチツボスミレ Ⅲ (タチツボスミレ 徳島県小松島市 日の峰山にて 01.04.20→
このスミレは山では最も多く見られるもので、山道や斜面で群生しているスミレはたいていこれです。
春の訪れを知らせる野草として多くの人の心を惹いてきたものです。)
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←タチツボスミレ 徳島県小松島市 日峰山2005.3.23
春の花、それはいろいろありますが、スミレはその典型的なものの一つです。
ここにあげたスミレは、山で最も多く群生しているのがみられるタチツボスミレです。
これは、まだ花が咲いていなくても、櫛状になった托葉(*)が見られるのですぐに見分けがつきます。
(*)托葉とは、葉の付け根にある普通葉の葉柄の基部にある葉片。
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・山路来て何やらゆかしすみれ草この芭蕉の有名な俳句も、昔から、スミレが私たちに呼びかけ、語りかけるように感じられる存在であったのを感じさせます。この5枚の花びらの下を向いている一枚には、特に花びらの付け根のところがうっすらと白く、さらにそこに、網のような模様がかけられていて、あたかも花びらの中心部から水が流れ出ているように見えます。
このような細かな装飾とその柔らかな美しい色合いは、私たちに語りかけようとされる神のお心が反映されているように感じます。
このような白い部分とか模様がなくとも、このスミレが生きていくためには何ら差し支えがないはずのものです。こうしたことは花びらの形、葉のぎざぎざの部分(鋸歯)、茎や葉の小さな毛の有無やその色や大きさ、太さなどなど数えきれない特徴についても言えることです。
それらの特徴は、単にその植物が生きていくためだけでない何か別の目的があることを暗示するものです。そのような目的の一つとして考えられるのは、神が一つ一つの独自性を重んじ、それを強調しようとされているのではないかということです。
人間も一人一人が同様に他にはどこにもない個性を与えられて創造されているのを思うのです。
主イエスが野の花を見よ、と言われたり、私たちの頭の髪の毛一つ一つが数えられ、スズメの一羽ですらも無意味に死んだりしない、と言われたのも、神がいかなる人間も自然のものもみんな神の深い御計画のうちに置かれているということを言おうとされたわけです。(文・写真ともT.YOSHIMURA)
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タツナミソウ→
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←タツナミソウ
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トサミズキ わが家にて 2004.3.10→
名は、高知県の石灰岩の土地などに自生していることに由来。
庭園などによくに栽植されています。高さ2~3m。花は春,葉に先立って開きます。ミズキという名前はついていますが、ハナミズキとは花の形なども全く異なることからわかりますが、科が別です。ハナミズキやヤマボウシなどの花はミズキ科、このトサミズキは、マンサク科です。
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まだ他の木々が新芽も出さないうちに、このような薄い黄緑色の花を咲かせる姿は印象的です。4月、5月ともなると、草木の葉もたくさん出てきて花も目立たなくなりますが、今頃に咲く花はまだ木々が冬の装いのままのものが多いのですが、ウメに続いてまだ寒い頃から咲き始めます。こうした寒さの中に咲き始める花は私たちにも、精神的な目覚めをうながすように感じられるものです。
それは神ご自身がいつも目覚めていて、草木に限らず、空や川、海など私たちの周りの自然をたえず新しい変化へとうながし、私たちをも目覚めているようにと励まし、かつ見守っていて下さるからです。
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←トサミズキ (マンサク科)
? わが家の庭にて2005.3.11
春を真っ先に告げるように咲くので、今頃にはことに心に残る樹木の花です。一つの花の房に七~八個の花がついて、穂のようになり、垂れ下がって咲きます。これは自生しているものが、高知県の一部に見られるのでこのような名前になっています。
山で一番早く、2月ころから咲き始めるのは、マンサクです。
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私はかつて京都北山を歩いたとき、まだ木々の芽も出ていない春先に、その花があちこちに静かに咲いているのに出会ってとても印象的でした。このトサミズキも、マンサク科の植物で、色もともに黄色です。
ほかにレンギョウ、オウバイ、サンシュユなど早春に花を咲かせるものには黄色い花が多く見られます。土佐ミズキ サンシュユも咲きて 黄を競う (水原秋桜子)
梅やスイセン、そしてこのトサミズキのように、寒いころ、あるいは春先に咲かせる花は、春を待ち望む心を表しているとともに、厳しい寒さを超えてようやく暖かい春が来た喜びをも感じさせてくれます。
こうした到来の喜びというのは、聖書においても、主イエスが来られた喜びというかたちで強調されています。
暗く、厳しい状況に置かれていた人の心に、ようやく神の愛の日差しを感じるようになった、それがキリストの到来を喜ぶ人の心だったのです。そして今日でも、さまざまの苦しみや問題によって、寒さのために芽も出すことができない植物のように動きがとれなくなっている方々はたくさんいます。そうした人の心に、神の国からの春を告げる日が射してくることを待ち望みます。
(文・写真ともに T.YOSHIMURA)
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トサミズキ (マンサク科)
?徳島県小松島市日峰山(植栽) 2006.3.15→
春先に咲く樹木の花として、トサミズキは、特に心に春を感じさせてくれる花です。 この自生は、高知県の一部の蛇紋岩や石灰岩地にあるとされ、これは、ミズキの仲間ではありませんが、葉がミズキの葉に似ていることから、トサミズキの名が付けられています。
これは大きな木にはならず、高さは2~3メートル程度で、写真のように多くの枝分かれをします。
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(なお、ミズキ科には、広く知られているハナミズキがあり、これは北アメリカ東部原産で、1912年東京市長がアメリカに、サクラを贈った返礼に贈られたのが最初。さらに徳島市にある眉山(標高277m)にも見られるクマノミズキ、もっと高い山に時折見られるヤマボウシなどいろいろあります。)
トサミズキの仲間は、19世紀の後半にヨーロッパにも渡り、欧米でも,早春に開花する花木として珍重され、多く栽植されるということです。)
このうすい黄緑色の花が房状となって次々と咲いていくにつれて、春らしさは次第に実感されるものとなります。この写真の後方には、白いウメの花も見られますが、ウメとトサミズキはいずれも、まだ緑の新芽はどの木々にも見られないとき、こうしてまず花を咲かせることによって、春を告げようとする神の御心を感じさせてくれます。
冷たい風のなかでもこのように、見つめるものに春だ、いのちの春だ、と多くの花たちがコーラスをしているように次々と咲いていくのです。このような花の姿、色、たたずまいは、人間の考えたことでなく、まさに神ご自身のお心とご意志の表れで、それゆえに心の目を開いて見る者に、神の深いお心の一端に触れる思いにしてくれます。(文・写真
ともT.YOSHIMURA
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←ツバキ わが家にて 2005.3.2 撮影
冬の樹木の花と言えば、ツバキはとても親しいものです。
冬の寒さから身を守ろうとするかのように、厚い葉と花びらが、特徴的です。
ツバキという名前も、アツバキ(厚い葉の木 の意)とか、ツヤバキ(つやのある葉の木の意)から作られたと考えられています。
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なお、他のツバキの仲間と区別するために、ヤブツバキとかヤマツバキという名も用いられます。
私はこどものころ、家の下の方にある古いツバキの木に上ってよく遊んだものです。
あれから何十年も経ったけれども、そのときからほとんど成長もしていないのがわかります。
樹木には、クスノキ、スギ、マツ、ブナの木のように数十メートルにも及ぶ大木もあれば、ツバキのように、ふつうは6~7メートル程度しかのびないのもあります。ツバキの花の奥には、甘い蜜があります。
蝶や、蜂などの昆虫がいない冬であるゆえに、小鳥たちによって受粉してもらうのに都合のよいように、たくさんの蜜があります。
英語名を、Japanese rose(日本のバラ)と言います。
ツバキは、寒さ厳しいなかに、他の木々の花に先駆けて明るい大きな花を咲かせて春をつげるので、古くは神聖な花だとされ、春を告げる木、という意味で「椿」という漢字が日本で作られたということです。
このツバキの実から採取される椿油は、頭髪用だけでなく、薬用、食用、潤滑油ともなり、さらにその木そのもの(材)も、長寿の木として大切にされ、美術工芸にも広く用いられたということで、その花のよく鮮やかなことや有用性から、古代からよく知られていた日本の花木の代表的なものと言えます。現代では、ツバキのこうした有用性は忘れられ、単に花だけの樹木と思われていますが、さまざまの用途があるように、神は創造されているのがわかります。
(文・写真ともに T.YOSHIMURA)
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ツリガネニンジン 徳島県海部郡海南町 2002.10.8→
青紫の花は多くあります。そしてそれらはいずれも、多くの心を惹くものとなっています。
リンドウやソバナなどはとくにそうです。
このツリガネニンジンも同様です。
秋の野山にて目に入ると、だれもが野草のよさを感じる花といえます。
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だれでも、心のなかに、青い花が表している深さや澄み切ったものを求めているからではないかと思われます。この野草もだんだん少なくなっているのは残念なことです。
この名は花の形が、釣り鐘状をしていることと、ニンジンのような根を持っているからです。
若い苗を食用にするのは、古くから見られたとのことです。
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←ツリガネニンジン 徳島県海部郡 2004.11.23
この野草はとりわけ秋らしい花であり、晩秋のある日に見出したものです。
秋には青い空と神の深いお心を思いださせるような青い花がいろいろあります。
その中でもリンドウとこのツリガネニンジンの仲間はとくに知られています。
この花はだれにとってもほっとさせるような色合いと姿を持っています。
おそらく遠い昔には、秋になるとこのような野草が野山にたくさん咲き乱れていたであろうし、それによって今日のような娯楽もほとんどなかった一般の人々の心も慰められてきたことだろうと思います。
なお、この花の名は花の形が釣り鐘状であることと、根がチョウセンニンジンに似た太い根を持つことから。別名トトキとは若芽をいい、食用となります。
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根は薬草の書物によれば漢方薬として有名で、健胃薬となるとされ、見ても美しく、食べることもでき、かつ薬用にもなるという有用な植物なのです。
この植物は、葉は茎の周りを取り巻くようについたり(輪生)、互いに入れ違いについたり(互生)、あるいは向かい合ってつくもの(対生)などいろいろあり、一見別の種類かと思われるほどです。
まここの花の仲間には、高山に咲くものもあり、剣山にもみられます。またかつて日本最北の礼文島に訪れたとき、そこでは平地に近いところに、本州の高山に咲くこの仲間(ハクサンシャジン)が咲いていたのが印象的でした。
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ツルボ (ユリ科) 徳島県小松島市日峰山 2004.8.20→
この花はちょうど咲き始めたばかりです。
野山の所々に見出される可憐な野草です。
球根(鱗茎)は長さ2~3cm。20~30cm位の花茎(かけい)の先に長さ4~7cmの花序(かじょ、花をつけた茎のこと)をつけます。
薄紫色の花がこの写真のように、控えめに咲く様子は心惹かれるものがあります。
上に述べた詩編19編にあるように、この野草の美しさ、小さな花びらの中に私たちへのメッセージがこめられており、人間以外の動物には感じられない美を私たちに向けて創造してくださった、神の私たちへの愛が感じられます。
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ツタ→
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←ツワブキとアサギマダラ
徳島県小松島市日峰山 (わが家のすぐ近くにて) 2004.10.15
アサギマダラ、それは私にとってはなつかしいチョウである。今から35年ほども前、四国の石槌山(1982m)から瓶ケ森(かめがもり 1896m)連峰を縦走していたとき、時おりひらひらと、高原の道の花を訪れ、私の目と心を喜ばせてくれたものであった。
その優雅な姿と色、そして独特のゆったりした飛び方はだれもが印象に残るものだと言えるだろう。
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とりわけ高い山にあってこのチョウに出会うとき、心がいっそう引き上げられるようであった。それは、数十年を経てもなお心のなかに残っている。その後、徳島県の剣山に登ることがしばしばあったが、夏の高山に咲く、美しいナンゴククガイソウに群れていたり、もっと低い800mほどの山頂付近のヒヨドリバナにもきていたのを見かけたこともある。この蝶は平地では見かけたことはないけれども、山の斜面に位置するわが家では時折(1年に一度か二度程度)、渡りの途中の休息を兼ねてであろうか、飛来してくる。
上の写真は、わが家のすぐ上の山で、ちょうど朝日を受けたツワブキの花に来ていたものである。手で触れることのできるほどの近くに寄っても逃げずにいたので、それを撮影することができたが、このような機会は稀なことだ。
ツワブキの花もわが家の山に自然に群生しているもので、年々少しずつ増えているようである。
樹木や野草が生い茂るなかでこのような大きい花を咲かせるし、海岸植物として、強い潮風に吹かれても晩秋まで、咲き続けるたくましさがこの花にはある。この和名は,葉に光沢があるのでツヤブキからきたとも、葉が厚いので、厚葉フキからきたともいわれる。薬用に用いられ、若い茎はフキと同様に食用にもなる。
多くの植物が冬の近づくにつれてその勢いを弱め、枯れていくのも多いなかで、このツワブキは緑の大きく厚い葉を広げ、力強く花茎を伸ばして黄色い花を次々と咲かせていく。その野性的な姿はことに印象的であるし、夕日を浴びるとひときわその黄色が周囲に映える。アサギマダラは、美しいだけでなく、また驚くほどの長距離を渡って飛んで行く。
その事実はアメリカ大陸でも知られているが、実際に日本でも、2002年11月に愛知県美浜町や和歌山などからしるしをつけて放されたチョウが、そこから1000㎞以上離れた前に立ちはだかるいろいろのものをも翼や羽で軽々と、超えていく小鳥やチョウなどは、私たちにも霊のつばさが与えられたらとの願いをかきたてるものがある。どんな妨げがあろうとも、それらを神から与えられたつばさで超えていくこと、それこそ聖霊によって導かれるということである。
(文・写真とも T.YOSHIMURA)
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ツユクサ 2002.9.5 徳島県小松島市→
ツユクサは広くしられています。しかし、じっさいに自然の状態で咲いているのを見たことがないという人は、市街地に住む人には多いとおもいます。
ツユクサは万葉集や古今集にも詠まれ、古代から人の心を惹きつけるものであったのがうかがえます。
また、やはり古くから、薬用、染料などに用いられてきた植物です。 濃い青色のその花には、夏の野にて心惹かれるものがあります。
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深い青は、花だけでなく、空の青、海の青などもふくめて、人間の心にどこかなつかしい、魂のふるさとからの呼び声のようなものを感じさせてくれます。
私にとって、学生時代に、京都由良川の源流地帯でしばしば見かけたリンドウの濃い青紫の色は、数十年を経てもなお、心に残っています。
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←ウメ(我が家の梅) 徳島県小松島市 2001.2.7
この純白の花びらは、おしべのかたちと色などとともに私たちの心に、清澄ななにものかを注いでくれるような雰囲気があります。
それは人間世界にはないものです。
こうした清い美しさを持った自然のすがたはまことに私たちにとって、神の国をしのばせるものがあります。
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ウメ Ⅱ 徳島県小松島市 わが家の梅です。2004.1.24→.
わが家にはウメの木が数本あります。
そのなかで、この木は一番はやく咲き始めます。
このような自然の美しさは、心して見るならその背後に見えざる創造主の御手が浮かんできます。
梅の花は、そのかすかな香りと、花やつぼみの形、色、そして厳しい冬のただなかに初々しい花を咲かせるというところが、古くから人々の心に特別な引きつける力を持ってきました。
それは、万葉集に114首もの歌が詠まれていることからもうかがえます。
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梅は、このように花そのものの美しさや汚れなき雰囲気とそのほのかな香りなどのゆえに、好まれていますが、他方、その実も梅干しや梅酒などに用いられ、大きな役割をもっています。
梅はヨーロッパやアメリカにはなく、古い時代に中国からわたってきたとされています。
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←ウツボグサ Ⅱ 2002.6.10 徳島県小松島市
6月の野草としてとくに愛されているものの一つ。
野草としては、青紫色の美しい花を咲かせるので、山野ではとくに目をひくものです。
しかし、徳島県でも少なくなっているようです。
これは日当たりのよい山野の草地にはえる多年草です。
カコソウ(夏枯草)とも言われるのは、花穂は枯れると褐色になるからです。
強力な利尿薬になると薬草の書物には記されています。
靫草(うつぼぐさ)という名前は、花穂の形が弓矢を入れる靫(うつぼ)に似ているから。
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ウツボグサ Ⅲ 徳島県小松島市日峰山 2004.6.1→
6月に咲く野草としては、とくに美しいもので、多くの人たちの愛好するものとなっています。
その色は青紫で私たちの心に調和音をかなでるように入ってくるものですし、その花の姿も素朴で野草らしさにあふれています。また、この野草は、花が終わると、褐色になるので、夏枯草(かこそう)とも言われ、優れた利尿剤とされています。
しかし、このような心ひかれるような野草は次第に少なくなり、山道でもあまり見かけられないものです。
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平地ではめずらしいことですが、徳島県の吉野川のある地域の堤防にはこのウツボグサが多く群生しているところがあります。青または青紫色の花は、いろいろありますが、秋に咲くリンドウやキキョウ、アキチョウジのようにたいていは人の心惹くものが多いようです。深い大気の集まりは青空となって見えるし、多くの水の集まりである海は青く見えてきます。遠くの山々も青く見えます。
青という色には遠い彼方の国を思い出させるような感じがあります。
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←ウツギ (徳島県小松島市にて)
5月の代表的な花の一つ。ウノハナともいう。
5月頃にはこのように純白の花がいろいろ山には見られます。
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ウツギ Ⅱ (徳島県小松島市にて)
5月の代表的な花の一つ。ウノハナともいう。
5月頃にはこのように純白の花がいろいろ山には見られます。
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←ウツギ 徳島県海部郡日和佐町 2005.5.20
これは、5月の花としてとりわけ有名な花です。しかし、名前はよく知られていても、平地や都会では自然のままの姿では見ることがなく、このような花の有り様を直接に見る機会もなくなっています。
漢字では「空木」と書きます。それはこの木の内部が中空だからです。
また、別名を卯の花というのは、太陰暦の4月を卯月といい、その頃に咲くからです。
この花は、その純白の花びらと、半開きに咲くその控えめなたたずまいが心を心ひくものとなっています。
この花は、つぎの広く歌われてきた唱歌(*)に含まれました。
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作詩は、短歌の作者としてはとくに有名な佐佐木信綱により、曲も明るく初夏の感じがよく出されているために、1896年に「新編教育唱歌集」に出されて以来、100年以上も愛唱されてきたものです。戦後は、この1節と、5節だけが採用されて親しまれています。そこには、いずれもこの卯の花が歌われています。
なお、この1節に「卯の花が匂う」とあるので、たいていの人たちは、卯の花には香りがあると思っていますが、そうではなく、香りはありません。なお、この「匂う」とは、本来は、「に」は丹で赤色、「ほ」は穂・秀の意で外に現れること、すなわち赤などの色にくっきり色づくのが原義で、「赤などのあざやかな色が美しく映える」とか「生き生きとした美しさなどが溢れる」といった意味にも使われています。(古語辞典、広辞苑などを参照)
讃美歌にも、「ああ、ベツレヘムよ、などか一人 星のみ匂いて 静かに眠る…」(讃美歌115番)という言葉がありますが、これは星が「匂いをもっている」ということでなく、「星だけが美しく輝いている」という意味です。
1)卯の花の匂う垣根に ホトトギス
早も来鳴きて、忍び音もらす 夏は来ぬ
5)五月やみ、ホタル飛び交い 水鶏(くいな)なき、
卯の花咲きて、早苗植えわたす 夏は来ぬ。
この歌にもありますが、たしかに卯の花が咲くころに、しばしば山々にはホトトギスの強いさえずりが聞こえてくるし、そしてホタルもみられるようになります。ウツギの純白も、ホトトギスの強く鋭い鳴き声も、さらに闇に輝くホタルの光も…こうしたさまざまの自然の姿は、神の国を求めようと心から願うものにとって、神の国からの清い白であり、またそこからの呼びかけのようでもあり、さらに闇のなかに輝く光があるとの証しをしていると感じるのです。
(文・写真ともに、T.YOSHIMURA)
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ウメ(我が家の梅) 徳島県小松島市 2001.2.7→
この純白の花びらは、おしべのかたちと色などとともに私たちの心に、
清澄ななにものかを注いでくれるような雰囲気があります。
それは人間世界にはないものです。
こうした清い美しさを持った自然のすがたはまことに私たちにとって、神の国をしのばせるものがあります。
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←ヤクシソウ
晩秋に咲く黄色いノギクです。
12月にもなお咲いているのを見かけることがあります。
ノギクというと青紫のヨメナとかノコンギクを思い出す人がほとんどですが、山路を歩いていて晩秋のさびしくなった山道を美しい黄色の花で飾るのが、ヤクシソウです
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ヤマガラ (我が家の庭にて 2002.02.27)→
美しい小鳥で、鳴き声もまた心に響くものです。
ツツピー、ツツピーと、だれもが、気付くようなさえずりをします。
我が家の水槽に水を飲みに来て、なかにいる金魚を見ているところです。
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←ヤマハッカ
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ヤマハッカ シソ科 徳島県名東郡佐那河内村 2003.10.23→
(北海道から九州までと朝鮮半島および中国に分布し,山野にはえる多年草。
高さ60~90cm)山みちのかたわらに、小さなしかし、心にとまる色合いをもって、控えめに咲いているのがこのヤマハッカです。
ハッカの名はありますが、ハッカ特有の香りはありません。
しかしその可憐な姿と秋の野草らしい色調によって、おもわず立ち止まって見つめたくなるような花です。
この写真は、我が家から数十キロ西の山間部で行われている、月に一度の家庭集会への途中の山道で撮影したものです。
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この花は山道で時折見つけるものですが、我が家のある、
低い山の登り口のところにも数株ですが毎年そだって、花をつけます。
こうした野草が少し咲いているだけでも、そのあたりに、 ある種の平和な雰囲気を感じるものです。
これは自然の持っている純粋さのゆえだと思われます。
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←ヤマハゼ 徳島県小松島市(我が家の裏山にて)
晩秋の山を彩るのは、たいていこのハゼノキの仲間です。
誰でも知っているカエデはふつうの山にはあまり見られなくて、このハゼノキの仲間がとりわけ美しい赤色で山のあちことを染めています。
晩秋ともなり、多くの樹木や野草たちが活発な成長や繁殖をやめて一休みという頃、このように燃えるような赤い色で、自然に込められた無限の色彩の美しさを繰り広げています。
こうした自然の美しさは神の持っている美や力強さなどを反映していると思わ れ、それらを見ていると、最高の芸術家でもある神のわざに直接に触れる思いがします。
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ヤマハゼ 徳島県小松島市日峰山 2005.12.5→
深い青色を背景に、ヤマハゼの紅葉が心に沁みます。
澄み渡る青空も讃美、真っ赤な紅葉もまた讃美!
四国の山々で、秋の紅葉で目立つのはこのヤマハゼが多いのです。
常緑の木々や、褐色や黄色に色づいたクヌギやコナラ、イヌビワなどのなかで、真紅の木々が点在するのは、雄大なキャンバスに描かれた、神ご自身の絵画なのです。
サクラは木全体に花が咲きますが、秋のこのヤマハゼの紅葉は、あたかも木全体に赤い花が咲いたようです。
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もし、山がこのような紅葉ばかりとか、緑一色とか褐色ばかりでは単調でしょうが、緑や褐色、また緑にもさまざまの色合いがあってそのなかでこのような紅葉はことに美しさを感じさせられます。
人間もこのようにさまざまの個性をそれぞれの場で発揮するように、神が創造されているのであって、そこに全体としてよきものが生れてくるのだと思われます。
(文・写真とも T.YOSHIMURA)
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←ヤマシャクヤク わが家にて(植栽) 2006.4.4
これは、静かな雰囲気をたたえた花です。野生でこのような姿に接するのは、現在ではかなり難しくなっています。私はだいぶ以前に一度徳島県の深い山で見たことがありますが、今もその印象は残っています。木々が茂り、ほとんど人が入らないと思われるような山深いところでひっそりと気付かれずに咲いている有り様は、自然のふしぎを強く感じさせられたことです。
自然の花は、多くのものに、神の御手を思わせる清さがありますが、この花はことに気品ある野草であり、天から降りてきたような清い美しさを持っています。(写真ともT.YOSHIMURA)
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吉野川→
徳島市の吉野川河口に近いところ。
そのゆたかな水量と広い川は満ちあふれる命の水を思い起こさせてくれます。
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←雪のなかの梅 わが家にて 2005.2.1朝撮影
前回の「今日のみ言葉」で掲載した梅の花が次々と咲いていますが、南国の四国では珍しい雪となり、雪の白のなかに梅の白い花が寒さに負けないという意思表示をしているかのように咲いています。
ウメは、万葉集の時代から特別に愛されましたが、その後花の王座としての地位はサクラに譲ったと言われます。
現在では、花屋さんには多種多様な花がみられるので、ウメの花を王座に据えるような人はごく少ないかと思われます。
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古代の素朴な感性をもった人たちが、ウメをことのほか愛したというのは、この花に、独特の気品ある色と香りを見出したからだということですが、それだけでなく、やはりこんな雪の降るような厳しい季節に咲き、ほのかな香りを漂わせるという繊細さとともに、力強さを感じるからでもありましょう。
一般的には、花は力を感じさせるというよりは、美しさであり、色合い、またその姿、形です。
そのようななかにあって、厳しい条件によっても倒されない力をも感じさせてくれるのが梅なのです。
雪もほんらいは透明な水粒が凍ったものですが、このように、純白となり、とくに雪の少ないところでは、いろいろのイメージが連想されてきます。
聖書においても、つぎのように罪からの清めと関連して用いられています。
・ヒソプ(*)の枝でわたしの罪を払ってください。わたしが清くなるように。
わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。(詩編51:9)
・たとえ、お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる。(イザヤ書1:18)
確かに雪の白さは私たちに人間の心が神によって清められるならばこのように白くなるのだと、私たちにつよく語りかけているようです。
梅の花の白、そして雪の純白とが天の国からの清い音楽のように私たちの心に入ってきます。
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ザクロ→
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←ザクロとナガサキアゲハ 徳島県小松島市 日峰山 2005.6.25
ザクロは、ペルシャやインド地方の原産で、古くから栽培されてきた植物です。ザクロの花、それは葉のゆたかな緑に対照的な赤い花をつけるのでよく目立ちます。この実は、ずっと以前にはわが家にもあったので、苦みのある皮の内側にあるたくさんの種のまわりについている部分が甘酸っぱく食べられるものでした。果皮や根の皮は、昔から駆虫剤として有名です。聖書にも、ザクロはしばしば出てきており、旧約聖書には30回ほど出てきますから、親しまれた植物であったのがわかります。
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ちょうどこのザクロの花にその蜜を吸うためにきたのは、ナガサキアゲハという美しい蝶です。1824年シーボルトによって長崎で採集、発表されたので、この名前があります。私は子供のときに、家が山にあったためもあり、夏になると昆虫の美しさやその生活の様子に強く引きつけられ、各種の昆虫を追って、山を歩き回ったものでした。
このナガサキアゲハもその頃に知ったもので、アカタテハや、ルリタテハ、以前に「今日のみ言葉」で紹介したアサギマダラやカラスアゲハ、美しい独特の模様をしたイシガケチョウなどはことに心に残っています。神ご自身の直接の創造物である、植物や昆虫の美しさや無限の多様性に触れると、人間のつくったものは単にその貧しい模倣に過ぎないのがよく分かります。 (文・写真ともに、T.YOSHIMURA)
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ジンチョウゲ 2003.3.12 わが家にて→
この花の強い香りは、多くの植物がまだ寒さで眠っているように見えるなかで、私たちを目覚めさせてくれるような働きがあります。それだけに日本でも室町時代から愛好されています。香りは一種の魂への音楽のようなもので、よき香りによって私たちの心にもあるさわやかなものが流れ込んでくるものです。
中国原産。和名沈丁花(じんちょうげ)は沈香(じんこ)と丁子(ちょうじ)の花の香りをあわせもつことから。
なお、沈香とはインドから東南アジアに自生する香木で高さ二〇メートルにも達する木で、丁字とは、熱帯地域で栽培されている植物でやはり香料を採る木です。
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←ジロボウエンゴサク 2003.4.1 徳島県海部郡
この花は、とくに野草らしい可憐さ、素朴さにあふれた花です。
この場所に咲いていたのは、草丈はわずか10cmあまりの小さなものです。
注意して見ないと気付かないほどの小さな花ですが、手にとって見るとその素朴な美しさのゆえに心に残る花です。
現代のような複雑でさまざまの混乱のただなかにある世にあって、こうした花に出会うと、天からの水のようなさわやかなものを感じます。
なお、この花の名前の由来は、伊勢地方ではスミレを太郎坊と呼び、同じ頃に咲き始めるこの花を次郎坊と名付けたからといいます。延胡索(えんごさく)はこの類の漢名でその音読み。(牧野植物図鑑より)
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ジロボウエンゴサク Ⅱ 徳島県海部郡日和佐町 2004.4.→
この野草らしい赤紫の可憐なたたずまいの花は、私のすんでいる小松島市や徳島市周辺の山々ではわずかしか見られないのですが、徳島市から南へ50キロほどの日和佐町などには山沿いなどでわりあい多く見られます。
先日も日和佐からさらに30キロ南への地方に家庭集会での聖書講話に行ったとき、その帰り道で見出したのがこの写真です。
変った名前ですが、ジロボウ(次郎坊)とは、タロボウ(太郎坊)に対する言葉で、スミレのことをタロボウと言っていた地方があり、それと同じ季節でしかも色、形もよく似た(*)この花を弟分と見て、ジロボウといったということです。
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そして、エンゴサクとは、この仲間の根を漢方薬として用いていて、その名前がエンゴサク(延胡索)というものです。
スミレとジロボウエンゴサク、この二つはたしかに春にとても目立つ美しい、野草らしい花です。
私はジロボウエンゴサクの花を見ると、かつて何回も登ったことのある、四国第二の高峰である剣山(標高1955m)とすぐとなりにある、ジロウギュウ(標高1925m)という山を思い出します。
剣山もむかしは一部でタロウギュウといい、そのすぐとなりに高くそびえる山をジロウギュウといったといわれています。
ジロウギュウは、四国でも屈指の秀麗な山容で、剣山に立つときとくに目立つものです。
(*)距(きょ)があるところも、スミレと同じである。距とは、花のうしろについている尾のような細長い部分。
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←ジロボウエンゴサク
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リュウノヒゲ(ジャノヒゲ) 徳島県小松島市日峰山 2005.1.6→
この美しいブルーの種をつける植物は、その葉が、幅は数ミリと細く、長さは10~20cm であるために、ジャノヒゲ(蛇のヒゲ)とか、リュウノヒゲという名前がついています。
しかし、その名のイメージとは異なって、冬のさなかであっても、このような目の覚めるような青い色の種をその草陰に保っています。
これは実のようにみえますが、種皮が脱落した種なのです。
この植物は樹林帯の下草として目立たずにひっそりと育ち、この青色の宝石のような種も、繁った葉に隠れていることが多く、葉のなかにあるのを探して見つかることもあります。
そのような目立たないものなので、実際に見たことがある人は最近では少ないと思われます。
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そのように控えめであるゆえに、この植物の種の美しさがいっそう感じられるのです。
青い色は、澄み切った大空の色、そして深い海の色。私たちの目にするもので最も広大な天と、海がともに青い色であることは、暗示的です。これらは、その広大さのゆえに、地上ではどこにいても双方またはそのいずれかを目にすることができます。
神はこの二つのものによって、私たちの狭くて汚れた心を、ご自分の広大で深いお心へと呼び寄せようとしているのです。
この植物はしずかな樹林帯の下草にその青い色を秘めて私たちの注目を待っているかのようです。
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