(227)ソクラテスが神々に対して祈るその祈りは、ただ「善きものを与えたまえ」というだけであった。金銀、あるいは王の権力などを祈る人は賭博やほかのどんな結果になるか分からないようなことを祈るのと同じであると考えていた。(「ソクラテスの思い出」(*)クセノフォン著 岩波文庫45頁)
・身体を訓練しない者は、身体を使う仕事ができないように、精神(魂)を訓練しない者は、精神の仕事を行なうことができない。(**)(同右30頁)
・ソクラテスは、いつでも、食欲が彼の調味料となる用意ができていた。…空腹でないのに食べたり、喉の渇いていないのに飲むことは、内臓や頭や魂を破壊するものだと言った。(同46頁)
(*)ソクラテスは、BC三九九年、国家の神々を信じないで、新しい神を取り入れ、青年に悪影響を与えたとのことで処刑された。彼は、時の権力者や宗教家たちの権威に従わず、神の声を何より重んじて正しい道をあゆんだ。「ソクラテスの思い出」は、ソクラテスの弟子のクセノフォンの著書。
(**)精神と訳された原語は、プシュケー(psyche)であり、ふつうは「魂」と訳されることが多い。
・ソクラテスの祈りは、単純であった。「善きものを与えたまえ」、この祈りは、主イエスの「御国を来らせたまえ!」という祈りに通じるものがある。御国とは、神の御支配であり、その御手の内にあるものであるから、一切の善きものを含んでいるからである。
仕事にもいろいろある。魂(精神)の仕事とは、からだの仕事とは全く別であるゆえに、病気の人、寝たきりの人もよくなすことができる。魂の訓練をしていない人は、どんなに健康でもまた知識や技術があっても、魂にかかわる仕事はできない。
これは、キリスト教の言葉で言えば、聖霊を与えられ、聖霊によって歩むのでなかったら、霊的な働きはできないということになる。
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