(205)あらゆる種類の失意について心の準備をしておきましょう。私はそのような準備が必要であることがわかるのです。
自分がなすべきことをしてその結果は神にゆだねること、これより他に私たちに何ができるでしょうか。また何をするつもりでいられるでしょうか。
神の御心は、天に行なわれると同様に地にも行われるのです。(「ナイチンゲール言葉集」124頁 現代社)
○私たちがなにかをなそうとするとき、その最悪のことが生じるときの心の準備をいつもしておくということである。一生懸命にやったのに、全く理解も評価もされない、あるいは逆に悪く言われるなど、失望落胆するような事態が生じることをあらかじめ覚悟しておくように言われている。
実際、そのようなことが生じるかも知れないからである。例えば、人にキリスト教のことを紹介しようとするとき、そのために悪く言われることがあり得ると心の準備をしておくことである。また、私たちに何ができるかを祈り、考えてなしたあとは、それがどのように受けとられようと、誤解されようとそれをすべて神に預けておく。これは神を信じることから自ずから生じる姿勢となる。
ナイチンゲール(1820~1910)は、イギリスの看護婦。イタリアのフィレンツェ生れ。クリミア戦争に際し多くの看護婦を率いて傷病兵の看護に当り、「クリミアの天使」と呼ばれた。
(161)向こうのくぐり門が見えますか。あの光から目を離さないで、まっすぐにそこへ登っていきなさい。(「天路歴程」新教出版社版 42頁 バニヤン著)
・聖書以外では最もよく読まれた本の一つとされるのがこの書物で、それは数々の苦しみを経て、目的地なる神の国に導かれていく歩みを記したもの。その出発点に書かれているのがこの言葉である。信仰を持つとは、ここで言われているように、彼方へ続く道とその方向に輝く一点の光を見つめて生きていこうとすることである。
(162)信仰は冒険である。富や名誉を得るための冒険ではない。理想を行うための冒険である。良心に響く神の声に従おうとする冒険である。(「聖書之研究一九二七年七月」内村鑑三著)
・冒険とは、未知のところ、何らかの確実でないところに向かって踏み出すことである。そこにおのずから信仰が必要となってくる。周囲の人の歩むままに流されていく歩みには冒険はなく、信仰は力なきものとなるであろう。
(162)私の生涯で、最も助けとなったことは、朝目覚めるごとに、まず最初に、魂で神を仰ぎ見なさい、と訓練学校で教え込まれたことです。(これは、ナイチンゲールが、直接ある訓練学校で学ぶ人から聞いたとして引用している言葉。「ナイチンゲール書簡集」現代社 8頁)