(206)…この一つのことをこそ、真理と認めることが必要である。ー それは善き人に対しては生きているときにも死んでからも、いかなる災いも起こり得ないこと、またその人は、何と取り組んでいても、神々の配慮を受けないということはないということである。(「ソクラテスの弁明」41D)
・この言葉は、ソクラテス(前470~前399)が死刑の判決を受けて、死を前にして語った最後の部分にある。これは「弁明」というタイトルで知られてきたが、内容は、弁明というよりは、彼が何を考え、いかに生きてきたかの力強い証言である。彼に言われた罪とは、自分が子供のときから神の霊の語りかけを受けて、間違ったことならどんな小さいことでもそれを差し止める声が聞こえてきた。その導きに従って彼は人間のまちがった考え方をたえず話し合いによって正しい方へと導いていったが、そうしたことが「国家の認める神々を認めないでその代わりに新しい神の霊を信じるようにと教えた」として、青年たちを腐敗させたというのであった。
このように、聖書の世界を知らされていなかったところにも、正義の永遠的な力を信じ、いかなることがあろうとも、悪が正義に打ち勝つことはあり得ないという確信を持った人が起こされていたのである。
私は大学時代の後半期にプラトンの著作を初めて知らされ、その深い洞察に魂の目を開かれていった。そしてそうした心の準備を経てキリスト教へと導かれた。歴史的にみても、ローマ帝国の精神的土壌は、ギリシャ哲学がもとにあり、それによって耕されたところに、キリスト教が入っていったのであった。
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