リストボタン明けやすし真夜(まよ)の祈りと思ひしに (玉木愛子)

夏の朝ははやい。動くこともままならぬ身であり、ただ祈りだけは自由にできる。他の患者たちが寝静まったあとも真夜中を祈り続けていた作者は、ふと気付くとはや朝になりかかっている。 作者は失明していたから、それは周囲の状況から感じたのであろう。
この俳句を作った頃(一九五〇年)には、すでにハンセン病のために右足切断して二〇年を越えており、また両眼失明してから十三年、いちじるしく生活にも不便かつ困難な状況であった。家族との交わりも長い間断たれ、世間から隔絶された療養所から出ることもできない、歩くこともできないだけでなく、手も自由に動かなくなっている。
これ以上はないと思われるような絶望的な状況にあっても、彼女はみずからに許された、神の国のための働きを続けていた。それは祈りであった。
このような人間の極限状況と言える苦しみにあって、なお神の国においては、彼女は大いなる働き手であり得たのである。
彼女は、七歳にして発病し、女学校にも行けなくなって、ひとたびライ病だと分かれば家族みんなに決定的な困難が降りかかるため、部屋にこもりきりという生活をせざるを得なくなり、十六歳のとき熊本のハンセン病療養所のあることを知ってそこに入ることになった。そうして神とキリストを知り、その苦しめる魂は救いを得たのであった。