(266)「私は捕らわれの身になった時からはじめて、聖書のみ言葉の深い意味、そしてそのみ言葉が人に与える精神的な力が大きいのを悟ることができました。 ・これは、一六一七年五月にイエズス会の神父が牢内で書いた手紙の一部。この人はこれを書いて二十日ほどの後に殉教した。聖書に記されている最初の殉教者、ステファノが周りの人たちに石で打たれて殺されようとするときに、初めてイエスが、神の右に立っておられるのをありありと見ることができた。そして周囲の荒れ狂った人たちのために祈りつつ息絶えたと記されている。普通では考えられないような恐ろしい状況にあって、神は驚くべき力と平安を、そして啓示を与えられるのだと分かる。 ・これは、使徒パウロが、「たとえ天使の舌で語っても、愛なければうるさいシンバルのようなものだ」と言ったのと通じるものがある。神の愛を受けて語るとき、最も神が私たちを通して他者に語るかけるだろう。私たちはただ器であり、管のようなものにすぎない。 |