(358)私は目が見えなくなっていくことは、打ち消しがたい悲しみであった。しかし、ようやくそのことについて平安を得ることができるようになった。
それは、「わが恵み なんじに足れり」というささやきを聞いたからである。…
世間の人のようによく見える目より私の目のほうがはるかによい働きを私に対してなしてくれた。
なぜかといえば、この眼のゆえに、いっそう真剣に祈ることができ、いよいよ深い思いやりを盲人のために寄せることがてき…日の光を恵まれない人たちのために、霊の光を与えるべく招かれる御声を、私は明らかに聴くのである。(「主はわが光」好本督著210頁
)
・好本督は、日本の盲人世界に著しい働きをした。今月号にその一部に触れたが、その大きな働きの根本となったのは、みずからが視覚障がい者であり、徐々に見えなくなり、ついに失明に至るという悲しみと苦しみであった。
神は大きな働きをまかせようとするときには、こうした苦難や悲哀を与えるということが彼の場合にも明らかに示されている。
(359)祈り―その中心は「主の祈り」である―は、隣り人との交わりの中で、その衝動を覚えるのである。
祈りにおいていかに低き者であっても、そこでキリストの働きにあずかるこの上なき特権を与えられる。(同19頁)
・好本督の祈りは、具体的であった。たえず隣人との関わりのなかで―彼の場合は、とくに視覚障がい者との交わりのなかから常に新たな祈りが湧いてきた。盲人ゆえの悲しみや絶望に、関われとの御声をはっきりと聞き取り続けたのであった。
(168)私は彼がその双肩に負った大きな責任をいかにして果たしてきたか尋ねた。「それは全く簡単ですよ。神を讃美し、神に祈ることによってです。私はあらゆる試練に遇いました。しかし、神は常に真実であるということを知りました。…私たち自身のなかに、どんな善いことがありますか。私も無価値な人間です。しかし、そのような者であっても、キリストの名によって祈る私の祈りは聞かれるのです。大切なことは、主を信じる信仰と信頼です。…毎日聖書を読むことは、祈りにとって非常に大切な条件です。」と言って結んだ。 (「主はわが光」50頁 好本 督(ただす)(*)著 日本キリスト教団出版局)
(*)好本督(一八七八~一九七三)は、日本盲人の父と言われた人。日本ライトハウスの創設者である岩橋武夫や、点字毎日の初代編集長の中村京太郎ら、多くのすぐれた盲人のキリスト者がいるが、好本だけは、別格の先覚者だと言われる。それほどに、日本の盲人の霊的な支えとなり、土台となる働きをした。例えば、日本盲人キリスト教伝道協議会の創設、点字毎日の設立、日本語の点字聖書の出版などがある。好本は、数々の困難な道を、神とキリストへの信仰と深い祈りによって導かれてその大きな働きをすることができた。
祈り―その中心は「主の祈り」である―は、隣人との交わりのなかで、その衝動を覚えるのである。祈りにおいて、いかに卑しいものであっても、そこでキリストの働きにあずかるこの上なき特権を得る。(「主はわが光」19頁 好本 督著 日本キリスト教団出版局 一九八一年)
・祈りとは他者への祈りがここではとくに重視されている。私たちは自分自身の苦しみや痛みのなかから、その痛みや苦しみをいやして下さいと祈らずにいられない。しかし、それはキリストの愛がその人に注がれていなくてもできることである。神を信じていない人すら、困ったときの神頼みと言われるように、自分のことならどんな人でも祈る。
しかし、他者への祈り、ことに自分に対して害悪をなした人がよくなるようにとの祈りは、キリストの愛が私たちに注がれていなかったらできない。
隣人との交わりの中で私たちは自分が罪を犯し、また他者が私たちに罪を犯す。そうしたとき、自分自身の弱さ―罪―そのものについて神に祈り、力を与えて下さいと祈らずにいられない。
神を愛し、隣人を愛することが最も重要なこと、と主は言われた。それはそのまま祈りについていうことができる。神を愛するとは、神に心を注ぎだすことであり、それはそのまま神への祈りとなる。そして隣人を愛するとは、感情的に好きになることでなく