リストボタン(387)臨終の際での悔い改め
…私たちはみな非業の死をとげた。
そして臨終のきわまで罪人であった。
しかし、そのとき、天よりの光に目覚め、
罪を悔い改め、敵を赦しつつ、
神との安らぎのうちにこの世を去った。(「神曲」ダンテ著 煉獄篇5歌より)

・たとえ事故や事件、災害、その他の突発的なことで、あるいは病気で死に瀕したとき、なお、神はそのようなときにおいても、光を与えて悔い改めに導くということは、このように古くから言われていた。
その原型は、キリストが十字架にかけられたとき、左右にともに処刑されようとする重い罪人に関する記述である。
一人は最後までイエスをののしったが、もう一人は、自分の犯した罪の重さを知り、驚くべきことに、イエスが御国に帰るとき私を思いだしてください、と最後の息をふりしぼる思いで懇願したのである。それに答えてイエスは、あなたは今日パラダイスにいる、と約束された。
この重罪人がいかにして、処刑されるという最期のときに、弟子たちすらなかなか信じられなかったキリストの復活を信じ、御国に帰るといこことを信じることができたのだろうか。
それは、この神曲で言われているように、天からの光が射して霊的に目覚めたということである。
使徒パウロも、キリスト教徒に対して徹底して迫害を続け、殺すことまでしていた人であったが、突然の天よりの光によってみずからの罪に目覚め、キリストの使徒とされた。
それゆえ、私たちもどのような人にあっても、希望を持つことができる。最後のときまで、とくに身近な人たちのためにも祈りを続けていくことが求められている。


リストボタン(173)良心の曇った者たちは、お前の言葉を厳しすぎると思うだろう。しかし、お前は一切の偽りを捨てて、
お前が見てきた一切の姿を明るみに出せ。…
お前の言葉は、はじめは苦いかもしれない。(*)
しかし、ひとたび体内に取り入れられるならば、
それは命の糧となるものを後に残すはずだ。
お前の叫びは、さながら疾風のごとく鋭く、
高い頂きを強く打つ。(ダンテ「神曲」天国編第十七歌より)


○ダンテは自らの著作の重要な使命の一つは、高い頂き、すなわち当時のローマ教皇など、地位高い人々の不正、さらには当時の多くの人たちの間違いを明らかにし、神の真実を指し示すことだと知っていた。彼は永遠の真理を語ることが自らに託されていることを自覚していた。ダンテが語る言葉は、それゆえに預言者的であり、聖書における預言者のように、聞く者に苦みを感じさせるであろう。しかし、それを心開いて聞き取ろうとする者には、霊的な栄養となり、新しい歩みをもたらすことになる。
神の言葉、真理はこうした特質を持つ。はじめの苦い味わいを退けて、表面的にあまい言葉を追いかけ、取り入れようとする者は、そこに魂の栄養はなく、害悪を取り入れたことを知らされていくであろう。
しかし、真理の言葉を取り入れ、内に消化する者は、たしかに命の糧を得ることになる。
なお、ヒルティはこのダンテの言葉を、最晩年の著作である、「眠れぬ夜のために」の扉に掲げていて、彼がその著作の真理性を確信して世に送り出したのがうかがえる。

(*)参考のために、以下三行の原文と、英訳をあげておく。
・Che se la voce tua sara molesta
nel primo gusto,vital nutrimento
lascera poi ,quando sara digesta.

・If thy voice is grievous at first taste,
it will afterwards leave vital nourishment when it is digested…