(270)人々は、あたかも真の黄金はカリフォルニアで発見されるとでもいうように、押し寄せていくが、しかし、彼らは真の黄金のある場所とは、正反対の方向に進んでいるのである。…我々の周囲のさびしい前人未踏の地へ、真の黄金を探しに人知れず出かける人には、他人に後をつけられたり、出し抜かれたりする危険は少しもないのである。(「市民としての反抗(不服従)」ソーロー著
(*)50〜51頁 岩波書店 一九四九年。)
(*)ソーローはアメリカの思想家。一八一七年生れ。「森の生活」がよく知られている。彼のこの真理に立って、間違ったことに対しては「市民としての不服従」を貫こうとする姿勢は 、後のガンジーやマルチン・ルーサー・キング牧師などにも影響を与えたことが、彼らの著書からうかがえる。 ・彼がこの文で言おうとしているのは、当時西部へと金を求めて人々が殺到したが、そこでもし黄金を獲得したとしても、それはかえって真の黄金とは反対方向だ、という。それはお金をいくら持ってもそれが最大の宝だと思うような精神は、真の霊的な黄金の方向とは逆だと言おうとしている。 これは主イエスが、「天に宝を積め、そこでは盗人に盗まれることがない」と言われたのと共通した精神がある。 また、主イエスは、霊的真理を「畑に隠された高価な真珠」とたとえたが、そうしたこの世の宝とはことなる霊的な黄金を求めていくことは、たしかにただ一人マイペースで歩んで行くことができるし、与えられたその黄金は目には見えないし、誰からも奪い去られることがない。 神の国にある愛、清い心、真実な心…等々はまさにそれを求める人で争いになることなく、競争もない。そうしたものを求めて歩む道は、この世の栄誉栄達を求める道と違って混み合うこともなく、広々としているうえ、そこにはしばしば清々しい風が吹いてくる。 |