(268)伝道とは、神様が私たちを通して働かれることです。(「SOWERーソア 種まく人」日本聖書協会発行 二〇〇三年一月号11頁)
・ここにあげた言葉は、日本から中国に訪れた牧師たち数人が、苦難の中を歩んできた「家の教会」の指導者に会ったとき、なぜ中国ではそのように多くのキリスト者がいるようになったのかと尋ねた。そのときその老伝道者が逆に「伝道とは、何だと思われますか。」と意表をつく問いかけをした。驚いてしばらく答えられなかった日本の牧師たちに語ったのがここにあげた言葉である。
中国では、第二次世界大戦後、共産主義政権が成立したときには、七〇万人ほどのプロテスタントキリスト者がいたと推定されている。それが五〇年後の現在、およそ一〇〇倍にもなって、七千万人ものキリスト者がいるとの報告がなされるほどになった。最近の報道では、大体五%のキリスト者がいると言われる。中国の現在の人口は十三億人余りであるから、六五〇〇万人もに達する。
日本では、一%にも満たないし、毎年五〇〇〇人の受洗者があっても、その数以上に教会を離れる人がいるから、実質は、二五万人ほどだという。 いかに、中国と大きな差があるかを知らされる。
伝道に限らず、私たち一人一人の清めや、愛が生れること、平和、重要なことはすべて私たちが人間的な判断や意図ですることでなく、究極的には神が働かれることによってなされる。私たちはただそのための小さな器となるだけである。