2019年10月から2019年7月まで |
2018年10月 第692号
(404)カール・バルトの祈りから 主なる神様、私たちのお父様! あなたは光であり、そこにはどんな闇もありません。そして今やあなたは、二度と消えることのない光、最後には一切の闇を追い払ってしまう光を私たちの内にも点じられました。 あなたは、永遠の命への道を私たちにも開いて下さいました。 どうか私たちが、すべてあなたからのこの賜物と啓示について、敏感であり、深い関心を持つようにしてください。 あなたの慈しみの豊かさの内から、少しでも私たちが受け取り、私たちの心の深いところに入り、私たちを照らし、立ち上がらせ、さらに他者を慰め、励ますようにさせてください。! (「祈り」バルト著 新教出版社80頁) ・バルト(一八八六―~一九六八)は、二〇世紀最大のプロテスタント神学者と言われる。ドイツのヒトラー政権が成立すると教派を超えた抵抗運動を主導した。
(405)ルターの祈り 私たちは自分の罪を認めます。どうか恵み深き父であってください。私たちを裁かないでください。 私たちが生きていくとき、あなたの尊い御名が聖とされますように。 あなたの栄光と、賛美とならないものは、一切思わず、語らず、行なわず、持たず、また始めることがありませんように。そして自分がほめられることでなく、あなたの栄光と御名を求めさせて下さい。 私たちがあなたを愛し、畏れ、御名を聖とすることができますように。(「改革者の祈り」新教出版社24頁)
・ルター(1483~1546) ドイツの宗教改革者。1517年、ローマ教皇による免罪符販売に反対して、九十五箇条の論題を発表し、宗教改革運動の発端をつくった。そこからプロテスタントというキリスト教の新しい流れがはじまり、世界の歴史にも多大の影響をもたらした。 |
(404)本当の幸福 私たちは、すでにこの世において次のような幸福を知らねばならない。 それは、どんな事情のもとでも、まただれでもみな、手に入れることのできる幸福である。 そして私たちを常に喜びをもって心を満たしてくれるような幸福である。 それは、神への信仰、神と共にあることの実感、そして、働くことである。 (ヒルティ著 眠られぬ夜のために上1月31日) ・ヒルティ(1833‐1909)について スイスの法学者,キリスト教思想家。代々医師の家に生まれ,ドイツの大学で法学や哲学を学んだ。故郷に帰って弁護士となる。ギリシア・ローマの古典に親しみ,30歳のころ,深い精神的回心とともにキリスト教を再発見した。その後ベルン大学の国法学教授,同大学総長,国会議員,ハーグ国際仲裁裁判所判事などを歴任。そうした中で、「幸福論」、「眠られぬ夜のために」、「書簡集」などのキリスト教の著作を多く生み出した。)
・本当の幸福とは、さまざまのこの世の重荷、問題を持ちつつも、そのただなかにあっても、その闇のなかに一点の光を感じさせるところがある。 そのような光を実感するのは、全能と愛の神、そして真実な神を信じることが出発点となる。 そして信じて与えられるのは、聖なる霊であり、それが少しでも与えられるとき、神がともにいてくださっているという実感が与えられる。 そしてその実感はこの世に流されない力を伴う。 その力によって何らかのよき働きが可能となってくる。 よい働きとは、ごく小さなことであっても、神のためと、神を見つめてするときになされることであって、病床にある人、高齢で外へも出られない状況にあっても 、祈ることはできる。 真実な祈りこそは、全能の神の働きにつながることゆえ、大いなる働きとなる。 このヒルティが言っている本当の幸福は、聖書が繰り返し語っていることで、だれでもが与えられ得るものだと言える。 神は愛であるゆえ、年齢、性別、才能、健康、民族ーまた大きな罪を犯してしまった人でも、社会的ち知られるような人であってもーみな真剣に求めることで与えられる。
(405)ただ一つの祈り 私たちは、ただ一つのことしか、あなたを喜ばせることはできないのです。 それは、聖霊を、真理を、そしてあなたの助けと導きを真剣に、真実に求めることです。(カール・バルト「祈り」83頁より。新教出版社刊。なお、バルトは、スイスのプロテスタントの神学者。ヒトラーの台頭に際して、反ナチ教会闘争の中心となり、ボン大学教授の職を追われた。)
(406)試練と信仰 私は生涯のうちで、多くの試練を受けてきたが、おそらく今回の試練が最も厳しいようだ。 試練は好むところである。 厳しくなればなるほど、神との交わりは緊密になり、神の限りない愛への信仰はますます深まる。(「ガンジーの言葉」朝日新聞出版 84頁)
I have passed through many an ordeal in my life. But perhaps this is to be the hardest. I like it. The fiecer it becomes,the closer is the communion with God that I experience and the deeper grows my fdaith in His abumdant grace. (Gandhi: ALL MEN ARE BROTHERS) |
(402)神は天におられる。 この世にあって、すべてよし! (ブラウニングの詩より) God's in his heaven, all's right with the world !
この言葉は、Anne of Green Gables (「緑の壁のある家のアン」ー日本語訳名は赤毛のアン)の最後に引用されている。 意味深い言葉ゆえに、いろいろと引用されることが多い。 聖書の真理が、この短い詩をも生み出したのであって、神がじっさいに天におられるゆえに、最終的にはすべてを転じて善きにされる。それは使徒パウロも強調している真理である。(ローマの信徒への手紙8の28)
(403)真理と間違い 真理と間違いが同一の源泉から出ていることは不思議であるが、確かである。 それゆえ、間違いをひどく取り扱うことは往々つつしむべきである。それは同時に真理を傷つけるからである。 (ゲーテ全集第16巻534頁 全国書房版) ・これは意外な言葉である。真理と間違い(誤謬)はまったく異なると私たちは思うからである。 しかし、他方では、人間はすべて間違いだらけ、罪に満ちた存在である。もし間違い、罪を厳しく罰して排除していくなら、私たち自身もみなその誤りゆえに排除されていく。 人間の本質的な弱さ、それは真理に達するにもその間違いを犯し、経験して痛みや苦しみをとおらなければ達することができないのである。 キリストも毒麦のたとえで、似たようなことを言われている。
…人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。 僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。主人は、それは敵の仕業だと言った。 僕たちが、行って抜き集めておきましょうか、と言うと、主人は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。 収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてれ、と言いつけよう』」。 (マタイ13の24~30より) 主イエスは間違いや罪はもちろんそれを指摘され、ときには厳しい態度で臨まれる。 けれども、常に立ち返るものには赦しを与えてくださる。 そうすることによって、間違いから真理を芽生えさせようとしてくださっている。 |
(399)痛みを感じるまで、愛しなさい。(マザー・テレサ) Love until it hurts.
・キリストは痛みを感じるほどにー死に至る苦しみと痛みを受けてまで、私たちを愛してくださったことを思う。 本当の愛は、敵対してくる者のために祈って、なすべきことをなそうとするようにはたらくゆえ、痛みや重荷を感じることにつながる。
(400) たとえ聖書のすべてを外面的に知り、あらゆる哲学者のいったことを知るとしても、神の愛と恵みがなければ、そのすべてに何の益があろう。 (「キリストにならいて」1の3 トマス・ア・ケンピス著)
・新約聖書にも、「たとえ、あらゆる神秘と知識に通じていても、愛がなければ、無に等しい」(Ⅰコリント13の2) とある。
(401)心の深みから発せられた言葉でなければ、あらゆる言葉は無意味です。 (マザー・テレサ)
If they do not come up from the depth of our heart ,our words are meaningless |
(398)この世で最も良いもの、人生の幸いにぜひとも必要なものは、神とともにあることーそれだけである。(ヒルティ「眠られぬ夜のために下7月4日」) |