2013年4月 |
本文 |
ことば
(345)兄弟たち、何をおいても、まず第一に、自分自身の心のうちの燃える火を保つように気をつけよう。 (「AN ALL ROUND MINISTRY 6」スパージョン著) ・使徒パウロも「御霊の火を消してはいけない。」と言っている。(Ⅰテサロニケ5の19) 使徒たちの最初の福音伝道も、研究や会議によってでなく、炎のような舌が弟子たちに降ったことからはじまった。 いわば神の国の祭壇に燃えている火によって弟子たちの魂に点火されたのである。 私たちもまた、絶えず消そうとする力に抗して御国からの火を常に受けていたい。絶えず祈るとはそのことでもある。 私たちの信仰が生きたものであるなら、その内につねに聖霊の火が燃えている。 聖書という書物は、数千年を経ても変ることなく、そこに神の清い火が燃え続けている。 そしてその力ある火を受け取っていく人たちもまた、変ることなく続いてきたし、これからも続いていく。 (346)アシジのフランシスコの言葉から ・不正な仕打ちを受けたとき、加害者が自分自身の心に与える害悪を、まず考える者こそ、敵を本当に愛しているのである。 ・人はじっさいに善き人になればなるほど、自分をいっそう悪く感じるものである。 ・友が、遠く離れていても近くにいる時も、彼を同じように愛し、聞かせられないことは、何も、その背後で(かげで)言わない僕は幸いである。 (「アシジの聖フランシスコ」ヨルゲンセン著 講談社 241~243頁より) |