2013年9月
戻るリンクボタン進むリンクボタン
本文
リストボタンことば

(349)自分を他のすべての人たちの下に置いても、あなたにとって何の害もない。しかし、一人の上にでも自分自身を置くことは、大きな害になる。

 平安は、謙遜な人と共にある。しかし、傲慢な者の心には、ねたみや絶えざる怒りがある。(「キリストに倣いて」1の7 トマス・ア・ケンピス著)

 It is no harm to you if you place yourself below all others; but it is great harm if you place yourself above even one.  Peace is ever with the humble man, but in the heart of the proud there is envy and continual anger.

・使徒パウロも次のように書いている。

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。(Ⅰテモテ 1の15

 パウロは二千年という長い歳月を通して、最大のはたらきをした使徒と言える。彼が書いたものが聖書に数多く収録され、測り知れない影響を及ぼしてきたからである。それはパウロ個人の思想とかでなく、神、あるいはキリストからの直接の啓示であったからそのように大いなる力を持って歴史を通じてはたらいてきたのであった。それほど神に引き上げられた人であったが、その彼が、自分は罪人の最たる者だという実感を持っていたのである。

 このことは、次の言葉にもうかがえる。

…実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。(Ⅰコリント 15の9)

 主イエスは、「ああ、幸いだ、心の貧しい人は。なぜなら神の国はその人たちのものであるからだ」といわれた。パウロのような実感、意識こそ、そのような「心貧しき人」の心の状態である。そしてイエスの約束通り、パウロは神の国を与えられた。そのことは、聖霊をだれよりも豊かに受け、それによって神からの啓示を後のいかなる人よりも多く受けることになったことに表れている。

(350)あなたは今日、死のうとしているかのように、すべての行いや思いにおいて、身を処するべきである。

 自分の死の時をいつも目の前にたもち、毎日死ぬ心構えを怠らない者は祝福された人である。(同1の23

You ought to order yourself in every deed and thought, as if you are to die this day.

Blessed is the man who has the hour of his death always before his eyes, and daily prepares himself to die. 

・主イエスはいつも十字架の死を見つめて歩んでおられた。使徒たちも、世の終わりは間近だという切迫感をもって生きていた。死は間近だ、残された時間は少ないということを本当に真剣に見つめるとき、おのずから小さなことは念頭から去り、死の彼方の復活、神の国を見つめることにつながる。そして主イエスが言われたこと、「私を信じるものは、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも決して死ぬことがない。」(ヨハネ112526)という真理をより深く実感しつつ生きることになる。