ことば
(126)絶えざる祈り
神との交わりには、特別の時刻や時期(朝夕など)や姿勢や身振りなどを全然必要としない。反対に、最も簡単な言葉、あるいはただ心に思うだけで十分である。いろいろな外的な用意はかえって妨げになることが多い。
最も大切なのは、われらの主とたえず心のつながりを持つことである。使徒パウロはこれを「絶えず祈る」といっている。
祈りは単純、かつ誠実に、すこしも形式にこだわらずに、なさねればならない。それだけでなく、なお祈りに対する神の答を聞くことができなくてはならない。そのためには、日常の騒々しさや利己心にすこしも妨げられない、微妙な心の耳が必要である。(ヒルティ 眠れぬ夜のために 上・一月二十一日の項)
○ここでヒルティが最も重要だと述べていること、「我らの主とたえず心のつながりを持つ」
ということは、キリストのよく知られたぶどうの木のたとえと同じことを意味しています。
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。(ヨハネ福音書十五章より)
このことが、「絶えず祈る」ということの本当の意味だと言っているのです。そして、この絶えず、主と心のつながりを持つというところから、自ずから導かれることが、神からの答えを聞き取るという姿勢です。神(主イエス)との霊的な交流を持っているならば、当然神からの語りかけもあり、それを聞き取る耳も持っているということになります。
・原文のニュアンスを知り、ヒルティのいわば肉声に少しでも触れたいという方がいるようなので、「祈りは単純…」以降の原文をあげておきます。 Mann muss nicht bloss
einfach, aufrichtig
und ohne jeden Formalismus, bitten, sondern
auch die Antwort horen konnen. Dazu gehort ein feines , vom Gerausch des Tages und der Eigenliebe ganz unbehindertes inneres Ohr.
(127)一日のはじめに
主イエス様、この一日を始める前に
今 わたしは あなたのところにまいりました。
あなたに触れていただくためです。
どうか あなたの目を
わたしの上に しばらくのあいだ注いで下さい。
あなたの確かな友情が、
今日のわたしの労働と共にありますように
騒音のあふれる砂漠のようなこの世界にあって
あなたへの思いが絶えることがないように
どうか わたしをあなたで満たしてください
あなたの祝福する日の光が
わたしの思いの高みを満たしますように
そして わたしを必要とする人々のために
わたしに力を与えてください
(「祈り―信頼の源へ―」 マザー・テレサ ブラザー・ロジェ共著」より)
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