リストボタン支えることと支えられること  1999/5

 半年以上以前から、私たちのキリスト集会につながる人で、重い病にあったIさんという人がいた。ガンの重い状態だということで、この数カ月は地上の命はもう残り少ないという状態が続いていた。医学でもどうすることもできないし、その病気のために、あごをも取り除いているため、言葉を出すこともほとんどできず、また食物を歯でかんでふつうに食べることもできず、ミキサーでジュース状にしてからでなければ食べられない状況であった。

 いよいよ病状が重くなるにつれ、その苦しみを思うとただ祈るほかはなかった。到底言葉で言い表せない苦しみにさいなまれているのが直ちにわかるほどの表情に接すると、他者の苦しみにはどうすることもできないというのを思い知らされた。

 召される数カ月前からは、いよいよその苦しみがつのってきたが、それでもIさんは聖書の言葉を求め、讃美歌を小さい声でそばで歌うことを求められた。

 私はそうした状況にあって、日々祈らずにはいられなかった。何もできないが、ただ祈りで神の御手その人をより強く支えて下さるようにと祈るばかりであった。

 長い苦しみののち、Iさんは召されていった。

 彼への祈りによって私も支えられていたこと、他者への祈りはまた、祈る者自身をも支えるものだということを改めて実感した。


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