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中国のキリスト教の現状について 1999/12

以下に引用するのは、関西学院大学で経済学を教えておられる河野正道さんが最近、中国に経済学関係の講義に出張された折りに、見聞した中国のキリスト教の状況です。中国から帰国してすぐにインタネットメールで知らせて頂いた内容ですが、「はこ舟」読者にも読んでいただきたいので、その一部を取り上げました。
 私がまず訪問したのは、遼寧省瀋陽市の朝鮮族の教会、西塔教会でした。そこの牧師さんは、以前、関西学院に講演のために来訪されたことがあったからです。その教会は説教も聖書も賛美歌もすべて朝鮮語であり、私には説教は「ハノニム(神様)」という言葉以外は全く分かりませんでした。しかし、賛美は力強く活き活きとしていました。聖歌隊には老若男女が入っていました。出席者の年齢構成も日本と変わらなかったと思います。
 その教会の現在の会員数は千五百人であり、十五年前には五百人でした。かなりのスピードで成長しています。また、瀋陽市内の漢民族中心の教会の出席者数を合計すると十万人になるとのこと。瀋陽の人口は二百万ですから、これはかなりの数と言えるでしょう。なお、この教会の牧師さんは数名おられるようですが、私がお話をさせて頂いたのは女性の牧師さんで大変に流ちょうで正確な英語を話す方でした。
 今年の春、関西学院を訪問された中国キリスト教協議会の韓文藻会長はその講演の中で、「中国にはたくさんの聖書があるから密輸しないように」、と言われました。確かに、中国で聖書はふんだんに売られており、その価格は、中国語の聖書が十二元(百八十円)、朝鮮語の聖書が二十元(三百円)でした。なお、聖書は、一般の書店には並べられておらず、教会の売店で売られています。しかしそれは、教会員だけに販売するのではなく、一般の外部の人にも販売しています。そのとき氏名や住所を尋ねるということはありません。だから誰でも気軽に買うことができるとのこと。
 この十二元、二十元というのがどれほどの金額であるかというと、市内のバス代が二元、タクシーの初乗り料金が五元、ホテルのご飯一杯が○.五元です。一方、所得の方は、大学教授の給料を例にとれば、これは地域によって数倍の開きがあるのですが、私が訪問した吉林大学では、教授の給料は月に二千元+ボーナス(専門分野によって異なりボーナスがない分野もある)とのことですから、聖書はかなり安い値段で売られていると言えるでしょう。
 次の訪問したのが、吉林省長春市の長春市キリスト教会です。ここは漢民族の教会であり、長春市では一番大きな教会です。なお、同じ名称で朝鮮族の教会も別にありました。この漢民族の長春市キリスト教会も急速に会員数が増えています。文革前は百?二百人で
したが、(文革中はゼロ、教会堂は印刷工場として接収されていた)文革後の新宗教政策の下で千人に増えて、現在では一万二千人となっております。最近の特徴としては、若い人が増えたこと、高学歴の人が増えたことです。九七年には四千人が同時に礼拝できる巨大な会堂を建設しました。
 日曜日の礼拝は四千人づつの三部礼拝です。訪問した翌週の日曜日まで長春に留まり、礼拝に出席した私の同僚から聞いた話によりますと、その日は正餐式を行い、会堂に入りきれない人が外の階段まで溢れ、パンを配り盃を回収するまで一時間かかったとのこと。その間、四千人の賛美が続いていたそうです。その教会には牧師さんが五人おりました。
 一般的に中国の牧師さんは女性が多いようで、私が直接お会いした方はすべて女性でした。日本同様に信徒には女性が多く、そのために牧師も女性の方が好ましいという説明を受けました。聖書を根拠として女性が牧師になるのは不適当などという人は中国にはいないとのこと。なお、会堂は男性席と女性席に分かれておりました。
 この教会の建物のなかに、吉林省および長春市の三自愛国運動委員会が入っています。三自愛国運動とは、中国プロテスタントの自立運動であり、中国人が教会を担い(自治)、外国から援助を受けずに経済的に自立し(自養)、中国人が聖書に基づき布教に当たる(自伝)という運動です。このように、自、というのを強調しており、その新しい会堂の壁にも「建設資金信徒奉献」と書かれていました。また、「愛国愛教栄神益人」という文字もありました。このように、愛国というのが前面に出てきているのに驚くと同時に、内村鑑三が「二つのJ(日本Japan とイエスJesus)を愛する」と言ったことが思い出されました。
 この教会には、三自愛国運動委員会の省、および市の本部があるからこのように強調しているのでしょうが、この点について、牧師はつぎのように説明しました。「中国は五十年前までは外国から侵略を受け続けてきた歴史がある。国あってこその信仰である」と。 この教会は元々は戦前にイギリスの長老会が建てた教会ですが、外国との付き合いは
個々の教会単位では行っておらず、中国キリスト教協議会本部を通じてのみ行っているとのこと。外国との関係にはかなり神経を使っているような印象を受けました。自養(経済的自立)、というが、外国からの献金を受けることを必ず拒否しなければならない、というのではなく、銀行の口座番号も持っており、外国からの振り込みも自由である、しかし、中国の教会を束縛するような条件が付いている援助は受けない、との説明を受けました。 この中国キリスト教協議会に属さない「家の教会」というのがありますが、それは表からは見えません。教会の人たちもその問題に関してはコメントできない、とのこと。
 愛国というのが前面に出てきており、しかも、愛教よりも先に来る。
 このことは、内村鑑三が、「二つのJを愛する」、とわざわざ言ったその当時の日本の社会環境と、現在の中国のキリスト者を取り巻く環境に共通するものがあるのかも知れません。愛国心というのは、単なる隣人愛の延長線にあるものではなく、ちょっと社会科学的分析が必要な概念でしょう。私が中国訪問しているときは、台湾問題が大きな政治問題としてクローズアップされていました。台湾の李登輝総統が「二つの国」という言葉を使っただけで武力行使をしようという。台湾は中国の一部であり、「千兵を失うも寸土を失う勿れ」という論評が新聞に掲載されていました。
 このような状況下でした。なお、欧米の教会では様々な行事の際に国旗を掲げたり、国歌を歌ったりするところもあり、愛国の看板を掲げないで教会の中で愛国心を表現するのは、そんなに珍しいことではないようです。中国は、これを看板を掲げてやっているという違いがあります。今の日本では想像し難いような、政治と宗教の間の厳しい緊張関係があるのかも知れません。
 ともあれ、現在、中国には千六百万人のクリスチャンがおり、牧師はまだ千人とのこと。牧師の養成が急がれております。先に訪問した瀋陽の教会の中に朝鮮族の神学校がありました。中国で最も充実している南京の神学校(南京大学の中にある)を訪問した人の話によれば、かなり豪華な絵画教室や音楽室まであり、立派な設備が整っていたとのことです。つまり、神学の勉強のみならず、キリスト教に関する総合的な教育を着々と進めているようです。
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