リストボタン娘よ、起きなさい(タリタ・クム)  2002/10

イエスがこのようなことを話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」そこで、イエスは立ち上がり、彼について行かれた。弟子たちも一緒だった。
すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。
「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。
イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。
イエスは指導者の家に行き、笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を御覧になって、
言われた。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。
群衆を外に出すと、イエスは家の中に入り、少女の手を取って、「タリタ・クム」(*)と言われた。これは、「娘よ、起きなさい」という意味である。すると、少女は起き上がった。
このうわさはその地方一帯に広まった。(マタイ福音書九・18〜26、マルコ福音書五・21〜43より)

(*)タリタ・クミとなっている写本もある。これは、イエスの時代に用いられていた言葉であるアラム語。主イエスの十字架上での叫びとして知られている、マルコ福音書にある「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ!」(我が神、我が神、どうして私を捨てたのか!)も、アラム語である。

この聖書の記事は現代の私たちにとっては、奇異に見えるであろう。
なぜならこのようなことは現代においてはまず見られないし、誰も経験したことがないからである。このような記事がなぜ書いてあるのか、今の私たちの生活とは全く何の関係もないではないかと思われる。わたし自身、こうしたことが書いてある意味が以前はよく分からなかったが、最近ではこのような奇跡の意味が次第によくわかるようになってきた。
ここでは二人の人が印象に残る。この会堂長とは、ユダヤ人の生活の中心をなしていたユダヤ教の中心をなしていた。一方では、ユダヤ人はイエスに対しては、強い反感を持っている人が多かった。それは、次のような記述からうかがえる。

これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。(ルカ福音書四・28〜30)

イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。
人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。
イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。
そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。
そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。
ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。(マルコ三・1〜6)

 このような記事からうかがえように、ユダヤ人の会堂というのは決して主イエスに好意的であったとは言えない。敵意を持つことが多かったと思われる。最初にあげたヤイロという人は、そうした会堂の責任者であったから、一層この人の主イエスに対する姿勢には驚かされる。しかも、この人は社会的に注目を集めると考えられる会堂の責任者であるが、他方、主イエスは社会的には何も地位もなく、年齢もまだ三十歳すぎであったから、このような会堂の責任者が主イエスにひれ伏してまで懇願した(*)というのは驚くべきことであった。
どうしてこの会堂長はこんなに深い信仰を持つことができたのだろうか。そのような信仰はだれから教わったのだろうか。まわりがどのような人であったからこのような深い信仰が与えられたのであろうか。
このようなことについては、聖書は何も触れていない。 主イエスに対しては、このようにしばしば思いがけない人たちが深い信頼をおいてきたのであった。

(*)ここで「ひれ伏した」と訳されている言葉は、次のような個所で、「拝した」とか「拝んだ」というように訳されている言葉であり、この会堂長のイエスに対する信仰がどのようなものであったかを暗示している。

・舟の中にいた弟子たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。(マタイ四・33)

・東から来た博士たちは言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイ二・2)

・するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。(マタイ四・10)

このようにこの会堂長は、社会的な地位もあった人であり、しかもそこには大勢の群衆が取り囲んでいたのに、そうした人々のただなかで主イエスに対して、拝する(礼拝する)と言えるほどの敬意を示したのであった。当時においても、死んだ者を生き返らせることができるなどということは、ほとんどだれも考えたことがなかったに違いない。死んだ者がよみがえるということを信じるものが一部にはあったが、それも世の終わりの時に、正しい人は復活すると信じていただけであったと思われる。それは次のような例をみればわかる。

イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえる」。マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。(ヨハネ十一・23〜24)

当時の状況がそのようなものであったことを知るとき、一層この会堂長の信仰の深さがわかる。たんに頭のなかでそのように考えていたというのでなく、自分の社会的地位にもこだわることなく、大勢の群衆の前で主イエスに対して、神を拝するかのように最大級の敬意を下げたのである。この驚くべき信仰はどうして生じたのだろうか。だれに教わったのであろうか。主イエスにつねに従っていて、さまざまの奇跡を目の当たりにしていた人、主イエスの教えをすべて聞き取っていた弟子たちですら、イエスが神の子であるとはっきりとわかったのは、かなり後になってからであった。
このような会堂長の信仰が示されたすぐあとで、もう一人の人物が現れる。
それは、十二年間もの間、出血の病にかかって苦しみ続けてきた一人の女性であった。当時ではこの出血の病というのがどのようなことを意味していたか、それはこの新約聖書の文面だけではわからない。それをうかがうには、旧約聖書を参照することが必要となる。

もし、生理期間中でないときに、何日も出血があるか、あるいはその期間を過ぎても出血がやまないならば、その期間中は汚れており、生理期間中と同じように汚れる。この期間中に彼女が使った寝床は、生理期間中使用した寝床と同様に汚れる。また、彼女が使った腰掛けも月経による汚れと同様汚れる。また、これらの物に触れた人はすべて汚れる。その人は衣服を水洗いし、身を洗う。その人は夕方まで汚れている。(レビ記十五・25〜27)

このような記事から推察できるのは、この女性はもう十二年もの長い間、出血が止まらない病気であったから、その苦しみは単に病気の苦しみだけでなく、社会的に排除され、まともな人間扱いをしてもらえないというところにあっただろう。このような病気になると、その人が触れるものまで汚れてしまうというのであったら、この女性はどこにもいけないということになる。汚れているということは、どうにもならないことであって、医者にかかって治してもらおうとしても、できなかった。ルカ福音書によれば、そのために全財産をすら使ってしまったという。

ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。(ルカ福音書八・43)

それほどまでしても癒されない難しい病気であった。このような状況であればたいていはもうあきらめてしまうであろう。しかし、この女は、どこから聞いたのかは記されていないが、今までのいかなる医者や祭司、宗教家であってもどうすることもできなかったこの難病を、イエスだけは癒すことができると確信していた。これはじつは驚くべきことである。医者でもなんでもない年齢もまだ三十歳すぎの若い人が、十二年も治らなかった病気をいやすことができると確信できたのは、なぜたろうか。何が彼女をそのような確信に導いたのだろうか。
聖書はここでもそういうことについては一切沈黙を守っている。この女性は汚れているとされてきたため、どこにも行く事もできず、仕事も与えられなかっただろう。そうした閉鎖的な生活を続けてきた人が、いかにしてイエスだけは自分を癒してくれるという確信に導かれたのだろうか。
最も閉鎖的な生活をしてきたと思われるような人が、だれよりも深い信仰を持っていたということ、それは驚くべきことである。このことは、神が御心のままに、人を選んでとくに救いを知らせるということがうかがえる。キリスト教信仰はこのように、だれも予想もしなかったような人が、驚くべき深い信仰を持つようになり、神に用いられるということが、こうした箇所で示されている。
神がその御計画にしたがって人間をこの世から選び出し、近くにいる人のわずかな会話とか、伝聞といったわずかの情報からでも深い確信を与えるからである。
この箇所で現れる二人の人物は対照的に置かれている。娘が死んだけれども主イエスが手をおいてくれるだけで、生き返るとまで深く主イエスに信頼していた人は、社会的にも地位のあった人であった。しかし、もう一人の女性は、汚れているとされ、社会的に排除されてきた人であり誰からも注目されない人であった。
しかし、その両者において共通していたことがある。それは主イエスへの絶対的な信仰であった。まっすぐに、ただ主イエスだけを見つめ、イエスは神の力を与えられている御方であるということであった。
この箇所が言おうとしていることは、信仰というのは、学識や経験、社会的地位とかそうしたあらゆる問題とは別のことであり、だれも予想できないよう人が主イエスに対する真実な信頼を持つことがあるということである。


するとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。(ルカ福音書十八・16〜17)

会堂長や長い間出血の病に苦しんできた女性は、こうした幼な子のような心をもって、まっすぐに主イエスを仰いだのがわかる。
十二弟子たちすら、キリストが十字架で殺されて三日目に復活するといわれてもそれを信じることができなかったし、実際に復活したときでも、なお彼らは次のように信じることがなかなかできなかった。

(二人の神の使はイエスの墓を訪れた婦人たちに言った)「イエスは、ここにはおられない。復活なさったのだ。…人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。…婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。(ルカ福音書二十四・6〜11より)

こうした記事を見ると一層この記事は驚くべきことだとわかる。三年間のあいだ絶えず主イエスのそばにいて親しくその教えを聞き、さまざまの奇跡を目の当たりにしていた弟子たちですら、死人からの復活を信じることはできなかったのであり、そのために主イエスの復活を聞いてもなお、信じなかったのである。
死人からの復活を信じるとは、神は死に死に打ち勝つ力を持っておられるということを信じることである。そのことが困難であったことは、使徒パウロもギリシャのコリント地方のキリスト者に宛てた手紙で述べている。

キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけか。
死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずである。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄となる。…
死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったことになる。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになる。(Tコリント 十五・12〜17より)

このように死の力はきわめて大きく、それを打ち破って復活するなどということはキリストを救い主と信じることができた人々であってもなお、困難なことであったのがよくわかる。この世で最大の力を持っているように見えるのは、死の力である。死はいかなる権力者も、世界の組織、状態も飲み込んでしまい、全くそれを消滅させてしまうことができるからである。
そのような死の力がなににもまして強いと信じられていた世の中において、この会堂長は主イエスの御手がそこに置かれるだけで死からよみがえらせることがてきると確信していた。
この確信はいままで述べてきたように十二弟子たちやほかのキリスト者たちのことを考えると特別に際立っているのがわかる。死んだ者すらも復活させることができるというのは、神の絶大な力を信じることである。そしてこのことは、文字通り、肉体が死んだ者を復活させることができるということだけでなく、精神的な意味、霊的な意味において復活させることができるということも含んでいる。

さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのである。(エペソ書二・1)

このように、人間はみな、神の持っている真実や愛、正義といった面から見るときには、それらを持っていないのであり、よいことをしているようであっても、それは一時的であるか、自分の益のためにやっているという自分中心の状態が深くしみこんでいる。こうした状況を「死んでいた」と言っているのである。そのような状況からよみがえらせることができるのは、人間ではない。人間はすべてそのような弱点(罪)を持っているからである。それができるのは、唯一、神であり、神の力をそのまま受けている主イエスだけであるというのがキリスト教信仰の根本的な内容となっている。
キリストは、罪のゆえに死んでいた者をも、自らが十字架につくことにより、さらに日々、神の霊を注ぐことによってよみがえらせ、新しい命を注ぐことができる。

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ十一・25-26)

このように、キリストを信じる人はだれでも、生きているときから新しい命を与えられることが約束されている。

会堂長が、「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」といった一言は、こうした主イエスの神の子としての絶大な力への信仰を象徴的に表すものなのであった。そしてその信仰がその後二千年の歳月を超えて世界に伝わっていくことになる、預言的な出来事にもなっているのである。
主イエスがこの死んだ娘に対して、手を取って、ただ一言「タリタ・クム(クミ)」と言っただけで、少女はすぐに起き上がった。
ここに、わざわざ当時の主イエスが使っていたそのままの言葉(アラム語)がそのまま使われているのも、理由があると考えられる。ほかにもアラム語がそのまま残されている箇所である、十字架上での叫び「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」は、重要な意味を持っているゆえに、この箇所でも特別な意味があると考えられる。
この一言は、驚くべき印象をそこにいた人々に与え、その一言が周囲に波のように伝えられ、その言葉の持つ深い意味が語り継がれ、この言葉が言われてから、三十数年ほどなった頃に書かれた、マルコ福音書にもそのときの感動が波及してそのまま載せられることになったのである。
「このうわさはその地方一帯に広まった。」とこの記事の最後に記されている。それは、その地方一帯にまず、この「タリタ・クム」という言葉が広がって言ったが、このマルコ福音書とともに、ローマ帝国全体に広がり、さらに世界中に広がっていった。
そしてさらにそのときから二千年ちかく経った現代においても、ますますこの主イエスの一言が重要となってきている。
主イエスの数えきれないほどの教えや言葉から、きわめて少数だけがこのようにアラム語がそのまま使われているのであるから、この記事を書いたマルコ福音書の著者はそれをとくにアラム語のまま残すように、主からうながされたと考えられる。それは、主イエスがそれまでだれもできなかったこと、いかなる人間もできないことを、わずか一言のこの言葉で、死人をよみがえらせたということは、歴史のなかで特別に重要な言葉だと感じたのであろう。
たしかに、主イエスの一言は、死人をもよみがえらせることができる。使徒パウロはもともとは、キリスト者でもなく、逆にキリスト者を全力をあげて迫害していた人物であった。それが主イエスからの光と、「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」という主イエスの一言で
変えられて、新しく主イエスの使徒として立ち上がることができたのであった。
今も、この「子よ、立ち上がれ」という主イエスの一言はこの世界に投げかけられている。
私自身もまた、このような主イエスの語りかけによって、実際に迷い苦しんでいた状況から、立ち上がることができてそれまで知らなかった全く新しい道を歩むことができるようになったのであった。
主よ、その力ある一言をこの世に与えて下さい。一人一人の心に。区切り線音声ページトップへ戻る前へ戻るボタントップページへ戻るボタン次のページへ進むボタン。