はこ舟 2003年12月 第515
内容・もくじ
自然界の調和
キリストが来られた意味
人の計画と神の導きと
海外派兵に反対する
水仙ワーズワース作
マリアの讃美
休憩室
返舟だより


リストボタン自然界の調和    2003/12

音楽の世界で、例えば、ドミソの音を同時に鳴らすと、あたかも一つの音のように溶け合って聞こえる。しかし、ドミファを同時に鳴らすと、音が溶け合わないで、不協和音として響いてくる。この世にも、さまざまの響きあう音と、そうでない不協和音とがある。
先日も、夜の大きな川の岸辺に立って、初冬の空に輝く真っ白い月と、東の明るい一等星のいくつかの強い輝きを、川のながれの静かな音や川面(かわも)を吹き渡る風を受けながら見ていた。それらは実に一つに溶け合っているのを感じた。月の白い光、風の音、星の輝き、そして眼前に流れる川の流れ、それらはそれぞれが一つのようになっていた。
主イエスはご自分を、ぶどうの木とたとえられた。それぞれはその枝であるという。
それと同様なことを、この神の創造された自然の中で感じていた。夜の川辺にて取り巻いている自然は、さまざまの現れ方を見せてはいても、それらすべては、キリストという幹につながる一つのものなのだと。
今から二千年も昔、神の霊をゆたかにうけた使徒は、キリストがこうした自然の創造にかかわっているということを啓示されていた。
・神は、この御子(キリスト)を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造された。(へプル喜一・2より)

 自然の世界にも不協和音を感じさせられることもある。しかし、全体としてみるとき、旧約聖書の詩人が、創造されたこの世界の奥から、ある種の協和音を聞き取ったように(*)大空の青い色や白い雲、時として西の夕空全体を茜色に染める姿は、たしかに霊的な協和音を響かせている。

(*)話しすとも、語ることもなく

声は聞こえなくても
その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向かう。

(詩編十九・45

人間も、自分中心の思いやそこから来る怒りや憎しみ、ねたみなどを持っているとき、そこからは協和音は響いてこない。

周囲にも暗い不協和音を暗黙のうちに響かせているといえよう。

それに対して、私たちが主イエスの恵みをうけて、神の霊を注がれるとき、そうした暗い心はいつしか退いて、神への感謝と静かな平安が訪れる。そうした心は協和音を周囲にも注ぎだしているであろう。

主に結ばれての祈りは、清い協和音の響きを世の中に生み出す。

祈りがなければ、人間の心は知らず知らずのうちに、自分中心となり、不協和音の響く心をもって生きていくことになるだろう。

「これらすべてに加えて、愛を着なさい。愛は、すべてを完成させる帯である。 (コロサイ三・14

 神の愛をうけるとき、初めて私たちは、魂の深いところにおいて、協和音が響き始める。
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