リストボタン死の谷をすぎて    2004/5

イラクでの捕虜虐待事件のことが、世界的に報道されている。あの報道に見られるようなことは、イラクだけでなく、アフガニスタンなどでたくさん行なわれているという。
捕虜虐待については、日本が太平洋戦争のときに建設した「死の鉄道」とも呼ばれる泰緬(たいめん)鉄道にかかわることが特に広く知られている。
この鉄道は、アジア侵略を押し進める日本軍がインド侵攻のための軍需物資の陸上輸送ルートを確保する目的で敷かれた軍用鉄道である。タイ(泰)とビルマ(緬甸)を結ぶ415kmに及ぶ鉄道は密林のジャングル、山岳地帯を通り、かつてイギリスが計画を断念したほどの険しい地形の中に建設された。
一九四二年に日本軍が建設を始めたとき、最低五年はかかると考えられた難工事であったが、日本の戦局の悪化に伴い急ピッチで工事を進めるよう命令が下り、一九四三年十月十七日、工事開始からわずか一年三カ月という驚くべき早さで泰緬鉄道は完成する。
 工事には連合軍捕虜約6万人、ほかにアジア各国から募集、強制連行された労働者推計20万人が投入された。地理的な悪条件に加え工期の短縮により労働は苛酷をきわめた。猛暑の中、人海戦術でクワイ河沿いのジャングルを切り開き、国境山岳地帯の岩を削る作業が連日長時間続き、追い打ちをかけるように激しいスコールが襲った。
重労働、日本軍による虐待、食糧・医療品の不足、マラリアなどの伝染病によって莫大な数の死者を出していった。その数はイギリスなど連合軍捕虜約一万二〇〇〇人、アジア人労働者数万人。死者の正確な数字は定かではなく、特にアジア人労働者はジャングルの奧に眠る死者の数が二万とも三万ともそれ以上ともいわれる。
このようにわずか一年三カ月で、四万を超えるほどの死者を生み出したのである。これは毎月、二五〇〇人以上も死んでいったことになり、毎日七〇~八〇名ほどもが命を失っていったことになる。
重い病気になったり、戦争終了後も重い後遺症に苦しんだ人は数知れないであろう。
これはいかに当時の虐待がひどいものであったかを如実に表している。
この事実は、当時捕虜になってこの鉄道建設に従事したイギリス兵が、文字通り死の淵から助かって後に、その体験を発表したことでも知られるし、それを基にして最近ビデオやDVDが発売されて、その生々しい状況をいっそう知ることができるようになった。
その体験を記した書物は、「死の谷をすぎてークワイ河収容所」(*)であり、著者はアーネスト・ゴードンである。

*)新地書房 一九八一年発行。犬養道子氏はこの本の読後感を「多くを考えさせられる前に、神への感謝がまず湧き、かくも大きな神的なものを悪のさなかにも準備なさる神さまのすばらしさと、それを受けて、生き、死ぬ一人の人間にとって何が可能かを再び見たような気がします。」
なお、
犬養道子は、ボストン、パリで哲学、聖書学を学び米国ハーバード大学研究員を経て在欧30年以上に及ぶ。1979年以降は世界の難民、飢餓問題に深くかかわり、各地のキャンプに単身毎年のように飛び回り、1992年以降は戦火のボスニア・ヘルツェゴビナに入り、サラエボに孤児となった青年男女のために奨学金援助やコンピュータスクールを開く。現在も『犬養基金』で旧ユーゴ難民に奨学金を送り続けている。
祖父は犬養毅(元内閣総理大臣)


その収容所においては、さまざまの拷問、射殺、銃剣による殺害、溺死をさせ、強制労働、食物を与えないで苦しめること、疫病にかかっても放置するなどおよそ人間のなすことでないようなことが行なわれていった。さきにあげたおびただしい捕虜の死者はそうした非人間的な扱いを受けた上に、熱帯のジャングルや山岳地帯、危険の伴う河川での鉄橋架設工事などでの過酷な労働のためにおびただしい人間が命を落としていった。
食事もきわめてわずかで副食を与えず米のみ、しかも病気になるといっさい食事を与えないで飢えさせて死に至らせるというものであった。この本には捕虜になった人のうち絵のよく描ける人の書いた挿絵があるが、それには限界を超えたやせ細った捕虜の姿がある。
ソ連に抑留された日本人捕虜は冷遇されたと言われるが、その死者は10%以下、ドイツとイタリアの収容所の連合軍捕虜の犠牲者は4%であったが、このクワイ河収容所では、連合軍の捕虜は10人のうち、2名~3名、つまり30%近い死者が生じたという。
このような恐るべき捕虜への虐待は、現在のイラクなどで行なわれてきたという虐待とは比較にならない状況であった。
なぜこのような捕虜虐待が起こるのか、それは戦争というものが相手を多量に殺すということを目的とするからである。たくさん殺害することで勝利となるのであって、生かすことが目的にないから、こうしたひどいことが公然と行なわれるのである。
イラクの場合もあのような捕虜虐待が大きく世界的に報道されているが、アメリカがイラクの町を攻撃して、一般人含めて六〇〇名もの人の命を奪ったということは、はるかに大きな問題である。捕虜虐待より、ふつうに生活している人の命を奪い、家族を奪われ、あるいは死は免れても手足を失ったとか、耳や目の機能を破壊し、今後の生活も著しい困難に陥れることがはるかに悪質なことである。
そうした目に遭った人たちは、あの報道であったような虐待よりはるかにひどい状況で今後も生活を続けていかねばならない。
捕虜虐待を問題にする以前にそれを引き起こす戦争そのものを止めるべきであり、そのことを日本の首相もアメリカにはっきりと進言すべきであるのに、イラクで何が起ころうと、日本の首相、政府、与党の人たちは明確な抗議や進言をまったく行なおうとしない。
そしてアメリカの戦争を支持し続けている。それではあのような捕虜虐待を支持していることと同じになる。
太平洋戦争での目を覆うようなひどい捕虜虐待も、結局は戦争の一つの結果なのである。人を殺すことを目的とし、それを公然と認めるような考え方からは当然そのような非人間的なことが生み出されていく。
聖書の精神は、たった一人の命、病気でなんの仕事もできないような人、死を前にしたような人、世の中で何も役に立たないように思われている人をすら、神が深い意味をもって造られた存在として重んじる。そうした聖書の精神といかにかけ離れていることであろう。
戦争になると人間は多くが正気を失う。しかし、さきほどあげた「死の谷をすぎて」という書物のなかで、それほどの暗黒と悲惨のただなかにあって、一部のキリスト者たちが、なお希望と光を持ち続け、生きる力を与えられ、それが捕虜たちにも伝わっていったことが印象深い筆致で書かれている。それは実際にそのような死の谷を通って、キリストによって命を救われてきた人のみが語れる力をもって迫ってくる。
この書物をもとにして作られた、「死の谷をすぎて」という映画を最近見た。捕虜たちの虐待のことと共に、敵をすら愛するというキリストの力が捕虜以外のところにも働くという内容である。そして、この映画にも現れるが、日本軍の通訳をしていた日本人通訳者(長瀬隆)が、一部の捕虜たちの深い信仰に感化され、戦後20数回もタイ地方を訪れて、かつてそこで命をうしなった人たちをしのび、敵同士であった連合軍と旧日本軍の人たちを、そのクワイ河鉄橋で再会させた。そして後に彼はキリスト者となったという。
戦争や恐るべき捕虜収容所の中においてすら全身をもって求める者に働くのは、キリストの力であり、その福音であり、聖書(神の言葉)なのであった。
捕虜の待遇をよくせよ、ということよりはるかに重要なのは、戦争そのものを止めることである。そしてさらに、戦争がないだけでは人間は別の悪に捕らわれていくであろう。私たちの目標は、人間世界をこえた、神のいのちに生かされることなのである。
そしてこの戦争のような文字通りの死の谷は一部の人が体験したことであるが、精神的な意味において、あるいは病気や老齢による「死の谷」は誰もが通っていくのである。そうしたいかなる意味の死の谷をも神によって導かれ、そのかなたの光ある世界へと歩んでいくことこそ、過去から現在までのあらゆる人間の目標だといえよう。
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