リストボタン詩の世界から  2007/11


更けて出づる み山も嶺の あか星は 月待ち得たる心地こそすれ(「山家集」西行法師(*))

「夜が更けてから深山の峰の上に明るい星が見えてきた。暗い深山にあって、その星は待っていた月が出たかのように喜ばしく感じた。」
夜更けに山の嶺の上に見える特に明るい星は、木星であると考えられる。木星は時期によっては、深夜にその強い光を輝かせて見えることがあるので「夜半の明星」とも言われるほどである。
なお、今は木星は夕方に西南の空に輝いているので、誰でも見ることができる。(なお、一部の注釈には、このあか星は、金星とあるが、金星は夕方か夜明けにしか見られないのであって、夜更けにしかも深山の嶺の上に出てくることはない。)
*)西行(一一一八~一一九〇)は、各地を旅し多くの和歌を残した。芭蕉にも影響を与えた。新古今集に九四首など他の歌集にも多くが収められている。

潼関(どうかん) 清(しん) 譚嗣 同(たんしどう) 作(*

終古 雲高くしてこの城にむらがり
秋風吹き散ず 馬蹄の声
河は大野に流れてなお束ねらるるを嫌い
山は潼関に入りて平らかなるを解せず
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いつの世も雲は天高く流れてこの城壁に群がり
秋風は馬のひづめの音を吹き鳴らす。
黄河は大平原の中を、束ねられるのを嫌うかのように広々と流れ
山なみはここ潼関に至っても、平らになろうとせず、けわしく続く。

*)潼関は、中国の地名、作者は清の時代の思想家。政治家。一八八二年作

・このような中国の詩は現代の私たちには関係のないように思われ、実感が湧かないという人もあるだろう。 しかし、この詩には、秋の雲、風、大河、そして山々が現れる。場所と時代は異なっても、これらの自然はそれに接する者につねに、ある種の自由、清浄さ、また雄大さや力を私たちに伝えてくれる。狭く、弱くなっていことうする心を強め、清め、そして自由になれと、呼びかける霊的な語りかけがそこにある。
歴史を刻む城壁の上には秋空に絶えず形を変えてその自由なひろがりを示す雲が群がり、吹き渡る秋風に乗って馬の走る音が聞こえる。現代の私たちにとっても、雲の色、形、そしてその動きは神の無限の心、霊的な本質を暗示するかのように変化に富んでいる。
風はさまざまのものを運び、聞く者の心をも豊かにする。その風からキリスト者であれば神の国からの霊の風(聖霊)をも感じとることができる。
前方に広がる大平原に大河がその力強い流れを見せている。 清き河の流れは見る者の心にも天来の水を流してうるおし、山々の連なりは近くから遠くへとその揺るがない姿をあらわし、揺るがぬ力を沈黙のなかで語り続けてくる。

ヤコブが見し一つの梯子秋天へ 田川飛旅子(*

・秋の澄みきった青空、そこに天への梯子(階段)が見える。かつてはるかな昔ヤコブが孤独な旅路の途中で夢のなかで啓示された天と人をつなぐ梯子が現代の私たちにも、心して見つめるときには浮かびあがってくる。創世記によれば、その天に至る階段には御使いが上り下りしていたとある。
天からの清い霊が流れ、地上からは人の神に捧げる思いが上っていく。天と人との霊的な交流がそこにある。これはヤコブだけに生じたことでなく、この詩人の心の奥深い体験でもあったし、私たちにおいても静まって秋の空を見つめるときにはこのような天地に流れあうものを感じることができる。
*)現代のプロテスタント俳人。自然を讃えることと、神を讃えることは同じだと言い、「神を信じる者は単なる花鳥を詠むことで終わってはならない。必ず、そこにキリスト教の信仰が歌われていなければならない。俳句を通して自分の信仰が歌われていなければならない。」と述べている。(「神を讃う」新教出版社刊五八頁)


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