友愛について

政治家が友愛などということを、正面から語るなど、自民党の時代なら考えられないことであった。新政権となって、首相が友愛ということをいろいろな場(*)で語った。
首相は、この言葉を自分や他人の自由や人格の尊厳を尊ぶ考え方だと説明している。これは、一般的には政治で使われる言葉でないので、共感する人もいた反面、違和感をもった人たちも多くいたようである。

*)鳩山首相が、九月の国連で行った英語による演説でも、「友愛」という言葉を用いていたが、その時の英語表現は、フラターニティ fraternity であった。この語は、ラテン語の フラーテル frater (兄弟)という語から生まれた英語である。それゆえ、フラターニティとは、その元の意味は、「兄弟であること、兄弟愛」 ということである。また、聖書において、「兄弟愛」という原語(ギリシャ語)は、philadelphia(フィラデルフィア)である。これは、現在アメリカの大都市の地名となっているので広く知られている。このギリシャ語は、フィレオー(愛する)と、アデルフォス(兄弟)から成っている。
「兄弟愛」に対するラテン語訳聖書での表現は、「兄弟」という語から生まれた、フラーテルニタス fraternitas という語である。

友愛という言葉は、子供でも、何となくわかった気持ちになるだろう。政治や軍事、経済などに関する専門的な知識や判断力などがほとんどなくとも、「友」とか「愛」という漢字は非常に身近な言葉なのでこの意味は何となくわかるからである。
しかし、この言葉をそのように、何となく子供でもわかる言葉だとしたり、政治にまるでふさわしくないとしてそれ以上なにも考えないというのでなく、ここで少し立ち止まって考えてみたい。
実はこの言葉はもとをたどっていくと、新約聖書にある兄弟愛ということに帰着するのであって、現代の私たちが想像するような友だち同士の愛というのとは異なる。
兄弟愛とは、自分たちは、神を父とする兄弟なのであるからそのように言われる。
兄弟愛という言葉は、どのような聖書の箇所で現れるであろうか。その一部をあげてみる。

兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられておりテサロニケ四の9)
・最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。(ペテロ三の8
あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったペテロ一の22
・兄弟愛を続けなさい。(ヘブル十三の1

このように、友愛という言葉は、もとをたどると、新約聖書の兄弟愛ということまでさかのぼることができる。それゆえ本来は、キリスト教の言葉なのである。
この言葉は、政治や社会的な問題とは別個の、個人的な狭い意味として受け取られることが多い。友愛というより、友情ということの方がずっと多い。
しかし、この言葉を日本の政治や社会的な問題の直中に持ち込んだ人は、鳩山首相が最初ではなく、はるかに古い時代の人、鈴木文治が最初である。
彼は、今から百年近く前の一九一二年に十五名ほどと共に「友愛会」という団体を作った。 鈴木は、キリスト教社会主義者であったから、この言葉は、聖書から採用したのである。
この小さな「友愛会」は、次第に発達、拡大して、大日本労働総同盟友愛会と改称され、さらに設立から十年も経たないうちに、何万人もの会員に増えて日本労働総同盟(総同盟)となった。そして、その後もいろいろな変化を遂げて、敗戦となり、戦後いろいろな労働組合が作られたが、それらのなかで、いくつかの労働組合が合同されて現在の「日本労働組合総連合会」(連合)となって、組合員六七〇万人という日本最大の巨大な労働運動の組織となっている。こうしたことから、鈴木は、日本の労働運動の父と言われている。
彼のキリスト教に基づく考え方は、19世紀中頃のイギリスで広まったキリスト教社会主義とも共通点を持っていた。
キリスト教社会主義とは、聖書のなかにある、「あなたの隣人を愛せよ」、「人にしてもらいたいと思うことはなんでも、あなたがたも人にせよ」という、主イエスの言葉がもとになっている。
わずか十五人の小さな集まり、それはその当時から現代に至るまで、無数に存在しているだろうし、作られてもすぐに消えていくもの、次第にふくらんでいったもの、少数だが何十年と続いて行ったものなどいろいろあるだろう。
そうした中でこの友愛会は、おそらく当事最初の友愛会に加わったメンバーたちも誰も予想しなかったほどの拡大と影響力を持つようになっていった。
この友愛会の最初の目標は、次ぎのような内容をもっていた。

われらは互いに親睦し、一致協力して相愛扶助の目的を貫徹せんことを期す。
われらは公共の理想に従い、識見の開発、徳性の涵養、技術の進歩を図らんと期す。
われらは共同の力に依り着実なる方法を以って、われらの地位の改善を図らんと期す。

第一に置かれている目標は、相愛扶助、要するに、一つになって互いに愛しあい、助け合うことなのである。これは、互いに主にあって愛し合い、互いに祈り合い、またそこから助け合うという新約聖書の根本的精神から生まれたものだとわかる。
とくにそれを目に見える領域、すなわち物質的な条件を互いに愛し、助け合ってよくしていこうというものであった。
新約聖書には、目に見えない聖霊が注がれるように祈ったこと、また、物質的なものを互いに共有していたことが使徒言行録にも記されている。

信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。
そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた。(使徒言行録二・4447

このように、最初のキリスト者たちは、豊かな人、貧しい人も一つになって精神的にも物質的な生活の上でも、互いに助け合い、祈りあって歩んでいたのがうかがえる。
友愛会は、このように互いに助け合うということが目的であり、共済組合の性格を持っていたのである。
聖書の言葉は、このように、はじめは一人かごく少数の人の魂に深く植えつけられる。そしてその後不思議な力をもって広がっていく。これは神の言葉の力のゆえである。
友愛会は、すでに述べたように、その後まもなく拡大成長していったが、友愛会から始まった労働組合は、次第にキリスト教とは距離が生じていった。無神論の考えの人たちが指導的となっていったからである。

キリスト教精神の一つの現れである「友愛」という言葉は、このように、単に個人的な関わりのなかでの愛というだけでなく、社会的にも非常に大きな労働運動のうねりを生み出すような力を持っていたのである。
賀川豊彦は、二十九歳の若き日に、すでにこの友愛会にて神戸で重要な役割を持つようになっていた。友愛会が、大日本労働総同盟友愛会と改称され、賀川はその組織において関西の労働運動の代表的指導者となっていった。
このように、聖書にある精神、聖書の言葉が、大きなうねりとなって社会のさまざまの変動や地域の多様性などを越えて、次々と拡大していく。それは、主イエスのたとえ話を思い起こさせるものがある。
このように、出発点は、聖書のなかにある言葉をもとにした小さな集まりであったが、急激に膨張していった。今日の連合という日本最大の労働組合の組織が、その出発点において、百年近く前の、聖書の言葉である、「友愛」(兄弟愛)という言葉をもとにしていたということは、ほとんどの人にとっては知られていないことである。
神の言葉というのは、このように驚くべき成長の力を内蔵している。

また、友愛という言葉は、その英語訳の語源が、ラテン語の兄弟という言葉に由来するゆえ、兄弟愛という聖書の言葉から生まれているのであるが、他方、その字のとおりの「友としての愛」ということの最も深い意味もまた、聖書にある。
それは、主イエスが、次ぎのように言われたことがもとにある。

わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。(ヨハネ福音書十五の15

ここで、僕と訳されている原語(ギリシャ語)は、本来の意味は、古代社会には非常に多くいた、奴隷という言葉である。じっさい、次のような箇所ではこの言葉が奴隷と訳されている。

主人たち、奴隷を正しく、公平に扱いなさい。知ってのとおり、あなたがたにも主人が天におられるのです。(コロサイ四の1

奴隷は、主人のしていることが分からないが、弟子たちは、イエスの友であると言われた。それは、イエスの言葉をすべて聞かされているからだという。たしかに敵対するものとか、見下している相手とかには決して思っていることをみな話したりしない。
一番大切な心にある考えを話す、しかもみんな話すということは、最も深いつながりを与えられているということを意味する。奴隷と主人、その関係は徹底した上下関係である。しかし、友という関係は深いところで対等なのだ、ということになる。それは互いに愛をもっているということである。友という意味のギリシャ語は、フィロスという。これは、フィレオー(愛する)という言葉に由来する。真の友は、必ず愛がある。友とは、ギリシャ語では、愛する者という意味を持っていることになる。
憎しみは相手をどこまでも低めようとする。命さえ奪おうとするほどである。しかし、愛は対等の心、友の心を持つ。
イエスが私たちの近くにきて下さるとき、友である。さらに私たちの魂が清められるなら、私たちの心のうちにさえきてくださるという。私たちの魂のうちにイエスが住んで下さるというとき、それは最も深い愛の関係であり、最も深い意味での、友愛の関係ということになる。
こうした意味から、キリスト教の一派であるクェーカーの信徒たちは、彼らの正式名称を、「友会」とした。英語では、ソサイアティ オブ フレンズ (Society of Friends) という。
この名称の他には、「真理の友」(Friends of the Truth)という名をも使ったことから、フレンズ(Friends)とは、真理の友であり、真理とはイエスであるからイエスの友という意味を含んでいるのがうかがえる。そしてイエスの友という表現は、主イエスご自身が、「私はあなた方を友と呼ぶ」 と言われたこととかかわっている。
クェーカー派は、アメリカの黒人奴隷の差別問題をほかのキリスト教の派よりさきに、深く考えた。それはリンカンの奴隷解放令より、百年近く昔にすでに、奴隷制度に反対を主張するようになったことでもわかる。
また、平和問題においても、決して武力の戦争に加わろうとしなかったので、多くの人たちが刑務所に入れられた。一九四七年に、ノーベル平和賞が、クェーカーの団体に授けられたが、それは徹底した平和主義、武力による戦争に決して加わらないという、聖書に基づく主張と行動によるのであった。
内村鑑三の非戦論もこのクェーカーたちの信仰によって影響を受けたのであった。
クェーカーは新約聖書のさまざまの箇所によって、とくにキリストご自身が武器をとることなく、十字架で死んでいかれたが、その死は敗北でなくすでに述べたように勝利であったということから、武力を用いる戦争を否定した。内村は、二二歳の若き日にアメリカにわたり、あるクェーカーのキリスト者の紹介で、知的障害者の施設で働いた。そしてクェーカーの人たちとの交流が生まれた。そのときにクェーカーの平和主義のあり方に初めて接した。しかし、その影響はまだ内村には見えなかった。日本に帰着後、日清戦争が生じたときには、その戦争を正義の戦いと主張したのであった。
しかし、その戦争の生み出した結果を見て、はっきりと戦争の深い罪悪を知り、戦争に明確に反対するようになった。そして日露戦争には非戦論を主張した。その後、クェーカーの集まりでの講演で、内村は、戦争が不正であることを主張したが、これは、「若き日にクェーカーの非戦論に接した影響であると感謝している。」と言っている。(政池 仁著「内村鑑三伝」三五五頁、教文館発行)
神のご意志は、武力を用いた戦争を認めていないということを知っていた。そしてそれを迫害を受けても主張した。主イエスが、私はあなた方の友である、と言われたことは、このように、さまざまのところに波及していったのが分る。
私たちは、神を父として新たに生まれた兄弟姉妹であるという、単純な真理、そしてそこから、私たちは兄弟愛を持つことができるように変えられたこと、さらに、主イエスが私たちの救い主であり、神と等しいお方であるにもかかわらず、私たちのところまで降りてきてくださって、私たちを友としてくださり、最も深い意味での友としての愛を注いでくださっているということ、それらが世界の歴史においてさまざまのよきものを生み出していったのを知ることができる。
そして今日にあっても、この単純にして深い影響力をもつ真理は変ることなく世をうるおしているのである。


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