リストボタン北海道と各地の集会

今年の夏も北海道南西部の日本海岸にある瀬棚地方にて聖書集会があった。七月二二日〜二五日(日)までの三泊四日の日程で、今回のテーマは、「主に信頼する者になりたい」であった。信仰は、例えば十字架を信じている、復活を信じているといって表面的に信じている気持ちになっていて、ふだんは神やキリストのことを思いだすことのないという場合でも、信仰を持っていると言われることが多い。
それゆえに、今回のテーマはそのような形式的、表面的信仰でなく、生きた信仰、困難なときにもあくまで主に信頼して生きていく姿勢を求めたものだと感じられた。
そのため、今回はとくに 主に信頼する、ということについての聖書からのメッセージはどういうものなのか、それを旧約聖書のなかから選び、さらにとくに詩篇はそうした信頼の生きた記述であるので詩篇を別個に取り上げ、そして新約聖書における、主への信頼ということをみ言葉から学ぶことにした。
それらの聖書講話を三回、それぞれ一時間ほどをあて、そのあとで、その内容に関して、あるいは各自の生活のなかからの感話、自由な話し合いというものを一時間半ほどがあてられていた。
その話し合いにおいては、信仰のこと、そして夫婦や家庭の問題であっても率直に語られ、参加者の心に残る内容であった。ふだんはなかなか言葉に出しては言いにくいようなことをもみんなの前で話されることがしばしばあったのは、それだけこの聖書集会が主を中心として互いの信頼によってなされているからだと感じられた。
瀬棚の地以外の、キリスト教とは関わりのないところから結婚して酪農にかかわるようになった若い女性もいるが、そうした人たちもこの聖書集会に積極的に参加しているのも主の導きと祝福だと感じた。
この聖書集会の間、すぐそばの茂みからウグイスのさえずりがずっと聞こえていて、日によっては朝から夕方まで歌い続けている状況のなかでの学びや話しあいとなった。いままでこのようなことはなかったので、主の恵みをこんなところからも感じさせられた。
最後の四日目は、瀬棚から二〇キロほど離れた、日本キリスト教団・利別教会において、瀬棚の集会に参加している人も加わり、合同の主日礼拝であった。ここでは、説教として「喜びの知らせとしての聖書」というタイトルで語らせていただいた。
瀬棚の聖書集会にも、利別教会の相良展子牧師や数人の信徒も参加され、教会の方々の祈りもふくめての支援も合わされてこの集会が運営されているのは、数十年も前から無教会のキリスト者と教会のキリスト者たちの主にある共同体が続いていたからであり、ここにも主のわざを見せていただく思いであった。
瀬棚聖書集会の終わった翌日は月曜日という平日であったが、札幌での交流集会が行われ、これはもう七回目を迎えることになった。瀬棚集会がなかったらこのようなことは有り得ないことだったので、私たちの思いを越えて働く主のみわざをここでも知らされている。
ここでは、「聖なる霊の働き」というテーマで、旧約聖書、新約聖書を通しての神の霊、聖なる霊について語らせていただいた。聖書講話の後の感話のときの話しで、参加者もその多くが、苦しいときにも、病気や人間関係など、あるいは老年になってもつねに力づけ導きを与えられる聖霊の重要性を感じておられるのがうかがえた。
その後、苫小牧において集会が与えられ、初めての方々とも主にあって出会うこともできた。この集まりも札幌での交流会の関わりからなされるようになった。
北海道を出てからは、青森、盛岡の信仰の友を訪ね、山形県鶴岡市、山形市、仙台市、郡山市、それから房総の大網地方での集会と続いた。
 鶴岡市では、以前の徳島での全国集会に参加されたことが機縁となって佐藤さん宅での集会がもたれるようになり、今年で三度目となった。
 集会のあとで、鶴岡の地での無教会のキリスト者たちの福音伝道、集会などの写真集を見せていただいた。
 昔の写真も多くそこに見られ、きちんと整理されていて、古くから福音のために生き、歩まれた方々の足跡とそれを導かれた神のはたらきを思った。
 山形の集会では、いつもの方々のほかに、今回はとくに白崎さんご一家が九〇歳を超えた方から結婚したばかりの若い土屋夫妻もふくめて参加されて、初めての出会いもあって感謝であった。
 山形の方々と関わりが与えられたのも、きっかけは、だいぶ前の無教会の全国集会のときであり、黄木定兄との出会いから導かれた。ここでも、全国集会が新たな交流のきっかけとなったのを思いだす。
 仙台の集会では、石巻からの初めての参加者もあり、土曜日でもあったため、いままで参加されたことのなかった方々も参加して、集会が与えられたことは感謝であった。
 仙台の方々とは、市川寛治兄との出会いから導かれたが、最近は若い田嶋さん夫妻が、今回の集会にも特に関わって下さっているのは感謝である。
 その後、福島県郡山市において、富永 国比古兄のロマリンダ・クリニックでの二回目の集会で、今回は主日礼拝で、詩篇三四篇のみ言葉について語らせていただいた。
 ここでも初めての方々とも出会いの場が与えられ、新しい主にある交わりと学びが与えられたのは感謝であった。
 その後、いわき市へと向かい、「祈の友」会員でもある、吉原賢二兄宅を訪ね、お話しをうかがう機会が与えられた。
 吉原兄からは、以前に「夕映えの杜に」や、「いのちの杜に歌声起こる」の著書を送って頂いてそのお働きの一端に触れていたので、直接にお会いできたことは、それらの書物に書かれたことがいっそう身近になる思いがした。
 またそこからは、茨城県東海村に向かい、かつて京都の北白川集会時代に一緒だった、教友、峰原さんを数十年ぶりに訪ねた。主が離れた場所にあっても、いろいろな方法で導かれているのを知らされた。
 その後、房総の足立 哲郎兄宅にての集会が与えられ、今回で二回目であるけれども、、初参加の方々とともに親しく迎えて下さり、主がそこにおられて祝福してくださっているのを感じて、よきみ言葉の集会が与えられた。参加者の多くは、「いのちの水」誌をお送りしていることもあって、今後とも、み言葉を中心とした交わりが続けられるようにと願った。
 夜になったが、千葉県西部の市原市におられる土屋聡さん宅を訪ね、ご家族の方々や遠縁にあたる方の参加もあって家庭集会がなされた。土屋さんのご両親は、一九九一年の徳島での無教会のキリスト教全国集会に参加されていて、ずっと以前からの「はこ舟」、「いのちの水」誌の読者であり、また「祈の友」でもあったので一度はお訪ねしたいと願っていた。
 次いで、八王子での集会に向かったが、この地で集会がなされるようになったのは、やはり全国集会が機縁となっている。今回も永井さん夫妻、岩島さんのご親族関係の方々や以前から何度か参加された方、初参加の方も含めて、八王子市の会館の一室での集会が与えられた。
 その後、次の集会地である山梨県の北杜市に向かう途中にある大月市にずっと以前から「はこ舟」、「いのちの水」誌を送っている方を初めて訪ねたが、その方の奥さんが、札幌の交流集会に参加しておられた渡辺さんや、五月の四国集会にて聖書講話をしていただいた、大分の渡辺さんと縁戚関係があると伺い、意外なつながりを知らされた。
 今回は、いつも集会を持って下さっている南アルプス市の加茂さんご一家がドイツに行っておられるとのことで、今回初めて山梨県北杜市の山口さんご夫妻宅にての集会となった。
 ここでも初参加の方が何人かおられた。また、「いのちの水」誌を読んでいるといわれる九〇歳を超えた方が、わざわざ東京からご子息の運転で参加されるという意外なこともあった。 緑の原を眼前にしつつ、聖霊の風を感じさせられた集まりであった。
 集会には、特別な困難、苦しみを持った方も参加、あるいは集会関係者にもおられるということもあって、いっそうその苦しみのなかに聖なる霊が注がれますようにと祈っての集会となった。
 次には、長野県上伊那の那須野さん宅での集会で、今回初めての場所であった。数年前は白鳥宅、次には、有賀宅、その翌年は倉田宅といろいろな方々のお家での集会を与えられてきたのも、それぞれに違った霊的雰囲気があって恵まれてきた。
 もともと、以前から、機会あれば、「祈の友」の有賀慶治さんや白鳥さんを訪ねたいと願っていたことが、三年半ほど前に白鳥さん宅で集会がなされることにつながった。 残念なことに、有賀兄は私が訪ねる少し前に召されていたが、そのかわりにその親族の方々や上伊那の方々の信仰にはじめて触れて、ともに礼拝をする恵みを与えられることになった。これも「祈の友」という交わりの場に加入していなければ与えられなかったことであった。
 今回集会を持たせていただいた那須野嘉信さんの、ご父君がこの上伊那地方にキリストの福音をもたらして以来、この地に無教会の集会がもたれているという。
 次いで下伊那地方に住んでおられる松下さん宅を訪ね、その教友と、夏休みで来ていた、親族の子供さん三人を含めて六人ほどで、とくに子供にも神様のことを少しでも話すことができたらと植物や昆虫の観察をも兼ねて話した。
 このようにして、各地での集まりでみ言葉を語る機会が与えられ、主にある交わりが新たにされ、あるいは、「いのちの水」誌だけでのつながりであった方とも初めて出会いが与えられて今後も主がなかにあって導いてくださることを思った。
 こうしたみ言葉の集会を主が用いて下さって、そこに聖霊があらたに注がれ、み言葉がよりいっそう強く根ざすようにと願ってそれぞれの集会を終えることができた。 
 こうしたさまざまの地方の方々との出会いのきっかけは、「いのちの水」誌や、「祈の友」、東京や徳島などでの全国集会、四国集会、近畿無教会集会、といったさまざまの特別集会によって与えられた。
 別項で書いたように、み言葉のために出て行くことは、予想していなかった恵みを与えられるものである。それは実際に聖書の書かれた時代には、そのようにして、み言葉は伝わり、また遠くのキリスト者同士の励まし合い、助け合いによっても福音の伝達は進められてきた。現代でもそのことについては変ることはない。
 今回集会が与えられた、長野県の方からの来信で、
「以前は政池先生、日吉先生などおいで下さって合同集会を持たせていただけましたのに、長年そうした集まりがなくておりましたのに、久しぶりに合同集会を持たせていただき、やはり小集会より霊的に恵まれ、また新鮮さが与えられ感謝でございました。…」と書いてこられた方があったように、主が霊的な新鮮さを運んで下さったとすればとても感謝すべきことと感じた。私たち自身は弱く罪深い存在であっても、そこに主が真理のみ言葉を入れて下さるとき、それが用いられる。
 また、み言葉による集いや交流によって、私自身も新たな霊的な恵みを与えられた。
 今回の北海道ほか各地でのみ言葉のための集会や訪問は、長距離にわたるものであったから、途中の体調の異常や交通状態、あるいは天候異変、あるいは何らかの事故などあれば、それ以後のすべての予定はこなすことができず、多大の迷惑をかけることになるゆえに、出発して以来、絶えだる祈りをもっていたが、他方、徳島の集会の多くの方々が祈りに覚えて下さり、それぞれの集会の地の方々も祈りをもって準備してくださったのを感じ、主により、多くの方々の祈りに支えられての行程であった。
 主が支え、導いて下さったことを感謝し、み言葉の力、聖なる霊の注ぎが、各地の集会の上に注がれるようにと願ってやまない。


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