リストボタン大地の恵み

都会ではわからなくなっているが、田舎、山野の道を歩くときに、大地の大いなる恵み、その力を感じさせられる。そこからありとあらゆる植物が芽生え、育っていく。
山野に自然に生えている植物は、肥料をやらずとも、また消毒しなくとも、自然のままで、枯れた植物がそのまま肥料となり、虫が食ってもそれにうち勝って繁殖するたくましさを持っている。そのような植物を生み出していく。
土だけを手に取っても、その力は分からない。そのままでは食べることもできないし、土塊は汚れたものにすぎず何の役にも立たない。それどころか、土が衣服に着いたりすれば払い落とさねばならないいやなものにすぎない。
しかし、その土は驚くべき能力を秘めている。
土のなかからありとあらゆる植物が成長していくからである。自然の里山を見ても、ほとんど同じような場所の土から、実にさまざまの植物が芽生え、成長していく。湿ったところには、苔のような原始的なものがあり、シダ類のようなやはり原始的植物もあり、またリンドウやツリガネニンジンのような美しい花を咲かせる植物も生えるし、同じところから杉や松、クスノキなど数十メートルにもなる樹木も生えている。
あるいは、寄生植物であるキノコも地中から生えるのも多い。このように、土は、ありとあらゆる植物をそこから生み出すことができ、さらに成長させていくことができる驚くべき力を持っている。
さらに、それらの植物が枯れたときその落葉や樹木は、土の中にいる細菌、カビなどの微生物によって分解され、ミネラルは地中に帰り、植物体内に含まれていた水や炭素、イオウ、窒素などの成分は、空気中に帰っていくものも多い。
土は、1グラムの中に、1億もの細菌やカビ類などの微生物を含んでいるという。そのようなおびただしい微生物をも内に秘めているのである。
その微生物が、枯れた植物や動物、昆虫などの死骸をも肥料という有益なものにたえず変換しつつある。一般にバイ菌というと、毛嫌いされ、悪いものの代表のような感じを持っている人が多い。
しかし、それらの微生物こそは、植物の世界を生かし、成長させるもとになっている。それらがなかったら、植物が育って枯れても葉は積み重なるだけで、土はやせ、また積み重なる枯れ葉のために芽も出せなくなっていくであろう。
さらに、土は、そこに水を保つことによって植物の根に水を提供している。砂漠地帯でほとんど雨が降らないようなところにも、一部の植物は根を深く降ろし、毛細根からきわめてわずかの水分を吸収して生命の維持に用いている。
また、土を通った地下を流れる水は、集まって谷川となるが、汚れたイメージのある大地の土を通っていった谷川の水はとても清い水である。そのように浄化するはたらきも他方では持っている。
このような土、大地から生じた植物は、動物の食物となり、またその動物を食べるほかの動物たちの食糧をも提供することになっていく。
このように、大地はあらゆるものを生み出すゆえに、古代の哲人たちは、その神秘な力を深く知らされて、土をこの世界の根本元素とみなしたのであった。
ギリシャでは、エンペドクレス(紀元前490頃〜430頃)が、この世界を4つの根本的なものによって構成されていると考えたが、その中に、土が、火、空気(風)、水などとともに4大元素として含まれていたし、少し後に出たプラトンなどもほぼ同じように考えた。火は一切を変化させるエネルギーにあたるものであるし、水はいっさいの生命を維持し、さまざまのものを溶かし、天にも地にもある、という点で根源的とされた。空気は目には見えないが大きな力を持っているものがあるというのを知っていたゆえであろう。
中国にも、5行思想があり、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなると考えられた。これは日本の曜日の名前にもなってきわめて日常的に使われているが、そこに、世界を構成する根本的なもの(元素)の考え方が用いられているとは気づいていないようである。インドにも似た考え方があり、やはり土も5つの基本的なものに含まれている。
土のはたらきはこのように古代の卓越した思想家たちにも注目され、すべてを生み出す驚くべき力を持っているという点で根本的なもの(元素)だと考えられたのである。
土、大地の持つ力がこのように古くから知られていて、その特質は、神を信じる者にとっては、神が与えたものに他ならない。そして、そこから、そのような性質をあたえた神ご自身が、そうした本質をすべて持っておられるということが分る。
あらゆるものが、そこから生まれる。まさに、神こそ、地上のものだけでなく、宇宙のいっさいをも生み出したお方であり、莫大なエネルギーを放出させ続ける無数の星、地球の生命にとって不可欠な太陽を創造し、地上には、きわめて小さな微生物から巨大な樹木、そしてありとあらゆる種類の植物や動物を生み出してきた。
そして、それらいっさいを成長させていく。土のなかを通って水が流れていき、谷川となり、また地下水となって地上の動植物をうるおし、生かしていく。
神もまた、この世のあらゆる出来事、歴史の奥深くを流れ、あらゆる世紀の人たちをうるおし、また生かしてこられた。そして土に住む無数の微生物たちがあらゆるものを分解し、また再利用できるものにしていくように、神はいっさいのものを良きに変えていく。(ローマ8の28)
古代の天才的思想家、哲学者、宗教家たちが考えた根源的なもの、それは現代からみても、深い考え方であった。しかし、いかにそうした深遠な思想家たちであっても、到達できなかったのが、唯一の愛なる神であり、その神こそ、万物の根源だということである。
大地が万物を生み出すと見えるゆえに、母なる大地と言われる。とすれば、神こそは、さらにそうしたいっさいを生み出す大いなる母であり、それらを支配される父でもあると言えよう。
私たちも、その母なる霊的大地といえる神に根付くとき、その養分を受けて成長していくことができる。そしてさまざまの不要なもの、汚れたものもその大地が良きものに変換し、あるいは清めていくように、神によって悪しきものが新たにつくりなおされ、清められていく。
主イエスが、私に結びついているときには、あなた方は豊かに実を結ぶ、と言われたとおりである。主イエスこそは、いっさいを生み出し、清め、成長させる大いなる大地、霊的な母でもあるからだ。


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