リストボタン朽ちる種からではなく、朽ちない種から

人間を本当に変える力をもつもの、それは人間の言葉や学問、経験、あるいはネットや本などの知識でもない。それは神の言葉である。 神は、目には見えないけれどもじっさいに生きて働いておられるお方、その神の永遠性といのちをそのまま内蔵しているのが神の言葉であり、それゆえに人間を根底から変える力を持っている。言いかえれば、新たに生まれさせるほどの力を持っているのである。

…あなた方は、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。(Tペテロ1の23詩篇9の10〜11より)
You have been born anew, not of perishable seed but of imperishable, through the living and abiding word of God.

私自身が根底から変えられたのは、小学校から大学にいたる学校教育ではなく、友人や周囲のひとたちの経験や言葉でもなかった。それはたしかに、新約聖書に記された短い神の言葉であった。
人間のさまざまの意見、思想、学問などですら、それは「朽ちる種」でしかない。学問が人間の魂を本当に生まれ変わらせる力を持っているのなら、戦前とくらべて現在では、大学・短大の数は、一千を越えるほどに多くなっているのだから、はるかに昔より、生まれ変わっていく人が多くなっているはずである。しかし、じっさいには全くそうでない。
さまざまの学問は、現代の人間の生活を支えている。物理や化学、医学、農学といった自然科学、あるいは法学、経済学、語学、芸術学等々によって私たちの周りのものが成立している。
しかし、いかにそのような学問が不可欠なものであるとしても、それは人間の魂を根本から変える力は持っていない。 すでに二千年昔に主イエスが言われたように、人間の思索や経験的知識、あるいは学問ではなく、聖なる霊によって新しく生まれ変わらねば、人間を本当の意味で変革する力、神の国のことは分からないのである。
(ヨハネ3の3〜8)
福島原発の大事故もまた、科学技術を学問的に学んだ人たちが偽りの絶対安全論を語り、政治や法律、経済などを学んだ人たちがその偽りの議論を用いて、日本の人々をあざむいてきた結果として生じたのではなかったか。
聖書に記されているように、私たちの知識は部分的なものであり、完全なもの(キリスト)が来たときには、部分的なものは廃れる。(Tコリント13の9〜10)
パウロ自身、当時のとくに高度な教育を受けて育ったのであったが、なお生まれ変わることはできず、キリストの真理を迫害していく状態にしかならなかったのである。
人間が本当に新たに生まれるには、人間の言葉でなく、「朽ちない種」、すなわち神の言葉が不可欠である。そのような力を持っているゆえに、神の言葉こそ、年をとっていく間にあっても、その魂を新しく生まれさせていくことができる。
「外なる人は衰えても、私たちの内なる人は、日々新たにされていく。」(Uコリント4の16)と言われているとおりである。
年老いていく人間にあっても、たえず新たなものへと変えられていくことが可能なのである。 しかし、記憶力も、判断力も鈍ってくるのにどうしてそのようなことが言えようかと、思う人もいるだろう。
神の言葉によって日々新しくされていくというしるしは、聖書にある、「いつも、いろいろなことについて感謝せよ、絶えず祈れ」という状態により近づいているかどうかでわかる。
私たちが、かつては気にも留めていなかったような、ささやかなこと―手足が動かせること、日々呼吸ができること、見えること、衣食住など、日常の一つ一つに神の愛からのものとして受け取り、苦しいことであってもそこに必ず神がその苦難を用いてよきへと導かれようとしていると信じることができるなら、そのような魂は新しく造られているあかしとなる。
新しい年を迎えて、私たちも朽ちることのない種である、生ける神の言葉を日々受けて、日々新しくされて一年を歩ませていただきたいと思う。
(「今日のみ言葉」一月二日より。これは、私が毎月一度、インターネットメールで、希望者にみ言葉と私の撮影した植物写真とその説明を付けて送付しているもの)


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