2008年2

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280)死者への祈り
 先祖のための祈りはおやめなさい。というのはそれが正しいと言っている聖書の箇所は一つもないからです。まず、自分の罪のことを考えなさい。罪は息絶えることを望んではいないのです。
ですから、生きている人のために祈らねばなりません。
死者は、主の御手のうちにあります。主の御名は、憐れみ深く、恵み深く、忍耐深く、大いなる恵みと真実に満ちている(出エジプト記三四・6)ということで満足するのです

。(「悩める魂の慰め」ブルームハルト(*)著六四頁 一九七五年 新教出版社刊)

人が死ぬ直前にどのような思いを抱いて死んだのか、それはだれにも分からない。そしてその人が生きている間にどのようなことを思い、苦しみ悩み、また見つめ、そして行ったか、そのこともだれも分からない。人間の本当の思いは、結局のところどんなに身近な者であっても分からないのである。しかし、神はそうしたすべてを見抜いた上で、その人を死後の世界へと導かれる。
善いことをしたように見えても心のなかではどんな思いがあったのか、また逆に悪いことをしてきた人も死に近づいてどのような心になっていったか、それも神のみがご存じであるから、私たちはどんな人に対しても、死後はどうなると裁いたりすることはできない。ただ、万能の神、愛の神が最善にして下さることは確実なのであるからその神に信頼をすることだけが求められている。
悪の力、罪の力はつねに私たちを誘惑しようとする。それゆえブルームハルトは、そのような罪の力に負けないように祈ることをすすめている。私たちの勝利とは罪の力に勝利することだからである。
それゆえ祈りは、死者でなく、今生きている人のためになされるのが主の祈りの意味するところでもある。「御国が来ますように。御心が天に行われるとおり、地にも行われますように。」というのもそのことである。

*)ブルームハルトは、一八〇五年ドイツ生まれ。牧師。スイスのバーゼルでも教えた。ヒルティ(一八三三年生まれ)もスイス人でほぼ同時代の人。ブルームハルトはその子とともに大きな影響をキリスト教世界に与えた。神学者バルトもその影響を受けた一人として知られている。ブルームハルトは、深い祈りの人であったとともに、病をいやす特別な賜物を与えられていた。
ヒルティは「...今日では、おそらくこの時代の最もよい神のしもべと思われるブルームハルト...」としているし(眠られぬ夜のために上 七月三〇日)、ヒルティが最もよく理解した人の一人として、キリスト、ヨハネ、ダンテ、トマス・ア・ケンピス、タウラーなどとともにあげている。(同三月二六日の項)


281)キリスト教の極致
キリストは今なお活きて私たちとともにいて下さる。キリスト教の極致はこれである。
キリストがもし、歴史的人物に過ぎないのならば、キリスト教の倫理がいかに美しく、その教義がいかに深くとも、そのすべては空の空である。
キリストがもし今もなお活きて存在しておられないのなら、私たちは今日、ただちにキリスト教を捨ててしまってよいのだ。
キリスト教の存在しうるかどうかは、ひとえにキリストが今も活きてはたらいておられるかどうかにかかっている。

キリストは今もなお、生きて存在しておられる。主は私の祈りを聴いて下さる。主はご自身を私に現して下さる。主は神に関する深遠な真理を私に示して下さる。主はまことにわが牧者である。
私は今は主を見ることができないが、何よりも確実に主の実在を感得する。
主が私とともにいて下さるがゆえに、私は一人であっても寂しさはない。主が私に代わって戦って下さるがゆえに、私は世がこぞって私に逆らっても恐れない。(内村鑑三著「聖書之研究」一九〇八年二月 原文は文語)

・キリスト教とは単なる教えでなく、活きてはたらいておられるキリストを我が内に迎えることである。そのために、私たちの悪しき思いや行いを清めていただく必要がある。キリストが十字架にかかられたのはその清めと赦しのためであった。それを魂に受けるとき、活きたキリストが来て下さる。そのキリストを伝え、またそのキリストに動かされてなすことが伝道であり、神の国のはたらきとなる。