2008年6

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286)神と悪魔
神は助けようとし、悪魔は、挫折させようとする。神は何とかして善を見ようとするが、悪魔は、何とかして悪いものを見つけ出そうとする。
善を残して悪を覆うのがされるのが神である。悪を明るみに出して善きことを追いだそうとするのが悪魔である。
神の前にては、小さな善きことも、幼い芽が太陽の光を受けたように、成長するが、悪魔の息に触れると、小さな悪も大きな悪となってあらわれる。
神は奨励するお方であるが、悪魔は、失望させようとする。私たちは神を愛して悪魔を恐れる。(「聖書之研究」内村鑑三著 一九〇三年一月 )

・これは、ずっと以前に読んで心に残る言葉となった。もし神が私たちの心の奥まで見つめ、真実でもなく、愛にもふさわしくない思いを一つ一つ取りだして断罪されるなら誰一人立つことはできないだろう。
神は私たちが正しくない思いや愛のない思いや言動をたくさんしても、ただ一つの小さな善きこと、神を仰ぎ見て赦しを祈ることをこの上もなき善きこととしてそれだけをもって他の罪を見ないようにして下さる。
その神の愛によって私たちは成長できる。
私たちは、人間同士の関わりのなかで、うっかりするとここで言われているような悪魔のわざに落ち込む。それゆえにその悪魔のわざから守って下さる神を愛し、少しでもその神の愛にふさわしいように導かれたいと願う。


287) 神を信じる人にとっては、すべての悩みや苦しみがしだいに消えて、そのかわりに、ある確かな信念が生まれる。
すなわち、一切のことが必ず良くなるのであって、何事も、例えば不幸にせよ、人の悪意にせよ、自分のあやまちにせよ、ほんとうのわざわいをもたらすことはないという信念がわいてくる。
(「幸福論」第三部 ヒルティ著一〇一頁)