2008年7

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本文

288)自分が無であるという自覚によって、あなたは出かけていく所で光となるのです。
一方自分がひとかどの者だと思っている人は、全くの闇を持ち出すのです。
(「悩める魂へのなぐさめ」72頁 ブルームハルト著 新教出版社 1973年刊 )

Vermittelst Ihres Gefuhls des eigenes Nichtsseins sind Sie ein Licht,wo Sie hinkommen,wahrend Leute,die etwas von sich fuhren,lauter Finsternis vor sich hertragen.
Seelssorge 44p Siebenstern-Taschenbuch 1968

*)ブルームハルト(1805-1880年)ドイツのキリスト教指導者。ヒルティとほぼ同時代の人。その子のクリストフ・フリードリヒ・ブルームハルトとともに、ヨーロッパのキリスト教に大きな影響を与え、バルトやブルンナーなどの神学者などもその影響を受けた人たちであった。

・自分が無であると実感するということは、自分の罪深さと弱さを思い知り、同時に神の無限の大きさ、その愛と万能、導き、創造と支配等々を深く実感していなければ、あり得ないことである。主イエスも、「ああ、幸いだ、心の貧しい者たち! 天の国は彼らのものだからである」と言われた。心貧しいとはここで言われている、自分を無であると実感する心にほかならない。


289)子の曰く、仁遠からんや。我れ仁を欲すれば、ここに仁至る。
(「論語」述而第七 101頁 岩波文庫 )

先生が言われた、「仁は遠いものだろうか。私たちが仁を求めると、仁はすぐにやってくる。」

・論語において「仁」とは、キリスト教でいう「愛」と似た内容をもっているといえるが、孔子(紀元前551〜前479年)は、仁という孔子にとって最高のものは、一般の人が予想しているようなはるか彼方のものでなく、求めればすぐに与えられるようなものであると実感していたのがうかがえる。
キリスト教においても、主イエスは「求めよ、そうすれば与えられる」と約束された。人間にとって究極的なよきものは、地位も金や健康、病気などにかかわらず、心から求めるなら、すぐに与えられるということがはるか昔から感じ取られていたのである。