2009年12月
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(323)神およびキリストとともに生きることは、この世での格別やさしい生き方である。それは、一種の無邪気な気軽さをさえ生み出す。そしてこのような気軽さは、この世のどんな享楽にもまして人間の生活を楽しいものにすることができる。
しかもそうするためにお金はほとんど、いや、むしろ全然いらない。そのような生活に必要なものは、ただ神とのゆるぎない交わりだけである。
このような生活は、不幸な人びとにとってまことの救いである。実際、彼らがこのような救いを知って、それを求めるならば、必ずそれは与えられるからである。(眠られぬ夜のために上 十二月五日)
(324) キリストの愛

 いかなる悪人であっても、キリストにあって彼を愛そうとすれば、愛することができないということはない。
かれの心にキリストをあらわわし、かれをキリストに連れ来たるためにはわれらはいかなるののしりをも耐えることができる。
われらは、キリストを離れて悪人を愛そうとすればこそわれらの愛の不足を感じて自分の弱きを責めることになるのである。
しかし、神はふつうの人間のようにわれらより無理を要求されない。
神はわれらに「敵を愛せよ」と命じられる前に、敵を愛することができる愛をわれらのために供えて下さっているのである。
(「聖書之研究」一九〇二年一二月)