2010年1月
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本文
(325)主はその沈黙によってご自身が、神の小羊であることを決定的に証明された。そのようなお方として、私たちは今朝、主をお迎えする。
主よ、私たちと共にいてください。そして、私たちの心の静けさの中にあって、あなたの愛のみ声を聞かせて下さい。 (スパージョン著「朝ごとに」四月二日)(*)

By His quiet He conclusively proved Himself to be the true Lamb of God. As such we salute Him this morning. Be with us, Jesus, and in the silence of our heart, let us hear the voice of Thy love.

・ここで言われている沈黙とは、総督ピラトの前での尋問のときである。総督が驚いたほどにイエスは沈黙を守られた。

(*)スパージョン(1834〜1892)は、イギリスの偉大な説教者で今日に至るまで広い影響を与え続けている。現在でも、入手される彼の著作、説教集などは膨大な量にわたり、ほかのどのキリスト教著作家や、一般の文学者などをもしのぐ多量の書物が現在でも入手可能だと言われる。インターネットでも彼の説教集など相当な分量を原文で見ることができる。 ヒルティと同時代の人であり、ヒルティもしばしばスパージョンに触れている。ここにあげた、「朝ごとに」は、「夕ごとに」とともに日本語訳で購入できる。
なお、筆者(吉村孝雄)も、ちょうど三十年前に、彼の数千頁にわたる詩篇講解集(「THE TREASURY OF DAVID 」全三巻 各巻約千頁 ZONDERVAN社発行)を入手することができ、それから多くを学んできた。それは彼自身の講解と、彼が収集した多数の聖書注解者たちの注解の集大成であって、詩篇が長い歴史において多数の人たちが、どのように詩篇の内容を受け取ってきたかを、おそらく他のどの書物よりも豊かな内容をもって示すものであり、日本語の文献だけでは到底知ることのできない詩篇の影響力を知らされたことであった。
(326) 主は、神の御前では、無に等しいものであり、何も持っていないという貧しさの思い―それは信仰によって生じる思いです―だけを求めておられます。 ...幼な子のようでなければなりません。
恵みに導くあのもの、つまり、自分が貧しく、無であるとの思いが、自ずから適切な行動へと導くのです。
(「悩める魂への慰め」ブルームハルト著 七十頁 新教出版社)

・主イエスは、「ああ、さいわいだ心の貧しき人たちは! なぜなら神の国はそのような人たちのものであるからだ。」と言われた。心貧しき人とは、ここで言われている 自分が無に等しいものであることを自覚している人である。また、幼な子らしい心というのも同様で、そうした心をもって神を仰ぐ姿勢を持っているときに、神は私たちを最善に導いて下さる。
(327)我々を憎む者に善をなすことができて、われらは始めて完全なる者が何であるかを知る。 われらが喜んでこのことをなしうるにいたるまでは、われらはまだ父なる神を知ったとはいうべきでない。
この世において、我々を憎み、ののしり、妬むものがあるのは、われらが、彼らによって全き者となるためなのである。
われらは、彼らを嫌ってこの完全に達するためのよき機会を逃してはならない。
(内村鑑三著「聖書之研究」一九〇三年一月)
・私たちが本当に神を知っているかどうか、それは単に頭の中で納得するとか、信じたということだけでは分からない。
ここで言われているように、現実の人間関係のなかで、ことに私たちに害をなすような人に対していかに対処するか、どのような心を持って対応できるか、ということでそれが分るというのである。
神を本当に知っているとは、神が送ったイエスを知っていることであり、そのイエスが私たちの内に住んで下さって初めて深い意味において神を知っているということになる。そして、そのときにはたしかにイエスが教えられたように、敵のために祈るということが可能になる。