戻るボタン次へ進むボタン  カツラ(桂) 十和田湖畔   2008.7.29
カツラ(桂) 十和田湖畔   2008.7.29
カツラ(桂)という樹木の名前は、広く知られています。地名としても京都市には、桂があり、私が京都の大学に入学して数カ月下宿していたところでもあり、その桂には桂離宮があって日本史教科書にも載っています。また、人名としても桂小五郎などが知られています。
そのように、名前としては有名ですが、じっさいの桂の木を知っている人は、ごく少ないようです。
わが家の前方8キロに標高800m近い中津峰という山があり、その登山口の渓流沿いに、りっぱな多数の枝分かれした数株の大きい樹木があり、秋になるとその丸い葉は、イチョウのような美しい黄色となり、地面に落ちると付近一面に黄色の絨毯で敷きつめられたようになっていました。それは、印象に残る樹木だったので、高校時代から知っていたのですが、何という木なのか当時はだれも知りませんでした。それが桂でした。この木は、直径が2m、高さ30mにも及ぶ堂々たる大木となります。 
この写真のものも、取り囲むのに6~7人も必要になるほどの大木で、根の近くからいくつもに枝分かれした桂の木の独特の姿をしており、近づけばその力強い姿に引きつけられたものです。この木は、直径が2m、高さ30mにも及ぶ堂々たる大木となります。この写真のものも、取り囲むのに6~7人も必要になるほどの大木で、根の近くからいくつもに枝分かれした桂の木の独特の姿をしており、近づけばその力強い姿に引きつけられたものです。
野性のものは、私は、その中津峰山以外では、徳島県内では、剣山(標高1955m)の頂上に近い渓流沿いのもの、徳島と香川の県境の渓流沿いのものなどごくわずかしか見たことがないのです。この写真の桂の大木は、十和田湖畔で見いだしたもので、ここに至るまでの道沿いにも桂の立派なものがいくつか見られました。 桂という漢字のもともとの意味は、中国のモクセイを意味していたとのこと、
カツラという名前そのものは日本古来からあったもので(この名前は、香りを出す、つまり 香出 カヅと関連あるとも)、それを香り高いという共通点から、中国の桂の木に宛ててカツラと読むようにしたと考えられています。 中国では、桂という漢字は、香り高い樹木の総称としても使われるとのこと、肉桂(シナモンのことで、日本では、ニッキとして知られています)、月桂樹(ローレル)なども、よき香りある樹木ですが、これらにも、桂の漢字が含まれています。
桂の葉を採取して数時間経つとよい香りを出しはじめ、数カ月は持続します。秋の落葉の季節にこの桂の木に近づくとそのあたりは芳香が漂っているというほかに類のない特質をもった木でもあります。
大木は、その側に立つとき、その樹木が耐えてきた数々の風雪、豪雨など厳しい試練が思われ、いかなる事態にも倒れることなく、数百年という歳月を生きてきたその力強さが伝わってきます。そばにたたずむだけでその力が伝わって来るものです。
こうした大木の不動のすがたは、私たちの心をいやすものがあり、それはその樹木を長年にわたって支えてきた創造主たる神の力を感じるからです。
私が今までに、とくにそのような大木の力を感じたのは、徳島県の奥深い山域にある高丸山(たかまるやま 標高1439m)の頂上に近いところに群生するブナの大木たちでした。もう30年以上も前に初めて登ったその山で見たのですが、まっすぐにそそり立つその太い幹はただ黙しているだけで、絶えず私に語りかけて来るものを感じ、それゆえにしばし立ち尽くしたことを思い起こします。
聖書の詩篇に、「神はわが岩、大いなる岩」などとよく歌われているのは、こうした力強い樹木を創造された神の力を、岩のごときものとして感じていたのがうかがえるのです。私たちも、神に祈りをもって接することによって、そのような揺るがぬ力の一端を、日々与えられたいものです。 写真、文ともT.YOSHIMURA)
戻るボタン次へ進むボタン