ハマゴウ 2008.11.30

ハマゴウ 2008.11.30
ハマゴウ                             鳥取砂丘にて  2008.11.20

 11月下旬、晩秋の鳥取砂丘を歩く機会が与えられました。学生時代に大山から蒜山への登山からの帰途に立ち寄って以来、40数年ぶりになります。鳥取で、み言葉の学びの集まりがなされた場所は砂丘を目の前にするところでした。前日に、雪が降り、砂丘にも白い衣で覆われ、美しい雪の砂丘となっていました。翌朝には、それまでの雲におおわれた空が、晴れ渡り澄みきった青空と真っ白の雲が浮かぶようになりました。
 その明るい大自然の砂の丘では、前日の雪のためか、朝は一人も砂丘を歩く人の姿もなく、広々とした日本では他に見られない砂の丘が眼前に与えられたのです。 神の創造の御手による、壮大な砂の芸術がそこにありました。人間の造るものがいかに小さいものでしかないか、私に迫ってくる自然の姿全体がそれを語っていたのです。

そのような砂ばかりのところにたくましくも育ち、根を広げ、花を咲かせて実を付けているのが、ハマゴウという植物です。これは海岸植物の中でも代表的なものの一つで、この植物全体にある香りと花のゆえに、私にとってずっと以前から印象的な植物でした。
 この砂丘では、砂ばかりの土、海岸からの強い北風を受け、雪や砂に吹きつけられ、直射日光で夏は砂が暑くなり50度にもなるような厳しい状況のなかで、このように育っています。
 この植物は、花は薄紫の美しいもので、全草に香りがあり、その黒い果実が薬用になる薬草として知られています。その名前ハマゴウとは、浜辺の香(ハマのコウ、香り)に由来ししいます。 ずっと以前、ハマゴウは、わが家のある日峰山の北側の海岸でかなり多く自生していて、近くの民家の庭でその果実をたくさん乾燥させていたのを覚えています。

 神の言葉を特に選ばれて与えられた旧約聖書の民は、奴隷状態であったエジプトからモーセによって導き出され、40年という長期にわたって砂漠のような厳しい地域に導かれてて歩みました。そしてそこで枯れてしまうことなく、その荒野のただ中で多くの試練と苦しみに遭遇しつつ、その信仰の芽は失われることなく育っていったのです。

 久しぶりにハマゴウを砂丘のなかで見出して、冷たい風にあたりつつ、聖書にある砂漠での神の導きのことに思いを馳せるひとときを与えられました。    (写真、文ともに T.YOSHIMURA

前へ 戻る 次へ