半世紀ちかくにわたり、ずっと私の心を惹きつけてやまないのがこの吉野川です。この川は四国山地から流れ出て、県西部の池田町付近からは、この写真のように途中でゆるやかな蛇行が見られるところもありますが、全体として東へ東へと80kmほども流れています。
これは、河口からだいぶさかのぼったところで、西方に向っての撮影です。
川幅も広く、最長川幅は、日本では二番目に長い約2.4km、しかも河口に近づくにつれて、水は川幅いっぱいに豊かに流れています。長さは200kmちかくあります。
この吉野川を見るたびに、人間の作った公園などがいかに比較にならないものであるかを知らされます。 このような周囲に何ら大きなビルも観光に関する建造物もなく、ただ黙して流れ続けている有り様は、静かに見つめているとき、いろいろなことを語りかけてきます。 広大な流域をうるおす水そのものの深い意味、その力、緑、大空と川の青、そして遠くの山なみ―それら一つ一つは、命にかかわっていると感じます。深い青色は、深く澄んだ創造者の御心の一端を思わせ、緑はゆたかな命と希望、そして流れてやまない川と対照的に動くことのない山々の連なり。
山―それは旧約聖書に、「私は山に向って目をあげる。わが助けはどこから来るか。天地を創造された神から来る」(詩篇121)と言われているように、全能の神による不動の力、救いのたしかさを知らされます。
この雄大な川の流れ―その水はいうまでもなく、すべての生命を支えているものです。そして聖書には、さらに人間の根源を支える「いのちの水」のことについて記しています。
この世界にも霊的に見るときには、聖なる水が、はるか数千年昔から流れ続け、世界をうるおしているのを思います。
このことは、次の讃美歌にも歌われています。
この詩は、江戸時代末期に生まれた永井えい子が17、8歳のころに作った作品とのこと。
天つ真清水 流れ来て
あまねく世をぞ 潤せる
永く渇きし わが魂も
汲みて命に 帰りけり
このような清い水の流れについてはすでに旧約聖書の時代から記されており(エゼキエル書47の1-12)、キリストも、「私を信じる者は、その人の内から命の水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネによる福音書7の38)と言われ、黙示録の最後の部分にも神とキリストから流れ出て世界をうるおす命の水のことが預言的に記されています。 (写真と文 T.YOSHIMURA)
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