また北海道では、この変種のエゾカワラナデシコが海岸近くで群生しているのを見たことがあります。
山の草深いところを歩いているとき、この美しい花に出会うと思わずほっとするような、喜ばしい気持ちになります。
その繊細な美しい色合いの花びらは、何のためなのだろうかと思わされます。この植物が生きるためだけならその必要はなく、創造の神の内に秘められた美を示すためのものだと感じられるのです。
大多数の野生の草花は、その色や形なども地味なものが多いなかで、このナデシコは、その花の色、花びらの形がとくに引きつけるものがあります。
最近は、このカワラナデシコは、私の住む徳島や、ほかの四国の山々でも見かけることはわずかで、また平地の田畑の付近、あるいは里山のふもとなどでも見かけることがむつかしくなっています。
これは、この花が日当たりのよい地を好むのですが、手入れが十分になされず放置される場所では樹木や背の高い雑草が生い茂ることになり、日当たりが悪くなり、この花が育たなくなるからと考えられます。
私たち人間の心も、愛の神、真実な神という霊的な太陽の光を受けなければ、花開くことが難しいことを思います。 (写真、文ともにT.YOSHIMURA)
|