神の言葉に関する聖句から
以下は、今月号に掲載した、講演「神の言葉―その光、命、力」のときに、参加者に配布された聖書の箇所です。
① 創世記 1の1~3
はじめに神は天と地とを創造された。
地は、混沌としていて(形なく、むなしく)、闇が深淵のおもてにあり、
神の霊が水のおもてをおおっていた。(神からの風が、水の表面を吹いていた)
神は「光あれ!」と言われた。
すると光があった。
(6行目「神の霊…」の英訳から)
・the Spirit of God was hovering over the waters.
(NIV)
・a wind from God swept over the face of the waters.
(NRS)
・ …with a divine wind sweeping over the waters.
(NJB)
②詩篇27篇の1節~6節より
主は私の光、私の救い
私は誰を恐れよう。主は私の命の砦
私は誰の前におののくことがあろう。
さいなむ者が迫り
私の肉を食い尽くそうとするが
私を苦しめるその敵こそ、かえって
よろめき倒れるであろう。
彼らが私に対して陣を敷いても
私の心は恐れない。私に向かって戦いを挑んで来ても
私には確信がある。
…私は主の幕屋でいけにえをささげ、歓声をあげ
主に向かって賛美の歌をうたう。
③詩篇119の105~112より
あなたの御言葉は、私の道の光
私の歩みを照らす灯。
私は甚だしく卑しめられています。
常に私の手に置かれています。
それでも、あなたの律法を決して忘れません。
主に逆らう者が私に罠を仕掛けています。
それでも、私はあなたの命令からそれません。
あなたの定めはとこしえに私の嗣業です。
それは私の心の喜びです。
私は永久に従って行きます。
④詩篇 119篇89~90節
主よ、あなたのみ言葉は天においてとこしえに堅く定まり、
あなたのまことはよろずよに及びます。あなたが地を定められたので、地は堅く立っています。
⑤エレミヤ書 15章16節
私はみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、私に喜びとなり、心の楽しみとなりました。万軍の神、主よ、私は、あなたの名をもってとなえられている者です。
⑥イザヤ 40章8節
草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉は永遠に変ることはない」。
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(新約聖書から)
⑦ヨハネ 1章1節~5節
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光にうち勝たなかった。
(*)「うち勝つ」原語のギリシャ語は、カタ-ランバノー 。これはランバノー(取る、つかむ)の強調形で、「勝利する(うち勝つ)、理解する、」 などの意味に用いられる。「勝利する(うち勝つ)」の意味にと訳しているのは、口語訳、新改訳、フランシスコ聖書研究所会訳など。新共同訳、文語訳などは「理解する」と訳出。
⑧ヨハネ 8の12
イエスは再び言われた。「私は世の光である。私に従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。
⑨ヨハネ 8の47
神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。
⑩ 使徒 4の31
祈りが終わると、一同の集
まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。
⑪黙示録 19の11~13
私は天が開けるのを見た。見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。…また、血に染まった衣を身にまとっており、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
⑫ マルコ 4の14の14
種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。
⑬エペソ 5の17
また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
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