しばらくの間、いろいろな事情から「今日のみ言葉」をお送りできなかったのですが、再開できるようになりました。
「野草と樹木たち」は、17年ほど前から、北海道の瀬棚聖書集会に毎年夏に参加して、御言葉を語らせていただく機会が与えられ、その帰途、各地の集会を訪れる途中の山に登る機会が与えられて、そこで撮影した写真と簡単なコメントをつけたものです。以下の「今日のみ言葉」294 は、10月に送信予定のものでしたが、お送りできなかったものです。
(もし不要の方がありましたら、お手数ですが、一言連絡くだされば、送付を中止します。)吉村 孝雄
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今日のみ言葉 294 「すべてをいやす御言葉」 2020.10.10
主よ、彼らをいやしたのは、
薬草や塗り薬ではなく、
すべてをいやすあなたの言葉であった。(旧約聖書 続編 知恵の書16の12)
No herb, no poultice(*) cured them, but your all-healing word, Lord. (*)塗り薬、湿布
この世には様々の苦しみ悩み悲しみがある。重い病気、不治の病以外にも、人間の心に襲ってくる様々な困難、災害、事故…それら全てを癒すものなど一体あるだろうか。 そのようなものはありえないと誰しも考えるであろう。
しかし、ここには驚くべきことだが、全てを癒す薬があると記されている。それは神の言葉だ。
聖書が示す神は全能であるゆえ、神にはできないことは何もない。そしてその神は、真実であり、かつ完全な愛、慈しみの存在であるならば、いかなる病気、困難、苦しみであってもそれを癒す力があるということになる。 そしてそのような力を持つお方を、神は、実際に人間の形をとってこの地上に遣わされた。それがキリストである。 確かにキリストは、あらゆる病気を癒された。ハンセン病のような恐るべき病気、心の病気もまた耳が聞こえない人、目が見えない、あるいは足が立たないなど、あらゆる病気を癒された。現代においても、実際に肉体の病がいやされない場合でも、新たな力、霊的いやしを与えて、その病気や障がいを越えていくことができるようにされる。
そして最大の病と言える人間の自己中心という心の病をも癒すため、十字架上で人間の罪を担って死なれた。そのことを信じるだけで罪という最も深い心の病をいやされる道が開かれた。
死の恐怖という心の病はいかなるものも癒すことができない。いかなる高度な医療科学技術が今後も発達しようとも人間は皆必ず死んでいく。 こうした一切のありとあらゆる病をいやす力を持つのは、ただ全能、かつ愛の神の力だけである。
キリストはその死の恐怖からもいやすために、復活され、いまも聖なる霊として活きて働いておられる。そしてキリストこそは、神の言葉そのものであり、神の力そのものが宿っているゆえに、ありとあらゆる病ー恐れや不安をも消すことができる、癒すことができる。
しかも、そのすべてを癒す神の御言葉を受けるためには、長い経験も修行やお金も全く不要であるという驚くべき本質を持っている。
そして神はその御言葉を与えようといつも心を注いで下さっている。私たちがただ魂を神に向かって心から求めるならばー「求めよ、さらば与えられん」と言われているように、全てを癒す神の言葉が与えられる。
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野草と樹木たち 294 エゾツツジ(秋田駒ヶ岳 標高1,637m) 2019.7.18
このエゾツツジは、樹木であるけれど、高さは10〜30cmほどと、草のようなツツジです。これは、本州北部の高山ー早池峰山・岩手山・秋田駒ヶ岳と北海道の高山
にしか見られないもので、冬季の強い風、氷雪に耐えるためにこのような草状になっているのだと思われます。
これは、秋田駒ヶ岳への登山道でも、途中に危険なところがあるために、ほとんどの人は用いない道であったゆえに、静けさのただなかに突然開けた花畑に驚かされたところです。
数千年あるいは何万年ともわからない昔から、神はこのような美しい色調とやわらかい雰囲気の花をそのきびしい自然環境のただなかに備えられたその不思議を思います。
人間は、美しい絵画や造形をなすとき、人に見てもらうために作るのですが、神は、人間が見る見ないにかかわらず、こうした清い美に満ちた植物を分布させています。夜空の星も同様に、人が見るかどうかかかわりなく、その神秘な輝きをそそぎ続けているのと同じで、さらに神の愛やその語りかけも、あらゆる人々にー人間が気付かなくとも、たえずなされているし、 また、人間もこの世で目立ったりすることが全くなくとも、野の花のように、人知れず、清い心をもって咲いているーといった人々を神は創造されてきたのを思います。(文、写真ともT.YOSHIMURA