希望の源である神が、聖霊の力によって (ロ―マ15の13) |
2013年6月第268号 内容・もくじ
使っても減らず、増えていくもの―信・望・愛
この世には、いつまでも続く、しかも、だれでもが持てるというものはあるだろうか。
よい家庭、健康、あるいは仕事、よき友人、恵まれた環境―それらは誰もが望むよきものである。しかし、はじめから家庭がなく、捨てられたような人たちも世界的に見れば無数にいる。また生まれつき病気の人、健康であっても突然に事故や病気でベッド生活となることもよくある。
仕事も健康を悪くすればたちまち続けられない。よい環境も大きな工場や道路ができるとたちまち空気は汚染され騒音や交通事故の危険も増大する。
このように、現在自分はこんなよいものを持っていると思える人も多いかも知れないが、そのよいものは、皆このように突然変質したり失われたりするものである。
そうしたなかで、いかに事故や病気、あるいは世の中が変化しようとも、いつまでも持ち続けることができるもの、しかも最も価値あるもの―それこそは、信・望・愛である。
「信」はどのような意味でいつまででも続くと言えるだろうか。
どんなに苦しいことに直面しても、神は愛だからと信じて必ずこの苦しみを変えてくださると信じることはできる。それは学力や能力、経験の問題ではない。私たちはそのようなとき、そんなことを信じても無駄だとして顧みないことも、神の愛を信じていくこともできる。
そのいずれを取るかは、その人の魂の奥深くでの決断の問題である。そして、神の愛を信じるその信仰は、本人がしっかり持っていようとするなら、持ち続けることができる。
ほかのことは、どんなに自分ががんばって持ち続けようとしても難しい。健康も趣味、スポ―ツ、あるいはお金や地位、家族等々みな突然の事故や病気がふりかかって来て、失われてしまうことがあるが、信仰はどんな事故や病気に出会ってもだからといって自動的に失われるものではない。
本人の意志で捨てようとしないかぎり持ち続けることができるし、かえってそのような逆境にあって強められていくこともできる。
また、神の信実と万能を信じる、そのことを徹底するとき、おのずから希望は生まれる。万能で信実のお方だからこそ、私たちの罪をあがなうために、キリストを送ってくださったし、そのキリストの復活によって死にうち勝つことを示してくださったと信じることへと導かれる。
それはそのまま罪に汚れた自分からの解放を知らされ、死によっても消えないばかりかかえって完全にされるという希望が生まれる。
そうしたすべては神の愛ゆえになされる。神は永遠の存在であるゆえに、神の愛もまた永遠の存在である。
このように、信・望・愛は、神に根ざしているゆえに、それは この世のもののように、使ったらなくなっていくとか衰えていくことはない。
逆に、使えば使うほど増えていく。また与えるとさらに相手にも伝わり、増えていき、自分の内部にも増えていく。
例えば、信じるということについて考えてみる。
どこにでも見られる大空や雲、星、また道端の野草…そうしたものも神が深い目的をもって創造されて自分の前に置かれていると信じるときには、高価な花や美しい花にだけ関心が向くというのでなく、さまざまの樹木の葉の一つ一つや1ミリほどしかない野草の花にもそこから神の愛を汲み取ることもできる。神の万能と愛を信じるということはそのように本質的に増え広がっていく性質を持っているのである。
病気や悪意ある人間によって苦しい経験に直面したときも、そこにも神の愛ゆえの何らかのよき目的があると信じていくこともできる。
この世のものはどんなによいもの、価値あるものも必ず、使えば使うほど少なくなっていき、ついにもなくなってしまう。しかし、神に由来する信・望・愛は、使えば使うほど増えていくということは、福音書のなかで最も多く6回も繰り返されている奇跡―5つのパンと2匹の魚のたとえ (5千人が4千人になっているとか小さな違いはあるが)にも現れている。
わずか5つのパンと2匹の魚をもとにして、主イエスがそれらを祝福すると、5千人(4千人)が満たされ、さらに残ったものは12のかご(あるいは7つ)にいっぱいになったと記されている。残ったものも完全な祝福をたたえているという象徴的意味がここには込められている。
キリストの愛と信実によって祝福するとき、小さなものが使っても使っても減ることなく、かえって増えていくということが意味されているのである。
迫害の時代にあって、このことは現実に大きな力となった。いくら迫害者が厳しくキリスト者を捕らえて処刑していっても、驚くべきことにさらにキリスト者は力を与えられ、増えていき、神からの祝福を広げ、次の時代にまで続いていくことになったのである。
現代の私たちにおいても、このような意味での信・望・愛
こそは、万人が与えられ得るものであり、いかなる時代の変化にも決してなくならず、生かして使うことができ、さらに他者に分かち与えることができるものなのである。
求めよ そうすれば与えられる(その1)
「求めよ、そうすれば与えられる」という言葉は、聖書の中でも、最もよく知られている言葉の一つであろう。しかし、多くの人々は、この言葉を本当だとは思っていない。病気になったりしたとき、いやしを求めても与えられないし、お金を求めても与えられない、入試などでどんなに求めたか知れないのに合格しなかった…等々、日常的に、求めても与えられないということは至るところにあるからである。
子供でも、求めたからといって与えられる、などということはほとんど誰も本気で思っていないであろう。
しかし、そのように明らかに成り立たないと思われるにもかかわらず、それでも不思議な力をもってこの言葉は、二千年も受け継がれてきた。そこにはいかに表面的には事実でない、本当でないと思われても、その背後に深い真実があるゆえに受け継がれてきたのである。
この言葉の奥にある深い真実、それはキリスト者であってもあまり気づいていないということもあるだろう。あまりにもこの言葉は有名であって、深く考えることもしないからである。
この「求めよ、そうすれば与えられる」この言葉自体は、旧約聖書では見られない。
旧約聖書では、のちに述べる詩篇を除いては、人に、求めよ、そうすれば与えられる、ということより、まず、神が何を与えたか、そして何が神のご意志であるかが、繰り返し述べられている。
聖書の最初の書である創世記においても、闇と混沌のなかで、神からの霊的な風が吹いていること、そこに神の言葉によって光が存在するようになったことが記されている。
このことは、神のご意志が、いかなる闇であってもそこに光を与えるということだということを示すものであり、また神はそのように実際に光を与えてきたということである。
あるいは、人間の住む場としての、エデンの園の記述があるが、それも人間が求める先に、神が一方的に与えたのである。食べて良く、見ても美しいというあらゆる果実を豊かに実らせる木々、それも人間が求めたから与えたのでなかった。
アダムとエバに関しても、神は豊かにエデンの園という恵みを一方的に与えた。しかし、そこに、園の中央にある一切を(神抜きで)知る木の実は食べてはならない、と言われた。「それを食べると必ず死ぬ」からである。それは神のご意志であった。
このように、一方的に良きものを与えるのであるが、他方、それに関してはっきりとした神のご意志をも表している。
そして人が創造された後、神は、「人が一人でいるのはよくない。彼にふさわしい助け手を造ろう」(創世記2の18)と言われて、さまざまの動物や、鳥、家畜などを創造された。しかし、それらは人にはふさわしい助け手ではなかった。そこで、妻のエバが与えられた。そのことにおいても、アダムが求めたから与えられたのでなく、一方的に恵みとして与えたのであった。
また、アダムたちが罪を犯したために、せっかく与えられた、エデンの園という理想郷から追放されることになったが、ここにも私たちにそのままあてはまる真理―すなわち、神のご意志に背くことをすれば、神の祝福の世界から追放される、ということを示すものである。
アブラハムとサラの夫婦においても、彼らには年老いても子供ができなかった。もうまったくあきらめていたのであったが、そこに神が現れ、子供が与えられるという約束がなされた。
アブラハムたちが子供を求めて真剣に祈ったとは記されていないし、神の約束の言葉を聞いたとき、笑って信じようとしなかったほどである。ここにも神の御計画で一方的に、突然子供が生まれるという約束が与えられたのである。
モ―セにおいても、彼が求めたから荒れ野で神が現れたのではなかった。一方的に神のほうから、モ―セに現れ、彼をエジプトへと行くように命じたのであった。
そして旧約聖書の根幹をなす、神の簡潔なご意志を表している10の言葉―十戒―もまた、モ―セや民が求めたから与えられたのだとは記されていない。神が一方的にモ―セを招き、山に登るように命じ、そこで十戒という神のご意志をあらわしたものが与えられたのであった。
預言者たちも、人々が求めるという記述より、神のご意志を示すということが圧倒的な部分を占めている。
イザヤ書においても、その百頁を越える内容の最初に記されていること、それは、人々のまちがった生き方、唯一の神に背を向けた生き方、偶像崇拝や人間的な力、偽りの宗教的熱心、人間の意志を第一にしようとすることの罪を強く指摘し、そのままでは必ず裁きを受けること、それゆえに、神に立ち返ること、神を仰ぎ見ることを繰り返し強調している。
それとともに、神の御計画の時が来たときには、豊かな恵みが与えられるということも約束されている。そしてイザヤ書においても、人々がとくに求めたというのでないにもかかわらず、終りのときには、一方的によき霊的賜物が与えられるというのである。
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、
国々はこぞって川のようにそこに向う。
多くの民が言う。
「主の山に登ろう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう」…(イザヤ書二章2~3より)
あるいは、つぎのような美しい心動かされる啓示もある。
砂漠よ、喜び、花を咲かせよ。
荒れ野に水が湧き出で、荒れ地に川が流れる。
そこには大いなる道ができる。その道は聖なる道…(イザヤ書35章より)
こうしたうるわしい約束、それは人間が求めたから与える、とは言われていない。人間の求めとは関わりなく、一方的な神の恵みとして、神の愛の御計画によってなされること、主のご意志の現れとして記されているのである。
あるいは、はるか七百年ほども後になって実現した、世界の救い主―メシアが現れるという預言も、また人間がメシアよ、来てくださいと求めたからそのように現れることになった、ということは記されていない。
ここでも、神の一方的な御計画として、記されている。
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。…
一人のみどりごが私たちのために生まれた。
権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と言われる。(イザヤ書九章より)
このように、旧約聖書では最初から、ずっと一貫してさまざまの箇所において、神の大いなる力を告げるとともに、まちがったことは決してそのままにせず必ず警告し、裁きをされることが言われている。
そして、同時に、人間が求めてはいないにもかかわらず―神の賜物が豊かに与えられるということが記されている。
人間に絶えず与えようとする神、受ける値打ちがないほどに数々の不正や罪にまみれているにもかかわらず、神は人間に警告し、従わないときには厳しい裁きをも与えてきたが、それは罰することが目的でなく、立ち返らせて大いなる恵みを与えようというご意志からであった。そして、じっさい与えて来られたのである。
こうした中で、初めて旧約聖書ではっきりと、切実な求めによって神が応えられるということが、ルツ記とサムエル記に現れる。
ルツ記では次のように記されている。一人のイスラエル人が、妻のナオミと息子二人を連れて、飢饉を逃れるために、外国(モアブ)に行って住んだ。そこで息子たちは異国の女をそれぞれ妻とした。しかし、イスラエル人であった夫が死に、その息子二人も死んでしまった。その息子たちの妻は、異国のモアブの女であった。ナオミは、祖国イスラエルに帰ることになった。
そのとき、二人の息子の妻たち(未亡人となっていた)も、しゅうとめのナオミに従って行った。しかし、ナオミは故郷に帰る途中で、繰り返し、未亡人となった二人の嫁たちに「自分の里に帰りなさい。私とイスラエルに行っても何の希望もない。あなた方は汚れた異邦人とされ、差別を受け冷遇される。しかも結婚もできず、子供もない。そこではさまざまの孤独と苦しみが待っている。だから、あなた方の里に帰りなさい。」と嫁たちの前途を思って繰り返し諭した。
その強い勧めにしたがって一人の嫁はついに自分のふるさとたるモアブに引き返していく。しかし、ルツは、しゅうとめに従って孤独と差別と未来のないようなイスラエルに行くことを求めた。
…あなたの行かれるところに行き、泊まるところに泊まります。
あなたの民は私の民
あなたの神は私の神、
あなたの亡くなるところで、私も死にます。…(ルツ記一章より)
ここに、ルツは、しゅうとめナオミが信じる神を私の神とする―ナオミと同じ信仰を持って生きていくことを告白した。その神を信じて生きていくナオミにどこまでも従っていくと、確言したのであった。人間的に考えたとき、どう見てもルツの前途は暗く、希望はなかった。それでも、ルツは、ナオミの信じる神への信頼ゆえに、その困難な道を歩んでいこうと決断したのであった。
生涯結婚もできず、異邦の国ゆえに友だちもなく、宗教的に汚れていると差別され、年老いたナオミが死んだあと自分は長い孤独な人生を異郷の地で送らねばならない。そうした状況で一体耐えられるだろうか。
ナオミが勧めるように、自分の生まれ故郷に帰るなら、別の人と再婚もでき、新しい人生が開かれるだろうし、古くからの仲間もたくさんいる…それと比べるとルツが選び取った道は実に厳しい道だった。
こうした信仰的決断は、はるか後に言われた言葉、「まず神の国と神の義を求めよ。」という主イエスの言葉を思い起こさせるものがある。
このように、神を信じつつ、切実に求めていくというその姿勢、そこに大きな祝福が注がれる。じっさいルツは、思いがけなくも、信仰深く愛に満ちた人と結婚することができ、その子孫(曾孫)の中から、聖書においても特別な重要性をもつダビデが生まれることになった。
ダビデは、後にイスラエルの王となり、詩篇の中心的な作者として今日に至るまで、測り知れない影響を及ぼしてきた。その詩篇は、世界の讃美歌の源流となったために、そこからも大いなる影響を及ぼしたのである。
このことは、主イエスがたとえで話されたことを思い起こさせる。
ある人が、真夜中に、友人のところに行って、「私のところに旅人が来たが、食べさせる物が何もない。パンを三つ貸してほしい」そう願っても友人は、もう寝ているから無理だ。と断られるだろう。しかし、繰り返し執拗に頼めば、その友人も、友だちだからでなく、(聞いてやらねばうるさいからと)起きてきて与えるだろう。という意外なたとえを話された。 このように、繰り返し求め続けよ、というのである。 ルツも繰り返し、ナオミについて行くことを求めたのであった。
次に、ダビデに神の本質を象徴する聖なる香油を注いで、王としたのがサムエルという預言者・祭司であった。生涯にわたって神の言葉を語り、王をも導いた重要な人物、サムエルが歴史のなかで現れることになったのは、ハンナという母親の切実な祈り、求めにある。これは今から三千年余りも昔のことである。
…ハンナは、子供が生まれないことで、もう一人の妻から見下され、ひどく苦しめられた。ハンナは、その苦しみと悲しみのなかで、必死になって子供を授かるようにと神に祈り続けた。悩み悲しみつつ、神に祈り続けた。そして、神に誓いをたてて言った。「神様、私の苦しみを見てください。み心を留めて子供を授けてください。もし与えられるなら、その子供の一生を神にささげます。」と長い時間をかけて祈り続けた。神の前に心を注ぎだしていた。
その深い悲しみと苦しみの中から生まれた切実な祈りと願い―求めよ、そうすれば与えられるという言葉がハンナにも成就したのである。
このように、旧約聖書においてはまず神のご意志、あるいは神の言葉や恵みが一方的に与えられるということが記されているが、ここにあげたルツとハンナの例は、真剣にかつ真実に求め続けることによって大いなる祝福が与えられるということの生き生きとした内容となっている。
こうした真実な求めには、神は大いなる恵みを与えられる。
この二人の女性の記述には、「求めよ、そうすれば与えられる」という新約聖書のイエスの言葉の真理が、あざやかに示されている。
この主イエスの言葉の真理は、旧約聖書の中ではとりわけ、詩篇に見ることができる。詩篇においては、このことが確信を持って、かつ深い意味をたたえて記されている。
つぎにその一つの例をあげる。生きるか死ぬかという瀬戸際まで追いつめられた苦しみのなかで、次の詩の作者は必死になってそこからの救い求め、祈る。
そのような全身全霊をあげての祈りが聞かれて、この作者は、たしかに天からの御手によって引き上げられたという実感を持っている。
…死の縄がからみつき、奈落の激流がわたしをおののかせ
死の網が仕掛けられている。
苦難の中から主を呼び求め、わたしの神に向かって叫ぶと、その声は神殿に響き、叫びは御前に至り、御耳に届く。
主は高い所からみ手を伸べて、わたしを捕え、大水からわたしを引きあげ、
わたしの強い敵と、わたしを憎む者とからわたしを助け出された。
彼らはわたしの災の日にわたしを襲った。しかし主はわたしの支えとなられた。(詩篇18より)
このように、死に直面してもう自分の力ではどうすることもできない、という状況のなかで、ただ神にのみ求めることによって、神の大いなる力が現され、助けが差し伸べられたという経験である。
3・11の大津波に襲われ、死ぬのだと実感したときに、神様助けてください!と祈り、叫んだときに実際に助け出されたという経験を直接に聞いたが、そうした原型は、すでに三千年ほども昔からこのように記されているのである。
そのように助けを求めても現実には死んでいった方々も多かったかも知れない。しかし、その方々は、神がその死から取り出され、復活させて主の御もとに導いてくださったと信じることができる。
使徒パウロも、つぎのように、生死の境にさまようような危険に出会ったときに、死後の復活という救いへの希望にかけていたのがうかがえる。
…わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失った。
わたしたちとしては死の宣告を受けた思いだった。
それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになった。
神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださるだろう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけている。(Ⅱコリント一の8~10より)
このように、死後の復活ということを信じてはじめて、神に祈り求めて必ず救いが与えられるということが確実なこととして私たちは受けいれることができるのである。
また、つぎの詩篇22篇も同様である。これは、主イエスが十字架上で最期を迎えたときに、この激しい叫びをあげられた。これはこの詩篇22篇が、人類の罪をになうという最も重い働きを背負って死んでいかれた主イエスの苦しみをはるかな昔に、すでに部分的にせよ体験していたこと、そして後のキリストの苦しみをも預言するものとなっているのを示している。
…わが神、わが神、なぜ私を見捨てられたのか。
なぜ遠く離れ、救おうとせず、うめきも叫びをも聞いてくださらないのか。…
私を見る人は、皆、私をあざ笑い、言う。
「主に頼んで救ってもらえ、主が愛しているのなら助けてくださるだろう」
あなたは、私を死の中に打ち捨てられた。
主よ、あなただけは私を遠く離れないでください。
私の力の神よ、今すぐに私を助けてください。
わが魂を剣から救いだし、私を迫害するものから救いだしてください。
ライオンの口、雄牛の角のような力をもって迫ってくる敵から私を救いだし、
私に答えてください。…(詩篇22の1~22より)
この詩には、神を信じて生きてきたのに、その神から見捨てられ、どんなに叫び求めても苦しみはつのり、敵対するものの攻撃は激しさを増すばかり、その中から必死で祈り求める姿がある。
こうした長い苦しみの中で求め続けたのちに、この詩の作者がまったく異なる状況に導かれたことが記されている。
…私は兄弟たちに御名を語り伝え
集会のなかであなたを賛美します。
主は苦しむ者の苦しみを見捨てることなく
御顔を隠すことなく
助けを求める叫びを聞いてくださる。(詩篇22の23~25)
このように、苦しみのただなかに置かれて絶望的状態にあった人、それでも神に叫び、助けを求め続けていた人が、まったくその状況が変えられて、神の大いなる救いの御手によってすくい上げられたことが分る。
さらに、その救いによってこの作者は自分だけの喜びに留まらず、周囲の人々に神の御名―神ご自身の本質、すなわち神がいかに深い愛のお方であるか、いかに人間の想像を越えてその御計画をなさるお方であるかを告げ知らせる心が与えられた。
そして、次のように、その願いはこんどは自分の苦しみを除かれるようにというところからはるかに広がっていった。
…地の果テーマで
すべての人が主を認め、御もとに立ち返り
国々の民が御前にひれ伏しますように。
子孫は神に使え、主のことを来るべき代に語り伝え
成し遂げてくださった恵みの御業を
子孫に告げ知らせるだろう。(詩篇22の28~32より)
この詩篇22篇は、「エリ、エリ、ラマ サバクタニ(主よ、主よ、なぜ私を見捨てたのか!)」という冒頭の叫びが、主イエスの十字架での叫びと同じであるために、よく取り上げられる。
しかし、この詩は決してそうした絶望的状況だけを歌った詩ではない。そのような暗黒のなか、あらゆる希望が消え失せた状況からの祈り求め続けることによっていかに大いなる救いが与えられたか、それは本人の救いだけでなく、周囲の人々、さらに世界の人々、そして子孫にまでその神の力と愛による救いを述べ伝えようとする心へと広がっていった。
それは、言い換えると、「求めよ、さらば与えられん」
ということの最も深い成就を表しているものなのである。
5月11(土)~12(日)、第40回 キリスト教四国集会が、徳島市で開催された。
主題は「信・望・愛―弱さの中で働かれる主」であった。
3・11の東北大震災のことをも覚え、またさまざまの問題に苦しむこの世にあって、聖書の示す信・望・愛に立ち返ることはすべての人にとって最も重要なことだからである。
参加者は、地元の徳島県内から約70名余り、高知、愛媛各4名。香川0名。四国外から北海道、東北から沖縄や九州に至る各地から約50名が参加され、スカイプでの参加(県内外の障がい者)2名を合わせて、全体では134名の参加があった。(申込はしていなかったので参加者名簿には掲載されなかったが、当日参加の約20名を含む))
聖書講話は、主題に沿った内容で、 小笠原明(松山聖書集会)、吉村孝雄(徳島聖書キリスト集会)、関根 義夫(浦和キリスト集会)の3名が担当した。
今回は特に、40周年記念「北田康広 讃美とピアノのコンサ―ト」が組み込まれ、荒城の月、ふるさと 等の歌曲の他、讃美としては「安かれわが心よ」、「幸い薄くみゆる日に」、3・11を記念してリリ―スされた「人生の海の嵐に」のCDで歌われた、「紫の衣」「主の後ろ姿」、そして世界的に知られている「勝利を望み」など。福音伝道に用いられるようにと、初めての参加者や未信仰の方々の心にも届くような親しみやすく、かつ歌詞もよく、さらに美しいメロディ―のものが選ばれた。
キリスト者の証言としては、石巻で津波に襲われた方と福島原発の被災者、それぞれ一人ずつ話された。
さらに、農業に家族で従事している愛農高校卒業生、そして高知から無教会集会に参加しはじめて1年ほどの方、さらに、地元徳島から全盲(中途失明)の二人の方という多様な方々の証言がなされた。
他には、百名を越える参加者全員が自己紹介、二日目午後にも全員が短時間の感話を語り、皆が信仰に関わることを述べる機会となった。これは、参加されていた多くの視覚障がい者(全盲8名、弱視3名)の方々への配慮のゆえでもあった。
特に全盲の方は、参加者の顔、姿も見えないし、名簿も読めないので、全員が30秒~数分語ることで、参加者の名前や人を知る一助となった。
土曜日夜は自由参加の賛美タイム。さらにその後の夜9時から11時までという遅い時間であったが、青年・若者の会には、10数名の人たちが集い、遅くまで自由にかつ熱心な話し合いと交流がなされた。
早朝祈祷会は、5グル―プに分かれて、近くの川沿いで行なわれた。天候に恵まれ、心地よい風と青空、緑の眉山を前方にしての清々しい祈りのときとなった。
他には、四国集会の前後の夜には、遠隔地からの参加者による交流会があり、開会前日には15名が2時間、閉会のあとの日曜日の夜には25名ほどが集り、午後7時から9時半までの時間を各地の信徒が主にあって自由な交流、賛美の時となった。
小笠原 明(松山聖書集会)
・私が、話をすることになった経緯。私共の集まりは、聖書には素人の集まりです。聖日礼拝の聖書講話は、順番で担当したテーマです。それで、今回、私に当番が回ってきました。しかレ無学である私かと思いましたが、キリスト者は、聖書の知識、学問の有無、話の上手下判こ関係なく、誰であれ、何処ででも、キリストの福音を語る使命と義務があると、思わされました。このことは、使徒言行録(1・16)、ロ―マの信徒への手紙(5・16)等で、聖書は語っており、ルタ―も、キリスト者は祭司であるから、説教をするようにと勧めている(教会の教職の任命について)。更に、無教会キリスト者は、先達から、各人は祭司であり、素人は素人なりに聖書を学び、話をするように教わっている。それゆえ、お集まりの皆様も私のようこ、福音のお話をする使命と義務を、負っていると思います。
・キリストの十字架こそ、愛であり、信仰であり、希望である現在、私たちの周りには、福島原発事故で身に知らされた原発の恐怖、その原発に繋がる核兵器の恐怖が覆い、一方、町の片隅では、弱い無抵抗な人入々が、死に追いやられている悲劇が起こっている。このような現在に信じるものが、希望が、愛があるのか…。パウロの言葉を、拠りところに考えてみたい,
「信、望、愛」の言葉に私たちは、Iコリント「愛」を語る13章の13節、 「信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である」の言葉を思い浮かべる。バウロは、前の七節でこの「愛」を、「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、全てに耐える」と説明している。
信仰も希望も、愛によって現れる「かたち」であると言うのです。「すべて]と言いますから、人を信頼して欺かれても、人に対する希望が空しい結果に終わっても、なお信じ、望むと言う。この「愛」をパウロは、「キリストの愛」と呼び、その内容を、「キリストが(一人の方)すべての人のために死んで下さった」(Ⅱコリント5・14、15) と言っている。これは、イエス・キリストの十字架の死と復活を言っている。では、なぜ、イエス・キリストの十字架の死と復活が、「キリストの愛」なのか。それは、人間が持っている罪ゆえに、人は、死ななければならない現実に起因します。罪とは、神に反逆していることです。すなわち、心まで正しい人はいるでしょうか。人は、神に背を向けて、自分、自分、自分中心に生きている。これが神に反逆している罪です。この罪についてーマタイ5章17節以下を、また、ヨハネ福音書で、主イエスが命ずる「愛の戒め」を、追求してゆくと良いと思います。そこで、パウロは叫びます。 「正しい者はいない。一人もいない」(ロ―マ3・10)とっすべての人は罪人なのです、この罪を、何とかしなくては生きるニとはできません。この罪の解決が、イエス・キリストの十字架の死と復活、と言う出来事でした。このことがパウロの身に起こリ、彼が生きるようになったことをお話します。
彼は、神の義を得て、神に生きようとする、ユダヤ教のパリサイ人でした。それゆえ、彼は、日夜、道徳を含む法律である律法を熱心に学び、実行に励みました。しかし、罪のため神の義を得ることができず、遂に、死の滅びに至りました。その時、十字架上で死に復活した、キリストに出会いました。そこでバウロは、自分の罪のために、キリストが最も悲惨な死をもって、罪をあがなってくださった、罪人である自分は、キリストと共に十字架につけられ死に、キリストと共に復活し罪から開放され、キリストが内に住む新しい自分を発見した。
このことをパウロは、ガラテヤ書2章19、2 0 節で告白したテーマです。 このように、キリストの十字架の死と復活が、キリストの愛なのです。この「キリストの十字架の愛」こそ、死から生命に甦る喜びの福音です。この愛ゆえに、私たちに信仰が、希望が与えられるのです。キリストにある信仰、希望です。「キリストの十字架の愛]は、全人順に与えられている福音です。この愛を頂き、救われた者には、永遠の生命が与えられ、神の国の住人となることが約束されたテーマです。自分の罪、人類の罪を知り、キリストの十字架の愛」を受け入れれば、原発、核兵器、弱者の悲惨な死の問題も解決すると思うのですが…。例えそうでなくても、キリストの十字架の受か存在する限り、私たちには、信仰と希望が与えられている。
・キリストの十字架の愛は弱い人に佐がれている 主イエスは、世に捨てられた人や病人、罪人だと除け者にされていた、そういう弱い人に近づき愛を施された。今も、キリストは、世の貧しい人、病や障害に苦し社人、罪に苦しむ人、そういう自分の能力で生きてゆけない弱い人に近づいておられる。なぜなら、福音は空手で、くださいと言って頂<ものであるから。自分の能力で生きる強い人にはキリストの受け、無縁であります。
弱くあった井川静さんに「キリストの十字架の愛」が注がれた現在の愛媛病院は、以前、結核療養所でした。この療養所に「愛療聖書研究会」でき、井上徹郎先生は、聖日午前中は市内で礼拝集会、午後はこの療養所で伝道集会を行っていた。そこへ井川さんは、20歳にも満たない身で入所しそれから20年外に出る事はなかった。多感な青春時代、その苦悩は計り知れません。しかし神様は集会と恵みの仲間と井上先生を準備され、キリストの愛」を彼女に与えられた。彼女は、死を前にして、「十字架の主は、わたしの、神様と人々に対するすべての罪をことごとく赦して受け入れてくださるよね」と涙し絶句し感謝したと言う。世の働き何ひとつできなかった弱い井川さんに、神様は、キリストの十字架の愛をお示しになり、信仰と希望をお与えになって、天国へ導かれました。感謝すべきかな、キリストの十字架の愛!
弱さの中で働かれる主 関根義夫(浦和キリスト集会)
今年の3月、思いもかけないことから、家内ともども、イスラエル聖地旅行のツア―に参加する機会を与えられました。
旅行は11日間にわたり、エルサレム、死海、ガリラヤなどを巡るものでした。わたしにとっては大変豊かな、そして貴重な経験をすることになりました。
その一つは、主イエスの歩まれた跡を、ガリラヤ湖畔で、そしてエルサレムで偲ぶことが出来たということでした。死海沿岸のほとんど緑のない、岩と砂漠の南部とは対照的に、ガリラヤに向かえば向かうほど、緑は豊かになり、畑はよく耕され、山々はなだらかな姿を見せたテーマでした。まさに「緑も深き若葉の里」の言葉のとおり、ガリラヤの春は、からし菜の黄色い花や、ア―モンドのピンクの花、アザミ、レンギョウ、そしてアネモネ、そのほかわたしの知らない小さな花々が、たくさん目につきました。
カファルナウムでは、「ペテロの召命教会」「パンと魚の奇跡の教会」そして「山上の垂訓教会」を訪ねました。
日程の最後の二日間はエルサレムに戻ってきました。主イエスが、あの晩、過ぎ越しの食事を愛する弟子たちとお取りになってから、いつものように、オリ―ブ山に向かい、そのあと、ペテロとアンデレとヨハネだけを連れて、血の汗を滴らせて父なる神様に祈られたあのゲッセマネの園には、幹の太さが2メ―トルもあるのではないかと思われる、幹のごつごつした年経たオリ―ブの木が茂っテーマした。そこで、主イエスはただひとり、ユダに先導された群衆に捉えられて大祭司宅に連れて行かれ、さらには、ピラトのもとで、十字架刑を宣告されます。主イエスが鞭うたれたという岩屋、その後十字架を背負わされる前にしばし収監された深い牢もありました。翌朝、主イエスは十字架を負い、あの、ビア・ドロロ―サを歩まれることになります。それは緩やかな登り道で所々に段が付いテーマした。そこに差し掛かるたびに、十字架はゴトンゴトンと音を立てて、主イエスの肩に重くのしかかったに違いありません。そのご遺体が十字架から降ろされて、納められた墓は、聖墳墓教会と名付けられた大きな教会にある、とのことですが、それとは別に少し離れて、園の墓と呼ばれているところがありました。そんなに広くはないけれども、葉の茂った樹木が植えられた静かな所でした。主イエスが納められたという墓は、その園の一角にある岩にありました。中に入ると四畳半か六畳くらいの広さで、左に一つ、右に、これとは直角に仕切られた三つの空間がありました。二千年前の、あの朝早くに、誰があの入口の石を転がしてくれるだろうか、と思いつつ、この墓に急いだ女性たちの驚きが実感として迫ってきました。わたしには、あの、大きな聖墳墓教会よりも、この「園の墓」(Garden Tomb)こそ、主イエスが復活なさった場所にふさえわしいと思われてなりませんでした。
さて、今回の四国集会の主題は「信・望・愛―弱さの中に働かれる主」です。「弱さ」という言葉からすぐに思い出されるのは、あの晩主イエスが捕らえられた時、自分では主をお守りするつもりでいながら、逃げてしまい、それでも主の後を追って、官邸の庭にまで入りながら、そこで三度も主を否んでしまった、あのペテロのことです。落胆してガリラヤに戻った、そのペテロに、復活の主イエスがお会いなさり、「あなたはわたしを愛するか」と三度お聞きになります。三日前のあの夜のことを思って、どんなにかペテロは切なく、どんなに深く、自分の弱さ、愚かさそして貧しさを後悔したことでしょうか。それと同時に、主イエスがこんなにも深く、こんなにも大事に自分のことを思ってくださっていることに、改めてペテロは驚きの思いを持って、知らされたのではないでしょうか。
このように、主は、わたしが、人間的にみて、どんな弱さ、愚かさ、貧しさをこの身に持っていたとしても、その弱さ、愚かさ、貧しさのままに、このわたしを、聖霊を注いで愛していて下さる。主イエスは、神のみ子でありながら、十字架を負うことを通して、わたしよりもはるかに深く下って弱さ、愚かさ、そして貧しさを全うしてくださり、弱さを本当の強さに、愚かさを本当の賢さに、そして、貧しさを本当の豊かさに変えてくださいました。これこそ、主なる神様が、わたしたちを愛してくださっている栄光の始まりでなくてなんでしょうか。わたしの感謝は溢れます。
石巻での津波から救われて 原 光子(山形)
2011年3月11日午後2時46分、私は自宅の2階にいました。大きな地響きの音と共に、家がグラグラと音を立てて揺れはじめました。今まで経験したことのないとてつもない大きな揺れでした。地震が続く中ようやく外に出たものの、全身が震えて、頭の中は真っ白状態でした。「神様、何をしたらよいのでしょうか?」と問いながらバックを用意して、懐中電灯、携帯ラジオ、貴重品、本2冊を入れ、家から離れることにしました。停電の為、車庫のシャッタ―が開かず、車での避難は諦めました。間もなく大津波警報のアナウンスがありました。避難指定地の小学校に避難することにして、隣のおばさんに声をかけた後、近くのコンビニで買い物しました。その後、買い物籠をおばさんの所に置き、車庫に戻った時、道路側から黒い津波が押し寄せてきました。バックを持って裏玄関から2階に上がりました。ドアを閉めて、全身の力で押さえながら、「神様、助けてください!」と叫びました。津波が足元に来た時には、
もう助からないと思いました。「神様、私の罪を許して下さい。天国に連れて行って下さい!」と泣き叫びました。津波は床上20cm位でストップし、暫くしてから水が引いていきました。ドアを開けると、階段の3分の2位まで水位が下がっテーマした。2階の窓から見ると、真っ黒い海の中に家が浮いているような状態でした。多量の車両が流されたテーマでした。雪が降り寒い夜を迎えました。停電の為、まっ暗闇でした。懐中電灯と携帯ラジオのスイッチを入れて、明りと津波情報を得るものの、補充用の乾電池は無かったので、数分ずつの使用でした。明日を迎えられるかどうか分からないので、息子たちに遺書を書いて神様に全てを委ねる事にしました。♪神共にいましての讃美歌を繰り返す中で、「耐えられないような試練に遭わせることはなさらず…」「わたしにつながっていなさい…」「万事が益となるように共に働く」等のみ言葉が示され、イエス様が十字架に磔にされた時の場面を思いました。私の苦しみ以上にイエス様は苦しまれたのだ…。イエス様の十字架での死は、生死の境にいる者に、大きな励ましとなりました。キリスト教を受け入れたことや聖書との出会いは、神様の恵みであり祝福であると感謝しました。未明に、明るい温かな光と空気に包まれました。神様が来て下さった、いてくださったことを心強く思い、孤立していた自宅2階での3泊4日の日々は、絶望の中でも希望を抱くことができました。振り返ってみると、車庫のシャッタ―が不能で車での移動ができなかったこと、直ぐに避難所に向かわずコンビニで買い物して隣の家に寄ったこと、2階に避難したこと、窓から旗を振り続け、4日目にヘリコプタ―で救助されたこと、夫と再会できたことなど奇跡の連続でした。災害から6日目に息子たちが迎えに来て山形に避難し、その後京都に避難しましたが、この間たくさんの方々と出会い支えられました。山形に戻った時は、空き家を与えられました。神様の御手に支えられ、生かされていることに感謝している日々です。被災時に示されたみ言葉を信じたことで私は救われました。聖書のみ言葉は、真実であり、信じる者は救われることを体験しました。
霜尾共造(京都府舞鶴市)
私の家族は、妻と3人の子どもたち、両親、祖母、伯母、研修生の10人家族で、毎日賑やかにすごしたテーマです。
京都府北部の舞鶴市の端、標高250m、山を越えると天橋立を臨む、たった11軒の「西方寺平」という、住民35名の小さな集落に生まれました。朝は家の前から雲海を見渡せますし、夜は360度 満天の星を眺めることができます。うちは、代々の農家で、山仕事のほか、養鶏と棚田で米を作りながら暮らしてきました。現在の経営は、米は主に父が受け持っていて、養鶏は一緒にやり、僕と妻は有機栽培でいろんな野菜を作っテーマす。特に、夏場は、メインにトマトを作っていて、「ともぞうとまと」と名づけて、販売しテーマす。
小学校まで約6㌔の道のりは、その3分の2が民家のない山の坂道で、右は「落石注意」と書かれた岩壁で、左は谷深くに川が流れたテーマです。
時期になると、「熊が出ました。注意してください。」と地域放送が流され、当時小学一年生の僕は、学校の帰り道、ひとり また ひとり と 友達に「バイバイ」を言いながら、いよいよ ひとりぼっちで 家族の待つ家をめざします。怖くて不安で、泣きながら、それでも野いちごを食べたり、大きな声で歌を歌いながら、小さな足で歩き続けました。「神様、だれか家まで、車に乗せてくれますように」とよく祈っていたことを思い出します。中学になると自転車通学になり、雪が多いので、スノ―タイヤに履き替えて通いました。日によっては、学校の近くで田んぼの仕事をしている父の仕事が終わるのを、暗くなるまで待って、トラックの後ろに乗って帰ったこともよくありましたし、 学校から家に帰ると、妹とたまご集めや、鍬で畑打ちなどの手伝いをしました。なんで僕は農家に生まれ、しかもクリスチャンホ―ム。家もダントツ遠いし、自動販売機や郵便ポストまで4kmもあるし、なんかみんなと違うなあ。なんか寂しいな。農家なんて貧乏やし、汚れるし恥ずかしい。田舎も嫌いや!そんな風に思っていた気がします。
両親がクリスチャンですが、父は無教会の流れを汲む愛農高校で信仰を持ち、母は日基の幼稚園に勤めていて信仰を持ちました。祖母は当時筋金入りの仏教徒、祖父は神道に関わり、茨城にいる伯母は創価学会、統合失調症で家にいる伯母はカトリックだったようです。そんなマルチな環境に育ちましたが、母がいつも「お先にどうぞ」と「たたかれたら、ありがとうと言いなさい」この二つの言葉は今でも心に残ったテーマです。祖母は2年前に洗礼に与りました。
教会へは、小学5年生から、9km先のバス停からバスに乗ったり、CSの先生にのせてもらったりして、行くようになりました。しかし、教会に行かせたくない祖母は、日曜日の朝になると墓掃除だなんだと、僕に頼みごとをしてきたり、「どこへいくんや」とわざと感じ悪く聞いてきたりするし、母は母で「神様の喜ばれる方を選びなさい」と、逃げようのない選択を迫ってくるしで、母も祖母も悲しませたくないし、嫁姑の仲もうまくいってほしいし・・・ということで、いつも日曜の朝は、頭がいっぱいの辛い曜日でした。でも、ぼくの中では、キリスト教の神様は、何故か不動の存在で、もしかしたら神様はいないかも、なんてことは一度も思ったことはありませんでした。
さて中学を卒業するにあたり、進路を決めるときが来て、「僕には農業は向いてなさそうだなあ。」との思いから、普通に地元の高校に行くと言い張っテーマしたが、両親は悲しそうにただ聞いているだけで、反対もしませんでした。その理由は、吉村先生も関わってくださったテーマですが、三重県にある、キリスト教を教育基礎におき、有機農業と、信仰による村づくりを教える、全寮制の愛農高校に行って欲しいという切なる祈りがあったからです。父はそこの第1期卒業生で、愛と平和の農村づくりに、命を懸けてきました。具体的には、数十年後に高齢化で滅び去るであろうここ、西方寺平の村に、新しい家族を迎え入れて、人を増やすことでした。父は、よく、「百姓は最高や!西方寺平は緑の大都会や」と言っテーマした。一方、村は、閉鎖的で、よそ者はいじめられ、こんな山奥には、未来も希望もないという意識に覆われていたようです。高度成長期以降、若者はどんどん都会へ出て行ってしまう、というより、積極的に親が都会へ送り出す現状に、息子である僕に、の望みを懸けていたのだと思います。この高校で、信仰による、農業と農村に命をかける人間に育って、村に帰ってきて欲しい、神様に人柱として捧げる、という願いがあったことを、あとから聞きました。実は小さい時から、「きっと僕は愛農高校へ行く運命なんだろうな」という予感をもっテーマした。なんかレ―ルの上を、ただ行くだけのようで、反発していたのだと思います。でも何も言わない両親の「無言の圧力」に屈し、入試1週間前に決意に導かれたのでした。
15歳にして、生まれ育った家を離れたわけですが、その高校での学びが 信仰においても、新しい農村をつくっていきたいという思いにしても、 最も大きな影響を受けることになりました。
そこでは、先生も先輩も みんな農業に誇りと自信をもって、生き生きと労働したテーマでした。 そして、ずっと「農業はかっこわるい仕事だ。」と思っていた僕に、学園長が言いました。「農業は、隣人愛を実践する仕事です。なぜなら人は食べ物がなければ生きていけないからです。人の命の源を作る、しかも農薬や化学肥料を使わない、人を生かす農法でなければなりません。働くとは、ハタの人をラクにすることです。ただし、農業者たる前に人間でありなさい。神様の声を聴く受信機である、良心、霊の覚醒された真人間になりなさい。そうでなければ、いくら農業をしても意味がありません。そして、平和を作り、福音を伝えて明るい農村づくりに一生を捧げる生き方をしなさい。農村は、木で例えるなら、根っこです。地上に繁栄する都会はみな、実は根っこが支えているのです。根っこがなくなったら、人々は豊かに生きていけません。迫り来る食糧危機の時代にそなえて農業をし、一人も餓死者を出してはなりません。」という言葉に、「農業をして農村に住もう。小さい時、いっぱい遊んでもらった 近所の おっちゃん・おばちゃんの役にも立ちたい。生まれ育った村が、元気になるようなことをしたい。」と考えはじめ、「職業として農業に向かい合う」ということと、「農村で生きていく」という 二つのテーマを、自分の中で 少しずつ 思い描いていくようになったのです。また、寮で、酒、タバコ、盗みなどの問題が起こると、寮監の先生が断食してフラフラになりながら祈っておられたそうです。決して犯人探しをしたり、怒鳴ったりはしませんでした。聖書の言葉から、誰であろうと、やった人を許すように教えてくれました。すると、僕たちは、自分からその罪を告白する決心をし、処分を承知で、先生のところへ謝りにいくように変えられていったのでした。
大学卒業後、スイスの酪農家で1年少しのホ―ムステイを終え、たくさんのことを学び、帰国し、今から11年前、いよいよ農家としての生活がスタ―トしました。親と一緒の生活のことも、山奥に住むことも思ったら、息が詰まってしまうんだろうな。と心配しテーマしたが、両親の、村おこしの祈りに主が応えてくださり、たくさんの、新しい農家である、新規就農者が、すでに村に入って頑張ったテーマでした。毎晩夢を語り合ったり、村を元気にしようと、夏祭りの復活、直売所つくり、新しい住民をふやす取り組みなどの活動をする中で、充実した、活気に溢れた毎日でした。 ぼくの頭の中はいつも、この大好きな村の人たちが、どうやったら生きがいを持って、イキイキと暮らせるかということや、田舎に自信を持っていない、多くの住民の人たちが、誇りをもって、生活していけるか、ということです。でも、具体的に何ができているというわけではありません。ただ、僕たちが、自信を持つこと。都会にはない、たくさんの魅力を感じ、田舎だからこそできること。神様の栄光が、そこら中にちりばめられている大自然です。「汝の農場をもって、神の栄光をあらわせ」と愛農高校の校庭の石碑に刻んであるように、主が私に下さった仕事をしたいと願ったテーマです。
今、西方寺平集落には、11世帯のうち、7世帯が、移り住んだ若い農業者の家族や、後継者です。両親は閉鎖的な村人の陰口にめげず、何十年も、村の救いを祈り続けて、活動してきました。小さな日常の付き合いから、もめることも多々ある中、「イエス様ならこうされる」と、いつも悔い改めつつ、祈り続ける日々です。今こうして、一つの農村が若返って、注目を集めるようになりました。さらには、月一回の聖書を学ぶ会に、7世帯中5世帯が参加してくれたテーマです。神様は確かに生きて働いておられます。
今、人が与えられ、活気付いてきたかのように見えますが、これからが本当に大切な時期だと思ったテーマです。村人同士の間では、小さないざこざがあったり、それぞれの信頼関係に歪みがでたり、同じようにあります。最近、「主に在る村」というのは、いくら正しいことでも、「こちら側」に引っ張ってくることじゃないんだ、と思わされテーマす。主イエス様がされたように、こちらから出かけていって、横に寄り添い、何を必要としているのか、どんな気持ちでいるのか、知ろうとする態度が必要であり、求められている気がしたテーマです。「見よ、世の終わりまで、いつもあなたがたと一緒にいる」と約束してくださる主に、全信頼をおいて、今日も一日、私たちの日常の中に住み、働きに来てくださっている主に、お預かりしているしばらくの人生を明け渡していきたいと願ったテーマです。主が与え、主が取り去るものである農業。種をまき、水を注いでも、育ててくださるのは神様であると、身をもって教えられる農業。見てみなさい、働きも紡ぎもしない野の花を、主はこのように装ってくださるのに、お前は何を文句言っているんだ。すべてに感謝しなさい。重荷を背負ってあげるから。神の国を求めなさい、と語りかけてくださいます。
農業、農村を愛しつつ、「農」というものの奥にある、神様の奥義を探り求めつつ、主と共に歩ませていただきたいと思います。
村上守行
1.あぶくま無教会に育って
信仰の生みの親 佐藤一哉(1906―1992)、医者の子、生涯をあぶくま山地の農村伝道に捧げる、純粋な一途な信仰、幼子の純粋さ、私の名付けの親(ヨシュア記)、「あぶくま無教会集会」での聖句暗唱と信仰の成長。
2.矢内原忠雄との出会い
大学3年生の時、矢内原忠雄(1906―1961)の「イエス伝」に出会う。
簡潔明解で生き生きとした語りに感銘。矢内原は四国出身、内村鑑三の弟子。「この人こそ私の信仰の先生である」と感じる。日本の預言者の発見、矢内原の信仰と預言のエッセンスを伝えようと思い、「日々のかて」を編集する。特に矢内原の「信仰の純粋」と「真理愛」を継承伝達することに使命を感じている。
3.人生の半ばで道を失う
「人生の半ばで道を失い、この世の暗闇さまよう」(ダンテの神曲、「地獄編」序章)。 1997年からあぶくまに戻って、農業をしながら伝道活動をするも挫折、一人の信者や求道もなし。結婚の挫折、目の喜ぶ者と付き合い、信仰による正式な結婚ができず。サムソンのように霊的活動の停止(士師記13章~16章)。
4.東日本大震災と私
2011年、福島第一原子力発電所より30kmの所で農業と加工販売業を営む。地震と原発の爆発によりあぶくまでの生活を断念し、東海地方に避難。現在は、母校の愛農学園農業高等学校で教職につく。
東日本大震災と原発爆発は第一に神の裁き。しかしこれは同時に神の救いの手段。
神の裁きは第一に私の罪に対する審判。私の不信仰、不真実、肉に付ける歩みに対する裁き。
神の審判は第二に不信をつづけ、伝道の不毛の地でありつつけた東北に対する裁き。そして今回の地震と原発爆発は日本と世界に対しての裁きであり警告。神に寄り頼まず、自らの智恵と知識に寄り頼む人類に対する警告。
一方、神の審判は単なる罰ではなく、私を愛し、東北の人々を愛し、日本と世界を愛する神の救いの御手。私の悔い改めを促し、東北の頑なな心が砕かれ、日本と世界の人々を神に立ち返らせる、神の業。
放射能汚染にみる人類の社会的罪、ガンジ―が見た7つの社会的罪(理念なき政治、犠牲なき宗教、良心なき享楽、倫理なき経済、労働なき富、
人間性なき科学、人格なき知識)、社会的罪に正面から向き合う信仰の戦いの道。
(キリスト者の証言のうち、地元の鈴木益美、綱野悦子のお二人の方の証しは次号に掲載予定です)
〇(茨城県からのM・Jさん )
会場に来る途中で見た、吉野川の広いゆったりした風景、眉山をすぐ前に仰げる集会場、早朝祈祷会で、涼しい風を感じながら川べりで皆様と賛美し、祈ったひととき、徳島は自然にも恵まれた土地だなあと思いました。
今回の集会の恵みは本当に大きなものでした。以下に感謝をもってその一部を記します。
・ 沢山の兄弟姉妹との出会いの恵み…今までお名前は知っていても、お会いしなかったかたがたにお会いし、お話を交わせて感謝でした。
沖縄の石原昌武兄は、ホテルの朝食で一緒になり、沢山のお話をお聞きできました。
鹿児島の古川兄姉、映子姉は、子供のときに、日曜学校が一緒で、私の結婚式にきていただいて以来の再会でした。
香西 信兄…私がまだ福岡で独身のとき、香西ご両親様がおられました。しっかりした信仰のクリスチャン二代目が、一年後に岡山で伝道されることを喜んでいます。
村上守行兄…矢内原先生の一日一生のご本は大好きな本で、著者にお会いでき、お話をかわせ感謝。愛農高校のパンフレット送付をお願 いしました。
徳島聖書キリスト集会の皆様…集会の皆様が手話賛美や手話通訳をされるのに驚きました。
・プログラムの全体をとおして、手話通訳がされ、手話賛美が沢山見聞きできたこと。
健常者だけの集会でなく、多くの視覚障がい、聴覚障がいの方がた、スカイプで長期入院中の勝浦兄も参加されて、恵みを共有できたことがすばらしかったです。
手話賛美は短に、聾の方への伝達方法というだけでなく、健常者へも、賛美の歌詞をよりよく伝える手段として、良い伝道手段だと感じました。
手話賛美をぜひ私も身に着けたいものだと思い、今日は私が行っている教会の早天祈祷会のあとに、今回の恵みをお話し、手話賛美のすばらしさをお話したら、伝道者の兄弟が、なるほど、そういう風に考えたことはなかったけれど、確かにそうでしょうね。DVDが送られてくるのだったら、ぜひ見せてください。手話は本に書いてある絵だけではよくわからないから、映像を見るのが一番。といわれました。今教会で月に一度土曜に婦人たちの 会があり、今はオカリナを教えてといわれて数回それをやっテーマすが、その後はみなで手話賛美を学んで、今年のクリスマス会にはぜひ伝道者もふくめて手話賛美をひとつかふたつやりたいし、日立地区の大きなクリスマス会の準備委員になっているので、それに手話通訳を入れたらと提案したい と思ったテーマです。
・ 講話や証言がすばらしかったです。
講話や証言をとおして、主題についての良い学びができました。
中途失明の姉妹たちお二人の証言は、弱さの中に働かれる神様のお力を力強く証言するもので、励まされました。
数度姉のギタ―や、勝浦兄の生き様は、人間的に見れば大変な中で、すべては益との生き方で、教えられ励まされます。
・ 北田康広兄姉の賛美、すばらしいものでした。
・ 前日の交流会も感謝。交流会や四国集会全体を通じて、聞くだけでなく、皆が発言する集会をとの主旨がよくわかりました。全国から集まったクリスチャンたちのことをはじめてだったにもかかわらず、沢山の方々のことを知ることができ、つながりができたことを感謝です。
全国のクリスチャンたち一人ひとりが今の日本の柱となる人だと思います。私も与えられた場で、神様に養われ聖霊さまのお導きの中に、自分にできる 神様の御用を果たしながら、しっかり歩みたいと思います。
〇(宮城県からのT・Nさん) 本当に四日間、ありがとうございました。
こんなに恵みに満ちた四日間はいままでになかったです。
徳島にて、一日中すべてを、信仰に心を傾けて、賛美し、すごせる幸せを実感しました。そして、信仰の交わりをもってそれができるということの、恵みの大きさを、感じました。
みなさんが心あたたかく迎えて下さり、主にあって一つ、という言葉を思い浮べました。
生活の中でこんなにもイエスさまと共に歩んでいる人がいるということを知って、わたしの歩む道も照らされ、はげまされました。
〇(神奈川県からのA・Sさん)
深い祈りに基づき開かれた、四国集会には、神の御国を見せて頂いたようで、とても感謝をしております。
目の見えない方や耳の聴こえない方を助け合う姿に美しい愛を感じました、目が見えない方の音楽・賛美で心が癒されました。耳が聴こえない方の笑顔が綺麗でした。
社会では、弱い立場にいる人が、逆に輝いて見えました。そこから神様は、おられるんだという思いが強められました。
賛美をお聴きしテーマして、一人一人音色は違うのですが、それぞれが、うまく重なり合い、一つになり、神様を讃えていたのが印象に残っテーマす。
受付や会場設営なども協力しあって仕え合って仕事をしているのに、僕は感動しました。感謝したテーマです。共同体のあるべき姿を見せて頂いたと思っテーマです。
キリストに遣わされている我々も、違う賜物を与えられた一人一人が、一つになり、伝道をしていけば、それぞれが協力して御言葉、福音を伝えていけたら という思いが湧いてきました。
自分は工場で働いているのですが、工場でも一人一人のよさを理解し、発揮できるように努めれば、また弱い人や弱っている人を大事にするようにすれば、小さな神の国はできます。聖書に書かれている神様の御心を少しでも職場の方々にお知らせしたいと願っテーマす。
また、自分には、聖書に書かれている神様の御心、福音をしらない友人が数多くいますので少しでも伝えられるように励んでみます。
自分も、神の国建設の一作業員として日々、御言葉を基にして歩んで行きたいと思っテーマす。
徳島聖書キリスト集会の方々のお祈り、ご愛労に深く感謝します。地の上にも御国が来ますように。
神様の力が今弱っている人の内にあらわれますように。
今回の四国集会では、当日に提出された方以外に、後日詳しい感想とともに郵送してくださった方々も多く、1枚の用紙に書き切れないほど詳しく書いてくださった方々もありました。
(1)全体について とてもよかった36 よかった3
・聖霊に満ちた善き集会でした。準備していただいたかたに感謝したテーマです。
・生きておられる主を実感できる集まりでした。
・ 会場全体が一つの心で 主を中心に過ごせた2日間でした。
・県外からも大勢の方が参加されました。二日間とても充実した計画を立てられテーマした。講話、コンサ―ト、キリスト者の証言、聞かせていただいたことを感謝します。感動いたました。
・神様を信じること、愛、信仰、希望である。どんな苦しい中にいても希望をもつことができること。
・きめの細かいプログラムをありがとうございました。賛美の時間が多く、楽しい集会であり、初めて聞く賛美で感動しました。
・土曜日夜の青年の会の様子を少し、五分でもいいから時間をとったほうがよかった。感話集会の中でも若者の話し合いを共有することが大切と思います。無教会のこれからのためにも。
・聖霊が注がれて、その中でスケジュ―ルが進行されたこと。
・最初から最後まで和やかな雰囲気に包まれており、信仰の兄弟姉妹との交わりの場と感じられた。
・全国各地より兄弟姉妹が集められ、様々な立場の人々とお会いすることができて大変よかった。四国集会の方々の細かいお心遣いが感じられ感謝でした。
・初めてで躊躇したテーマでしたが、一晩たったらなぜか皆様にとけこめました。神様の絶大なる力を感じました。「神様どうか風(聖霊)をおおくりください」と祈ります。
・天の御国をみたように思う。
・自分が一人でくよくよしテーマしたが、大変小さい事であると思わせて頂きました。
・賛美、証言、講話、祈り、自己紹介、感話を通して全ての兄弟姉妹がその体の役割負担を担い、神様のなされたことを証され、主イエスがその中に居られる実感があり、霊の食物を頂 ことができました。
・徳島集会の皆さんがお互い助け合い、障害者の方をお世話されてる姿を見れたこと、又証言をきき事実を話されたこと、また賛美の時間が多くとられていたことです。スカイプの教友の方ともお話する事ができ、恵みの上にさらに豊かな恵みを与えられた事を感じました。
・遠くからの参加者が主に期待して、喜びにあふれておられる様子が感じられました。
・よき証言者が選ばれていたので、大変内容の豊かな学びができました。周到に用意された会に参加することができ、感謝しております。
・証言の時間があり、しかもその1つ1つの証言が実に内容の濃いものだった。新しい賛美歌を歌うことができた。
・地元徳島集会の方々の担当はもちろんでしたが、各地からの参加者から、多くの方々も担当を任され、皆で集会を運営している意識が生まれ主催者、お客様の境もそれほど感じること もなく、大変良かったと思う。このことが基盤にあり、参加者全員の気持ちがひとつに結集した様に思う。
・讃美に満ちたよい集会でした。
・障がい者の方々が多く、弱いところに神の力が現れるという言葉を思いだしました。
・準備から当日~終りまで、隅々まで配慮が行き届いていて、霊的にいっぱいになりました。すばらしい集会でした。
・プログラムの構成は、量は多くあっても、10分の休憩があり無理なくいられた。
・個室であることが、とても私にはありがたかったです。
・讃美が沢山あってよかったです。それに若い人達の活躍がとても素晴らしかったです。
何らかの理由があったからだと思いますが、聖書講話が短かったですね、私はもっと長い方が嬉しいです。
・全プロクラムを神様が祝福して下さっているのを感じた。聖霊に満たして下さいと一人一人の祈りが結集し、天に届いたので、会場は緊張の中にも、やわらかな愛の神に抱かれているようであった。このような体験は初めてである。
・徳島での集会に参加するのは2回目ですが、祈りと賛美と証しが集会の中心となし御言葉のときあかしがわかりやすく、御霊に満たされた恵みと祝福をいっぱい受けた集会でした。
・良い刺激を受け、視野が広がりました。主イエス様において一つにつながり学ばせていただき感謝でした。
・視覚障がい者が10名を越えて参加され、聴覚障がい者や、スカイプで参加された肢体の障がい者、さらに知的障がい者…ほかに軽度の精神の障がいをもっておられる方々おられたようで、こんなにいろいろな障がいをもっておられる方々が多い集会は初めてでした。
・会場全体が1つの心で、主を中心に過ごせた2日間でした。
・賛美と祈り、真実にあふれていて、いちいち感動しました。
・講話の時間は短かったが、内容が濃く主題の尊さが分かった。
・徳島の皆さんの愛がとても有難いでした。又各人が喜びにあふれ奉仕していらっしゃる姿が印象的でした。
・今回はプロジェクタ―で賛美のたびに歌詞をスクリ―ンに映し出してくださり感謝でした。手話賛美を見るだけでなく、多くの兄弟姉妹が実際に手を動かしていっしょにしてくださっていたことは 神さまを一体となって讃えるすばらしさを感じることができました。
・全プログラムを通して聖霊の働きを感じました。
・聴くだけでなく、参加したひとりひとりも発言する、こういうあり方もいいなと思いました。全国からあつまった方々のことがわかり、互いに初めてでも交流でき感謝でした。
・みなさんのかもし出す雰囲気が旧知の友のようになつかしく、親しみ深かったです。一人一人の方が神様から恵まれ、信仰の中で生かされていることが感じられる集まりでした。
(2)聖書の講話について とてもよかった29 よかった6
・小笠原さん…福音に関わる話をする使命、義務がある。キリストが私の内にいきておられる。神からの信仰をいただいている。自分からの信仰ではない。
・吉村さん…信仰、希望、愛はとどまることがない。幼な子のように信じること。エゼキエル書の最後の言葉、「主がそこにおられる」。
・小笠原さんの「旧約は人間の罪が延々とのべられている。新約は罪の赦しが全編にみなぎっている」という言葉。
・信仰、希望、愛は聖書に満ちており、つかえばつかうほど豊かに与えられる。
・キリストの十字架こそ愛であり信仰、希望、愛である。
・キリストの十字架の愛は全人類に与えられている。
・小笠原さんのお話はやさしく、わかりやすい内容でした。
・出て行って証しをしなさい」「キリストの十字架は、この世で弱い立場の人に容易にいただけるようです。20年間、ベッド上での若い女性。人の為にのみ祈った。
・人間の目には悪いように見えることも、全て神様からのメッセ―ジが込められている。 至る所に主がおられる。
・神は愛の方であるから信じて神を受け入れる時、希望が得られる。
・使えば使うほど増えるもの―それが「信仰、希望、愛」。変わらずいつどこでも使える永遠に価値が変わらないものである。
・万能と愛の神を信じるならば、どんなものからも神のメッセ―ジを受け取ることができる。
・「信、望、愛」使えば使うほど増える。神様の祝福の大きさ豊かさを思わされました。
・神は弱い者が好き。全ての人が、福音を伝えられることを教えて下さった。
・プログラムの内容は、みんな新鮮でありがたかったです。
・わたくし達は弱いもの、貧弱なものですが、神様が主イエス・キリストを通して変わらない永遠のご計画を啓示して下さった。与えられた信仰、希望、愛は普遍的であり。誰でも、ど こでも、いつでも、永遠に証しほめたたえられるべき。
・吉村先生が言われた、「何を見ても、起こる事にも神様からのメッセ―ジがある」ということ。「聖書のどこを開いても信、望、愛を感じる」との言葉。 エゼキエル書の最後に出てくる「主がそこにおられる」という都の名のこと。
・関根先生の「何のとりえもない民を、どこまでも見捨てず育んだ、限りないいつくしみとあわれみが注がれた」こと。又ゲッセマネの園からイエス様が「さあ、行こう」と立ちあがられたところです。
・神様からの風はいつも、どこでも吹いていて、その万能の神様を信じること。
・ペトロの弱さを、聖霊によって、新しくつくりかえてくださった神様の愛、励まし。
・小笠原明兄…信仰に生きている方のありのままのお話だと思いました。大変教えられました。いたらない私ですが、それでも、人に語り伝える努力をすべきだと思いました。
・吉村兄の「神は人が関心を寄せることのないようなこと、すべてのことに意味を与えた」との内容の話はとても印象のに残った。
・吉村、関根両講師の講話は、ただ語るのでなく、神の真実、愛を何としても皆様に伝えたい、という熱い気持ちが伝わって来ました。聖霊の力が会場に満ちた様でした。一方小笠原明様 の「小さな器」の自覚を表明し、責任を果たしたいとの思いがひしひしと伝わり、深く感銘を受けました。特別な人だけでなく。示された人が精一杯語ることの真摯な姿勢が私にとり 伝道そのものでした。
・信、望、愛について、もう少しつっこんだ話が聴けたらよかったと思います。関根先生の話は、イスラエルの旅の報告にすぎなかったのではないでしょうか。
・イエスを心に迎えることで真に創造的になる。そのときに人は、最もクリエイティブになる。その人が最も活かされ用いられる。
・神様は忍耐強く、辛抱強く待たれる方だ。
・関根さんのお話しは後半は主題を分かりやすい言葉で語ってくださり、印象にのこりました。前半はイスラエル旅行の話で、少し主題とは関係が薄いように思われました。
・主題について(吉村さん)…「信望愛」は使えば使うほど増える」「死の間際でもどうか私を覚えて下さい、と祈れる」との言葉は印象に残った。
・神は万能、宇宙を造られる神だから、水の上を歩くことも簡単なこと。
・愛の神に弱い人に近づいて、神に頼り呼び求める弱い人々をお喜びになる。
・この世では信じるということも、希望も愛も変質してしまうが、聖書の言うところの 信・望・愛は変わらない、誰でもいつでも使えて、いくら使ってもなくならない。
・小笠原さん・・私達はどんなに弱くても主を伝えることがみ旨である。
・吉村さん・・様々な悪は裁きを受ける。けれども信じるならば義の太陽が昇る。
・関根さん・・主なる神が聖霊として愛して下さる。真実な方、主、全幅の信頼をもって信じて間違いない。
・吉村さんの言われたこと―神曲の天国が神様の愛でバラの花のように表現されていること。神様のことを幼子のように信じることも特に心に残りました。
・小笠原さんの神様は弱い者がお好きという話。
・吉村先生の講話では、すべてを支配しておられる万能の神様を信じること。すべては神様のみ心である。関根先生の講話では、イエス様を否んだペテロが復活の主に会い造り変えられて
伝道に励んだ。その様にして下さったイエス様の限りない愛を思いました。
・信、望、愛―弱さの中で働かれる主、障害者の方々がたくさん参加し、手話による賛美があり、他の全国集会ではみられない、霊の息吹が感じられました。
・吉村さんのお話から、「神曲」の天国が神様の愛で薔薇の花のように表現されていることや、神様のことを幼子のように信じることが大切であることが特に心に残りました。 小笠原さんの「神様は弱い者がお好きである。」という言葉も心に残りました。
・小笠原 明氏… 私達はどんなに弱くても主を伝えることがみ旨である。
吉村 孝雄氏…様々な悪は裁きを受ける、けれども信じるならば義の太陽が昇る。
関根 義夫氏… 主なる神が聖霊として愛して下さる。真実な方、主、全幅の信頼をもって信じて間違いない。
・吉村兄…簡潔にこの世の信、望、愛とキリスト教のそれとの違いをはっきりと話され励まされた。関根兄…イスラエルの旅行の話と、主を三度も否定したペテロに復活の主が愛をそそいで新たな使命を与えられたところ。
・神の風が吹くと、荒れた心のなかにも花が咲く。そしてその人だけにとどまらない。
・弱さを強さに、貧しさを豊かさに、おろかさを賢さに 変えてくださる。
・「聖書に基づく信・望・愛」はいつでもどこでも誰でも使え、使えば使うほど大きくなる。
・キリストの十字架の愛ゆえに、神から信仰・希望・愛をいただく。
・どこまでも見捨てず、育み給うた神さまの限りない慈しみとあわれみ―イスラエルの民に、ペテロに。
・信仰を持っていると、森羅万象が、神さまからの愛、また今必要なメッセ―ジ、象徴された啓示だとわかるという吉村先生の講話。苦しいことの中にも、神さまは、私の傲慢さや思いやりのなさを示して下さり、それは神さまの深い愛だと思います。
(3)北田康広コンサ―ト
とてもよかった 33 よかった3
〇よかったと感じた曲名
・安かれわが心よ、 主のうしろ姿 紫の衣 ・荒城の月 ・紫の衣、 いつくしみ深い、メヌエット ・いつくしみ深い ・安かれ ・いつくしみ深い ・紫の衣・主の後ろ姿 ・ピアノ 荒城の月 紫の衣 勝利を望み ・すべてよかった。 ・荒城の月 ・幸い薄く見ゆる日に ・荒城の月 ・いつくしみ深き・荒城の月、
・紫の衣 ・勝利を望み 幸い薄く見ゆる時 ・安かれわが心よ・「人生の海の嵐に」
「安かれわが心よ」・幸い薄く見ゆる日に ・主の後ろ姿 紫の衣 故郷 安かれわが心よ・紫の衣 ・荒城の月 ・ピアノ演奏すべて ・紫の衣 ・主のうしろ姿 紫の衣 ・荒城の月 ・「主のうしろ姿」「紫の衣」 ・ふるさと(ピアノ演奏)
・伴奏の北田陽子さん、控え目だったが、光って見えた。
・ 間近に見、聞け、すばらしい曲ばかりでした。
・目の前で生でお聞きするのは2回目です。前回にまして魂に響きました。特に「安かれ」「主の後ろ姿」涙がとまりませんでした。感謝です。
・ピアノの響きに心がこもっているように感じました。
・とてもよかったです
・ピアノ伴奏 北田陽子さんの伴奏すべてが良かった。
・それぞれの曲について詳しく説明してくださった。「いつくしみ深き」の曲のつくられたわけを知り心打たれました。
・ピアノ演奏や賛美に心が癒されました
・いつもCDを聞いテーマすが、生の声をきいて感動しました。
・生で聞けて良かった
・CDも良いが、今回のように立体的に聴けるのは本人の神様への賛美が直接伝わってきて、北田康広さんの歌の世界に引き込まれてしまった。すごい迫力を感じた。
・「いつくしみ深き」の作者が、二度も婚約者を失った話を聞き神様の厳しいご計画を思った。他の曲も解説していただき、より深く感じることができた。
・北田 康広さんの肉声を初めて聞かせて頂き、神様の特別選ばれた器だと感じました。
・神からのメッセ―ジが北田さんの声を通して語られているようでした。伴奏も素敵ですばらしかったです。
・生で聴けて幸せでした。(CDではいつも聴いたテーマでしたが)
・曲も、声も、伴奏も、とてもきれいでした。
・大変苦労して、努力しているなあと思わせて頂きました。
・滝廉太郎 岡野貞一 Joseph Scriven の生涯の説明と、詩の解説とのセットの賛美が非常に良かったです。
・北田さんが解説して下さり、歌の背景を教えてくれ、又違った聞き方でうたが聞けました。声が響きわたり圧倒されました。
・できれば賛美歌にしぼって歌って欲しかった。
・北田 陽子さんの伴奏によって、賛美がいっそう生き生きしたものとなって感じられた。
・集会が始まり間もなくコンサ―トがあって、心がリラックスできました。このプログラムを通して参加者との交流もしやすくなったと思います。時間設定が goodでした。
また「安かれわが心よ」の歌を聞いている時、自然と涙が出てきました。重厚な音色のせいもあったでしょうか。心の中に浸みいりました。北田様を通し、神の愛に包まれ、私ひとりが慰められている様な特別な心境に陥りました。
・1曲ごとに丁寧な解説がついていて、とても理解しやすく、安心、平安の心で聴くことができました。
・賛美の説明、曲数共に適切でした。北田陽子さんのご紹介があってもよかったかもしれないと思いました。
・四国集会に適わしい北田さんの賛美とピアノのコンサ―トだった。ト―ク、作詞者、作曲者の説明には魅きつけられた。
・沢山聴かせて下さり、感謝したい。
・「勝利をのぞみ」 ・メヌエット(滝廉太郎作曲)、ふるさと(ピアノ演奏)
「メヌエット・滝廉太郎作曲のピアノ曲」とても美しいでした、滝廉太郎さんがピアノ曲 を作曲されていたのを知りませんでした、感動しました。
・特に素晴らしいと思いましたのは、北田さんのト―クと笑顔です。
・何かほ―っと心がなごみました。それに、作曲家や曲にまつわるエピソ―ドが実に興味 深かったです。「勝利をのぞみ」は力強くとてもよかったですが、 We shall overcome と言う有名な英語の歌詞も一節とり入れてほしかったです。
・今までテ―プを通して聴いテーマしたが、今回直接生で聴いてあらためて感動を深くし、今後の歩みの指標となることと思います。「ふるさと」「荒城の月」の背景にある解説が良かった。
・各賛美の解説が良く、日本の歴史の中でクリスチャンの作曲家が一般の人にも親しめる曲を作っていたことが分かりました。北田陽子さんの伴奏がとても素晴らしかったです。
・「荒城の月:「いつくしみ深い」(解説がよかった) 「主の後ろ姿」「紫の衣」「メヌエット」(初めて聞きました) 奥様のピアノ伴奏もよかったです。
・歌の解説があり、ひとつひとつの賛美や歌の理解が深められたこと、感謝でした。ひとつひとつ大事に歌っておられ、北田兄の誠実さとプロの姿勢を感じました。奥様の北田兄への心遣いが美しく、ピアノ伴奏もすてきでした。
・北田陽子さんの伴奏すべて
・曲のひとつひとつをご説明してくださるときの笑顔が印象的でした。のびやかな賛美の歌声を生で聴くことができて感謝します。
・歌唱もさることながら、曲についての紹介が詳しくなされ、北田さんの苦難を経ての信仰と人格の高さ・広やかさ・温かさに感動しました。
・生の歌声の中に魂を揺すぶるものを感じ、主の愛を受けた。
・各讃美の解説がよく、日本の歴史の中で、クリスチャンの作曲家が一般の人にも親しめる曲を作っていたことが分りました。北田さんの歌声も、陽子さんの伴奏もとてもよかった。
・北田 陽子さんの伴奏によって、賛美がいっそう生き生きしたものとなって感じられた。
・神様に包まれ、神様を見上げつつ、歌われるお姿は、透明な溢れる光に包まれテーマす。ふるさとを歌っていると、涙が滝のように流れました。(理由がわかりません)
・なまの歌声の中に魂を揺さぶられるものを感じた。主の愛に浸された時間をいただけた。ゆったり語られ、讃美曲目も多岐にわたり時間も丁度良かったと思う。
(3)キリスト者の証言についてとてもよかった 31 よかった5
・原光子 震災を経験され、生々しい証言の中で、恐怖の中「神様助けてください」イエス様を終始思いながら、為すべきことをされた。本当に深く、その信仰に心打たれました。
・長山智明 多くの苦難の中でここに集われたことが大きな証しとして響き、心に残りました。
・愛農に生きるが印象に残った。
・人にはそれぞれ言いしれぬ条件を負っている。しかし、条件のいかんに関わらず、神様中心でなければならない。与えられた条件には、それぞれ神の思いが込められている。
・原光子 津波の押し寄せてくる時の怖さ、「神様」と祈っているときの様子が、何とも言えぬ緊迫感をもって聞かせていただいた。
・神様がわたしたちのそばにいつもいることがわかり、リアルな話ですばらしかった。
・経験している事実を話され、襟を正して聞いた
・霜尾共造さん、長山智明さん
・東日本で被災されたかたの生き様、淡々と話されるが中身の大変さを思った。農業に前向きにがんばっている姿に応援したい。
・伝道に挫折し、結婚に挫折し、さらに被災しても、神様は、そこから良い方へと導いて下さる方。
・クリスチャンホ―ムで育った方、又反対にその環境に恵まれなかった方の差を感じました。どちらも神様の栄光が表わされることであるが、後者の方がより多くの時間がかかるのでしょうか。
・神に頼らず神から離れる事が、罪の根源である。しかし神は不信仰の罪を知らされイエスの語りかけに耳をすます事ができる機会も用意していてくださる。
・原光子…驚きました。困難の中にイエスさまがいらっしゃることがよくわかりました。
・鈴木益美、綱野悦子…障害を持っておられる方々への神様のいつくしみ、恵み、働きを教えてもらいました。
・村上さんの告白、 鈴木さんの証(近くの山に連れてもらって植物に触れ、心の転機となった話)、 綱野さんがキリストに救われたこと
・長山智明兄弟の証し:イエス・キリストの救いを必要としている。誰かが罪のスケ―プゴ―ドなしには済まない。イエスの血、引き裂かれた肉体、弱い私には自分の罪を克服する力が ない。愛したり、赦したりできない自分がいる。
・村上守行さんの神が東北に、日本に審判を下された。人間の欲と罪の話です。起こる出来事からのメッセ―ジを、村上さんが真剣に受け取られ、震災を通して人間の罪に対して盲目で あってはならない。何が日本人にとって、地の塩となるか、警告の中に一人のキリスト者として正しい道を歩むことを教えていると言われたこと。
・皆さんが心からの叫びを神様に投げかけておられる。弱さの中の強さを感じました。
・長山智明兄―ご自分のことをありのままに語った勇気に感心しました。物事を深く考えておられると思います。
・原光子姉―感動のお話でした。今も苦しみをひきずっていると思いますが、お元気そうでよかったです。
・霜尾共造兄―厳しい日本の農業の現実の中で、希望を持たせて下さる霜尾さんの存在そのものに感動を覚えました。
・村上守行兄―原発の被災者として、故郷を失った苦しみ、辛さは、いかばかりかと思うのですが、それにめげず、なお前向きであるお話に心打たれました。
・長山さんの話が強く訴えた。これは私のこれまでの職業と関係が深かったからかもしれない。
・キリスト者の証言をされる方々の選択が、よく考えられたものでいずれも印象深かった。原さんの体験はパウロの「14年前の体験」(第2コリント12:2)のことをふと思った。
・全員良かった。証言者皆様が神様を正面に向きあい、自身の弱さ不安つまずき、ありのままを語ったからと思います。人前では自分を美しく大きく見せたくなりますが、その思いを捨て去り、赤裸々な姿を語ってくれました。具体的なことは言えませんが、神様を通して語らしめられたと思いました。
・原光子さんの3・11の生々しい証言です。
・村上守行さんの、「神抜きでありとあらゆることを知ろうとすることで人は死ぬ。」ということ
・あの恐ろしい地震、津波を実際に経験された方のお話をきいたのは初めてで、凄じさの中で、神様に祈り続けられたことをきいて、私はその時、神様のことを思い出せるだろうか?と思いました。残念なことは、私は少し難聴ですので、きこえないところがかなりあったことです。
・原光子・・主に祈ると、みことばが与えられ生命を救われた経験。
・長山智明…苦難を通して主に格闘し続け光を求めている証言。痛々しく不幸だった分幸せになってほしいと願った。
・霜尾共造…父親から受け継いだ信仰と農業を通して今共同体として導かれている現状。
・村上守行…愛農に導かれた経緯を通して生きている神を感じた。伝道の難しさがあるが神は必ず応えて下さる。
・原光子さんが命の危機の時に、イエス様を見られたというお話に感動しました。
・霜尾さんの幼い頃からの歩みの中に、神様が働かれていたことが心に残ったテーマです。
・原さん…「神さま!助けて下さい 」助けられたら「次にすべきことは何ですか」一時も神さまから離れなかった体験談を、原稿なしで語られたこと。キリストは生きて働いておら れることを証言されたのは、究極の時にも希望の光があることの証言であった。
・原光子さんご夫妻の3・11の生きた証言は神様は現実に具体的に生きて働き給う主であり、叫び求める人の声を聴き祈りにこたえてくださる。神の御意志は必ず実現する。神の真実は裏切らない。約束を守る方であると学んだ。
・原光子さん…「主よ助けてください」の祈りより助けられたこと、聴かれた祈り
・鈴木さん…中途失明の苦しみの中から信仰により強められ、希望を持って明るく生きておられること感動的でした。
・原光子…生死を分けるすさまじい経験をなさり、その中でイエス様に祈り続けられたこと
長山智明…ご両親のお話を聞き、心が痛みました。主は、この方を愛し導いて下さっていること
霜尾共造…農業を継げる(ける)ことの困難さを知りました
村上守行…原発事故は、神の警告、裁きであった。一人のキリスト者としての正しい道を求められている。
・長山さん…大変な状況も信仰により前進されているところ
・霜尾さん…クリスチャン2代目の純粋さで農村に主の導きを祈りつつ進まれている姿
・村上さん…3.11より愛農高校の新しく導かれた主の導き
・綱野さん…中途失明の暗闇から信仰を与えられた道筋と鍼治療の仕事をしながらすばらしい伝道をされていること
・長山さんという方が育った家族の状況を赤裸々に語って下さいました。みんなが「~のせいだ」と言います。(私も常々言います)その罪を担って下さる方がイエスなのだという答え。本当にそうだなあと思いました。人のせいにすることこそが一番の罪なのですが、なぜかそういう発想が出て来て苦しむ。イエスは罪を巡る堂々めぐりで解決のない私たちに、イエスに委ねよと言って下さった。長山さんにもお礼を言います。
・原光子さんが命の危機の時にイエス様を見られたというお話に感動しました。霜尾さんの、幼い頃からの歩みの中に、神様が働かれていたことが心に残ったテーマです。
・原光子さん… 主に祈るとみ言葉が与えられ生命を救われた経験。
長山智明さん…苦難を通して 主に挌闘し続け光を求めている証言。痛々しく不幸だった分幸せになって欲しいと願った。
霜尾共造さん… 父親から受け継いだ信仰と農業を通して 今共同体として導かれている現状。
村上守行さん…愛農に導かれた 経緯を通して生きている神を感じた。伝道の難しさがあるが、神は必ず応えて下さる。
・被災された方のお話を直接聞くことが出来て、感謝です。
苦しみの中で見た十字架、神さまの光の話が心に残りました。
・何人もの多様な証言、大津波や原発事故を通しての生々しい現在進行形の救いの話をも伺い、感謝感謝でした。
・み名を呼ぶことのいかに尊いことかを実感し、胸打たれました。
(4)特別賛美の時間 とてもよかった31 よかった 3
・1日目夜の賛美の時間は、自由参加というのが気が楽でとても良かった。
・日曜の朝(礼拝)が賛美から始まるのは良かった。
・手話賛美 ・この地を癒したまえ
・「この地を癒したまえ」の手話賛美に心うたれました。
・前夜の輪唱がとても楽しかったです。 ・全曲がよかった。
・数度さんのギタ―、綱野さんのコ―ラス・綱野さんの賛美がきれいだった。
・すばらしい集会に出席して吉村さん、増田敬子様に感謝です。
・世界の賛美に初めて触れられて良かったです。
・中川さんとのデュエット曲 ・すべて良かった。
・この地を癒したまえ ・この地を癒したまえ
・鈴木益美さんの歌声が心に響きました。
・やはり全身で賛美する手話賛美はいつでも深い感動です。
・愛は生きること ・神のみ言葉は ・ 主イエスの愛は~なんという愛
・貝出兄の低音の声、歌心に響きました。
・これぞコ―ラスと言った厚みの響きでした。
・手話賛美、前列の方がひざまずいての賛美、美しく見応えありました。
・神のみことばは Gottes Wort ist wie Licht
・全て、心が洗われるようでした。・デュエット、コ―ラスが印象的 ・すべて
・ハ―モニ―がとてもきれいで、心が洗われる思いだった。徳島ならではの特別賛美に今回も聴き入った。
・曲名は覚えテーマせんが、とても素晴らしかったです。ただ一人一人の声がききわけられないで1つのハ―モニ―になれば、もっと美しくなると思いました。
・徳島での集会では常に新しい讃美歌を取り入れ、プログラムの随所に取り入れられ、一回では覚えられませんが、慰めと希望を指し示す賛美がよかった。
・全て良かったです ②徳島集会では、いつもこの様な讃美が行われているんだと思い、新鮮でした。
・輪唱の歌をもっと繰り返し歌いたかった。普段はあんなに沢山の人たちと讃美歌を輪唱などできないから
。
・手話が間違わずにできて、心を込めて手話賛美もできました。
・数度春代さんのギタ―すてき。障害ある人も共に賛美されて主にある徳島の集会の皆さまの愛を感じすばらしかったです。少しでも見習いたいものです。
・この地をいやしたまえ(手話讃美)で、「ひざまずき」揃えることが出来て、よかった。
・ 主への愛が強く感じられ、心が洗われ、別世界に行ったようでした。
・手話讃美を今後少しずつ身につけて、手話讃美をできるようになりたい。教会の皆さまとも共に手話讃美を学び集会で披露できたら最高だな。今後の夢になりました。
(5)土曜日の全員の自己紹介
とてもよかった 29 よかった 8
・はじめての方が多く、全国各地のかたと出会えたことが特によかったです
・時間が短いので近況報告は難しい。
・オカリナ演奏・時間配分大変でしたね。本当に楽しかったです。
・初めての参加で、聞くだけで一生懸命だった。
・徳島集会の方々が個人名をあげて祈って下さっていた。
・若い方々が信仰に立って歩んでおられる姿に感動しました。
・多すぎてよく思いだせないですが、一体感はありました。
・桜井さんに協力してる、手話の方がすてきでした。
・私が大ぜいの中で上手に自己紹介が出来たことが感謝です。
・病床で寝たきりの勝浦さんの声が男らしく力づよかったのには驚いた。
・石原さんの沖縄の厳しい現実の報告は心にひびいた。
・持ち時間に差をつけたこと、遠方参加に配慮されたことは大ヒットでした。
・資料22ぺ―ジ以降を少し活用されても良かったかと思います。
・東京の宮武さんはじめ、初めて参加した方の話が聞けて良かった。そういう方々が次に繋がっていけばいい。
・短い時間で、全員が発言されてよかった。参加していた10人を越える盲人の方々にとって、参加者名簿やお顔、姿が見えないのだから、この全員による自己紹介があることで、はじめて参加者の全体像がリアルに感じられたことと思うので、そのことも とてもよかった。
・遠くから近くから来られたひとりひとりのことを知り、交流のもとになった。
・初参加の東京の伊丹さんの友人が主に救われて、全く違う風景に見える世界が新鮮であった。
・神様を信じる前は死んでいたようなものだったという言葉。
・神様を信じる前は死んでいたようなものだったという言葉が強く心に残りました。
・・参加者が一人一人、全員が発言すると時間もかかるのですが、それが大切で、それで学べることが多かった。ちょっと緊張しました。那須さんが「スイッチがはいらないように伝道したい」といわれましたが、私も集まりではスイッチが入るのを知り、変えようと思いました。
・あれだけの人数の人が、自己紹介、近況を語ることは難しいですが、限られた時間の中で何を語るか、焦点をしぼって語ることもまた一つ訓練でありよかったです。
・各人の真実が伝わってきました
・参加者一人一人の感話が直接 聞けて、感謝でした。分科会では、ほかのグル―プのは間接的に受け取ることになるので、直接の恵みで良かったです。
・人数が多くて各人は短いので、顔など見られない方が多数で、ちょっと残念でした。
・初参加の伊丹悦子さんの友人の宮武佳枝さんの救われた体験で、自分は空しく死んでいたが、救われてこの世界が全く違った風景に見えたという証言が新鮮だった。 死人を甦らせる神様のお働きと伝える事の大切さを感じた。
(6)早朝祈祷 とてもよかった 25 よかった 4
・雨もあがり、青空が広がり、ウグイスのさえずり、聖霊の風に吹かれながら祈りあい、平安を得ました。
・美しい自然に包まれて、みんなでこころを合わせて祈れたこと
・すがすがしい朝の中、早朝祈祷し、本当に生きている感動を覚えた。
・朝の空気がきれいでした。
・立っていたので、讃美歌一曲、一人ずつ短いお祈りでよかった
・お互いに祈り合えたのが良かった。
・個人的に祈れる時間があり、それぞれ自分の問題も祈って貰えた。
・自然の中で兄弟姉妹方と心を一つにしてお祈りできたこと。
・私の娘が信仰に導かれるように、祈っていただけてよかった。
・お天気も良くて清しい朝、兄弟姉妹と賛美、祈祷でき感謝。
・1人1人が祈りをささげられたこと。
・外部の人が近づくことのない、祈りに集中できる場所で、ひとり祈ることの方が、本当の祈りになるように思います。
・香西さんの司会よかった。最初に皆に1人ずつ、今朝の感想を語らせてから祈りに入った。
・天気もよく眉山の緑がすばらしかった。
・別のグル―プと近く、一方が賛美の時、片方が祈りであったり、その逆であったり気を使いました。しかし会場が戸外で、広い心で賛美、祈りができたように思いました。
・清々しい空気の中で祈れたことに感謝します。
・晴れて、風も、すぐ前の川面の波面も、眉山、空も美しかった。
・雨上がりの新緑の眉山を目の前にし、穏やかに流れる川を前にして、静かな祈りのひとときを過ごした。
・全国の方と共に祈る、賛美する早朝祈祷は特別な恵みの時。
・個人的に祈れる時間があり、それぞれ自分の問題も祈ってもらえた。
・天気もよく、気持ちよくお祈りできました。
・ちいさなグル―プに分かれ、川のせせらぎが聞こえてくるようで、小鳥のさえずり、さわやかな朝風を受けながら、祈りを合わせることができ、とても良かったです。
・良い天気を与えられ感謝。
・ご高齢の村上みよ子さんが歩くのもおぼつかないにもかかわらず、当集会に出席され、早朝祈祷にも参加されていたことに感銘いたしました。
・天気も良く、気持ちよくお祈りできました。
・会場近くの川べりのとてもよい場所ででき、うれしいでした。
・隣のグル―プがすぐ近くでしたので、話や賛美がお互い少し妨げになったよう。
・私たちのグル―プは、石段を降りた川辺の近くでしたので、すぐ目の前に川の流れあり、こうした多くの人が集まる集会において、こんなよい環境で早朝祈祷できたのは、初めての経験。
・眉山を望む川縁で、涼しい風を受けながらのひととき、自然をお造りになられた神様をたたえながら、皆さんひとりひとり朝の感想、皆、ひと言ずつの祈りも祝福されました。皆要領よくできてすごいです。
(7)感話集会 とてもよかった 23 よかった 6
・全員が話されて善かった。時間配分が難しい。
・関根 長山さんのことを話されたこと、・原光子 いろんな集会にどんどん参加してください ・吉村 神の導きによってみなが集められる
・各々が自分で受け取られたことを言われた
・個人的なこと、苦労をお聞きすることができ、みんな一生懸命生きていることに励まされた。詳しい内容はわからないが、とにかく、ちょっとした機会でイエス様にひきつけられ、こ の四国集会に参加されたこと
・「長山さんのことを言ってくれて、本当に嬉しかった」という、長山さんへの思い溢れる言葉。
・関さん(申、7)貧弱な民イスラエル…万能の神様の話
・霜尾さんの愛農の理念 長山さんのストレ―トな証
・このような交わりのあること自体、祝福にあずかれました。
・証言をされた方への感想と、徳島の方々への感謝。
・感話集会と賛美で、ひとりも欠けることなく参加者の全員が感話されたことが、何よりも徳島での四国集会の特徴。
・関根さんが長山さんについて語られた言葉です。
・神の愛、恩恵が全員に行き渡った証でありました。
・昼食後なのでじっと聞くのがしんどい時もあったが、皆が発言できて良かったい。
・先に帰らせていただきました。録音聞かせていただきます。
・全員の感話によって、いっそう参加者の方々の信仰や感じ方に触れることができてよかった。
・あれだけの内容のプログラムを進めること。それぞれの賜物を生かした役割を分担し、祈り協力している姿を通して良く訓練されていることを痛感した。
・参加者一人一人の感話が直接 聞けて、感謝でした。分科会では、ほかのグル―プのは間接的に受け取ることになるので、直接の恵みで良かったです。
・分科会とせず、全体で行ったので移動の煩雑さがなく落ち着いて全員の意見が聞けた。時間配分が難しく司会者は大変だったと思う。恵みの分かち合いによって、二日間のことを改めて思い出し確認できて良かった。
・司会が明るく楽しく進行してくださり、感心しました。・みな要領よく上手に話されますねえ…。
・いろいろな立場、年齢の方々からの発言があって、とらえ方もそれぞれのとらえ方で話されるのを聞いて、自分の思いの中の全く足りないところがひしひしと感じられて、考えさせられました。
(8)昼食と交流 とてもよかった 19 よかった 7 時間が長すぎた 5
・グル―プでじっくりと話せてよかった。親戚にしか話せない家族の悩みをこうした初めて会った者に語ることができる。キリストが間に立たれたら、バリアがない世界がある。
・原さんの震災されたときの話
・たくさんの方と話ができて有意義な時間でした。1日目にもあるとよいですね。
・常々プログラム以外で人と交流する場が、欲しいと思っていたのでたくさん話ができて嬉しかった。
・村上みよ子さんが耳が聴こえず、会話に参加できなかったのが、とても残念。
・心をゆるしてお話する事ができてうれしかった。
・後でわかりましたが、年齢が近い方々で楽しく交流できました。綱野姉がいらして、証のことを詳しく聞け感謝でした。
・鈴木益美さんとお話できた。 小さいグル―プで交流深まる。
・食事の後、私達の娘のことで具体的な相談ができたことが感謝です。
・「神様から守られているという」不思議な平安が得られました。
・スカイプでしか会えなかった方とゆっくり交流できとこと。横に座った綱野さんが、私が来れるよう祈って下さってたことを聞けたこと。
・あとの方で少し緊張がとけてしまった。家族の問題、子供との関わりの問題が具体に話題に上った。
・よかったが、昼食済んだら、別の机のグル―プと自由に話せることがはっきりと知らされていなかったようなので、別のグル―プに移って話しがしたくともできないように思っていた人がいたようです。
・徳島集会の方が親切でうれしく思いました。
・西澤さんや小笠原さんと信仰と伝道について語りあえたことです。
・舟谷さん(高知)、小林典子さん(福岡)お二人とも ゆっくり話せました。
・顔と名前が一致しない人同士でしたが、名前を呼び会話できる恵みのときでした。
・一緒のグル―プの方とよく交流できた。一緒のグル―プの方々との時間を半分位にし、他のグル―プの方とも自由に交流しても良いとのアドバイスがあればもっとよかったかもしれない。
・フリ―タイムで、半分の時間は会場の中であちこち移動し、誰とでも多くの人と交流がもてた方がよかった。
・スカイプで声だけの交わりだった方と深く交流できた。初参加の若い方と親しく交流できた。
・小林典子さんと交流したいと願っていたら、私の後ろの席の永井さん達3人が帰られたため、小林さんの所に行って交流することができました。青年の会に来てなかった船谷さんとも 沢山話せて嬉しかった。
・お話したいと願っていた方がいましたが、後ろの席の方が帰られたので、その方のところに行って交流することができました。青年の会に来られていなかった方ともお話ができて嬉しかったです。
・固定された席だと思っていた人が多かったようだが、時間がたくさんあったので、半分はフリ―タイムにし、会場を自由に移動し誰とでも多くの人と交流が持てた方が良かった。
・写真撮影に協力してくださり、感謝。グル―プごとの雰囲気が出ているように思いました。
・席が決められ、人数も丁度いい位でした。
・同席の方々と非常に親しくなれました・スカイプで声でだけの交わりだった方と深く交流ができた。 初参加の若い方と親しく交流ができた。
・テ―ブルを向き合い、6人と顔を合わせて食事できたこと、会の日程も大分経過したこともあり心和む中、会話もはずみました。若者が多く学校時代のいじめについて世代を越えて、 体験を語り合えたことは素晴らしかった。
・私は生まれて初めて目の見えない方と話す機会がお二人とありました。目が見えなくなった時、それまでの信仰がゆらいだけれど、そのうちに、目が見えなくなってよかったと思うようになられたとのこと。貴重なお話を聞けました。又、ふしぎに知り合いが重なったり、体験が重なったり…で「(主によって)つながっている」と感じました。
(9)プログラムの中で、どの賛美がよかったですか (北田コンサ―トでの賛美以外について)
・神はひとり子を ・シャイン・ジ―ザス・シャイン
・この地を癒したまえ
・天の神祈ります
・愛は生きること
・荒地よ喜べ
・神様の真実は変わらない
・愛をください ・荒地よ喜べ
・日暮れてやみはせまり
・この地を癒したまえ ・この地を癒したまえ
・いずれもよかったと思います。
・愛をください
・安かれわが心よ・この地を癒したまえ
・日暮れてやみはせまり ・この地をいやしたまえ 「この地を癒したまえ」「天の神祈ります」
・慈しみ深き・荒れ地よ喜べ
・土曜日夜の、キリスト者の証言の後の讃美タイムの賛美、2曲目の輪唱がとっっっても良かったです!
・新しい賛美を覚えたいが、1回歌っただけなので、まだどの賛美が良いと言えません。
・「神はひとり子」 讃美タイムの輪唱(「神のみことばは」だったと思います)
・「この地を癒したまえ」 とても楽しかったです。上手にできたと思いました。
・リビングプレイズ238番の「この地を癒したまえ」、 新聖歌208のイエスは愛で満たす→ 新しく覚えたので心に残った。・すべてピッタリでよかった。
・この地を癒したまえ
・どの賛美も、目新しく良かったです。
・知らない讃美歌が多かったので、覚えたいと思います
・新しい(知らない)賛美をいっぱい紹介していただき、心から感謝でした。
・手話讃美がすばらしいでした。
・すべて内容にピッタリ合う讃美が選ばれていて良かった。 伴奏者の方が霊的に高く、伴奏によって讃美の心が引き上げられた。
(10)各地からの感想 とてもよかった 17 よかった 12
・石原さんの閉会集会のときの話がよかった。いろいろな人の話が聞けてよかった。
・各地の活動が聞けたこと
・時間オーバーしてしまい、司会者として反省しテーマす。次はもう少し上手にやります。
・静岡の西澤さん 静岡で現在も集会が続いているのは、4つの集会のうち2つだけ…でも前だけを見て振り返らない。
・沖縄の石原さんが閉会集会のとき言われたこと。
・北海道の大塚さん―札幌の人口190万人… しかし、集会参加は 12名、若い人に伝道したい。
・閉会集会のときの、沖縄の石原さんの涙の祈り。
・集会に参加して一参加者としての単なる感想か。地方の所属集会の立場を踏えての感想か、迷いました。 ・菊池さんがいつもよいまとめをする。
・石原さんの無教会の今後に対する深い思いに感動しました。
・石原さんの閉会集会のときの話がすばらしかった。
・愛農高校の卒業生が2人も証しする機会を与えられ、とてもよかった。愛農聖研に吉村先生が用いられ、聖研の内容が改善され、祝福が満たされることを期待したい。
・沖縄の石原昌武兄弟の、若い兄弟姉妹に対する思いと負担が印象に残りました。
(11)四国集会前後の交流会(開会前夜と、終了後の夜の交流会) とてもよかった 11
・徳島聖書キリスト集会の兄弟姉妹が、どんな場所で集っているのかよくわかり、今後はとても身近に感じることができます。
・いろんな人々が繋がっていることは、神様のみわざ不思議な感じがしました。
・分け与えていただいているばかりで、自分も何ができるかわかりませんが、分を果たしたい。
・集った方たちの人柄がわかり、あたたかい交わりの時となったと思います。閉会後のまだ充実感にひたっている時、ホッとしながら、自由に思ったことを話すことができてしあわせでした。 ・何でも自由にいえる雰囲気がとてもよかった。
・沖縄の現状のことを知らされました。
リラックスした気持ちで語り交わる時間がくまれていることは、今後の交わりを深め、祝福を分かち合う上でも良い企画だと思います。
・2日目夜に参加したが、四国集会に都合で参加できない方でも、この交わりに参加するだけでも価値があると思った。お勧めです。 ・生き生きと楽しい交流で、暖かい気持ちになりました。
・比較的少人数だったので、個人的な問題や、感想を聞けて良かったです。
・生き生きと楽しい交流で、暖かい気持ちになりました。
・ 皆様それぞれ良かったです。自分の言葉で飾らず話され、それぞれの違った角度から
恵みを共有できた。
・集会中は、個人的なことは話せないが交流会ではそれまで話せなかった人たちの話を聴くことができた。初めてお会いできた方も多く、とてもよかった。
・集会のすべてを手話通訳しておられるのをすごいと思いました。障害者、弱者と同じ立場に立っての伝道はすばらしい!手話讃美も心からの賛美が手話を通して良く表現されていて、心打たれ感動しました。交流会の皆さまのお話で、おひとりおひとりのことがよく分かり、親しく交流できるきっかけができるので、とてもよいと思った。
・徳島の集会場で交流できたことが最高にうれしいでした。
・徳島の方々のみならず、参加者の一部の方々と特に親しく交わるとてもよい機会になった。
(12)青年の会
・私たちは非力な世代かもしれないが、弱い人が集まって、聖書講話は出来なくとも弱い人なりの伝道ができるのではないか。
・Kさんの救われるまでのお話。親密になれました。
・もし「あまりよくなかった」という感想があれば聞きたい。
・和室(寝室)が広かったので、そこなら青年の会が、23時30分~40分くらいまでできたかもしれない。(今回の青年の会は、別に予約した会議室を21時~23時まで使った。)
・とても辛い時に受け入れてくれた、無教会の人達のあたたかさについて話されたこと。
・無教会の高齢化が問題となる中で、たくさんの恵みと祝福を受けてきた老人たちが、若い人たちの話に耳を傾け、アドバイスし、祈りに覚えて祝福することの大切さを感じた。
(13)今回の四国集会全体
・テーマは大変良かった。会場が便利な場所で良かった。1つずつの講話が短かいのがとても良い。
・名前をあげて祈ってくださっていたことが感謝でした。
・すみずみまで心配りがなされ、よき集会でした。
・とても心地よかったです。事前のお祈りがどんなに大事か感じました。
・閉会礼拝の「神共にいまして」は知っている曲なので、前で手話指導のもと、手話もしてほしかった。
・上手な人の賛美と皆で歌う賛美の割合は、これでいいのかなと少し思いました。
・尊い集会に参加させて頂き大変感謝致します。 ・テーマが少し漠然としてしぼり辛かったのではないか。
・長山様の証、それを受けての精神科医関根様の感話、二人のお話をお聞きできたこと、神様の執り成しを感じました。愛媛県の小笠原様と親しく話ができたこと、何より嬉しく思いました。又高知県の片岡様から日本平での冬講習会で案内したことを覚えていて下さり、感謝されたこと、私こそ感謝でした。
・本当にたくさんの方の準備(祈り、作業)を思うと頭が下がります。すばらしい会をありがとうございました。
・祈りをもって準備し、祈りをもって始め、祈りをもって終わる。…すべては祈りにはじまり、祈りに終わる。そこに、神さまが祝福して下さらないはずはないことを実感。
・全国の人と祈りを合わせ賛美し、礼拝での講話や、証言や交わりの中で「信望愛」に生きる道を与えられていることを再確認。新たな力と希望をいただけて感謝に溢れた。
・初めて参加した徳島での2005年の無教会全国集会の時と同じくこの地での集会のよさを感じた。
・全国集会がこのような形に変えられることを望んでいます。
1人で参加することができ、自信がついてとても良かった。
・テーマがよかった。3・11の後で、時期を得たテーマと思いました。
・プログラムがよく工夫され、初参加の人にも抵抗なく参加できたようです。主催者の皆様のご愛労に感謝します。
・私は、今までは、人が多く集まる集会が余り好きな方ではありませんでした。初めて参加した今回の四国集会では、違和感なく疲れなく楽しく二日を充実してすごしました。準備して下さった皆々様に心よりお礼申し上げます。
・今回はポイントをはずした意見や講話がなく、「信、望、愛―弱さの中に働かれる主」というテーマそのままが実現された。主が祈りに応えて下さった素晴らしい集会であったと思う。1人1人が祈っ て準備し、県外の方をお迎えすることが恵みに結びつくと思った。
・最初から最後まで、徳島集会の方々の行き届いたお心づかい、やさしさを感謝いたします。
・信・望・愛というテーマは聖書全体をふくむので、よかった。
・聖霊様が働いてくださり、感謝な集会でした。自分の弱さや罪も感じましたが、その弱さの中で働いてくださる神様も同時に体験することができました。
・準備、運営の徳島聖書キリスト集会の皆さま、ご苦労様でした。集まる人々のための皆さまの祈り、感謝。わたしが参加できたのも、その祈りに支えられたと思います。おみやげの徳島聖書キリスト集会作成の賛美CD2枚、感謝。賛美を豊かにするのに役立ちます。
お知らせ
〇5月11日(土)~12日(日)に徳島市で開催された 第40回 キリスト教四国集会(無教会)の録音、録画を希望される方は、奥付の吉村孝雄まで、E―mail、電話、FAX、ハガキなどで申込みしてください。代金は、いずれも送料込みの価格です。
①四国集会の二日間のほぼ全部の内容の録音 MP3版CD1枚 300円。
②録画 DVD 4枚セット
1000円
③四国集会前後の交流会の録音 MP3版 CD1枚 300円。
④録音セット(①と③)は、500円。
⑤四国集会で用いられた賛美集のCD 2枚セット 500円(これは、当日歌われた賛美の録音で、31曲を収録しテープです。普通のCDラジカセで聞けます)
・このMP3版は、同じ内容がCD1枚に収録されているので、300円。
⑥北田康広コンサ―トだけの録音 (普通のCDラジカセ用)
CD1枚 400円。
〇吉村孝雄の7月の県外での予定。
主が許してくださるならば、次の各地でみ言葉を語らせていただきたいと予定しテーマす。
・7月9日(火)夜7時~
京都府舞鶴市。
・7月11日(木)~14日(日)
北海道瀬棚聖書集会
(14日は、日本キリスト教団利別教会での合同礼拝)
・7月15日(月)午前10時~午後2時 札幌市での交流集会
・7月17日(水)午前10時~12時 苫小牧での集会。
・7月20日(土) 午前10時~
山形県鶴岡市での集会
〇7月20日(土)午後3時~5時 山形市での集会。
〇7月21日(日)午後2時~4時 仙台市での集会。
22日以降については未定です。
〇新しい「祈りの友」のこと
前月号で新しい「祈りの友」会について紹介し、教会、無教会の別なく、地域や年齢をも越えてともに祈りに覚えて歩みたいと願う人たちの入会をお勧めしました。
この一か月ほどで60名ほどの申込があり、そのうち以前の「祈りの友」には加わっていなかった人で、新しく申込された方も16名ほどおられます。
年齢も29歳から91歳まで、70歳未満の方は、36名ほどです。
いろいろな地域からのさまざまの年齢層の方々とともに祈りをもって歩めますことを感謝です。
ある程度申込がなされた時点で名簿を作成予定です。 申込の締切りというのはありませんし、申込みの数がどれほど必要ということも全くありませんので、申込された方々で、ともに祈っていきたいと願っテーマです。 まだ申込していない方も、ただ少しでも互いに祈りに覚えあっていくというだけでも、加わることに意味があり、自分は身近な人に対しても十分祈れないから、と思ってこの「祈りの友」に加わるのを躊躇される方もいると思います。
しかし、私たちはだれでもおそらくそのような貧しい祈りしかできないものです。それでもこうした「祈りの友」として加わることでより、祈りの意識を強めることになると思われます。
横浜市から申込されたある教会員の76歳の方から申込書に書かれたあったことです。
「お蔭様で私は健康に恵まれテーマすが、病床にある方々を思いつつ、3時にはいつも祈らせていただいテーマです。
このごろ、祈りとは祈っている当人が神さまから最も祝福を頂くものと思ったテーマです。」
このような祈りの祝福をより多くの人々が受けられますようにと願ったテーマです。
〇四国集会の記録を別冊にする予定でしたが、編集時間などの都合がつかず、今月号に主たる内容を掲載することになりました。
〇この四国集会の録音CD(MP3)を聴くための機器として新たに、ソニ―からCDラジオ
が発売されテーマす。カセットテ―プの駆動装置がないだけに薄型で扱いやすく、機器に弱い方でもすぐ使えます。価格も五千円ほどです。電器店やインタ―ネットなどで購入が難しい方、またMP3対応のものを別の機種と間違って購入しそうだと思われる方で、購入希望者は、吉村まで申込してください。幅32㎝、奥行き6㎝、高さ15㎝ほどです。